この文章の筆者の批判する「日本弱体化」は、要するに「憲法9条」を言うのだろうが、ところがその「弱体化」によって日本は70年の長期に亘って平和を享受し、軍事費に金をほとんど使わなかったため(ユダ金による収奪が始まる以前の高度経済成長期までは)経済的繁栄が可能になったのである。
はたしてこれが「弱体化」と呼ぶべきものだろうか。
女性や老人は「弱い」からピストルを持って武装すべし、という思想が「強靭化」であるとすれば、今の銃社会アメリカは力の平準化が行われた理想的な社会である、となるだろう。軍国主義思想・軍備絶対視思想というものの本質は、要するにそういうことだ。永遠に国々がお互いの軍備をエスカレートさせていくか、ある時点で「敵国」を叩き潰すしか選択肢は無いのである。これはキチガイか「戦争ごっこの好きな男の子」の思想である。軍事企業以外に得をする者はいない。戦争にでもなれば悲惨の極みである。国の舵取りをそんな連中に任せたらどうなるかは、今の狂人国家アメリカを見ればいい。アメリカの起こした戦争でほとんど滅亡に瀕した国が世界にはいったい幾つあることか。
力による支配こそが正義、あるいは正味の現実である、と思う人々は憲法9条をただのお題目だととらえる。それどころか、自分の(国の)力を縛る束縛だと考える。キチガイじみた武装をして米国のような「世界の暴力団」になること(あるいはその手下になること)が、きっと彼らの理想なのだろう。(嗤)
だが、私は、GS(民政局)グループ、すなわちGHQ内の社会主義者グループこそが日本の恩人だと考えている。彼らによって日本は、「世界で唯一成功した社会主義国」(笑)となり、その彼らが日本という国の目指すべき社会構造を規定した日本国憲法を、1980年代くらいから米国のユダ金や共和党支配下の日本の官僚や政治家(もちろん、自民党と松下政経塾グループ、維新の党などが主)が徐々に破壊していくことによって日本は現在の悲惨な格差社会・貧困社会・人民抑圧社会に至ったのである。
(以下引用)
日本の現憲法は、1946年1月7日に米国の国務及び陸海軍の三省調整委員会(SWNCC)が作成しGHQに通達した「第228文書」(通称「改憲調令」)によって制定が指示されたものであるが、SWNCCの中心であった当時の米国務省は親ソ派マルキスト主義者の巣であり、憲法執筆者にはマルキストばかりを選んでいる。
GHQ憲法の執筆者の一人である親ソ派ニューディーラーのゴードン女史は、憲法草案を作成するためにソ連憲法や社会主義的なワイマール憲法を参考にしたことを認め、自伝の中で「1918年に制定されたソビエト憲法は私を夢中にさせた。
社会主義で目指すあらゆる理想が組み込まれていた」とマルクス主義への憧れを吐露してもいる。例えば日本国憲法のの第25条(生存権)や第27条(勤労の権利及び義務)は、ソ連のスターリン憲法を丸写しにした文面であり、資本主義国の憲法でこれほどマルクス主義的な要素を取り入れた内容のものは他に1つもない。
さらにGHQ憲法草案に設けられていた第36条は「土地及び資源などを全て国有化し、不動産の私的所有は認めず、個人の現有不動産は国からの貸借とする」という趣旨の完全な共産主義条項となっており、これはさすがに日本側も「アカ条項」と呼んで抵抗し、マッカーサーも削除を命じたぐらいであった。このように現憲法は「日本弱体化」のみならず、ソ連に憧れたニューディーラーによって「日本の社会主義化(ソビエト化)を目的にして執筆されたものであり、前述のごとく日本が疑似社会主義国になったのも憲法の下では当然の結果である。
一方、GHQ内部でこの民主党ニューディーラーと厳しく対立していたのが、反共主義者の共和党員であったチャールズ・A・ウィロビー情報部長であった。
当時GHQの内部には二つの路線対立があり、国務省系のGS(民政局)は占領内政担当で民主党左派すなわちニューディーラーによって構成されており、国防総省系のGⅡ(情報治安局)は軍務担当で共和党員が中心になっていた。
このGSとGⅡが激しく対立していたのである。民主党の影響下にあるGS(民政局)は日本をマルクス主義化する実験と併行して「ウィークジャパン(弱い日本)をつくる」と主張しており、一方GⅡのウィロビー少将はニューディーラーたちが日本を左翼国家へ改造しようとする「実験」に強く反対し、「不必要なまでの日本の弱体化は国際共産主義を利する」と考えてストロングジャパン政策を主張していた。
対ソ戦略のためには「強い日本」を維持させねばならないというのが、ウィロビーら共和党反ソ派の持論だったのだ。
ウィロビーは「共産主義分子の総司令部への浸透」という調査報告書を作成し、ゴートン女史を始めコーエン、ハドレー、ビッソンその他多くのGHQ民政局・民間情報教育局・労働課等の職員が後に査問を受けることになる証拠を収集した。
またウィロビーは、民政局員のグランダンツェフとキーニーの2人については「KGBのメンバーであることが確認された」と国防総省に報告して逮捕を要求してさえいる。
つまり米本国同様にGHQの中でも、反共と容共(及び共産主義者)との戦いが展開されていたのだ。ちなみにこの民主党のウィークジャパン戦略と共和党のストロングジャパン戦略は、日本の主権回復以後もアメリカ本国で伝統的に継承し、前章で述べたような今もなお両党のその姿勢は変わっていない。
GHQ内でウィークジャパン政策の急先鋒となったのがマルクス主義者のケーディス民政局次長であり、ウィロビーら情報治安局の唱えるストロングジャパン政策を抑えこんで憲法制定や諸々の日本弱体化政策を強行し、一方ウィロビーは「GSはアカの巣だ」と公然と批判を続けた。
このGHQ内部のGSとGⅡの対立はさながら民主党と共和党の代理抗争の様相にあったが、政権与党の民主党系GSが実権を握る状態が続いていた。
しかしソ連の脅威が増すにつれてトルーマンがルーズベルト流容共路線からソ連対抗路線へと転向していき、ニューディーラーたちは疎んじられて段々と実権を失い始め、共和党は日本国内のレッドパージをGHQに要求して一部を実行させることに成功した。
やがて1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、米軍が中ソ軍と衝突したことを契機にさしものマッカーサーも目が醒めたのか、GHQの実権はGS民政局ニューディーラーたちからGⅡ情報治安局の反共軍人グループへと全面的に移行することになった。
マッカーサーが戦争放棄を盛り込んだ憲法をつくらせたり、その一方で自らその憲法を否定する存在たる自衛隊(当時は警察予備隊)を創設させたり、また共産党員を釈放させたりレッドパージをしてみたりと、どう見ても一貫性のない矛盾する占領政策を行ってきたのは、ケーディスら民主党とウィロビーら共和党との綱引きがGHQ内部に存在していたことが、その理由の全てである。
(なおマッカーサーは1950年5月に幣原衆院議長に対しヌケヌケと「日本は一切の武力を放棄すると言われたが、今日の世界情勢から見ると、それは何とも早すぎたような感じがする」と述べている。)
ちなみにこのウィロビー(退役後は共和党系キリスト教団等を主宰)と親しかったのだが、反共主義者のローマ教皇使節代理であり靖國神社焼却に反対したビッテル神父だ。
ビッテル神父の「靖國神社を焼いてはいけない」という主張をウィロビーらGⅡは支持し、自らも軍人であるマッカーサーもその意味を理解したのか、「焼却せよ」と主張していたケーディスら民政局に焼却禁止を命じた。靖國神社を守ってくれたのはビッテル1人ではなく、それを支持したウィロビーら共和党系の軍人たちのおかげでもあるのだ。
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