「混沌堂主人雑記」記載の記事の一部である。「産めよ殖やせよ大和撫子」という妙な名前のブログからのものらしい。書き手は大愚氏か。以前は別の名前のブログだったと思う。
さて、これを転載したのは、戦争の目的の一つとして、自国軍隊を消滅させる(削減する)、という発想が面白いからである。
もともと戦争目的の大きな要素は「軍隊の存在意義を保つため」というもので、アメリカが絶え間なく戦争をしているのがその目的のためであることはよく知られているが、それは別に兵士が可愛いからではなく、兵士はただの消耗品である。大事なのは、「軍隊を動かす連中の権力と財産の維持」である。
下記記事では「民族そのものを潰す」という目的について書いているが、これは「征服した民族を自国軍の最前線部隊として使い、軍隊を増強する」という元帝国特有の戦略から来たものだろう。あの少数民族の元が、他国を相手に無数の戦争をしながら、自国軍が消滅することなくアジアの大半を占める大帝国を築いた秘密はここにある。(私はこれを宮崎市定の本の一節で知って、なるほど、と思った。長年の疑問だったのである。)まあ、日本の将棋のようなものだ。取ったコマは自分のコマにできる。朝鮮戦争での中国もそうだったというのも面白い指摘である。将棋(戦争場面しかないwww)とは違って、取ったコマも、平時には厄介者となる。
自国軍隊の勢力削減、人員削減のための戦争というのは案外多いのではないか。平時の軍隊ほど処置に困る存在は無い。何しろ武力そのものだから、いつでも爆発しかねない。いつ刃が現在の権力に向けられるか分かったものではない。為政者の苦心は、軍隊との内的闘争にある。
「征韓論」は、明治維新で生じた膨大な数の無職士族(何の職業技能も無い連中だ。)の処理のためというのはよく知られている。西郷隆盛は、侍とともに自分が死ぬことで維新の責任を取るつもりだったのではないか。まあ、朝鮮には迷惑な話だが、それは現代の視点での話だ。侍階級の処分問題に「自分が侍階級とともに滅びることで責任を取る」という視点を入れることで、大政奉還を残念がった西郷の「戦がし足りない」という破壊的な言葉や、薩摩の侍たちの西南戦争決起に唯唯諾諾として神輿として乗った理由も分かる。内戦でも、「侍が大量に死ぬ」のだから、征韓と同じ結果になるわけだ。死ぬこと自体は侍の本分だから非人道的でも何でもない。
豊臣秀吉の「朝鮮征伐」は、豊臣の日本制覇に伴って生じる、他の戦国大名全体の戦力削減問題解決のためで、べつに朝鮮との戦いに勝っても負けても目的は達せられたのだ、と考えれば、あの聡明な秀吉が晩年になってモウロクした、というこれまでの解釈に新たな光が当たるのではないだろうか。(司馬遼太郎なども「秀吉モウロク論」を取っていたと思う。)「真田丸」で、天下人となった秀吉が大名同志の戦争を禁じたことを初めて(お恥ずかしいが、ほとんどの人もそうなのではないか)知って、「朝鮮征伐」の意味も初めて分かった気がする。
そして、その発想が後年の征韓論へとつながるわけである。案外、「日本の真の中心層」にとっては常識に属する発想なのかもしれない。
(以下引用)
民族そのものを潰すことが目的の戦争もありうるのだ
元寇がそうだった。元は南宋と朝鮮半島の余剰軍人を日本に捨てにきたのだ。元の軍消滅で元は何も被害を受けていない
朝鮮戦争も、共産中国は降伏した蒋介石の降伏兵と、日本の兵であった、半島の旧軍人をすりつぶすために無駄な人海戦術をした
さて、これを転載したのは、戦争の目的の一つとして、自国軍隊を消滅させる(削減する)、という発想が面白いからである。
もともと戦争目的の大きな要素は「軍隊の存在意義を保つため」というもので、アメリカが絶え間なく戦争をしているのがその目的のためであることはよく知られているが、それは別に兵士が可愛いからではなく、兵士はただの消耗品である。大事なのは、「軍隊を動かす連中の権力と財産の維持」である。
下記記事では「民族そのものを潰す」という目的について書いているが、これは「征服した民族を自国軍の最前線部隊として使い、軍隊を増強する」という元帝国特有の戦略から来たものだろう。あの少数民族の元が、他国を相手に無数の戦争をしながら、自国軍が消滅することなくアジアの大半を占める大帝国を築いた秘密はここにある。(私はこれを宮崎市定の本の一節で知って、なるほど、と思った。長年の疑問だったのである。)まあ、日本の将棋のようなものだ。取ったコマは自分のコマにできる。朝鮮戦争での中国もそうだったというのも面白い指摘である。将棋(戦争場面しかないwww)とは違って、取ったコマも、平時には厄介者となる。
自国軍隊の勢力削減、人員削減のための戦争というのは案外多いのではないか。平時の軍隊ほど処置に困る存在は無い。何しろ武力そのものだから、いつでも爆発しかねない。いつ刃が現在の権力に向けられるか分かったものではない。為政者の苦心は、軍隊との内的闘争にある。
「征韓論」は、明治維新で生じた膨大な数の無職士族(何の職業技能も無い連中だ。)の処理のためというのはよく知られている。西郷隆盛は、侍とともに自分が死ぬことで維新の責任を取るつもりだったのではないか。まあ、朝鮮には迷惑な話だが、それは現代の視点での話だ。侍階級の処分問題に「自分が侍階級とともに滅びることで責任を取る」という視点を入れることで、大政奉還を残念がった西郷の「戦がし足りない」という破壊的な言葉や、薩摩の侍たちの西南戦争決起に唯唯諾諾として神輿として乗った理由も分かる。内戦でも、「侍が大量に死ぬ」のだから、征韓と同じ結果になるわけだ。死ぬこと自体は侍の本分だから非人道的でも何でもない。
豊臣秀吉の「朝鮮征伐」は、豊臣の日本制覇に伴って生じる、他の戦国大名全体の戦力削減問題解決のためで、べつに朝鮮との戦いに勝っても負けても目的は達せられたのだ、と考えれば、あの聡明な秀吉が晩年になってモウロクした、というこれまでの解釈に新たな光が当たるのではないだろうか。(司馬遼太郎なども「秀吉モウロク論」を取っていたと思う。)「真田丸」で、天下人となった秀吉が大名同志の戦争を禁じたことを初めて(お恥ずかしいが、ほとんどの人もそうなのではないか)知って、「朝鮮征伐」の意味も初めて分かった気がする。
そして、その発想が後年の征韓論へとつながるわけである。案外、「日本の真の中心層」にとっては常識に属する発想なのかもしれない。
(以下引用)
民族そのものを潰すことが目的の戦争もありうるのだ
元寇がそうだった。元は南宋と朝鮮半島の余剰軍人を日本に捨てにきたのだ。元の軍消滅で元は何も被害を受けていない
朝鮮戦争も、共産中国は降伏した蒋介石の降伏兵と、日本の兵であった、半島の旧軍人をすりつぶすために無駄な人海戦術をした
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