あまり年齢のばれるようなことは書きたくないが、私が若かった頃は、時代の先導者とでも言うべき人が多かった。三島由紀夫、澁澤龍彦(澁も澤も旧漢字で面倒くさい!)、五木寛之、野坂昭如、筒井康隆といった面々は、マスコミの寵児であるとともに、若い人々への知的啓蒙者の役割を果たしていたのである。彼らの文章を通して、我々は様々な知的世界へと導かれていったわけだ。
今、そういう存在は誰かいるだろうか。
現在の人気作家は、ミステリー小説の書き手がほとんどである。そして彼らの作品は驚異的な取材と資料を咀嚼して書かれているものが多い。だが、その中には一人の三島由紀夫も澁澤龍彦もいない。つまり、無知な若者を知の世界に導く存在はいないのである。
その結果がどうなるか。それは今後の世界を見るしかないが、おそらくは、前にも書いた表層的な知と情報だけですべてが判断される世界になる可能性が高いのではないかと思う。真の知は、自分の能力を超える世界に出会って、それと格闘し、自分の中に取り込むことでしか得られないものだと思うが、現代の若者の出会う知にそういうものがあるとは思われないのである。言い換えれば、インターネットで得るのは情報のみであり、情報検索の作業は、本を読み、自分の頭でその内容について考えるのとはまったく別の作業であるということだ。もちろん、世間に溢れる本の90%がクズであるというのとは、話が別である。
今、そういう存在は誰かいるだろうか。
現在の人気作家は、ミステリー小説の書き手がほとんどである。そして彼らの作品は驚異的な取材と資料を咀嚼して書かれているものが多い。だが、その中には一人の三島由紀夫も澁澤龍彦もいない。つまり、無知な若者を知の世界に導く存在はいないのである。
その結果がどうなるか。それは今後の世界を見るしかないが、おそらくは、前にも書いた表層的な知と情報だけですべてが判断される世界になる可能性が高いのではないかと思う。真の知は、自分の能力を超える世界に出会って、それと格闘し、自分の中に取り込むことでしか得られないものだと思うが、現代の若者の出会う知にそういうものがあるとは思われないのである。言い換えれば、インターネットで得るのは情報のみであり、情報検索の作業は、本を読み、自分の頭でその内容について考えるのとはまったく別の作業であるということだ。もちろん、世間に溢れる本の90%がクズであるというのとは、話が別である。
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