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第六章 ユダヤ教の教義
ユダヤ教の教義については、旧約聖書の中のモーゼの教え、特に「十戒」を見ればいい。基本的には常識的道徳であり、大きく分けると、
「エホバ以外の神を信じてはならない」
「神の偶像を作ってはならない」
「安息日を必ず守れ」
「神の名をみだりに口にするな」
という、神への信仰についての禁止事項と命令、後は社会道徳で、
「殺すな」
「盗むな」
「汝の隣人の所有物を貪るな」
「姦淫するな」(正しくは「姦通するな」である。つまり、姦淫自体の否定ではない)
「偽証をするな」
「汝の両親を敬え」
などだ。
「偽証をするな」とは言っているが、「嘘をつくな」とは言っていないのが面白い。つまり、裁判の際の偽証はいけないが、それ以外の日常的な場での嘘はオッケーだということだろう。これは賢明な教えである。社会生活から嘘を追放しては、日常生活など、何一つ成り立たない。他の宗教の馬鹿らしさは、それでも「嘘をつくな」などと教えたりするところにある。もちろん、宗教とは「努力目標」に過ぎない、というのなら話は別だが、それなら宗教自体が無意味に近いものになるだろう。
宗教として巧妙なのは、偶像崇拝の禁止である。これは、他の宗教が陥りがちな欠点をよく見抜いた禁止事項である。神のイメージは人それぞれであり、偶像はそのイメージを限定することで、神への批判を生む余地を残す。もちろん、低レベルの信仰者には偶像があったほうが宗教への帰依を高める場合もあるが、目に見えない神の方が、神秘的空想に訴えて、長続きするのだ。
ここで注意したいのは、ユダヤ民族の略奪と暴行の旅の中で、殺すな、盗むな、貪るな、姦淫するな、偽証をするな、は、何一つ守られてはこなかったということだ。つまり、これらの戒律は、あくまでユダヤ内部での戒律であり、他部族や異教徒に対しては、まったく守る必要など無い、ということである。この外部と内部での倫理の使い分けが、ユダヤ教の最大の特徴だと言える。もちろん、旧約聖書の歴史の頃は、他部族とは常に戦争状態だっただろうから、他民族に対する倫理も何もあったものではないが、問題は、そのダブルスタンダードが戦争時以外でも他民族に対して行われたことだ。タルムードの中には、はっきりと、異民族に対しては嘘をついても良い、異民族は殺して良い、異民族の財産は奪って良い、いや、それこそが善であるという記述があるという。ただし、タルムードはユダヤ教信者以外には見せてはならないものらしいから、一般人がそれを見る機会はほとんど無い。だが、ヨーロッパにおけるユダヤ人嫌悪の歴史の根底に何があったかを推測するのは容易だろう。もちろん、差別自体が差別を生むという構造もあっただろうし、また「イエスを殺した民族」への非難もあっただろうが、ユダヤ人の倫理的二重規範を他の民族が感じていたことが、より大きな原因だったように思われる。そして、ユダヤ人嫌悪は、ヒトラーのユダヤ人虐殺によってユダヤ人が差別と蛮行の「被害者」であるというお墨付きを得てユダヤ人差別が社会的非難の対象となるまでは、当然のこととして続いていたのである。世界的な「反ユダヤ的言論への規制」には、毎年のようにハリウッドで作られるユダヤ人受難映画やドイツ人(もちろん、ナチスをだ。)を悪役とした映画が大きく役立っているのは言うまでもない。ハリウッドの大映画会社はユダヤ人資本家のものなのである。もちろん、現代において、ユダヤ人を一まとめに同一視する人間はあまりいないだろうが、欧米流の政治経済のダブルスタンダードは、まさしくユダヤ教的であると言える。こうした欧米の政治経済の上層部に行き渡ったユダヤ的思考法こそが、現代の世界の直面する真の問題だろう。この論文の主眼もそこにある。
もちろん、ダブルスタンダードはユダヤ教だけではない、と言う意見もあるだろう。実際、後述するように、この問題はユダヤ教ではなく、キリスト教の問題でもあるのだ。なぜなら、現在の「キリスト教」は、実は偽装したユダヤ教なのだから。西欧植民地主義の尖兵を勤めたキリスト教が、他民族侵略を正当化したユダヤ教とそっくりであるのは、誰が見ても分かることだろう。ほとんどの侵略は、まず宣教師の献身的な「愛の教え」の布教活動によってキリスト教を浸透させ、西欧人と西欧文化の優越性を受け入れる土壌を作った上で静かに行われるのである。そして、侵略が起った後でも、まだ侵略された人々は気づかない。なぜなら、西欧人の牧師さんたちは「いい人」だから。それで、西欧人の経済侵略が相殺されて、西欧人への敵対意識が薄まってしまうのである。PR -
第五章 ユダヤ教の起源
ユダヤ人、あるいはイスラエルの民、あるいはヘブライ人は紀元前2000年頃に現在のイスラエル地方、つまり聖地エルサレムのあるあたりに移住してきた民族である。
紀元前1700年ごろから1300年ごろまで、ユダヤ民族はエジプトに定住し、そこの二級市民もしくは奴隷階級となる。なぜ、わざわざ他国の奴隷になるために移住したのかは不明だが、おそらく旱魃などの大きな自然災害があったのだろう。旧約聖書の記述によれば、ユダヤ人のヨセフという男が様々な苦難の果てにエジプトの宰相となり、その縁で彼の元の家族をエジプトに呼んだということになっている。つまり、最初から奴隷であったわけでもないようだ。だが、最初は70人程度だったユダヤ人たちが、本来のエジプト人たちを圧倒するほどに数が増えたので、エジプトのファラオ(王)がそれを怖れて彼らを奴隷の境遇に落としたと書かれている。
さらに、ファラオ(またはパロ)は、ユダヤ人が出産する時には、それが男の子なら殺せと産婆に命ずるが、産婆たちの中には、それを守らない者もいた。そうして命を救われた男の子の一人がモーゼである。彼は偶然にもパロの娘に育てられることになるが、やがて自分がユダヤ人であることを知って、自分の民族をこのエジプトでの奴隷的境遇から救い出すことを決意する。これが、旧約聖書出エジプト記の大筋である。
さて、ここで面白いのは、モーゼと「十戒」の話である。
モーゼがユダヤの民を率いて、シナイ山の麓まで来た時、ユダヤの民は長旅に疲れ、不満が溜まっていた。その状況を察知したモーゼは、一人でシナイ山に登り、「十戒」とその他の神の掟を持ち帰るのである。
言うまでもなく、それらの掟はモーゼの創作である。(これは聖書研究家にとっては常識だろう。)その掟の具体性といったら、割礼から家畜の取り扱いに至る細々としたものであり、神様が、そんなに具体的に指示などするわけもない。その例は次のようなものだ。
ユダヤ教の食事のタブーは一部の人には知られているが、たとえば、兎、豚は穢れたものなので、食ってもいけないし、死骸に触ってもいけない。水に棲む動物でヒレや鱗の無いものは食っても触れてもいけない。したがって、鰻、蟹、エビ、イカ、タコの類は駄目。昆虫では蝗などは食っていいが、その他の昆虫は駄目、などなど。食物以外のその他の細かな規則は、これもモーゼがエホバから直接に聞いたという体裁で申命記に出ている。
モーゼは、神と直接に語れるということを口実としてユダヤ民族の指導者として君臨してきたのである。その率いてきた集団の秩序が崩壊しようとしたから、彼は「神の掟」を創作する必要性を感じ、シナイ山に登ったわけだ。その時、モーゼに反抗的だった連中3000人が後にモーゼによって殺されているが、その反抗グループのリーダー格であったアロンは、なぜか咎めを受けていない。このあたりには明らかに「政治的取り引き」がある。(「民数紀略」第二十章には、ずいぶん経って後にアロンがモーゼに山で殺されたのではないかと疑われる記述がある。モーゼが山に登ると、ろくなことはない。)また、「汝殺す無かれ」という戒めは、モーゼの殺人に見られる通り、「神への反抗ならたとえ同胞であっても殺してよい」という保留によって、「実用的」なものになっている。たとえば、安息日に薪1本だかを拾った男の処置をどうするか、ということで長老たちの判断がつかなかった時、モーゼは「神に問い尋ねて」、男を石で打ち殺せ、という決定を下している。石で打ち殺すとは、皆で石を投げて、殺すという処刑方法だ。これは、たとえ薪1本でも、「神の定めた掟」を破ったから、死刑相当なのである。「神の定めた掟」の持つ厳しさが分かるだろう。そして、掟を破ることが神への反抗と見なされることで、集団の秩序が維持しやすくなったのも当然である。
アロンの場合には重罪でも許し(神への反抗という点では、アロンの罪も重罪である)、政治的な重要性の無い相手の場合には死刑にする、というのは法の実施におけるダブルスタンダードだが、このことは、この宗教規則があくまでも集団の規制のための規則であり、実は神への信仰とは無関係なものであったことを示していると言えるだろう。すなわち、法や掟は、「人間が人間を支配するために」作られたものであり、宗教(神という存在)はそれに利用されたということである。
モーゼは旅の途中で死ぬが、その後のユダヤの指導者ヨシュアは、カナンの地の先住部族を次から次へと皆殺しにし、その土地を奪ってユダヤ人のものとする。これが神の「約束の地」である。約束の地なら、神が平和的にユダヤ人のために取っておけば良さそうなものだが、他部族を殲滅して奪ったものでも、神が彼らに約束したのなら、その略奪行為は許されるという理屈らしい。ついでながら、カナンの地の近くまで来た時点でのイスラエル(ユダヤ)の民はおよそ60万人である。これだけの数の人間が大移動をしたのは、それだけでも確かに奇跡的ではあるが、食料などを持ってエジプトを出たはずはないから、当然ながらその間に無数の略奪行為があったに決まっている。書かれざる歴史だ。
引用するのも面倒だが、他部族に対する戦い方、あるいは略奪の指令の一例を挙げよう。民数紀略第三十一章
「モーゼすなわち彼らに言いけるは、『汝らは婦女どもをことごとく生かしおきしや。見よ、是らの者はバラムの謀計によりイスラエルの人々をしてベオルの事においてエホバに罪を犯さしめ、遂にエホバの会衆の中に疫病おこるに至らしめたり。されば、この子等のうちの男の子をことごとく殺し、また男と寝て男知れる女をことごとく殺せ。ただし、未だ男と寝て男知れる事あらざる女の子はこれを汝らのために生かしおくべし。云々』」
ついでに、その略奪品の例
「その略取物すなわち軍人たちが奪い獲たる物の残余(神への供物の残余)は羊67万5000、牛7万2000、驢馬6万1000、人3万2000、是未だ男と寝て男知れる事あらざる女なり。」
その処分は、神への供物にそれぞれの50分の1を取った後、戦に出た者に略奪品の半分を与え、残りを戦に出なかった者で分けるというような感じである。
エリコ(ジェリコ)の戦いの前に、エホバがモーゼに言った(とされている)言葉。
「汝らヨルダンを渡りてカナンの地に入る時は、その地に住める民をことごとく汝らの前より追い払い、その石の像(すなわち、彼らの信仰する偶像)をことごとく壊し、……その地の民を追い払って其処に住むべし。……されど汝らもしその地に住める民を汝らの前より追い払わずば、汝が残し置くところの者、……汝らを悩まさん。且つまた我は彼らに為さんと思いし事を汝らに為さん。」
つまり、敵を殲滅せよ。そうしないと、神がお前たちを殲滅するぞ、ということをモーゼは彼の率いる民に神の言葉として言ったわけだ。
ユダヤ教の基本部分は、こうしてエジプト脱出とその後の40年以上もの放浪の間に作られたと推定できるが、もちろん、その大半は、ユダヤの民族宗教を元にしてモーゼが「神の掟」を追加したものだ。つまり、宗教の伝説的部分は伝承を利用し、規則部分はモーゼの創作というわけである。 -
第四章 ユダヤ教と旧約聖書
ユダヤ教は、言うまでもなく、ユダヤ民族の民族宗教である。従って、その神はユダヤの神であって、その事は旧約聖書の中で繰り返し明言されている。この神は当然ながら他の民族の神々をすべて拒否し、のみならず他の神々を信ずる部族を滅ぼせと命令している。もちろん、他の部族のすべてではないにせよ、敵対する部族がある場合には、その部族の全てを殲滅せよ、と命令するのである。こうした徹底性が、ユダヤ教の特質であり、このユダヤ教的性格のままでユダヤ教が世界宗教になることが不可能だったことは自明である。
ユダヤ教は、地中海東岸の地方に住む民族の中から生まれた宗教で、その思想の特徴は「神との契約」にある。つまり、ユダヤ民族は神との契約によって選民となったということだ。この契約は双務的なものであり、ユダヤ民族は、神の与えた法と、預言者を通じて任意に与えられる神の言葉に完全に従わねばならない。その代わり、神は世界をユダヤの民に支配させるというものだ。ただし、ここで言う世界は、地中海地方一帯程度のイメージだったと思われる。(世界の創造主たる神と民族の神の矛盾については後記)
旧約聖書以外にも、ユダヤ教の聖典はあるし、むしろ他の聖典(タルムード等)の方が重視されていると言う人もいるが、旧約聖書を読むだけでも、ユダヤ教の根本は分かる。
旧約聖書は創世記から始まるが、これは地中海地方の伝説の集成であり、たとえば大洪水の話などはメソポタミア地方の神話にほとんど同じものがあるそうだ。とにかく、ユダヤ教の特質は、世界が一人の神によって作られたとしたところにある。そして、そのように世界全体を作ったはずの神でありながら、その神はユダヤ民族のことしか頭の中にないこと、他の民族に対してはむしろ敵対的な神であること、ユダヤ民族の危機に際してはその神はほとんど無力であること(そうした際に預言者が言う言葉は、「民の神への不信のためにそうなったのだ」という言い訳が常である。)などの特徴がある。
例の、バベルの塔の話の前に、「世界は一つの言葉を使っていた」とあり、バベルの塔を建てて天に至ろうとする人類の野望を妨げるために、神が人々の言葉を様々な言語に変え、彼らを世界中に分散させたとあるから、神は人類全体の神であったはずだ。だが、その話の後、急に、神がアブラムという男に命じて、父祖の地(カルデアのウルという所)を去って約束の地に行け、と命じる。そこを将来のユダヤ民族のための土地にしようというわけだ。旧約聖書では、このアブラム(後にアブラハムと改名)がユダヤ民族の祖となっている。このあたりから、全世界の神がなぜかユダヤの神になってしまうわけだ。
アブラハムは、お前の息子を神への生贄にせよという神の理不尽な命令に対して従順に従ったという「信仰心」のためにユダヤの祖となったとされている。つまり、ユダヤ民族とは、我が身可愛さのため(かどうかは知らないが、そのようにしか見えない)に息子を殺そうとした男の子孫であるようだ。ついでながら、旧約聖書の基本精神の一つは、子供は父のために犠牲にしてもよいという思想(家父長思想)である。たとえばソドムとゴモラを神が破滅させた際に、神の使いを守るために、ロトが自分の二人の娘(処女の保証付き)を暴徒の手に引き渡して自由にさせる、つまり強姦させるという記述がある。これに類した話は他にも沢山あったはずだ。もちろん、これは父のためにではなく、「神のために」子を犠牲にしたということだが、ではなぜ神のために子供を犠牲にするのかと言えば、結局は自分のためである。父と神の同一視が旧約聖書の特徴だとも言える。
ユダヤ教は、神の権威をバックにして家父長の権威維持を図った思想という側面がある。実際、「父の祝福」や「父の呪い」の持つ神聖さや威力は、神のそれと相似である。それはまるで、戦前の日本の父親が、家庭の小天皇であったのとそっくりだ。旧約聖書では、父の命令だというだけで、どのような理不尽な命令も絶対的なものとされるのである。
ユダヤ教の神が、人類全体の創造者でありながら、なぜユダヤ民族だけの神になったのかという、その根拠、つまり、なぜアブラハムが選ばれたのかという理由は旧約聖書の中では述べられない。吾が子イサクを神への生贄に差し出したのは、これは最後の試験のようなものであり、アブラハムを最初に選んだ理由ではない。その前に、神はなぜかアブラハムを選んで約束の地に行かせているのである。
取りあえず、エホバは人類の神から、ユダヤの神という立場に成り下がった。だが、この神はけっしてユダヤ民族を助けたりはしない。せいぜい、ジェリコの戦いという他部族との戦いの時に、ラッパの音で城壁を破壊する「奇跡」を見せたくらいである。(もちろん、ラッパを合図に、中に潜入していたスパイが城門を開けたことの比喩に決まっているが。)他部族と戦うか戦わないかという選択の理由も神は明確には示さない。他部族との戦いを命じる時には、ただ「彼らは神の目の前に悪しかりき」というあいまいな根拠しか述べられないし、その戦いでユダヤ民族が敗れた場合は、今度はユダヤの民は「神の目の前に悪しかりき」と言われるだけだ。神への不信心のためにユダヤ民族は罰されたのだという言い訳である。神とは、まことに便利な口実だ。ここから分かるのは、ユダヤの神とは、ユダヤの指導者層が自分の部族を支配するための装置でしかなかったのだろうということだ。
つまり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのである。
だからどうだと言うことではない。ヴォルテールも言うように、神がいなければ、作る必要がある、という考え方もできる。問題は、神が善用されるか、悪用されるかということだけだ。文明の初期には神や仏への信仰は社会秩序の維持に役立ってきた。はたして現代ではどうか。キリスト教国家アメリカは果たして、世界にとって善の存在か。そして、ユダヤ教国家イスラエルはどうか。 -
第三章 当時の社会状況
イエスが生まれたのは紀元前4年(紀元前7年という説もある)だと言われている。ADとは「キリスト紀元」、キリスト誕生を紀元とすることだから「イエスはイエス・キリストが生まれる4年前(BC4年)に生まれた」ことになる。では、この両者は別人か? もちろん、同一人物である。後世の歴史家の計算間違いで、こういうナンセンスが生じただけのことだ。歴史的「事実」など、その程度のものである。
その当時、ユダヤ民族は地中海と死海の間にある狭い土地に生息していて、他の周辺民族と同様にローマの支配を受けていた。手元に資料が無いのだが、シーザーの養子で、アントニウス・クレオパトラ連合軍を破ってローマの支配者になったオクタビアヌスの頃かと思われる。ユダヤの王がヘロデ、ローマから派遣されたユダヤ総督がピラトである。このあたりは、キリスト教映画などでの有名人物だ。
当時のユダヤ教は大きく分けて三つに分かれる。
まず、サドカイ派。これはユダヤ教の支配層であり、宗教的特権階級である。貴族や大土地所有者が多く、ローマに対しては妥協的態度を取っていた。(このあたりの記述は小坂井澄『キリスト教2000年の謎』を参考にしている。)
次に、パリサイ派(ファリサイ派)。学究派と言っていい。ユダヤ教を学問的に研究する姿勢に偏向していたため、イエスの批判は主としてこのグループに向けられた。つまり、「口では信仰を言うが、信仰を実践しない偽善者」というのが新約聖書での「パリサイ人」の定義である。ただし、小坂井氏の指摘にもある通り、イエスを殺させたのはパリサイ派ではなく、サドカイ派である。つまり、イエスはその革命的宗教思想の故に保守思想の一派に憎まれ殺されたのであった。イエスの思想自体にはパリサイ派との共通性も多い。
そして、エッセネ派。内面的信仰を重視する一派で、清貧と禁欲性をその特徴とする。イエスはおそらくこのエッセネ派の一人と見ていいだろう。ただし、気質的にエッセネ派であるというだけで、その集団に帰属していたということではない。前世紀中盤に発見された「死海文書」は初期のキリスト教徒迫害を逃れて隠れ住んだ、エッセネ派の残した文書と思われる。とすれば、それは福音書よりも本来のキリスト教の思想に近いものである可能性が高い。(この「死海文書」はバチカンによって秘匿され続けている。) -
第二章 キリストという呼称について
キリストとは救世主の意味であり、個人名ではない。個人名としてはイエスまたは、その出生地名と共に、ナザレのイエスと言う。英語読みならジーザスだ。
ではキリスト、つまり救世主とは何か。現在の人々が想像するような、世界全体の救済者のことではない。これは、イエスの十字架上の刑死の後、イエスこそが「キリスト」であったという考えが広まり、それが世界全体の救済者というイメージになったのである。イエスの生きていた当時の「キリスト」とは、ユダヤ民族の救済者ということである。だから、イエスの裁判では「キリスト誇称」が彼の最大の罪とされたのである。
ではなぜユダヤ民族を「救済する」必要があったのか。それは、ユダヤがローマ帝国の支配下にあったからである。それ以前にもエジプトでの奴隷的生存やバビロン捕囚の時期があり、ユダヤ民族は民族として独立できていた期間が短く、常に、他民族の圧迫の下にあったので、彼らにはいつの日かユダヤ民族を救い出し、「この世の王国」を打ち立てる人物が現れるという期待と信仰があった。
注意したいのは、「この世の王国」とは現実の国家であり、精神的なものではなかったという点だ。イエスにキリストであることを期待した人々は、彼がローマへの反抗の指導者、つまり独立運動の指導者か革命家であることを期待したのである。 -
第一章 旧約聖書と新約聖書
まず、聖書をどう捉えるかだが、簡単に言えば、旧約聖書はユダヤ教の聖典であり、新約聖書だけがキリスト教(「キリスト教」すなわち、後の変質したキリスト教とは区別する。)の聖典である。ただし、キリスト自身は実は自分がキリスト教という新しい教えを教えているつもりはなく、腐敗したユダヤ教を改革しようという「宗派内改革者」のつもりであった。だから、彼の教えの中には旧約聖書からの引用が無数にある。
しかし、彼自身のそうした意識とは裏腹に、彼の教えは旧来のユダヤ教とは水と油ほどにも違っていた。その最大の点は、「神」の性格である。「旧約」の中の神には、キリスト教の神のような愛と寛容の性格は無い。狭量で、怒りっぽく、残酷で不合理な性格の神だ。一言で言えば、困った性格の神様だが、では、キリスト教の神が正しいかと言うと、これもキリストがそう空想しただけのことだからどちらが正しいとも言えない。
「旧約」の中には、果たしてこれは一神教かと疑わせる記述などもあるが、とりあえず、ここではユダヤ教もキリスト教も一神教だという前提で話を進めていく。 -
イエスと「キリスト教」(キリスト教の政治的歴史)
概説
最初に中心思想を述べておく。
イエス・キリストと呼ばれた男、ナザレのイエスは、ユダヤ教を改革しようとして当時のユダヤ教指導者たちの手で始末された男である。その思想は当時の厳格な儀式典礼主義のユダヤ教を批判し、より精神的なものにしようとするものであった。
キリストは神の子ではなく、その死後に布教のために神格化された人物である。教会によってキリストの教えも変質した。その過程がここで論ずる事柄の中心であるが、それにはユダヤ教との関連、そしてローマ帝国との関連が重要である。
現在の「キリスト教」の土台は、キリストの死後100年の間に、その教えを元にして形成された。新約聖書の中にある四福音書の中の、キリストの言葉そのものが、純粋なキリストの教えであり、それ以外の記述、たとえば様々な「奇跡」は、キリストの神格化のために、記述者が付加したものである。たとえばキリストの「死後の復活」も伝道のための作り話である。そうした不合理性を除去した後に残るものが真に重要な「キリストの教え」である。(ドイツのブルトマンの「聖書の非神話化」の主張も同じ趣旨だろう。)
キリスト教はさらに「キリスト教(あるいはユダヤ教)」という一神教をローマ帝国の国教に採用しようと考えたローマの手によって変質させられた。つまり、現在の「キリスト教」は、「ローマ化したキリスト教」であり、その土台を作ったのはパウロである。パウロは熱心なユダヤ教徒であり、最初はキリスト教徒を迫害していたが、ローマからの指令によって(?)「新キリスト教」オルグ活動家となった人物である。この人物とローマ帝国の力によってキリスト教の世界宗教への道が開かれた。ローマがユダヤ教ではなくキリスト教を選んだのは、民族宗教色が強すぎるユダヤ教よりも、精神性や内面性を重視するキリスト教のほうが、ローマ人も含めて他民族を折伏し、吸収するのに向いていたからである。大事なのは、「一神教」の持つ「絶対性」であった。あるいはマルクス用語で言う「歴史的必然」と言ってもいい。つまり、「最初から正義はこちらにあり、勝利は約束されている」とする思想だ。なぜなら、他の宗教の神々が「世界内存在」であるのに、一神教は世界そのものを作った神であるから正義と勝利は保証され約束されているのである。(そうした超越神、創造主という存在と、この世の悪の存在の矛盾は、とりあえず無視すれば良い。)
キリスト教がローマ・キリスト教(国教化以前のこの段階ではローマンカソリックとはまだ言わないほうがいい。)となった頃に、キリストの教えがアレンジされ、福音書も作られた。ローマ教会によってそれまでのキリスト伝承が整理され、正典(カノン)と外典が区別された。本来のキリストの教えが正典と外典のどちらにあるかはわからないが、外典を一般大衆が目にする機会はほとんど失われ、「キリスト教」批判の契機も失われた。
ローマ・キリスト教がローマンカソリックとなっていく過程で、さらにユダヤ教への退化が生じ、現在の「キリスト教」に近づいていった。さらに、様々な教父たちによってキリストの母の神格化や三位一体説、原罪説などが加わり、ローマンカソリックという異様な「キリスト教」が出来上がった。その異様さは、かつてイエス・キリストが憎んだ「因習的ユダヤ教」とそっくりである。その因習的な部分とローマンカソリックの腐敗した上層部への反撥が宗教改革を生んだ。しかし、その新教もまた「聖書」に依拠する限りは、キリスト本来の教えと一致することはありえなかった。キリストの教えを純粋化するには、聖書中のキリストの発言のみを抽出する必要があったのである。もちろん、それすらも記述者によって歪められたものではあるが、それでもその教えの革命性は明らかである。
結論的に言えば、世間で言う「キリスト教」は、「キリストの教え」では無い、ということだ。キリスト本来の教えは、共産主義に近いほどに、この世の富と栄華を否定する思想であるから、資本主義社会とは両立できない思想である。その資本主義の牙城のアメリカが「キリスト教」国家であるなら、それは「キリストの教え」とは別のキリスト教でしかない。同様に、「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬をさし出せ」という、許しと寛容の教えがあの残虐な十字軍と両立するはずはない。そこには、ユダヤ教独特のダブルスタンダードの思想、つまり、「自分の民族に対しては倫理を守れ、だが、異民族に対してはあらゆる悪が許される」という選民思想がある。ユダヤ民族を白人種に変えれば、これが西欧国家や西欧人種の気風でもあることは、近世近代現代の歴史に明らかである。
「キリスト教」は、西欧人の考えの土台である。したがって、その思想がキリスト本来の思想といかに異なるものであるかを西欧人たちが知れば、(つまり、自分たちがキリスト教だと信じていたのは実は変装したユダヤ教であることを知れば、)彼らが自らを反省し、あるいは西欧の貪欲によって破滅しかかっているこの世界が救済される可能性への道が開かれるかもしれない。そのためにも、この論が書かれる必要性があると私は信じる。
あらかじめ言っておくが、この論への批判は、その本質的部分への批判のみに願いたい。つまり、現在の「キリスト教」は、はたして聖書の中のキリストの言葉と一致しているかどうかということだ。その点での反論はおそらく不可能だろう。現在の「キリスト教」社会ほど非キリスト教的な社会も存在しないだろうからだ。それ以外の部分は、遥かな過去の時代についての推測にしかすぎない。歴史そのものが、勝者の歴史でしかない以上、後世の人間にできることは、歴史的記述について合理的判断を心がけることだけだ。もともといい加減なものでしかない歴史的記述や資料の細部の取り扱いにいちいち文句をつけられるのは御免である。
2008年11月23日記 -
「業家の兄弟」はいかがだったでしょうか。ドストエフスキーの「ド」の匂いくらいは感じていただければ幸いです。
ただし、キリスト教に関しての考えは、ドストエフスキーを読んだ高校生の頃と現在の私は異なる部分があるので、次回からしばらくキリスト教についての私の考えをシリーズでアップします。
私自身は宗教には有益な部分と有害な部分があると思っています。古い宗教については、創始者の教えが年月が経つうちに変形され、権力に取り込まれていくのが宿命であり、新興宗教はその大半が教団自体の利益獲得手段になっているというのがその最大の害悪です。
有益な部分は、もちろん、人々に生きる希望を与えることが多いという点です。人は何かの希望無しで生きられるものではないので、宗教が仮に幻想であっても、それは有益な幻想でしょう。そういう意味では、文学の有益性と同じだと言えます。
ただし、文学は自らが虚構であると謙虚に認めているのに対し、宗教は自らの虚構性を認めることは絶対にしません。それは宗教の土台を破壊することですから。そしてその欺瞞から、宗教のあらゆる害悪も生じてくるのです。
では、「革命者キリスト」をお読みください。 -
第九章 カルマの終わる時
冬晴れの青い空が頭上に広がっていた。
町の墓地に憐は立っていた。彼の前には、母親たちの古い墓標と、父親の新しい墓標があって、三つとも花が供えられていた。彼の傍に、彼と仲のいい中学生が立っている。
「じゃあ、憐さんは、北海道の修道院に入るんですね?」
「ええ。そうします」
「屋敷はどうするんですか?」
「売って、皆で分けますよ。家も、土地も、工場も。僕には、経営なんてできないからね。乱兄さんの出所後の生活費と、論兄さんの病院の費用は、ある人に預けて、それ以外はほとんど、家の使用人と工場の人たちに分けることになっています」
「もったいないですね」
「そうですか? 僕には、お金は人を不幸にするとしか思えない」
「まさか。誰でもお金はほしいでしょう」
「必要なだけあればいいんですよ。いったい、なぜ世の中に、泣いている人々がいるのか。飢えている人々がいるのか。僕の力では、その中の、ほんの一部しか救えない。人々の心そのものが変わらないかぎり、世の中から『餓鬼』の泣き声はなくならないんです。いつか僕は修道院を出るでしょう。もしかしたら、とんでもない事を始めるかもしれない。自分が何をすべきなのか、しばらく自分を見つめるために、僕は修道院に入るんです。自分の信仰を見つめるために」
「革命家にでもなるんですか?」
「さあ、どうでしょう。僕の性格には合いませんけどね」
「僕は世の中を引っくり返してみたいなあ。そんな事を言うと、親父は、アカみたいな事を言うなって怒鳴るけど」
「世の中を変えるのは、必ずしも革命だけではありませんよ。キリストは世界を変えました。たとえ芥子種のような小さな物でもそれが多くの人の心に撒かれて、大きく広がっていくこともあるんです。世の中が変わるのは、心から変わるのだと今の僕は思っています。でも、それが果たして正解なのかどうか、考えてみたいんです」
「あなたも業家の人間ですからね。多分、すべてに徹底しているのが、業家の特徴なんですよ。僕も見習いたいな」
「そうですか? 僕は駄目な人間です。僕の信仰だって、本物だという自信はない。だからこそ、修道院の厳しい生活を経験してみたいんです。自分の甘さを拭い去って、その後に何が残るか、それとも何も残らないか」
「あなたは、きっとやりますよ。きっと、後世に残る偉人になります」
憐は微笑んで、何も言わなかった。少年の感激に水を注したくはなかったのだろう。
憐は少年に別れを告げて歩き始めた。墓地の入り口に黒卯紫苑の姿が見える。彼が遺産を処分した残りを預けたのが彼女であった。必要な金を除き、後は彼女が使ってくれ、と言ったのである。それが、彼女の人生を泥水に変えた父親の罪の償いであった。
紫苑と目が合った憐は、軽く会釈をしただけで、何も言わずにその前を歩み過ぎた。紫苑も言葉はかけなかった。
憐の立ち去るのを見送った紫苑は、振り返って墓地を見た。小高くなった業家の墓所に、白い花束が見え、そしてその後ろの青い空には、刷毛で刷いたような白い雲がわずかに浮かんでいた。 -
第八章 裁判
翌日、濫三郎殺しの「犯人」、乱の裁判が行われた。
一日も仕事を休めない貧しい人々を除き、町の大人のほとんどは裁判を傍聴しに来ていた。近くの町の人間までも来ていたが、大半の人々にとって裁判の内容は不満なものだった。彼らの期待していたような、親と子が一人の女を奪い合って、子が親を殺したという話にはならなかったからである。検察側は、殺人の動機の一つにそれも挙げていたが、主な動機は、ただ、目の前のわずかな(金持ちにとってはだが)金銭の強奪であり、被告の粗暴で短気な性格、目先の事しか考えない無思慮による、激情からの犯罪だと決め付けていたのである。それも当然であり、しばらく我慢すれば、親の遺産はすべて乱の物になるはずだのに、わずか200円のためにそれを失うのは無思慮以外の何物でもないだろう。
検察の弁論を、被告席の乱は薄笑いを浮かべて聞いていたが、時々は真面目な表情になり、物思いに耽っているようであった。検察官が、盗まれた金の50円の差について言及した時だけ、はっとしたような顔で真剣になったが、それについての弁明はやはり拒否し、裁判長にはあまり好印象は与えなかったようである。
検察官が、証人として次男の論を呼んだ。
論は法廷の後ろの扉から入ってきたが、体が何だか揺れているような妙な歩き方だった。重そうな黒い外套を着ていて、それにはまだ外の雪がついているところを見ると、法廷の建物に到着してそれほどたっていないことがわかる。
論は、弁護席に立つと、法廷内を見回したが、無関心な表情である。兄の乱を見ても、特に表情の変化は無い。乱に近い席にいて気遣わしげな表情をしている憐には、ほとんど目も止めなかった。
所定の手続きを経て、弁護側の質問、検察側の質問に淡々と答えていき、当日は論も憐も屋敷にはおらず、事件については知るところが無い、という所で、彼の証言は終わりのはずだった。
「以上です」
検察官の言葉で、論は証人台から降りようとしたが、そこで足を止めた。
「そうじゃない」
彼は小さく呟いた。
「どうしましたか?」
裁判長が聞いた。
「茶番ですよ。これは」
「どういうことです?」
「あいつがやったんだ」
「あいつとは?」
「あの犬ですよ」
「それはどういう意味です。ちゃんと話してください。さもないと、法廷侮辱罪になりますよ」
「あの犬。……そうじゃない。犬は俺だ。俺がやったんです」
法廷は大きくざわめいた。事件にはまったく無関係と思われていた次男が、自ら真犯人の名乗りを上げたのである。
その後の論の話は、まったく要領を得なかった。あくまでも論は自分が犯人だと言うのだが、彼にははっきりしたアリバイがあり、彼が犯人ではありえないことは確かだったのである。彼が病気で意識朦朧とした状態であることは明白であり、兄を思う気持ちのあまり、頭がおかしくなってそんな証言をしたのだ、と検察官も弁護人も裁判長も判断した。
論は廷吏に体を抱えられて退出し、裁判は続けられたが、この一幕は、乱の求刑に微妙な影響を与えた。つまり、乱が犯人であることはほぼ確かだが、あるいは冤罪の可能性もある、という心証を人々に与えたのである。
乱は、懲役20年の判決を受けた。
論はそのまま病院に担ぎ込まれ、精神の異常と診断されて、もっと大きな町にある精神病院(当時は、癲狂院と言ったが)に収容された。
