漫画家とり・みきのツィートだが、正論だろう。
偕成社からの抗議文を褒める人も多いかもしれないが、そのかなりな部分は世間の現在のIOC批判や毎日新聞の政権批判など(腰の引けた情けないレベルのものでも)を不愉快に思っている「体制べったり人種」ではないかと推測する。
まあ、例の風刺画も低レベルな内容のもののようだが、「パロディ」にはオリジナルへの敬意が必要だ、というのは暴論だろう。
なぜパロディが生まれるかと言えば、原作の持つある種の「偏り」(それが善意によるものでもいいし、また、その偏りを「個性」と言ってもいい。)を可笑しく思うからパロディを作るのである。たとえば、だいぶ前に「個性的な(下手ウマな)」字体(筆文字)で人生訓めいた短文を書く人物の作品がさんざんパロディを生んだが、それも原作の持つ「偏り」が臭みとして感じられ、それへの攻撃意欲を生んだのであり、そこには原作愛はほとんど無かったと思う。
(6月11日追記)今見たばかりの竹熊健太郎のツィートを転載する。
(以下引用)
話題の件、一部の論調が「原作愛がなければパロディするな」という極端な方向に走っているのには違和感がある。愛なんてあってもなくてもいいよ。というかもともと悪意のほうが本質でしょう、パロディは。
偕成社からの抗議文を褒める人も多いかもしれないが、そのかなりな部分は世間の現在のIOC批判や毎日新聞の政権批判など(腰の引けた情けないレベルのものでも)を不愉快に思っている「体制べったり人種」ではないかと推測する。
まあ、例の風刺画も低レベルな内容のもののようだが、「パロディ」にはオリジナルへの敬意が必要だ、というのは暴論だろう。
なぜパロディが生まれるかと言えば、原作の持つある種の「偏り」(それが善意によるものでもいいし、また、その偏りを「個性」と言ってもいい。)を可笑しく思うからパロディを作るのである。たとえば、だいぶ前に「個性的な(下手ウマな)」字体(筆文字)で人生訓めいた短文を書く人物の作品がさんざんパロディを生んだが、それも原作の持つ「偏り」が臭みとして感じられ、それへの攻撃意欲を生んだのであり、そこには原作愛はほとんど無かったと思う。
(6月11日追記)今見たばかりの竹熊健太郎のツィートを転載する。
安冨歩さんに賛成。「はらぺこあおむし」パロディに対する偕成社の態度とそれを擁護する他メディアの姿勢、偕成社を持ち上げて毎日新聞をバッシングするネットの論調は異常。
(以下引用)
話題の件、一部の論調が「原作愛がなければパロディするな」という極端な方向に走っているのには違和感がある。愛なんてあってもなくてもいいよ。というかもともと悪意のほうが本質でしょう、パロディは。
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