"日本改造法案"カテゴリーの記事一覧
-
迷ったら、出発点に帰れ、というのは山道などでの原則だろうが、思考でも同じで、迷った場合は問題の根本や本質をもう一度考えるのがお勧めだ。
で、前回書いた、「果たして、日本は収入を増加させる必要があるのか」というのは大きな問題だと思う。これ(日本は収入を増加させる必要がある)は、多くの人にとってはまるでア・プリオリな真理というか、常識のように思われているが、それは家計と国家経済の混同から来ているのではないだろうか。
だいいち、国民全員の収入を「平等に」増加させる、ということは社会評論家のほとんど誰も論じていないのであるwww これは大笑いしていい「詐欺」ではないか。経済が上向けば、(輸出産業を筆頭とする大企業が儲かれば)国民全体が豊かになる、という「トリクルダウン」がまるで論じるまでもない真理であるかのように、それを前提としてすべてが論じられているのである。
言うまでもなく、「トリクルダウン」は存在しない、とあの新自由主義者の経済学者連さえ公に認めているのである。
ならば、「日本は収入を増加させる必要がある」という命題も成り立たないはずだ。つまり、「上級国民のためには」という前提でしか、この命題は成り立たないだろう。他の一般国民にとってはほとんど無縁な話である。
おそらく、私がこう書いても、「何となく納得できない」という人が多いと思う。それは「トリクルダウンはやはり多少はあるはずだ」という考えの人か、あるいは「家計と国家経済を同じもののように考えている」ことから来る錯覚だろう。
家計においては、「収入が増えればいい暮らしができる」のは当然だが、「国民全体の収入が増えたら『個々の国民』はいい暮らしができる」とは限らないのである。当たり前だ。それでいい暮らしができるのは個人収入が増える「上級国民」だけである。下品な言い方をすれば、「俺が芋を食えば、お前が屁をひるのか」という話だ。これが家計と国家経済の違いだ。個人と集団を混同してはいけない。
補足するなら、GDPの6割は家計消費であると言う。つまり、輸出輸入に関係なく、国の中でぐるぐる回るカネだけが、本当の意味で我々の生活に直結しているカネなのである。
ということは、そのカネが減少していること(一般国民の間で循環するカネが減少したこと)が最大の国民経済の問題であって、輸出とか輸入とか、貿易赤字とか黒字とかの問題は、それに比べたら、まったく些末的問題でしかない、ということになるだろう。
とりあえず、ここで小結論を出しておく。
「日本は収入を増やす必要は、実は無い」
では、何が問題か。国内のカネの循環のどこが悪くて国民を不幸にしているのか、である。
第一次産業の問題は、その後で考えることにしよう。覚えていたらだがwwwPR -
「産業と経済」の項目をどこまで書いたか覚えていないので、通し番号などの間違いはいずれ気が付いたら訂正することにする。
私が「書きながら考える」人間、より正確に言えば「書くことで考える」人間であることはこれまで何度か書いている。つまり、自分が今論じている問題についての解答など持っていないのである。書いているうちに思いつくかもしれない、ということだ。これは趣味で小説などを書く場合も同じである。何しろ、書かないかぎり考えることもしない人間なのだから仕方がない。
だが、最初から「結論ありき」で、その結論に向かって無理やりに理屈をつけただけの文章など読んで、何が面白いのか、とも思う。学者や評論家などの書く多くの社会評論はそうではないか。つまり、ポジショントークの文章化にすぎない文章を「論理的だ」と思っている読者がもの凄く多いのではないだろうか。
というのは、もちろん、これも私の自己正当化のためのポジショントークだwww 世の中、ポジショントークが9割。
本論に入ろう。これからの日本の「収入を増やす」方法はあるだろうか。
これは政府収入を増やす、というのと、国民全体の収入を増やすのとの二つに分けるべき問題だが、まずは後者から論じる。前者は、上級官僚が「増税あるのみ」と断固として主張しているwww これ(前者について)は、後で気が向いたら考える。
国民全体の収入を増やすために、何か方法が考えられるか、という問題に対し、漠然と考えてみると
1)金融立国は、まず無理。西洋の握る「金融利権の世界システム」を変えないかぎり、日本がそこに割って入る余地はない。むしろ、食い物にされるだろう。(アイスランドの金融危機を見よ。あれがいい例。西洋でも「主流」以外は食い物である。)向こうは常に「ルールを作る側」なのだから。(その例外になるかもしれないのが、中国のAⅠⅠBだが、これも成功するかどうか、現段階では不明。)
2)工業(製造業あるいは第二次産業)で、日本全体が浮上する可能性も少ない。何より、今の日本はかつての工業的人材(研究開発の人材)をコストカッター経営陣が廃棄物扱いにしたため、「人材の致命的不足」に陥っている。(サムスンの躍進は、日本からの人材移動、移籍によるものだと聞いている。)末端労働力なら、中進国、後進国のほうが安価に手に入るから、工場はそちらに移動する。日本国内の工場は衰退するのみ。
3)観光などの「サービス産業」で国民全員が潤うのは無理。まあ、焼石に水を灌ぐ程度の効果だろう。コンテンツ産業も、国民全員が潤うほどのものにはなりえない。そもそも、それに従事できる国民の数は非常に限定される。(それになぜか、会社は儲かっても、作り手の給与は恐ろしく低い)
ということで、第二次産業も第三次産業も発展可能性は少ない。(言うまでもなく、これは「全体として」見ての話だ。個別的には成功できる企業も出てくるのは当然である。)
というのが当面の結論になるが、ここで、「当座の結論から出てくる疑問(新しい問題)」は二つある。
1)ならば、第一次産業の改革しか、道は無いが、それで「収入増加」になるか。
2)そもそも、「収入増加」は本当に必要か。
それを次への導入としよう。 -
昔の漫画、「矢車剣之助」の作者だったと思うが、週刊誌(月刊誌?)漫画の描き方(作り方)をこういう風に言っている。「その回の終わりに、主人公を、考えられる最高の窮地に追い込んで、そこでペンを投げ捨てて飲みに出る」というものだ。つまり、主人公をどうして窮地から救うか、まったく先を考えずに、飲みに出る(笑)のである。その後の成り行きは、次回の締切が近づいたら考えればいい、ということだろう。
私はこの話が大好きで、作者自身が自分の「無意識の力」をうまく利用しているなあ、と思う。
などと、産業にも経済にも縁のない話をしているのは、前回の末尾が、この方式だったからである。
さて、「コンピュータ革命」で中間層(中流階級)がいなくなり、富裕層と貧困層に2極分化した世界で、どんな「金儲け」が可能か、というのが前回提起した問題だった。まあ、「金儲け」というより、この世界の経済構造や産業構造をどういう方向に進めるのが一番賢いか、という問題としてもいい。
もちろん、これまで何度も書いてきたとおり、貧困層にカネを回すのがベストの解決策だろうし、それは必然的にある種の社会主義的政策になるだろうが、ここではそれは論じない。
「これからの産業と経済」の一つの切り口は、社会がどんなに発展しても、個々人は乳児から幼児、子供、少年少女、青年、中年、老人という人生サイクルをたどるしかない、ということだろう。つまり、世界がどのように変わっても、それぞれの年代や性別に必要な品は常に必要だ、ということである。簡単に言えば、乳母車もおしゃぶりもおむつも、形態や素材は変わってもこの先も存在するだろう、ということである。老人に必要な品も同じ。これについては、後で考えてみたい。
その前に、「貧困層を相手に商売をする」ことから考えてみよう。まず、「低価格」であることは絶対条件だ。そして「品質が悪い」こともある意味、必要条件だろう。品質が良いと長持ちして「次のもの」を買ってくれない。だが、買う側は、少しでも安くて品質の良いものを探し選ぶ。であれば、企業は「安くて品質の良いもの」を作れば、少なくとも当面の競争には勝てるわけだ。だが、こんなのは子供でも分かる話だ。品質が悪くても買う例もある。安物のビニール傘の類である。これは、突然の雨降りという「窮地」から逃れる「緊急避難」の事例である。だが、こういうのは特例だろう。
安くても大量に売れれば商売としては成功である。つまり、誰もが本当は必要としていながら、なぜか誰も商品化していない品を発見できれば、商売になる。ユニクロなどが成功した最初は、そういうものだったのではないか。つまり、余計な飾りや模様のない、男でも女でも着られるユニセックスの服で、値段も安い、ということで、これは「誰もが求めていながら、それまでは存在しなかったもの」だったと思う。存在しなかったが大げさなら、マーケットには無かった品、でもいい。で、ここでの盲点は、「飾りや模様は服には絶対に必要」という作り手や売り手側の「思い込み」である。ちゃらちゃらした飾りや模様などついていないシンプルな服がいい、と思っている人間は、業界の人間が想像するより膨大にいたのである。この事実は衣類業界以外にも応用できるのではないか。特に、衰退産業では、この種の「思い込み」が根深くありそうだ。何度も落とし穴に落ちながら、また同じことをやる阿呆ばかりである。映画界とかね。
だが、私は、「日本全体としての産業と経済」を論じるはずであった。書いたものを消すのも癪だから、そのままにしておくが、次回は「日本の産業と経済」を身を入れて論じたい。 -
まず、「収入を増やす方法」は、根本的に言えば、「どこかで必要とされている品を作り出し、運び、売る」ことだと考えていいだろう。現在の世界で「必要とされている品」はもちろんあるだろう。それを適切に作ることができた企業は「儲かる」だろう。では、何かを必要としている人々に金が無かったらどうなるか。企業活動そのものが成り立たなくなるわけだ。
前の「幼児や老人や病人の世話をする仕事」で論じたことが、形を変えてここで出てくる。世界には物資を必要とする人々が無数にいる。ところが、その人々は金が無い。これが世界的現象だとしたら、はたして「儲かる仕事」などはあるのか。もちろん、「富裕層向けの産業」を推進すればいい、という発想はすぐに出てくる。だが、富裕層は数は少ないし、彼らの消費など限られたものだ。超贅沢品を購入するかもしれないが、同じものを二つも三つも必要とするわけではない。
20世紀中盤までは「中流社会」が膨大な層を成していた。彼らは大量生産品の良き購買者であったわけだ。ところが、コンピュータ革命によって、世界的に「中流層が消失する」という事態が起こってしまったのである。つまり、金があってもほとんど物を買わない大富裕層と、金が無いので「100円ショップ」的なところでしか物を買わない貧困層の二極に世界が分裂してしまったわけである。
世界的に広がった1%対99%の戦いの原因を多くの人は1%の強欲のためだと思っているだろうし、それも大きな原因だが、実は「コンピュータ革命」による経済構造変化こそが、世界を1%と99%に分離してしまったのであって、必ずしもそれは1%が意図したものでもなかったのではないか。だからこそ、富裕層の中から富裕層への課税強化を自発的に求める声さえあるのだろう。それは必ずしも偽善ではなく、「世界の二極化」のもたらす悲惨な結果を予測する者が富裕層にもいる、ということではないだろうか。
とすれば、富裕層を全員ギロチンにかけて首を切れば問題は解決するわけではない、ということになる。
そして、「コンピュータ革命」をやめて、コンピュータ以前の世界に戻すことももちろん不可能だ。ではこのアポリア(難問)の解決策はあるのか。刮目して次回を待て! www -
さて、テレビ録画のドラマなど見ながら考えてみようとしたが、まったく考えられなかった。やはり、思考には集中力が必要なようだ。それも、今ではパソコン画面を前にして考えることが習い性になってしまい、ノートなどを前にしては頭が働かない。字を書くこともまったく無くなった。
閑話休題。
日本の経済状態を良くする手段には大きく見て三つある。
1)収入を増やす
2)支出を減らす
3)分配方法(比率)を変える。
の三つだ。上記の1)と2)はよく論じられる。1)は経済界が十年一日のごとく論じている。「これから儲かる産業は何か、これから儲ける方法は何か」こればっかりである。2)は上級官僚が常に仕事としていることだ。既得権層の取り分を減らさずに、政府の歳出をいかに減らすか、である。福祉予算カット、年金支払いカットwww もちろん、1)も考えるが、その手段はこれも十年一日のごとく増税である。日本人のように「長いものには巻かれろ」主義の奴隷根性民族でなければ、明治以降、百回くらい革命が起こっていただろう。
3)は一番重要だと思う(あまり論じられないが、それは言うまでもなくマスコミや教育界ではこの問題が「タブー」だからだ。)が、先に1)から考えておく。
現代の世界において、これから発展する産業があるだろうか、またそれは日本にとって可能なのかどうか。
20世紀終盤は「情報革命」の時代だったと言えるだろう。IT産業は第二次産業とも第三次産業とも厳密には言い難いもので、全産業に関係するものだった。コンピュータの存在が、全産業に関わってきたわけだ。これによって機械の合理化が進み、人手がどんどん不要になっていった。これは「IT革命」ではなく「コンピュータ革命」と言うべきものだろう。もっとも、私は未だに「IT」の意味を良く知らないのだが、「情報技術」あるいは「情報機器技術」の意味だと解している。コンピュータを「情報機器」とするのは、「電子計算機」とするよりも不正確な捉え方だろう。コンピュータは「汎用制御装置」と見做すのが一番適切なのではないか。したがって、農作業機器から工場の機械から事務機器から携帯電話まで、どこにでも使用できる。要するに、「用途の最適解の制御システム」を維持する装置だ、と見るべきだろう。
話が長くなったが、とにかくコンピュータの出現で世界の産業に革命的変化が起こり、1)人手の多くが不要になった。2)どこの国でも、「機械の単純操作だけで」物が作れるようになり、企業が場所に縛られなくなり、利益を求めて簡単に移動するようになった。(その分、税の捕捉が難しくなった、などの問題も派生する。)3)多くの職種で人員が不要になり、失業と給与水準低下がどこの先進国でも起こってきた。これは中進国へもすぐに波及するだろう。
つまり、「コンピュータ革命」は世界の産業形態を変えたのである。では、日本一国が、この流れに抗して、何か「儲かる産業」を案出し、現実化できるだろうか。
その前に補足すると、上記の「コンピュータ革命」は企業の合理化を進めるわけだから、うまくそれを使った企業は利益を上げることができる。しかも、合理化された仕事の多くは単純労働だから、「下の労働者」に支払う給与は低くてもいい。中間職は不要だから、この分の給与も不要、というわけで企業利潤は増大し、それは上級管理職と株主の手にほとんど入ることになる。彼らは税を払わないために全力を尽くす。つまり、国家税収も国民の平均所得も急激に低下していくのである。(もっとも、平均所得では「上級国民」の数字も入るから、平均的国民の懐具合とは数字が乖離するので、これだけを見て論じるべきではない。)では、上級管理職になるのはどういう人々か、と言えば、「親の地位が最初から高い人」か、「超難関大学を最優秀の成績で出た人(一種のロボット)」か、「弁舌達者で出世のためならどんな悪事でもやる人間」かになるだろう。どうもあまりいい世の中にはなりそうもないwww 現実も、まさにそうなのではないか。上級国民www
さて、新しい、日本独自の産業は今後出てこないか、と言えば、それは出てくる可能性はあるだろう。何より、日本がこれまで捨てて顧みなかった、「日本文化」「古いもの」「愚劣低劣だとされていたもの」の中にこそ新しい産業の種子があるはずだ。だが、日本全体として取り組むべきものは、産業構造の改革だろう。その前に、もう一つ。
まあ、前から書いていたことの繰り返しだが、「コンピュータに置き換えられない仕事」というものが身近にたくさんあり、「人の世話をする仕事」はほとんどがそれだ。幼児の世話、老人の世話、病人の世話、その他である。ただ、これらは「利益を生む仕事」ではないし、むしろ「利益を生んではいけない仕事」だろう。つまり、利益を生むためには利用者負担を大きくしなければならないが、病人や老人の多くは貧困者であり、幼児はもちろん金など無いwww 企業や施設の利益を増大させることがそのまま「非人道的行為」となる、という難しい仕事なのである。
長くなったので、いったんここで切る。 -
今回の記事タイトルでは「産業と経済」としたが、論じるのはグランドデザインの7)である。
7)産業構造を変える。具体的には第一次産業を振興し、所得構造を変える。さらに具体的には、労働分配率を大きく上げ、国民平均所得を5割アップ、最低所得を倍増させる。
さて、これは「易しい問題だ」などと見得を切ったが、「いかにしてカネを得るか」が日本の上級官僚たちの頭を悩ます最大の問題であることは言うまでもない。
ただし彼らが考えているのはあくまで「政府財政」の問題、つまり、いかにして政府の赤字を減らし、黒字にもっていくか、だけである。その答えが「増税に継ぐ増税」「福祉予算その他の弱者援助カット」であることも誰でも知っているだろう。つまり、「国民を犠牲にすることで政府および上級国民の財布を救う」という答えだ。www
まあ、だから上級国民は国民の敵だ、となる。では、本当にこれしか解決策は無いのか。そんなはずは無いだろう。簡単な話、第二次大戦の敗戦後、日本は「何も無い」ところから立ち上がり、見事に復興したではないか。それを考えると今の「政府赤字」など、バクチ狂いの旦那が大邸宅に住みながら「金が無い、金が無い」と騒ぐようなものだ。
とは言っても、「これから必ず儲かる新産業」のアイデアが私にあるわけではない。
経済の原則は国家財政も家計も同じことで、「入るを図り、出づるを制す」であるのは永遠の真理だ。日本政府が赤字になっているとすれば、それは「膨大な無駄遣い」の結果であるのは自明だろう。そして、その無駄遣いは「福祉予算」などではなく、海外援助、公務員給与、医療費などであるわけだ。福祉予算などは、「国民の生命を守る」という、政府の最大の役目のための予算なのだから、現在でも少なすぎるほどである。では、医療費も同じか、というと、ここには膨大な無駄があることは誰でも分かるだろう。つまり「不要医療」の問題だ。だが、ここでは詳述しない。教育でも国政選挙でも膨大な無駄があるが、それも詳述しない。とりあえず、そうした「財布の破れ目」を直しておかないと、いくら収入があっても赤字になる、とここでは言っておくにとどめる。
ここで論じたいのは、「いかにして入るを図るか」である。国全体として、収入を上げる方法はいったいあるのかどうか。難問だが、考える意義は大いにあるだろう。
(パソコンの操作ミスで、書いたものが一瞬で全部消える、という事故をたびたび経験しているので、書いた小部分ごとに記事を上げ、逐次追加していくことにする。間違い箇所の訂正も逐次行うことにする。なお、記事はネットに上げたものしか「保存」されていない。ネットに上げれば、どこかには残るだろう、という考えだ。) -
特に面白いニュースも無いようなので、「宿題」を考えてみる。これから、ぽつぽつと考察していくつもりだ。もちろん、娯楽です。考えることは娯楽だ。だからこそ、将棋や囲碁や推理小説のファンなどというものがいる。また、考えるのに資格は要らない。馬鹿でも物事の本質に気づくこともある。利口の気づかないことに馬鹿が気づくこともある。
今後の日本のグランドデザインは以下のものだ、と私は言った。
1)現在の三権のありかたを変える。具体的には後で考える。
2)選挙制度を根底的に変える。いうまでもなく不正選挙を完全に防止する。
3)多数決に代わる、国会その他での決議方式を考案する。
4)マスコミの在り方を根底から変える。
5)教育制度を根底から変える。
6)自衛隊を災害救助隊に変える。
7)産業構造を変える。具体的には第一次産業を振興し、所得構造を変える。さらに具体的には、労働分配率を大きく上げ、国民平均所得を5割アップ、最低所得を倍増させる。
8)税制を大きく変える。具体的には「土地国有制」に基づく諸改変をする。場合によっては、財産再分配も考慮する。
9)中央と地方の関係を変える。具体的には、中央一極集中の是正と地方の産業振興。具体策は後で考える。
10)原発すべての即時停止と廃棄、福島の処理、原発立地地方の再建策を進める。
さて、10)などは考察の必要すらない、当然自明の命題だろう。これで困るのは原発利権で蔵を立て、生活している原発村住人だけで、他のすべての国民にとってはメリットしかない。原発こそが一番コストがかかる発電システムで、そのすべてが見えない形で電気料金に上乗せされていることも現在は常識だ。
6)なども、「外国から攻められる可能性」(これは日本の歴史上、元寇以外、ほとんど一度も無い)を無視したら、メリットしかない。平和時の軍隊ほど無益有害(戦争を誘発させる存在であり、カネ食い虫)な存在は無い、ということは、あまり言う人はいないが少し考えれば誰でも分かることだ。
1)~5)の必要性も誰でも分かるだろうが、これは具体的な解決策を考えるのが面倒な気がするので、後回しにする。8)も同様。
そこで、「易しい事柄から着手すると解決が楽」という仕事の原則に則り、7)と9)を手始めに考察する。
その前に、「生活の技術」みたいな話だが、「易しい事柄から着手すると解決が楽」のことから言っておくと、仕事に取り掛かる時はまだ頭も体も「乗っていない」から、易しい事柄から仕事を始める。仕事をしているうちに「乗ってきて」仕事が楽しくなり、面白くなってくる、というわけである。そして困難な事柄に立ち向かう元気も出てくる。これは、「やる気を出すには、まずやる」法則と言ってもいい。これは或る脳科学者の指摘したことで、私はアニメ監督の故・今敏のブログで読んだ。
以上は序論のようなものだ。本論である7)と9)の考察は、独立させて記事にする。
なお、ブログカテゴリーは「日本改造法案」の中に入れておく。「経済政治社会」カテゴリー記事は膨大なので、他記事に紛れそうだから。 -
かなり前に書いた、書きかけのままの文章だが、そのままにしておくと永遠に忘れそうなので、ここに転載し、いずれ続きを書こうと思う。まあ、続きを書かないこともあるかもしれないが、ここに書かれただけでも、自分としてはなかなか面白い、と思っている。書かれた中で、たとえば犯罪に対する刑罰として、江戸以前の刑罰を復活させよ、というのは、非人道的だ、と言われそうだが、まあ、どういう刑罰が本当に犯罪の抑止力になるか、議論の叩き台にでもなればいい。私は、実は「全財産没収」というのが一番の抑止力になると思っている。
序言
私はかつて、今は放置状態にあるブログで、政治経済についての駄弁をあれこれ書いていたが、その中では主に、日本という国を根本的に改造する事の必要性を訴えていた。
今、少々暇ができたので、日本の国家改造についての私案を(あるいは試案を)書いてみたいと思う。
その前に、私自身の考えに非常に近いと思われる、北一輝の「日本改造法案大綱」についてのウィキペディアの記述を引用しておく。
私自身は北一輝のその論文を読んではいないが、ここに書かれた大要だけでも十分に示唆的であり、有益なガイドであると思う。現代という状況に即して、多くの人々が自分の「国家改造案」を考えることが、今の日本には必要だと私は思っている。
北一輝の「国家改造法案大綱」を下敷きにして、これから私の国家改造案を書いていくのだが、その題名も彼に倣って「日本改造案原理大綱」とする。(長いので「日本改造案」と略称。)これは「日本改造法案大綱」と、その別名「国家改造案原理大綱」をミックスしたものだ。
まず、北一輝の考えは以下のようなものだ。
(以下引用)
日本改造法案大綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本改造法案大綱
(にほんかいぞうほうあんたいこう)
国家改造案原理大綱
(こっかかいぞうげんりたいこう)著者
発行日
発行元
日本
言語
日本語
公式サイト
コード
『日本改造法案大綱』(にほんかいぞうほうあんたいこう)とは、北一輝による日本の国家改造に関する著作である。
1911年(明治44年)、中国の辛亥革命に、宋教仁など中国人革命家と共に身を投じた北は、1920年(大正9年)12月31日に帰国し、3年後の1923年(大正12年)に刊行した著作である。
言論の自由、基本的人権尊重、華族制廃止(貴族院も廃止)、農地改革、普通選挙、男女平等・男女政治参画社会の実現、私有財産への一定の制限(累進課税の強化)、財閥解体、皇室財産削減、等々の実現を求めており、軍国主義に突き進んだ日本を倒した連合国による日本の戦後改革を先取りする内容が含まれる。
この北の主張に感化された若手将校たちによる二・二六事件により、北は、事件への直接の関与はないが[注釈 1][注釈 2]、理論的指導者の内の一人とみなされ、1937年(昭和12年)に処刑されたため、自らの『日本改造法案大綱』の改革内容の実現を、北が生前に見ることはなかった。
第二次大戦後、GHQによる日本の戦後改革で実現されたものには、北の主張も多く含まれている[5]。
概要[編集]
1883年(明治16年)、新潟県佐渡郡両津湊町(現:佐渡市両津湊)の酒造業の家の長男として生まれた北は、弟の北昤吉が早稲田大学に入学すると、その後を追うように上京、早稲田大学の聴講生となり社会主義を研究して、1906年(明治39年)、処女作『国体論及び純正社会主義』(『國體論及び純正社會主義』)を著し、また中国の問題についてはアジア主義を主張した。
しかし当時の日本の国家政策はアジア解放の理念を損なっていると認識して北は具体的な解決策を構想し、日本政治を改革するために1919年(大正8年)に40日の断食を経て『国家改造案原理大綱』を発表した。これが1923年(大正12年)に加筆修正されて『日本改造法案大綱』に改題されたのが本書である。北は本書を書いた目的と心境について、「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ、」と述べている[6]。
この著作は第1章(正確には「巻一」、以下同様)の『国民ノ天皇』、第2章の『私有財産限度』、第3章の『土地処分三則』、第4章の『大資本ノ国家統一』、第5章の『労働者ノ権利』、第6章の『国民ノ生活権利』、第7章の『朝鮮其他現在及ビ将来ノ領土ノ改造方針』、第8章の『国家ノ権利』、以上の8章から構成されている。
北によれば明治維新によって日本は天皇と国民が一体化した民主主義の国家となった。しかし財閥や官僚制によってこの一体性が損なわれており、この原因を取り除かなければならない。その具体的な解決策は天皇によって指導された国民によるクーデターであり、三年間憲法を停止し両院を解散して全国に戒厳令をしく。男子普通選挙を実施し、そのことで国家改造を行うための議会と内閣を設置することが可能となる。この国家改造の勢力を結集することで華族や貴族院を廃止する。
次いで経済の構造改革を行う。具体的には一定の限度額(一家で300万円、現在の30億円程度)を設けて私有財産の規模を制限し、財産の規模が一定以上となれば国有化の対象とする。このことで資本主義の特長と社会主義の特長を兼ね備えた経済体制へと移行することができる。この経済の改革は財政の基盤を拡張して福祉を充足させるための社会改革が推進できる。労働者による争議・ストライキは禁止し、労使交渉については新設される労働省によって調整される。また労働者でもその会社の経営に対する発言を認めることも提案には盛り込まれている。
経済や社会の改革については日本本土だけでなく日本の植民地であった朝鮮、台湾にも及ぶ。朝鮮は軍事的見地から独立国家とすることはできない。ただし、その国民としての地位は平等でなければならない。政治参加の時期に関しては地方自治の政治的経験を経てから日本人と同様の参政権を認め、日本の改革が終了してから朝鮮にも改革が実施される。将来獲得する領土(オーストラリア、シベリアなど)についても文化水準によっては民族にかかわらず市民権を保障する。そのためには人種主義を廃して諸民族の平等主義の理念を確立し、そのことで世界平和の規範となることができると論じる。
北は戦争を開始するためには自衛戦争だけでなく、二つの理由がありうるとする。それは不当に抑圧されている外国や民族を解放するための戦争であり、もう一つは人類共存を妨げるような大領土の独占に対する戦争である。国内における無産階級(労働者階級)が階級闘争を行うことが正当化されるのであれば、世界の資本家階級であるイギリスや世界の地主であるロシアに対して日本が国際的無産階級として争い、オーストラリアやシベリアを取得するためにイギリス、ロシアに向かって開戦するようなことは国家の権利であると北は主張する。
世界に与えられた現実の理想は、いずれの国家、いずれの民族が世界統一を成し遂げるかだけであり、日本国民は本書にもとづいてすみやかに国家改造をおこない、日本は世界の王者になるべきであるというのが本書の結論である。
目次・構成[編集]
- 緒言
- …全日本國民ハ心ヲ冷カニシテ天ノ賞罰斯クノ如ク異ナル所以ノ根本ヨリ考察シテ、如何ニ大日本帝國ヲ改造スベキカ大本ヲ確立シ、擧國一人ノ非議ナキ國論ヲ定メ、全日本國民ノ大同團結ヲ以テ終ニ天皇大權ノ發動ヲ奏請シ、天皇ヲ奉ジテ速カニ國家改造ノ根基ヲ完ウセザルベカラズ。…
- 卷一 國民ノ天皇
- 憲法停止。天皇ハ…三年間憲法ヲ停止シ兩院ヲ解散シ全國ニ戒嚴令ヲ布ク。
- 卷ニ 私有財産限度
- 卷三 土地處分三則
- 卷四 大資本ノ國家統一
- 卷五 勞働者ノ權利
- 勞働賃金。勞働賃金ハ自由契約ヲ原則トス。…
- 勞働時間。勞働時間ハ一律ニ八時間制トシ日曜祭日ヲ休業シテ賃金ヲ支拂フベシ。
- 幼年勞働ノ禁止。満十六歳以下ノ幼年勞働ヲ禁止ス。…
- 註。…四海同胞ノ天道ヲ世界ニ宣布セントスル者ガ、自ラノ國家内ニ於ケル幼少ナル同胞ヲ酷使シテ何ノ國民道徳ゾ。
- 婦人勞働。婦人ノ勞働ハ男子ト共ニ自由ニシテ平等ナリ。…
- 註三。婦人ハ家庭ノ光ニシテ人生ノ花ナリ。婦人ガ妻タリ母タル勞働ノミトナラバ、夫タル勞働者ノ品性ヲ向上セシメ、次代ノ國民タル子女ヲ益々優秀ナラシメ、各家庭ノ集合タル國家ハ百花爛漫春光駘蕩タルベシ。特ニ社會的婦人ノ天地トシテ、音樂美術文藝教育學術等ノ廣漠タル未墾地アリ。此ノ原野ハ六千年間婦人ニ耕ヤシ播カレズシテ殘レリ。婦人ガ男子ト等シキ牛馬ノ勞働ニ服スベキ者ナラバ天ハ彼ノ心身ヲ優美繊弱ニ作ラズ。
- 卷六 國民ノ生活權利
- 兒童ノ權利。滿十五歳未滿ノ父母又ハ父ナキ兒童ハ、國家ノ兒童タル權利ニ於テ、一律ニ國家ノ養育及ビ教育ヲ受クベシ。國家ハ其ノ費用ヲ兒童ノ保護者ヲ經テ給付ス。
- 註五。以上兒童ノ權利ハ自ラ同時ニ母性保護トナル。
- 卷七 朝鮮其ノ他現在及將來ノ領土ノ改造方針
- 卷八 國家ノ權利
- 國家ハ又國家自身ノ發達ノ結果他ニ不法ノ大領土ヲ獨占シテ人類共存ノ天道ヲ無視スル者ニ對シテ戰爭ヲ開始スルノ權利ヲ有ス(則チ当面ノ現實問題トシテ濠州又ハ極東西比利亞ヲ取得センガタメニ其ノ領有者ニ向テ開戰スル如キハ國家ノ權利ナリ)。
- 結言
- …全世界ニ與ヘラレタル現實ノ理想ハ何ノ國家何ノ民族ガ豐臣徳川タリ神聖皇帝タルカノ一事アルノミ。……戰ナキ平和ハ天國ノ道ニ非ズ。
日本改造法案大綱は八巻で構成されており、巻一は政治面について、特筆すべきは「天皇の国民」ではなく「国民の天皇」として定義されていること。成人男子に普通選挙権を与えること。自由権を保障し特権的官僚閥・軍閥の追放などを挙げている。巻二、三、四は経済改革と行政改革について、莫大な富の個人集中を禁じ、主要産業については国家が適切な調整を行い、全ての者に私有財産権を保障するなど、社会主義と資本主義の折衷的な政策を提示している。巻五、六は人権と社会福祉政策であり、全児童に教育を与え、利潤配分と土地配分とによって労働者・農民の自立を半ば可能とし、家のない者、貧民、不具廃病者の援助を。また、弱者(労働者)の権利保障・育成、労働省の設置など国民教育の権利と人権保障の強化を強調している。巻七、八は国際情勢や外交政策に言及している。
北は日本改造法案大綱を書いた目的と心境について、「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ、」と述べている[6]。
(以上引用)
ウィキペディアの上記記述内にもあるように、北一輝の考えは、いわば資本主義と社会主義の結婚である。これはべつに奇抜な考えでも何でもない。社会主義というものが、米国独立革命やフランス革命と並んで、民主主義の出発点であったということを多くの人は知っていない。社会主義的福祉政策によって歯止めのかからない資本主義とは、大金持ちや大資本を貴族とした、貴族専制政治にほかならず、そこでは庶民は飽く無き収奪対象でしかないのである。その行き着く先が現代の新自由主義であることは言わずと知れたことだろう。
ところで、社会主義と共産主義ははっきり区別しておきたい。ごく簡単に言えば、社会主義とは社会資本を国有化すること、共産主義とは私有財産を否定すること、という明確な区別がある。共産主義が実行不可能な夢想であるのに対し、社会主義は正常な国家ならどこでも部分的には実施しているものだ。たとえば警察や軍隊を社会資本とすれば、それを民営化することが暴挙であることは言うまでもないだろう。ところが、今の米国ではそれが進捗しつつあるのである。
北一輝は一種の社会主義者であり、それが尊皇思想家でもあり、右翼でもあったわけだ。右翼でありながら社会主義者であっても何の不思議もないのである。彼は日本に社会主義革命を起こそうと考えていたからこそ、時の政府に捕らえられ、処刑されたのだが、その国家改造案そのものは、今でも、いや、今だからこそ通用する、貴重なものだ。
だが、社会資本の国有化とは、官僚の絶対権力化を招くのではないか、という危惧が、旧ソ連の興亡を見てきた人々の心にはあるだろう。では、大資本による政治支配という現在の資本主義はそれよりマシなのか。どちらも国家私物化という点では同一なのである。現在の大資本による国家私物化は、目に見えにくいという違いがあるだけだ。どちらも一般国民の多大な犠牲の上に一部の支配層の栄華がある、という事実に違いはない。その具体的な事実については改めて書くまでも無いだろうし、私にはその気力も能力も無い。
私が書きたいのは、日本はどこを目指すべきか、という方向だけである。
それがいつ実現するか、あるいは永遠に実現しないか、私には分からないが、私はそれを書いておきたいから書くだけの話である。
文章として記録されたものは、墨子のように、安藤昌益のように、歴史の中に埋もれたり、現れたりして、どこかの誰かの心に影響を与えることもある。現在の異端の説が未来には歓呼の声で迎えられることもあるだろう。北一輝の説はその一つではないか、と私は思うが、私は私なりに自分の考えを書き記しておきたい。
2013年12月7日 記す
目次
第一章 天皇と憲法
第二章 政治主権と政治運営機構(行政・司法・立法機関)
第三章 土地公有制度及び財産規定と税制
第四章 刑法・民法・条約の諸変更点
第五章 貿易、関税、外交、戦争と防衛
第六章 国民および民間法人の権利と義務
第七章 政府及び公務員の義務と罰則
第八章 国家経済の諸原則
第九章 補遺的諸項目(マスコミ、情報の扱いその他)
結語
本文
第一章 天皇と憲法
天皇は日本国家および日本国民統合の象徴であり、政治に直接関与しない。だが、憲法改定その他、国家の重要問題に関し、重大な疑義がある際に、国会の議決について「国会差し戻し」の権限を有する。国会は、それに対し、再度、同一議決をするも可であるが、天皇がその議決に反対した、という事実を重んじて、国会を解散することが望ましい。国会解散をしない場合は、国民投票を行い、その決定に従う。国民投票の際の選挙方法は、第二章で記す国政選挙選挙方法に従う。
天皇は、あくまで国民の象徴として、国民の幸福のために至誠をもって行動することが、その存在意義の根源であり、一部の者のために軽挙妄動しないことが望まれる。
宮内庁は、天皇の便益のために行動し、あらゆる情報を加工なしに天皇に伝え、天皇の補佐をすることを職務とする。
憲法は国家運営の大原則であり、これに違反するあらゆる行為は、身分地位に関わらず、厳重な処罰の対象となる。
改憲には国民投票を要し、全有権者数の3分の2以上の賛成によって改憲が成立する。
第二章 政治主権と政治運営機構(行政・司法・立法機関)
政治の主権は国民に存する。国民の意思は国民投票で示され、その決定が国民の最終判断となる。したがって、国民投票に於いて不正があれば、極刑に相当する。
日本の政治運営の原則は「4権分立」とする。それは「行政・司法・立法、および天皇」である。天皇は第一章で述べたとおり、通常は政治には関与しない。だが、「最後の拒否権」を持つがゆえに、これを4権の一つとする。その他の3権は相互に独立し、互いを規制できる。
1)行政は司法により「違憲審査」を受ける。すなわち、行政内容において違憲があれば、司法はこれを告発し、処罰することができる。したがって、検察は行政ではなく、純粋に司法に属する。
2)司法は立法機関、すなわち国会によってその司法内容を審査され、不正があれば告発され、処罰(罷免等)を受ける。最高裁裁判官は高等裁判所裁判官経験者を候補とする中から、その過去の業績を基に、国民によって公選される。最高裁判所裁判官は最高裁長官の意思に関わらず、個々人の良心に基づき、審判する。すなわち、最高裁長官は権力ではなく権威である。(この職は、最高裁裁判官10名の中から互選によって選出される。)
3)立法機関(国会)は司法により「違憲審査」を受け、その立法内容に不正(違憲)があれば、告発、処罰される。その処罰は、「立法された事案の廃棄」および、同法案に賛成した議員の解職などである。なお、解職に伴い、臨時補欠選挙が実施される。国会は二院制とし、その議決に優劣は無い。両院の意見が対立する場合は、両院とも解散し、即時選挙となる。原則として衆議院は地方区議員のみ、参議院は全国区議員のみとし、定数は衆議院は各都道府県ごとに3名、全体では150名程度、参議院は全体で30名とする。政党及び会派を作るのは自由であるが、党議拘束は認めない。すなわち、各議員は個々の事案において、自らの信念で投票行動をすることが求められる。
4)司法と立法が完全に対立し、互いに自らの非を認めない場合は、国民投票で決定する。
5)内閣(行政)は、従来のごとく国会議員を大臣とするのではなく、生え抜きの官僚が大臣を務める。総理大臣は大臣経験者全員を候補として国民全体による公選とする。大臣および総理大臣に不正疑惑があった場合は国民投票を行い、信任・不信任を判定する。
6)国会議員および総理大臣の選挙は、「信任票」と「拒否(不信任)票」の二票制とする。すなわち、各候補者の得票は、信任票から拒否票の数を引いたものとする。
7)国政選挙は完全な公開選挙とし、その開票状況はすべて記録され、傍聴は自由とする。また、電子的投開票は行わず、必ず投票用紙を使用し、選挙後の記名された投票用紙は個人でも機関でも常に検証が自由にできることを義務づける。
8)国政に関わるあらゆる国会討議や行政的会議は必ずテレビ等で公開される。特に国防に必要な情報秘匿を要する議題に関しては、公開しないこともありうるが、審議には必ず民間人オブザーバーを入れ、討議内容は必ず記録として残し、5年以内にすべて公開する。公開された内容において不正が発見された場合には、オブザーバーも含め、全員が処罰される。なお、その記録は審議者全員および速記者が署名し、厳重に保管される。
9)公務員(行政職)による汚職は重罪とする。天下りは、これを認めない。
10)1000万円以上の予算を要する行政プロジェクトは、必ずその内容や担当者を公表し、国民(各都道府県民)審査の対象とする。
第三章 土地公有制度及び財産規定と税制
土地は原則としてすべて国有とする。現在の所有権は借地権とする。その期限は5年を1単位とし、5年ごとに更新料を払って延長できる。借地者死亡の場合、遺族がその借地権を受け継ぐか、あるいは放棄できる。土地への固定資産税は廃止する。土地は国有であるため、国家プロジェクト上必要な際には、借地料を返還し、引越し負担料と精神的負担に対する賠償を政府が支払った上で、土地立ち退きを命ずることができる。
財産(宝石類は含めるが、美術品は含めない)の上限は10億円とする。これを超える財産はすべて国家に委託することが義務付けられる。具体的には、すべて無利子日本国債に振り替えられる。
第四章 刑法・民法・条約
1)死刑および懲役刑はこれを行わない。通常の極刑は全財産没収とする。
2)殺人などの凶悪犯罪を犯した者は手足の切断、入れ墨、耳そぎ、鼻そぎなどを刑罰とする。
3)冤罪により刑を執行された者には最高1億円までの国家賠償をすみやかに行う。
4)外国人による犯罪に対する処罰は、上記処罰に加え、国外追放とする。
5)公的立場を利用して悪事を行った者は公職から永久に追放する。ただし、冤罪であることが証明された場合は復帰できる。
6)条約は憲法に抵触しない限りにおいて有効である。
第五章 貿易、関税、外交、戦争と防衛
第六章 国民および民間法人の権利と義務
第七章 政府及び公務員の義務と罰則
第八章 国家経済の諸原則
第九章 補遺的諸項目(マスコミ、情報の扱いその他)
結語