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徽宗皇帝のブログ

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今の若者はマルキシズムに共感している?
「現代ビジネス」のアクセスランキングトップの記事の一部である。アクセスランキングの上位にこのような記事が来るということは、いかに多くの人々が現在の資本主義の在り方に疑問を抱いているかということだろう。
記事全体が良い記事(ただし、私はマルクスの「資本主義批判」は素晴らしいと思うが、「マルキシズム」が理想社会とする「共産主義」は実現不可能な御伽噺だと思っている。社会主義までが人類の到達可能地点だ、というのが私の考えだ。)だが、容量の関係で一部のみ転載。

*毎度言うが、社会主義とは「個人の欲望追求に制限をかけ、社会全体の幸福とある程度の平等性を求める思想」であり、共産主義とは「平等性の完全実現のために私有財産も否定する思想」である。そして資本主義とは「経済的自由主義」のことであり、「国家や政府による制限(法的規制)をすべて排除し、個人の欲望追求の無制限な自由を求める思想」である。つまり「経済的アナーキズム」のことだ。ちなみに、資本主義が一定の節度を持っていたのはソ連解体までであり、それまでは社会主義への対抗のために資本主義国家も社会主義的な労働者(下級国民)保護政策を採用していたのである。

(以下引用)


教員も驚いた…今の大学生が「マルクスに共感」するようになっている

彼らはこの思想家に何を見ているのか
田上 孝一 プロフィール

ワーキング・プアというのは法定のフルタイムで働いてもなお、余りの低賃金のため、家庭を持って子供を育むことができないような労働者である。これはマルクスの時代では考えられないことだった。


マルクスの時代では労働者家庭の子供は次世代の労働力予備軍として、絶えざる供給が前提される存在だった。「貧乏人の子沢山」が当時の労働者家庭の一般像であり、資本が求める労働者家族のあり方でもあった。


しかしこれは裏を返せば、貧乏であっても子供が沢山持てるということである。最低限の暮らししかできなくても、なお多数の子供を養えるのが、在りし日の労働者だったわけである。


ところがワーキングプアはもはや子供自体がどうあっても持てないほど貧しいのである。自分一人が最低限の生活をするのに精一杯な人々なのである。これは資本にとっても容易ならざる事態である。何しろ次世代の労働力が再生産されなければ、資本主義以前に社会そのものが成り立たなくなってしまうからである。

〔PHOTO〕iStock

「疎外」が学生の心に響く

このような行き詰まり状況の中にあってこそ、通常は当然の前提とされる資本主義的な経済秩序それ自体の存続に疑義を投げかけるマルクスのラディカリズムが、素直な学生の心に響くという面が強いのではないか。


哲学は物事の根本を考える学問だし、ヘーゲルも強調するように、既存の常識を疑い、常識に囚われることなく真実を追究すべき学問でもある。とは言いながら、現行の大学カリキュラムで、こうした哲学本来の理念をストレートに遂行している科目というのは少ないのではないかと思う。


これに対してマルクスの哲学はその本質上、現行の常識を真っ向から問い質さずにはおかない。その焦点となり、学生に解説したときの反応も大きいのが、マルクス哲学の中心にある「疎外された労働」の問題である。


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