"メモ日記トゥディ"カテゴリーの記事一覧
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「ガラガラポン」という政治家用語がある。良くは知らないが、「これまでのものをすべてご破算にして、作り直す」みたいな意味だろう。
現在の日本の不透明な政治状況を見ると、このガラガラポンが一番いいのではないかという気がする。つまり、せっかく日本国民がこれまでの自公政治にノーを突きつけて政権交替させたのに、肝心の民主党がふらふらしているという状態なのである。その理由も明白であり、民主党という政党がその内部に隠れ自民党の人間を大量に抱え込んでいるからである。日本国民が自民党政治にノーを突きつけた以上、民主党内の「自民党的存在」には発言を許すべきではないし、本当なら民主党から出て行ってもらうべきである。だが、民主党首脳部は国会議員の数が欲しいから、彼らを出したくないし、「民主党内自民党」の連中も政権与党にいるという立場を失いたくない。だから、民主党はゴタゴタしているのである。
この状態が続くと、国民はやがて民主党にも愛想を尽かすだろう。
まあ、その受け皿が国民新党や社民党、あるいは共産党ならまだいいが、これまた隠れ自民党にすぎない新党グループに票が流れでもしたら、せっかく端緒についた政治改革が水の泡である。
この際、「民主党内自民党」連中は、全部追い出して、新しい国会議員候補を立てて次の選挙を戦うのが民主党としてはベストの選択であり、国民としても安心して「民主党候補者」に投票できるのだが、おそらくそれはやらないだろう。それができたなら、私は本気で民主党を応援するのだが。PR -
前回の真夜女王の御言葉はいかがだっただろうか。
「いいかげん目覚めなさい」
これは阿久津真夜(生徒たちからは「悪魔や!」と言われたりする)がよく言う言葉である。つまり、
「あなたたち子供は、社会の現実について何も知らない。社会は悪意と欺瞞に満ちた世界なのだ。その社会に無垢のまま出て行って傷つくのはあなたたちなのだ。だから、いいかげん目覚めなさい」
ということである。
テレビドラマ『女王の教室』は、テレビ放映時には知らなかったが、DVD化されたものをレンタルで見て、その素晴らしさに感心した作品だ。
善意と情熱で行動すれば、すべてが解決するみたいな、偽善的教師ドラマが蔓延する中で、(それを現実の自分自身の立身出世の手段として利用した小狡い男が、例の「ヤンキー先生」だ。)この『女王の教室』の主人公は、真に生徒のために行動し、身も心もぼろぼろになっていく。その主人公の名前を「悪魔や」と読めるようにしたところにも、作り手の冷厳な現実認識がある。偽善と欺瞞と無知に満ちた社会の中で真実に生きようとするものは、逆に周囲から「悪魔」と見なされるということである。
「いいかげん目覚めなさい」
この言葉は、子供たちよりも、むしろ多くの大人たちに向かって言われるべきだろう。 -
日本のネット界にはなぜ右翼的人間が多いのか、という疑問を持った人間は多いだろう。あまりにそうした発言が多く見られるので、それこそが日本国民の中心的意見ではないかという錯覚を抱きそうになるが、言うまでもなくそれは錯覚なのである。
常識に属することを改めて書くのも気が引けるが、騙されやすい人間、人を疑わない純真な人間のために説明すると、ネット上の総発言数は、(発言者数×発言回数)であり、発言者数は少なくても、その少数の人間が何回も発言すれば総発言数は多くなる。つまり、1000人が1回ずつ発言すれば千回の発言数だが、100人が100回発言すれば1万回になるのだ。個人数であれば10分の1の人数だのに、総発言数は10倍になる。しかも、自動投稿というシステムもあるというから、「工作員」をある程度雇えば、インターネット上の「大多数」は簡単に形成できることになる。
したがって、インターネット上の発言は、その発言内容で判断するべきであり、同種の発言が多いかどうかは、「民意」の判断材料としては、あてにならないと言える。
まあ、私自身、若い頃は日教組とか共産主義者が嫌いで、日本国憲法は現実に合わない空虚な理念だと思っていた男であるから、ネット右翼の若者たちが右翼的発言を本気で書いている場合もあるだろうとは思う。しかし、沖縄に住む人間として、日本の対米従属の歪を常に押し付けられている現実から、やはり右翼的思想は誤りだと考えるようになった。もちろん、その「右翼思想」が「対米従属思想」である場合の話だが。
日本古来の文化を守り、その美点を伸ばしていこうという意味ならば、私も右翼思想の持ち主である。
そもそも、ネット右翼の若者たちは日本の将来にどのようなビジョンを抱いているのか。まさか、今さら「天皇中心の神の国」にしたいわけではあるまい。それに、対米従属路線を続けるならば、アメリカに対する天皇の地位はどういうことになるのか。まさか天皇を米大統領や米企業・国際資本の下僕にする気はあるまい。そのあたりをはっきりさせてもらいたいものである。日本をアメリカの属州・奴隷国家にしようと画策する人間が本物の愛国者であるとは私には思えない。
日本古来の文化がグローバリズムによって破壊されている現状を見れば、真の右翼ならば、反米思想・反グローバリズムを主張するのが当然だろう。
ついでながら、私は欧米の文化も大好きであるし、欧米の一般庶民も好きだ。しかし、欧米資本による獰猛な経済的侵略が世界を破壊している現状への批判から、グローバリズムそのものを批判しているのである。 -
スポーツという英語の訳語に「運動」という日本語が当てられるのは、間違いではないだろうか。体を動かすのはスポーツの大前提ではあるが、ではラジオ体操はスポーツかと言われれば、首をひねるだろう。(今時、ラジオ体操などをやる人間がいるかどうかも疑問だが)
スポーツとは、何よりも他人との身体能力の優劣を競うことを前提とした運動であり、そこが何事であれ他人と争うことの嫌いな私がスポーツが嫌いな理由である。もちろん、これには私の身体能力が低いことも大きな原因になっている。身体能力の低い子供にとっては、学校の体育の授業は地獄のようなものだ。そもそも、それが本当に「体を育てる」ことが目的なら、なぜ子供たちに競わせる必要があるのか。運動場で好き勝手に歩いたり走ったりさせておけばいいではないか。もちろん、年を取った今では学校体育など関係はないが、今現在、体育を無理にやらされている運動音痴の子供たちには同情に耐えない。
スポーツとは「競技」であって、運動そのものではない。
私がスポーツが嫌いなのは、その勝利至上主義や陰での不道徳な行為の蔓延にも理由がある。特に嫌いなのがサッカーで、そこでは審判に見つからないようにインチキをすることが、戦術の一つとして公然の秘密になっているからだ。相手のシャツを引っ張ったり、無防備な相手に危険なタックルをして大怪我をさせたりという汚いプレーが賞賛されたりするような卑劣なゲームのどこにスポーツマンシップがあるというのか。(フローラン・ダバディー「黄金時代」アシェット婦人画報社P53~P54、P191~P192参照)
もちろん、日本での学校サッカーは、そこまでひどくはない。だからこそ、日本のサッカーは弱いのである。国際化とは、モラルのレベルを国際水準に「引き下げる」ことでもあるのである。 -
私・徽宗皇帝は1970年代に青春を送った人間なのだが、愛好する歌は、戦時中や終戦直後の歌が多い。もちろん、60年代70年代の歌にも好きなものはある。80年代以降は、まったく歌には興味を無くしていて、70年代までで歌の知識はストップしている。また、曲名は知っていても、誰が歌った歌かはわからないものも多い。以下に挙げる私の愛好する歌のリストにしても、そのナンバーワンの「みんな夢の中」は浜口蔵之助の作詞作曲ということは知っているが、歌手が誰かは知らないのである。
そういう音楽知らずの徽宗皇帝が選ぶ、昭和歌謡曲の名曲はこれだ!
1位 みんな夢の中
2位 木綿のハンカチーフ
3位 真夏の出来事
4位 夜来香
5位 何日君再来
6位 楚州夜曲
7位 ルージュの伝言
8位 春一番
9位 君は総天然色
10位 なごり雪
11位 ヨイトマケの唄
12位 翼の折れたエンジェル
13位 或る雨の午後
14位 夢でもし逢えたら
15位 鵙が枯れ木で鳴いている
ほとんど女性歌手の歌ばかりである。中に灰田勝彦と大滝詠一(字はこうだったか?)が入っているくらいで。
灰田勝彦やディック・ミネは、私の親父くらいの年齢の頃の人気歌手だが、今聞いても新鮮な歌を歌っており、彼らの歌は、ぜひリバイバルしてほしいものである。
11位の「ヨイトマケの唄」は、差別語が入っているという理由で、多くの人はほとんど聞く機会が無い歌である。丸山明宏、今の美輪明宏の名曲だ。
15位の「鵙が枯れ木で鳴いている」は、誰が歌っても感動する歌である。伴奏無しのア・カペラで歌ってもいい。
最初は、15位には杏里の「悲しみが止まらない」を入れていたが、こういう「カラオケ名曲」は誰でも知っているから、差し替えた。
大高静流(という字だったか?)のように奇特な歌手が、もう一度こうした曲をカバーしてくれたら、ケチンボの私でも、CDを買う気になるのだが。 -
昨日の夢。小説の材料。
猫町遊夢という男がいて、黒服に黒い帽子、一見、ボヘミアンか犯罪者。
ある少女に、その男が接触してくる。少女は水商売の姉ともども、たいへん不幸な生活をしていたので、男の誘いを売春の勧誘でもかまわないと思って、男に会う。
猫町遊夢の家は、船の船室のようである。男は少女に、その家庭状況をいろいろ聞く。少女は話の途中で眠くなり、眠り込む。少女が目覚めると、男の姿は無く、手紙がある。
その手紙には、この家を少女とその姉に譲ること、家賃や電気代などは不要なこと、食事の材料などは、ある所から定期的に届けられることなどが書いてある。
遊夢は、その後彼女たちの前には現れない。
まあ、そういう童話的な話だが、冒頭の感じから「ロリータ」的な話を予測して読む読者が多いだろうが、実はこれは生活に苦しむ人間に「猫的生活」による救いの暗示を与えているのである。つまり「猫の恩返し」であるが、「恩返し」という人間的要素を排してある。要するに、住む家と食べる物があれば、生きていくことはできるのであり、人間の不幸の大半は、それ以上を望むところから来る、ということである。猫的な生き方も悪いものじゃない、という話だ。
猫町遊夢という名前は、なかなかいいので、そのうち書いてみるつもりだ。友人に「へしみ」というペシミスト、ブラック・ジャックに対するドクター・キリコのような人物を配することも考えている。「へしみ」は能面の悪鬼の面「へしみ(べしみ)」でもある。「へし」はやまいだれに「悪」の字だが、私のパソコンはIMEパッドが使えないので、ひらがな表記しかできない。 -
常用漢字改訂の最終案が今朝の朝刊に掲載されていた。
ほとんどの人は興味も持たないニュースだろうが、私は興味がある。私の趣味は分析と解釈だが、物事が些細であっても、案外と大きな背景を持った事象というものがあり、常用漢字などもその一つだと思うからである。
以前の改定では、我々が「常用しない」漢字であるにも関わらず、法律用語と皇室用語が幾つか採用されたのが面白かったが、今回も法律用語関連の漢字が多い。それと、病院・介護関係の漢字が多い。
それからわかるのは、今後、病院関係にビジネスと法律(役所)が大きく関係してくるということだ。その下準備としての常用漢字改訂なのである。
まず、法律関係では「淫」「毀」「錮」「勾」「狙」「骸」「痕」「挫」「遡」「踪」「捉」「填」「賭」「蔽」「拉」「賂」などがある。これらは法律関係には限らないが、少なくとも犯罪関係の語彙であり、常用漢字の改訂は、「お役所の仕事のために」改訂されるのが基本だと見ていい。ついでながら、これらの字がなぜ必要かと言うと、次の熟語のためである。
「淫行」「毀損」「禁錮」「勾留」「狙撃」「死骸」「痕跡」「挫傷」「遡及」「失踪」「補填」「賭博」「隠蔽」「拉致」「賄賂」など。
次に、病院・介護関係では、「萎」「咽」「鬱」「潰」「蓋」「顎」「臼」「嗅」「股」「梗」「塞」「喉」「腫」「瘍」「拭」「尻」「腎」「醒」「脊」「椎」「腺」「膳」「箸」「痩」「唾」「貼」「爪」「瞳」「剥」「斑」「匂」「捻」「眉」「膝」「肘」「訃」「哺」「貌」「頬」「勃」「枕」「呂」「脇」など、圧倒的な多さである。これらが病院・介護関係の法律整備や報告書のために追加されたのは一目瞭然だろう。
これらの字の中には単独で用いる「膳」「箸」「枕」などがあり、それらは日常語でもあるが、それ以外の字は明らかに病院関係だ。「萎縮」「咽喉」「鬱病」「潰瘍」「口蓋」「臼歯」「嗅覚」「心筋梗塞」「腫瘍」「清拭」「腎臓」「覚醒」「脊椎」「前立腺」「瞳孔」「剥離」「斑点(紫斑)」「捻転」「容貌(顔貌)」「勃起」「風呂」などの熟語が考えられる。「清拭」や「風呂」は病人や老人の看護には付き物の作業である。
これが表すのは、今後、病院のビジネス化がいっそう進んでいくということである。大手企業が病院ビジネスに参入する、その下準備としての常用漢字改訂なのだろう。役人はその内意を受けて、改訂作業をしたわけだ。べつに、国民生活の便宜のための改訂などではない。
それはまあ、「餅」だの「鍋」だのという漢字は常用漢字として妥当な選択かもしれないが、そうした漢字はあまりに少ない。ほとんどが病院関係であるというのは、明らかに異常な選択ではないだろうか。
たかが常用漢字でも、その背後にあるものはなかなか大きい。 -
ロシア語の翻訳・通訳者として著名な米原万里が死んだのは2006年の5月25日で、死因は癌だったとされている。私も、そうだと思っていて、ずいぶん若死にだな、と思っていた。
しかし、その最後の著作かと思われる『他諺の空似』をたまたま読んで、ああ、これは殺されたのだと思った。
もしも、書店にまだあるならば、あるいは公立図書館で借りることができるならば、ぜひ読んでみてほしい。彼女の勇気ある発言が、***の逆鱗に触れ、彼女は殺されたのだと、だいたいの人は感じるはずだ。
「病院での死亡」が病気によるものだなどと、私は信じない。病院ほど、容易に殺人のできるところはない、と私は思っている。そして、死因が何かなどということも、容易に捏造されるものである。 -
ヤフーブログの方の「徽宗皇帝のブログ」は語学関係の記事を中心に書いているのだが、そちらの方にも案外と来訪者がいる。それだけ語学に興味のある人間がいる、ということなのだろうし、また、良い語学テキストは案外と少ないということだろう。
ほとんどの語学テキストは、語学の達人や専門家の書いたもので、学校教科書と似た性質がある。それは、「正確だが、まったく面白くないし、初心者が疑問を持つところにまったく答えていない」ということだ。
あちらのブログにも書いたのだが、物事を習い始めた頃というのは、実は貴重な体験をしているのである。それは、「初心者が何に疑問を持ち、何につまづくのかが、自分で体験できる」ということだ。それはつまり、何かを習い始めた人間こそが、良い教師になれるということだ。学校や塾であっても、教師の講義よりも、仲間や同級生に聞くほうが、理解しやすいものである。それは、教える側に「初心者の疑問」が、まだ生々しく残っているからである。
私は誇大妄想的人間だから、新しい分野を学ぶ時は、まず「自分でその分野のテキストを作ってやろう」という気持ちで学ぶ。そうすれば、学ぶこと自体が面白いし、意気も高くなる。これは学習のポイントの一つであり、「誰かに教える気持ちで学ぶ」ことによって、自分自身の理解が正確になるのである。
私自身は、中国語はほとんどできないが、ヤフーブログの「中国語クエスト」が役に立つことは多分確かだと思う。要するに、現役時代は三流のプレイヤーだった選手でも、名コーチにはなれるのである。私は、頭で物事を把握する人間であり、学んだことを体に刻み込む「猛練習」はできない。しかし、それのできる人間こそが名選手になるのである。 -
有名人のブログで厳禁なのが、「宗教」「政治」「プロ野球」の話題なのだそうである。有名人のブログが面白くない理由もそこにある。「宗教」「政治」「プロ野球」ほど面白い話題は無い、と私は思っているからだ。私自身がよく見に行くブログも、その系統のものである。あとは「漫画」「映画」「小説」関係のブログが多いだろうか。漫画家自身のブログもよく見るが、更新頻度が低いのが多いのが、有名人ブログの欠点だ。本業が忙しくて、ブログどころではない、ということだろう。
芸能人のブログには、まったく興味はないし、政治家のブログにも興味はない。彼らのブログには、どうせ表に出してもいいような、どうでもいい話しか載っていないはずだ。彼らが隠している情報をブログに書けば、それこそ、大変な騒ぎになるだろう。
少し前にあった、芸能人の覚醒剤騒ぎにしても、その背後にいるはずの暴力団のことは、マスコミにはほとんど出てこなかった。表に出る情報というのは、そんなものである。そもそも、アメリカなどでは、麻薬がCIAの大きな資金源であるというのは、よく知られた事実である。アメリカが本気で麻薬を取り締まらないのは、そういう事情があるからだ。アメリカのアフガニスタン侵略の理由の一つはアフガニスタンが麻薬の一大産地で、その利権を握るためだという。パナマのノリエガ将軍も、CIAのために、せっせとアメリカに麻薬を輸出していた人間だ。アメリカの都合が悪くなると、さっさと逮捕されてしまったが。
そうした裏情報は、マスコミには絶対に出ないが、書籍の中には、載ることもある。「アメリカの国家犯罪全書」という本は、別に発禁にはなっていないから、興味のある人は、アマゾンや中古書籍オークションで手に入れて読むとよい。実は、公立図書館で読める場合もある。
こうした本には事実しか書いていないのだが、その事実を知るだけでも、この世界が、学校で習った世界とはいかに違った世界であるかがわかる。特に、若い人々は、世界についての新しいパースペクティヴを持つことが、「騙されない生き方」をするために必要だと思う。
昔、子供向けの小説の中に、次のようなことを書いたことがある。
「この世には、はっきり言って、騙す人と騙される人がいます。あなたたちは、騙す人にも騙される人にもならないでください。」
騙される人間も、実はそれだけで、この世界を悪化させるのに加担しているのである。
