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昨日の来訪者数は、このブログを始めて以来最高の数だったのだが、(それでも40名程度だが)別に話題のトピックを扱ったという気もしないので、これは段々とこのブログ自体が人に知られてきたのかな、と嬉しく思っている。「日本ブログ村」では「政治ブログ」のジャンルに登録してあるが、この前見た時には、そこでも53位まで上がっていて、少し嬉しかった。まあ、見る人がいさえすれば、それが一人でも二人でもいいことはいいのだが、やはり見る人が多い方が張り合いはあるようだ。
前に書いたように、私は三つのブログを並行して書いて(管理して)いるのだが、その気分は、まるで「たまごっち」を育てているような気分である。どのヒヨコが成長が早いかな、というわけだ。「娯楽的語学学習ブログ」「政治雑談ブログ」「自己満足的創作小説ブログ」の三つのうち、現在は「政治雑談ブログ」、つまりこのブログの成長が一番早い。成長とは、もちろん来訪者数のことである。一番来訪者が少ないのは「自己満足的創作小説ブログ」で、こちらは日に3人か4人しか来訪者はいない。それも当然で、なにしろ「自己満足的小説」なのだから、書いた人間にとってしか面白くはないのだろう。だが、たった3人でも、読んでくれる人がいるのは有り難い。
もう一つの「徽宗皇帝のブログ」はヤフー・ブログにあるが、そちらでは現在、「アルジャーノンに花束を」を毎日少しずつ原書で読むというシリーズをやっている。自分自身の英語の勉強も兼ねての企画だが、こちらは毎日5,6人程度の来訪者である。しかし、アップするのとほとんど同時にそのほとんどが来訪するので、何か、書いている方も書くことに責任感を感じてしまう。私自身の英語力は貧弱そのものなのだが、一緒に英語研究・英語学習をしてみたいという人向けのシリーズである。
というわけで、私のオンボロパソコンの寿命が来るまであとどれくらいの日数があるかはわからないが、それまで何とか楽しいブログを書いていきたいと思っている。PR -
メディア・リテラシーの反面教師としての記事の例として以下の記事を転載する。「阿修羅」記事の中でもアクセス数の多かった記事のようだが、私には筆者の論理が分からない。どこが「語るに落ちた」なのだろうか。どう見ても、単なる先入観での発言としか思えないのだが、しかし、これを読む人のかなりな割合は、記事の内容や論理よりも、記事の結論だけが印象に残ることは確かだろう。こうして世間には根拠の無い「事実」が生まれていくわけである。
私自身は北朝鮮など嫌いだが、だからと言って、根も葉もない噂まですべて北朝鮮悪役論の根拠とされていくのはまずいだろうと思う。ついでながら、田中宇によれば、これは実は同じ演習に参加していた米軍による誤爆だったらしい。そのほうが、よほど確率的には高いだろう。なにしろ、湾岸戦争での米軍の損害の15%は味方による誤爆であったというから、味方による誤爆事故は想像以上に多いのである。少し想像力を働かせれば、それも当然だろうと推測できる。狭い空間で味方陣営がひしめきあっているのだから、誤爆事故が起こらないほうがおかしいのである。
この沈没事故について当事国から北朝鮮非難の声がほとんど上がっていないことからも、これは米軍による誤爆の可能性がはるかに高いのである。
(以下引用)
韓国艦船の爆破沈没事件はやはり北朝鮮の仕業であったようだ。
中国の国防相が訪中している韓国の予備役軍人に対して、『先入観をもって結論を出してはだめ・・・』と語ったそうだ。
まさに“語るに落ちた”感であるが、この発言は韓国に対する圧力以外の何物でも無い。
将軍様は“北京詣”の最大の目的は、中国に“艦船爆発は、北は無関係”と言って貰う事であったと思うが、中国がこんな形で“北の関与”を暴露されるとは思ってもいなかったであろう・・・。
それにしても、懲りない奴である・・・。 -
我々の頭の中には、いわば「思考素」とでも言うべき断片があって、それが無数に浮遊した状態である。その思考素はたとえば誰かの言った名言などである。前に書いたロベルト・ミヘルスの保守主義についての言葉は、私の思考素の一つである。しかし、私がロベルト・ミヘルスという人物について何かを知っているかというと、そんなことはまったく無い。私は知識人ではないから、他人と論争する必要も無いし、知識を自分の防具とする必要も無い。だから、うろおぼえの知識で十分なのである。前に、「女にもてないってのは、何て気が休まるんだろう」という吾妻ひでおの名言を紹介したと思うが、それと同様に、平凡な無名人であるのも大きなメリットなのだ。
しかし、たとえば、ミヘルスとやらいう人物の言葉を紹介したのが気になって、その人物をウィキペディアで調べると、そこになかなか興味深いことが書いてあって、また断片的知識が増える。こうして我々は自分の思考素を増やしていくのである。そして、その思考素の総体が、我々という人間の個性なのである。
ウィキペディアによれば、ミヘルスは「寡頭支配の鉄則」という理論で知られているらしい。その要点だけを言えば、あらゆる組織は必ず少数者の専制的支配に陥るのだが、その理由は、組織が組織化されるに従って、組織を有効に動かし秩序立てるための知識と技術が必要になるが、それができるのは僅かな人間なので、組織の成員は組織支配の権力を彼らに委譲することになる、というものだ。
あまりにも単純な話なので、これが「理論」なのかと思われるかもしれないが、真に有効な理論とはそうしたものなのである。
たとえば、一人の人間が金持ちになるためには、多くの人間を働かせ、その収入のほとんどを一人が独占する、というのが原則である。だが、それでは残りの人間は納得しないから、大多数の働き手にも形ばかりの利益配分を行う。これが会社という組織である。マルクスが言ったのは、ただそれだけにすぎないが、それが20世紀を動かす大きな思想だったのである。
「他人の労働の結果を奪うことで自分の贅沢な生活を維持する」というのは、古代の王侯貴族もすべてそうだったのであり、マルクスはそれをただ資本主義の社会にあてはめただけのことだ。さらにこの思想を俗な形にすれば、「金持ち父さん貧乏父さん」のようなベストセラーになる。あれは、要するに、サラリーマンでいては金持ちにはなれないよ、というだけの話である。サラリーマンとは、いわば現代の農奴なのである。まあ、農奴でいるほうが気楽だという面もあるし、中小企業では経営者の方が気苦労は多いのだが。
私は書きながら考える人間なので、私の文章はただの雑談にすぎない。ブログとはそういうものでいいと思っている。そのような散漫な文章は読むに値しない、時間の無駄だと思う人もいるだろうし、こいつは下らないことばかり言っているが、時々は有益なことも言うじゃないか、と思ってくれる人もいるかもしれない。姿は見えないが、そういう少数の人間に向けて、私は話しているのである。 -
ベンジャミン・フルフォードのブログから、最新の記事を転載。ベンジャミン・フルフォードは、世界中の裏組織の事情に精通していると自称する誇大妄想的人間で、いわゆる「陰謀論者」扱いされている人物だが、ここに書かれた記事は事実である。
米ドルが、その発行額を公表されなくなって久しいが、それは外国の所有するドルがすべて使用されたらアメリカという国全部を売り払っても足りないほどの金額に上っているからである。つまり、ドルは本当はもはや不換紙幣に近いのであるが、そのドルと日本円を無制限に交換するという声明を日本銀行は公表したわけだ。
これで、日本は経済的にはアメリカと心中することが決定したわけである。あとは、問題は「破滅の日」がいつになるかだけだ。
とりあえず、ドルや日本円を大量にお持ちの人間は、それを物に換えてはいかがだろうか。あるいは、どうせ紙くずになるのだから、今のうちに世のため人のために使ってはどうだろうか。まあ、貧乏人の私が他人の懐を心配する必要などないのだが。
(以下引用)
売国奴機関「日本銀行」が日本国民のお金を米連銀やギリシャなどに手渡している
先日売国奴機関「日本銀行」が犯罪組織「米連銀」やギリシャ、ヨーロッパのナチ勢力に日本国民のお金を無制限に手渡す約束をした。難しい言葉や専門用語で自分達の売国奴行為にカモフラージュをかけようとしており、以下の様なわかりにくい発表をした:
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc10/mok1005a.pdf
この文章をわかり易く説明すると、日本人が血汗を流して作ったお金(円)を米連銀が「無」から作っている詐欺「ドル」と無制限に交換をするということだ。先日ヨーロッパ救済の約1兆ドル資金の発表があったが、このうち日本人のお金がどれくらい使われるかについては公表されなかった。日本銀行広報室によると、そのお金はあくまで返済されるべきローンであるというが、戦後日本がアメリカに貸した7.5兆ドルすら一度も返してもらった気配はない。この財政難の日本が、アメリカにまたお金を貸す。アメリカはGDP14兆ドルに対し、借金が127兆ドルだ。そんな無責任なところに更に日本人のお金が流れる。これは絶対に返ってこないので、これによって日本国民の生活は更に苦しくなる。
「ヨーロッパ救済」のための1兆ドルの裏付けは、一般ヨーロッパ人やアメリカ人、日本人の未来の世代に借金を負わせて犯罪組織の延命を図ることを意味している。 -
昔、福田和也と佐藤亜紀と松原何とかいう大学の先生か何かの鼎談を読んで、その三人が何でも知っていることにあきれたものだが、もちろん、これは鼎談の後に手を加えて、そう見えるようにしてあったのだろう。しかし、そういう部分を割り引いても、この三人の「知識」はすごかった。
しかし、では彼らの発言に感心したかというと、それはあまり無かったのである。つまり、彼らにとっての知識はただの防護服でしかなくて、他者から攻撃された時に、「俺は(私は)これだけ本を読んで、これだけ知っている。お前は議論の前提となる基礎知識も無いくせに、俺と(私と)議論しようとはおこがましい」と撥ねつけるための知識ではないか、という印象を受けたのである。実際、現代において「知識人」であるということはそういうことだろう。
知識人であることには別に国家資格は要らないが、常に他人からその知識レベルを量られていて、一つ間違えば(つまり、馬鹿な発言をすれば)一気に知識人の座から転落してしまうという因果な商売なのである。まあ、「知識オタク」とでもいうべき連中だろう。もちろん、彼らは「知識人」を自称しているわけではないが、その発言内容が自分の知識を誇示することにエネルギーの大半を向けているように思われるから私は彼らを「知識人」と認定するわけである。
つまり、はっきり言えば、本当の教養人だとは思えないということだが。
本当の教養人とは、幅広い知識と教養を持っているだけではなく、その発言の一つ一つがその教養に裏付けられた重みがあるという人間である。教養とは、様々な事象についての知識が、その人間に完全に消化され、肉体化したものだと言えるだろう。前に挙げた三人の発言にはそういう重みは感じられなかった。まあ、それはもちろん、こちらにそれを理解するだけの教養が無いせいでもあるが。
三島由紀夫は、小説家としてよりは批評家としての才能が優れていた人間で、彼の評論の中には、それを読む人間の視野を一気に広げるような素晴らしい思想や知識が溢れていた。たとえば彼が「見渡せば花も紅葉もなかりけり……」の歌の「二重性」、つまり現実の情景と幻想の情景の二重性について述べたことは、その後、多くの文芸批評家が無断使用している。私が山崎正和をあまり高く評価しないのは、この「他人の発想の無断使用」のためである。
この三島由紀夫や、澁澤龍彦などが、いわば大衆の知的水準を高めてくれた日本の精神的恩人であり、そうした人間が昭和の時代にはたくさんいたのである。そういう意味で、平成という時代は、教養人の時代ではなくなったという気がする。 -
若者はなぜ右傾化しやすいか(2)
前回は、保守主義とは現状維持を望む立場だと書いたが、なぜ現状維持を望むのかというと、それは「現状から利益を得ているからだ」ということになるだろう。現状から不利益を得ている人間が現状維持を望むことのおかしさは前回書いた通りである。
では、現状から利益を得ていることの結果はどうなるかというと、もちろん、その利益の蓄積があり、富裕になっているということである。保守主義とは金持ちの思想なのである。
これをロベルト・ミヘルスという人はうまい言い方をしている。すなわち、「保守主義とは、所有に伴う傾向である」と。(正確には「所有ということの中には宿命的に保守化の傾向が内在している」という言葉だが、意味するところは同じだ。要するに、金が貯まれば、その状態を維持したくなる、ということである。)
このことがあからさまに分かるのはアメリカであり、あの国では富裕階級は共和党を支持するものであるということが暗黙の了解になっている。では、貧困階級の者は民主党を支持するかというと、そうとも限らないのは、日本において政治・社会的に虐げられた貧困層の人間で、これまで自民党や公明党を支持していた人間が膨大にいたのと同じである。
さて、ここで本題である、「若者はなぜ右傾化しやすいか」という問題に入ろう。実は、これは、若者のほとんどは親に養われているという事実によるのである。つまり、自分を養っている親は、いわば社会の現状そのものを背景として稼いでいる。現在の社会システムがあるからこそ、自分は生きていられるのである。ならば、それを否定することは自分の存在を否定することに等しい。つまり、革命を叫ぶ者は自分の敵だ。
これが、若者が保守化する心理であり、若者が変革者を憎悪する理由である。
自らの手で自分や家族を養っている人間の中で、その努力が報われていない人間も、それを自分の努力不足のせいだと思い、社会の利益配分システム(金持ち優遇政策など)そのものを変えようとは思わない。自分の現状を社会のせいにするのは、「男らしくない」と思うわけである。立派と言えば立派だが、その結果、同じ社会システムが延々と続くことになる。(では、どういう社会システムがいいのか、というのはまた別の問題になるので、ここでは論じない。「メモ日記」の過去ログの中でその概略は述べてあるはずだ。)
自分で稼ぎ、その中から税金や年金を毟り取られ、わずかな可処分所得しか残らない若者なら、その現状に不満を抱くはずである。しかし、その不満は自分をそういう状態にしている政府や社会には向かわず、「穀潰し」の老人・障害者や福祉システムに向かう。もちろん、そうなるように官僚やマスコミがうまく誘導しているからである。自分の現在の苦労には意味があると信じたい人々は、そういう誘導に容易に乗せられるわけである。
右傾化する若者の中のかなりな部分は、自分の不満の矛先を間違えた若者たちなのである。 -
若者はなぜ右傾化しやすいか、という問題を論じよう。
まず、右翼と左翼の定義からする。左翼は革新主義、右翼は保守主義ということでいいだろう。さらに革新主義とは、現在の政治・社会体制を変革することを望むこと、保守主義は現在の政治・社会体制を維持することを望むこと、という定義も問題ないかと思う。
では、なぜ一方は変革を望み、一方は維持を望むのか。それは、現在の政治・社会体制に不満があるか、満足しているかの違いであるはずだ。不満があれば変革を望み、満足していれば現状維持を望むのは当然である。
すなわち、右翼の若者たちは、現在の政治・社会体制に満足し、それを変えようとする「革新思想の持ち主たち」を憎悪している、というわけだ。ここまではいいだろうか?
なるほど、現在の日本は世界の中では富裕な部類だと言えるだろう。問題は、その国家的な富の配分が公正かどうかだが、少なくとも「革命」を起こすほどの不平等は無い。だから、「革命」を企み、国家体制を破壊しようとする「アカ」どもは撲滅するべきだ。というようなのが、右翼の若者たちの思想だろう。
要するに、右翼とは、現在の社会体制に満足している人々である、という理解でいいだろうか。ならば、現在の社会体制に不満でありながら、右翼であるという人々は、自己矛盾した存在であるといえる。たとえば、現在貧困のさなかにありながら、現状を維持したいと望む人間とは、なかなかおかしな存在だと言えるだろう。ところが、実はそういう「貧困右翼」も多いようなのである。(続く) -
このブログは、別に政治的発言をするために作ったものではないが、政治的発言が自然に多くなったのは、やはり政治というものが面白いからだろう。いわゆる「床屋政談」という奴だ。
床屋政談を馬鹿にする人間は多いが、私は素人の床屋政談こそが民主主義の土台だと思っている。右か左か、保守か革新かに関わらず、笑って政治を論じることのできる風土が日本に作られることが私の望みである。
現在は、「宗教」と「政治」については、身内の人間とも話すことはできない、というのが普通の人間の生活だろう。そうした話は人間関係を回復不可能なまでに破壊する可能性が高いのである。日常生活の中に健全な言論空間が無いということは健全な政治的判断を育てる風土が無いということだ。
そのために、多くの人間は、たとえば親が保守思想の持ち主だったから自分もそうなるとか、あるいは逆に、親の革新思想に反撥して右翼思想の持ち主になる、ということになる。なぜか、左翼思想の方に行く若者は少ないようだ。それはなぜか。「右翼思想の方が正しいからさ!」と言うのは少し待ってもらおう。
私は分析と解釈が趣味だから、若者はなぜ右翼思想になりがちなのか、ということを分析してみたいが、今日は雑談的に話を始めたので、そちらは稿を改めて(ブログでも「稿を改めて」と言うべきだろうか?)論じよう。
床屋政談に話を戻す。
子供の頃に「小公子」を読んだのだが、主人公のセドリック少年がアメリカに渡って生活をしていた頃に仲良くなる雑貨屋の親父がいて、この人物の趣味が政治の話なのである。セドリックも一緒になって無邪気な政治論議をしたりするのだが、このエピソードが私は大好きである。無知無学な庶民が大真面目に政治を論じるという風土こそが、アメリカの民主主義を育てたのであり、政治が専門家たちの手に奪われた時から、アメリカの民主主義は有名無実なものに変わっていったのではないかと私は考えている。まあ、基本文献であるトックヴィルの「アメリカの民主主義」もまだ完全には読んでいない怠惰な人間の空想的意見にすぎないが。
だが、インターネット上の「床屋政談」は、政治を再び民衆の手に取り戻す、その起爆剤になるものだと私は思っている。 -
朝日新聞の「天声人語」に、以下のような文章が書かれていたそうだ。コラムと言うより、品性低劣な、とんだプロパガンダ作文である。「阿修羅」の記事から一部を転載する。この引用の後に、この文章へのまっとうな批判の言葉が続くのだがその部分は省略する。興味を持った人は直接に、その記事を読んでもらいたい。
「普天間は、米国にすれば数ある懸案の、小さめの一つだろう。」とは良く言ったものである。お前は何様か、と言いたくなるが、まあ、自分の作文を「天の声」であるとでも思っているのだろう。それはともかく、普天間問題は、場合によっては日米同盟の解消にまでつながりかねない大問題である。そして、それを問題化したことこそが鳩山の「功績」なのであって、それを問題化させまいとする売国奴たちが、こぞって鳩山を攻撃しているわけだ。天声人語記者の、「俺様は鳩山より偉い」と言わんばかりの、ふんぞり返った姿勢には、吐き気がする。
なぜ日本国内に米軍基地があって、アメリカ国内には日本の軍隊の基地が無いのか、とアメリカに聞いてみるが良い。なぜ、そうした非対称な同盟が「同盟」と言えるのか。そうすれば、日本国内の米軍基地は日本を守るためではなく、米国の世界戦略の都合上置かれていること、さらに言えば、「米国に対する日本の反抗を抑えるため」に存在していることが炙り出されてくるだろう。
現実問題として日本を攻撃する国家など存在しないことは明白だろう。日本国内の米軍基地は、実はアメリカのためですらなく、「米軍」のために存在しており、同時に、軍隊の存在によって利益を得ている連中のために存在しているのである。これがアメリカが飽きることなく世界各地で戦争を行う理由であることは、よほどの明きめくらでもない限り、わかることだ。
「オバマが核軍縮の長い道のりを踏み出した」とは大笑いである。
オバマもまた米国支配層の操り人形にすぎないこと、オバマの世界戦略は米国と米国支配層の利益に奉仕するだけのものでしかないことは、もはや明白な話ではないか。
にもかかわらず、このようなコラムが書かれているのは、当然、まだ世間には朝日信者や天声人語信者が多いだろうという希望的観測によるものだろうが、まあ、新聞そのものがまもなく滅亡するはずだから、その最後っ屁のようなものだ。(まだ朝日新聞を左翼新聞だとカテゴライズして攻撃する馬鹿ウヨクがいるが、朝日はとっくに右翼新聞であり、朝日を左翼として攻撃しても、それは喜劇にしかならないということを言い添えておく。もちろん、朝日を攻撃すること自体は大いに結構であるが、それは今回のような場合にやってほしい。)
(以下引用)───────────────────
安心を与える大きな政府か、活力を生む小さなそれか。国家像を語るのに避けて通れぬ設問だが、有事に問われるのは大小より強弱、そしてリーダーシップらしい。そう教える出来事が続く▼国の破産を防ぐため、ギリシャのパパンドレウ首相は全人格をかけて国民に我慢を説く役回りだ。自国通貨が暴落して済んだ頃と違い、混乱はユーロを介して世界に飛び火する。火元責任は大きい▼ユーロ危機も追い風としたか、英国の総選挙で、一貫して欧州統合に冷ややかだった保守党が第1党に返り咲いた。ただ、2党間の交代は「前にダメだった党」に託すこと。有権者は過半数を与えなかった。43歳のキャメロン党首に首相への目算はあるか▼はるかに重苦しい決断を迫られそうなのは、韓国の李明博大統領だ。黄海で哨戒艦が沈んだ原因が、魚雷攻撃である疑いが出てきた。韓国の船を狙う国はいくつもない。46人の殉職は、熱い心と冷めた頭の両方を大統領に求めている▼イラクにアフガンと、米国は万年有事。中国との二極時代を意識しながらも、オバマ大統領は核軍縮の長い道のりに踏み出した。そこに、未曽有の海洋汚染とされるメキシコ湾の原油流出である。神は越えられる試練しか与えないはずだが……▼普天間は、米国にすれば数ある懸案の、小さめの一つだろう。自らの言動でそれを大ごとにしてしまったわが首相。どんな有事もリーダーの資質を試すが、「ひとり有事」とは情けない。地球大乱の気配がにわかに漂う中、この人物に国を任せる間の悪さを思う。
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「泉の波立ち」というホームページの記事から転載。本土の人間に多そうな考えの代表として掲載する。つまり、「沖縄の人間は基地で生活しているくせに、基地反対をするのは、もっと金が欲しいからだ。あいつらは乞食だ。日本という国の寄生虫だ」という意見である。あいにく、沖縄の経済における基地収入は全体の10パーセントもいかない。また、基地を置く見返りとしての補助金の大半は本土ゼネコンや政治家の懐に入り、一般の沖縄県民には無関係である。上が金を得れば、下にもそのおこぼれが来るという、いわゆる「トリクルダウン理論」が既得権益層の利益擁護のための幻想的理論であることは常識だと思うのだが、それが常識でない人間もまだまだ多いようだ。
念のために言うが、「泉の波立ち」は、広く社会全体に目を向けた記事が多く、有益な情報も得られるという点では、私は高く評価している。だが、こういう小林よしのりみたいな右翼的(体制擁護的)発言を見ると、うんざりしてしまうのである。なら、読むなよ、ということだが。
(以下引用。この記事は、米軍基地を種子島に持っていったらどうか、という記事の一部である。最後の部分など、書き手の沖縄に対する悪意が露骨である。彼の頭には、米軍基地全体を日本から撤去するという選択肢は最初から無いのである。)
たった一つ、問題があるとしたら、沖縄経済が崩壊することだ。あんな小さな島で、136万人もが、生活できるはずがない。今は 136万人という人口を維持できているが、それは基地経済があるからだ。基地経済がなくなれば、種子島と同様に、3万人程度しか生活できなくなるだろう。観光業があるとしても、10~20万人ぐらい。136万人なんて、とても無理だ。沖縄経済は崩壊する。大部分の人は失業して、沖縄を脱出するしかなくなる。……しかし、それは、沖縄の人々自身が望んだことだ。「基地は出て行け」と。とすれば、基地移設による沖縄経済の崩壊は、自ら望んだことなのであるから、甘受するしかあるまい。
私の予想では、沖縄の人々は、新たな職を求めて、種子島で暮らすことになると思う。種子島の基地経済で、米軍にすがって生きていく。ただし、そこでは、問題は起こらない。なぜなら、そこに来た人々は、自ら望んで、基地のそばに近づいたからだ。基地の金めあてで。……そうわかっている人々は、「基地は出て行け」とは言わないはずだ。(もし言い出したら、ふたたび経済崩壊の憂き目に遭う。今度は種子島で。)
ただし、50年ぐらいたつと、その記憶を失った息子や孫の世代となり、同時に、種子島の人口が 136万人ぐらいになるだろう。そうすると、ふたたび、「基地は出て行け」と叫ぶようになるかもしれない。そのときは、今度はがらんどうの沖縄本島に移ればいいのだ。そのときにはもはや、沖縄本島の人口は 3.3万人ぐらいになっているからだ。 (^^);
