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この前から、「毒蛇山荘日記」の過去ログを読んでいるが、山崎行太郎という人は、保守系とは言いながら、他の保守系言論人に対しても厳しい批判の目を向けており、その発言の明晰さと論理の緻密さには素晴らしいものがある。もちろん、そのすべての発言に賛同するわけではないが、こうした「すべてに対して是々非々の態度で臨む」ことこそが、言論人のあるべき姿だろうと思う。
以下に引用するのは、少し前の過去ログだが、亀井静香という人間を正当に評価し、そして経団連その他の金の亡者たちを正当に批判した文章として、紹介する。
近づく参院選では、国民新党の議席数が倍増することと、そして現在の民主党内の「隠れ自民党」が総落選することを私は願っている。まあ、国民新党だけでなく、社民党や共産党も伸びてほしいのだが。
共産党を嫌う人は多いが、自民党政治に対してもっとも抵抗してきたのがあの政党であることは間違いないだろう。共産主義そのものが破綻した現在、共産党は「庶民党」とでも「貧民党」とでも名称を変えて出直せば、案外、我々貧民大衆の支持を得られるのではないか。
(以下、引用)
亀井発言を断固支持する!!!
国民新党から連立政権に参加した亀井静香金融・郵政担当大臣の過激な発言が相次ぎ、その度に、マスコミ等から集中砲火を浴びうているようだが、僕は本質的に亀井発言に対して、まったく違和感を持っていない。むしろ断固、支持したい。中小企業の借金や住宅ローン等の返済を、三年間猶予するというモラトトリアム法案が、大銀行よりの発言を繰り返す「金融専門家」と称する経済ジャーナリストから、「亀井大臣は金融がまつたくわかっていない」とか「亀井発言で銀行株が下落した」「国家権力は私企業の取引を圧迫すべきではない」等というような批判を浴びて、話題になっていたわけだが、一昨日あたりから、こうした批判に加えて、さらに「家族間殺人の増加は大企業に原因がある」という亀井発言に向かって、批判が浴びせられているようだ。亀井発言をめぐっては、一部に国民新党という弱小政党の存在感誇示のためのパフォーマンスだという、うがった見方をするマスコミ関係者も少なくないが、こういう見方が、銀行の「貸し渋り」や「貸しはがし」と、その結果としての中小企業倒産という国民経済の現場の実態を知らないが故の暴論であることは間違いない。そもそも亀井氏の、度重なる過激発言の真意は、小泉改革にともなう新自由主義的、市場原理主義的な経済政策への批判と、小泉改革に便乗して金儲けに狂奔した経団連幹部等、大企業経営者たちへの批判にあることを忘れてもらっては困る。亀井発言は筋がとおっているのだ。御手洗(キャノン)経団連会長よ、昨年、派遣社員の切捨てを、意気揚々と最初に開始したのは、どこの会社だったか、忘れたのか。「金融専門家」とか「経済専門家」と称する似非経済ジャーナリストどもよ、今でも「小泉・竹中構造改革」を支持しているのか。そう断言する勇気があるのか。それにしても、「家族間殺人の増大は大企業に原因がある」という亀井発言の何処が、間違っているのだろうか。「殺人や自殺は自己責任」だとでも言いたいのか。御手洗経団連会長や経済同友会の幹部らが、亀井発言を批判しているようだが、これこそ、まさしく、盗人猛々しい批判と言うべきである。小泉改革以来の自殺者、殺人事件の急増が、小泉改革を支持し支援し続けた経団連や経済同友会などに象徴される大企業による、国民生活を無視した横暴な「経営」によってもたらされたことは、自明ではないか。それもわかっていなかったとすれば、経営者失格であって、そういう経営者は、即刻、経団連や経済同友会の財界活動だけでなく、経営の現場からも退場すべきだある。
「家族間殺人は大企業に責任」発言取り消さない 亀井金融相
10月6日13時48分配信 産経新聞
亀井静香郵政改革・金融相は6日午前の閣議後の会見で、「家族間の殺人が増えている責任は大企業にある」とした5日の講演での自らの発言について、「取り消す気は全然ない。市場原理、市場主義が始まって以来、身近なところで不満や利害の衝突が起き、殺人という形につながった面が多い。そういう社会風潮を作ったという意味で、大企業に責任があると言った」と説明した。
最終更新:10月6日14時50分PR -
「母の日」にちなんで、先祖や子孫について考えよう。
沖縄では、初夏の頃に清明祭(シーミー)というものがあって、先祖の墓参りをするが、先祖とは言っても、知っているのは自分の両親やその両親くらいまでなのが普通だろう。
しかし、実は、すべての先祖は我々の体の中にいるのである。それこそ、ネアンデルタール人の頃から、いや、人類が人類になる以前の原生動物の頃からのすべての先祖の遺伝子を我々は自分の体内に持っている。
そう考えると、自分という存在は、なかなか大変な存在であり、それを自分の一存で無駄に処分してはマズイだろうな、という気になるのではないか。いや、もちろん、私は自殺肯定論者だから、自分がそう思えば自分の体を勝手に処理してもいいのだが、その前に、自分の体内にあるすべての祖先を、自分と共に滅ぼすのだ、という重みを少し考えてはどうか、ということだ。
ついでに言えば、独身の人間ならば、それと同時に、自分から生じる未来の子孫たちの可能性もすべて滅ぼすわけである。
「利己的遺伝子」という考えが私は大嫌いなのだが、その理由は、まず遺伝子の擬人化がナンセンスであることだ。遺伝子そのものには意志など無いのだから、それが「利己的」で、人間の体を乗り物として次から次へと乗り換えていく、という捉え方がくだらないと思う。また、そう見ることで、「自然は人間のモラルを超えた存在で、人間界のモラルなど小さいものだ、そして物事をそう見ることができる自分はその自然をも超えた存在なのだ」とアピールする科学者の自我肥大が気に入らない。竹内某など、自分の創見でもないこのドーキンスの考えを振り回して、ひところやたらに擬似科学本を出していたが、最近はすっかり鳴かず飛ばずで、幸いだ。
我々は利己的遺伝子の「乗り物」などではない。あらゆる先祖の集合体なのである。もしかしたら、先祖のすべての記憶さえ、我々の中には眠っているかもしれない。
祖先崇拝というと、何か古臭いもののように思われるが、実は祖先も子孫も我々自身と重なっているのである。そう思えば、清明祭という行事の意義も違って思われるのではないだろうか。 -
文芸評論家山崎行太郎の「毒蛇山荘日記」より無断転載する。
マスコミやマスコミ言論人自体が、情報の正確さについていかに無神経であるか、あるいは他人を陥れるために、いかに粗雑な情報操作をし、そして世間がいかにそれに簡単に騙されるかの実例として貴重な記事であるので、ここに紹介する。
筆者山崎氏自身はご自分をどちらかといえば保守系統の思想の持ち主だと自認しておられるようだが、マスコミ言論人のこうした不正行為への怒りが、この記事を書かせたものかと思われる。
なお、曽野綾子という人間の論理の低劣さは「知る人ぞ知る」ところで、ボーガスニュースという面白いブログがあるが、そこでは桜井良子(訂正:櫻井よしこ。どうでもいい奴だが)らとともに、人気喜劇俳優の一人として扱われている。彼女が、右翼の「巨魁」笹川了一の隠し子だという噂は本当かどうかは知らないが、なぜかいきなり「日本財団」のトップになったのには驚かされたものである。
(以下、引用)
曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。
曽野綾子誤字誤読事件
大江健三郎の『沖縄ノート』をめぐる名誉毀損裁判で、被告の大江健三郎自身が大阪地裁に出廷し、かなり詳細な証言をしたことから、特に保守陣営側から、証言内容はそっちのけの、大江健三郎に対する激しい批判と罵倒が新聞やネットに氾濫したわけだが、驚くべきことに、と言うか、当然と言えば当然のことにと言おうか、大江健三郎批判や罵倒を繰り返す人たちが、揃いもそろって、問題の本、つまり大江健三郎の『沖縄ノート』は言うまでもなく、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)さえも、二冊とも本屋に行けばいつでも手に入るにも関わらず、ろくに読まずに、マスコミ情報やネット情報を元に、大江健三郎批判や罵倒を繰り返していることがわかり、いささかシラケルと同時に、あらためて最近の保守論壇や保守思想、ネット右翼のあまりの無知無学、思想的レベルの低さに愕然とし、同時に爆笑したわけだが、そういう必読文献とも言うべき問題の本も読まず、関連資料を点検することもない、無知無学だけが自慢の人たちによる幼稚・稚拙な大江健三郎批判や罵倒の起源が、『沖縄ノート』裁判の仕掛け人の一人である曽野綾子の『沖縄ノート』への「誤読」に由来することは、余り知られていないようなので、ここに、実証主義的手続きの下に(笑)、論証しておくことにしよう。さて、「SAPIO」という雑誌をご存知だろうか。小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』が連載されている雑誌と言えばお分かりだろうか。まあ、雑誌の名前などはどうでもいいのだが、その、「SAPIO」という雑誌に、曽野綾子が登場し、これまた無知無学を絵に描いたような池田信夫とかいう御仁を相手に、「誤字」「誤読」に基づく間違いだらけの「集団自決問題の真実」とやらを、あたかもこの問題の権威者であるかのごとく、まさか、作家としては恥ずべき、自分の初歩的な「誤読」からすべては始まったなどとは夢にも思うことなく、それ故に、恥も外聞もなく、堂々たる態度で、傲岸不遜、自信満々に、ご披露している。たとえば、池田信夫を相手に曽野綾子曰く、
決定的だったのは、大江健三郎氏がこの年刊行された著書『沖縄ノート』で、赤松隊長は「あまりに巨きい罪の巨魁」だと表現なさったんです。私は小さい時、不幸な家庭に育ったものですから、人を憎んだりする気持ちは結構知っていましたが、人を「罪の巨魁」と思ったことはない。だから罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思ったのです。
(「SAPIO」2007/11/28)
この発言から、曽野綾子が、大江健三郎の『沖縄ノート』の何処の、何に、拘っているかがわかるだろう。つまり曽野綾子は、『沖縄ノート』の中の「罪の巨塊(罪の巨魁)」という記述部分に拘っているのである。しかし、ここに、曽野綾子の作家としては致命的とも言うべき、とんでもない誤読、誤解がある。前の記事でも書いたように、曽野綾子は、大江健三郎が「罪の巨塊」と書いた記述を、「罪の巨魁」と誤読した上に、さらに意味をも誤解している。幼稚園レベルの誤字と誤読、誤解…。ここから全ては始まっている。つまり曽野綾子は、「罪の巨魁」(人間?)と解釈しているが、大江健三郎の『沖縄ノート』の記述は、「罪の巨塊」(物?)である。つまり、大江健三郎は、「罪の巨塊」という言葉で、「罪の巨魁という人」と言いたいわけではなく、文字通り「罪の巨大な塊」と言いたいわけで、「罪の巨塊」という言葉を、曽野綾子のように「罪の巨魁という人」と解釈することは出来ないどころか、曽野綾子の発言は、まったくの誤解、誤読に基づく妄言ということになる。だから、「罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思ったのです。」というのも、まったくの誤読に誤読を重ねた上での、謝った解釈に基づくデタラメ発言ということになる。では、大江健三郎の『沖縄ノート』の記述は、そもそも、どうなっているだろうか。
慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への欺瞞の試みを、たえずくりかえしてきたということだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き延びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。・・・・
(『沖縄ノート』岩波書店)
これが、問題の『沖縄ノート』の記述部分だが、この「巨きい罪の巨塊のまえで…」という部分を誤読、誤解した挙句、曽野綾子は、哀れにも過剰反応して、見当違いの大江健三郎批判を展開したということだろう。そして多くの無知無学が自慢の保守派が、「待ってました」とばかりに、曽野綾子の間違いだらけの発言を鵜呑みにして、大江健三郎批判へと追従したということだろう。従って、先日の裁判で、大江健三郎は、「罪の巨塊」(物)という表現を、曽野綾子の誤読に基づいて、≪「罪の巨塊」(物)イクオール「極悪人」≫と勘違いしている原告の一人に対して、「極悪人なんて書いたことはない。それは曽野綾子の誤読に基づく解釈だ。」と反論したのである。ちなみに、大江健三郎自身は、「罪の巨塊」という表現で、集団自決した人たちの「死体の山」とでも言いたかったらしい。要するに、曽野綾子は、「巨塊」(物)を「巨魁」(人間)と誤読しているのである。作家を名乗る人間としては、余りにも初歩的というか、幼稚というか、実に恥ずべき原始的な誤読である。しかも、いまだに、同じような誤読に基づくデマ情報を各所で、自信たっぷりに撒き散らしているところを見ると、曽野綾子自身が、大江健三郎の『沖縄ノート』をろくに読んでいないのではないか、というだけではなく、裁判になった時点においてすら、少なくとも『沖縄ノート』を再読したり、問題の箇所を点検したり、前後の文を熟読玩味しみたり、という当事者としては必要不可欠な初歩的作業さえしていないということがわかるだろう。大江健三郎を被告席に引き摺りだしたいのならば、少なくとも大江健三郎の問題の本や問題の記述部分を厳密に点検した上で、正確に引用するべきだろうが、作家を自称しているにも関わらず、曽野綾子は、そんな初歩的な点検すらせずに、間違いだらけの引用と解釈を繰り返しているというわけだ。致命的なミスであり、即刻、「作家業廃業宣言」でも出すべき所業である。要するに作家失格である。ところで、あまりにも初歩的な誤字誤読であるが故に、これでは裁判にもならないだろうと思うのだが、裁判所が告訴を受理したということは、実は裁判官も大江健三郎の『沖縄ノート』をちゃんとは読んでいないのではないか、と思われる。むろん、この対談相手の池田信夫にしてからが、大江健三郎の『沖縄ノート』も、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)も、まったく読まずに、この対談に出向いてきたことは、明らかである。必読文献や関係資料も読まずに対談に出席する池田信夫とかいう人の野蛮な「ど根性」(笑)には感服するが、とてもじゃないが、彼の無知蒙昧な喜劇役者的な議論を読む気にはなれない。池田信夫は、従軍慰安婦問題について、さかんに発言しているが、そんなことは、ネツト右翼でさえ知っているような幼稚な発言内容ばかりで、所詮は、自分で取材し分析し論理化したことというより、ほとんどぜんぶ、雑誌や週刊誌からの受け売りだろう。ところで、話は元にもどるが、そもそも、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)には何が書いてあるのだろうか。大江健三郎の『沖縄ノート』を、どういう論理で、どういうふうに批判しているのだろうか、と思って読んでみたら、なんとここでも「誤字」か「誤読」か知らないが、同じように出鱈目な大江健三郎批判が書かれている。僕は、初版本をチェックしていないので、結論は留保するが、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)そのものが、少なくとも大江健三郎批判の部分は、「誤字」と「誤読」から成り立っている。たとえば、大江健三郎の『沖縄ノート』の問題の部分から引用して、それを批判している箇所があるが、引用自体が「誤字」だから、話にならない。大江健三郎こそ、曽野綾子を名誉毀損、人権侵害で逆告訴すべきだろう(笑)。さて、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)の中の、誤字(誤植?)だらけの文章から…。
大江健三郎氏は『沖縄ノート』の中で次のように書いている。
「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への欺瞞の試みを、たえずくりかえしてきたということだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨魂のまえで……(後略)」
このような断定は私にはできぬ強いものである。「巨きい罪の巨魂」という最大級の告発の形を使うことは、私には、二つの理由から不可能である。第一に、一市民として、私はそれほどの確実さで事実の認定をすることができない。なぜなら私はそこにいあわせなかつたからである。第二に、人間として、私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである。
(『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)ワック)
曽野綾子は、ここで、『沖縄ノート』から、問題の箇所を引用しているわけだが、肝心な「罪の巨塊」という部分を、「罪の巨魂」と、漢字を、たぶん二重に、つまり「塊」「魁」「魂」というように、間違った上で引用をしているが、これが曽野綾子の引用間違いなのか、編集者の校正ミスなのか、わからないが、引用文の中の「誤字」をそのままにして本にしたことは、著者・曽野綾子にも責任がないとはいえないだろう。著者校正というものがあるわけだし、しかも、曽野綾子の大江健三郎批判、『沖縄ノート』批判の論拠になっている問題の文字である。校正ミスですむはずがないだろう。これは、返品、回収、絶版レベルのミスである。そもそも肝心要の「問題の漢字」を、堂々と「誤読」し、「誤解」し、「誤用」するなんて、しかも、長年の間、誤読し、誤解し、誤用したままで放置し、反復しているなんて、いったい、それは、どういうことだろうか。まさかとは思うが、曽野綾子は耄碌でもしているのか。それはそれとして、さらに問題なのは、大江健三郎の「巨塊」を「巨魁」と勘違いし、その勘違いを根拠に「赤松隊長を罪の巨魁と書いている」と批判した上に、その論拠として、「私は神ではない」発言している部分である。曽野綾子がカトリック信者だということはわかっているから、彼女がどういう「神」を信じているか、あるいはどういう「神」のイメージを持っているかには別に興味は無いが、≪第二に、人間として、私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである。≫という部分には、ちょっと待てよ、と言いたくなる。曽野綾子の論理によれば、「罪」や「罪のある人」は、「神」が、あるいは「神」のみが認定し、決定するものなのだろうか。別に、曽野綾子がそう考えているとしても、それを批判する気はさらさらないが、当然のことだが、キリスト教徒でもない日本人であるわれわれが、皆、そう考えなければならないという理由にはならないだろう。曽野綾子の論理を受け入れるならば、これは冗談だが、日本人は、皆、これから仏教や神道を捨てて、カトリックに改宗し、カトリック信者になるべきだ、ということになるかもしれない(笑)。曽野綾子さん、漢字もろくに読めないくせに、日本人をナメるのもいい加減にしろよ、と思わず叫びたくなる、今日、この頃であった。というわけで、次に、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)に、解説を書いている石川水穂の文章を読んでみると、ここにもまた、曽野綾子の誤読と誤字に輪をかけたような誤字と誤読が、つまり「罪の巨魁」という活字がきれいに並んでいる。ということは、ベテラン新聞記者のはずだが、石川水穂も、問題の大江健三郎の『沖縄ノート』の記述を読んでいないし、また問題文を原典に当たって、点検してみるという基本的な手続きすら怠っている、ということは火を見るよりも明らかである。
十分な裏づけを取らずに書く日本の一部ジャーナリストらに対する痛烈な批判である。曽野氏の批判は、『鉄の暴風』の記述に基づいて集団自決を書いた大江健三郎氏らにも向けられる。大江氏は『沖縄ノート』(昭和四十五年、岩波新書)で、集団自決の責任者(赤松氏)を「自己欺瞞と他者への欺瞞の試み」「あまりにも巨きい罪の巨魁」などと指弾していた。曽野氏は「このような断定は私にはできぬ」としたうえで、「私はそこ(集団自決の現場)にいあわせなかった」「私は神ではない」という二つの理由をあげる。
(『集団自決の真実・解説』ワツク)
ここでも、「罪の巨塊」が「罪の巨魁」となっている。石川水穂も、要するに曽野綾子の間違いだらけの暴言を鵜呑みにして、そのまま何の疑いも感じることなく、大真面目に引用しているということだろう。石川水穂は、曽野綾子の足を使った「現地取材」主義を、ジャーナリストの鑑として絶賛しているが、テキスト解読や資料分析の方は、曽野綾子と同様に、「手抜き」していいいと思っているのだろう。作家や新聞記者にとって問題は現地ばかりにあるのではない、言葉にもあるのだ。いや、すべては言葉なのだ。「はじめに言葉ありき」と聖書の冒頭にも書いてあるではないか。ところで、ここにもう一つの文献がある。曽野綾子が、沖縄集団自決と歴史教科書について、雑誌「正論」に書いた「沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄」と題する文章である。そこでも、曽野綾子は、まったく同じような解説と論理を展開しているが、そこでは、大江健三郎の『沖縄ノート』からの引用文は、正確に「罪の巨塊」となっている。しかし、『沖縄ノート』からの引用文に続く曽野綾子の解説を読むと、やはり曽野綾子が、「罪の巨魁」というふうに理解し、「巨塊」を「巨魁」と誤読していることがわかる。おそらく、「正論」論文の引用箇所は、「正論」編集部が原典の『沖縄ノート』の問題箇所に当たり、厳密に漢字をチェックした上で引用したが故に、正確な引用をすることができたのだろう。しかし、繰り返すが、曽野綾子は、わざわざ正確な引用をしているにも関わらず、そのことに気づかずに、いつものように、「罪の巨魁」論を展開している。いかに、曽野綾子の頭が、根強い誤読と偏見にとらわれているかがわかるだろう。(続) -
「迷スカウトニュース」より、蔵建て男さんの重要な指摘を無断転載する。野球に興味のある人にとっては、非常に興味深い言葉だろう。野球に関心のない人には唐人の寝言にしかならないだろうが。
ホームラン打者に二つのタイプがあるというのは、言われてみればその通りなのだが、本職の野球人も含めて、ほとんど意識されていない。そのために清原のような不幸な失敗例が出てくるのである。もっとも、この記事の記述とは違って、清原自身は落合の打法にあこがれ、研究したことがあったはずである。しかし、落合と清原は、それまで身につけてきた打法が異なるし、体型も体格も異なるのだから、落合打法を清原が真似すること自体に無理があったのだろう。そうした試行錯誤の結果、本来の良さまで無くしたというのが清原の事例だと思う。
ともあれ、ホームラン打者には「打球の角度で打つ」タイプと、「打球の強さ・速さで打つ」タイプがあり、前者の代表が王、田淵であり、後者の代表が中西太などだろう。後者はしばしば、ショートがジャンプして取ろうとした打球がそのままレフとスタンドに入るホームランとなったなどという「伝説」になったりする、強烈な打球の持ち主たちである。しかし、ホームラン打者とは本来、前者のタイプが主流なのではないだろうか。選手を教えるコーチは、そのあたりを考え、天性のホームラン打者の芽を潰さないようにしてもらいたいものである。
(以下、「迷スカウトニュース」より引用。文中の原選手とは現巨人監督の原のこと。)
面白いのは原選手というのは、スイングの弧自体はもの凄く大きいわけでもなければ、フォロースルーの取り方が大きいわけでもなく、それでいてグリップが最後の場面で、写真5のように引き上がっているわけではないところである。すなわち動作によって、ボールを運んでスタンドインさせていたのではなく、ボールを飛ぶ角度にバットを当てることに秀でた才能の持ち主なのだ。実は本塁打打者と言うのは、筋力や技術で無理矢理ボールを飛ばすタイプと、それほど筋力を必要としなくても、天性のタイミング(ここで言えば、ボールを飛ばす角度で捉えられるセンス)でボールを捉えられる選手に別れるのだ。こういったセンスを持った選手は、生まれ持ってのスラッガーだと言えよう。
逆に原選手よりも遙かに筋力や体格に優れていても、けして原選手のようなホームランアーチストではない選手は過去にも沢山いた。そんな選手に限って打球は速くても、ボールが上がってこない選手なのだ。私はこのような天性の角度を生み出す要因の一つに、打席での脱力したリラックス感が大事だと私は考えている。同じような選手に、落合博満(現・中日監督)などもあげられる。これは天性の部分であり、松井秀喜とは完全にタイプの異なるタイプなのだろう。話はそれるが、元々清原和博も原・落合タイプだったものが、無理矢理筋力の力で本塁打を打ちに行こうとする傾向が強くなってしまい、その資質を鈍らせたものと私は捉えている。ようはタイプによって、筋力の付け方も変わって来るのではないかと私は考える。筋力で飛距離を伸ばそうとするのは、元々が中距離タイプだった選手が、長打力を増したいと考えた場合の方法論であり、元々の飛ばす才能がある選手が、その方法論に走ると、返って周辺筋力が固くなり、持ち味を失い兼ねない危険性があると私は考える。 -
http://diamond.jp/articles/-/8060
チャルマーズ・ジョンソン
Chalmers Johnson
著名な国際政治・東アジア研究者。米国の覇権主義、軍事優先主義を厳しく批判した著書が多く、東アジアにおける米国の帝国主義的政策は必ず報復を受けると分析した”Blowback”(邦題「アメリカ帝国への報復」(2000年、集英社)はベストセラーに。カリフォルニア大学で政治学博士号を取得し、同大学で教授、政治学部長、中国研究センター所長などを歴任。その後、日本および環太平洋地域の国際関係を研究する民間シンクタンク“日本政策研究所” (JPRI)を設立。
撮影:雨宮和子/インフォネット
元CIA顧問の大物政治学者が緊急提言
「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」
独占インタビュー チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所(JPRI)所長
普天間基地問題の決着期限が迫るなか、鳩山政権は辺野古沿岸につくる桟橋滑走路と、徳之島の既存の空港を併用する移設案を提案した。しかし、地元や米国側の同意を得られる見通しは立っておらず、日本国内は鳩山政権批判一色に染まっている。しかし批判するだけでは何も変わらない。そもそも同基地の代替施設の不要論は米国内にもある。東アジア研究の大家で、CIAの顧問を務めた経験もあるチャルマーズ・ジョンソン 元カリフォルニア大学政治学教授は、日本国内にはすでに十分すぎる米軍基地があり、日本国民は結束して普天間基地の無条件閉鎖を求めるべきだと提言する。
(聞き手/ジャーナリスト・矢部武)
―鳩山政権は普天間問題で窮地に立たされているが、これまでの日米両政府の対応をどう見るか。
まったく悲劇的だ。両政府は1995年の米兵少女暴行事件以来ずっと交渉を続けてきたが、いまだに解決していない。実を言えば、米国には普天間飛行場は必要なく、無条件で閉鎖すべきだ。在日米軍はすでに嘉手納、岩国、横須賀など広大な基地を多く持ち、これで十分である。
そもそもこの問題は少女暴行事件の後、日本の橋本首相(当時)がクリントン大統領(当時)に「普天間基地をなんとかしてほしい」ということで始まった。この時、橋本首相は普天間飛行場の移設ではなく、無条件の基地閉鎖を求めるべきだったと思う。
―普天間を閉鎖し、代替施設もつくらないとすれば海兵隊ヘリ部隊の訓練はどうするのか。
それは余った広大な敷地をもつ嘉手納基地でもできるし、あるいは米国内の施設で行うことも可能だ。少なくとも地元住民の強い反対を押し切ってまでして代替施設をつくる必要はない。このような傲慢さが世界で嫌われる原因になっていることを米国は認識すべきである。
沖縄では少女暴行事件の後も米兵による犯罪が繰り返されているが、米国はこの問題に本気で取り組もうとしていない。日本の政府や国民はなぜそれを容認し、米国側に寛大な態度を取り続けているのか理解できない。おそらく日本にとってもそれが最も簡単な方法だと考えているからであろう。
■フランスならば暴動が起きている
―岡田外相は嘉手納統合案を提案したが、米国側は軍事運用上の問題を理由に拒否した。
米軍制服組のトップは当然そう答えるだろう。しかし、普天間基地が長い間存在している最大の理由は米軍の内輪の事情、つまり普天間の海兵隊航空団と嘉手納の空軍航空団の縄張り争いだ。すべては米国の膨大な防衛予算を正当化し、軍需産業に利益をもたらすためなのだ。
米軍基地は世界中に存在するが、こういう状況を容認しているのは日本だけであろう。もし他国で、たとえばフランスなどで米国が同じことをしたら、暴動が起こるだろう。日本は常に受身的で日米間に波風を立てることを恐れ、基地問題でも積極的に発言しようとしない。民主党政権下で、米国に対して強く言えるようになることを期待する。
―海外の米軍基地は縮小されているのか。
残念ながら、その動きはない。米国は世界800カ所に軍事基地を持つが、こんなに必要ない。世界のパワーバランス(勢力均衡)を維持するためなら、せいぜい35~40の基地で十分だ。米国政府は巨額の財政赤字を抱え、世界中に不必要な軍事基地を維持する余裕はないはずだ。
―日本では中国や北朝鮮の脅威が高まっているが。
日本にはすでに十分すぎる米軍基地があり、他国から攻撃を受ける恐れはない。もし中国が日本を攻撃すれば、それは中国にこれ以上ない悲劇的結果をもたらすだろう。中国に関するあらゆる情報を分析すれば、中国は自ら戦争を起こす意思はないことがわかる。中国の脅威などは存在しない。それは国防総省や軍関係者などが年間1兆ドル以上の安全保障関連予算を正当化するために作り出したプロパガンダである。過去60年間をみても、中国の脅威などは現実に存在しなかった。
北朝鮮は攻撃の意思はあるかもしれないが、それは「自殺行為」になることもわかっていると思うので、懸念の必要はない。確かに北朝鮮の戦闘的で挑発的な行動がよく報道されるが、これはメディアが冷戦時代の古い発想から抜け出せずにうまく利用されている側面もある。
―米軍再編計画では普天間の辺野古移設と海兵隊のグアム移転がセットになっているが、辺野古に移設しない場合、グアム移転はどうなるのか?
米国政府はグアム住民の生活や環境などへの影響を十分に調査せず、海兵隊の移転計画を発表した。そのため、グアムの住民はいま暴動を起こしかねないぐらい怒っている。グアムには8千人の海兵隊とその家族を受け入れる能力はなく、最初から実行可能な計画ではなかったのだ。
―それでは米国政府が「普天間を移設できなければ議会が海兵隊のグアム移転の予算を執行できない」と強く迫っていたのは何だったのか。
自らの目的を遂げるために相手国に強く迫ったり、脅したりするのは米国の常套手段である。
―海兵隊をグアムに移転できない場合、米国政府はどうするか。
おそらく米国内に移転することになろう。それでも海兵隊部隊の運用上、問題はないはずだ。
―日本では普天間問題で日米関係が悪化しているとして鳩山政権の支持率が急降下しているが。
普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのはまったく問題ではない。日本政府はどんどん主張して、米国政府をもっと困らせるべきだ。これまで日本は米国に対して何も言わず、従順すぎた。日本政府は米国の軍需産業のためではなく、沖縄の住民を守るために主張すべきなのだ。
■日本人が結束して主張すれば米国政府も飲まざるを得ない
―米軍基地の大半が沖縄に集中している状況をどう見るか。
歴史的に沖縄住民は本土の人々からずっと差別され、今も続いている。それは、米軍基地の負担を沖縄に押しつけて済まそうとする日本の政府や国民の態度と無関係ではないのではないか。同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本人はなぜ立ち上がろうとしないのか、私には理解できない。もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう。
―今年は日米安保50周年だが。
日本にはすでに世界最大の米海軍基地(横須賀)があり、各地に空軍基地も存在する。これ以上の基地は必要ない。東アジアのどの国も日本を攻撃しようなどとは考えないだろう。日本政府は巨額の「思いやり予算」を負担している。自国の外交・防衛費をすべて負担できない米国のために、日本が同情して払っているのだ。
―普天間問題を解決できなければ両政府がどんなに同盟の深化を強調してもあまり意味がない、との指摘もあるが。
それは米国が軍事力優先の外交を展開しようとしているからである。一般の米国人は日本を守るために米国がどんな軍事力を持つべきかなどほとんど関心がないし、そもそも米国がなぜ日本を守らなければならないのか疑問に思っている。世界で2番目に豊かな国がなぜこれほど米国に頼らなければならないのか理解できない。それは日本人があまりに米国に従順で、イージーゴーイング(困難を避けて安易な方法を取る)だからではないか。 -
あまり他人の投稿の転載ばかりするのも何だが、あまりにも面白いので、これも紹介する。勝間和代のようなマスコミに作られた経済タレントと、ひろゆき氏のような本物の見識を持った人間との格の差がはっきりと現れていて、面白い。TORA氏の「株式日記」は反中国(反アジア)的というか半右翼的部分は嫌いだが、面白い記事を発掘してくれる事が多いことは評価している。
肉食女(勝間和代)VS草食男(ひろゆき)のテレビ番組での討論アメリカ的な金銭第一的労働価値観をひろゆきがボコボコに論破!
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/508.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 5 月 06 日 16:34:10: CP1Vgnax47n1s
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu215.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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肉食女(勝間和代)VS草食男(ひろゆき)のテレビ番組での討論
アメリカ的な金銭第一的労働価値観をひろゆきがボコボコに論破!
2010年5月6日 木曜日
◆デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき (若者の起業編) 5月3日 魚の目
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503/1272906651
勝:若年層の人たち、若い人たちが今なかなかですね、こう少子高齢化の中で元気が無いといわれているんですけども、若い人たちが元気になるためにはどうしたらいいですか?
ひ:元気にならなきゃいけないんですか?
勝:そこですよね、やっぱり。困ったんですよ。実はテーマとして雇用促進というのを話そうか、若者に対して起業をもう少し促進することをどうやったらいいかということをですね、議論にしようということを予定していたんですが、
ひ:会社側が求人出してばんばん雇えばいいんじゃないですか?
勝:え?
ひ:雇用促進ですよね?
勝:じゃ、例えば若い人たちが起業したいと思う・・・
ひ:いや、金持っているのは歳取った層ばかりなんだから、歳取った層が自分で若い人雇えばいいんじゃないですか。なんで若い人が起業しなきゃいけないんですか?
勝:若い人は起業しなくていいんですか?
ひ:したければすれば良いと思いますけど。
勝:ひろゆきさんは今、2ちゃんねるというのは起業だったんですか?
ひ:いや、あれ趣味ですけど。
勝:じゃあ起業はしていない、今も?
ひ:まあ、会社は大学のときに作りましたけど。
勝:起業しましたよね。その会社今どうなったんですか。
ひ:ペーパーカンパニーとして細々とやっていますけど。
勝:じゃ、起業は若い人たちはやりたければすれば良いという発想ですか?
ひ:ええ、当然。
勝:じゃあ逆に今起業する人たちが、例えば堀江さんがああいうことになって結局起業ブームが一回あったけれども、こう起業してもなかなかうまくビジネスに繋がらない、得じゃないみたいな風潮が出てしまっているような風潮があるような印象が私にはあるんですけれども。
ひ:風潮がどうこうじゃなくて儲かるんだったら、まあ例えば歳取ってる人の方が社会経験もあってお金も持っているわけじゃないですか。だから歳取った人が起業すれば良いだけで、なんで若者に起業させようとするのか分かんないですけど。
勝:起業しなくても良いということであれば、逆に若い人たちはずっと高齢者の人たちが作ったビジネスの下で粛々と仕事をしていると良いんでしょうか?
ひ:起業したければすれば良いと思いますし、起業したくなければしなくてもいいと思います。それは選択の問題なので若い人が勝手に決めればいいんじゃないですか。
勝:若い人たちが起業する自由というのが今どんどん減ってきていると思いませんか?
ひ:いや、自由はあるんじゃないですか。起業を制限する法律とかあればそれは自由は無いと思いますけど、年齢制限無いじゃないですか。
勝:実際規制とかが日本の場合はかなり高いですよね。
ひ:いや、年齢による規制は無いですよね?
勝:いや、年齢による規制ではなくて、新規ビジネスをやろうと思った場合に小規模で事業を始めようとした場合に、例えばアメリカと日本で比べて同じビジネスアイデアを持っていた場合に、どっちの方がエンジェルが集まりやすいかというと、
ひ:いや、エンジェルなんか集まるのってほとんどないですよ。日本で中小企業10万社とかありますけど、エンジェルつきましたって多分1000社も無いんじゃないですか。そんな少ない例を出してあたかも言われるとちょっとどうかなと思いますけど。
勝:じゃあ、エンジェルではなくて例えば1000万円くらいの資本で起業した場合にどうでしょう。それはもうほとんどハードル同じということですか?
ひ:1000万円持っているっていう時点でもう若者じゃないと思いますけどね。
勝:じゃあ、借り入れにしましょう。
ひ:1000万円借りれる若者なんていないですよ。
勝:そうですよね。そういう話です。だからみんなエンジェルを探したりVC(ベンチャーキャピタル)を探したりするんですよね。
ひ:いやいや、日本にある会社でVCとかエンジェルとか付く会社なんてほとんどないですよ。
勝:あとは死ぬ気で貯めますよね、小資本で数百万円とか貯めて小さな事務所を借りたりして、
ひ:普通って会社とか入って、例えばなんか会社の仕事をやって、その職種とか知り合いとか取引先を連れてって独立するとかありますけど、なんもないところで1000万集めて会社作りますとか普通って、ちょっとおかしくないですか?
勝:普通とは言ってないです。
ひ:あ~、だからそれを例として出すのはちょっとずれていると思う。
勝:じゃあ逆にですね、企業勤めをして何かビジネスチャンスを見つけて、賛同者を募って独立する、このパターンは今までとまだまだ変わっていないということですか?
ひ:いや、それが一番安全じゃないですか? だってもともと回っているその職種、取引先、お客さんがいて、それをずらすだけじゃないですか。
勝:でもその中でもう少し議論を深めますと、ここ20年間で例えば新しいベンチャービジネスとして建った会社、例えばあの時価総額の上位何十社とか見ますとソフトバンクくらいしか新しい会社として建ってないわけですよ。それはそれで良いんですかね?
ひ:だって孫さん優秀ですからね。あんな、孫さんほど優秀な人いないっすよ、あんまり日本に。
勝:でも逆にある程度アメリカとかに比べますと新陳代謝が遅いという傾向があるわけですよ。それはもうそういうものだから仕方ないと?
ひ:いや別に新陳代謝とか、要は良い商品を作ればお客さんは買うけど、お客さんがいらないから買わないわけで、でそれは別に社会がどうこうじゃなくて必要な物を作っていないってだけだと思うんですけど。
勝:では必要な物を作っていないので、若者の起業が少ないことが問題ではないということですか?
ひ:ええ。だって需要があって、それを老人が作ろうが若者が作ろうが、欲しい人は別に作者がだれかなんてどうでもいいわけでじゃないですか。今だってシャネルの商品をシャネルのデザイナーが誰かなんて分かってないで買ってるじゃないですか。
勝:じゃあ日本は何故ですねそういったような、新製品ですとか、起業とか成長ができないのでしょうか?
ひ:大企業が優秀だからじゃないですか?
勝:そこがね、私と価値観の違いだと思うんですよ。私はね大企業がちっとも優秀じゃないと思ってるんですよ。
ひ:いや、大企業は商品を毎年出してますよ。例えばポッキーとか毎年変わってるじゃないですか。
勝:正確に言うと大企業は優秀なんですけれども、ある程度の一つの枠組みの中での競争ではものすごく優秀なんですが、そのサラリーマンとしての、その枠組みを超えたようなビジネスが出てこないのが日本の停滞の一つ・・・
ひ:いや、例えば缶ジュースっていうのを若者が作っても、大企業が作った缶ジュースほど売り上げあげられないと思いますよ。
勝:若者は大企業の中でビジネスアイデアをもっともっと採用されて作ってもらう方が効率的ですよね。
ひ:いや別にそれでも良いですし、別にその大企業の缶ジュースよりも良い缶ジュースを作れる若者がいれば、それは缶ジュース作って売れば良いと思うんですよ。
勝:でも、缶ジュースの市場に参入するのにそれこそ100万、200万じゃ全く無理ですよね?
ひ:はいはいはい。
勝:その場合に、だってできないじゃないですか?
ひ:いや、でも缶ジュース自体は作ろうと思えば安く作れますよ。で、その別に日本中に配ろうと思わないで、じゃあ知っている商店だとか知っているコンビニに入れてもらうとかっていうので、徐々に広げていくのは不可能ではないと思いますよ。
勝:でも、例えば今一本缶ジュース120円くらいですよね。で原価率考えると1本儲って、ディストリービューション考えるとせいぜい50円、60円マックスしか儲らないと、それをそれこそ何万本という単位で売らないとできないことを考えると、やっぱり今現在若者が小資本で缶ジュースの資本に入るのは現実的な解ではないですよね。
ひ:まあ、缶ジュースは例として出しましたけど。それだったらやっぱり大企業が大資本で安く提供できているわけだから、大企業の商品生産能力って高いからすごいよねっていう話で良いじゃないですか。
勝:でもその割には、
ひ:だって、みんな缶ジュース安くおいしく飲めて良かったと思っているわけだから。
◆勝間さん対談の睡眠不足の反省と、幸福論 ひろゆき@オープンSNS
http://hiro.asks.jp/68256.html
そんなことは、当たり前のことだと思ってたんですが、
番組の構成上なのか、
本気なのかわかりませんが、
働いてお金を稼ぐことだけが幸せで、
それが出来てない人は、
不幸だと考えるのは、どうかと思うわけです。
顔が悪いとか、金が無いとか、頭が悪いとか、病気持ちとか、歌が下手とか、
欠点を積み重ねていったら、
誰だって不幸な気がしてくるわけですよ。
欠点の無い完璧な人以外は、
楽しいことを追求して、楽しい面をみて、面白く暮らすほうが、
幸せな生活が出来ると思うわけで、
結果としては、そのほうが、
幸せな人の数は増えると思うんですよね。
ってことで、
日本人の幸福度を上げたいんだったら、
「お金が無い=不幸」 みたいな考え方を
他人に強要しないほうがいいと思うんですよね。 -
インターネットの面白いところは、興味を引かれた記事からそれに関連した他の記事に飛び、新たな知見が次々に得られるところである。その意味では知見の広がり方がインターネット普及以前の数百倍のスピードになったと言える。
にも関わらず、自分に興味のある分野のブログしか見ない、自分の好きな書き手のブログしか見ない、という人間は、自分の知(という言い方はあまり好きではないが)のレベルを自分で低いままにとどめていて、もったいないことである。
で、問題は、そのように大量の情報が瞬時に手に入るようになった現代人は、無数の不確実な情報の洪水に溺れてしまう可能性が高いことである。何しろ、いちいち情報の正しさを調べる余裕など、ほとんど誰にも無いのだから、情報操作も含めた「情報の印象」ですべてが判断されるということになっていくだろう。
特に、裁判の話など、膨大な情報が、堅苦しいお役所言葉や法律用語などで延々と語られるのだから、誰も読んだりしないことが多い。たまたま「高知白バイ事件」などのように、有名ブログで取り上げられたために多くの人に知られた例もあるが、これも無数の冤罪事件の中の氷山の一角だろう。
私は沖縄の人間だが、大江健三郎と岩波書店が「沖縄ノート」の中の記述で名誉を傷つけられたとして集団自決事件当時の守備隊長などから訴訟を受けた事件についてはほとんど興味も無かった。
ところが、たまたま山崎行太郎という文芸評論家の「毒蛇山荘日記」というブログを知って、その中にこの訴訟が笑うべき茶番であることが明瞭に書かれていた。興味のある人間は「曽野綾子誤字誤読事件」と分類された過去ログを見ればいい。私もまだ全部は読んでいないが、日本の右翼(保守派言論人や官僚の大半も含まれる)がいかにして他人を陥れるのかがよくわかる。つまり、根拠の無い情報で相手を裁判に引っぱり出し、相手にダメージを与えた上で、適当なところで撤退するのである。そうすれば、相手には裁判の被告人となったという悪印象だけが残り、それはその後ずっと続くのである。(植草事件など、その代表例だ。)
つくづく、情報操作は怖いものだ、と思う。
我々は、あらゆる情報に対して、常に、
「我は刷毛の影もて馬の影を刷く御者の影を見たり」
と心で呟く必要がある。この言葉は、ドストエフスキーの小説のどこかに出てきた、私のお気に入りの言葉である。本来は地獄について述べた言葉だったと思うが、現代の情報とは、まさしくこのようなものではないか? -
「阿修羅」に転載された記事の再転載である。他の掲示板同様、「阿修羅」の記事も玉石混交なので、その中から特にいい記事を再転載しているわけだ。
この記事が貴重なのは、発言者である雁屋哲氏がマスコミ的にも著名人の一人であるからだ。もちろん、漫画原作者としての氏を知らない人も多いだろうが、少なくともマスコミの中で生活をしている人間が、このような発言をすることはおそろしく勇気の要ることであり、スキャンダルを捏造されてマスコミを追放される可能性が高いし、場合によれば生命の危険もある。それを考えた上で、以下の記事を読んでもらいたい。
鳩山由紀夫氏を攻撃するのは誰か【雁屋哲の美味しんぼ日記:昭和天皇・岸信介をはじめ売国奴が頂点に君臨し続けた日本】
http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/749.html
投稿者 一市民 日時 2010 年 5 月 06 日 03:11:20: ya1mGpcrMdyAE
鳩山由紀夫氏を攻撃するのは誰か
2010年5月4日(火)@ 23:30 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
記事URL:http://kariyatetsu.com/nikki/1228.php
カテゴリー:雁屋哲の美味しんぼ日記
投稿日時 :2010年5月4日(火)@ 23:30
鳩山由紀夫総理大臣が、普天間基地についての対応に対して多くの人びとに批判されている。
しかし、その批判、非難、攻撃は、鳩山由紀夫氏が受けるべき物なのだろうか。
考えて貰いたい。
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
それは、昭和天皇である。
昭和天皇が「沖縄にずっとアメリカ軍に存在して貰いたい」といったのが始まりではないのか。
昭和天皇の沖縄についての発言は、いちいち、私はここで挙げないが,様々な文書で明らかにされている。
もし、私の言葉に疑いを抱く人がいたら、ちょうど良い機会だ、昭和天皇の言行録を、当たって欲しい。ちょっとした図書館に行って、昭和天皇についての書籍を調べれば、すぐに分かることだ。(その意図があるから、私はわざと、文書をここに引用しないのだ。読者諸姉諸兄が自分の目で、昭和天皇が何を言ったのか読んで欲しい。それで、驚かなかったら、おかしい)
昭和天皇が、沖縄をアメリカに渡すと言った言葉に従って、その後の政府は忠実にアメリカに沖縄を自由に使うことを許してきた。
歴代の自民党政府が六十年以上にわたって、アメリカに沖縄を自由に使うことを許してきたのだ。
今まで、日本をアメリカの奴隷にしてきたのは、自民党政権である。
鳩山由紀夫氏に直接の責任はない。
私は、民主党を支持しない。なぜなら、その党員の中に、自民党の最右翼と同じ考えの人間が多く存在しているからだ。
自民党と民主党との絶対的な違いはない。
ただ、鳩山由紀夫氏が、沖縄から米軍基地の移転を表明したことは画期的だった。
我々、日本はいつまでアメリカの奴隷になっていなければならないのか。
その、基本的な疑問に答える一つの回答だった。
しかし、アメリカは強力である。
日本ごとき、ただのアジアの小国、としか思っていない。
少しでも撥ねれば、叩く。
アメリカの有力雑誌、TIMEの、2010年4月19日号(Australia版、多分アメリカ版と同じだと思う)では、「鳩山はfading Japanを改革しようとしているが、彼は、改革より混乱を生み出している」という記事を巻頭に載せた。
この「fading Japan」というのが、実に嫌みだ。fadeとは 「衰え、消え去る」という意味である。「fading Japan」とは、「衰え消え去ろうとしている日本」、と言う意味だ。悪意と、侮蔑を込めた言葉だ。
この、タイトルからTIME誌の意図が明らかだが、(と言うよりアメリカという国の意図)、記事の内容を読んでも単なる嫌みと、脅しでしかない。
こう言う嫌みと脅しは、自民党が政権を握っている限り、絶対に出てこない物だっただろう。
TIMEのいうことは、日本をアメリカの隷属化に置くことが必要だというアメリカ政府、あるいはアメリカの有力勢力の考えを表す物だろう。
この六十年間のことを考えて貰いたい。
長い間、自民党、政府はアメリカに奴隷的に仕えてきたのである。
CIAの秘密文書がアメリカで明らかにしたことは、歴代の日本の自民党の首相がCIAから金を貰っており、CIAにはかれら秘密のコード・ネームが残されていたことだ。
なさけないね。日本の首相が、CIAからコード・ネームを与えられていたなんて。
そう言う国は、まともな独立国ではない。
私は、民主党を支持しないが、鳩山由紀夫氏が少なくとも、アメリカに対して日本人の思いを主張しようとしたことは認める。
しかし、鳩山由紀夫氏がどんなに頑張っても、この1945年以来の日米の関係を突然変えられる訳がない。
変えようといっただけで、私は、鳩山由紀夫氏を評価する。
今までの、自民党政府の誰がそんなことを本気で言ったか。
残念ながら、TIMEが嘲笑したように、日本はアメリカにとって、隷属国家でしかない。
そんな立場にある日本という国の立場を、日本人全体が、日本人全国民がおかしいと思い、それを正そうと思わない限り、日本のアメリカに対する隷属関係は変わらない。
鳩山由紀夫氏を今回の沖縄の基地問題で非難する人間は、戦後の日米の歴史を知らないか無視している。
私から見れば、鳩山由紀夫氏の言うことすら、日本人全体のあり方を考えた場合不十分だと思う。
ところが、その、鳩山由紀夫氏のやわい言葉にさえ、アメリカは厳しく反応するのだ。
この百年間、世界で最悪のテロ活動を続けてきたのがアメリカである。
貿易センタービル2棟が倒されたとアメリカ人は騒ぐが、では中南米で、東南アジアで、中東で、イラクで、アフガニスタンで、アフリカで、いったい何万何十万の人間をアメリカは殺してきたのか。
貿易センタービル2棟で釣り合いの取れる数ではない。
その、テロの基地の一つが、沖縄なのだ。
沖縄の基地から、イラク、アフガニスタン、以前はベトナムに、アメリカ軍が派遣されてきた。
その、テロ基地の一つ沖縄を、縮小することは世界の平和に大きく寄与することである。
だが、力関係は如何ともし難いし、この六十年間の保守政権のアメリカ隷属体制になれたアメリカは、この関係を少しでも変更しようとする勢力に対しては、全力を挙げてつぶしにかかるだろう。
岸信介から、日本政府の売国奴としての体制は変わっていなかったのだ。
A級戦犯だった岸信介が、どうして釈放され、どうして日本の首相になれたのか。
あの、1960年の安保改正の時の騒ぎを考えればよく分かる。
鳩山由紀夫氏は、戦後の首相の中で初めて、アメリカに対して異議申し立てを行った人物である。
私は、政治における陰謀論は簡単に受け入れてはいけないと思うが、戦後の日本におけるアメリカの存在の強さは無視できない。
首相自体が売国奴だったのだ。他にも、いくらでも、アメリカのために国を売る人間がいてもおかしくない。
現実に、名指しは避けるが、アメリカにこびを売るか、アメリカに弱みを握られたか、何らかの理由でアメリカに日本を売り渡す行為を続けて来ている政治家・官僚は、いやと言うほど存在する。
そのような、政治家・官僚と比較すると、鳩山由紀夫氏は少なくともアメリカの奴隷から、この日本という国を解放しようとする意志を持っていると私は思う。
しかし、繰返すが、アメリカは強力であり、日本国内にもアメリカのために働いている人間が多い。
このような状況で、直ちに、沖縄のアメリカ軍基地を縮小しようと言っても、力関係から言って通るはずがない。
通るはずがないことを、公約にした氏を公約違反だと攻めることも可能だろう。
しかし、それは、あまりに戦後の日米関係を無視した意見だと思う。
どんなことであれ、しかも、それが大きなことであれば、最初の第一歩を踏み出すことが一番難しい大事業だ。
1945年以来の対米隷属の日本の立場を、少しでも、良くしようとすることは、難事業中の難事業だ。
それを、公約にしたことの全部が出来ないからと批判すること自体、アメリカのためにする言葉だと思う。
鳩山由紀夫氏が、今回、公約を全て守ることが出来なくても、これは、アメリカに対する隷属関係から自由になる第一歩を日本国民に示した重要な意義があると、私は考えたい。
無闇に、鳩山由紀夫氏を批判する勢力の正体を、国民は知るべきだ。
(その正体は凄いよ。どろどろしているよ。目をふさぎたくなるよ。そう言う人間が、大手を振って跋扈しているのが今の日本なんだよ。)
結局、鳩山由紀夫氏は、アメリカと、アメリカに仕える日本人の有力者たちによって、打ち負かされるだろう。
公約を守れなかったのは鳩山由紀夫氏個人の責任である、と言い立てるのは、そのような人達とそのような人達に盲従する人達だ。
日本政府の実力と、アメリカの実力の差を冷静に計算して、弱肉強食の原理の元に、今回の沖縄の基地問題と鳩山由紀夫氏の責任問題を、感情的にならずに議論するべきだと思う。
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例のブログ市長こと、竹原阿久根市長が自分のブログにこのようなことを書いている。コピーのコピーだが、貴重な情報なので、これも転載しておく。(「調別」だか「別調」だかの存在については、以前から聞いていたが、市長という公職にある人間の発言としては貴重である。私は竹原市長の言動には賛成できないことが多いが、歯に衣着せぬ発言をする勇敢な硬骨漢であることは確かなようだ。)
『陸幕二部別室』(住民至上主義(旧阿久根通信))
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070609
<以下、一部抜粋開始>
○私が自衛隊に居た頃、何をやっているのかわからない所として聞いていたのが「陸幕二部別室」という名前だった。
○当時は「軍隊だから秘密組織があってもおかしくはない」という程度だった。
○「自衛隊中央病院の上の階に、多くの精神状態がおかしくなった高級幹部が入院している」という事を私に話した人も、精神面の治療でその病院に入院させられた事を知り、自衛隊の闇の部分をなんとなく感じていた。
○退官後、自衛隊で心理戦の専門教育を受けたという人物から、「自衛隊には戦前から『ある金持ち組織』のためにあらゆる工作をおこなう所がある。」という話を聞いた。
○その人物の祖父は特別な組織の教官をやっていたという。
○また、最近では人の前頭葉の一部を破壊して廃人にする方法に変わり、カテーテルを使って脳のごく一部を破壊して人格を変える技術が使われているとも語った。
○その後、彼は施設の入所者を虐待したということで警察に逮捕されたという報道があった。
○報道で国会議員達の発言を聞いたり、市議会議員をしていて実感するのは政治家の間抜けぶりと、役人組織の悪かしこさだ。
○こんな状態で政治や行政がまともに機能すると考える方がどうかしている。
○世間はバカや欲深人間ばかりではない。
○あまりにもおかしなこの状態が続いている事こそ奇跡的でさえある。
○この馬鹿げた状態が偶然に続いてきたとは考えられない。
○大きな強い闇の力が働いていると考えるべきだ。
○日本を動かしてきた極悪秘密組織の正体が姿を現してきている。
○私は、例の『ある金持ち組織』は天皇家や吉田、岸、児玉というメンバーを含んでいると考えている
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○自衛隊「調別」の持とうとしているこの権限は、クーデター組織FEMAの完全なコピーであり、「調別」がFEMAと日常的に連絡を取り日米軍の連携を計っている以上、この完全な一致は「偶然」ではない。
○日米が連携し、災害あるいは人為的なテロに際して、政府に代わって軍隊が「政権を奪取」するクーデターの準備が行われていると見て良い。
○9・11テロが米国ブッシュ政権による自作自演である可能性は極めて高いが、米国では次に起こるであろうテロを機会にFEMAによるクーデターが発動される危険性が高い。
○日本では、北朝鮮あるいはイスラムによる「テロ」の形を取った自衛隊・米軍の自作自演テロにより上記のクーデターが発動される危険性が高い。
○既報のように、自衛隊には国民を「鎮圧」するためのテロ組織、自衛隊幕僚2部という存在がある。また自衛隊には心理戦争を専門とする大きな部隊がある。
○心理戦争とは、自衛隊が自作自演でテロや暴動を演出し、テロ・暴動鎮圧が目的と称して自衛隊、警察による国民の統制支配を強化する戦術、その際マスコミ等を使用したデマゴギー宣伝を利用し、国民を軍隊の意向に沿う方向に誘導する「心理誘導」戦術の事を指す。
○このテロ自作自演等の演出専門の自衛隊の心理戦争部隊は、自衛隊東部方面隊第一施設団第三施設軍と呼ばれる部隊であり、駐屯地は米軍のキャンプ座間の「中」にある。
○キャンプ座間には、米軍の極東全体における機密情報収集の司令部、米陸軍第500軍事情報大隊、通称500MIがあり、極東全体での心理戦争を担当している。
○クーデター部隊であるFEMAと「調別」の連携に加え、テロ自作自演部隊までもが日米連携している。
○本来自衛隊と米軍は別組織であり、駐屯地が同一などと言う事は有り得ない。自衛隊の駐屯地が米軍基地の「内部」にあるという「異常」な形態を取っているのは、日本全体、自衛隊全体で「ここだけ」である。
○しかも極東全域を統括する大きな「大隊司令部」の中にあるという「極めて重要視された」形で、「国民を一定方向に誘導する」ための心理戦争部隊が日米完全一体化されている。
○この「目的」は明らかである。
<以上、抜粋終了>
