"メモ日記トゥディ"カテゴリーの記事一覧
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「世界一くだらない法律集」(続き) *法律文のみ引用部分。注釈と解説は徽宗皇帝による。
・酔っ払っていればカンガルーとのセックスが認められる。(オーストラリア)
・知的でない学生は大学に入学できない。(中国)
・知らない相手とキスしてはならない。(サウジアラビア)
・雪男を殺してはならない(カナダ・州法)
・公道でいちゃついた男女は30日間の拘置刑に処せられる。(米・都市条例)
・市内で核爆弾を爆発させると500ドルの罰金。(米・都市条例)
・秘書は部屋の中で上司と二人きりになってはならない。(米・都市条例)
・醜いと分類された人間はいかなる通りも歩いてはならない。(米・都市条例) *参考までに、これはサンフランシスコの法律。旅行予定の男性・女性は気をつけること。
・主婦が一日に割ってよい皿の数は3枚までで、ふちを欠くのはカップを皿を合わせて4つまでしか認められない。(米・州法)
*これはフロリダ州の法律。私の妻は即座に逮捕されるだろう。
・人間が犬の喧嘩に参加してはならない。(米・州法)
・片腕のピアノ奏者は無料で演奏しなければならない。(米・州法)
・夫は日曜日には妻をにらみつけてはならない。(米・都市条例)
・教会でおならをすると終身刑。(米・都市条例)
・子供が礼拝の最中にげっぷを我慢できなかった場合は親が逮捕される。(米・州法)
◎ このほかにもいろいろあるが、宗教がらみの法律に馬鹿げたものが多いようだ。
◎ 上に挙げた法律の中には、姿勢としては正しいが、それを「法律」にするのはどうか、というものもある。たとえば中国の「知的でない学生は大学に入ってはならない」というのは、まったく正しい姿勢だが、日本でそれを法律化したらどうなるのだろうか。PR -
日曜日らしく、肩の凝らない馬鹿話でもしよう。デビッド・クロンビー著「世界一くだらない法律集」(ブルース・インターアクションズ社)より、世界のくだらない法律をいくつか。ただし、その中には現在は改訂されているものもある。
・パブやバーなどのような認可を得ている場所で酔っ払うのは違法。(イギリス)
・公共の乗り物で女性がチョコレートを食べることは禁じられている。(同)
・10歳未満の男の子は裸のマネキンを見てはいけない。(同)
・自殺は死刑。(同)
*徽宗注:上の法律は、「自殺した人間」を死刑にするのか、自殺未遂の人間を死刑にするのか不明だが、前者ならどのように死刑にするのだろう。死体を死刑にするのか。また、後者なら自殺しそこなった本人が当初の意図を遂げるのだから、刑罰になるのだろうか。
[都市別法律]
・(ヘレフォード)ヘレフォード大聖堂近辺の通りでは日曜日に限りいかなる時間帯でもウェールズ人を弓矢で撃ってかまわない。
・(ロンドン)17世紀以降、男性が午後9時過ぎに妻を殴るのは違法とされている。
・(ヨーク)スコットランド人を見かけたら、日曜日以外なら即座に弓矢で撃っても法律的には何の問題もない。
・(同)日曜日でもスコットランド人がおならをしていたら弓矢で撃っても構わない。
*徽宗注:言うまでもなく、弓矢で撃つ云々の法律は、イングランドとスコットランドの仲の悪さから来た古い法律だが、もしかしたら現在でも有効かもしれない。もちろん、「おならをしていたかどうか」など、誰にもわかりはしないのだから、いつでもどこでも弓矢で撃っていいのである。
また、ロンドンの、妻を殴る云々の法律は、さすがに時間に几帳面なイギリス人らしい法律である。彼らは自分の感情を爆発させるにもスケジュールを立てて実行するらしい。 -
既報のとおり、参議院選沖縄選挙区では自民党議員が勝った。民主党は候補者を立てず、不戦敗を選んだのだが、たとえ候補者を立てても、馬鹿菅が消費税増税を言い出した時点で敗北は確定だっただろう。無駄な選挙費用を使わないだけ賢明だったか。しかし、沖縄県民もどこまで馬鹿なのだろう。ここで自民党議員を当選させたのでは、「基地固定化賛成」「消費税増税賛成」を表明したようなものではないか。(島尻候補は消費税反対を打ち出しているが、それが口先だけであるのは明らかだ。党本部が消費税増税を叫んでいるのに、それに一議員が反対できるわけがない。)基地問題に限らず、自民党による日本破壊(小泉改革)を容認するような投票行動をするとは、沖縄の人間は馬鹿・白痴・阿呆・低能・非国民と言われても仕方があるまい。
参議院選挙全体での自民党の勝利で、次のシナリオは、民主党と自民党の連立政権ということになるか、あるいはその前に公明党・みんなの党との連立政権となるか。いずれにしても、比例区での議席がゼロの国民新党との連立は解消して、対米追従連立政権の誕生となりそうである。
つまり、日本の独立は夢と終わり、日本は永遠にアメリカの属国となるわけだが、しかし、アメリカの経済的崩壊が現実化したときに、日本もまた崩壊することになるだろう。もはや我々には皮肉な目でその最後を見守るしかないのだろうか。 -
現代の企業が効率化を進めることによって各企業から不要人員がどんどん淘汰されていき、社会全体の失業率がどんどん上がっていく、というのが「失業革命」、私の用語では「社会人落ちこぼれ問題」だが、これまでは科学的な発明・発見は人類の生活を便利にするのに役立ってきたのだが、ここに来て、それが大量の失業者を生み出すというデメリットに変わりつつあるわけだ。
しかし、見方を変えれば、これは社会全体のある部分に必要とされる労働量が減少しただけであり、その余った労働力を、もっと有効に使えばいいだけの話である。たとえば福祉・教育・医療などの分野では、常に労働力を必要としている。第一次産業でも人間の手作業に頼らねばならない部分はまだまだ多いだろう。
つまり、IT革命などで効率化が進んだのは製造業やサービス業の管理部門なのであり、また、メディアの電子化によって文化的分野の既得権も侵食されているが、人間の生存に必要な基本産業においては、実はまだまだ人手不足なのである。問題は、それらの分野が「貧困産業」であることなのだ。
現代では、生存に直結する産業よりも、虚業のほうに金が集まるという、いびつな経済になっているところに問題の根幹があるのではないか。
だが、社会的な「物や物事の価格」は、需要と供給のバランスで自然に決まるものであり、そこに政治が介入しても成功する見込みは無い。では、いかにしてそうした貧困産業に金が集まるような社会システムを構築するか。これがこれからの社会の課題だろう。 -
私は、世界は国際的資本家の手の上で踊らされている、という考えの持ち主で、世間ではそういう考えを「陰謀論」と言うようだ。だが、9.11事件のような粗雑な陰謀さえも陰謀だと言わないなら、世間の常識というものは幼児レベルなのではないか。9.11事件をきっかけに世界が「世界新秩序」に向かって動き出し、アメリカなどではもはや民主主義が完全に死滅しているというのは、明らかな事実ではないか。だが、その程度の考えさえも公の場で口にしたら、「あいつは頭がおかしい」ということになるのである。
メル・ギブソンの「陰謀のセオリー」は、そうした孤独な「陰謀論者」の戦いを描いた、秀逸な作品だったが、現実にも「陰謀論者」は孤独なのである。
ただし、インターネットの世界では、そうした自分の思想を世界に発信することもでき、一定の理解も得られる。だからこそ、権力者たちはインターネット規制を急いでいるのである。インターネットに対するさまざまな規制は、たとえば「青少年保護」のために「猥褻なホームページやブログを禁じる」あるいは「猥褻な図像の所持を禁じる」などの名目で始まり、やがてそれが拡大適用されるのである。「非実在青少年」つまりフィクション上でのキャラクターを用いたエロ小説やエロ画像が取締りの対象になることは自分には無関係だと思っていると、それがいつのまにか拡大適用されることになるだろう。例のユダヤ人迫害での有名な言葉のように。 -
参議院選挙が始まって、沖縄でも4人の立候補者が選挙活動を開始した。とはいっても、例によってそのだいぶ前から売名活動は始まっていたのだが。
今回の選挙は、与党の民主党が沖縄選挙区に候補者を立てないという異常な事態になっているのだが、普天間基地の辺野古移設で猛反発をくらっている状況では、誰を立ててもどうせ勝てないと見たのだろう。しかし、そういう時こそタレント候補を立ててでも1議席を確保するのが、まっとうな政党だろう。つまり、民主党は、「勝たなくてもいい」という考えなのである。そして、それはなぜかというと、それがアメリカの考えだからである。
つまり、管・前原・岡田・北澤一派によって民主党の実権がアメリカの手に入った以上、日本の与党が民主党であろうが自民党であろうが、どちらもアメリカの意のままなので、かまわないということだ。
アメリカの政治において、共和党が政権をとろうが民主党が政権をとろうが、すべて財界の意のままに動くのと同じように、日本では自民党が政権をとろうが民主党が政権をとろうが、ジャパンハンドラーズの意のままなのである。これが保守二大政党制の結末だ。
去年8月30日の革命は、このままなし崩しに終わるのか。それともこの参議院選が新たな革命の起点になるか。日本国民の意地が問われている。 -
経済とは「経世済民」から来た言葉だと言うが、「経世」とは「世の中を経営する(おさめる)こと」、「済民」とは「人民(の難儀)を救うこと」らしい。つまり、経済とは「人民を救うために世の中を管理する方法を研究する学問」だと言える。ところが現在の経済学で、あるいは政府の経済政策で「済民」が真剣に考えられているだろうか。
世の中というものは放っておくと弱肉強食の世界になるものである。そこに人間らしい理性と道徳性を加味していくのが真の文明であり文化だろう。すなわち、「適者生存」という、単なる弱肉強食の原理を肯定しただけの(新)自由主義思想は、ジャングルの論理でしかないのである。言い換えれば、(新)自由主義とは「政府は口を出さず、経済界の好きなようにさせろ」という思想にすぎない。
しかし、自由主義とは誰にとっての自由なのかを見ずに、「自由」という言葉だけでそれを肯定する人間が、世の中には多い。経済界にとっての自由とは、実は一般国民にとっては地獄かもしれないのである。
いわゆるセーフティネットが存在しないままで規制緩和、つまり自由主義を推し進めるとどうなるか。現在の日本になるのである。
「派遣労働者法」が規制緩和の一つである。
派遣労働者法は経済界の要請によって作られた法律である。そしてあらゆる企業が派遣労働者を利用することによって日本の労働者の賃金水準はどんどん低下していった。(それは企業の利潤が増えたということでもある。)派遣労働者の存在によって正社員もまた労働強化に苦しむようになった。つまり、いつでも派遣社員に切り替えることができることが正社員には分かっているから、会社のどのような理不尽な要求にも従わざるを得なくなるのである。すなわち、日本の労働者は企業の奴隷と化してしまったのである。
かくして、現在の日本の会社の大半はブラック企業となった。ブラック企業とは、①社会に害悪を為す企業、②社員を非人間的に扱う企業、の二つの意味がある。日本の会社の大半は、①でなければ②だろう。それは、派遣労働者法から必然的に導かれた結果なのである。賢い官僚たちにこの結果が見えていなかったはずがない。だが、企業の要望に応えて彼らはこの法律を作ったのである。
つまるところ、経済組織(企業)とは一種の怪物(リヴァイアサン)なのであり、手綱をゆるめると社会破壊的な行動に突き進むものなのだろう。簡単に言えば、経済組織とは個人における「金儲けの欲望」が実体化したものでしかないのだ。それが本来の「経済」の名に値しないことは言うまでもない。その「悪しき経済」を動かす存在である経団連とは、人間のクズの集まりだと私は思っている。
(言うまでも無いが、世の中には良心的な企業も存在することは分かっている。だが、企業が大企業になればなるほど、利益追求が自己目的化し、怪物になっていくというのが事実ではないだろうか。そして、悪質な(大)企業ほど政治を利用し、国民全体に被害を与えるものなのである。現在の消費税増税の議論が経団連から持ち出された意見であることを、我々はよく覚えておくべきだろう。官僚たちが消費税増税で直接に利益を得るわけではない。消費税で利益を得るのは「戻し税」のメリットのある輸出企業なのである。) -
現在の世界が抱える最大の問題は、「人々に、いかにして職を与えるか」である。IT革命は幻想ではなく、実際にあったのだが、しかしそれは無数の人々の仕事を奪う結果になったのである。つまり、作業の効率化によって、これまで10段階くらいあった仕事が5段階くらいに減らされたならば、その削減された仕事に従事していた人間は仕事を失うのである。これが「効率化」のもたらすものだ。様々な仕事において効率化、すなわちリストラ(仕事の再構築)が行われた結果、無数の人間がリストラ(解雇:もちろん、これは世間一般の用法)されたということである。カルロス・ゴーンが日産を建て直したのは確かだが、そのために職を失った人間もたくさんいたわけで、その人々から見ればカルロス・ゴーンは疫病神でしかないだろう。もちろん、経営者の立場から見れば、不要人員を抱えることこそが悪なのだから、ゴーンを責めるわけにはいかない。しかし、問題は、それが全社会的に行われるとどうなるか、ということなのである。もちろん、現在の日本になるのである。
経済学では「合成の誤謬」という言葉がある。私なりの解釈では、それは「個々の事象においては正しい判断でも、全体として見れば間違った判断」ということだ。
現在の日本の不況は、まさしくその「合成の誤謬」にほかならない。(ついでに言うと、これはデフレ不況ではなく、庶民に金が無いところからくる不況である。デフレは庶民の購買力低下の結果として生じてきたのであり、不況の原因ではない。)個々の企業は合理的判断をしてリストラをしてきた。それはつまり、被雇用者に払う金をできるだけ減らし、会社が利益を上げるようにしてきたということだ。では、それを日本全体として見たらどうなるか。その結果は明らかであり、一般大衆の貧困化がどんどん進んできたのである。そうすると、庶民の購買力は低下するから高い買い物はできない。すると、企業は値下げ競争をするしかない。当然、デフレ状態になるのである。そして、企業そのものが売り上げ低下に苦しむことになる。これこそまさしく合成の誤謬そのものだろう。
この状態を変えるには、ケインズ流の大規模な社会政策が必要だろう。それこそ、日銀に金を印刷させてヘリコプターで庶民の頭の上からばらまくくらいの処方をしないと、この状態は変えられない。もちろん、ヘリコプター云々は冗談だが、たかだか子供手当て程度を「ばら撒きだ」と非難している自民党などには、貧困に苦しむ庶民の姿がまったく見えていないのである。
話が長くなって、「人々にいかにして仕事を与えるか」について論じる時間もなくなったが、菅総理の言う「福祉と経済政策のドッキング」は悪くない案だと私は思っている。ただし、「福祉や教育で金儲けをしよう」というワタミ社長のような連中をいかにして排除するかが問題だろう。 -
「月刊『日本』」上の山崎行太郎と佐藤優の対談の一部で、佐藤優氏が沖縄独立の可能性について述べた部分を転載する。(直接の元記事は「阿修羅」より)
私自身は基本的には沖縄独立論には与しない。なぜなら、現在の沖縄の文化は、多少の琉球文化の色彩はあるにせよ、その9割以上は日本文化であり、日本文化を母として育った人間がそこから離れることにはデメリットが大きすぎるからである。しかし、普天間基地移設問題に見られるような沖縄への差別待遇が今後も続くようなら、沖縄の人間は沖縄独立を現実的選択肢の一つと考えるようになってくるかもしれない。
実際のところ、普天間基地一つがたとえ県外や海外に移設したところで、沖縄の基地負担はそれほど軽減されるわけではない。普天間基地問題は「本土対沖縄」という基本問題の象徴にすぎないのである。沖縄の人間が望むのは特別扱いではない。沖縄を養子ではなく本当の子供として認知してくれということなのである。もちろん、佐藤優氏の発言中にもあるように、「日中両属」の歴史が沖縄にはあり、本土支配層の意識や無意識の中に、「あそこは日本ではない」という考えがあったために、現在の沖縄問題があるのだろう。しかし、「日中両属」は、日本の支配層が琉球を経済的に利用するためにそうさせてきたのである。要するに、「宗主国アメリカ対属国日本」のミニチュア版が「宗主国日本対属国琉球」であり、琉球が沖縄になった現在でも沖縄は実は支配層の目からは「異国」なのである。
しかし、再度言うが、現在の沖縄の人間は日本文化の中で育ち、精神は日本人以外の何者でもない。したがって、私は沖縄独立論にはそれほど魅力を感じないのである。たとえ独立によって政治や経済で自由な選択が可能になると言われようが、本土の人間が支配しようが沖縄の人間が支配しようが、支配者と被支配者の関係は変わることはない。かえってこれまで以上に暴虐な政治が行われる可能性だってあるのである。それよりは、2009年の「無血革命」によって日本がこれから変わる可能性に賭けるほうが、まだ期待はできるだろう。もっとも、菅政権はアンシャンレジュームの復活であるという疑いはかなり濃いのだが。
(以下引用。最初の「佐藤」の太字のみ補足。)
佐藤 本来、沖縄にはあまり「沖縄」としてのアイデンティティーは希薄です。久米島であり、座間味島であり、渡嘉敷島といった、島ごとのアイデンティティーは濃厚ですが、沖縄という行政単位に対する帰属意識は希薄なのです。ところが、大江裁判、教科書問題という、本土(内地)から中国や韓国に対するような視座で批判されるようになった結果、「沖縄」という意識が醸成されつつあり、これは、放っておけば、沖縄独立論につながります。私はソ連崩壊の過程でどのようにバルト三国が独立したかを見てきましたが、同じことが沖縄でも起きる可能性があると思っています。その土地のエリート五十人ぐらいが独立を本気で考えれば、独立に振れてしまうのです。知事が総理になりたいと思い、渉外部長が外務大臣になりたいと思い、県会議長が国会議長になりたいと思い、県会議員が国会議員になりたいと本気で思うようになると、案外独立は早く実現します。
外務省というところで行政官をしていた悪い癖で、損得を勘定してしまうのですが、沖縄が独立した場合、尖閣諸島のガス田とEEZ(排他的漁業圏)の漁業権による収入で、クウェートのような国家として、沖縄は独立可能でしょう。そして、そこにほぼ確実に中国が介入してきます。こうした実務的なことも踏まえて、今の一部保守論壇の沖縄に対する態度というのは危険だと思うのです。
――沖縄の独立がありうる、ということですか。
佐藤 そうです。沖縄で気をつけなければいけないのは、あそこには、本土と異なり、易姓革命思想があるということです。もっと平たく言えば、長いものには巻かれろ、という感覚があります。沖縄は歴史的にも、中国の冊封体制と日本の幕藩体制との間で揺れ動いてきました。琉球王国は、幕藩体制のなかでの「異国」だったのです。このため、沖縄の歴史書である『中山世譜』は漢文体、『中山世鑑』はかなを交えた読み下し文で書かれています。このことからもわかるように、歴史も中国と日本の間でふたまたをかけています。日本と一緒にいる方が得だから日本に所属しているけれども、今回のような教科書問題などを契機に、日本と一緒にいてもろくなことはないんじゃないか、天命が変わりつつあるんじゃないだろうか、という流れが起きてもおかしくありません。これをなんとしても食い止めなくてはならない。
大田実海軍中将が玉砕にあたって東京に送った電文は「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜ることを」と結ばれていますが、大田中将が心配していたのは、まさに今のような状況なのではないか。これは情緒的なものというよりも、ものすごく計算されたもので、沖縄を日本につなぎとめておくためには特別の配慮が必要なんだ、ということだと私は解釈しています。 -
日本の富がアメリカに収奪されていることとは別に、日本全体、あるいは世界全体の労働構造の変化と、それに伴う大衆の貧困化という問題がある。
それは、言葉を変えれば「物から情報へ」という変化に伴う労働構造の変化とその影響である。これには過渡期的な部分(短期的問題)もあるが、全体としては世界全体の本質的変化である。そして、それに伴って世界人口の大半は貧困化を余儀なくされる。
貧しい生活の不満のはけぐちにテレビでサッカーを見て喜び、子供たちは貧しさから脱出する手段として将来はサッカーの名選手になることを夢見る。現在のアフリカの庶民の生活が世界全体の一般的な庶民の姿になるのである。ヨーロッパの庶民生活もすでにそれに近いものだし、日本もそうなりつつある。
つまり、労働先進国は未開発国と同じ姿になり、中低開発国(中国、東南アジア)はこれからしばらく発展した後、ヨーロッパや日本と同じになるのである。
もちろん、低開発国の優位性は労働賃金の低さによるものだから、現在の中国ですでに賃金闘争が起こり始めているように、その優位性は長くは続かないのである。
では、世界の貧困化、あるいは富の二極分化はなぜ起こるのか。それを資本家による収奪の結果だと見るのは単純すぎるだろう。もちろん、結果としては世界人口の大半を占める中低所得層から高所得層への富の転移が生じているのだが、それは世界歴史上の常態であって、今に始まったことではない。それより大事なのは「労働構造の変化に伴う貧困化」である。
それは、簡単に言えば、「技術革新によって労働構造が変化し、その結果、これまでの労働の多くが不要になり、人口の大半は貧困化を余儀なくされる」ということである。つまり、「技術革新によって社会あるいは世界全体は貧困化した」ということになる。
昔、マニュファクチュアの頃に工場に機械が導入されると、工場労働者は、機械は自分たちの仕事を奪うものだと言って機械を打ち壊すという行動に走った。これを「ラッダイト」と言うが、彼らの考えは正しかったとも言える。ただ、その当時はまだ技術革新が未開の段階だったので、新しい技術革新に伴って新しい仕事が生まれる余地があった。しかし、現在の技術革新は、「これまでの仕事を不要にするが、新しい仕事(労働市場)をほとんど生まない」のである。なぜなら、ITによる仕事の効率化とは、労働者に対してこれまでの仕事に加えて新しい仕事を負担させていくだけで、そのための人員を増やすことはないからである。だからこそ経営者から見れば「効率化」になるのだ。これを労働者から見れば実は「労働強化」にほかならない。これがIT革命の正体なのである。
IT労働者が「IT土方」と言われていることを知っている人も多いだろう。ITは誰に富をもたらしたのか。そして、それはなぜなのかというと、上に書いたとおりなのである。
IT化によって中間管理職は不要になった。仕事はITで指示し、その報告をITで受ける。労働者のほとんどは末端労働者であり、ごく一部の管理職がいればいい。したがって、その一部の管理職には高給を払っても、全体としての賃金は極端に抑えることができる。その待遇に不満を言う社員は、どんどん首にしていい。なぜなら、それらは取替え可能な未熟練労働者だからである。仕事そのものはマニュアル化されており、いつでも労働者の取替えはできるのだ。
「物から情報へ」という変化について幾つかの例を挙げよう。たとえば、「書籍」や「CD」という「物」が、現在では「情報」オンリーになりつつあることは多くの人が感じているだろう。それに伴って、そういう情報の「物」部分の製作に従事していた人々の労働市場は失われるわけである。絵画もそうだ。コンピューターグラフィックスが絵画の主流となれば、絵の具や筆やキャンバスなどの「物」を作る仕事はどんどん不要になっていく。
つまり、我々のこの世界はどんどんヴァーチャルリアリティ化しつつあり、ヴァーチャルリアリティこそが現実の中で主要な位置を占めつつあるのである。ヴァーチャルリアリティは流行語といった次元の問題ではない。
そして、何よりの問題は、こうしたイノベーションによる世界全体の労働構造の変化と、それに伴う世界の貧困化なのである。この問題を解決しないかぎり、世界の未来は暗い。
問題解決の道筋だけを言えば、やはり最終的には「富の配分の適正化」になると思うが、あるいは「新しい労働市場の可能性」を誰かが考え出してくれるかもしれない。それを期待して、この問題提起を終わろう。
