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局地戦での勝利を「赫赫たる大戦果」と吹きまくって戦争そのものに大敗北した国が昔どこかにあったような。
小田嶋隆 @tako_ashi 3時間前 考えの足りない調子ぶっこいた世襲のバカ大臣が、場違いなジョークをカマして赤っ恥をかいた案件と、文部科学行政全般に対して狂った予断を抱いている暴君志向のヤンキー大臣が、格差容認思想を露呈してみせた案件を一緒くたにしてはいけない。バカはバカ。悪は悪。きちんと分けて処理してほしい。
このスレッドを表示今後は興味のあるツイートがもっと表示されるようになります。 取り消す取り消す河野防衛相の世にもくだらないジョークに鬼の首を取った的な反応を示した結果、同時期の萩生田文科相によるいわゆる「身の丈」発言への追及も同じ「揚げ足取り」と見られてしまっている。萩生田発言は「教育の機会均等」を全否定する深刻かつ重大な暴言だったのに、だ。
このスレッドを表示今後は興味のあるツイートがもっと表示されるようになります。 取り消す取り消す河野防衛大臣の「雨男」発言を謝罪に追い込んだのは悪手だと思う。こんなゴミみたいなジョークの揚げ足を取っても、メディアの手柄にはならないし、野党の実績にもならない。ただただ政権側に「メディアの切り取りってウザいよね」という印象を広める絶好の宣伝機会を与えている。バカすぎる。
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内田樹のホームページから転載。記事前半は過去の歴史の復習なので割愛。
まあ、内田氏のこの発言に、特に否定するべきところは無いと思うが、日本の自民党の事実上の「一党独裁」は中国共産党の一党独裁と同じだ、と言っても、大多数の日本人は「それがどうした」としか思わないのではないか。
長い物には巻かれろ主義の日本人は、「今現在独裁的立場にいる者」には無条件で平伏するのであり、何を今さら、という話だ。
独裁は共産主義とも資本主義とも無関係である。(共産主義の対義語は資本主義であって民主主義ではない。)そして、本物の民主主義国家など、本物の共産主義国家同様、かつて存在したことはないだろう。
日本社会が現在の状況を変えるためには、「命も要らぬ、名も要らぬ」という人間が立ち上がるしかないわけで、それは日本ではなかなか出てこない。山本太郎などがその数少ないひとりだろうと私は思っている。だがまあ、迂遠なようでも、私は正しい論理による啓蒙活動が人類(日本人はその一部にすぎない)の未来を変えていくと思っている。一番恐れるべきことは、倫理の崩壊よりも、「論理」が社会から消えることであり、今の日本はそれに近い。安倍政権の無茶苦茶な言行が何ひとつ咎められることがない、という「無論理」状況は、どんな政治的紊乱の時代にも無かったのではないか。
(以下引用)私が言いたいのは、アメリカ人は意外に「怖がり」だということである。
アメリカ人は久しくソ連を恐れていた。冷戦が終わった後はイスラムを恐れていた。そして、いまは中国を恐れている。
もちろん中国を恐れるには十分な理由がある。
最大の理由はAI軍拡競争において中国に後れを取っているのではないかという懸念が政府内部に広がっているからである。
中国では、党中央がある国防戦略を採択したら、命令一下全国民資源をその一点に集中できる。軍も企業も大学も党中央には逆らえない。だが、アメリカではそうはゆかない。政府が「国家的急務」とみなすプロジェクトがあったとしても、そこに民間の人材や資源を集中するためにはしかるべき手続きが要る。民主国家だから当然である。仮にグーグルやアマゾンに個人情報にかかわる企業秘密を政府に差し出せと言っても、おいそれとは聞いてもらえない。グローバル企業である兵器産業が自社利益を優先して(F35のような)不良在庫を軍に売りつけようとするのも止められない。
そして、本当のことを言うと、もうミサイルも空母も戦闘機も軍略的にはそれほどの緊急性がないのである。
AIが戦争概念を一変させた。
AIは人間よりも大量の情報を瞬時に判定できるので、リアルタイムで複雑な戦況で最適解を出す仕事には人間より適している。AIシステムは戦場でも人間より迅速かつ正確かつ組織的に移動することができる。一方、システム攪乱のためのディープフェイク技術も進化している。アメリカの兵器システムにサイバーセキュリティ上の抜け穴が存在し、「比較的単純なツールと技術」で、これを利用できることを2018年にアメリカ政府監査院が指摘した。
ミサイルや空母や戦闘機のような兵器の装備がいくら充実していても、それを統御するコンピュータシステムが攪乱されたら、戦争はできない。だから、ほんとうは戦闘機や空母を作る金があったら、サイバー・セキュリティの精度を高める方が優先するのである。ところが、アメリカではそれが遅れている。
この点では中国に明らかにアドバンテージがある。中国は独裁国家だから、AI技術の軍事転用に抵抗する勢力は国内にはいない。顔認証システムやカメラによる国民監視システムでは中国はすでに世界一である(パッケージしてシンガポールやアフリカの独裁国家に輸出しているほどである)。
遠からずアメリカはAI技術における相対優位を失うだろうとアメリカの軍事の専門家たちは警告している。
むろん、フーヴァーがそうであったように、「中国恐怖」は、この恐怖心を利用しておのれの利権や予算分配を拡大しようとするアクターたちの間の主導権争いをいくぶんかは反映している。だから、この恐怖心は戦術的に誇張されていると考えた方がいい。
だが、この恐怖心は日米同盟のチャンネルを通じて日本にはそのまま浸透してきた。
この「中国恐怖」にまず日本の政官財のトップが感染した。なにしろこれは米軍上層部から「ここだけの話」と耳打ちされた極秘情報である。「ここだけの話」というタグをつけた話はあっという間に広まる。「中国はアメリカにAI 軍拡競争で優位に立っているらしい」という話は官邸に近い、首相と飯を食うジャーナリストたちを通じてメディアの現場に伝わり、それによってたちまち対中国の論調が一変した。
それが「嫌中言説」の抑制の背景にあると私は見ている。
トランプ大統領が仕掛けた米中貿易摩擦もアメリカの科学技術の移転への恐怖に駆動されている。アメリカにとって中国はすでに「嫌いな相手」ではなくて、「怖い相手」になっているのである。その恐怖心が日本のメディアに感染して、気がついたら「嫌中言説」がかき消えていた。別に日中関係が好転したわけではない。
ここまではどなたでも納得して頂けると思う。だが、私が恐れているのはそのことではない。それよりは、中国モデルを模倣しようとしている国が世界中に生まれつつあるということの方である。中央統制を組み合わせた「チャイナ・モデル」の劇的成功を羨む人たちは民主国家よりも強権国家の方が巨視的アプローチを効果的に採択できると信じ始めている。
人間は直近の成功事例を模倣する。
日本でも、IT長者やネットの「インフルエンサー」たちが幼児的な言動をするのを批判すると、「そういうことはあれだけ稼いでから言えよ」と冷笑される。「成功者を批判するやつは嫉妬しているだけだ」という考え方がいつの間にか定着した。同じことが国際関係でも起きている。中国の統治を批判しても、「じゃあ、おまえは14億人を効果的に統治できるのかよ」と言われたら黙るしかない。「成功した人間を批判するのは嫉妬ゆえだ」というロジックは日本人にはもう深く内面化している。それが中国批判についての心理的抑制として働いている。
ところが、まことに困ったことに、ここにチャイナ・モデルの劇的成功に冷水を浴びせる事例が存在する。
それが韓国である。
韓国では、市民たちが自力で軍事独裁を倒し、民主化を達成し、あわせて経済的成功を収め、文化的発信力を高めた。
つまり、日本の前には、強権政治による成功モデルと、民主政治による成功モデルの二つがあることになる。
嫌韓嫌中言説はこの二つの成功モデルに対して、競争劣位を味わっている日本人の「嫉妬」から生まれたものだと私は見ている。そして、「嫌中言説」が抑止され、「嫌韓言説」だけが選択的に亢進しているのは、この二つのモデルからの二者択一を迫られた時に、日本の政官財メディアの相当部分が「どちらかを選べというなら、韓国モデルより中国モデルの方がいい。民主政体より強権政体の方が望ましい」という選択を下したということを意味している。だから、嫌中言説の抑制と嫌韓言説の亢進が同時的に起きたのである。
安倍政権は、無意識的にではあるけれども、中国の強権政治に憧れに近い感情を持っている。彼が目指している「改憲」なるものは要するに単なる「非民主化」のことである。それと市場経済を組み合わせたら、中国やシンガポールのような劇的な成功が起きるのではないかと官邸周りの人々は本気で信じているのである。本気で。
そして、指導層の抱いている「日本も中国化することが望ましい」というアイディアに日本国民の多くはすでに無意識のうちに同意し始めている。「現に中国はそれで成功した」と知っているからである。そして、「成功者を批判することは誰にも許されない」という奴隷根性を深く内面化しているからである。
だから、「民主化と市場経済の組み合わせ」という韓国の事例をひとまず「それなりの成功事例」として認め、それがどのような歴史的文脈のうちで、どのようなファクターの働きによってもたらされたのかを分析する作業にあれほどヒステリックに抵抗するのである。
(2019-10-28 08:31)
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「逝きし世の面影」から抜粋転載。
博学多識の宗純氏らしく、「バンザイ」という風習についての私の疑念を解消してくれたが、この風習が明治期(帝国主義思想下の日本)に起源を持つのではないか、という私の想像は当たっていたようだ。
なお、私は別記事で「万歳」は中国語で「マンセー」と読むのでは、と書いたが、「マンセー」は朝鮮語らしい。まあ、「万歳」が中国起源の風習だというのは予想通りのようだ。ただ、「万歳」を叫ぶ際に両手を上に上げるという動作をするのは中国や朝鮮でも同じなのかどうかまでは、下の記事では分からない。
(以下引用)『明治中期に軍人たちによって新しく作られた奇怪なバンザイの風習』
そもそも日本人が公式の場所でバンザイする習慣は無かったが、王政復古から21年目の1889年(明治22年)2月11日に公布された大日本帝国憲法に関連して、新しく生まれたものだった。この時、青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かってバンザイしたのが最初だという。
「バンザイ」は、実は大日本帝国憲法と同時期に生まれた新語で、天皇に対する「コール」を議論した結果、当初の「奉賀」案は連呼すると「アホウガ」と聞こえ却下。中国で皇帝の長寿を祝った際のコール「千歳万歳」の後ろの半分を使うことに。 その発音も「万」の漢音の『バン』(呉音ならマン)と「歳」の呉音の『サイ』(漢音ならセイ)がミックスした(漢字の用法としては誤った)全く新しい言葉である『バンザイ』が生まれたらしい。
★注、
昔から日本では芸能関係の場合はバンザイでは無く呉音の『まんざい』と読んでいた。また、万歳の読みを漢音に統一すると『バンセイ』になる。朝鮮語の発音では万歳は「マンセー」に、今の中国語で万歳の読み方は「ワンスイ」(wànsùi)になる。
『降伏したときに、武器を隠し持っていないとの意思表示としてのバンザイ???』
日本では昔から衆議院解散時には議員全員が万歳三唱する風習があり、また『逝きし世の面影』ブログ記事冒頭に掲げた第二次世界大戦でのレイテ沖海戦で撃沈された日本海軍空母「瑞鶴」が総員退艦で乗組員が万歳するなど、会社の倒産とか『降伏』など極限的な不幸の時にも行っている。バンザイは御めでたい祝辞の象徴ではない。正反対の罵倒や軽蔑、からかいなども同時に意味するのである。
『おめでたい「お祝いごと」だけではなく、180度逆の「不幸の極限」(絶体絶命)の場合にもバンザイする日本人』
日本国のバンザイ(万歳)には、極端な両義性を持っているので、その場の歴史や伝統、微妙な雰囲気などを考慮することが大事で、TPOを間違えてうっかりバンザイすると張り倒される危険性がある摩訶不思議な行為なのである。今回の1000年前の平安時代の雅で厳粛な「即位礼正殿の儀」ですが、まさに時代絵巻である。ところが、明治時代の帝国軍人の猿真似である安倍首相の不細工な万歳三唱で、天平のおごそかな雰囲気を明らかにぶち壊していた。
★注、
21世紀に入ってから、日本全体が病的に右傾化するなかで、出自は不明だが誰かが『手のひらを前に向けたバンザイは降伏のときに武器を隠し持っていない(反攻しない)との意思表示だ』と言い出したので、ネトウヨのアイドルの安倍晋三は10月22日の「即位礼正殿の儀」で「高御座」の徳仁(なるひと)天皇に手の平を内側にした摩訶不思議な『万歳三唱』をしたらしい。(それなら安倍晋三は、天皇に向かって、武器を密かに隠し持って弑逆する意思を示していることになるが、将軍家茂と姻戚関係にあった公武合体派の孝明天皇を暗殺した長州藩のような話である。孝明天皇の暗殺は幕末に来日したアメリカの外交官アーネスト・サトウが日記に書き残している歴史的事実) -
荻生田氏への批判としてはいい発言だと思うが、「大学に行けず記者になれなかっただろう」という部分が少し引っかかる。大学に行けないと記者になれないことを当然視しているのではないか、という疑問を持つわけだ。つまり、学歴差別社会は当然、という視点がここにあるように見える。
学歴差別社会を逆方向から示すのが、大学無償化という法案である。つまり、努力次第で、(事実上は親の地位や財産次第で)誰でも大学に行けるが、大学に行かないとまともな社会的な地位は得られなくて当然、という、学歴差別思想がそこにあると思う。高卒と大卒にそれほどの社会人としての優秀性の差があるのか。
山本太郎の秘書が小学校中退で、すべてネットで独学し、太郎氏のマネージメントをこなしている、と聞いたが、はたして大学入試というのは優秀な人間と無能な人間を正しく選別しているのか。それなら、ほとんどが東大卒の官僚たちが支配するこの日本はなぜ地獄的な社会になっているのか。近藤ようこさんがリツイート私は香川県の県営住宅から県立高校に奨学金で通ったが、安倍政権のような弱い者イジメ政策が当時展開されていたら大学に行けず記者になれなかったと思う。自分が受けた恩恵を社会に還元する思いで政治報道に携わってきたが、身の丈に合った受験を迫る文科相の出現を許した責任を報道人として痛感する。
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演者にちゃんと報酬を支払うだけ、IOCより小人プロレスのほうがモラルが高かったわけだwww
パラリンピックと小人プロレスを同一視するのはケシカランと言うなら、障害者(小人は除く)は崇高な存在で、小人は低劣な存在だ、と主張するのだろうか。それともアマチュアは崇高でプロは低劣だと主張するのだろうか。現在のオリンピックはプロの出場が普通であり、後者の理屈は成り立たない。オリンピックのために訓練に耐えてきた、障害者エリートのパラリンピック出場者と一般障害者を同一視するな、と言うなら小人プロレスラーも訓練を積み重ねたプロである。
山本貴嗣さんがリツイート -
自然災害があると必ず何かを論じる南堂氏なので、今回の千葉の水害についても何か書いているかな、と思ったら、今回の大雨被害が起こる前に、実にタイムリーな記事を書いていた。タイムリーというのは、水害が予想される場合には都心を救うために東京下町を水没させよ、さらに下町を救うために千葉を水没させよ、というトンデモ論である。
もともと南堂氏にはサイコパス的なところがあったが、「経済のためには人命は選別されていい」という思想のようである。
もっとも、下の記事は「釣り」だと後で弁明しているが、確か南堂氏は大学で教鞭をとっていたと思う。そういう人間がなぜ「釣り」行為のような下品な行動を取る必要があるのか。「釣り」というのは言い訳で、筆がすべってブレーキが利かず、本性が出てしまっただけだろう。
(以下「泉の波立ち」から引用)これには載せていないが、コメント欄で読者から徹底的に論破されているので、参照。2019年10月21日
◆ 東京の下町を水没させよ
江戸川決壊や荒川決壊への対策としては、東京の下町を水没させればいい。そうすれば下町を犠牲にして、都心部を救うことができる。
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これまでは江戸川や荒川を氾濫させないための方法を考えてきた。そして「遊水池を作れ」というふうに結論した。
一方、「万が一、江戸川や荒川が氾濫したら」という場合も想定する必要がある。本項では、この問題を考える。
(1) 荒川の氾濫
荒川では、東側の堤防が西側の堤防よりも低くなっているので、いざというときには東側(江東区)が水没して、西側(墨田区・江東区)は救われる。こうして東京の大部分を守ろうとしている……という話。
→ 江戸川区は東京都を守る為に存在する - Togetter
まあ、それはそれで合理的な発想だとも言える。なお、江戸川区は損するばかりではない。
(2) 江戸川の氾濫
江戸川区はかわいそうに見える。だが、同様の措置を、江戸川についても取ることができる。
江戸川では、東側の堤防が西側の堤防よりも低くなるようにすれば、いざというときには東側(千葉側)が水没して、西側(東京都・江東区)は救われる。こうして東京・江東区を守ろうとすることができる。
荒川については「軽んじられる方」であったのだが、江戸川については「重んじられる方」になるのだ。その一方で、千葉の側は「軽んじられる方」となる。
(3) 隅田川の氾濫
江戸川区の西側にある墨田区・江東区は、ひとまず安心か? いや、そうでもない。荒川の氾濫のときには救われても、隅田川の氾濫のときにはそうは言えない。同様にして、こうなるからだ。
隅田川川では、東側の堤防が西側の堤防よりも低くなるようにすれば、いざというときには東側(墨田区・江東区側)が水没して、西側(台東区・中央区)は救われる。こうして東京の都心部を守ろうとすることができる。
すると、こういう反論が来そうだ。
「江戸川と荒川は氾濫しそうだが、隅田川が氾濫することはまずないだろう」
それはその通り。隅田川自体の氾濫については心配いらないだろう。
しかしながら、荒川の西側の堤防が決壊して氾濫することは考えられる。そうなると、墨田区・江東区の全体が水没することもありそうだ。
そこで、そのときのために、対策を取るべきだ。次のように。
「隅田川の堤防は、東側の堤防は低くして、西側の堤防は(かなり)高くするべきだ。そのことで、たとえ荒川が氾濫しても、被害を墨田区・江東区に限定して、都心部を救うべきだ」
※ これは、隅田川が氾濫した場合ではなく、荒川の西側が大規模に氾濫した場合だ。(墨田区・江東区がメチャクチャに水没して、墨田区・江東区の水位が隅田川の水位と同じぐらいになった、というような場合だ。)……原理は先の原理とは違うので、注意のこと。
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以上のすべてをまとめると、こうなる。
「江戸川・荒川・隅田川では、東側の堤防を西側の堤防よりも低くするべきだ」
その意味は、こうだ。
「いざというときには、東京の下町を水没させる(犠牲にする)ことで、都心部を救うべきだ」
何だか人でなしの残虐な行為のように聞こえるかもしれないが、ともあれ、これが被害を最小化する方法なのだ。「かわいそうに」と思ってためらうことで莫大な人命を犠牲にすることがあってはならない。冷酷にも少数の人間を犠牲にすることで、大多数の生命を救う必要があるのだ。
こんなことを言うと、「また人でなしの発想をしているな」と批判されそうだが、上に立つものはそういう非情で冷酷な判断を強いられることがあるのだ。
( ※ その覚悟がなければ、権力を持つべきではない。批判だけして責任をもたないジャーナリストになるべきだ。ジャーナリストなら、どれほど人を殺すことになっても、責任をもたないでいられるからだ。)
ここでは、とにかく、責任感と覚悟が大切なのである。
ただし、話は完結していない。以下に補足的な話がある。
【 補説 】
以上の話には、前提がある。こうだ。
「下町が水没したときに、その水は、地下鉄のトンネルを通って都心部まで到達しないこと」
この前提が成立する場合に限って、「下町を水没させよ」という主張が意味を持つ。
一方、この前提が成立しなければ、事情は異なる。つまり、
「下町が水没したときに、その水は、地下鉄のトンネルを通って都心部まで到達する」
というふうになっているのであれば、下町が水没すると、まもなく、都心部も水没することになる。
だから、問題の核心は、「地下鉄に洪水対策はなされているか?」である。
──
では、現実はどうか?
こんなことは、前から何度も指摘されているので、地下鉄の防水扉ぐらいはすでに十分に設置してあるだろう、と推察した。根拠は下記だ。地下鉄における浸水対策
地下鉄では、駅出入口などからの浸水を防ぐため、止水板や防水扉を設けています。さらに、トンネル内にも防水扉を設け、浸水があっても被害が拡がらないようにしています。
( → 東京都の風水害対策|東京都防災ホームページ )
ところが、どうも、現実は必ずしもそうではないようだ。
→ 荒川堤防決壊時における地下鉄等の浸水被害想定
これは、政府の公式文書だが、かなり大きな被害が想定されている。「完全な水没で壮大な被害が発生する」というほどではないのだが、「半分ぐらいの水没で半分ぐらいの被害が生じる」というような感じになるらしい。つまり、浸水を十分に阻止することはできず、かなり広範な被害が発生するらしい。
これをひとことで言えば、こうだ。
「現状では、地下鉄の水没対策は十分ではない。下町の水没と同時に、都心部でもある程度の水没被害が発生しそうだ」
これを解決するには、地下鉄の浸水対策が重要になる。トンネル内部の防水扉と、(地上部とつながる)駅の出入口の防水扉だ。この両者で、十分な対策を取る必要がある。(現状では不足している。)
とすると、下町については、江戸川と荒川の氾濫の対策をするだけでは駄目だ。それに加えて、地下鉄の全般について、上記のような浸水対策をする必要があるわけだ。
堤防の心配だけしていればいいかと思ったら、その発想には大きな穴があいていたのである。足元に穴ができるように。
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「ネットゲリラ」読者コメントの一部である。
ナマ印氏のコメントは一部に示唆的なところがあるので載せたが、末尾の中国侮蔑で喜んでいるネトウヨ顔が気持ち悪い。まあ、そういう部分だけカットするのも「意図的編集」になるので投稿全体を載せておく。
載せた理由は、主に次の言葉にある。赤字にしておく。豪雨による川底の土砂堆積が次の氾濫の原因になる、というのはかなり見逃されている部分だと思う。
豪雨が山を削って土砂を川に流せば川底は上がるわけで、堤防もあげなきゃならん。治水に完成形はないわけです。
(以下引用)
武藏小杉の件は合流式下水道の逆流であり内水氾濫と整理・區分されるやうだが、舊河道の低地であり土地の來歴自體がアレだつた譯だ。分りやすい畫像が見つかつたので張つておく。地上波、而も國策放送で流されてゐたとは。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-kyu-kadou.htmlまあここまで連続して豪雨が続くと治山治水も限界はありますな。
それに河川の堤防の整備や浚渫はつねにババ抜きゲーム。一か所悪い場所を直せば、その次に悪い場所が次の危険箇所になる。
結局対策が後回しになる一番立場の弱い地域が常に犠牲になる仕組みなんですな。
危険個所を絶対にゼロにはできないんでそれは仕方がない。ただ、自分が無事でもせめて被災地域に対する慮りは必要なわけです。
バカがトンキンは巨大下水空間で助かったヤッホー。上流はざまあみろ、なんて書き込みをするが、実は被災した地域がその他の地域を守った側面を忘れちゃいけない。手を合わせるべき相手なんですな。そういう意識を社会全体が失ったとき、多分国家は崩壊するんだと思いますな。
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ボクシングで、弱いパンチでも連続して当たるとダメージが蓄積してKOされるようなものだ。これまで千葉県は自然災害とはあまり縁の無いところだったと思うが、今年は災難続きである。
ところで、千葉県のこの状況はテレビなどで全国的に報道されているのだろうか。それとも東京以外はみな単なる地方扱いで、同じ関東という意識は無いか。ざっくり言うと
- 激しい雨が観測されている千葉県内の千葉駅前で、大規模な冠水が起こった
- 台風被害を受けた千葉県だが、県内のほぼ全域に土砂災害警戒情報が出された
- 台風の影響もあり、普段より少ない雨でも災害が発生する危険があるという
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阿修羅記事に載っていた写真だが、和装の女性の万歳が、腕がほとんど上がっていないのを見ると、「万歳」という行為自体がまったく日本の風習ではないことが推測できるのではないか。確か中国には目上の人の長寿を願い「マンセー(万歳)」と叫ぶ風習があると何かで知った記憶があるが、その際に両手を上に上げるのかどうかは知らない。大衆が(上辺だけでも)権力者の長寿を祈願する儀礼は世界中どこにでもあるが、日本式の万歳は、明治以降の産物だと私は思っている。しかも、それが権力者の長寿を願う行為ではなく、戦勝などでの喜びの表現となったのがまさに帝国主義明治国家らしい。
なお、両手を上に上げるのは降参のポーズでもあることを右翼が気にしたらしく、どこかの誰かが「降参は手の平を前に向け、万歳は内側に向ける」という新アイデアを提唱し、それがなぜか「正しい万歳マナー」だとして流布されつつあるらしいwww








前回の史上最大級ハリケーンが関東から東北を襲ったときに増えた河川の水嵩がまだ下がりきっていなかったからね。こんなことになるのはある程度予測できたろう。このところ毎日荒川を渡って仕事に行ってて、その水位と濁り具合を目にして、これはやばいなと感じていた。数人なのか数十人亡くなったのか、残念なことです。治水がおざなりで、という意見もあるようだが、豪雨が山を削って土砂を川に流せば川底は上がるわけで、堤防もあげなきゃならん。治水に完成形はないわけです。ITが進んでAIが仕切る世の中になっても、ダムや川の浚渫は力技なんだから、足りないリソースを効率よく使ってやらざるを得ないんだろう。どの川のどの堤防が決壊するのかはスーパーコンピュータを使っても事前にわかるわけぢゃあない。治水がおざなりで、という意見もあるようだが、昭和に比べれば洪水による死者数は激減したと言えるレベルなんだと思うよ。
治水がおざなりで、という意見もあるようだが、これが中国だったら500,000人くらい死んでたと思うw