"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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「ダイヤモンドオンライン」の中野剛志インタビュー記事の末尾である。長いインタビュー記事
で全十二回くらいあり、まだ深くは読んでいないが、非常に面白く、直観的に見て、日本を救うのは、この思想だな、と思わせる。元経済官僚だがTPPに反対し、MMTを主張しているということから、その思想の健全さははっきりと分かるだろう。
(以下引用)「ナショナリズム」とは「国民主義」である
――ところで、中野さんは、現代の世界において最も強固な制度は「国家」だと考えていらっしゃるわけですか? MMTは、貨幣の価値を下支えしているのは、国家による徴税権としていますし、契約や私有財産権も国家が制定した法律によって担保されているわけですから……。
中野 そうですね。国家主権とは、各国がその国の政治的な意思決定の最高権力を有していることを意味します。国内的には、貨幣が徴税権に裏付けられることによって流通するように、権力を背景に国民に一定の行動を強制することによって各種制度を担保しているわけです。
一方、国際政治は、基本的に国家単位で行われています。世界政府は存在しないわけですから、国家主権を超える最高権力も存在しません。ですから、主権をもつ各国がパワーをバランスさせながら世界秩序を維持しているのが、現代の世界なわけです。
前に説明した「覇権安定理論」によれば、アメリカがグローバル覇権国家であったころは、アメリカが世界の最高権力として機能していたのかもしれませんが、その時代は過ぎ去りました。つまり、いまは各国の国家主権の重要性が増している時代だということです。
――そのご指摘はよく理解できます。しかし、中野さんはナショナリストを自認されていますが、ナショナリズムには危険なイメージが付き纏います。
中野 たしかに、ナショナリズムが危険思想、過激思想に走ったことはあります。しかし、言葉本来の意味はそうではありません。ネイション(Nation)とは「国民」です。よく「国家」と訳されますが、「国家」はステイト(State)です。だから、ネイションは「国民」と訳すべきなんです。そして、ナショナリズムは「ネイション(国民)」の「イズム(主義)」ですから、「国民主義」という意味です。「国家主義」とはまったく異なるんです。
私は「経済ナショナリズム」を専門に研究していますが、これは「国民経済」を研究しているという意味なんです。経済とは「経世済民」ですから、「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと」です。つまり、「国家をよく治めて国民を苦しみから救う」ために、どうすればいいのかを研究しているわけです。
そして、現代の日本は「民主主義国家」であり、憲法で「国民主権」が保証されています。民主国家における「国家主権」とは「国民主権」のことなんです。
――なるほど。
中野 そもそも、国家公務員はナショナリストであるはずだと思うんですけどね。
――たしかに……。
中野 むしろ、いま心配すべきなのは、「国家主権=国民主権」の制限なんです。
――どういうことですか?
中野 いまだにグローバリゼーションの名のもとに、TPPや日米FTAが進められていますが、あれは、要するに「国家主権=国民主権」を制限するということなんです。TPPや日米FTAなどの国際条約は、国内法より上位のものだからです。
たとえば、あるとき国民の大多数が食糧自給率を高めるために農業を保護すべきだと考えるようになったとしても、国際条約によって農業関税率が決まっていれば、どうしようもありません。国際条約によって「国家主権」が制限されているために、民主主義が機能しなくなるんです。はっきり言って、グローバリゼーションとは、民主主義を制限することなんです。
――そうなりますね。
中野 その典型がEUであり、特に、ユーロという共通通貨制度です。EUは、その根拠法であるマーストリヒト条約によって、欧州中央銀行が単一通貨ユーロを発行して金融政策を実施することになりました。一方、加盟各国はその結果、金融政策や為替政策の主権を失ったわけです。ギリシャ国民がいくら自国通貨を発行したいと望んでも、それはもうできないわけです。つまり、「国家主権=国民主権」を放棄したために、ギリシャは財政破綻をして、国民は極度に高い失業率に苦しむことになったと言えるわけです。
――恐ろしいですね……。
残酷な世界を生き抜く「日本の戦略」とは?
中野 そもそも、国家の力が及ばない動きをグローバリゼーションといいます。ということは、グローバリゼーションには国家ですら対抗するのが難しいわけで、国家というプロテクターを外した「個人」はもっと対抗できないと考えるべきでしょう。実際、グローバルに活躍できる「個人」は、非常に限られるのが現実ではないですか?
例えば、パンデミックは、
ウイルスのグローバリゼーションですが、それを防ぐ「水際対策」 とは、国家権力が国境を管理して個人を守ることでしょう。国家は古いとか、国境なんかいらないと言っていた人たちは、 この現実を見て、どう思うのでしょうかね。
グローバリゼーションから個人や地域を守ろうとしたら、ありうるのは国家しかないわけです。国家は古いんだ、これからは個人だ、これからは地域だと言うけれど、国家でも勝てるかどうかわからない相手に、なぜ個人や地域で戦おうとするのかがよくわかりません。
――そうですね。しかも、アメリカのグローバル覇権が終わるとともに、世界経済が停滞・縮小へと向かうなか、国家間の緊張が日増しに高まっているのが現状です。しかも、中国は軍事的な覇権を強めているわけで……。
中野 ええ。日本が非常に困難な時代を迎えていることは間違いありません。もしこのまま世界経済が縮小するならば、市場競争がもたらす摩擦や緊張は、貿易・投資が以前より自由化されているがゆえに、かえって深刻なものとなるはずです。TPPなどの自由貿易・経済連携は、安全保障に資するどころか、逆に覇権戦争の種を播いているようなものなんです。
ただし、世界経済が縮小していても、各国が内需拡大に努めるのであれば、海外市場の争奪戦による緊張を緩和することは可能です。自由放任の市場ではなく、政府の介入による国内総需要の創出こそが、国際平和に貢献するんです。
それこそ、ケインズが『雇用、利子、貨幣の一般理論』において述べたことだし、E・H・カーもまた、『危機の二十年』の結論において、政府が国内の総需要を刺激して雇用を創出するという可能性に希望を見出しています。
ところが、中国は外需依存度が高く、内需を拡大しにくい経済社会構造になっています。そのため、不況に陥った中国は、これまで以上に攻撃的な海外進出を推し進めようとするかもしれない。日本を除くアジア諸国も、外需依存度が高い国が多く、内需拡大による衝突回避という手段をとることはできません。
これに対して、日本は、世界第3位の経済規模をもち、内需依存度が高いため、ケインズ主義的な積極財政によって雇用を創出し、内需を拡大できる国家なんです。デフレを放置したために外需依存度はやや高まりましたが、本来、正常な状態では、外需依存度は一割程度です。それに外需依存・インバウンド頼みの危険性は、パンデミックによってはっきりしたでしょう。ですから、まずは内需主導の景気回復・経済成長を目指すべきです。
そして、国内の景気がよくなれば、中国やアジア諸国からの輸入を増やすことによって、グローバルな市場争奪戦を緩和することができる可能性があるんです。
――なるほど。大規模な財政出動によってデフレから脱却することは、国民生活を向上させるのみならず、安全保障的な意味までも持つわけですね?
中野 ええ。そして、前にも説明したように、デフレの日本では財政支出の制約は一切ありませんから、大震災・風水害に備えた防災、インフラ整備、教育、科学技術、感染症対策、国防などに思い切った公共投資をするチャンスでもあるんです。どの分野にどれだけの投資をするかは、国民的議論をしたうえで政治的に決定すればいい。自国通貨発行権という「国家主権」は、私たち国民の「特権」なんです。いまこそ、「国民主権」を行使すべきときなのではないでしょうか?
(終わり)
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「徽宗皇帝ブログ」の画面を変更したついでに昔の記事を読んでいたら、すっかり記憶から消えていたいろいろな出来事を思い出して懐かしい。あの頃は、「今が最低だ」と思っていたが、その後最低の更新が続きすぎて、自民党という「最低人政権」が連続している。(「地底人対最低人」はいしいひさいちの漫画。)
過去の記念に旧記事を載せておく。私の「人を見る目」はわりと正しいことが分かるのではないか。今でも、これらの人々への評価はほとんど変わらない。まあ、小沢一郎はだいぶ覇気を失ったように思えるが、あれほどマスコミから「人格破壊」を受けたら仕方がないだろう。なお、森ゆう子はもちろん民主党の議員だった森ゆう子である。現在の法務大臣は森まさ子だったか、紛らわしい。
「崖っぷち社長」など、素晴らしい見識と頭脳の持ち主だったが、その後どうしたのだろうか。
(以下、自己引用)
菅総理の退陣が確定して、次期総理の話がかまびすしいが、現在出ている総理候補はどれも総理の器ではない。
もちろん、小沢一郎がベストだし、小沢が駄目なら森ゆう子という手もある。あるいは田中真紀子なども、米国の支配に敢然と立ち向かえる人材だろう。
これまでろくな政策構想も持たず、日本の政治と日本の未来のために戦ったこともないくせに、総理になりたがっているだけの樽床とか鹿野とか、小沢鋭仁とか、野田とか、海江田とか、あるいは米国の御用聞きの前原などが、なぜ総理候補として名前があがるのかと言えば、もちろん、それが米国の意思だからだ。そういった連中を総理にしたら、日本にとっては菅総理以上の災厄だろう。
そこで、現在の民主党、あるいは政権与党の人材の中から、仮に小沢政権が誕生した場合の閣僚を選んでみた。べつに彼らについて調べたことはないから、ほとんど直感だ。
この中の、たとえば蓮舫など、悪評だらけだが、その悪評の大半は弁のたつ才女・美人への嫉妬や反感がほとんどだろう。だが、事業仕分けは彼女の一存でやったことではない。無駄な政府事業をカットするのは菅内閣の方針だったのであり、彼女がそれを熱心にやりすぎたからといって非難されるのはおかしいだろう。それが間違っていたなら枝野も同罪なのである。人格はともかく、彼女が才能のある人間であることは確かだろう。
また、松本龍は、あの傲岸不遜な知事会見放映のせいで最低の政治家と見做されたが、あれは外資による松本潰しの策略に引っ掛かったのであり、実際には有能な政治家だという評判も聞く。米国によるTPP日本収奪作戦と戦うためには、あれくらい強面の政治家がいいだろう。もっとも、他に適当な人材がいれば、松本ドラゴンにこだわるまでもない。
そういう意味では枝野も使える政治家なので引き続き官房長官にしてみたが、松下政経塾出身者は売国奴集団であり、内閣に入れないほうが安全かもしれない。まあ、おしゃべり(政府広報)だけなら沖縄選挙区出身の玉城デニーもタレント上がりだから、使えるはずだ。なあに、レーガン大統領の例を見れば分かるように、しゃべるだけなら、政治家とタレントは、脚本家次第である。レーガンやブッシュジュニアなど、ただの操り人形にすぎなかったことは誰でも知っているだろう。
福田衣里子など、まったくの新人だが、森ゆう子と同様に、女性らしい健全な人生観・生命観・正義感がある人間であるなら新人が大臣になってもかまわないだろう。もちろん、彼女を選んだのは、何と言っても「顔が可愛い」からだが、経歴も筋が通っている。
防衛大臣を横路孝弘にしたのは、もちろん旧社会党の持つ「憲法第九条尊重精神」を期待してだ。
その他は説明を省く。中には、ボディビルをやっていて筋肉自慢の馬淵澄夫なら、国土建設という土方仕事向きだという冗談からの選出もあるが、彼は実際、「耐震偽装証明問題」でよく働いた実績もある。まあ、総理よりは大臣クラスの人物だろう。
最後になったが、総務大臣は電波関係を扱う担当大臣でもあるので、森ゆう子には、ぜひ電波利権にメスを入れ、日本のマスコミの腐敗を徹底的にあぶり出してほしい。小沢問題でほとんど単身で戦ってきた彼女なら、それができる。そして、小沢の次は亀井か森ゆう子総理である。
小沢一郎が現在訴追されていて総理になれないというなら、亀井静香総理が現在のベストの選択だろう。もちろん、それも常識では不可能だろうが、いやいや、世の中、何がどうなるかは分からないよ。何でこんなのが総理になれたの、という例は自民党時代にゴマンとある。いや、自民党だけでなく、細川にしても村山にしても、偶然が偶然を呼んでマグレで総理になったようなものだ。
念のために付記しておくが、大臣名は不正確な略し方をしている。正式名称を書くと長くなるし、正しい略し方はよくわからないからである。財務大臣など、昔は大蔵大臣でよかったのだが、大蔵省は、現在は財務省と財政省とに分かれているかと思う。
もう一つ補足すれば、鈴木宗男が官僚内部の反ロシア勢力の陰謀で現在、監獄に入っていなければ、彼は何かのポストにつけるべき人間である。それだけの骨のある人物だ。
小沢(亀井)内閣試案
総理大臣:小沢一郎(亀井静香)
副総理大臣:亀井静香
官房長官:枝野幸男(玉城デニー)
総務大臣:森ゆう子
財務大臣:鳩山由紀夫
経済産業大臣:田中康夫
法務大臣:川内博史
防衛大臣:横路孝弘
文部科学大臣:福田衣理子
厚生労働大臣:長妻昭
国土交通大臣:馬淵澄夫
環境大臣:蓮舫
農林水産大臣:松本龍
まあ、私は皇帝を僭称しているので、彼らを任命する資格もあるわけだ。任命式は日本の「敗戦記念日」の8月15日でどうだろうか。
ついでと言っては何だが、次期総理に関して「毎日崖っぷち」ブログに、崖っぷち社長とスロウ忍氏とのやり取りがあったので、それも掲載しておく。
(以下引用)
ところで、この件に関連して、スロウ忍どのからコメント入ってたので、ちょっとその話を。
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毎度!
またまた紹介ありがとう。
さて、ポスト菅についてだが、小沢一郎はあの通りだし、亀井静香や田中康夫が就くことも当然ないわけで、国民はまともな選択肢がゼロという絶望的な状況である。
石を投げればアメポチ松下政経塾か民主党のフリをした自民シンパ(大連立を掲げている馬鹿幹事長筆頭に)のマニフェストクラッシャーしかいないわけだ。
だから、消去法的に菅継続しかないだろう、、、そう俺は思っていたわけだ。
それに、デフレ政策をやっているのも菅本人というよりも、内閣に何故か入り込んでるデフレ妖怪とか自民シンパだからね。ちがうかな。もちろん、首相としての責任は当然あるわけだが。
まぁ菅が退陣する状況で盛り上がってるマスゴミを見ていると、絶望という文字しか浮かんでこないのだ。
民度に合った政治家が選ばれるというけど、本当にそうかなぁと最近思い始めた。政治家を選んでいるのはマスゴミだろう、と。おっと、其れも民度の表れか。
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言ってることメチャクチャよくわかるよ(笑)。
ていうか、スロウ忍どのもおいらも、基本的には同じこと言ってんだよね。
マスコミから聞こえてくる総理候補って、ほんとに新自由主義系のとか、増税路線のとか、原発大好き系とか、TPP大賛成とか、ほんとにろくでもないのばっかりなんだよね。
そいつらが政権を取ることを考えたら、そりゃまあ菅直人のほうがはるかにマシってことになるのは間違いない。
でも、なんというか、そんな不幸な選択をしなきゃならんというか、スロウ忍どのほどの人が菅直人なんぞを肯定しなきゃならんような政治情勢って、ほんとになんか辛いよね。
この間のいろんな騒動を見てきて思うわけだが、ほんと、表でも裏でも構わんので、小沢一郎に頑張ってもらうしかないってことだな。 -
「酔生夢人のブログ」にも同趣旨のことを書いた(4月15日記事「MMTとコロナ」)のだが、こちらも転載しておく。大学の先生の言葉だから、私のような素人の言葉よりはたぶん信頼性は高い。
なお、インフレになっても、庶民層にきちんと財政出動して救助すれば何も問題はない。困る(とは言ってもたいしたことはないが)のは財産価値が減少する超富裕層だけである。為政者はその調整をすればいいだけだ。政治というのは国民を救うためにあり、それが「経世済民」ということだ。
(以下引用)「政府の予算には限りがある!」とエラソーに言うインテリが後を絶ちません。が、完璧な間違い。「現代貨幣の仕組み=MMT」では政府は貨幣の供給者。だから100兆でも200兆円でも出せます!その「真実」を知らないから政府はケチになって国民を見捨てるのです・・是非ご一読を! -
ニッセイ何とかというサイトからの転載で、つまり日本生命関係のサイトだろう。
長い記事なので、「病床数削減」関係部分だけコピーしたが、読んで意味が分かっただろうか。
私にはまったく理解できなかった。
文章が難しいのではなく、論理(下の赤字部分の論理)が理解できないのである。なるほど、生命保険の契約書を読める人がいないのも道理である。どうやら医療の世界では病床を作ると自動的に患者が発生するらしい。南極にコンビニを作れば、人間がいなくても客は来るという想定で出店したらどうか。
(以下一部引用)では、病床数が多いと何が問題なのでしょうか。病床が多ければ患者は容易に医療サービスにアクセスできるようになるので、病床が多いこと自体は一概に悪いと言い切れませんが、費用面の問題を考慮する必要があります。2|病床が多いと医療費が増加
医療政策の世界では以前から「病床が多いと医療費を増やす」と考え方が支持されています。これは医療経済学で「医師需要誘発仮説」として知られる考え方で、医療サービスでは患者―医師の情報格差が大きいため、患者のニーズだけでなく、医師の判断や治療が医療の需要を作り出すと考えられています。
その結果、「病床が作られると、患者と医療費が増える」という現象が生まれやすくなるわけです。実際、日本では都道府県別の人口当たり医療費と病床数の間に、高い相関関係が見られることが知られています。こうした状況を踏まえると、国際的に過剰な病床を削れば、増加する医療費を抑制できる可能性を期待できることになります。
(一部引用終わり)
要するに、政府の都合で病床数を減らそうとしているだけの話で、しかもその理由は「病床数が多いと医療費がかさむ」という、ただの「仮説」によるものであるらしい。病床数が多いから医療費がかさむのではなく、病人数が多いから医療費がかさむだけの話であり、病床の責任ではないだろう。天気が悪いから雨が降るのではなく、雨が降るから天気が悪いのである。
(以下引用)2019年01月17日病床を減らそうとしているらしいけど、なぜ?
保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳
1――なぜ病床を減らそうとしているのか
政府は今、「地域医療構想」という政策を進めています。人口のボリュームが大きい「団塊の世代」が75歳以上を迎える2025年になると、医療・介護需要が増加すると見られており、それに対応できる医療提供体制を整備する観点に立ち、各都道府県が医療計画の一部として2017年3月までに策定しました。
しかし、実際には「病床数を減らすための政策」と位置付けられており、特に財務省は医療費を減らす観点に立ち、地域医療構想に期待している面があります。
では、なぜ病床を減らす必要があるのでしょうか。その結果として、私たちの暮らしにどんな影響があるのか考えてみましょう。
2――病床数の国際比較
1|突出した日本の病床数
病床削減が進められている背景を考える上では、他の先進国と比べて日本の病床数が突き抜けて多い点を念頭に置く必要があります。人口1,000人当たりの病床数に着目し、OECD(経済協力開発機構)に加盟している他の先進国と比べると、図1の通りに日本の病床数は突出しています。
こう書くと、いくつかの反論が予想されます。例えば、日本は他の国よりも高齢化が進んでおり、病床に対するニーズが大きくなる点を考慮する必要があります。さらに、医療のニーズは事前に予想が難しいため、どれぐらいの病床数が適正あるいは過剰なのか、厳密に示すことは困難です。国ごとの統計区分や国民性の違いを考慮する必要もあります。
しかし、2位の韓国は別にしても、3位以下との差は著しいですし、福祉国家の優等生として取り上げられる機会が多いデンマークで2.2床、スウェーデンで2.3床という状況です。
そう考えると、日本の病床が過剰であることは間違いありません。では、病床数が多いと何が問題なのでしょうか。病床が多ければ患者は容易に医療サービスにアクセスできるようになるので、病床が多いこと自体は一概に悪いと言い切れませんが、費用面の問題を考慮する必要があります。2|病床が多いと医療費が増加
医療政策の世界では以前から「病床が多いと医療費を増やす」と考え方が支持されています。これは医療経済学で「医師需要誘発仮説」として知られる考え方で、医療サービスでは患者―医師の情報格差が大きいため、患者のニーズだけでなく、医師の判断や治療が医療の需要を作り出すと考えられています。
その結果、「病床が作られると、患者と医療費が増える」という現象が生まれやすくなるわけです。実際、日本では都道府県別の人口当たり医療費と病床数の間に、高い相関関係が見られることが知られています。こうした状況を踏まえると、国際的に過剰な病床を削れば、増加する医療費を抑制できる可能性を期待できることになります。3|医療費の増加による影響
では、医療費が増加すると、何が起きるのでしょうか。公的医療保険で使った医療費を意味する「国民医療費」という統計によると、国民医療費は40兆円を超えており、その費用については、40%程度を国・自治体の税金、30%弱を国民が支払う社会保険料、約20%を会社が支払う保険料、約10%を医療機関で支払う窓口負担で賄われています。
つまり、医療費の増加は国民に課せられる税金や社会保険料が増えることを意味するわけです。しかも、国家財政は今、借金(国債)で財源を調達している状況ですし、人口のボリュームが大きい「団塊の世代」が75歳以上になると、医療費は一層増えると見られており、その抑制が求められています。その方策として地域医療構想が期待されている面があります。
実際、地域医療構想の考え方を初めて打ち出した政府の社会保障国民会議は2008年の中間報告で、「過剰な病床の思い切った適正化」を掲げており、同じ認識は2013年の社会保障制度改革国民会議報告書に継承されています。
では、地域医療構想とはいったい、どんな政策なのでしょうか。次に見ていきたいと思います。
(以下略) -
私は、頭が悪くて、その結果、嘘をつく能力が低いので、仕方なしにだいたい正直であるわけだが、自分の頭が悪いことは何度も「中学生頭脳」だと書いている。ただ、世間には小学生頭脳の人や家畜頭脳の人も多いので、中学生頭脳の者がブログを書く意味はあるとは思っている。それに、頭のいい人は残念ながら嘘をつくのも上手なので、その発言が信頼できないことも多い。いわゆる「御用何とか」の類だ。マスコミに出る人間でその発言に一貫性があり、だいたい正直だ、というのは一割程度かと思う。
以上はもちろん前置きで、私が下の記事を「理解できない」ことの言い訳である。何が理解できないかというと、「なぜこれまで病床数削減をすることが正しいとされていたのか」ということだ。しかも、これは政府が命令したと言うより、病院経営者が経営面から見て病床数が多いことはコスパが悪い、と考えて、それがなぜか全国一律に「病床数を削減しろ」という政府方針になってきたと思えるのである。
つまり、下の記事の最後に書かれているこれだ。
一方、医療機関としては、感染症が発生していない平時から、常に感染症病床を一定数維持することは経営的に困難との声もある。
医者や看護師が多すぎたりしたら給与支払いが高騰するから人数削減をするのはまだ理解できる。(すると当然、医者や看護師の労働強化になり、仕事量は増える。)しかし、病床が多くて何が問題なのか。ベッドが飯を食ったり待遇に文句を言ったりするわけではないだろう。なぜただ「置いてある」だけのベッド数が問題になるのだろうか。私には単に、さほど意味のない「空間(余裕)恐怖症」というか、「効率化ノイローゼ」「生産性ノイローゼ」に思えるのである。
まあ、単なる推測だが、病床数との関係で、医療保険から各病院への支払いに違いがあるのではないか、つまり単に「お役所事務」との関係ではないかと思う。
つまり、ここにも「生産性は凄惨性」が顔を出している気がする。余裕の無い社会は何かの拍子に自分で自分の首を絞めるのである。それが今回のコロナ騒ぎでの医療崩壊であり、病床数不足だろう。
(以下引用)〔東京 16日 ロイター] - 新型コロナウィルス感染者の病床不足が問題となっている中で、厚生労働省がこれまで5年にわたって進めてきた全国の病床削減計画を見直す可能性を視野に入れていることがわかった。政府は昨年秋に、13万床の病床削減を目安として掲げ、病院名のリストも作成。その対象となっていた公立病院はコロナ患者の受け入れを求められており、政策の矛盾を指摘する声が出ている。
<13万床削減要請の衝撃>
昨年10月の政府の経済財政諮問会議。「来年9月までに、まず公的・公立病院の見直しを出していただく」ーー加藤勝信厚生労働相は全国の自治体を対象に、余剰病床の削減計画を提出するよう要請。民間議員からも「官民合わせて過剰となる約13万床の病床の削減が必要だ」とする提言が行われた。
これらは昨年6月に閣議決定された経済財政の基本方針である「骨太方針」に「地域医療構想」に沿った医療提供体制の効率化と題して盛り込まれたものだ。
同9月には、厚生労働省が公立病院と日本赤十字社などが運営する公的病院の4分の1を上回る424の病院について再編や統合が必要だとして個別の病院名を公表。病床が逼迫している東京都でさえ、国家公務員共済連九段坂、東京都台東区立台東、東京都済生会中央、東京都済生会向島などの各病院が対象として挙げられた。
名指しされた病院のある地域では、地域医療を支えてきた病院の閉鎖や再編に対し住民による反対運動がおこった。それでも政府が病床削減を進めてきたのは、2014年から始まった「地域医療構想」があるからだ。「地域医療構想」は2025年に必要となる病床数を4つの医療機能ごとに推計し、病床の機能分化と連携をすすめ、効率的な医療提供体制を実現する取り組みとされる。
団塊世代が75歳の後期高齢者となる2022年からは医療費が一気に増大し、日本の医療費の加速的な増加が財政を圧迫する姿が見通せる。
医療費の抑制を図り、持続可能な体制を作るため、過去5年程度の間、政府は「地域医療構想」の提出を各都道府県に促してきたが、なかなか進捗しなかった。このため、諮問会議は公立病院を中心に昨年秋から3年間程度を集中期間として、病床再編を進めることを打ち出した。2025年時点で必要なベッド数推計値と現状の病床数の差が13万床だという理屈だ。
日本医療労働組合連合会(医労連)の森田進書記長は、コロナ対応で病床が不足する事態を起こした一因は、国の政策にあると強く批判している。同氏によると、ここ20年間で感染病床は大幅に削減され、1998年に9060床あった感染病床は現在、1869床まで減少している。同氏はロイターに、「本来なら、感染症病床というのは国がきちんと整備しておくべきだと我々は言い続けてきた。ベッドが減少したところでこういう事態になった」と語る。
「21世紀は感染症との闘い」と言われるように、MERS、SARS、新型インフルなど様々な感染症が突然発生する。感染症病室は、普段は稼働率が低くてもいざという場合に運用できるようなシステムは日ごろから必要、というのが医労連の立場だ。「国は医療費抑制、効率性ばかりを追求している」(森田しのぶ委員長)と指摘する。
<コロナ発生で再検討>
ところが、新型コロナウイルスの発生により病床をめぐる事態は急変する。厚労省は3月4日付の医政局長通知で、3月末までとなっていた病床削減計画の提出期限の延期を認めた。
通達では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため政府がイベントなどの自粛を求めていることなどを理由に、地域医療構想における具体的対応方針の再検証等の期限について「改めて整理」するとしている。
すでにコロナ感染者は、感染症病床や結核病床だけでなく、一般病床を埋め始めている。コロナ対策病床の稼働率は14日現在、107%の稼働率(出所:一般社団法人 日本呼吸療法医学会 公益社団法人 日本臨床工学技士会)。
実際に国が緊急事態宣言を発表した7日以降、都内の東大病院や日大病院、東邦大学病院は、患者の病状に影響を与えない範囲で診療機能を一時的に縮小すると発表した。他の病院でも入院・外来診療を制限する動きが広がっている。
このため、削減計画をいったん停止せざるをえない状況が生まれたとみられる。
厚労省の期限延期の決定について、全国自治体病院協議会の小熊豊会長は3月18日の記者会見で、「今この騒ぎだから、柔軟にやっていただけるものと思っている」と、延期は当然との見解を示した。
厚労省医政局はロイターの取材に対し、「病床削減計画を全面的に取りやめるということではない」としつつ、「コロナ患者入院の状況からみて、再検討が必要かと思っている」とし、国の病床削減計画を見直す可能性を示唆した。
<経営の壁>
経済協力機構(OECD)は19年版の「Reviews of Public Health」でパンデミック発生となれば、予算も人口も減少していく日本で、その受け入れ余力や専門知識などの対応能力には課題があると指摘している。
一方、医療機関としては、感染症が発生していない平時から、常に感染症病床を一定数維持することは経営的に困難との声もある。
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貧困者支援活動に携わってきた稲葉剛氏へのインタビューの一部である。
まあ、この問題に関心のある人にとっては常識的な話が多いと思うが、今や政府による国民支援の問題は喫緊の問題だから、その「政府姿勢」はどうなのか、と一般の人も改めて確認する必要もあるのではないか。
(以下引用)
――生活保護などの制度の利用を促すか否かで国ごとの違いがあるわけですね。さっき生活保護の「捕捉率」という話がありました。どういうものか簡単に説明いただけますか。
諸外国にも日本の生活保護と同様の公的扶助制度があります。生活に困った人がほかの制度を使ってもどうにもならないときに使える「最後のセーフティネット」と言われるものなんですが、日本の場合はその捕捉率が非常に低い。
捕捉率というのは、制度を利用できる資格を持っている人のうち実際どれだけの人が使えているかを表すもので、まあカバー率ということですね。日本の場合は、そもそも政府がきちんと統計を取っていないという問題もあるんですけど、大体2割から3割だという風に推計されています。
単純に言えば経済的に困ってる人が10人いてもそのうち、2人か3人しかセーフティネットで捕捉されていない。10人中、7人か8人はセーフティネットが張ってあるのにその下にこぼれ落ちてしまうという状況です。
――形式としては生活保護という制度があってもそれを自分が使えるということすら全然知らない人も…。
知らされていない。広報されていない。あとは窓口に言ってもちゃんと対応してくれない。
そしてご本人、生活に困っている方ご自身の中にも、「スティグマ」と言いますが、制度を利用することに対して後ろめたいとか恥ずかしいという気持ちがあって、これはほかの国の社会に比べても日本はとても強いと思います。そのあたりが制度の利用を妨げているという形ですね。
「真に困っている人」しか助けたくない
――今回の現金給付についても、収入が半減したとか、自己申告であるとか、実際の給付対象が少なくなる仕組みが色々と入っていますよね。収入半減などを証明する書類の準備も利用の妨げになりそうです。
そうですね。現金給付については言いたいことがたくさんあるんですが(笑)。
社会福祉の専門用語で「選別主義」と「普遍主義」というのがありますけれども、日本の場合は選別主義ですね。要するに「真に困っている人」たちを選別するっていう考え方が非常に強い。
生活保護など従来の制度についてもそうした発想にもとづいて作られてきていて、今回もやはりそれが現金給付の問題で貫かれてしまったということだと思います。
普遍主義というのは要するに全ての人に保障をするということで、特に今回のように広範な人たちの収入が減少して生活に困っているというときには、まずは一律に給付すべきです。
安倍さんが自分たちのような国会議員にも給付するのはおかしいじゃないかとか言ってましたけど、高額所得者にはあとで累進課税を強化したりしてその分税金を取ればいい。でもそういう発想は絶対しないわけですよね。
生活保護でも公営住宅でもずっとそうなんですが、政府は「真に困っている人」という言葉がすごく好きなんです。「本当に困っている人」だけを救済するんだと。
これはまあ裏を返せば、生活保護では例えば以前小田原市の「保護なめんなジャンパー問題」というのがありましたけど、あれに象徴されるように、不正受給や不適切に見える受給を絶対許さないということですね。
法律的には不正じゃなくても、ズルをしているように見える人は許さない。そういうメンタリティが国レベルでも自治体レベルでも浸透している。市民社会のレベルでも残念ながら浸透してしまっていて。
そうすると、その制度を利用しようと思って申請する人の方が、自分が「真に困窮している」、「真に困っている」ということを証明しないといけない。
今回の現金給付の場合でも「本当に収入が減少したのか」を書面で証明するという非常に面倒くさい手続きをこの大変な最中に窓口に行ってしないといけないということになっているわけです。 -
「櫻井ジャーナル」記事で、COVID19は生物兵器だという立場で論じているが、日本ではあのいい加減そのものの対応にも関わらず、まだパンデミックになっていないのが不思議である。BCG接種による偶然の結果か、それとも全マスコミが協力して実態を隠蔽しているのか。まあ、政府による隠蔽は確実だと思われるので、これから感染者数を小出しに増やして、やがて事態が自然収束に向かったら、「非常事態宣言のおかげだ」というどや顔を見せるのだろうとは思う。そして、それに騙される国民は膨大にいると思う。下手をしたら次の国政選挙でも自民党の圧勝、そして憲法改定という悪夢が待っているかもしれない。
ちなみに、コロナへの対応は「緊急事態宣言」では実質的には何ひとつ変わらないので、その目的はコロナとはまったく無関係で、憲法改定への布石だと見るべきだろう。
(以下引用)2020.04.07カテゴリ:カテゴリ未分類安倍晋三政権はCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大を口実にして「緊急事態」を宣言するようだが、これは戒厳令の予行演習としか言い様がない。
アメリカのドナルド・トランプ大統領は3月13日に「国家緊急事態」を、23日にはイギリスのボリス・ジョンソン首相がいわゆる「ロックダウン」をそれぞれ宣言した。安倍政権はその後を追いかけているように見える。日本政府の動きはアメリカからの指示に基づいている可能性があるだろう。
2月4日にダイヤモンド・プリンセスというクルーズ船の船内で感染者が確認された後、感染対策の専門家から安倍政権は適切な対策を講じていないと批判された。そのために船内の感染は拡大したのだ。
しかし、日本への感染ルートはこのクルーズ船だけではない。多くの人が国外から入ってくる。このウイルスの潜伏期間は2週間で、しかも感染者の約8割は症状がほとんどないようなので、本人が気づかずにウイルスをまき散らすことは避けられない。

イギリス政府は3月19日にCOVID-19(新型コロナウイルス)をHCID(重大感染症)から外したことは本ブログでも伝えた。日本では最も病毒性が高い伝染病を一類感染症と呼び、患者や疑似症患者は入院措置の対象になっている。エボラ出血熱のようなウイルス性出血熱やペスト、天然痘などだ。勿論、COVID-19は含まれていない。
COVID-19の危険性を印象づけるため、何が原因で死亡したかに関係なく、このウイルスに感染していたならCOVID-19で死んだことにしているとドイツで批判されているが、同じことは他の国でも行われているようだ。
これも本ブログですでに書いたことだが、イタリアでの調査によると死亡した感染者の平均年齢は81歳を上回り、90%は70歳以上。しかも80%以上は複数の慢性的な病気、例えば心臓病、糖尿病、癌などを抱えていて、健康だった人は1%未満。イタリア健康省の科学顧問を務めるウォルター・リッチアルディによると、コロナウイルスが直接的な原因で死亡した人数は死者全体の12%にすぎないという。
日本政府は当初からCOVID-19の感染状況を調べようとしていない。検査する能力がないのではなく、検査する意思がないのだ。症状が出ている人のみを感染者の総数にすれば、当然のことながら、致死率は上がる。感染者の約8割は症状がほとんどないことをWHOも認めている事実だ。
そうした病毒性の問題はあるのだが、それはさておき、感染者の入国を完全に止めることは不可能だ。潜伏期間や無症状の感染者の問題がある。おそらく、徳川時代並みの出入国管理をしても無理だろう。
もし、税関で患者の入国を完全に止められたとしても、アメリカ軍は日本側のチェックを受けずに出入国が可能だ。COVID-19感染が始まったとされる中国の武漢では、昨年10月18日から27日にかけて国際的な軍人の競技会が開かれ、アメリカも選手団を派遣した。アメリカ人競技者は172名とされているが、実際に中国入りしたのは369名だという。アメリカの軍人は感染拡大の原因になっている可能性がある。
伝染の拡大を抑えるために最も重要な対策は、システムとして検査態勢や治療体制を整備することだろう。今からでは遅いが、やれることはある。そうした面でアメリカは最悪だ。
安倍政権はそのアメリカを見ながら動いているように見える。医療現場の体制が充実していれば、今回のケースでも対応できた。新自由主義に基づいて日本の医療体制を破壊してきたのは中曽根康弘、小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、安倍晋三といった人びと、そしてその背後にいるアメリカ支配層だ。こうした人びとはCOVID-19への対応に失敗したのでも、医療現場や経済活動を知らないのでもないだろう。
中国では経済活動が急回復していると伝えられているが、アメリカや日本をはじめとする国々は深刻な不況に突入する可能性がある。企業の倒産や国の破綻をビジネス・チャンス、金もうけの好機と考える人もいる。富を略奪できるからだ。ソ連が消滅した際、西側の巨大資本やその手先になった現地の人びとは大儲けし、オリガルヒと呼ばれる人びとを生み出した。倒産や破綻を仕掛ける能力がある強大な私的権力は、そうした情況でライバルを潰すこともできる。しかし、そうした私的権力の真の目的は別にあると言えるだろう。世界を収容所化し、大多数の人びとを囚人として管理しようとしているのだ。その収容所を私的権力が支配する世界、フランクリン・ルーズベルトやヘンリー・ウォーレスが警告したファシズムの世界が彼らの目標だと考えるべきだ。
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「世に倦む日々」記事の後半である。
「野戦病院方式(コロナ患者と通常患者を分けて対応する)」も、文政権と安部政権の違いは「社会主義的政権」と「新自由主義政権」の違いだ、というどちらの意見にも同感である。
新自由主義とは自己責任主義(政府の仕事は政権関係者の利得増進のみ)のことであり、政府は上級国民のみ政策対象(利益供与対象)にし、一般国民の福祉を最低限にする。社会主義は社会全体の幸福の増進を目標とし、政府ができるかぎり国民の福祉を高めようとする。コロナへの対応が明白に別れたのは当然である。
(以下引用)
一週間で感染者が倍増してゆく状況では、おそらく、ホテルを宿泊施設にする対策も効を奏さず、重症者を入れる病院ベッド数も集中治療室も不足し、軽症者を療養施設で観察する医師・看護師の数も不足する。結局のところは、NYで大型展示場を病院に改造したように、首都圏もまた、体育館や展示場やドーム型野球場を野戦病院にする方策になるだろう。患者を一か所に集中させる野戦病院の形態が、最も効率的で合理的なのだ。治療する医師と看護師の数を節約でき、ロジスティックスが簡便で費用が安上がりだから。地域の病院をコロナ患者と切り離すことができるから。さて、結論だが、韓国と日本の対策の違いはどこから来るものだろう。テレビに登場する御用学者や官邸に媚びへつらうしか能のないキャスターやコメンテーターたちは、韓国にはMARS禍の苦い経験と教訓があったからと理由を述べる。だが、本当にそうだろうか。私は違うと思う。もし、韓国が李明博政権や朴槿恵政権であったなら、このような理想的な対策はとれなかっただろう。
韓国がソシアルな理念を持った左派政権だったからこそ、こうした模範的な社会政策を打つことができたのだ。韓国のコロナ対策は、単に検査方式の見事さだけでなく、検査費と治療費を無償にしたり、隔離した患者の家族に十分な給付金を支給したり、国民に対する支援が最初から手厚い点が特徴だった。憲法25条的なコロナ政策が一貫して遂行されていた。それは、ソシアル主義の政権だからできたことだ。日本の場合は真逆で、コロナ対策に当たってはネオリベラルな自己責任主義が中軸に据わり、無検査による市中感染放置(集団免疫路線)が徹底され、自宅での自前の療養克服(4日間我慢)が国民に強いられた。その結果が、現在の韓国と日本の彼我なのである。








