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徽宗皇帝のブログ

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自民党が「社会主義」方向に進めば、野党の存在意義は無くなる
「紙谷研究所」から転載。
マルキストを自称する紙谷氏の記事であることを念頭に置き、またここで引用されている本などが「御用(自民党御用あるいはDS御用)ジャーナリスト」の著作かもしれないと、眉に唾をつけて読むべきだが、一定の真実は含まれているとは思う。つまり、安倍の「経済政策」は明らかに「上級国民」しか視野に入っていないという「純粋上級国民」精神が漂うものだが、「まあ、下級国民にも少しは餌も与えるか」という部分もあるだろう。問題は、その配分があまりに「下級国民軽視」がひどすぎるところにあったわけだ。「民主主義(民意)完全無視」や「法の無視」「官邸による官僚の完全支配による政府の法的腐敗」「論理無視の議会答弁(議会の空無化)」なども含めて、戦後最悪の総理の座を小泉と競う存在であったことは間違いない。
で、安倍が人格的には陋劣で品性下劣でモラル欠如で顔も悪い、言動も下品だ、というあたりは「国民の代表」としてはあまりに情けないもので、総理の資格など無い(無かった)とは思うが、下の記事が本当なら、自民党要人が左にウィングを伸ばしている、つまり野党の出番など無くなりつつある、という話になるわけで、そうなると「些細なスキャンダル(もちろん、些細ではない巨大な悪事も安倍は行ってきたが)を騒いで政権攻撃をする」だけの存在になりかねない。野党存続の危機はどんどん高まりつつある、ということだ。
なお、下の記事は冒頭の「岸田総理の政治はまったく社会主義(的)ではない」という紙谷氏の意見を匂わせながら、その説明抜きに話が進んでいる。私としては、「現在の総理」の政策を論じることのほうが重要だと思うのだが、マルキストの立場から岸田批判(つまり「新しい資本主義」批判)をするのは困難なのではないか。その批判をしたら「ではマルキシズムはどのような未来像を提示できるのだ」という話になるから、自ら墓穴を掘るわけだ。


(以下引用)

鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』


 新年は「新資本主義」を掲げるの企業新聞広告のオンパレードだった。


 年頭の岸田首相のメッセージを受けて、投資家もどきみたいな人たちが集まっている「市況かぶ全力2階建」は大騒ぎである。


kabumatome.doorblog.jp


 「社会主義」だって?


 岸田が?


 岸田の年頭所感のどこが「社会主義」だというのか。

  • 目指すべきは、日本経済再生の要である、「新しい資本主義」の実現
  • 市場に過度に依存し過ぎたことで生じた、格差や貧困の拡大
  • 資本主義の弊害に対応し、持続可能な経済を作り上げていく
  • 国家資本主義とも呼べる経済体制からの強力な挑戦に対抗
  • 「新しい資本主義」においては、全てを、市場や競争に任せるのではなく、官と民が、今後の経済社会の変革の全体像を共有しながら、共に役割を果たすことが大切
  • 一度決まった方針であっても、国民のためになると思えば、前例にとらわれず、躊躇(ちゅうちょ)せずに、柔軟に対応する

というあたりらしい。


 びっくりである。


 びっくりだけど、こういうタイトルの本ができて(2020年1月刊行)、それをぼくも去年の秋口にリモート読書会で「それ面白そうだね!」と同意して読んだのだから、なおびっくりである。


 

 


 鯨岡の本書の趣旨は、安倍の手法は小泉流の新自由主義ではなく、企業の賃上げに介入し、無償化などの分配を積極的に行う左派的なものである、ということなのだ。


「国家は善」。そんな安倍の国家観から生まれた経済政策は、結果として「大きな政府」路線になっていった。市場は不安定・不完全だから、国家が介入し、適切な調整を行う。政府に経済運営で大きな役割を期待する姿勢は、世界的に見て「左派政策」に分類される。(鯨岡仁『安倍晋三社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』朝日新聞出版Kindlepp.17-18)


 これは松竹伸幸が指摘する“安倍政権は左にウイングを伸ばしている”という指摘と重なる。


kamiyakenkyujo.hatenablog.com


 

 安倍政権が左派的などとは信じられない、という向きもあろうが、まあ、とりあえず話を聞いてほしい。リモート読書会に参加したAさんは「はぁ!? アベがぁ!? 社会主義ぃぃぃ!?」と叫んだ。まあ、Aさんも喜んでこの本を読むことは受け入れたのだが。


 例えば最低賃金。時給1500円は必要、という立場から見ればまだまだ低い。しかし、歴代政権と比べてもハイペースで上がっていったことは間違いない。


f:id:kamiyakenkyujo:20220103150315p:plain


 あるいは「保育の無償化」。「大学の無償化」。


 「そんなものは消費税増税と引き換えだ」「大学の無償化などまやかしだ。1割の学生しか対象になっていない」という批判はよくわかる。が、相当に歪んだ形であっても、兎にも角にも始まったわけである。


 国民(の一部)が安倍政権をもし何か評価する点があるとすればこういうことなのかもしれない。つまり、得点を稼ぐポイントだったのである。


 本書では安倍の2013年1月号の「文藝春秋」に載せた言葉を紹介している。


「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります」


 本書によればそのアイデアのベースは、起業家・原丈人の「公益資本主義」だという。


 岸田はこれがいいと思ったのであろう。岸田政権の「新しい資本主義」路線はまさにこれだ。「コロナにお困りの皆さんへ」といって給付金を配り始めたのはその一つである。菅政権がやらなかった持続化給付金の今日版・事業復活支援金もやった。


 


 いや、ぼくは「だから安倍政権は素晴らしいね!」とか「岸田政権サイコー!」とか全く思っていないし、そういうことが言いたいわけでもない。


 そこから、野党側、まあもっと言えば左翼陣営はどういう戦略を立てればいいのだろうか、ということを考えた。


 鯨岡の問題関心も実はそこにあったりするのではないかと思う。なぜなら本書は松尾匡を登場させ、「れいわ新選組」の話で終わるからだ。


 安倍政権を「見習って」、野党共闘が右へウイングを伸ばすことについては以前にも書いた。だからそこで書いたことはあまりここでは繰り返さない(安全保障など)。


 『安倍晋三社会主義』を読んで、ちょっと感心したのは、安倍が第一次安倍内閣退陣をした後に、わりとすぐ勉強会を始めていることである。


二〇〇七年秋、安倍が首相を退陣した直後のこと。第一次安倍政権で厚生労働相をつとめた柳澤伯夫は、東京・富ケ谷の自宅を訪ねていた。…


安倍があまりに何回も謝罪するので、柳澤は本当に気の毒だと同情していた。この日、柳澤が安倍を訪ねたのは、柳澤と親交が深かった評論家、西部邁の勉強会へのお誘いを伝えるためであった。…


その西部が柳澤に対し、「安倍さんは、まだ若い。このまま終わるのは惜しいんじゃないのか。絶対、やりなおすべきだ」と、安倍のために知識人をあつめて勉強会をやりたいと提案してきた。(鯨岡前掲書p.76-77)


 5回分の講師名が載っているのだが、経済分野については「グローバリズムに否定的で…『新自由主義』的な政策を批判する講師が多かった」(鯨岡)。


 この本を読むと、安倍は勉強会や知識人の人脈を生かしてせっせと知識の吸収をしている印象を受ける。


 負けた後でもすぐに勉強をしている。共産党や野党がそれをしていないとは思わないが、少なくともぼく自身は選挙後そういうことがあまりできていない。この本を読んで「俺は、安倍ほどには勉強していないなあ」と反省した次第だ。


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