"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
-
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
-
世間で起こっている事件については、あわてて判断しないほうがよい。物事には裏というものがあり、その裏事情を知ると、これまでの判断はすべて無意味になる。世界支配層は、膨大な「表情報」を流すことで、判断をせっつき、自分たちに都合の良い結果を手に入れれば、後は知らぬ顔で、アカンベーをしているのである。その一例として、ギリシア経済危機の裏情報を「阿修羅」から転載する。
(以下引用)
★阿修羅♪ > 雑談専用38 > 644.html
次へ 前へ
ギリシャ、債務増大の中で潜水艦購入
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/644.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 7 月 19 日 00:08:21: xbuVR8gI6Txyk
http://jp.wsj.com/World/node_81380
【アテネ】ギリシャは財政破たん回避のために支出を削減しているが、一つの分野では削減していない。それは国防部門だ。
その金融危機が世界の金融システムを混乱させた地中海の債務国ギリシャは、ドイツからの2隻の潜水艦購入に10億ユーロ(1122億円)以上を支払うことになって いる。同国はまた、フリゲート艦6隻、救難用ヘリコプター15機をフランスから購入して多額の支払いをする方針だ。同国はここ数年では、米国からF16戦闘機2ダース以上を15億ユーロ以上の費用で購入している。
武器の多くは、ギリシャ救済で最大の負担を受け入れ、身の丈にあった生活をしろとうるさく批判しているドイツから来ている。メルケル・ドイツ首相は、債務削減の「宿題」をするよう叱りつけている。
こうした取引はドイツやその他の債権国がギリシャの浪費でいかに利益を得ているか、またそのツケがどのように回ってきているかを示している。
1100万人の人口しかないギリシャは欧州で最大の武器輸入国で、世界では中国、インド、アラブ首長国連邦(UAE)、韓国に次いで5番目の輸入国だ。対 GDP(国内総生産)比率で見た国防費は欧州連合(EU)でトップであり、軍事支出はギリシャの債務の膨張の一因となっている。
破たん寸前だった今年3月に発表されたドイツからの潜水艦購入は特に、ギリシャの軍事予算と供給に当たる外国企業にスポットライトを当てることとなった。この契約は10年前にドイツ企業との間で始まった複雑な取引を通じて計6隻の潜水艦を購入するというもの。
ギリシャの隣国で主要なライバルであるトルコのバギス欧州問題担当相はこの取引が発表された直後に、「ギリシャの困窮時に救済しようとしている国々も新し い武器を売りつけようとしている」とし、「ギリシャは新しい戦車もミサイルも潜水艦も戦闘機もいらない。トルコも必要としていない」と述べた。
トルコのエルドアン首相が5月にアテネを訪れた際、ギリシャのパンガロス副首相は、「不要な武器の購入を強いられた」と思うと述べるとともに、この契約は「国家的恥辱」だと感じていると語った。
他の欧州の当局者らは、独仏は金融支援参加の条件として武器売買をまとめたと批判している。両国はこれを否定。メルケル首相の広報担当者は、潜水艦取引はギリシャの債務危機が起こるずっと以前に調印された古い契約に基づくものだと説明した。
ギリシャの経済犯罪取り締まり当局は5月、過去10年間のすべての武器取引―合計約160億ユーロ―について、過度の支払いがなかったか、あるいは不要な購入がなかったかの調査を始めた。
ドイツの検察当局は、潜水艦取引で数百万ユーロの賄賂がギリシャ当局者に支払われたかどうか捜査している。5月には、問題の潜水艦の建造に関係した企業、フェロシュタール社の社長が捜査のさなかに辞任した。
ギリシャ海軍のステリオス・フェネコス中将が4月末に辞任した。フェネコス氏は、潜水艦購入など同国国防相の決定は「政治的動機」に基づくものだとし、これに抗議して辞任したと説明する。
同氏はリポーターとの最初のインタビューで、「給与や年金を減らしているときに潜水艦購入をどう説明すればいいのか」と述べた。ギリシャ政府は危機への対応の一環として、大方の年金を5%減らし、公的部門の賃金をこれ以上の率で削減することを打ち出したのだ。同氏は、ギリシャ海軍には潜水艦を追加購入する余裕などないとしている。海軍には現在8隻の潜水艦がある。
記者: Christopher RhoadsPR -
「阿修羅」で現在、拍手の数がもっとも多い記事で、その内容もなるほど、拍手物だが、この記事についたコメントの数々が面白い。まだざっとしか見ていないが、日本人の政治意識もずいぶん高くなってきたな、という感じだ。それらの中にIMFなどへの言及があるが、そうした「国際機関」が国際金融家の利益擁護のための「私的」機関であるという事実も多くの人の知るところとなってきたようだ。Yプロトコルで言う「人々は名称のみ、言われた表面的なことのみを信じ、その行為や実態を検証することはない」という皮肉な言葉も、だんだんと通用しなくなってきたようだ。
この記事へのコメントも面白いものが多いのだが、あまりに多いので、今回は元記事のみの引用をする。特に、その冒頭の一文、「法律や制度には趣旨というものが根幹にある。」というのは、我々のしばしば忘れがちなことで、このことを意識することで物事の判断が確実になるはずである。私も心したい。
(以下引用)
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK90 > 704.html
次へ 前へ
ついに出た検察審査会は違憲の意見
http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/704.html
投稿者 怒りの一票 日時 2010 年 7 月 16 日 22:34:25: zmL1QbNF3kK9o
法律や制度には趣旨というものが根幹にある。検察審査会は本来、被害者の救済目的が趣旨であろう。法文では被害者以外の者(検察庁への告発者)にも審査請求の権利が認められてはいるが、あくまでも被害者救済であることを認識すべきであろう。
そして、制度として、明白な犯罪の事実あるいは事故の事実が存在する、ということを前提にしているものと思われる。それゆえに検察の純法的な判断あるいは怠惰、無作為に対して匿名の検察審査会が、行政機関としての検察に対してオーバーコールをする道を設けたのであろう。また被疑者側の弁明を聞く必要もない前提になっているのであろう。
ところが、陸山会事件では犯罪の事実が存在するのかどうか怪しい上に、告発者は一体どんな被害を蒙った、あるいは認識したのであろうか?この告発を受けた曲がりなりにも捜査機関たる検察の下した結論に対して、告発者はさらに検察審査会に審査を要求したことは、制度の趣旨に合致したものであろうか?権利の乱用とのそしりを受けても、その反論・主張は国民には見えてこない。
その請求告発を受け、審査会は「犯罪事実の認定」までやりだした。いわく「小沢氏が知らないはずはない」などである。もはや法的技術の問題ではなく、制度によって認められた「国民感情・市民としての意見」が万能になってしまった世界がある。
このような制度の異様な実態が見えてきても、法体系との矛盾に異を唱える論調、あるいは法律専門家はあまり見かけない。憲法違反との告発すら可能ではなかろうか。
下記のようなBlogが出てきたことを歓迎する。
東京第一検察審査会 小沢氏不起訴不当議決。その背後にある闇にもっと目を凝らせ。検察審査会という制度自体にある欠陥をもっと恐れよ。(瓶詰伝言)
http://binzumedengon.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-d433.html
(一部抜粋)
起訴相当の議決が拘束力を持ったのは、もっぱら小沢氏の政治生命暗殺のためであるという陰謀論も、この検察審査会の制度欠陥、それを所与の前提としているマスコミを見ていると、あながち間違いではないと思えてくる。それほど酷い。
今日の朝日の社説を見てみると良い。市民の感覚を騙る検察という権力の恐怖に対する批判など微塵もない。治安維持法下、特高警察と隣組の「善良な市民」が同衾してどれほどの悲劇が生まれたかという、歴史への眼差しの片鱗さえない。
-
さて、次には病院経営者のために「人手を増やしても病院経営が成り立つ方法」を考えねばならないのだが、正直言って、私は書きながら考えているので、まだ思いつかない。そんないい加減な考察には我慢がならんという人もおありだろうが、物事の「正解」は考えた時間や考える姿勢とは無関係である。私は医療関係者ではないから「岡目八目」という利点もある。
では、人手を増やしても経営が成り立つようにするにはどうするか。① 保険による支払い以外に「成功報酬」を取る。各病気ごとに治癒可能性と治癒にかかる平均日数の表を厚生労働省で作成し、その範囲内で治ればプラスアルファの報酬を貰うわけだ。 ② 風邪やインフルエンザ程度の軽病はすべて看護師が処理する。慢性病の患者への処方など、ほとんどは「前回に同じ」であるはずだから、医者がわざわざ看る必要はない。③ ②を実施することで単位時間あたりの「処理件数」が増える。そして、給料の高い医者の仕事の一部を給料の安い看護師にシフトすることで結果的に全体としての労働単価を下げることができる。④ 医療保険制度における「技術料」の単価を上げるように厚生労働省に要求し、それによって医者の給料を高水準に保ち、医者の職場定着率を上げる。⑤ 終末期患者に対する特別サービスなど医療保険外の収入の道を作る。
など、今思いつくのはこの程度だが、要するに厚生労働省や政府がその気になれば医療の現状など簡単に改善できるはずである。 -
さて、医療における過重労働と人手不足を改善するには三つの大方針がある。「無駄な労働を減らすこと」と、「医療を、報酬と仕事内容の面で魅力のある職場とすること」、それに「医療に従事する資格を軽減すること」である。
このうち第三の条件は厚生労働省がそう決めれば明日からでも簡単に実現できることである。しかも、それによって第一の条件と第二の条件もクリアできるのである。(第二の条件は第一の条件が成立すればほぼ自動的に成立する。第一の条件は第三の条件が成立すれば自動的に成立する。)
大学の医学部や保健学部で大量の医学知識を学ばなくても、病院内での実地研修程度でできる仕事は多いはずだ。つまり、そのへんの主婦が常識でできる程度の仕事まで看護婦がやっている部分があるはずなのだ。医者の仕事にしてもそうであり、パソコンへのカルテ打ち込みや業務報告書作成や会議準備や会議の時間などを削減すれば、医者の仕事はずいぶん楽になるだろう。医者のためには、私は「医療秘書」という仕事を提案したい。雑務を医療秘書にすべて任せることで、医者は純粋な医療の仕事に専念できるわけだ。そうした医療秘書という働き口が増えれば、これも日本の労働状況にはプラスである。もちろん、それで経営者の出費は増えるわけだから、そうした出費が増えても病院経営が成り立つように考えておく必要がある。 -
医療産業が人手不足になるのは、どこの人手不足産業とも同じ理由であり、仕事の過重さと報酬が比例していないというだけのことである。
別の見方をすれば、医療という仕事自体が「金儲けのできない仕事」でもあるということだ。これは老人介護産業と同じことであり、老人介護や医療での金儲けはヒューマニズムに反する行為となってしまうという意識が多くの人の心の中にあるのだ。
高額報酬が許容されるのは、それにかかる費用自体が高額な場合、つまり難病治療の場合だけだとたいていの人は思っているから、病院側も最先端の医療機器を揃えて難病治療に力を入れる。その実態は、実はただの金儲けにすぎないのだが、患者側も難病の治療には黙って金を出す(場合によっては寄付金に頼りもする)から、病院側にとってはうまみのある商売になる。金が高額になればなるほどどんぶり勘定になるのは、多くの公共工事とおなじだ。
前にも書いたように、老人に対する医療の大半は無意味であるし、難病の治療も、かかる費用に対する治癒可能性があまりに低すぎる。つまり、対費用効果が馬鹿馬鹿しいほどに悪いのだが、誰でも死ぬのはいやだから、「イワシの頭も信心から」式に医療にすがりつく。病院にとっては彼らは最高のお客さんである。逆に言えば、通常の医療では金儲けができないというシステム自体が異常なのだが、誰もそれは言わないようだ。 -
今後の日本の最大の問題は労働問題である、というのが前々から私が言っていることだが、それは労働力シフトで解決できるはずだ、というのが私の基本的な考えである。つまり、ある種の産業は極端な人手不足に悩んでいるのに、その一方では働こうにも働き口が無い人間が無数にいるわけだ。その原因も明瞭で、人手不足に悩む産業が「貧困産業」だからである。これまで述べた「福祉・教育」、それに、今回述べる「医療」とその次に述べる予定の「第一次産業」がそれだ。
これらは生活に密着し、生活を支える重要産業でありながら、経済的には恵まれないという不思議な状況にある。この状況をいかに改善するかに、国民全員の知恵を集めねばならないのだが、残念なことに政治家も官僚も評論家もこのことに言及しない。つまり、彼らは「金になるところには興味を持つが、金にならないことには興味がない」という連中なのである。だから、自動車産業や電機産業のためには「エコ減税」などといって庶民とはほとんど無関係の優遇措置を取るが、貧困産業の改善のためには何一つやらないのである。
さて、医療は最先端の技術が使われる一方で、その現場は看護師による肉体労働中心の労働力集約型の産業である。であるから、常に多くの人手を必要としている。だが、医師不足・看護師不足が医療崩壊とも言われる現状を招いているのは周知のとおりである。なぜそういう状態になるのか、次の記載分で考えてみたい。 -
「阿修羅」記事より転載。ビジネスマン的に見た管総理分析。主な内容は、管総理はどのようにして官僚に洗脳(調教)されたか、という分析と、参議院選挙の敗戦の弁における「謝罪の仕方」のミスについての分析。特に後者は、社会人として知るべき「謝罪」マニュアルとして面白い。ビジネスマンというものには、なかなか鋭い分析力を持っている人がいるようだ。それも道理であり、政治家や評論家は口先だけで世の中を渡っているのに対し、ビジネスマンは一挙手一投足が、あるいは言ったことややったことの結果が即座に他者による批判と評価を受けるのだから。
*今、読み直して、「菅総理」をずっと「管総理」と書いていたことに気付いた。目が悪いので、草冠と竹冠の区別がつかなかったというより、「あの程度の人間の名前などどうでもいい」という無意識のなせる業だろう。であるから、以前の記述分の訂正はしないことにする。まあ、中身がからっぽだという点では「草」よりは「竹」のほうが似合ってはいるし。
(以下引用)
★阿修羅♪ > 経世済民69 > 202.html
次へ 前へ
高いプライドに能力が釣り合っていない上司の調教の仕方の見本 ビジネスパーソンの反面教師としての菅直人氏
http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/202.html
投稿者 クールヘッド、コールドハート 日時 2010 年 7 月 14 日 12:36:42: KEZEGJWQ/MaE2
DOAMOND online
山崎元のマルチスコープ
【第138回】 2010年7月14日
ビジネスパーソンの反面教師としての菅直人氏
http://diamond.jp/articles/-/8745
以前から注目の人だった、菅直人氏
昨年の民主党政権成立以来、本欄では、菅直人氏に何度も注目してきた。理由は3つある。
1つには、新政権の本来だったらキーマンになるべき国家戦略担当大臣のポストを彼が担っていたことだ。
もう1つには、民主党政権の経済政策を見る上で、その後に財務大臣、さらには首相にもなった菅氏の発言が興味深かったことが挙げられる。財務大臣に就任早々為替相場に言及したり、民間人からも提案されたデフレ対策に対して分かっているのかいないのか、外からは不明な興味深い態度を取っていた時期もコラム的には取り上げ甲斐があったし、首相就任後の「増税しても、成長する」という経済理論も独特で面白かった。もっとも、この独特の「菅理論」(「小野理論」と呼ぶ人もいる)は、今回、参院選で民主党が大敗を喫した事で注目度が下がるに違いない。
そして3番目に、何と言っても、官僚組織に取り込まれて、以前の自民党政権と区別が付かない状況に陥ってしまった民主党政権を最も端的に象徴する「変節の人」として、菅直人氏が分かりやすかったことが大きい。
特に消費税に関連する洗脳のされ加減は凄まじかった。財務大臣就任後を見るとしても、消費税増税は逆立ちしても鼻血も出ないくらい財政支出のムダを削減してからだという勇ましさから、消費税の議論は前倒しでいい、に早々に態度が変わり、ついには、政権運営と自らの政治生命を掛けた一大勝負であったはずの今回の参院選を「自民党案を参考に」しつつ、民主党内の議論を省略してまで消費税率の引き上げを争点にして戦ったのだから、財務省の官僚さん達も上手く行きすぎて驚いたのではないだろうか。
かつて民主党の総選挙時のマニフェストを評価した有権者から見ると菅氏は変節したということになるが、菅氏ご自身は、おそらく早晩行き詰まるであろう鳩山首相に取って代わるポジションに2着付けしながら、大名マークで上手く立ち回っていると思っていたのではないだろうか。
申し訳ないが、筆者は、菅直人氏の人物を語るに際してどうしても低評価に傾くのは、新政権発足直後の重要なときに、鳩山首相を助けるというよりは、彼の失敗を待っていたように見えたからだ。こういう人物に好感を抱く人は少ないのではないか。
上手く世渡りできていると思うときにこそ、他人から見た、反感が高まり、評価が低下することは、ビジネスの世界でもよくある話だ。
「消費税10%」を掲げたのは民主党だけでなく自民党も一緒だったが、菅氏をトップに押し立てた民主党の側は、前回マニフェストとの乖離の問題が整理されていない分だけ不利だった。
掲げた約束の内容は同じでも、国民は民主党の側に「嘘つき」を感じたのであり、この点は、選挙期間中に菅氏を批判した小沢一郎前幹事長の側に100%の正論があった。
従って、菅氏が「自民党と合わせると、消費税率の引き上げは民意の賛成を得ている」と信じ込むと(官僚は、隙あらばそう思い込ませようとするだろうが)、確実に失敗するだろう。菅氏は特に新聞を通じてそう思い込まされないように気をつけるべきだ。
菅氏に、敢えてアドバイスするなら、消費税率の問題を白紙撤回して、財政支出のムダ削減とデフレ対策を先行させると宣言して出直すべきだろう。
菅氏の洗脳はいかにして可能だったのか?
菅氏のような大物政治家であり形の上では組織のトップでもある人物のものの考え方を短期間に根源から変えることが、どのように可能だったのかは、それ自体が興味深い問題だ。
できれば詳細を知りたいところだが、筆者は、菅氏が仕事をする上で官僚に頼った際に、レクチャーを受けながらインプットを受けたと想像する。
特に、ネット界隈ではYouTubeに動画がアップされていて頻繁に言及される有名な事態だが、自民党の林芳正衆議院議員による「乗数効果」に関する質問に答えられずに恥をかいたことは、プライドが高いといわれる菅氏には堪えただろう。また、英語が不得意といわれる菅氏がG7などの国際会合に出た際に官僚に大きく依存しつつ、洗脳を受け入れる精神的な態度が出来たのではないかと想像する。
連日の国会答弁に国際会議と続く大臣のスケジュールは、芸能人でいうと殆ど準備無しにぶっつけでクイズバラエティー番組に出続けているようなものだから、「付き人」や「スタッフ」さらには「台本」に対する依存が大きくならざるを得ない。加えて、消費税率引き上げに関しては前向きな話をする度に新聞の社説などでも褒めらるので、菅氏は消費税問題について、すっかりその気になってしまったのではないだろうか。
林議員の質問も、大新聞の社説も、全てを財務官僚がお膳立てした「仕込み」だとまでは言うまいが、国会の質問について官僚はある程度事前に知っているはずだし、財務省の官僚と林議員が情報交換して菅氏の経済知識に関して「感触」を共有していた可能性もある。もちろん、大新聞の特に社説レベルの書き手は、官僚からの情報提供とレクチャーで多くの記事を書いてきたのだから、財政再建に前向きな大臣を上手に褒めてみせるくらいのサービスは頼まなくても自然に出来る範囲だろう。
筆者の想像に近い事態だったとすると、主に財務省のだと思うが、官僚は、アメとムチのパターン化された使い方を菅氏に適用しただけだ。「洗脳」などと大げさに言うよりは、「調教」とでも言っておく方が現実に近いかも知れない。
こうしたテクニックは、ビジネスパーソンが「社長」や「上司」を操る際にも使える。基本型は、上司が恥をかくかも知れない恐怖と共に上司自身の能力を思い知らせつつ、ぎりぎりで体面を保てるように救ってやりながら、好都合な知識をインプットし、折に触れて上司が褒められて自信を持つようにして、この知識の刷り込みを強化する、というパターンだ。上手く行くと、知識の刷り込みと共に、上司からの依存も手に入る。
菅氏のように、高いプライドに能力が釣り合っていない上司には特に効果的だ。
敗戦の弁も失敗だった
開票結果が明らかになるのと共に、メディアは首相であると同時に民主党代表である菅氏の反応を見たがったが、菅氏はこれになかなか応えなかった。
選挙の敗北を受けた与党党首のスピーチと質疑応答は、何よりも国民にメッセージを伝える重要な機会だし、組織のトップが組織のダメージコントロールに関わることが出来る有力な機会でもある。大きな失点が生じるかも知れない怖い時間でもあるが、この時間は、メディアと国民を引きつけて自分のメッセージを伝えることができるのだから、大きなチャンスでもある。ゲームでいうと、勝負所での「手番」なのだ。
午後11時30分から会見を開く予定が1時間以上遅れて、菅首相の記者会見は、翌日の0時半過ぎから行われた。この間、選挙を報じるテレビ番組の側では時間が読めない中でイライラしながら、民主党劣勢の選挙状況を繰り返し伝えるのと同時に、局によっては、菅氏の対応への批判をたっぷり付け加える展開となった。
待たされることで国民・視聴者の側もイライラを募らせるし、「これだけ待たせたのだから、納得の行く説明を聞かせてくれ」とばかりに、敗戦の弁に対する評価のハードルを上げることになった筈だ。この余計な1時間のイメージ的損失は、大企業なら何十億円、何百億円といった単位で評価されるような「ネガティブ広告」であったのではないか。
民主党には、あるいは、少なくとも菅さんの周囲には、メディア対策の専門家がいないのだろう。そうだとすれば、現代の政党としては、余りにお粗末だ。
ちなみに、筆者は、この1時間の間、菅氏は床屋を呼んで頭でも丸めているのかと想像したり、あるいは、菅氏が首相辞任の弁を述べるつもりなのか(即ち、政変か?!)と想像したり、かなりの妄想が頭の中を駆け巡った。
会見に臨んだ菅氏の態度と声は落ち着いたものだった。これは良いとしよう。たぶん、あの1時間は、菅氏が会見に向けて自信を回復する時間だったのだろう。
しかし、菅氏の会見は2つの点で失敗だったと思う。
1つは、敗戦の理由として述べた消費税問題の説明が不適当だったことだ。菅氏は、提示の仕方が「唐突」だったことと、「もっと丁寧に説明すべきだった」ということを反省点としてあげたが、これでは、自分が正しくて、国民の側の理解が不足だった、と言っているように聞こえる。
筆者の解釈では、国民は、官僚に迎合的で財政支出の削減を殆ど行わず、また「4年間は消費税率を上げない」と明記した前回総選挙のマニフェストの文言との関係をきっちり説明せずに「(消費税の引き上げには)早くても2,3年掛かる」(=2年なら、公約違反ではないか!)などと述べた菅首相の、「手順の拙さ」と「不誠実」に怒っているのであって、細かな説明をじっくり聞きたいと思っているわけではない。もちろん、経済政策として今増税を語り予約しようとすることがいいかという視点からの異議を持つ経済通や企業人もいるだろうが、経済政策論以前に、怒りの感情があることを見落としてはいけない。
「手順」と「態度」に怒っているものを、言外に国民側の理解不足とでも言いたげな説明不足に話をすり替えられるのでは、菅氏の小さなプライドは傷つかずに済んだかも知れないが、国民は納得しない。
謝罪のコツは「サプライズ」
敗戦会見に臨む菅氏の立場は、企業人に喩えると、製品にトラブルがあって消費者からクレームを受けたような状況だ。この際に重要なのは、顧客(菅氏にとっては「国民」)が怒るのはもっともだ、大変申し訳ないことであったと、相手のことを慮った態度が明確になるように振る舞うことと、「不誠実」や「嘘」といった致命的な理由ではない納得的な理由に顧客の理解をリードすることだ。
菅氏の立場であれば、政権奪取後の民主党政権の仕事ぶりを相当強く批判しても大丈夫だった筈だし(菅氏は大半の期間、副総理ではあったが、最高責任者ではなかった)、もっと悔しそうに自分の失敗を悔いて「バカだった」「浅はかだった」等々の自己批判を繰り出して、大いに頭を下げるべきではなかったか。
謝罪の要諦は、相手の期待値を上回る大きさで敗北を認めることだ。相手の期待値が膨らむ時間を与えずに早く対処することと、致命的でない場所で「意外な」反省や潔さを示すのがコツだ。「説明不足はお詫びしますが、私は間違っていません」という顔をする人物は、顧客から見て可愛くない。自分が痛くないところばかりを詫びても、顧客の心には響かない。顧客から見て痛そうなところで「負けて」見せなければならない。
菅氏は、おそらく選挙の敗北の弁を、企業の謝罪会見のようなものだとは捉えていないのだろう。しかし、有権者の投票行動でのNOは、製品の不買(運動)と同じだから、解決策は似たものになるはずなのだ。
ついでに言えば、あの会見で「猛省」を見せて、消費税問題をいったん白紙に戻して、民主党は総選挙マニフェストの原点に帰る、と宣言すれば、これを切っ掛けに政策の軌道修正が出来ただろうし、政局だけでなく政策にメディアと世間の注意を惹きつけることが出来たはずだ。消費税率の問題を白紙撤回して、財政支出のムダ削減とデフレ対策を先行させると宣言して出直すのだ。
世間の注意を政策に引き取らなければ、世間の注意はいつまでも「責任論はどうなっているのだ」というサディスティックな興味に留まり続けるだろう。こうなると、サッカーのワールドカップが終わったことさえも菅氏に不利に働く。
考えようによっては、今回の参院選敗北は、菅氏にとって、これまでの路線を変更し、豹変するチャンスでもある。「官僚を上手く利用して、首相になった。だが、これからは官僚の言いなりにはならない」とでも自分に言い聞かせて豹変するなら、菅氏のプライドも満足できるのではないか。
しかし、もともとの問題が、政策遂行における能力不足なのだから、「政治勘」だけ的確に発揮せよというのは、今の菅氏に対して無理な注文というべきだろう。 -
管総理、枝野幹事長の人間性を批判した平野貞夫の論説に対するコメントより。(「阿修羅」記事)
ディベートに熟達することが逆に人間性を劣化させるという実例が菅・枝野の両人だろう。下記の引用の「ディベートの問題点」は、なかなか秀逸な文章である。ついでながら、西欧人種、あるいはアングロサクソン民族はまさしくディベート型人間の典型であると私は思っている。
(以下引用)
平野さんの分析は核心を突いているのではないか。
この2人の人間的なスケールの小ささを印象づけた形だが、
恐らくディベートとディスカスの使い分けが出来ないのでしょう。
参考までに<ディベートの問題点>
【倫理的問題点】
(1)
議論の目的が命題の検証ではなく,議論に勝つことである。たとえ,自分の意見が間違っていて相手が正しいと思えた場合でも,相手からの指摘が的をいていたとしても,それに納得して 自分の意見や立場を変えることが認めらない。
(2)
討論の基本である自己修正の態度をすべて退けられる。
(3)
自分の間違いが発覚しても平気で嘘を突き通すことを強要される。
(4)
どんなに相手の意見が核心を突いていても反論し続けなければならないので,論点をそらしたり揚げ足取りの話術に終始しがちになる 。
【教育的問題点】
(5)
肯定側と否定側が,互いの価値観の折り合いをつけられる部分を模索する余地がない。双方が歩み寄れる譲歩点を見出だすような行動様式が身につかない。
(6)
とにかく自分の意見が,相手の意見より正しい(強い)と認めさせるために,非難,攻撃をいとわない行動様式を身につけてしまう。
(7)
自分たちに不利な情報は矮小化し,有利な情報は誇張して宣伝するような行動様式を身につけてしまう。
(8)
物事には肯定か否定かのどちらかの立場しかないかのような考え方を身につけてしまう。
(9)
どんなテーマでも,弁舌のうまさ一つで肯定することも否定することも自由にできてしまうかのような考え方を身につけてしまう。
(10)
本人の意志を尊重せずに肯定側や否定側を強制的に演じさせることは人格の軽視であり,あれかこれかを選ばせる「思想の商品化」につながるという指摘もあります。憲法の否定する「苦役」だという人もいます。どうして自分の主張でないことを言わなければいけないのでしょう。 -
現在の日本を概念として捉えるのに「植民地」「属国」などの表現があるが、もう一つ「奴隷国家」という名称を提起したい。これは丸山真男の言う「現実の一次元的把握」から脱出するための一つの手段だ。
つまり、〈我々は二重三重の意味で奴隷である〉、という「もう一つの現実」を直視することによって、その状態から抜け出すことを意識的に模索するようになるだろうということである。
我々はいかなる意味で奴隷か。
① 日本がアメリカの奴隷であるという意味で奴隷である。
② 我々はマスコミと公教育によって頭脳が支配されているという意味で奴隷である。あるいは、奴隷であるという境遇に満足している点で精神的に奴隷である。
③ 世界の一般大衆は経済的に国際金融家の奴隷である。
④ 一般国民は官僚によって支配されているという意味で奴隷である。
⑤ 多くの会社員は生活のために会社に奴隷的奉仕を義務づけられているという意味で企業の奴隷である。(ただし、すべての会社がそうだというのではない。)
もちろん、奴隷であることはある意味では楽であるから、現状の変革を望まない人々を批判はできない。だが、まずは自分が奴隷であるという現実を直視することからすべては始まるのである。 -
大昔にも「民主党」という政党があって、社会党右派が社会党から分離して作った政党だったという記憶があるが、その政策は「自民党よりも右」と言われたりしていた。
現在の民主党も、その創立時から、自民党出身政治家が多く、「自民党別動隊」にすぎないのではないかと私・徽宗皇帝は思っていたのだが、国民新党や社民党との連立を組んだあたりから、民主党を評価するようになってきた。それは、今思えば「鳩山・小沢体制」への評価だったわけだ。したがって、鳩山総理を私は今でも高く評価している。しかし、米国政府がノーと言えば、それに逆らえる政治家は、(亀井静香を除いて)今の日本にはいない。鳩山や小沢も、CIAによる暗殺の可能性を考えれば、あれ以上の戦いは不可能だったのだろう。
つまるところ、問題は表の政治ではなく、闇の世界支配層との戦いなのである。それはもちろん、マスコミと官僚を操る勢力といかにして戦えるのかという問題だ。無力な庶民が戦う手段は、ただ、「敵の真の姿」を、日々の言論活動を通じて世界全体に認知させていくことしかないだろう。そのための手段として、現在はインターネットというものがある。
確かに今回の参議院選の結果を見れば、インターネット利用者の一般的意見はマスコミによるB層洗脳の前に敗れたことになる。だが、戦いはこれからだと考えよう。支配層による理不尽なプロパガンダは、それ自体に言論としての非合理性という弱点があるのだから。
