"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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「紙屋研究所」記事の一部で、この部分だけでも独立した記事として読めると思う。
非常に重要な指摘であり、日本で「人権」という言葉が行政によっていかに捻じ曲げられ、「政府(行政)とはほとんど無関係な、市民間の道徳問題」として放り出されているかが分かる。そしてその捻じ曲げは学校教育段階から始まっている。
ただ、最初に出てくる「パターナリズム」を「温情主義」と注釈しているのは少し違う気がする。行政や教育界の姿勢は「温情」とは無関係の、むしろ「無責任主義」である。要するに、「愚かな民は依らしむべし、知らしむべからず」という、庶民を無知の檻の中に閉じ込めておく姿勢だ。まあ、昔の医者が、患者に説明しても患者に理解できないだろうから、何も説明せず、ただ自分の処置に従えばいい、とする姿勢などが「パターナリズム」だろう。これは「温情主義」だろうか。「家父長主義」「父権主義」「思想的奴隷制度」とでも訳すべきものだろう。偉い人の言葉に、黙って従え、という思想だ。
(以下引用)
「人権=思いやり」というパターナリズム(温情主義)
人権教育を専攻としている阿久澤麻理子は次のように述べる。
学校教育――とりわけ初等中等教育――の現場では「子どもに権利を教えると、自分勝手な主張が増えて、学校がまとまらなくなる」という意識はいまだ根強く、人権教育が既存の生徒と教師の関係を変えてしまうのではないかという危惧が存在する。それゆえ学校における人権教育は、表面的な憲法学習や「思いやり・やさしさ・いたわり」と行った道徳的価値の学習に読み替えられやすい。(阿久澤麻理子「人権教育再考 権利を学ぶこと・共同性を回復すること」/石埼学・遠藤比呂通『沈黙する人権』法律文化社所収p.35)
ここで「表面的な憲法学習」が取り上げられている。これについてもついでに一言。
これはぼく自身が受けてきた学校教育がそうだった。
例えば社会科で習う「表現の自由」とは「自分とは関係のない」わいせつ表現を自由にするかどうかという話であり*2、それが自分が制服や指定バッグを強制されるかどうか、丸刈りを強制されるかどうかという問題と密接に関わっており、自分がその権利をもとに「声を上げる主体」であることを意識的に注意深く眠りこまされていた。
「教育を受ける権利」「教育の機会均等」は、高学費によって政策的に踏みにじられている日本の現実には決して認識が届かず、「日本は義務教育や奨学金によってこの権利は保障されている。発展途上国はかわいそうね」のような認識へ導かれる。「学費を下げろ!」「給付制の奨学金を!」という運動には絶対に結びつけてはならないというわけだ。
同じく「表現の自由」を根拠にして校則を変えたり、子どもの権利条約を根拠にして生徒にも意見表明をさせろと主張したりすることは、とんでもないことだとされるのである。
憲法に定められた人権は、徹底して自分とは関係のない縁遠い権利であり、間違っても学校で行使してはならないことを繰り返し叩き込まれる。*3
権利より価値を強調するのは、学校だけにとどまらない。日本では国や自治体が実施している人権啓発事業にも共通した傾向がある。しかし「思いやり」を強調する啓発は、「弱者に対する配慮」や「温かな人間関係」による問題解決を理想として描き出す一方で、「弱者とされる側」が権利を主張したり、その実現を求めて立ち上がるような「争議性」のある解決を回避し、そうした運動のシーンを啓発の中でとりあげようとはしない。「弱者への配慮」を強調する啓発は、ときにそれが「強者」と「弱者」の非対称的な力関係にあることに無自覚で、結局のところ、人権ではなくパターナリズムを教えることに陥っている。(阿久澤前掲p.35-36)
このような「人権=思いやり」という議論は何を招いてしまうのか、阿久澤麻理子は次のようにのべる。
さらに「思いやり・やさしさ・いたわり」型アプローチの問題は、人権に関わる問題を市民相互の私的な人間関係のなかで、「心のもちよう」によって解決するよう促す点にある。ここには「国家」と「市民」の関係は介在せず、人権を実現する公的機関の責務や、法・制度の確立による解決の道筋がみえない。このことは、国の役割が縮少し自己責任、自己救済の風潮が強化されるネオリベラルな社会に、きわめて高い親和性をもつ。人権問題を民主主義のメカニズムを通じ、諸制度を構築しながら解決しようとするよりも、私的世界に問題を差し戻すことになるからである。(阿久澤前掲p.36)
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「文春オンライン」記事の一部を転載。
道交法改正(改悪かもしれない)に伴う、医師の「自己防衛」のための「認知症判定の拡大」をもっとも恐れるべきだろう。実際のところ、高齢者のほとんどは「ベテランドライバー」であり、慎重な運転をする傾向があるはずだ。若者の無謀運転や不熟練運転のほうがはるかに危険であることは前にも書いた。
まあ、だからと言って、認知機能に明らかな障害の出ている人間が自動車という危険な乗り物を運転していいはずはないが、今のように高齢者を「老害」呼ばわりする世の中だと、一部の人間の声高な叫びが危険な法改正をさせたり過激な老人いじめになるファナティズムへの暴走になりかねない、ということである。
(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。単なる物忘れが認知症に!?
そもそも認知症患者のほうが通常の高齢者より事故を起こしやすいという根拠はあるのだろうか。
長年認知症患者を診続けてきたお多福もの忘れクリニック(茨城県水戸市)の本間昭医師は、「認知症患者が、安全運転に支障をきたすという国内での明らかなデータはほとんどない」としつつ、「事故を起こす可能性がある以上『運転を続けていいよ』とは言えない」と語る。
「もしも認知症の人が運転して事故を起こし、誰かが亡くなった時に、相手が『認知症だから勘弁しよう』とはならないでしょう」
となると道路交通法改正以降は、診断する医師側も安易に「認知症」と診断する可能性があるのではないだろうか。川畑医師が「過剰診断の危険性」について、こう話す。
「ある医師が『問題ない』と考えた患者が、後に人身事故を起こし、別の医師が『数年前から認知症を発症している』という診断を下した時『最初の診断は正しかったのか』を問われます。ですから迷う時は、認知症と診断しておいたほうがトラブルにならないと考える医師もいるでしょう。しかし、実際の臨床の場では、認知症かMCI(軽度認知障害)か、あるいは加齢に伴うもの忘れかの区別がつかないケースが少なくありません」
認知症かどうかより、運転免許に特化した認知機能検査を行うべき
一方で、現状の制度では認知症ではないものの、脳機能が低下したために運転に支障をきたす高齢者を捕捉できない可能性もあるという。
浴風会病院(東京都杉並区)精神科医の須貝佑一医師は、現在の認知機能検査の在り方を批判する。
「なぜ事故を起こしたのか、脳のどの部分の機能が低下した結果なのか、科学的なデータがありません。アクセルとブレーキの踏み間違えや、駐車券を受け取りつつ車を動かす時に事故を起こしてしまうのは、『2つのことを同時にする』という前頭葉の機能が衰えている疑いがあります。しかし、これは認知症でない高齢者でも陥る危険があるケースなんです。認知症かそうでないかの診断ではなく、運転免許に特化した認知機能検査を行うべきでしょう」
認知機能低下が疑われたら、自動車がなくても生活できるような態勢を少しずつ整えたい。交通至便の都会であればまだいいが、地方では免許を返納して運転できなくなれば、生活に支障をきたす人もいる。家族のなかで認知症の患者本人しか運転できない、というケースもあるだろう。
前出・東京都健康長寿医療センターの石井研究部長は「ある日突然、免許を取り上げてしまうと、それまでやっていたことが立ち行かなくなってしまいます。特に認知症を発症した場合は運転をしなくてもいい環境を作りながら、本人とコミュニケーションをとり、無理なくやめてもらうことが理想」と話す。
「認知症の人と家族の会」の大野さんは、運転が「生活の足」となるだけでなく、「人として最後のプライド」であると感じている。
「運転は、自分の力であちこち行くことができる、唯一といっていい手段です。認知症の患者さんと家族の関わりを見ていると、運転免許を取り上げられると人として否定されたように感じるようです」
心が傷ついてボロボロになった患者を何人も見たという。どう乗り越えていけばいいのだろうか。
運転以外の「生きがい」を探す
「まだ認知症になっていない人なら、運転ができるうちにそれ以外の“生きがい”を見つけてほしい。免許がなくなっても『私にはまだこんなに満足できるものがある』という人なら大丈夫」
軽度の認知症ではなんとか運転が可能であっても、中等度以上に進むと運転そのものが難しくなる。
また、たとえ認知症でなくても90歳や100歳で運転を継続することは困難だろう。少し運転技術が落ちたかもしれないけど、まだ免許を返納するほどではない――多くの高齢者はそういった認識で、運転している。認知症という診断を受けていなくても、家族や他人が見たら「危ない」運転の人が相当数いるのかもしれない。
問題となるのは、運転をすることへのリスクが伴うほど脳の機能が低下しているかどうか、だ。違反行為の有無や、ペーパーの認知機能検査だけでは万全とはいえないかもしれない。表4に、認知症患者に特に多く見られる危険な運転行動の8項目を挙げた。1つでも当てはまるなら、運転のリスクが高くなる認知機能低下を否定できない。今は認知症と診断されていない人も、前出「 違反行為18項目 」か「 危険な運転行動 」のリストに複数当てはまるものがあれば、一度「物忘れ外来」「精神科」などで認知症専門医の診察を受けることをお勧めする。事故を起こしてからでは取り返しがつかない。
(笹井 恵里子/文春ムック 文藝春秋クリニック もうボケなんか怖くない! 認知症[予防&介護]のすべて)
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読みづらいかと思うので、下のリツィートされた森永卓郎の言葉だけ先にコピーしておく。
「日本経済の世界でのシェアが20年余りで3分の1に転落したんですね。この事は裏返すと世界の普通並の経済成長をしていたら、われわれの所得は今の3倍になっていたっていう事なんですね。」
この言葉は、この20年間の経済的低迷、いや、むしろ下落が庶民生活に及ぼした影響を分かりやすく語っている。しかし、現実には、それ以上の事態の悪化がある。つまり、社会経済の内容が変質し、全国民の経済的営為の結果得られた儲けのほとんどが「上級国民」だけに配分され、庶民生活は悪化の一途をたどる、「見えない身分制社会」になったことである。言うまでもなく、この20年間は、わずかな民主党政権(約1年か?)を除き、自民党が経済政策を行っている。特に、格差社会の原因は小泉政権時の政策(背後に竹中など)にある。
(以下引用)
近藤ようこ
@suikyokitan
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その他
森永卓郎さん「とてつもない大転落」|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_02.html … 「日本経済の世界でのシェアが20年余りで3分の1に転落したんですね。この事は裏返すと世界の普通並の経済成長をしていたら、われわれの所得は今の3倍になっていたっていう事なんですね。」
21:05 - 2019年5月7日 -
「混沌堂主人雑記」所載の「Deeply Japan」記事の一部である。
私も、現代の世界の起源は第一次世界大戦にある、という見方をしていて、そのためにこの年になってそのあたりの歴史の本をあれこれ読んでいるが(最初は小説の構想として、「あのサラエボの銃弾がなければ、世界はどうなっていたか」という仮定から始まったのだが)、
要するに現在の世界秩序はこのあたりで出来たものだから開けられない、開けたくない箱がいっぱいあるからこうなんだろうと思う。すなわち、FRB創設、第一次世界大戦、ロシア革命という名のユダヤ革命あたりが、この秩序をもたらす「決戦」だったってことですね。
という言葉は、その核心を端的に表した素晴らしい言葉だと思う。なるほど、「ユダヤ革命」とは言い得て妙である。私も、第一次大戦やロシア革命の背後にはユダ金がいると思っていたが、それらに劣らず重要なFRB創設も「革命」だったというのは目から鱗である。
(以下引用)
前にも何度も書いているが、日本では第一次世界大戦は日本にとっては影響が小さく、むしろ儲かったぐらいでしたですましているけど、
実際には、- ・中国は抗日
- ・ソ連はその後介入戦争で日本を敵視。バイカル湖以東を日本にするとか無駄に壮大なことを言ってた日本でございました。
- ・ドイツはイギリスにくっついて利権を取って行った日本のやり方を快く思わず、後に中独合作時代が来る
- ・アメリカは1922年のワシントン会議をきっかけに日英同盟を廃止に向かわせる。
という具合に、英仏と仲が良くても近隣は向かうところ敵だらけになった。
そして、第一次世界大戦を契機として多数の王や皇帝が失脚した。
この影響も日本では無視されていると思うな。
これは大正天皇の存在がかなり希薄に使われてきたこととパラレルなんでしょうね。つまり、見たくないので触らない、という日本の名高い(笑)沈黙作戦。
ところが、近年、大正天皇については原武史さんがまとめてらして、その中で相当大胆なことが書かれた。
大正天皇 (朝日文庫)
原 武史
朝日新聞出版
大正天皇は、宮中官僚たちの謀略的操作で、日本史的にいう「主君押し込め」にあったのだろうという説をお出しになったのだった。
この主君では「家」(血族の家ではない)が存続できないとなった場合家臣団が一致して押し込めるというある種の行動規範みたいなものが日本の武家社会にはあったので、その意味で「押し込め」と言われたのだろうと思うが、要するに、追い出した、という話。
それが正解かどうかはともかく、1921年、後に昭和天皇となる裕仁親王が摂政となったことは事実。
そして、そうしたことによって、大正天皇をそのまま存続させるべきであるとする派と、裕仁親王派が分かれて宮中はその対立構造をずっと背負って行ったと考えられている。
原さんは、4月までの天皇が、摂政を立てることに頑強に反対され、退位を望まれたのはこの事例を思い浮かべたからだろうとおっしゃっていた。
しかし、なかなか興味深い話なのにこの話は一般にそんなに流布しなかった。これは、これを認めると大正天皇の事実上の引退が、大正天皇は脳の病気だから仕方なかったのよ、といった長らく世間に流布されていた話とは食い違うからではなかろうか。つまり、開けたくないから見ない。触らない。
■ 「神ながらの道」ファクター
大正天皇からお仕事を引き継ぐ1921年11月の前に、皇太子裕仁親王は欧州を訪問している。日本の皇太子が欧州を訪問するのは初めて。そして、この洋行の中で、裕仁親王はイギリスでジョージ5世(エリザベスのおじいちゃん)から名誉陸軍大将に任じられてみたりもしてる。
この洋行は、政府の重鎮はだいたい賛成しているように見えるが(というか、画策したからこうなったのだろうが)、国内には当然のことながら反対派がいた。特に、母親である貞明皇后が大反対。
皇后は、この頃から、東京帝大教授の筧克彦が唱える「神ながらの道」に傾倒する。1924年には直接筧克彦からご進講を受けている。また、貞明皇后が一番かわいがったと言われている昭和天皇のすぐ下の弟、秩父宮もこのご進講を別途受けている。
「神ながらの道」とはなんぞやについては、いろいろ解説されているようないないようなだが、私の感触では後の「国体の本義」に繋がるような、天皇を中心にして一つになった日本を構想した、夢想した、妄想した、という感じに見える。
この人に限らず、日本の当時の法学者は混乱期のドイツで、何かこう、全体主義という言葉も温いような妄想的な一体化に非常な興味を覚えてきているようにみえる。
「神ながらの道」にからむ問題は、貞明皇后という人がエネルギッシュに政治家や軍人に関わっていったため、個人で何かを信心するという問題を飛び越えている。だから立派に政治の問題として解きほぐされるべきテーマだったんだろうと思うが、これまで知らん顔されている分野だと思う。
そして、放置してきたために、へんに触る人たちが、本当の日本、日本人はこうなのだ、みたいな密教扱いでいい加減なことを言い出す培地にもなっていると思う。
■ 外側から見ると
で、日本の内側の勢力問題は置いておくとして、これらのことを外形的に見るとどうなるのかというと、裕仁親王はイギリス王室の下につくこととなり、以来、根っからのAnglophilia (アングロ崇拝者)となったって感じでしょうか。
1919年のベルサイユ会議で、英仏と組んだ日本が中国の山東省の利権とドイツ領南洋諸島の利権をゲットした時の日本側の代表者は西園寺や牧野で、洋行を推進したり、大正天皇を追い出したりしたのもこのあたりとなれば、アングロ親近グループの存在は容易に見て取れるというものではないかと思う。
そして、国内には貞明皇后をはじめとしてそれに抗して日本を唱えるものがいた、と書くと、こっちの方が日本を重視しているのよ、と読めてしまう。
ところが、貞明皇后はそもそもご自分の学友を通じて非常に強いキリスト教人脈にも関与しており、その一部はグルー人脈とでもいったグループで、ここがつまりモルガン家人脈のようなもの。ここらへんは櫻井ジャーナルさんがよく書かれている。
総じていうなら、アングログループの影響は強いっすなぁといったところ。そして、アングロというのがポイントね。これを英とか米とか言ってしまうと、それぞれの国の利害は異なり、それぞれの国の表の政治も異なるため話が見えなくなってしまう。しかし、アングロ系統はシティとウォールストリートの両方をまたにかけているので、上の方で調整されてしまうと、下の対立は勝手に調整されてしまうという仕掛けといっていいんじゃなかろうか。
話は半端なんだが、いずれにしても日本の針路は明治維新でだいたい決まり、大正時代には動けないものになっていった感じがする。
そして、そこをほじくりたくないもんだから、大正時代といえば大正デモクラシーです、結構平和な時代でしたで終わっている。
しかし第一次世界大戦の頃の情勢の解決がおかしいのは日本だけではないです。ロシア介入戦争とか、日本のシベリア出兵+ポーランドのロシア攻撃、あるいはまたなんであんな分割のされかたをしたのかについてのドイツの異議、などというものは基本的に話がわやわやのまま。
要するに現在の世界秩序はこのあたりで出来たものだから開けられない、開けたくない箱がいっぱいあるからこうなんだろうと思う。すなわち、FRB創設、第一次世界大戦、ロシア革命という名のユダヤ革命あたりが、この秩序をもたらす「決戦」だったってことですね。
で、現在ロシアが、ソ連というマントを脱いで、いやそういうことなんですよと言わんばかりにいろんな出来事をほじくり出すもんだから、現在の既存勢力がわらわらして起こってるって感じか。 -
好記事なので、転載しておく。
令和の時代の予測として、あるいは警鐘として、多くの人に読んでほしい記事だ。
(以下「ギャラリー酔いどれ」から引用)末尾の文章は酔いどれ氏のもの。
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-731.html
東海アマブログ 2019年05月03日 (金)
◎本当に 食えない時代が やってきた ……
より抜粋、
【仙台発】ついに「大人食堂」
食べられなくなった 非正規労働者(田中龍作ジャーナル)
http://tanakaryusaku.jp/2019/05/00020062
安倍晋三・麻生太郎政権が登場する前、我々は、
普通に働いている人が、まさか本当に 食事もできないほどの貧困に
襲われる時代が来るとは 想像もしていなかった。
しかし、その予感はあった。
戦争を知らない世代である安倍晋三や麻生太郎が、
大金持ちが不遇であるとの勝手な思い込みによって、
経団連の大金持ちたちのためだけに
減税奉仕する政治を始める ことが明らかだったからだ。
1987年に、松原照子という予言者が、
『宇宙からの大予言 -迫り来る 今世紀最大の恐怖にそなえよ』
という本を出版した。
この本のなかで、彼女は、
後の世に(25年後に)安倍という首相が登場し、日本は恐ろしい事態
になると明確に予言している。
http://happism.cyzowoman.com/2013/07/post_2814.html
以下引用
「恐怖の男・安倍氏は、男に生まれながら 男人形として、
日本の名で 世界を歩くでしょう。『はい、わかりました』、
この言葉をためらわず言える政治家は生き、
少しでも躊躇した政治家に、いい役が回ることはありません」
「その人こそ、わが国が『戦争』の言葉を 身近に感じる流れを作る
人物であり、操り人形です。
政治家たちのランクを、国民1人ひとりが見極め、
日本の国のために命を捧げられるほどの人間 選びをしなければ、
草も口にできなくなります」
引用以上
まさに、安倍晋三の登場を預言しているのだ。
そして、予言の通りに、日本の民衆は驚くほど貧しくなり、
「草を口にする」ことさえ 困難になりつつある。
Coco壱番屋の創業者であった宗次徳二氏は、親に捨てられ孤児院で暮らし、
引き取られた里親がギャンブル狂で、子供のうちは食べるものもなく、
学校に給食も持参できず、野山の雑草を食べて
飢えをしのいでいたといわれる。
https://oitachi-ima.com/jjitugyouka-oitachi/3638/
しかし、宗次氏の子供時代、1950年代は、まだ日本中に人情が満ちて
いた時代で、貧しい飢えた子供を見かけたなら、
みんな放っておくことができない人たちばかりであった。
「助け合う」という価値観を大切にしていた
日本の素晴らしい時代で、みんなが貧しかったが、
特別に貧しくて飢えているような子供は寄ってたかって助けたものだ。
だが、今は違う……。
自民党機関誌の産経新聞さえ、
日本の子供の貧困率は 6名に1名と指摘している。
https://www.sankei.com/column/news/150516/clm1505160001-n1.html
今は、我々の子供時代と違って 人情社会ではない。
弱肉強食、何でも自己責任、弱者はイジメられ、死ね
といわれる社会 になってしまっている。
安倍晋三や麻生太郎は、まさに、「弱者を殺す」ために登場してきた
政治家である。
竹中平蔵らの思想による自民党政治によって
格差社会が成立し、年収150万円程度で生活させられる人も
普通になってしまった。
実は、小泉政権で 竹中平蔵が登場するまで、
日本社会では、最低免税ライン というのがあって、
年収180万円以下は 非課税だったのだ。
小泉政権で何が起きたのかは、当時の赤旗に記録が残っている。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-07-03/2005070302_01_4.html
松原照子の預言に 竹中平蔵はないが、本当は、
小泉、安倍や麻生の背後霊は 竹中平蔵なのだ。
竹中平蔵は、堂々と「日本は 格差社会になる(する)」と語っている。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2129.html
そしてグローバリスト、竹中平蔵の意思によって、
日本国民は桁違いに貧しくなった。
若者たちは、今や車に興味はないというが、その実態は、
購入する100万円級の金を工面できず、
また年間 最低30万円ともいわれる税金、燃料代、保険代などの維持費
を支払う余力のある者がいなくなったのである。
親たちも、年金を削られ、子供を支援するだけの余裕がないのだ。
この十数年、大量に登場してきたシングルマザーたちは、
子供を抱えて、年収150万円程度で生活を強いられ、
家賃を 年間50万円以上支払えば、残りは100万円に満たず、
光熱費の残りは月額5万円程度しか残らない。
これを生活費を食費にあてるしかないが、母子が食べてゆくに
二人で日、千円の食費ならマシな方で、
一食あたりの予算は 100円台ということになる。
これで、もし子供が病気になったりしたら、
たちまち食費が消えることになり、飢えて路傍を彷徨う運命に至る。
私も、長い間、日本社会の末端の変容を見続けてきたが、
前世紀末、1990年代は、まだ日本人のライフスタイルは豪奢で、
夜の繁華街は大賑わいだった。
当時タクシー運転手で稼いでいた私の月収は、
おおむね30~40万円はあった。
ところが、日本の景気の大転換点 がやってきた。
それは1997年、山一証券の倒産 である。
世の中の景気を肌で感じることのできるタクシー運転手は、
景気の現実を もっとも敏感に察知することができる。
このときから日本経済と繁華街の姿が激変した。
私の月収は、いきなり10万円もダウンした。
金づるといってもいい繁華街から 人が消えたのである。
タクシーで流していても、
1時間に一人の客も見つからない時代 がやってきた。
それから、日本社会は、かつての賑わいを取り戻すことは
二度となかった。 日本社会は「失われた20年」という
長期の経済停滞リセッション を起こすことになった。
極端な不景気現象が起きた原因は、
間違いなく 3% →5%への 消費増税である。
1989年竹下登内閣によって導入され 税率3%でスタート。
1997年、橋本龍太郎政権時に 3%から5%へ 引き上げられ、
2014年4月から安倍政権によって8%へと
17年ぶりに引き上げられたわけだが、引き上げてから二年ほど経ると、
日本社会は、激しい消費不況 を引き起こしてきた。
理由ははっきりしている。
社会経済の原動力である 大衆の購買力を削いだ からである。
経済というのは、大金持ちの消費が動かしているわけではない。
生活費用は、大金持ちでも貧乏人でも、さほどの差はない。
大金持ちの余剰金は、消費ではなく投機に向かうのであって、
本当の商品循環を支えているのは、
最底辺の大衆による生活費の支出 なのである。
また経済の波は、「人を見て 動く」性質のある大衆の
「雰囲気 経済力」によって定まる といってもいい。
その経済を本当に支えている土台を、自民党政権は破壊してしまったのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-509.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-621.html
最初のうちは、夜の繁華街を謳歌していたサラリーマンたちは、
安酒場へとシフトしていった。
それは2010年前後までだろう。
それから、高級クラブやバー・キャバレー、パチンコ・競馬といった
金のかかる娯楽施設に 人々は行かなくなり、
代わりに身近な 喫茶店やコンビニが盛況になった。
ところが2014年以降は、そんな喫茶店や安居酒屋からも
人々が消え始めた。
コーヒーを飲む金さえも 惜しむようになったのである。
自販機の飲料さえ売れなくなった。
高級な酒は売れなくなり、焼酎など 安酒の需要が増えた。
パチンコ屋やスナックは 次々に店を閉め始めた。
2018年になれば、そうした傾向が完全に定着し、
なるべく金のかからない観光施設に人々が集まり、
巨大遊園地のような金のかかる施設には 閑古鳥が鳴いている。
ディズニーランドとか、ユニバーサルとかが繁盛しているような報道
が多いが、実態はそうでもない。
二線級のレゴランドとか、スペイン村とか、地方の遊戯施設は顕著で、
連休でもない限り、本当に悲惨なほど ガラガラである
高級なレストランに人は集まらず、大衆食堂が盛況になった。
私が行くようなスーパーマーケットでは、
夕方7時頃から 値引き安売りが始まるのだが、そんな時間に、
値引き品を狙った客たちが 争奪戦を演じるようになった。
とりわけ、一食あたりの食費が数百円以下のシングルマザーたちは
必死である。 また年金暮らしの老人たちも、調理に金がかかるし、
後始末も大変なので、値引き弁当に 殺到するようになった。
こうした生活状況は、前世紀の感覚からすれば、
まったく考えられないほど 深刻な貧困化を示している としか思えない。
確かに、こんな状況では「子ども食堂」どころではない。
「大人食堂」が必要なのだ。
ホームレスではない 普通の生活者が、まともに食えない時代
になったのである。
「食えない時代」何が起きるのか?
というと、これは世界的に 相場が定まっている。
戦後、戦争未亡人が劇的に出てきて、食えない子連れの彼女らは、
どうやって窮乏を凌いだのか?
私のブログに、その一部が書いてある。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html
若者たちの就職先が消えた。 しかし食わねばならない。
こんなときに登場してくるのが 戦場である。
多くの若者たちが「食うために」兵士になるしかなく、
その兵士が行く先は、戦場であるとともに、
戦場にも匹敵する 恐怖の原発事故現場 である。
アメリカの若者たちは、徴兵制度ではなく、自らの意思で、
他に仕事がないために軍隊に入り、地獄の中東に向かうのである。
日本の若者たちも、他に仕事がなく、自衛隊に行くか、
フクイチ事故現場に行くか ということになるだろう。
「食えない」という現実が もたらすものは、
「命の値段」の大バーゲンセール なのである。
やがて、私も「大人食堂」のお世話にならねばならなくなる、
かもしれないが、こんな山奥には作ってもらえないだろう。
山に入って、キノコや山芋を掘り出す毎日になるのかもしれない。
私は、もう、まともな社会が回復するのは
無理なような気がしている。
もしも希望があるとすれば、何度も書いてきたように、
自給自足の農業共同体生活が 生み出されることくらいだ。
もう一人では 生きてゆけない。
↑
かなり ヤバくは なってきていますが、
まだ ユダ米如き「外債」に依存しておる わけではないし、
国際収支は 海外からの利払で まだ黒字です。
一日も早く 隷米売国=自公政権 を引き摺り下ろし、
国民経済で内需を回す 政策に 復帰することです。
消費税廃止=旧物品税復活 は 再生の起爆剤になる でしょう。
大企業優遇税制を 廃止し、
所得税を 旧に戻し 累進性を復活すること。
一般庶民に 金をバラまくこと ベーシック・インカム制導入。
ヤレルことは いくらでもある。 金も実はある。 -
まあ、終わったことを今さら言っても仕方が無いし、私も今、下の絵を見て気づいたのだから間抜けだが、新天皇の即位式を5月1日に持ってきたのは明らかに安倍政権による「メーデー潰し」さらに言えば、続く「憲法記念日潰し」だろう。その2つを潰したのが目立たないように、異常な「10連休」にしたのである。
ふだんの仕事で疲れている人々は、長い休みの間、政治的な問題にタッチしたくない。新天皇の即位は「お祭り」だからマスコミの話題として適当であり、今の日本の政治問題経済問題はすべてお祭り騒ぎに隠れ、「メーデー」は忘却される。
要するに、新天皇即位は、本来なら年の変わり目である1月1日か、4月1日という社会的「新年度」の最初に行うべきだったのが、上に書いた思惑で5月1日というGWまっただなかに組み込まれたのである。
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時刻的にはまだ改元されていないと思うが、日付的には今日から令和元年になるのだろうから、当ブログではこれが令和最初の記事である。
ここで戦後日本の政治史の根本(と言うより地下水脈と言うべきか)を振り返っておくのも悪くはないだろう、ということで、「ギャラリー酔いどれ」所載の「東海アマブログ」記事の一節を転載する。
日本がCIAを通じて米国に支配されている属国であることは政治に関心のある大人にとっては常識だと思うが、そういう大人は実は成人男性の2割程度だと私は見ている。
3割くらいは、学校教育とマスコミで洗脳された大人で、残り5割くらいは政治にまったく関心がないだろう。それが選挙の投票率に現れているわけで、時々6割を超えたりするのは、その時に何かマスコミが騒ぐような政治情勢がある場合だと思われる。要するに、政治的には日本人は幼児に等しいのであり、それは私自身の20代30代のころを振り返れば理解できる。40代くらいに予備校で小論文指導の都合上、まったく興味の無かった歴史や政治について調べて、やっと日本の政治の現実が分かるようになったのである。
とすれば、日本の大人の平均的な政治知能がおよそどんなものかは、我が身を顧みれば明白なわけだ。
東海アマ氏の下の文章は、日本の戦後政治の大きな流れを簡単明瞭に描いていて、実に有益だと思う。学者などは、この事実を知っていても、我が身可愛さから口を濁すしかないのである。
(以下引用)
そもそもをいえば、日本のこのような右傾化がいつ始まったか
といえば、それは米軍の進駐時代であり、
日本を再び軍事侵略国家にしないという
アメリカの民主的意思には 一定の意味があった。
その後、米軍諜報部(CIG)から1947年、CIAが独立し、
戦後自由社会の安定化を図る という名目で、
世界中で 政権に対する関与工作 を始めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/中央情報局
1950年代、吉田政権以降は、日本の政権は、CIAの工作によって
作り出されてきたといってもよい。
http://parstoday.com/ja/news/world-i32790
当時、日本側にもCIA工作員としての権力者が たくさんいた。
アメリカ公文書館の資料からはっきりしているのは、
正力松太郎(暗号名ポダム)、岸信介、中曽根康弘、笹川良一、
児玉誉士夫、吉田茂らで、彼らの多くがA級戦犯として起訴され、
死刑になるはずだったのが、どういうわけか理由不明で生還し、
そのまま 日本の国家権力の中枢で活動するようになった。
https://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/31b8776d983469bad82ffec40288122b
韓国統一教会の文鮮明も CIA工作員といわれていて、
岸信介とは義兄弟として交友し、多くの利益を与えた。
https://ameblo.jp/sunamerio/entry-11408377571.html
https://blog.goo.ne.jp/j4goocast/e/a073c254dc6abc79a1046b5604e89348
その文鮮明が、岸信介・中曽根康弘ら 日本のCIA工作員組と共謀して
設立したのが、国際勝共連合である。
http://www.wikiwand.com/ja/国際勝共連合
この組織が「日本会議」=日本の極右連合であり、
今に至る世論洗脳工作機関の土台となった 謀略組織を生み出した。
当時は、生長の家の谷口雅春 という極右主義者が
中核的な政治力を発揮し、松下幸之助などを引き入れて、
大規模な世論工作謀略組織を計画し、数十年がかりで、
日本の社会党をはじめとする 左翼運動を崩壊させる活動を始めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本会議
松下政経塾出身者を見ると、ほぼ右翼系議員がそろっているが、
これも日本会議の活動成果であろう。
https://www.mskj.or.jp/almuni/list/
やがて、彼らは 産経新聞とフジテレビを買収して、
読売新聞とともに 右翼的洗脳工作機関として活動させる。
このとき、経営者だった鹿内春男・頼近美津子夫妻は、
二人とも不可解な不審死を遂げている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/mascomiron/
juernalistonohenshico/shikauthiharuo.html
ここから、冒頭に掲げた、あらゆるメディアの
買収と洗脳機関化 が始まるのである。
このあたり、問題が巨大すぎて、書くべき情報量が莫大なので、
少しずつ小出しにしてゆきたいと思う。 -
「世に倦む日々」氏がツィッターで鋭い指摘をしている。私は気付かなかったが、確かにその可能性はある。これ(「お言葉」に手を入れて安倍に対する尊敬語を加えた)が事実なら、安倍による「皇室の私物化」と言うより、「皇室を自分に跪拝させる」という傲慢不遜な、失礼極まる態度と言うべきだろう。
(以下引用)
世に倦む日日
@yoniumuhibi
天皇陛下が自分で書いて読み上げる式辞で、相手が外国の元首でもないかぎり、「述べられた」などと尊敬語を使うことはない。普通は、「内閣総理大臣が述べた言葉に」となる。それを「安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に」などと。言語道断の不敬と皇室の私物化。許せない。
https://
bit.ly/2XQk75W
天皇陛下のお言葉全文(時事通信) - Yahoo!ニュース
天皇陛下が退位礼正殿の儀で述べられた最後のお言葉は次の通り。 今日(こんにち) - Yahoo!ニュース(時事通信)
headlines.yahoo.co.jp
4時間
世に倦む日日
@yoniumuhibi
「ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します」。
https://
bit.ly/2Vw79Nt
この部分は、天皇陛下が自分で書いてないね。政府に読まされた部分だ。だから書面を侍従長に持って来させ、読んだ後に侍従長に返した。自分が書いた原稿じゃないから。異例のことだ。
天皇陛下「安寧と幸せ祈ります」在位中最後のお言葉
[2019年4月30日17時27分]
天皇陛下が在位中最後の宮中祭祀(さいし)に臨まれた(ロイター)
天皇陛下は4月30日午後5時から、皇居・宮殿「松の間」で開かれた「退位礼正殿(せいでん)の儀」に臨まれ、退位するにあたってのお言葉を述べた。在位中、最後のお言葉となった。お言葉は以下の通り。
◇ ◇ ◇
今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。
ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。
象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后とともに心から願い、ここにわが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
◇ ◇ ◇
天皇陛下はモーニング、皇后陛下は白いロングドレスを身につけられていた。
天皇の退位は、江戸時代の光格天皇以来、202年ぶりで、憲政史上初めて。 -
前の記事の参考として下の記事を挙げておく。
アレックス・ジョーンズは、「911」の直後から、あれは米政府の自作自演だ、という説を述べていた重要人物だと記憶している。
言うまでもなく、これは「陰謀論」ではなく「明白な事実の指摘」であり、その自作自演の証拠は事件直後から山のように出ていたのである。(この徽宗皇帝のブログの当時の記事でも、私は一番最初から自作自演を疑う記事を書いたと思う。)もちろん、誰かの陰謀(この場合は米政府の陰謀)を「陰謀だ」と指摘するのを「陰謀論」と言うなら話は別だwww そして政治の重要な部分はほとんどが陰謀として始まるのである。
なお、ジョーンズ氏が何かのヘイトスピーチをしているという部分については私はまったく知らないので、アップルやフェイスブックが「ヘイトスピーチ」や「フェイクニュース」を理由として彼の投稿を削除したというのが事実に合っているかどうかは知らない。どちらかと言えば、「911」関係の記事やトランプ支持の発言が睨まれたのではないか、という気がする。
(以下引用)米IT大手「陰謀論者」の投稿削除 規約違反で
発信者とトランプ氏の近さ、問題複雑に- 2018/8/7 15:00
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「櫻井ジャーナル」記事から抜粋転載。
目新しい話題ではないが、現代の政治や民主主義の存続に関わる大問題が、「情報」だろう。かつてはマスコミ(新聞テレビラジオ出版物など)がその情報伝達手段だったが、今はネットが大きな力を持っている。そのネットは、初期には一般マスコミ(商業マスコミ)には絶対に出ないような情報も得られ、高い価値があったのだが、今ではグーグルやフェイスブックやツィッターなどの大手に生命権を握られている。たとえば、グーグルの検索をすると、政府批判的な記事や反原発の記事やその種のサイトなどはなかなか出てこないようになっているらしい。
つまり、「私企業」が情報を一手に握ることの怖さである。情報を握るものが政治を左右する、というのは「シオン長老の議定書」の一番大事な指摘である。
(以下引用)グーグルにしろフェイスブックにしろ、アメリカの情報機関と深く結びついてはいるが、あくまでも「私企業」である。社会体制の基盤である情報伝達システムを私企業が握り、情報の検閲を行っているわけだ。私企業の判断に民が介入する仕組みはない。全てを私企業に任せれば上手くいくと主張していたネオコンが何を目指してきたのか、それが明らかになっているとも言える。
日本では記録の保管という重要な役割を負っている図書館を私企業が運営するようになり、その責任を放棄しているが、情報の統制という意味で根は同じだ。アメリカの有力メディアは壊滅的な状況だが、日本のマスコミはアメリカ以上にひどく、情報源としてはほぼ使えない。
情報とカネの流れていく先に権力は生まれる。情報は特定の富豪によって支配されているわけだが、カネも同じこと。通貨の発行権を誰が握るかで体制のあり方は決まるが、アメリカにしろ日本にしろ、私企業が握っている。
人間は生きていくために食糧や水が必要である。すでに食糧は巨大企業に蹂躙されているが、数十年前から水の私有化が目論まれてきた。私企業が生殺与奪の権を握ろうとしている。
フランクリン・ルーズベルトは1938年4月、ファシズムについて次のように語っている:「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを許すならば、民主主義の自由は危うくなる。本質的に、個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

