"メモ日記トゥディ"カテゴリーの記事一覧
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与謝野馨や平沼らが立ち上げた新党「立ち上がれ日本」は、日本をダウンさせたのが自民党や公明党であることを考えれば、盗人猛々しいとしか言いようがないが、現在の日本が不況にあえいでいるのは間違いない。そして、その気絶寸前の日本を殺すのにもっともいい方法が、消費税アップだろう。
消費税が10%に上がれば、それは国民生活を直撃し、消費は今よりダウンして現在の不況が大不況になるのは目に見えている。にもかかわらず、「立ち上がれ日本」が消費税増を公約(?)として打ち出したのは、キチガイ沙汰だが、これは、彼らの背後にいるのが経団連であることを意味している。新党の声明と前後して、経団連の提言として「消費税10%」という発言が新聞に載っているのである。
いったい、彼らは、日本国民をこれ以上窮乏させてどうしようというのか。国民に金が無ければ、消費は減退し、ひいては企業売上げの減少につながるのは当然の理屈である。
実は、これには裏がある。実は、経団連の主要人物の多くは輸出企業関連の人物なのである。そして、これはあまり知られていない事実だが、税法上、輸出企業は消費税によって利益を得ているのだ。このあたりは、インターネットで調べればすぐに分かる。つまり、輸出企業は、消費税増によって利益を得るから、消費税増を主張しているのである。何と、分かりやすい連中だろう。彼らは、「国民から金を奪って、俺たちに寄越せ」と主張しているわけだ。はっきり言って、乞食である。いや、これほど品性の下劣な人間たちは、乞食にもそうはいない。金の亡者であり、日本国民の敵である。昔風に言えば、まさしく「非国民」と言うべきだろう。
こうした連中は、いったい国民がこういう事実を知って、彼らの会社に対して不買運動でも起こしたら、どうするつもりだろう。
「いや、俺たちはマスコミを握っているから大丈夫さ」
さあ、どうだろうか。
とりあえず、私たちは、経団連が消費税10%を提言しているという事実を、よく覚えておこう。PR -
漫画や小説の映画化には、「映画センス」が必要だと思う。「映画センス」とは、その原作を映画にした時、どのようになるかという想像力だ。漫画や小説の名作は、そのジャンルとしての特性を100%発揮したからこそ名作なのであり、映画化してもそれ以上の作品にはならない。むしろ、それよりはるかに下回る作品になるということが分かっているのが映画センスの持ち主なのである。
たとえば、黒澤明の『椿三十郎』の原作は山本周五郎の『日々平安』だが、黒澤は原作の詐欺師的で貧弱な貧乏侍を、ひねくれ者だが知勇にすぐれた剣豪に変えている。これは「見る側の生理」を熟知した改変である。つまり、我々は映画の主人公に自分を同化させて見るのが常である。ならば、その主人公はカッコいい方がいいにきまっているのである。部分的にはカッコ悪くても、実は本質的にはカッコいいというのが映画主人公の原則だ。それが無くて、なんでわざわざ我々が映画館まで足を運ぶものか。
『明日に向かって撃て』のポール・ニューマンも、喧嘩は弱いし拳銃は下手、ほら吹きで、愛する女は他人に取られているという男である。でも、カッコいいのである。なぜなら、ポール・ニューマンが演じているからだし、その主人公が本質的にはカッコいいことが見る人には分かるように描かれているからである。一言で言えば、「性格がカッコいい」のだ。
ここまで、やたらと「カッコいい」を連発してきたが、もしかしたらこれは死語になっているかもしれないので注をつけると、もちろんこれは「恰好がいい」ということだ。
『座頭市』が、ある時代小説作家の随筆中のわずか一行の言葉をヒントに作られたというのは、有名な話である。
映画の作り手に必要なのは、そういう映画センスであり、人気漫画だから映画化しよう、とか、評判の漫画だから映画化しようというセンスでは、ヒットする作品は絶対にできないとここで断言しておこう。 -
今朝の夢の中で、啓示を受けた、というか、思いついたことだが、この世界から最終的には戦争を無くす簡単な方法があった。もちろん、すぐに戦争が無くなるわけではなく、時間はかかるのだが、100年後には全世界から戦争が無くなる可能性もある。
それは、あらゆる国の憲法に「良心的兵役拒否」の条項を入れるという運動を起こすことだ。これは不可能な話ではなく、アメリカの法律では、かつてはそれが可能だったはずだ。あるいは、現在でも可能なのかもしれないが、それが機能していないなら、それを機能させる手段を講じればよい。
生活の手段として兵役に就く貧困層の存在は、堤未果の「貧困大国アメリカ」に詳しい。それへの対策は別に考えよう。だが、そうでない層の中からも「良心的兵役拒否」をする人間が増加してくれば、国家は戦争遂行が困難になってくる。
では、相手国だけが有利になって、自分の国が征服されるではないか、と小林よしのりあたりが言いそうだが、「喧嘩をするには二人の人間が必要」なのであり、戦争とは、両国に戦争をさせようという支配層の意図で起こるものである。一方的な侵略と無抵抗による征服の事例が、歴史上あっただろうか。いや、あるにはあるが、それはピサロやコルテスによる中南米征服という西欧民族による他民族への侵略と征服の歴史である。
未開文明に対する「文明国」の侵略は、生活水準はさておき、知識水準が全世界的に上がった現在では生じにくいと見てよいだろう。存在するのは「文明対未開」ではなく、「軍事大国対軍事弱小国」の問題だ。そこで、「軍事大国」の中で、良心的兵役拒否の運動を起こすことで「戦争エンジン」をだんだんと弱体化させていくのが、この提言の意図なのである。
もちろん、兵役拒否者には、兵役以外の形で国家への奉仕を義務づけるということはあっても良いだろう。だが、自分は断固として人を殺したくない、という人間に殺人を命令するということがあってよいものだろうか。戦争ではそれが当然だという我々の「常識」ははたして絶対的なものだろうか。
いや、それ以前に、国家という存在は、はたして、個人の上に立つ存在なのか。国家という抽象概念が、なぜ私に命令できるのか。国家と呼ばれているものの命令は、ただ一部の人間の意志ではないのか。
こうした疑問を考えるなら、「国家主義」と全体主義とはほとんど同一であり、真の民主主義とは個人の尊重のことだと分かる。「人の生命は地球よりも重い」などと馬鹿なことは言わないが、私はあえて言う。「人の生命は国家よりも重い」と。 -
日本がアメリカの属国であることは、日米安保条約が締結された時点から明白なことであり、日本の政治方針が「年次改革要望書」その他の形でアメリカから指示されているのは公然たる事実であるにも関わらず、マスコミにそのような意見や考えが載ることはほとんど無い。マスコミとは政府の広報機関であると私が言う所以である。
その政府自体が、民間の一部の人間の意志で動かされている、という考えは「陰謀論」と呼ばれ、一笑に付されるというのが常である。もちろん、これもマスコミによって作られてきた気風である。
私の知人なども、そうしたマスコミと教育による洗脳で頭がこちこちに固まっている人間が多いから、私はふだんの会話で彼らにこのブログに書いているような話はしない。我々の日常の会話とはそういうものだ。相手のレベルに合わせて話しているわけだ。
ブログでは、不特定多数の人間に向けて本音の話をしていて、その中には、こうした話の通じる人間がいるからこそ、少数ではあっても継続的に読んでくれる人間も出てくるわけである。
それはおそらく他の人のブログでもそうだろう。そういう意味で、ブログを読むということ、他人のホームページを読むということは、高度な自己教育である。実際、私自身、インターネット情報に触れるようになってから、知識のレベルが格段に上がったと思っている。ところが、先に書いたような「教育とマスコミに洗脳された人々」の目から見れば、おそらく私は「陰謀論で頭がおかしくなったのだ」となるだろう。
さて、次回は、「陰謀論」の大本である「シオン長老の議定書」について書くことにする。これは偽書であるという意見もあるが、明らかに現在の世界がこの思想によってコントロールされているのは、それを読めば明らかであるから、まだこの書を読んだことのない人のために一部を抜粋し、解説を加えてみるわけだ。
次回に、乞う、ご期待。
追記:今、上の文章を読み返したところ、「明らかに現在の世界がこの思想によってコントロールされているのは、それを読めば明らかであるから」などと、「明らか」が重言になっている。他人の文章を否定する際に、このような文章のミスを取り上げて「こういうレベルの頭の人間の発言なのだから、見るまでもない」などとやるのがそういう連中の常套手段の一つだが、どういう反応があるか面白いから、わざとこのままにしておこう。文章のミスなど、いちいち気にしていてはいられない。 -
少し前のアメリカマスコミでのタイガー・ウッズ叩きは異常だったが、「政治の世界に偶然は無い」のであり、マスコミとは政府の広報機関なのだから、これは米政府、および米政府を操る者の意思であったのだろう。
これは、「阿修羅」への投稿意見の一つだが、ターガー・ウッズ叩きは、近い内にアメリカがデフォルト(支払い不能宣言)し、国家破産する布石だという。つまり、彼らがオバマを大統領にしたのはアメリカの国家破産の時の大統領を黒人にしておくことで、白人への免罪符を手に入れるためだったという読みだ。そして、タイガー・ウッズ叩きは、「だから黒人は駄目なのだ」という国民への刷り込みであり、オバマ大統領も同じく「だから黒人は駄目なのだ」という結果になるというわけだ。
まあ、オバマが大統領になった過程は非常に怪しげなものだったし、私もオバマは最初から信じていなかったが、民族差別を国民操作に利用するこのやり方は、ユダヤ人迫害を利用して国際金融家が自分たちへの攻撃をうまく逃れたそのやり方にそっくりである。
戦後60年以上もたちながら、毎年のようにハリウッドでユダヤ人迫害批判の映画が作られることを疑問にも思わない人間がほとんどだから、彼らはいつまでも安泰なのである。もちろん、国際金融家は、ユダヤ人迫害で被害など受けていないというのが私の考えだ。
そして、米大統領は国際金融家の代理人にすぎない、というのは、それほど妄想的な考えだとは思わないのである。 -
では、私・徽宗皇帝が登極したとして、どのように組閣するか。
前から書いているように、現在の政治家の中で亀井静香、鈴木宗男の二人を私は結構買っているのだが、鳩山由紀夫も、そう悪くはない。何しろ、私財を擲って、日本の政治を変えようとして、それに成功したのだから、世間の人間は彼を過小評価しすぎである。民主党では、もちろん小沢、菅も優れた人材だ。
しかし、現在の政治の世界にいる人間の中からだけ選ぶのではあまり面白くないので、インターネットの世界の隠れた逸材も入閣してもらおう。本名は知らないので、ハンドルネームで書く。ついでに、役職名も、今の内閣の役職名は面倒なので、昔風にする。
総理大臣 白石隆 (「奇兵隊」で調べよ)
副大臣 亀井静香
大蔵大臣 あっしら氏 (「阿修羅」で調べよ)
外務大臣 鈴木宗男
文部大臣 マスターヴィジョン氏
自治大臣 菅直人
法務大臣 福島瑞穂
官房大臣 バルセロナから愛をこめて氏(阿修羅で調べよ)
厚生大臣 きっこ氏
通産大臣 広瀬隆
総理大臣に選んだ白石隆氏は、「奇兵隊」というホームページに寄稿していた人物だが、その識見の高さは、現在の日本の中でもトップクラスだと思う。別に徽宗皇帝の知人ではないから、仲間ぼめなどではない。
小沢一郎は政治家としての能力は高いが、案外と演技力が無いから、民主党の党務に専念するのが適役だろう。鳩山由紀夫も民主党党首の仕事だけでよい。べつに与党党首が総理大臣も兼務する必要はない。
まあ、これは単なるお遊びだが、世間には埋もれた人材がたくさんいると思う。女優やタレント、もとスポーツ選手や新興宗教信者などが代議士になり、閣僚になるというような流れは、もうお仕舞にしてほしいものである。 -
実は、私、徽宗皇帝は沖縄の人間なのだが、頭が宇宙的なので普段は沖縄のことを考えることはない。だから、このブログでも沖縄のことを話題にしたことはない。そのうち、気が向いたら、沖縄の話もしよう。
私は生活能力が欠如した人間なので、社会の下層部にいて、収入も生活保護すれすれなのだが、世界全体の幸福が一番の願いなので、多分、サラリーマンなどをやるよりは、世界連邦の大統領になるのが一番の適職ではないかと思う。いや、大統領という演技能力の必要な俗な職務よりは、やはり皇帝となって、俗務は宰相に任せ、自分は趣味に生きるのが、一番向いているのではないだろうか。私が皇帝の家系に生まれなかったのは、つくづく残念である。
もっとも、日本の皇室などに生まれたら、一挙手一投足がマスコミに報道され、動物園の檻の中で人々に眺められながら生きるようなものだろうが。
本物の徽宗皇帝は、書家としても画家としても超一流の人間だったが、皇帝としては無能だったとされている。しかし、彼が絵を書き、書を書く余裕が持てたのは、少なくとも皇帝の家系に生まれたからである。現代の人間は皇帝家に生まれなくても、こうしてインターネットでブログを書くくらいの余裕はあるわけだ。 -
ヤフーブログの方には、さきほどやっとアクセスでき、投稿したところである。インターネットのセキュリティという奴は、不便なことこの上ない。それが無いと不心得者がインターネットを悪用するから、こうしたセキュリティ管理が必要になるのだろうが、一部の人間の悪行のために、全体が迷惑を蒙るわけだ。
「自分だけならいいだろう」
という些細な悪事が積み重なるとどうなるか。「水になったワイン」という話がある。
ある小さな村で長年教師をやり、人々に尊敬されていた先生が定年退職することになり、村人たちは相談して、引退記念として、酒好きなその先生にワインを一樽贈ることにした。村人たちが全員、瓶一本のワインを持ち寄り、それを樽に詰めて先生に贈るのである。ところが、贈呈式が終わり、にこにこ顔で樽を開けた先生は、奇妙な顔になった。樽の中はまったくの水だったのである。
お分かりのとおり、村人たちは、いざ、ワインを樽に入れるという時に、自分のワインが惜しくなり、「自分だけなら分からないだろう」と思って、水を瓶に入れて、それを樽に入れたのである。
そして、そうしたのが実は村人全員だったために、樽の中は完全な水に変わったのである。
この村人たちは全員が善人であり、退職する先生を尊敬していた。にもかかわらず、「自分だけならいいだろう」という些細な誘惑が、この先生へのプレゼントを台無しにし、がっかりさせる結果になったわけである。 -
亡くなった父が或る時、次の英文を訳してみろ、と言った。
You might or more head today's some fish.
訳すにも何にも、英語にもなっていないではないか。どう見ても文法的におかしい。
私が悩んでいると、親父が笑って「正解」を教えてくれた。
「ゆうまいと思へど今日の寒さかな」
要するに、昔の人の作った英語洒落である。「or more head」が「思へど」だったり、「some fish」が「寒さかな」だったり、こんなのが中学生や高校生に分かるわけがない。そもそも、元になった俳句だか川柳だかを知らないと、この洒落は通用しないだろう。
まあ、昔のユーモアの一例である。
ついでながら、「some fish」を「as fish」にすると、「暑さかな」になるそうだが、これも随分無理のある洒落だ。
という、亡父についての思い出話だ。 -
もう一つの「徽宗皇帝のブログ」に、上海からのお客さんがコメントを寄せてくれてびっくりした。インターネットの世界はグローバルだ、というのは嘘ではないようだ。その人のブログを訪問してみると、上海は万博を迎えて大きく変貌しつつあるようだ。
文字しか無い私のブログと違って、写真が沢山入ったブログである。Shellyさんという、多分中国人の方だと思う。コメントは日本語で書かれていたが、ブログ内容からそう推察した。
私は、アジアの人間が仲良くすることが、これからのアジアの発展にとって一番大事なことだと思っているから、こうしたつながりは、とても嬉しい。ひねくれ者の徽宗皇帝だが、実は偽り無しに世界全体の幸福が一番の願いであるのだ。
