"マルキシズム批判"カテゴリーの記事一覧
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これで最後だが、少し長い内容だ。
9)彼(マルクス)は唯物論的歴史観を次のように説明した。
生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。
この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。
生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。
生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。
近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。
ア)生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。
まあ、
経済学的視点からはこう言えるだろう。
イ)この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。
さあ、どうだろうか。「制約」の解釈しだいだろう。生産関係を無視した政治行動や法律は多いだろうが、それが問題視されるまでタイムラグが長い気がする。
ウ)生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。
ここが一番の問題だろう。古い生産関係が発展の桎梏になるのは事実だろうが、それが「社会革命」の原因になった事例があるのかどうか。私は、ほとんど無いと思う。もちろん、社会の貧困と下層階級の抑圧がソ連や中国やキューバの革命の一因ではあっただろうが、それは「古い生産関係」の問題ではなく、単に「富の配分」の問題だったと思う。
エ)生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。
まあ、このあたりは「学者的」分類でしかないと思う。詳細は知らないが、その分類にさほど意味があるとは思えない。
オ)近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。
ここでも、「敵対的」という、資本家と労働者を対立させる言葉使いがある。そして、「発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす」というのが不明瞭だが、「発展する生産力によってプロレタリアートにも生産の恩恵が行き渡るようになり、特に資本家を敵と見なさなくても生活水準に満足できるようになる」ということなら、これは非常に慧眼だが、そうすると、「資本主義が消滅し、プロレタリアート独裁社会になる」という主張とは正反対になる。これはどういうことなのか。
以上で「マルキシズム批判」を終わる。日本共産党は、「マルクス党」なのか、否か、そして「マルクス党」でないなら、「共産主義」をどのように定義しているのか、不学にして私は知らないが、私程度のレベルの人間にも分かるような「日本共産党の共産主義とは何か」の説明を望みたい。それが、日本共産党への私の期待である。
言うまでもなく、私は個々の党員に対しては非常に尊敬しているのである。共産党員であるだけで受ける無数の不利益を甘受しながら生きているというだけで、凄い精神力であり、日本に稀な理想主義だと思っているのだ。PR -
7)と8)を検討してみる。
7)マルクスは共産主義社会を分配の原則から低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る(英語版)」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた
「労働に応じて受け取る」と「必要に応じて受け取る」を麗々しく区別する意義があるとすれば、共産主義社会の低い段階では、生産力が低いので、全体の生活を維持する能力がなく、「働かざるもの食うべからず」となる、ということだろう。と言うことは、老人や児童や、場合によっては病人や障害者も労働に駆り出され、それさえできない人間は遺棄される、と解釈するしかないのではないか。もっとも、これは資本主義社会だろうが社会主義(共産主義)社会だろうが同じことであり、わざわざ言う必要があったのかどうか。まあ、「共産主義は天国だと言うわけじゃないよ」と釘を刺す意味くらいはあったのかもしれない。どうでもいい難癖をつけるなら、「能力はあるが働かない人間」は、どうなるのだろうか。資本主義社会には実に無数の収入の道があり、ヤクザや売春婦や詐欺師でも生活手段は持っているわけだが、共産主義はどうなのか。また芸術家の「仕事」は評価されるのか。どのように評価されるのか。
8)資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリアート独裁とした
「プロレタリアート独裁」という言葉が資本主義国家の上級国民だけでなく下級国民にまで共産主義嫌悪の元になっている、ということは何度も書いてきた。論評の必要は無いだろう。なぜ、わざわざ「独裁」などという、嫌悪感しか与えない言葉を使うのか。 -
4)5)6)を検討する。4)が長いが、その分、5)と6)の検討は簡単に済むだろう。
4)プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることによって、社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれる
ここがマルキシズムの最大の問題で、資本家や為政者がマルキシズムを敵視しマルキストをテロリストと同一視する所以である。そして、私もこの部分にはまったく共感できない。つまり、ここでマルクスは「資本家とプロレタリアートは不倶戴天の敵であり、共存はできない」と言っているのであり、そうであるならば、マルキシズムは永遠に人民のほんのわずかな一部の賛同しか得られないだろう。
細かく検討してみる。
ア)プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取
これは、階級が消滅することではなく、階級が入れ替わることであり、それを「プロレタリアート独裁」と5)6)で言っている。当然、現体制からは「社会の敵」と見做される。
イ)生産手段などの資本を社会全体の財産に変える
これは、「個人の所有権」が消滅することである。この「個人の所有権の否定」が生産手段だけにとどまると思う人は少ないだろう。そして、「社会全体の財産」とは言っても、誰がその生産手段を指揮管理するのか。その指揮管理権を持つ者が、その「所有者」に等しいことは自明だろう。
ウ)社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれる
これこそまさに「御伽噺」の最たるもので、シンデレラが王子様と結婚してその後幸福に暮らしました、という子供だましである。実際、「社会の発展」が進むにつれて、階級対立は激化し、一人ひとりの自由な発展は、かつての「自称共産主義」国家ソ連では弾圧され、「協同社会」は国民のほぼ全員が「やる気のない労働者」になったのではないか。
以下の5)と6)はパリ・コミューンへの「単なる感想」であるから論評するまでもないだろう。かりにそれが「ついに発見された(理想的な?)政治形態」であり、「プロレタリアート独裁の実例」ならば、それがあれほどあっけなく崩壊したことは、マルキシズムの敗北しか意味しない。
5)(マルクスは)パリ・コミューンを「本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」と称賛した
6)(エンゲルスは)パリ・コミューンをプロレタリアート独裁の実例とした -
まず、1)から3)である。
1)人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの、隠然または公然の階級闘争の歴史である
まあ、これは、そういう解釈もできるだろうし、マルクス以前にはあまり見られなかった(と思われる)思想だろうから、重要な指摘をしているとは思う。もちろん、「人類の歴史」の一面的すぎる断罪であり、断定である、と批判はできるが、「階級」というのは現在でも上級国民と下級国民の水面下の闘争、あるいは支配被支配関係として歴然と存在している。
2)近代社会はブルジョワジーとプロレタリアートにますます分裂しつつある
これも、文句なしに妥当な考えだろう。マルクス生存の時代以上に貧富の差は懸隔している。ただし、その反面、下層階級の生活も、文明の進歩で大きく向上し、その多くは「階級闘争」の必要性よりも、自分が上級国民の仲間入りしたいという「アメリカンドリーム」を持っている。(その成功率の低さは何度も言ってきたことだが。)
3)プロレタリアートは、自分の労働力を売って生活するしかない多くの人びとである
これはまったくその通りで、特に現代日本の非正規労働者はこれである。しかも、共産主義の勃興が資本家階級に懸念された二十世紀初頭から冷戦時代にかけては労働者保護や労働者福祉政策が資本主義国家でも取られたのに対し、ソ連消滅後は、下級国民は再び奴隷階級へ戻っている。労働者の「お客さま」扱い(人間扱い)の時代は終わり、労働者は機械扱いで、「労働力」としか見られていない。 -
前回のウィキペディアの記述内容から、議論の対象となりそうな部分をピックアップして番号をつけてみる。
1)人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの、隠然または公然の階級闘争の歴史である
2)近代社会はブルジョワジーとプロレタリアートにますます分裂しつつある
3)プロレタリアートは、自分の労働力を売って生活するしかない多くの人びとである
4)プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることによって、社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれる
5)(マルクスは)パリ・コミューンを「本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」と称賛した
6)(エンゲルスは)パリ・コミューンをプロレタリアート独裁の実例とした
7)マルクスは共産主義社会を分配の原則から低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る(英語版)」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた
8)資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリアート独裁とした
9)彼(マルクス)は唯物論的歴史観を次のように説明した。
生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。
この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。
生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。
生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。
近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。
9)は「唯物史観」の要約で、長いがひとまとめにしないと意味がないのでそのままにしておく。
次回から、以上の個々の箇条を検討してみる。 -
私が疑問なのは、日本共産党にとってマルクス思想(資本論その他の著述)は「不磨の大典」で、聖典なのかどうか、ということで、もしそうであるならば、共産党は「日本マルクス党」と名前を変えるべきだろう。
それとも、マルキシズムに限らず、「共産主義」全体を党の思想とするなら、種々の共産主義思想の中でどの部分を受容し、どの部分を否定するのか、それを一般国民に分かりやすく説明すべきだろう。単に「共産党」では、正体不明の政党のままで、国民の支持は得られまい。
私の感触では、上記の前者(共産党=マルクス党)であるように思える。
そこで、私自身、マルキシズムについて無知なので、この際、その考察をしてみたい。
昔なら、「『資本論』を全部読んでこい。議論はその後だ」とされただろうが、今は幸いウィキペディアというものがある。もしもその記述が誤りだと言うなら、議論はそこから再度始めればいいだろう。
ブログ容量の問題があるので、先にウィキペディアの中で、要点と思われる部分だけ転載しておく。後で、その中からさらに議論のポイントとなる部分を摘出してみる。
(以下引用)マルクス、エンゲルスの思想[編集]
共産主義[編集]
マルクスとエンゲルスは、1847年に設立された共産主義者同盟の綱領の起草を委託され、1848年に『共産党宣言』を書いた。そこでは、人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの、隠然または公然の階級闘争の歴史であるとされ、近代社会はブルジョワジーとプロレタリアートにますます分裂しつつあるとした。プロレタリアートは、自分の労働力を売って生活するしかない多くの人びとである。プロレタリアートがブルジョワジーから政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることによって、社会の発展がすすむにつれて、階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれるとした[4]。
マルクスは1864年に設立された国際労働者協会の創立宣言を書いた。1871年にフランスでパリ・コミューンが成立すると、国際労働者協会総評議会の全協会員への呼びかけとして『フランスの内乱』を書き、パリ・コミューンを「本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」と称賛した。エンゲルスは1891年に発行されたこの著作のドイツ語第三版の序文で、パリ・コミューンをプロレタリアート独裁の実例とした。
ドイツの労働者政党の綱領草案に対する批判として1875年に書かれた『ゴータ綱領批判』において、マルクスは共産主義社会を分配の原則から低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた。また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリアート独裁とした。
唯物論的歴史観(唯物史観、史的弁証法)[編集]
マルクスはヘーゲル左派として出発し、1840年代に起こったヘーゲル左派の内部論争の過程で、ヘーゲルの弁証法哲学やフォイエルバッハの唯物論を受け継ぎつつ、ヘーゲルの観念論やフォイエルバッハの不徹底さを批判し、唯物論的歴史観(唯物史観)を形成した。これは、法律や国家、文化などの基礎にあるのは経済(生産と流通)だとする見方であり、以後彼は経済学の研究に集中することになった。1859年発行の『経済学批判』の序文において、彼は唯物論的歴史観を次のように説明した。
- 生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。
- この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。
- 生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。
- 生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。
- 近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。[5]
以上が唯物史観の要約である。