「東海アマ」ブログ記事の後半だが、最後にあるアマ氏の「問題解決策」はアホな考えだと私は思っているので、「見え消し」にしておく。山の中で独居生活をしている氏が「連帯」を主張するなど、言行不一致であり、ただの妄想だろう。それに、底辺の人間が連帯して原始共産制的な村を作ったところで社会全体として何が変わるのか。その「村」も、医者も存在せず、毎日の生活すら、政府によって電気やガスや水道をストップされたら一発で終わりではないか。
だが、問題提起としては重要な指摘をしている文章なので転載する。
(以下引用)
2000年代に入って、竹中平蔵と小泉純一郎が、日本を猛烈な格差社会に仕立て、人々の連帯を拒絶するような特権階級のための社会インフラを構築しはじめた。
また特権階級になるための学歴社会でも、昔は貧乏人でも行けた国公立大学や医学部は、もはや大金持ちでなければ、とても支払えないような入学授業料金が設定されるようになった。
もう貧乏人の子が、特権階級と対等に、同じ条件での学歴や社会的地位を得る手段が許されなくなったのだ。
貧乏人は中卒で、派遣労働者として工場にでも働いてろという社会が、本当に成立してしまった。
今YouTubeで「スカッと」なんてコンテンツが人気を博しているのは、そんな社会の差別性を反映しているように見える。
日本はどうして格差社会になってしまったの? 2020年1月14日
近年、日本でも格差が大きな社会問題と言われるようになってきています。確かに、勝ち組、負け組というような言い方があったり、ワーキングプアも深刻な問題です。
日本が一億総中流社会と言われた時代から、現在の格差社会になった理由はいくつかありますが、ひとつは、非正規雇用が広がったことだと考えられます。
そのきっかけは、2000年代の規制緩和にありますが、その背景には、バブル景気の崩壊にともなって、企業にとっては非常に厳しい状況となったことがあります。実際、銀行や大手証券会社まで倒産や合併が起きました。
ところが日本では、企業は正社員を雇用すると、給与はもちろん厚生年金や健康保険、企業年金等の負担なども負うことになります。そのため、負担を避けたい企業は正社員の雇用を絞っていきました。
しかし、人手は必要なのですから、その意味では、雇用形態の流動化を招いた規制緩和は避けられなかったことではないかと思います。
もうひとつの理由が、経済のグローバル化が進んだことです。
このことは、一般消費者にとっても、これまでは日本製品を買うことが当たり前だった状況から、安い海外製品や、従来にはなかった高付加価値の海外製品を選択できるようになったことでもあり、国内企業にとっては競争が激化したことを意味します。
逆に言えば、海外に進出するチャンスが増えたことでもあります。その結果、競争に負けて衰退する企業と、世界に市場を広げ、これまで以上に収益を上げる企業が現れ、企業間格差が拡大したのです。
すると、成功した経営者は、従来の国内企業では考えられなかったほど高額の報酬を得ることができるようになったのです。
つまり、ある意味、国内でみんなで仲良く頑張り、安泰と一億総中流を実現した社会から、厳しい国際競争に否応なく巻き込まれ、成功した者はいままでにはない莫大な利益を上げることができる社会状況に変わってきたということです。
その結果、格差が広がる社会になったことは、やむを得ない面もあると思います。
むしろ問題は、一度ついた格差が取り戻せないことです。2000年代に正社員になれなかった者は、いまでもワーキングプアのままであったり、親が貧困だと、その子どもも貧困から抜け出せないことが大きな問題なのです。
競争の結果による格差の拡大がやむを得ないような社会であるならば、各人には、競争のチャンスが平等に与えられること、また、何度でも競争できることが担保されていなければなりません。
また、社会にとっては、人々の格差が取り戻せないことは階層の流動性に欠けることになり、結果として、そうした社会が衰退することは明らかです。日本社会も、こうした面から見直すことが必要なのです。
************************************************************
引用以上
上の引用は、特別な思想的背景はないのだが、グローバルスタンダード思想=新自由主義が持ち込んだ「格差社会」についてわかりやすく説明している。
ちょうど山本太郎の世代が、今の50歳代前半の第二次ベビーブーム世代なのだが、ちょうど、「失われた30年」の余波をくらって、今世紀初め、企業に正社員として就職することが困難だった世代だ。
彼らは、50歳を過ぎても多くが結婚できず、コンビニのアルバイトや、派遣労働者、トラック運転手など社会の底辺で食いつないできた。私も、その一人ではあるが。
代わりに、社会常識や序列社会の価値観からの「自由」を得ているということもできる。
創意工夫、主体性、イノベーションのある者は、社会変革の旗手として、また個人企業の起業家として、上から与えられる秩序の圧迫から自由に、社会を現場で変えてゆける実力を持っている。
グローバルスタンダードがもたらしている格差拡大社会、そしてゴイムに君臨する特権階級に対抗できる勢力といえば、山本太郎に代表される、彼ら「失われた世代」以外ない。
結構なおっさんになってしまった世代だが、2時間で何十万円も払える特権階級のための社会に変わりつつある今、我々が、誰とでも連帯できる、「みんな同じ」社会に戻すために、何が必要かといえば、私は、格差、序列のない自由な共同体を各地に創出するしかないだろと考えている。
若者たちは、序列のある格差社会に向かって歩いて行くのか? それとも、みんなが平等で、誰とでも連帯できる共同体に向かって歩いてゆくのか?
今こそ、問われているのではないだろうか?
だが、問題提起としては重要な指摘をしている文章なので転載する。
(以下引用)
2000年代に入って、竹中平蔵と小泉純一郎が、日本を猛烈な格差社会に仕立て、人々の連帯を拒絶するような特権階級のための社会インフラを構築しはじめた。
また特権階級になるための学歴社会でも、昔は貧乏人でも行けた国公立大学や医学部は、もはや大金持ちでなければ、とても支払えないような入学授業料金が設定されるようになった。
もう貧乏人の子が、特権階級と対等に、同じ条件での学歴や社会的地位を得る手段が許されなくなったのだ。
貧乏人は中卒で、派遣労働者として工場にでも働いてろという社会が、本当に成立してしまった。
今YouTubeで「スカッと」なんてコンテンツが人気を博しているのは、そんな社会の差別性を反映しているように見える。
日本はどうして格差社会になってしまったの? 2020年1月14日
近年、日本でも格差が大きな社会問題と言われるようになってきています。確かに、勝ち組、負け組というような言い方があったり、ワーキングプアも深刻な問題です。
日本が一億総中流社会と言われた時代から、現在の格差社会になった理由はいくつかありますが、ひとつは、非正規雇用が広がったことだと考えられます。
そのきっかけは、2000年代の規制緩和にありますが、その背景には、バブル景気の崩壊にともなって、企業にとっては非常に厳しい状況となったことがあります。実際、銀行や大手証券会社まで倒産や合併が起きました。
ところが日本では、企業は正社員を雇用すると、給与はもちろん厚生年金や健康保険、企業年金等の負担なども負うことになります。そのため、負担を避けたい企業は正社員の雇用を絞っていきました。
しかし、人手は必要なのですから、その意味では、雇用形態の流動化を招いた規制緩和は避けられなかったことではないかと思います。
もうひとつの理由が、経済のグローバル化が進んだことです。
このことは、一般消費者にとっても、これまでは日本製品を買うことが当たり前だった状況から、安い海外製品や、従来にはなかった高付加価値の海外製品を選択できるようになったことでもあり、国内企業にとっては競争が激化したことを意味します。
逆に言えば、海外に進出するチャンスが増えたことでもあります。その結果、競争に負けて衰退する企業と、世界に市場を広げ、これまで以上に収益を上げる企業が現れ、企業間格差が拡大したのです。
すると、成功した経営者は、従来の国内企業では考えられなかったほど高額の報酬を得ることができるようになったのです。
つまり、ある意味、国内でみんなで仲良く頑張り、安泰と一億総中流を実現した社会から、厳しい国際競争に否応なく巻き込まれ、成功した者はいままでにはない莫大な利益を上げることができる社会状況に変わってきたということです。
その結果、格差が広がる社会になったことは、やむを得ない面もあると思います。
むしろ問題は、一度ついた格差が取り戻せないことです。2000年代に正社員になれなかった者は、いまでもワーキングプアのままであったり、親が貧困だと、その子どもも貧困から抜け出せないことが大きな問題なのです。
競争の結果による格差の拡大がやむを得ないような社会であるならば、各人には、競争のチャンスが平等に与えられること、また、何度でも競争できることが担保されていなければなりません。
また、社会にとっては、人々の格差が取り戻せないことは階層の流動性に欠けることになり、結果として、そうした社会が衰退することは明らかです。日本社会も、こうした面から見直すことが必要なのです。
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引用以上
上の引用は、特別な思想的背景はないのだが、グローバルスタンダード思想=新自由主義が持ち込んだ「格差社会」についてわかりやすく説明している。
ちょうど山本太郎の世代が、今の50歳代前半の第二次ベビーブーム世代なのだが、ちょうど、「失われた30年」の余波をくらって、今世紀初め、企業に正社員として就職することが困難だった世代だ。
彼らは、50歳を過ぎても多くが結婚できず、コンビニのアルバイトや、派遣労働者、トラック運転手など社会の底辺で食いつないできた。私も、その一人ではあるが。
代わりに、社会常識や序列社会の価値観からの「自由」を得ているということもできる。
創意工夫、主体性、イノベーションのある者は、社会変革の旗手として、また個人企業の起業家として、上から与えられる秩序の圧迫から自由に、社会を現場で変えてゆける実力を持っている。
グローバルスタンダードがもたらしている格差拡大社会、そしてゴイムに君臨する特権階級に対抗できる勢力といえば、山本太郎に代表される、彼ら「失われた世代」以外ない。
結構なおっさんになってしまった世代だが、2時間で何十万円も払える特権階級のための社会に変わりつつある今、我々が、誰とでも連帯できる、「みんな同じ」社会に戻すために、何が必要かといえば、私は、格差、序列のない自由な共同体を各地に創出するしかないだろと考えている。
若者たちは、序列のある格差社会に向かって歩いて行くのか? それとも、みんなが平等で、誰とでも連帯できる共同体に向かって歩いてゆくのか?
今こそ、問われているのではないだろうか?
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