私自身は江戸時代スゲーとは思わないし、江戸時代の百姓階級に生まれなくて良かった(現代の百姓は逆の意味で特権的ですらあるが)と思っているが、また江戸時代の日本国民全体は他国の国民大多数に比べて恵まれてもいた、とも思っている。まあ、回答の中にもあるように、藩ごとの違いが大きかっただろう。
最近は明治維新批判(否定)論が増えているが、明治維新が無ければ四民平等も無かったわけで、四民平等が無ければ後の民主主義への移行も無かったのではないか。最近顕著な明治維新否定論は、実は「西洋中心主義否定論」や「NWO否定論」「西洋による経済侵略や偽装民主主義否定論」あるいは「長州独裁政治否定論」ではないだろうか。そうした視点は大事だが、明治維新のすべてが西洋の手のひらの上で踊らされていただけだ、というのもまた極論のように思う。
概して言えば、明治維新はあって良かった、と思うのだが、その反面、明治維新が失敗していて、「公武合体」政体になり、日本が西洋による侵略を跳ね返し、中国やロシアと手を組んで西洋の世界支配に抗していたらどんな世界になっていたか、という興味はある。そういう小説を誰か書いてくれないか。まあ、小説にするより、今からでも現実の政治がそうなっていけばいいのだが。
(以下引用)
徳川時代は、なぜ、260年も続いたのですか。 途中で、市民(農民)革命を起こそう...
ベストアンサーに選ばれた回答
まず、徳川時代はひどい時代だった、というのは徳川を倒した明治新政府側が、前政権を悪く言うために流したデマであると言うことを知っておくべきです。それほどひどい時代ではありませんでした。諸外国に比べたら夢のような理想郷でありました。
さて、徳川の前政権である豊臣政権は刀狩りを全国一斉に実施し、農民から武器を取り上げました。これで農民は武装できなくなります。さらに太閤検地による中世の荘園制度が瓦解しましたので、荘園領主というものはなくなりました。だから徳川が認めた大名しか残りません。大名は武力を持つ存在でしたが、公共土木事業や寺社の修復など、財力を溜めないように幕府から命じられ、さらに参勤交代で莫大な費用を消費させられ、奥方は人質にとられ、まったく反乱できないようにされました。
それで260年も続いたのです。誰も親の家業を継ぐの当たり前で、身分は固定ですから、競争と言うものがありません。現在の熾烈な競争社会はいいものですか?戦争がありませんから、生活設計も長期的にできます。しかし、安定が固定になり、やがて周囲の変化に追随できなくなり、腐敗へと向かうのは世の常ですので、幕末の動乱で終わるのです。
しかし260年間も静かに学習した国民は世界中にいないでしょう。その力があっという間の追いつきになったのです。維新政府は、日本の遅れはせいぜい40年だな、と冷静に判断していました。
ベストアンサー以外の回答
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農民と市民は全く別モノです。世界を見回しても農民が革命を起した例はありません。また徳川幕府は農民を押さえつけてなどいません。徳川幕府は、農民は贅沢せずに真面目に働けといった程度のことしか口出ししていません。実際に農民を統治していたのは諸大名であって徳川幕府ではない。徳川幕府は、基本的に政治を諸大名に丸投げしていて、その諸大名を統制していただけです。あまりにも酷い大名がいた場合には、徳川幕府は領地を取り上げて天領に組み込んだり、大名を引退させて後継者に引き継がせたりしました。そうしたことが徳川幕府のやり方なのであって、恐怖政治などという実態は全くない。そして農村は基本的に農民の自治に任されていて、諸大名もごちゃごちゃとは口出ししていません。農民にとって関心があるのは今年は年貢を納めるだけの収穫があるだろうかといったことだけです。農民の権利が侵害されていたのでもなんでもない。明治維新は紛れも無く市民革命です。下級武士が市民であり、町民・農民もそれぞれの立場で参加しています。ただ英邁な徳川慶喜は自ら政権を朝廷に返上したので、実質的に明治維新は無血革命であった。世界史的に見れば明治維新は実に平和的に収束しました。天皇を復活させたという事実はありません。元々徳川幕府の治世は、天皇が徳川幕府に統治を託していただけです。徳川幕府が時代に合わなくなったら、いさぎよく舞台から降りるというのは、徳川家康が元々宣言していたことであり、徳川慶喜は家康公の言葉を実行しただけに過ぎません。徳川幕府の統治権というのは、元々西欧の絶対主義のようなものでもなく、徳川幕府は市民の権利を侵害していたわけでもありません。ですから日本は西欧のような血で血を洗うような凄惨な殺し合いをする理由がまるでありませんでした。だから幕末の争点は誰が朝廷の信任を得て、統治権を預かるかという形であったわけです。日本では絶対王政も絶対主義もありません。日本が西欧の真似をしなければならないという理由は何一つありません。徳川幕府が260年続いたのは幕府のやり方が、それなりに時代に適合していたからです。
幕府を倒そうとした人はいるが、それは民主化を求める戦いというようなものではなく、不満が溜まったゆえの一揆という形だった。
まず民主化というものを、鎖国政策によって外部との接触が出来なかった日本の国民は知らなかっただろうし。
そもそも民主化というものを当時必要と考えていた人間がどれだけいるのかは疑問。
ヨーロッパでも、もし鎖国などで外部の情報がまったく入ってこなかったら市民革命なんて数十年以上は遅れただろう。
徳川幕府の政治については、勿論悪い所もあったろうし、将軍によっては突拍子も無い法律を作ったりした人もいるが(生類憐れみの令とか)世界的に考えても恵まれた環境であった事は間違いない。
当時の江戸は世界最大の都市で、上下水道完備の循環型社会が出来ていた事はたしかだし。世界のどの国と比べても暮らしやすい環境であったであろう。
天皇について。
「天皇を復活させましたね」の意味がわからないが。
天皇の復活もくそも、元々天皇の立場については根本的にほとんど変わっていない。
徳川幕府を倒して民主化した時も、天皇を担いだほうが都合が良いからそうしただけ。
天皇を無視して明治維新を起こそうとしても失敗していた事は間違いない。
天皇を味方にせずに徳川幕府を倒しても、「天皇を守るため」という大義名分で全国各藩が兵をあげて戦国時代に逆戻りするか、徳川の血縁の者が担がれて新たな幕府が出来るだけ。
天皇が民主化を認めたからこそ、黒船来航から数年という短期間に民主化を実現するという偉業を成し遂げられた。
他の国でこんな事を成し遂げられた国はない。
また、特権階級の武士自ら特権階級を捨て、民主化を進めたのも他の国ではない事。
農民に革命を起こす力があるor無いの問題以前に、一般市民が民主化という考えを持っていなかったというほうが正しい。
明治維新を起こした武士にしても、黒船来航で欧米との軍事力の差を見せつけられたからこそ民主化を掲げたわけであって、黒船来航がなければ日本の民主化ももっと遅れていたはず。
鎖国中の日本の中で民主化や革命という考え方がなくても当然の話。
大きな日本という国ではなく、各藩は1つの国で連邦の様な体制だったので、国(各藩)の中で、農民一揆などが起こっても(大塩平八郎の乱、一向一揆)それが、他国まで拡がるということはなかったです。横の情報もごくごく制限されていました。
>、徳川幕府は、恐怖政治で、農民たちを押さえつけていたのですか。
恐怖政治というか、「士農工商」で。士が偉いんだって身分制度を作って
「切り捨てご免」と言って、武士が農工商を切っても罪にならなかったりしましたから。
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