技術というものは、それによって最終的に得られる利益の意味によって「良い・悪い」という価値が決定される。

 世の中には、その技術を利用することで物凄い現世的利益=カネを得ることができる=という視点だけからしか良否を判断できない人が非常に多い。
 彼らの大半が、その技術が最終的に人類を滅ぼし、豊かな未来を破壊してしまうとしても、それを理解することを避け、目先の利益だけに一喜一憂するのである。

 オットー・ハーンが核分裂を発見したのは1938年だった。翌年、それを知ったアインシュタインは、ナチスに先立ちアメリカで原爆を製造するようルーズベルト大統領に進言した。
 これが世界の核開発の発端である。つまり、核開発とは核兵器開発であり、世界各国は、核兵器開発を続けたいために平和利用を口実にした原発運営を続けてきた。

 原発を平和目的で運用することで、大規模な核原料採掘から精製、放射能の取扱知識を持った大量の人々を確保し続けることができた。そして、それを利用して原爆という地上最強の超絶的兵器を作ることができる。
 もしも原発がなければ、核兵器開発反対派によって、核開発インフラが途絶えることを恐れたのだ。

 アメリカは、わずか4年で原爆製造に成功し、広島長崎に投下することで日本に最終勝利することができた。
 日本も負けていなかった。陸軍は仁科芳雄に、海軍は湯川秀樹に開発を委嘱し、湯川は成功したが敗戦を迎えたので、朝鮮興南道沖で爆発させたといわれる。

 世界の核開発は、徹頭徹尾、大量破壊兵器のインフラ整備目的で行われていて、平和利用の原発というのは見せかけだけのウソである。
 だから、原発が、80数年におよぶ核開発の歴史のなかで、廃棄物の安全な処理技術(核のトイレ)が成立せず、未来永劫、核汚染による健康被害をもたらすことがわかりきっていても、それよりも超強力な人殺し兵器を保有することを優先させてきた。

 国というものは、一番力の強い者たちが、暴力装置を使って民衆を支配統制して、国家体制からの利権を享受するシステムである。だから国の支配者たちは、例外なく、警察・軍隊・司法・兵器が大好きで、それが自分たちの利権を守ってくれると神仏のように崇め奉る結果、最大至高の兵器である核兵器を保有し続けようとするのである。

 このようにして人間社会は、国家の利権を守る目的で核開発を続ける。だが、それは戦争になったとき敵国を滅ぼすことができるかもしれないが、平和なときでも、自国民を放射能によって殺し続ける「究極の筋悪技術」なのである。
 私は青森の再処理工場が放出してきた放射能が、青森県民を日本一の癌多発県であるとともに、心臓疾患が全国平均の数倍という恐怖の放射能汚染地帯に変えてしまったことを何度も告発してきた。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828328.html

 残念ながら、何十回も掲載してきた、この記事への反応、関心は極めて薄い。ほとんどの読者が半信半疑で見ていて、六ケ所村再処理工場が放出する放射能が何をもたらしたのかについて無知なままだ。
 私は、過去数十年に渡って、人間社会の未来を破壊する放射能の恐ろしさを糾弾する記事を掲載し続けてきたのだが、手応えのある反応を得たことはない。
 私は無知ばかりが目につく、手応えのない霧のような海で、心を折りながらも泳ぎ続けている。

 核開発が、決して否定されない理由としては、これが人間に特別な力を与える「神の領域」の技術であるとともに、資本主義社会において、莫大な現世的利権を生み出す技術であるためだ。
 「核を扱えばカネになる」と信じた巨大企業、東芝や日立、三菱の経営者たちは、一斉に核開発に参戦した。だが、彼らは、核開発の強欲戦争に敗れて、今や存立基盤さえ危うくする大失敗を続けている。もうすぐ東芝は潰れてしまうだろう。

 核開発は、冒頭に述べた「技術のもたらす意味」という視点で、金儲けからも人類の未来も根底から破壊する「超筋悪の技術」である姿を見せ始めている。
 こんなことは分かり切っていたことだ。人を不幸にする技術は、地獄の悪魔たちとともにある。強欲に突き動かされて求めれば、やがて、あらゆるものを滅ぼす結末しかないのである。

akaruimirai

 人類の明るい未来に貢献できる「筋の良い」技術などあるのだろうか?
 上の双葉町に人々が戻って来られる日は、たぶん来ないだろう。政府の安全デマに騙されて戻った人も、やがて放射能に蝕まれた苦悩の末に安全な土地に移住するしかない。

 さて、目先の金儲けに貢献するかもしれないが、人類の未来を破壊しかねない「筋悪技術」は、まだたくさんある。
 地球生物の未来に暗い影を落としているのがプラスチックだ。
 人々は目先の便利さを享受するため、プラスチック製品を大量に送り出してきたが、今になって、それがマイクロプラスチックに変化し、人間を含めた地球生物に深刻な悪影響を及ぼしていることが糾弾されるようになった。
 https://emira-t.jp/special/12866/

 今から1960年以前、私の子供時代にプラスチックはほとんど存在しなかった。
 当時、商店の製品は、ほとんど自然物で梱包されていた。販売折詰は経木だったし、八百屋では朴葉や笹葉、せいぜい新聞紙で梱包され、あらゆる梱包資材が焚火で落葉とともに燃せて、入れた焼芋の良い香りが日本中に漂っていた。
 みんな買物籠を持参していた。

 プラスチック梱包資材は生鮮商品の安定梱包に大きな役割を果たしたのは事実だが、その底しれない有害性が理解されたなら、元通り自然に同化する梱包資材に切り替えればよいはずだ。
 だが、それを阻んでいるものは、資本主義の金儲け競争の思想だ。「そんなことをすればコストがかかって儲からない」という発想だ。また「衛生上」という屁理屈も働いている。

 次に筋悪なのは、EVカーだ。そもそもバッテリー駆動EVカーには、化石燃料車と較べて致命的な欠陥がある。
 電気の場合、エネルギー密度が化石燃料の30分の1しかないことがわかっている。だから、同じ距離を走るのに必要なエネルギー注入時間がガソリン車の30倍もかかることになる。
 https://ilink-corp.co.jp/3772.html

 同じ距離を走るならEVカーはガソリン車の三倍安く上がるというのはウソだ。それは燃料税が含まれていないからで、これを補正すると1.7倍になる。政府は全車EV転換後は、燃料税を課税するのは100%確実であり、すでに「走行距離税」という話まで出ている。

 またEVカーが炭素排出量を減らすというのもウソだ。EVカーを充電するためのインフラは、莫大な炭素を輩出する電力設備であり、原発や火力の建設と送電インフラ建設は物凄い炭素排出源となる。
 国は、原発を推進するため、自然再生エネルギーに補助金を出さないなど嫌がらせを繰り返し、原発電気を優位に見せかけてきた。
 不足分を石炭LNG火力で補填し、炭素発生源だから原発が必要とデマ宣伝をしてきた。

 実は地球温暖化の最大要因は、原発温排水なのだ。過去60年にわたって300基の原発が一基あたり毎秒70トン、年間62万トンの7度高い膨大な温排水を海洋に放出した結果なのである。これは海水表層を温めることになる。
 その総量は70億トンに達し、海水の比熱は空気の1000倍あるので、0.001度上昇させれば、平均気温が1度上がる仕組みだ。それも、気象に関係するのは海水表層だけなので、我々の想像するより、ずっと温排水の影響は深刻である。
 https://imidas.jp/jijikaitai/k-40-059-10-03-g112

 ダボス会議は、異常気象、地球温暖化対策のために、原発を増設すると主張しているが、この結果は温暖化にますます拍車がかかる仕組みである。
 原発は、あらゆる意味で筋悪である。だからEVカーも筋悪技術である。
 それでは筋の良い技術は何かといえば、それは安全な再生エネルギーと、エネルギー節約技術、そして、そもそもエネルギーを浪費しないライフスタイルをもたらすものだ。

 私は、何十年も前から、自転車を有効活用すべきと主張してきた。
 日本中に安全な自転車専用道を整備し、EVはその補助動力として使用する程度にすべきだと考えてきた。
 そうすれば、日本の医療費は9割くらい圧縮することができる。人々が車利用などの自動化によって失った健康を取り戻すことができるからだ。

 また社会で使われる動力も多くも、自転車を転用することが可能である。
 人々が生活な必要な動力を、できるだけ自然に依存した原始的で効率的なスタイルに切り替えればエネルギー問題は大きく解決するのだ。
 それを阻んでいるのは、またしても資本主義による金儲け競争である。
 楽をすることが合理化であり進歩であるかのような幻想を与えて、金儲けに結びつけようとする思想である。

 筋悪技術を書き出すと際限がなく続くので、次回もまた「何が間違っているのか」について書きたい。