前回記事との公平を期するために、激烈な「反天皇主義者」である混沌堂主人氏が引用している「deeply japan」記事の一節(反天皇論に読める)と、その末尾の混沌堂主人氏の一言を付け加えて転載する。
なお、私はdeeply japan氏の鋭い知性と世界政治への見識を高く評価する者だが、天皇問題に関しては意見を異にするのは言うまでもないだろう。それは前回記事を読めば明白なはずだ。
先に日本国憲法に関する部分を赤字にして引用しておく。
(先回りして書いておくと、私は人権を重視して人々がちゃんと暮らしていける社会を作るのに、日本国憲法+地方自治法のやり方しかないとは全然思ってない。むしろ余計なお世話だろうと思う国と地域があっても不思議としないし、当然だと思う。だがしかし、日本の場合、カルト体制を解くのにどうしたらよかったのかといえば、当座他に手はなかったのだし、これは有効だったと考えるしかないんじゃないか、と思うわけです。)
煮え切らない言葉に思える。つまり、「考慮中」ということだろう。私の考えを言えば、「政治家や国民が日本国憲法を『ちゃんと守れば』すべての問題は解決する」というものだ。現在政界を覆っている「カルト体制」も、政治家たちが憲法を無視し、あまつさえ、「憲法改正(実際は改悪)」を企んでいる、その流れと歩調を同じくしているのである。
(以下引用)
なお、私はdeeply japan氏の鋭い知性と世界政治への見識を高く評価する者だが、天皇問題に関しては意見を異にするのは言うまでもないだろう。それは前回記事を読めば明白なはずだ。
先に日本国憲法に関する部分を赤字にして引用しておく。
(先回りして書いておくと、私は人権を重視して人々がちゃんと暮らしていける社会を作るのに、日本国憲法+地方自治法のやり方しかないとは全然思ってない。むしろ余計なお世話だろうと思う国と地域があっても不思議としないし、当然だと思う。だがしかし、日本の場合、カルト体制を解くのにどうしたらよかったのかといえば、当座他に手はなかったのだし、これは有効だったと考えるしかないんじゃないか、と思うわけです。)
煮え切らない言葉に思える。つまり、「考慮中」ということだろう。私の考えを言えば、「政治家や国民が日本国憲法を『ちゃんと守れば』すべての問題は解決する」というものだ。現在政界を覆っている「カルト体制」も、政治家たちが憲法を無視し、あまつさえ、「憲法改正(実際は改悪)」を企んでいる、その流れと歩調を同じくしているのである。
(以下引用)
■ 今後の研究課題
で、今後、戦後の日本を解きほぐすことになっていくわけですが、これがほんとになかなか大変なこと。
いろいろ考えてきて最近一番問題じゃないのかと思うのは、1945年以前の日本の体制は、今日でいえば純粋観念論に基づくカルト体制で、多くの国民が自覚的に満足していた体制ではなかったという点の理解が失われつつあるってところじゃなかろうか。
これは、昭和の人たちは、もうあんな時代は嫌だという言辞の中ににじませていた了知だったんだと思うわけですが、そのような暗黙の了知が、例の「つくる会」教科書だのなんだのの中で消されている感じがする。
これによって、なぜ1945年から1947年憲法の成立まで、大した混乱もなく(あったことはあったが)推移して、その後もこの憲法体制を堅持できたかの大きな理由が失われ、それが、改憲すべきだったのにGHQのせいで、とか、おかしな左翼のせいでできなかったみたいな適当な話しを呼び込む土壌となったと思う。
護憲派のひとは、日本の拡張戦争(外国から見た時には、軍人がしゃしゃりでちゃう軍事主導主義)の失敗を悔いて、もうあんなことは嫌だ、9条護憲だ、憲法護持だ、というロジックで語る方が多いと思うんですが、それだけでは不足じゃないのかしらと思う。
80年代、90年代になるとそこしか争点が見えなくなっていたかもしれないけど、70年(戦後25年)ぐらいまでは、敗戦したレジームの賛美、正当化をする勢力、すなわち「復古派」との戦いという側面が重要なモチーフとして政治の中に存在していたと思われる。
今般、京都市長選のあまりの異常さに(特に、素手で便器清掃することを推奨する人々の存在に)驚きつつ、1つ興味深いことを発見した。
それは、革新自治体というものが結構な数あったが、これが70年代に相次いで倒れたという事象は、どうも偶然ではなかったのだという話し。
革新自治体を倒す作戦名は、「T.O.K.Y.O作戦」といったらしい。
1974年の田中内閣当時、革新自治体を嫌悪していた自治省が企画し、5年ほどかけて大規模な革新自治体を潰していく作戦。T.O.K.Y.Oとは、T=東京都(美濃部亮吉知事)、O=大阪府(黒田了一知事)、K=京都府(蜷川虎三知事)、Y=横浜市(飛鳥田一雄市長)、O=沖縄県(屋良朝苗知事)の5革新自治体であり、最終目標はその頂点に位置する東京都知事のポストを保守陣営が奪還することにあった[18]。革新自治体における財政問題や人件費問題などを俎上に挙げた[19]。
これは、政府自民党が二番目に大きかった社会党を巻き込んで、革新自治体潰しを画策して成功した話という点では、共産党と敵対する反共政策と見ることができる。
そして、これは、1979年というビッグ・イベント目白押しの年を迎えるにあたっての日本の再編事情と読むことができる(「サイクロン作戦」はほんとにビッグ・イベント)。ってか私はそう読んでいこうとお勉強中。
しかし、同時にこれは、アメリカさんなんかの思惑とは関係なく、日本国内の復古派にとっての重要事だったのかもなとも思ってる。それは住民自治の重要性の強調こそ戦前と戦後を分けるものでもあるから。ここで、主権者国民としての私を習いましょうという構造でしょ。
外部環境的な思惑に乗っているようで、内的にそれをチャンスと思っていた、復古的な頭の人たちがいたからこそ上手く動いたんじゃないのか、ということ。
(先回りして書いておくと、私は人権を重視して人々がちゃんと暮らしていける社会を作るのに、日本国憲法+地方自治法のやり方しかないとは全然思ってない。むしろ余計なお世話だろうと思う国と地域があっても不思議としないし、当然だと思う。だがしかし、日本の場合、カルト体制を解くのにどうしたらよかったのかといえば、当座他に手はなかったのだし、これは有効だったと考えるしかないんじゃないか、と思うわけです。)
ということで、今年もまた、いろんな、え、そうだったの!がいっぱいありそうで、それは楽しみのような、大変なような・・・。でも、閉ざされた言語空間よりはずっといいんじゃないかと思う今日この頃。
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抜粋終わり
やっぱり「天皇」が壊れないと、日本人が壊れて消えるでしょう。
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