「株式日記と経済展望」経由で「代替案」というブログから転載。
「株式日記」の目配りの広さには、つくづく感心する。TORA氏のやや右翼がかった部分は嫌いだが、彼のサイトが有益であることはこれまで何度も言ってきた。こうして人の知らないサイトやブログを紹介してくれると、こちらの世界が広がり、本当に助かる。それは南堂氏の「泉の波立ち」にも言えることだ。私の姿勢はどちらかというと左寄り(資本主義社会そのものを批判すればそうならざるを得ない)ということになるだろうが、右と左の違いはあっても、できるだけ多くの意見に触れ、インターネット上の言論空間を活性化させたいものである。
(以下引用)
TPPは環境と雇用を滅ぼす 年頭のあいさつに変えて
2011年01月02日 | 自由貿易批判
元日の各社新聞を買い集め社説を読み比べてみた。びっくりしたのは読売と朝日の社説が内容から論旨までほぼ同じだったことだ。両社示し合わせて書いたのだろうか? いよいよ翼賛体制成立間近かと背筋が寒くなった年頭であった。
両紙社説で共通したのは以下の三つの論点だ。①財政破たんを食い止めるため消費税を増税せよ、②TPPに参加せよ、③そして民主・自民両党は協調せよ(連立政権樹立を意味している)。朝日の場合、読売と比べると言い回しが回りくどく、「消費税増税」とはストレートに書いていないが、行間からそれがにじみ出る内容になっていた。
両紙が、経団連の代弁機関のような主張をせねばならない気持ちもわかる。ただでさえ購読者が減り続けているのだから、何としても広告料収入を死守せねばならない。そのためには経団連のご機嫌を伺わねばならない。
であるならば、「読者の皆様のご意見はいろいろとあると思いますが、広告料収入が死活問題である我が社が生き残るためにはTPP参加を主張せざるを得ません」とでも素直に書けばよいだろう。そうすれば私だって少しは共感もする。
両紙の主張で問題なのは、輸出大企業で構成される経団連メンバーの利益にはなっても、労働者と農民と地球環境の利益にはならないTPPを、全くオソマツな理屈であたかも国益であるかのように主張することなのだ。
もっとも朝日と読売の広告主は何も経団連系企業ばかりではない。若干でもよいから他の広告主の意見にも配慮したらどうなのだろう。
新聞の一面の下には出版社の広告が並ぶが、元日の読売新聞の一面には、農文協の最新刊『TPP反対の大義』(執筆者は宇沢弘文、田代洋一、鈴木宣弘、内山節など)、および藤原書店の最新刊、『自由貿易は民主主義を滅ぼす』(エマニュエル・トッド著)の広告が並んで掲載されていた。読売・朝日の二大紙が論調をそろえて自由貿易万歳の翼賛社説を書いていること自体、「自由貿易は民主主義を滅ぼす」というトッドの説の正しさを裏付けている。
ちなみに農文協と藤原書店は、読売の社説を読んで、「いい加減にしてくれ」という気分になった読者を獲得しようと狙って広告を出したのだろうか。私はまさにそういう気分になった。農文協と藤原書店の広告戦略は正鵠を得ている。拍手を送りたい。
私は一貫してWTOやTPPなど多国間の自由貿易協定には反対である。世界の平和と安定のために「貿易」は必要だが、「自由貿易」は不要なのだ。自由貿易はむしろ世界の安定を乱し、貧困と飢餓を生み出し、ナショナリズムと紛争を誘発する。万国の安寧のために必要なのは、財源として、またセーフティネットとして有益な、適度の水準の関税率を維持した上で行われる、節度ある貿易なのだ。どうしても関税を廃止するのならば、それをトービン税を含めた「国際連帯税」に取り換えるべきだろう。
もう何回も書いてきたが、自由貿易がいけない理由は多くある。しかし特に甚だしい、到底看過することのできない害悪は次の二つだ。重ねて記す。
(1)地球規模で環境破壊と資源枯渇を加速させること。
(2)国際的規模で失業者を増大させ、労働条件を悪化させること。
貿易自由化論者が訴えるように、確かに自由貿易は生産性を向上させる。輸出大企業の利益も増える。しかし、そうした自由貿易のメリットは、雇用条件の破壊と環境破壊という二大デメリットを補うことは到底できないのだ。この二つの破壊を放置することは、究極的には人類の存続そのものを不可能にしてしまうからだ。
ただし、工業製品、地下資源、農林水産物などではそれぞれ(1)と(2)の現れ方は異なる。ここでは工業製品と農林水産物を比較しながら論じてみよう。
(1)の環境破壊・資源枯渇の問題は、農林水産物の自由化の場合、あまねく発現する。農業や木材伐採や漁獲による経済学的な利潤最大点は、それらの資源を再生産可能なペースに維持するための持続可能な生産ラインを上回ってしまうからである。
それに対して、工業製品の自由化の場合、必ずしもそうではない。中国のように環境基準の甘い国が競争上有利になって生産量が拡大し、環境悪化を進めてしまう側面もある。他方で、エネルギー効率が高く、環境負荷の低い製品が競争に勝って、環境を改善する側面もある。このように正反両面あり、一概には言えないことになる。
(2)の失業の増大に関しては、農林水産物の自由化の場合、必ず進む。先進国と途上国とを問わず小規模農民を破滅させ、土地を奪い、プレカリアートの大群を都市の労働市場に押し流すからだ。地球規模で小規模自営農民が滅亡した世界は、まさに地獄絵図のようなものとなろう。
工業製品の自由化の場合は、失業に関しては一概には言えないことになる。失業が増える国もあれば減る国も出る。ただし労働生産性の向上は、一般的に失業を増やすので世界平均での失業を悪化させる。もっとも新産業のイノベーションの波がくれば失業を吸収する場合もある。イノベーションの波が来るか来ないかは経済法則とは別次元の問題なので、これも一概には言えないことになる。
ゆえに、百歩譲っても自由化の対象にするのは工業製品のみであり、農林水産物は自由化すべきでないということになる。これは普通に考えれば小学生でも納得できる自明の理であろう。納得できないのは経団連とマスコミと首相なのだ。
しかしながら、経団連にしたってマスコミにしたって、本音のところ大事なのは工業製品の市場自由化であって、農産物の自由化など些末な問題で、どうでも良いのではなかろうか。だったら経団連にしても、読売にしても朝日にしても、自由化するのは工業部門のみにして、農業は例外にしてほしいと訴えてもよいのではなかろうか。たとえ現実の外交交渉で敗北したとしても、あるべき理念としてそれを訴えることは可能なはずである。なぜそれが言えないのだろう? それが不思議でならない。
経団連やマスコミが農業自由化を訴えるのは、日本が農業市場を開放しないと、交渉相手の国も工業製品市場を開放してくれないと考えているからだろう。
しかし、途上国は農産物貿易自由化が自国の利益にならないことを、WTO以降の痛い実験結果によって次第にわかってきている。農産物輸出で貿易黒字を上げて豊かになることなど原理的に不可能ということを。途上国も着実に工業化しているので、今後は必ずしも自由化の対象に農産物を含めることを要求しなくなろう。ゆえにアジア諸国との間では、自由化するにしても農業を除外するなど、お互いに痛い部分は除きましょうという節度ある交渉が可能になろう。そうした節度のある国々との間で二国間貿易協定を結んでいくのが、日本経済にとって最良の策なのだ。
大問題なのは、農林水産業には競争力があるが工業には競争力のない、アメリカ、カナダ、オーストラリアという三つの「先進国」の存在である。農林水産業の貿易自由化に固執するのは、じつは途上国よりも、工業競争力のないこれら新大陸先進国なのだ。
これら新大陸先進国との自由貿易は、日本農業を必ず壊滅に追い込む。しかしながら、自国農業を灰塵にしてまで得られるメリットなど全くない。これら三カ国は、今後ますます輸出市場としてのパイも縮小する一方だからである。
元来、先住民族を虐殺して土地を奪い、その上で大規模農業経営を実現したこれらの国の「農業競争力」など、歴史的正当性はないものである。
TPPに参加してはならない最大の理由は、TPPにアメリカ、カナダ、オーストラリアの三カ国が参加しているという、まさにその事実にあるのだ。
「株式日記」の目配りの広さには、つくづく感心する。TORA氏のやや右翼がかった部分は嫌いだが、彼のサイトが有益であることはこれまで何度も言ってきた。こうして人の知らないサイトやブログを紹介してくれると、こちらの世界が広がり、本当に助かる。それは南堂氏の「泉の波立ち」にも言えることだ。私の姿勢はどちらかというと左寄り(資本主義社会そのものを批判すればそうならざるを得ない)ということになるだろうが、右と左の違いはあっても、できるだけ多くの意見に触れ、インターネット上の言論空間を活性化させたいものである。
(以下引用)
TPPは環境と雇用を滅ぼす 年頭のあいさつに変えて
2011年01月02日 | 自由貿易批判
元日の各社新聞を買い集め社説を読み比べてみた。びっくりしたのは読売と朝日の社説が内容から論旨までほぼ同じだったことだ。両社示し合わせて書いたのだろうか? いよいよ翼賛体制成立間近かと背筋が寒くなった年頭であった。
両紙社説で共通したのは以下の三つの論点だ。①財政破たんを食い止めるため消費税を増税せよ、②TPPに参加せよ、③そして民主・自民両党は協調せよ(連立政権樹立を意味している)。朝日の場合、読売と比べると言い回しが回りくどく、「消費税増税」とはストレートに書いていないが、行間からそれがにじみ出る内容になっていた。
両紙が、経団連の代弁機関のような主張をせねばならない気持ちもわかる。ただでさえ購読者が減り続けているのだから、何としても広告料収入を死守せねばならない。そのためには経団連のご機嫌を伺わねばならない。
であるならば、「読者の皆様のご意見はいろいろとあると思いますが、広告料収入が死活問題である我が社が生き残るためにはTPP参加を主張せざるを得ません」とでも素直に書けばよいだろう。そうすれば私だって少しは共感もする。
両紙の主張で問題なのは、輸出大企業で構成される経団連メンバーの利益にはなっても、労働者と農民と地球環境の利益にはならないTPPを、全くオソマツな理屈であたかも国益であるかのように主張することなのだ。
もっとも朝日と読売の広告主は何も経団連系企業ばかりではない。若干でもよいから他の広告主の意見にも配慮したらどうなのだろう。
新聞の一面の下には出版社の広告が並ぶが、元日の読売新聞の一面には、農文協の最新刊『TPP反対の大義』(執筆者は宇沢弘文、田代洋一、鈴木宣弘、内山節など)、および藤原書店の最新刊、『自由貿易は民主主義を滅ぼす』(エマニュエル・トッド著)の広告が並んで掲載されていた。読売・朝日の二大紙が論調をそろえて自由貿易万歳の翼賛社説を書いていること自体、「自由貿易は民主主義を滅ぼす」というトッドの説の正しさを裏付けている。
ちなみに農文協と藤原書店は、読売の社説を読んで、「いい加減にしてくれ」という気分になった読者を獲得しようと狙って広告を出したのだろうか。私はまさにそういう気分になった。農文協と藤原書店の広告戦略は正鵠を得ている。拍手を送りたい。
私は一貫してWTOやTPPなど多国間の自由貿易協定には反対である。世界の平和と安定のために「貿易」は必要だが、「自由貿易」は不要なのだ。自由貿易はむしろ世界の安定を乱し、貧困と飢餓を生み出し、ナショナリズムと紛争を誘発する。万国の安寧のために必要なのは、財源として、またセーフティネットとして有益な、適度の水準の関税率を維持した上で行われる、節度ある貿易なのだ。どうしても関税を廃止するのならば、それをトービン税を含めた「国際連帯税」に取り換えるべきだろう。
もう何回も書いてきたが、自由貿易がいけない理由は多くある。しかし特に甚だしい、到底看過することのできない害悪は次の二つだ。重ねて記す。
(1)地球規模で環境破壊と資源枯渇を加速させること。
(2)国際的規模で失業者を増大させ、労働条件を悪化させること。
貿易自由化論者が訴えるように、確かに自由貿易は生産性を向上させる。輸出大企業の利益も増える。しかし、そうした自由貿易のメリットは、雇用条件の破壊と環境破壊という二大デメリットを補うことは到底できないのだ。この二つの破壊を放置することは、究極的には人類の存続そのものを不可能にしてしまうからだ。
ただし、工業製品、地下資源、農林水産物などではそれぞれ(1)と(2)の現れ方は異なる。ここでは工業製品と農林水産物を比較しながら論じてみよう。
(1)の環境破壊・資源枯渇の問題は、農林水産物の自由化の場合、あまねく発現する。農業や木材伐採や漁獲による経済学的な利潤最大点は、それらの資源を再生産可能なペースに維持するための持続可能な生産ラインを上回ってしまうからである。
それに対して、工業製品の自由化の場合、必ずしもそうではない。中国のように環境基準の甘い国が競争上有利になって生産量が拡大し、環境悪化を進めてしまう側面もある。他方で、エネルギー効率が高く、環境負荷の低い製品が競争に勝って、環境を改善する側面もある。このように正反両面あり、一概には言えないことになる。
(2)の失業の増大に関しては、農林水産物の自由化の場合、必ず進む。先進国と途上国とを問わず小規模農民を破滅させ、土地を奪い、プレカリアートの大群を都市の労働市場に押し流すからだ。地球規模で小規模自営農民が滅亡した世界は、まさに地獄絵図のようなものとなろう。
工業製品の自由化の場合は、失業に関しては一概には言えないことになる。失業が増える国もあれば減る国も出る。ただし労働生産性の向上は、一般的に失業を増やすので世界平均での失業を悪化させる。もっとも新産業のイノベーションの波がくれば失業を吸収する場合もある。イノベーションの波が来るか来ないかは経済法則とは別次元の問題なので、これも一概には言えないことになる。
ゆえに、百歩譲っても自由化の対象にするのは工業製品のみであり、農林水産物は自由化すべきでないということになる。これは普通に考えれば小学生でも納得できる自明の理であろう。納得できないのは経団連とマスコミと首相なのだ。
しかしながら、経団連にしたってマスコミにしたって、本音のところ大事なのは工業製品の市場自由化であって、農産物の自由化など些末な問題で、どうでも良いのではなかろうか。だったら経団連にしても、読売にしても朝日にしても、自由化するのは工業部門のみにして、農業は例外にしてほしいと訴えてもよいのではなかろうか。たとえ現実の外交交渉で敗北したとしても、あるべき理念としてそれを訴えることは可能なはずである。なぜそれが言えないのだろう? それが不思議でならない。
経団連やマスコミが農業自由化を訴えるのは、日本が農業市場を開放しないと、交渉相手の国も工業製品市場を開放してくれないと考えているからだろう。
しかし、途上国は農産物貿易自由化が自国の利益にならないことを、WTO以降の痛い実験結果によって次第にわかってきている。農産物輸出で貿易黒字を上げて豊かになることなど原理的に不可能ということを。途上国も着実に工業化しているので、今後は必ずしも自由化の対象に農産物を含めることを要求しなくなろう。ゆえにアジア諸国との間では、自由化するにしても農業を除外するなど、お互いに痛い部分は除きましょうという節度ある交渉が可能になろう。そうした節度のある国々との間で二国間貿易協定を結んでいくのが、日本経済にとって最良の策なのだ。
大問題なのは、農林水産業には競争力があるが工業には競争力のない、アメリカ、カナダ、オーストラリアという三つの「先進国」の存在である。農林水産業の貿易自由化に固執するのは、じつは途上国よりも、工業競争力のないこれら新大陸先進国なのだ。
これら新大陸先進国との自由貿易は、日本農業を必ず壊滅に追い込む。しかしながら、自国農業を灰塵にしてまで得られるメリットなど全くない。これら三カ国は、今後ますます輸出市場としてのパイも縮小する一方だからである。
元来、先住民族を虐殺して土地を奪い、その上で大規模農業経営を実現したこれらの国の「農業競争力」など、歴史的正当性はないものである。
TPPに参加してはならない最大の理由は、TPPにアメリカ、カナダ、オーストラリアの三カ国が参加しているという、まさにその事実にあるのだ。
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