「ネコでもわかる経済問題」というサイトから転載。
世間に多く見られる社会主義への俗な誤解をうまく解説し、社会主義の本質をちゃんと説明していると思う。ちなみに、「私有財産が無い」は社会主義ではなく共産主義の特質であり、これは人間性から言って本質的に不可能な御伽噺だ、とは私は何度か書いている。そして、社会主義とは、政府や政治によって企業活動に(国民全体の生活と福祉のレベル維持と向上のために)制限をかけるもの、というのが私の定義である。つまり、放っておけば企業による利潤追求は非人道的なレベルに達する、ということで、これは何度も何度も繰り返されてきた事実だ。
筆者の論は私の考えとほぼ同じであり、中に出てくる「愛国」的で「尊皇主義」の社会主義者というのはまるで私自身みたいだが、もちろん下記記事は私が書いたのではない。(私の「尊皇主義」は、天皇という日本特有のシステムは日本の貴重な文化的政治的な遺産であり、それを尊重し活用すべきだ、ということであって、明治政府的な天皇神格化や君主制とは対極にある。要するに、現在の憲法下にある「象徴天皇制」に私としては何の異議もないが、あるいはもっと優れた天皇制も可能かもしれない、と夢想しているだけである。)
(以下引用)
世間に多く見られる社会主義への俗な誤解をうまく解説し、社会主義の本質をちゃんと説明していると思う。ちなみに、「私有財産が無い」は社会主義ではなく共産主義の特質であり、これは人間性から言って本質的に不可能な御伽噺だ、とは私は何度か書いている。そして、社会主義とは、政府や政治によって企業活動に(国民全体の生活と福祉のレベル維持と向上のために)制限をかけるもの、というのが私の定義である。つまり、放っておけば企業による利潤追求は非人道的なレベルに達する、ということで、これは何度も何度も繰り返されてきた事実だ。
筆者の論は私の考えとほぼ同じであり、中に出てくる「愛国」的で「尊皇主義」の社会主義者というのはまるで私自身みたいだが、もちろん下記記事は私が書いたのではない。(私の「尊皇主義」は、天皇という日本特有のシステムは日本の貴重な文化的政治的な遺産であり、それを尊重し活用すべきだ、ということであって、明治政府的な天皇神格化や君主制とは対極にある。要するに、現在の憲法下にある「象徴天皇制」に私としては何の異議もないが、あるいはもっと優れた天皇制も可能かもしれない、と夢想しているだけである。)
(以下引用)
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「社会主義って××だよね」という思い込み
2015.1.7 Q. 自民党もだめだけど、他に投票する政党も無いという意見が多いにゃ。本当は今の政権に不満があるなら、民主党とか共産党とかが伸びても良さそうなんだけど、思ったほど伸びないのにゃ。それは自民党=「資本主義」の対抗軸となる、左派政党=「社会主義」のイメージが良くない事も原因じゃないかと思うのにゃ。社会主義はダメな考えだと思われているのにゃ。 A. そうじゃな、それも「自民党独り勝ち」の一因じゃと思えるのう。「社会主義って××だ」というステレオタイプな固定観念がすっかり定着しておる。しかも、大体においてマイナスイメージじゃ。そのため社会主義に不安を感じ、「社会主義になるよりは、やっぱり資本主義がいいよね」という漠然とした世論が形成されておる。ソビエトと中国という社会主義国の出来があまりにも悪かったので、あのイメージが鮮烈すぎるのじゃ。 Q. そうなのにゃ。社会主義と言えばソビエトと中国。スターリンに毛沢東。シベリア強制収容に文化大革命。粛清に弾圧の歴史なのにゃ。おまけにカンボジアのポルポトなんてのも居るにゃ。最悪にゃ。 A. そんなところじゃろう。社会主義に対するイメージがこんなのでは、現在の政治に不満があっても「ソビエトや中国に比べれば、はるかにまし」と多くの人が思うのは当然じゃ。しかしそれらの国は資本主義か社会主義かと言う以前に、まず、国そのものに問題がある。資本主義国家だったらソビエトや中国のようにならずに済むかと言えば、たとえ資本主義だとしても、ナチスドイツのようになる事もあるし、日本のように軍部が政治を乗っ取ることだってある。 ところで、社会主義をステレオタイプに表現すると、こんな感じじゃろうか。 ①自由が無い ②私有財産が無い ③起業の自由、職業選択の自由が無い ④非効率的で競争が無い ⑤物不足が深刻で貧困だ ⑥親中国、親韓国で軍備を認めず反日的だ しかし、これは社会主義が本来持つ性質ではない。中国とソビエトという異常な国家が社会主義を標榜していた、というだけに過ぎないと考えておる。彼らの失敗の原因は「一党独裁」により「すべてを中央が管理する」という「巨大な官僚制」にある。社会主義でなくとも、そういう国はいずれそうなるはずじゃ。⑥については、ソビエトと中国の意向がイデオロギーとしてそのまま組み込まれたものじゃな。 さて、それぞれの項目について、本当なのかどうか考えてみようと思う。 <社会主義は自由がない> 社会主義に思想的な統一性が必要かと言えば、それはないじゃろう。全国民が同じ方向を向かないと機能しない経済システムなどあり得ない。同じ資本主義でも方法論が多様であるように、社会主義でも方法論は多様なはずじゃが、ソビエトではいきなりそれを否定して、反対派を弾圧した。こうなると、もはや「民主主義」ではない。ソビエトの失敗は、その時点で宿命づけられたのじゃろう。そして、ソビエトでは一党独裁を正当化したため、スターチンのような独裁者を生み出すことになった。権力を集中させてしまった結果、暴力と弾圧を止める事ができなくなり、反対派の粛清や思想統一という恐怖政治が横行した。これはのちに同じ一党独裁の中国において、毛沢東の野望によって大躍進政策や文化大革命という歴史に永久に刻まれる大失策を引き起こす原因ともなる。一党独裁国家は専制国家と何ら変わらないのじゃ。 <社会主義には私有財産がない> 私有財産と社会主義は相容れないものではないじゃろう。共産革命の嵐が吹き荒れた当時は、社会格差が今では想像もつかないほど酷い状態じゃったから、貧民は社会改革と言うより「復讐心」に燃えておったじゃろう。そこで極端な行動に走り、金持ちをみんなぶち殺して「私有財産は必要ない」とか言って財産を奪った。じゃが、人間はかならず蓄えを欲するものじゃ、それを否定するのは人間性の否定に等しい。私有財産を認めたとしても、生産される富の分配の妥当性が高ければ、経済システム上、何の問題も無いのじゃよ。もちろん、一握りの富裕層が世界の富を独占することは良くないが。 問題は私有財産制ではなく、「カネがカネを生む」というシステムにあると考えておる。 <社会主義は起業の自由、職業選択の自由が無い> ソビエトや中国では、一党独裁で中央政府が生産をすべて管理したから、当然ながら起業の自由などなく、職業選択も限定されたものになる。しかしそれは古典的な社会主義の手法であって、こんなものが今でも通用すると考えておる人は誰もおらんじゃろう。経済システムにとって「起業」はきわめて重要じゃ。それが出来ないとしたら、その時点で社会主義の失敗は目に見えておる。起業の多くは必ず失敗する。だが、下手な鉄砲ではないが、何度も失敗する中から必ず成功が生まれてくる。チャレンジの多さが進歩に繋がる。ゆえに、次世代の社会主義は政府の機能として有能な人材を発掘し、資本を提供して起業を推進することになるじゃろう。 そして生産活動そのものも、中央が管理するのではなく、多くの企業によって分散管理されるべきで、現在のシステムの延長線上に構築する必要があるじゃろう。その中において、職業選択の自由は当然ながら保障されるわけじゃ。といっても、現在と同じく、すべての人がやりたい仕事に付けるわけでは無い。 <社会主義は非効率的で競争が無い> これも古い社会主義における「一極集中管理」の弊害じゃな。なぜ非効率になるのか?たとえば比較する対象がなければ、果たして現在の生産活動が効率的なのかどうか判断できない。政府が一極集中管理すると、他の管理手法との比較は不可能になる。一方、多数の企業などによって分散管理すれば、それらを比較することで、より効率的な管理手法を見出すことが出来る。古い社会主義は一極集中管理じゃったが、新しい社会主義では、企業による分散管理があたりまえになるじゃろう。 <社会主義は物不足が深刻で貧困だ> これは古い社会主義における一極集中管理手法の欠陥である「非効率性」と同時に、ソビエトの場合は「巨大な軍隊の維持」という経済への負荷があったことは確かじゃろう。軍人は消費財を一切生み出さず、ただ消費するだけじゃ。しかも、本来は国民生活を豊かにするために生産力を使って消費財を生産すべきなのじゃが、その生産能力を奪って、かわりに兵器を生産しておったから、物が不足するのは当然と言えるじゃろう。一方、中国は最初から極度に貧しい国じゃ。中国が物不足で貧しかったのは、中国に近代的な生産設備が何もなく、それを導入するためのおカネも知識も無かったからじゃ。それらの設備や知識はすでに資本主義国である先進国において確立されていたため、中国は資本主義を受け入れる事で設備や知識を短期間で導入することが出来た。 もし、ソビエトがアメリカと軍拡競争など行わず、もっと平和的な国家運営を行ってたら、すくなくともモノ不足と言う面においては、かなりましな状態にあっただろうと思うのじゃ。 <社会主義は親中国、親韓国で軍備を認めず反日的だ> これは現在日本にいる左派連中がそうだというだけの話であって、社会主義=親中、反日という必然性は無いのじゃ。むしろ次世代の社会主義は愛国で天皇制を尊重し、中国や韓国の圧力に毅然と対応できなければならんのじゃ。 <よりアグレッシブな社会主義を目指して> Q. ふう、じいちゃんは相変わらず話が長いにゃ。でも、社会主義って可能性はあるのかにゃ? A. もちろん、古臭い社会主義はダメじゃろう。じゃから新しい社会主義を目指さねばならん。 なぜワシが社会主義は成立可能だと思うかといえば、それは今日の社会において、企業体という、ある意味閉じられた組織体が非効率に陥ることなく、効率的に運用されておる現実があるからじゃ。企業は戦略と計画に基づいて運用される。つまりコントロール可能であるとの立場にある。そして、ワシは企業経営と同様に、「マクロにおいても生産システムは戦略と計画に基づいてコントロール可能」と考えておる。もちろん、企業を個別に管理するのではなく、マクロという「つかみ」で管理するのじゃ。 一方、資本主義の場合、「マクロ経済はコントロール不能」という立場をとる。そのため「市場原理にすべて任せろ」「神の見えざる手にまかせろ」と言うのじゃ。これが新自由主義じゃな。そして人間を欲望のまま自由に行動させる事が最善であるとする。さて、世界は最善の状態にあるのじゃろうか。 もちろん、資本主義においてもマクロコントロールの概念は存在し、それがケインジアンであったり、マネタリストであるわけじゃ。じゃが、いくら経済をマクロコントロールしようとしても、その根底にあるのは「人間を欲望のまま自由に行動させる事が最善」という考えじゃ。 では、ワシのイメージする次世代の社会主義は資本主義と全く異なるかと言えば、そんなことは無い。どちらかといえば、資本主義における政府のコントロールをより強化するという範囲内にあるのじゃ。それは単に福祉や再分配を強化するという話ではない。そんなのは単なる守りじゃ。 守りではなく、攻めの社会主義をイメージしておる。より、アグレッシブな社会主義がワシの理想じゃ。それは政府が仲介して企業と労働者の相互作用を極限まで高め、生産技術、生産能力を最大限に発揮し、国難を切り抜ける事じゃ。 Q. おおお、なんかすごいにゃ、すごいにゃ。どんな社会主義なのかにゃ。 A. ・・・・これから考えるんじゃ。(爆)(爆)(爆) |
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