"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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「日刊ゲンダイ」記事だが、コピーが面倒なので、記事タイトルと2ページ目は省略する。
(以下引用)《結局、生まれてきた時代が悪かったのか》《今どきの「ガチャ」でいえば、「最悪の外れガチャ」だったと》ーー。SNS上では切実な叫び声が目立つ。5年に1度行われる 年金財政検証で、いわゆる就職「氷河期世代」の低年金対策などが課題に挙がったことだ。 政府の推計だと、氷河期世代にあたる1974年度生まれの50歳の人が65歳時点で受け取る年金額(現在の物価水準ベース)は、全体の39.1%が月10万円未満。うち、18.1%が月7万円未満、5.7%は月5万円未満になる可能性があるという。
就職氷河期で正規雇用の機会を逃したため、非正規雇用が長く続き、年金加入期間が短くなったためだが、この氷河期世代の低年金問題の議論は今に始まった事ではない。 今から16年前の2008年4月。シンクタンクの総合研究開発機構(NIRA)はこんな衝撃的な試算を公表している。
■就職氷河期の労働者が老後を迎えた場合、77万4000人が生活保護受給者に1993年から約10年の間に学卒・就職活動を迎えた就職氷河期の非正規雇用の労働者が老後(65歳以上)を迎えた場合、77万4000人が生活保護受給者となり、そのための財政支出が20兆円に上るとしたのだ。 PR -
ゼロチャイナの代償はただの値上げではない
日本の経済紙、評論を見ると、特に製造業は必ず、脱中国の話が出てくる傾向があります。中国がなければ嘗ての日本の繁栄は戻るような印象が広がってるようで、妄想してる人は多いです。なぜ、ゼロチャイナしたいか、根本から言うと、日本はWW2前の同様に、アジアの利権を独占したいからです。
大清国は衰退して、日本は戦争でも、強奪でも、やり放題の時代に戻したいというのが本音でしょう。
いやいや違うと思う人は多いでしょうが、時代が変わったから、強奪のやり方も変わっただけで、海賊である本質は、戦前、戦後の日本は変わりません。特にアベノミクスにおいて、円、日本国債で日本は国外への投資は、世界一規模まで築いてきた。特にアジア諸国で、大量な資産を集めてきたわけである。コロナ禍の今、FRBは大幅に金利を引き上げても、日銀はマイナス金利を維持、円安をさせ、米国と協力して、アジア金融市場を混乱させてる。
ゼロチャイナの話なのに、なぜ、歴史と金融の話を持ってくるかと、長年で日本マスコミの洗脳下で、国内の日本人はあまり意識しないでしょうが、日本が、アジアにおいて、紛争を興し、隣国を強奪する海賊であること、中国を含めて、アジア諸国はみんな知ってると、前提として知っておきましょう。
ゼロチャイナの場合、中国も日本を離れていくことである。東南アジア中心、アジア諸国も、日本を離れるチャンスを与えたわけである。
日経の記事、「ゼロチャイナなら国内生産53兆円消失 中国分離の代償 分断・供給網(上)」では単純な数字計算したが、中国を始め、アジア諸国に孤立されるとき、日本はどうなるか、記事には全く言及せず、数字にする事が難しい処である。おそらく、「下編」も言わないでしょう。勿論、中国がないと日本は絶対できない事が少なく、仮に、日本が60、70年代の日欧米経済圏の立場に戻るとした場合、日本人はどんな生活に戻るのか?想像つきそうでしょうか。
- 大勢な人は、低収入の製造業に戻す
- 中国、アジア、世界一番の活発な市場を失い、一生懸命に働いても貧しい生活しかおくれない
- 徹夜、長時間の残業、しかも残業手当なしは当たり前
ようは、ゼロチャイナとは、製造業を日本へ戻すと、日本人は十分貧しい状態に戻さなくてはならない。
日本人を貧しい状態に戻すことは簡単です。大量を円を印刷すればよく、今は進行中である。
ダイキンや、本田など、生産ラインが日本へ戻ると宣言できた主な背景の1つも、日本国内の賃金は大分下がってることである。脱中国できない、日本の今は本当にやばい
日本経済の繁栄を支えてきたのは自動車、ハイエンド製造業である。
自動車が沢山売れば、大手企業から、飲食店まで、お金が流れて行って、日本全体の経済は活発化していく流れです。ただし、中米EV車の競争で、BYDも、テスラも、急成長してるが、EV車の競争に参加してない、日本各メーカのシェアが占められ、トヨタもホンダも売れなくなっています。
日本製のエンジン車は強いが、今は、まさか、EV車へ切り替える時代ですから、キャラクタ携帯から、スマホへ切り替える時期を思い出せばよいが、エンジン車はキャラクタ携帯のように、数か月で消えてしまうかもしれません。
今でも、日本国債が売れない状況であり、
日本の自動車産業が衰退していくと、国債も崩れてしまうのは当然である。GDP2倍の負債を抱えてる日本は、連鎖的に災難へ陥っていくと想定できます。その時、日本のGDPは今の半分まで下がるかと予想する人もいます。
日本の現状が分かれば、ゼロチャイナ、脱中国などを口から吐き出さないでしょう。
むしろ、脱中国ではなく、一帯一路構想に参入して、脱亜入欧⇒アジアへ戻す努力と誠義が必要である。因みに、中国対抗は米国の国策であり、日本の国策じゃないはず。
無理やり大国間の紛争に絡むと、大国より、先にやられてしまいます。まさに、意図的ではないが、トヨタ、ホンダ等、日本自動車メーカーは中国BYD社と米テスラ社の競争の中、当事者の両社のだれかより、先にやられてしまってる状況である。 -
「中国を読み解く」という、少し珍しいサイトの記事で、何が珍しいかというと、ネットの中国関係記事は欧米日の「反中国記事」がほとんどで、書かれた「事実」も「意見」も信頼性がほとんど無いからだ。当たり前である。中国の内部にいない人間がインチキ情報や単なる憶測を元にして書いたインチキ記事だと思えるからだ。「大紀元」などもその種のサイトだろう。
で、ここに載せるのは、おそらく中国発の記事だと思われ、そこには書き手のプライドや偏見もあるだろうが、とにかく、我々が通常目にする「中国情報」とは毛色が違うようだ。なぜ中国人が書いていると思うかというと、文章が日本語だのに「日本語として」おかしいからである。特に助詞の使い方がおかしいのは、外国人が日本語を使う時に共通する弱点だ。
ある意味、貴重な情報を含むので、少し古い記事だが、「今後の日本と中国の関係」を考えるいい材料かと思うので、2回に分けて載せる。
(以下引用)ゼロチャイナ?なぜ日本製造業は脱中国できないのか。
日経新聞に面白い記事「ゼロチャイナなら国内生産53兆円消失 中国分離の代償 分断・供給網(上)」が掲載されました。文書全体の一部だけなので、あえて記事の内容を評論しませんが、なぜ、日本製造業は脱中国できないか、根本的な要因を簡単に紹介したいと思います。
世界工場になるための条件
一言いうと、コストを抑えな
がら、そこそこの品質を担保した大規模生産をしなくてはならない。
日本のあらゆる製造業者はなぜ中国に負けたのかと、よく人件費と言われますが、実際は、生産コストとは人件費だけではありません。
1.人件費⇒給料、保険、労働基準制度等
2.インフラ施設⇒電力、給水、物流、関連供給チェーン等
3.人材教育コスト⇒義務教育など、充実した理科系の教育インフラ
4.政治的なコスト⇒税制、政府、地方勢力との交渉にかかる費用等同じ製品は1円でも安ければ売りやすい理屈は説明するほどもない。
如何に生産コストを抑えるか、例えば、日本であろう、中国であろう、インドであろう、東南アジアであろう、生産拠点を築くときに、少なくとも、以上、4つの常識を考えなくてはならない。特に、今までのグローバル化した世界経済の下、「世界工場」となった国は、上記の4点から見ると、他国より、コストが低いところである。
「世界工場」日本⇒中国の本当の要因は立場の変化
前述通り、世界中で日本製が減り、中国製が増えてきた要因は単純に「人件費」ではありません。
2018年頃、中米新冷戦のスタートまで、世界経済はWTO下のグローバル経済である。
1980年代、中国は文化大革命を終え、改革開放しようとした時期、世界中以下の大事も起こってる
1.日本経済規模は世界第二位になり、米国を超えそうだった。
半導体等、ハイテク製造において、日本は米国を超えた。
2.米ソ冷戦の最中、劣位だった米国は中国の力が必要だった。
3.ソ連のイデオロギー輸出に悩んでいた日欧米、労働組合の力を弱め、生産拠点を発展途上国へ移行させたい。1980年代の日本は、今の中国と似ており、経済規模は世界一になりそうなころでした。
但し、日本は半植民地ですから、今の中国のように、米国との対抗がなく、プラザ合意で、「世界工場」を捨て始めました。
ちょうど、産業化しようとした中国は日欧米の中レベル以下の生産力を吸収したく、資源も抱えて、簡単に合意できました。中国は国民の福祉、環境を犠牲にして、産業化転換し、急成長してきました。
かわりに、
・日欧米は中低レベルの製造業をうまく中国へ移行して、財閥は金融で儲かりやすくした一方、国民は高い福祉を受けられ、ソ連のイデオロギー輸出をうまく止めた。
・日本は最大の製造国の座を捨て、米国の悩みを解決した。
・半導体等、日本のハイエンド製造業は台湾、韓国へ移行
・日本は製造国から、国債を大量に発行して、債権として、発展途上国に投資し、対外投資の一番大規模な国になってきた。よく、日本経済は失われた〇十年と言われるが、本当は、庶民たちの資産が株などで奪われたが、日本政府や、大手企業は何も失っていなく、対外投資で資産の成長し、国内GDPより上回ってる現状です。グローバル経済の立場が変わっただけです。国としては衰退も損もありません。
中国は「世界工場」として継続できるか
1980年代、世界工場を日本から離そうとしたのと同様に、オバマ時代から、中国を代替できる生産拠点を探してきました。特にトランプが中米対抗を表面化して、極端な貿易戦争になっても、状況は変わりません。
なぜかと言うと、上記、生産拠点として、「コスト」を影響する4点の要素のなか、トータルで見ると、中国は依然として、低いからです。更に、中国は国連基準産業分類の全てのカテゴリがあるので、生産チェーンのTOP、DOWNまで、生産に必要とした部品は全て素早く調達でき、どこにもない、世界一の規模で製造してるので、更に生産コストを下げてるわけです。
例えば、DJI社の例を挙げますと、ドローン生産の業者は集まる街で、新商品を開発する際、隣のビルから部品や、新技術のプロトタイプを調達でき、まさに数か月の開発は、海外では数年以上もかかってしまうかもしれない。結局、DJI社の出したハイエンド個人向けのドローンは、日欧米などの先進国を含めて、軍用レベルでも及ばないことが多いようです。
結局、日本マスコミではよく謳う「人件費」云々で、中国では、人件費が上がっても、製造業者は簡単に離れません。しかも、ベトナムや、インドへ一旦進出して、中国へ戻ってしまった業者も多い。
更に、ウクライナ戦争で、ヨーロッパの情勢は不安定になり、例えば、MINIや、ベンツ等、元々、ヨーロッパにある製造業は、中国への移行が加速してます。勿論、中国は全ての製造業者を定着させようとしてるのではありません。近年、賃金は上がってる一方、環境改善の政策を打ってる背景があり、付加価値の低い低レベル製造業は、汚染のひどい産業は、ベトナムやインドへ移行しています。但し、これらの企業は中国本土になくても、原料、部品等、中国本土の産業チェーンを強く依存してるので、中国は世界工場としての地位は変わりません。むしろ、レベルアップして、強くなっています。
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「蚊居肢」記事の一部で、かなり長い引用記事を含むが、ブログ主氏が言うようにかなり優れた内容なのでできれば全文を転載する。
(以下引用)実に優れた記事に出会った。1959年生まれの北マケドニアの首都スコピエの法学教授ビリャナ・ヴァンコフスカさんの記事である。
カストロの予言の実現がヨーロッパでどのように起こったかを教えてくれるような書き物である。
ヨーロッパで起きる次の戦争はロシア対ファシズムだ。ただし、ファシズムは民主主義と名乗るだろう[La próxima guerra en Europa será entre Rusia y el fascismo, pero al fascismo se le llamará democracia](フィデル・カストロ Fidel Castro、Max Lesnikとの対話にて、1990年)
誰か邦訳していないか、と探ると「マイケル・ハドソン研究会」の方が訳しているので、そのまま掲げる。
◼️ビリャナ・ヴァンコフスカ「あれから80年: ファシズムの敗北を思い起こすか、それともその再来を目撃するか?」
Eighty Years On: Remembering the Defeat of Fascism―or Witnessing Its Return?
Biljana Vankovska Valdai Club 08.05.2025
ファシズムの敗北から80年という大きな節目を迎えようとしている今、私の国マケドニアと、現在「旧ユーゴスラビア領域」と呼ばれているこの地域には、奇妙な沈黙が漂っている。国家当局は、何年もの間、外部(西側)からの持続的な圧力を受け続けてきた: 5月9日をファシズムに対する勝利と結びつけてはならない。毎年、国民の記憶と教育制度の両方において、5月9日は「ヨーロッパ・デー」として生まれ変わった。
年配の世代はまだ覚えているが、若い世代はユーゴスラビアが悪との闘いの中でソ連に次ぐ莫大な人的犠牲を払ったことについて何を知っているのだろうか?ほとんど何も知らない。私たち年配者は、認知症でないことに苦しんでいるのかもしれない。私たちは、今日の若者たちがほとんど耳にすることもないような理想のために、父や祖父たちが命を捧げた時代を頑なに覚えている。
しかし、若い世代に押し付けられたこの忘れっぽさは、テレビの番組で若者たちが簡単な質問に答えられないことを映し出すほどである: ヨシップ・ブロズ・チトーとは誰だったのか?私の住むマケドニアでは、ファシズムに対するマケドニア蜂起の日である10月11日(1941年)について何も知らない学生が増えている。しかし、彼らはヨーロッパに関するほぼ完璧な知識を披露するコンテストでは優秀な成績を収めている。愛国心の根源や、そう遠くない過去の最も輝かしい瞬間とのつながりが、断ち切られるだけでなく、有害なものとして描かれているのだ。
神話的で準宗教的なつながりが、ヨーロッパという蜃気楼に向かって育まれている。しかし、これは偶然ではない。EUはその国家建設機構全体を通じて、歴史を書き換え、新しい世代の心に植え付けようとしている。その歴史のバージョンでは、残酷な植民地支配の過去とのつながりはすべて消し去られる。さらに重要なのは、ヨーロッパの帝国的野心が2つの世界大戦を引き起こしたという事実にベールがかけられていることだ。第二次世界大戦は、EUの背後でひっそりと、あるいは密かにその記念日を迎えているが、資本主義の絶頂期であり、ナチズムとファシズムへの堕落であった。これは単にヒトラーやムッソリーニのような個人の結果ではなく、第一次世界大戦後の資本主義危機の胎内から生まれた構造的条件の結果であった。
EUは、自らを「ヨーロッパ」の体現者として偽り、そのイメージの改造に余念がない。ウクライナでの特別軍事作戦が始まるまでは、自らを規範的な大国として、ソフトパワーによって人々の心を掴もうとさえしていた。過去にはノーベル平和賞まで受賞している。しかし、その現在と未来は、かつて反対すると主張した悪の種そのものの復活を示唆しているように見える。資本主義危機の最新の深刻なサイクルは、まず民主主義の原則からの離脱をもたらしたが、今では、想像上のロシアの脅威からの「自衛」のために、超帝国主義的で軍国主義的な願望を隠していない。口語では、私たちの多くが「ロシア病」Rusophreniaという新語を使っている。ロシアが崩壊すると同時に世界を征服しようとしているという信念である。この言葉は、欧米の世論に定着したロシアに対する非合理的な見方をよく表している。この言葉は、西側市民の社会的幸福を犠牲にしてでも、新たな軍事化の波を正当化するのに役立っている。
逆説的だが、ファシズムの復興は、ファシズムを記憶から消し去ることから始まった。その後、ウクライナのユーロマイダン(2014年のいわゆる親欧州革命)が美化された。奇妙な健忘症がいわゆる西側世界に広がっている(私が「いわゆる」と言ったのは、自国が多くの国民の意思に反して、突然西側の一部となったからだーNATO加盟のおかげで)。言われるように、5月9日は拉致され、それとともに、教科書、象徴的な行為、記念行事は、第二次世界大戦の真の軍事的勝利者、すなわち2700万人以上の命を犠牲にした赤軍とソ連国民との関連性を徐々に剥奪されていった。(ユーゴスラビア人は100万人以上を犠牲にした)。
ベルリンを解放したのはソビエト軍である。最後の解放はミハイル・ゴルバチョフが行ったが、その代償は今もロシアが払い続けている。国連事務総長でさえ、最も悪名高い強制収容所から囚人を解放した赤軍兵士の名前を挙げることを避けている。
「普遍的な欺瞞の時代において、真実を語ることは革命的行為である」というオーウェルの主張の精神に則って行動しているのは、今やモスクワとその同盟国だけである。その真実は、2025年に赤の広場で行われるパレードと大規模な祝典の中で、声高に鳴り響くだろう。
かつてユーゴスラビアだった国で何が起きているのか?兄弟愛と団結の物語、歴史の正しい側で戦ったパルチザンのヒロイズムによって何世代にもわたって育てられてきた国々で、何が起きているのだろうか?まず、主権と自決権の侵食が始まった。NATOとEUが唯一の選択肢であり、常に正しいという新しい宗教が内面化するにつれ、各国政府は歴史の一部から距離を置くようになった。その代わりに、古代の栄光や、西側諸国との結びつきによる輝かしい未来に目を向けるようになった。
赤であること、党派的であること、反ファシストであることは、次第に疑われるようになり、危険でさえあった。わが国政府は今や、「西側」(誰の西側なのか、アメリカなのかヨーロッパなのか、ますます不明確になっているが)との同盟を誇りとし、かつて共に戦った国々から距離を置いている。かつての占領者たちは、今では*行政官*と呼ばれている。パルチザンの胸像は埃をかぶっている。
反ファシズムは、西側の同盟国が鏡の中の自分たちを認識しないように、見せるのが嫌になった。だから沈黙が支配している。ヨーロッパ、EUは、再軍国主義化し、基本的価値観と人権を踏みにじり、大量虐殺政権を黙認しているにもかかわらず、いまだに称賛されている。
5月9日、赤の広場のパレードをオンラインで見るのは難しいかもしれない。レヴィカは、スコピエからモスクワに代表団を派遣するよう求めている唯一のマケドニア議会政党である。他は沈黙を守っている。記念日が目前に迫っているにもかかわらず、地元では記念式典すら計画されていない。近隣諸国も多かれ少なかれ同様である。何を祝い、何を記憶し、なぜそうするのか、混乱が支配している。オーウェルの世界では、戦争は平和であり、平和は戦争だからだ。
記念と歴史的記憶は重要だ。しかし、それと同じくらい重要なのは、大蛇の卵がまだ生きていて、80年前に世界中の何百万もの人々が命をかけて打ち負かしたものに再び孵化する可能性があることを、目を見開いて理解する能力である。苦い真実は、1945年の戦場を除いて、ファシズムが完全に敗北することはなかったということだ。社会科学者はよく知っている。ファシズムの根源は武器だけでは破壊できない。新ファシズムは、時代に応じて適応し、偽装し、形を変えたにすぎない。現在、一部の国家では、歴史修正主義が見られ、地元のファシストやナチスの協力者を美化することさえある。
だからこそ、国連におけるロシアのイニシアチブは重要なのだ。2024年12月17日、第79回国連総会でロシア連邦は決議案を提出した: ナチズム、ネオ・ナチズム、および人種主義、人種差別、外国人排斥、および関連する不寛容の現代的形態を煽る一因となるその他の慣行の美化との闘い」である。様々な地域の39カ国が共同提案した。最終的に119の賛成票を得たが、53が反対票を投じた。惜しむらくは、ユーゴスラビアにおける自決権と国家としての権利が反ファシスト闘争から生まれたものであるにもかかわらず、わが国が後者であったことだ。おそらく世界政治にとって、決議案に反対票を投じた他の国々を検証することは、さらに示唆に富んでいる: ウクライナ、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ベルギー、ノルウェー、オランダ、フィンランド、スウェーデン、日本、カナダ......新しい地政学的世界地図を見てみれば、すべてが自明であり、よくわかる。ある資料によれば、ジューコフ元帥は「我々はヨーロッパをファシズムから解放したが、彼らは決して我々を許さないだろう」と言ったという。
私たちが、今はっきりと見ているように、彼らは決して我々を許さないだろう。
もちろんこの「奇妙な沈黙」現象はマケドニアだけでないだろう。フランスやドイツなどの、特に若者は似たようなものだろう。
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田中宇にも何か称号を与えたいが、「妄想と妄説」では少し気の毒で、妄想や妄想説は氏の一部であって、「事実の収集」の点ではかなりの能力があるようにも思う。下の記事も、おそらく根拠があって書いている部分が半分ほどはあるだろうし、それは非常に有益な「思索材料」になるので転載するわけだ。
しかし、欧米政府(EU委員会含む)全体がイスラエル支持であることを見れば、DS=ユダ金であるのは明白であり、田中宇はそのことを書いたことがほとんどゼロである。つまり、本質的に信頼できない書き手だ。
なお、私は前から書いているように「ハマスはイスラエル政府の下部組織」である、と見ている。ガザ住民を全員餓死させるまで見張る役目である。つまりガザとは「非ユダヤ人」へのアウシュビッツである。
ガザ住民には気の毒だが、ガザの件は、イスラエルやユダヤの正体や意味を世界に明白に知らしめた、世界史的に最大の重要性を持っていると思う。つまり、世界史はその面(DS・ユダ金という存在を前提とする視点)から再考察され再構成され書き換えられる必要がある。
ガザ住民はある意味では世界のため、人類の啓蒙のための人身御供となっているのである。つまり全員が十字架上のキリストだ。キリストを殺したのもユダヤ支配層である。
(以下引用)進むイスラエルのガザ虐殺
2025年5月8日 田中 宇イスラエルが、ガザに残っている人々を餓死させようとしている。国際支援団体などが外部からガザに食糧など物資を運び込むことは、3月からイスラエル当局によって止められている。国際支援団体はガザへの物資搬入を許されず、次々と活動停止に追い込まれている。
(World Central Kitchen Halts Aid Operations in Gaza Due To Israeli Blockade)
(Israeli Defense Minister Says No Humanitarian Aid Will Enter Gaza, Vows Indefinite Occupation)
ガザは、2023年10月に開戦する前から、外部からの食糧搬入(輸入や支援)がないと、人々が食べていけなかった。開戦後、ガザの経済活動は完全に麻痺している。食糧搬入がなければ人々は餓死する。
イスラエル政府(ベングビル安保相)は、市民の餓死につながる食糧搬入の停止が戦略の一つだと認めている。
(As Israel Openly Declares Starvation as a Weapon, Media Still Hesitate to Blame It for Famine)
ガザ市民の多くは、餓死するよりガザからエジプトに逃げ出して生き延びたいと考えている。イスラエルは、ガザ市民が全員エジプトに出ていき、ガザが空っぽになってパレスチナ抹消が完成するのが希望だ(西岸の人々も、ガザ市民みたいに餓死させられたくないので出ていく)。
ガザ市民の追い出しを希望するイスラエル軍は、エジプトとガザの国境線(フィラデルフィア回廊)を占領しており、回廊上に抜け穴を作ってガザ市民がエジプトに越境できるようにしていると考えられる。
(Almost half of Gazans willing to leave enclave, Palestinian research center finds)
だが、ガザ市民は出ていかない。ガザを支配するハマスが、市民の越境逃亡を許さないからだ。ハマスは昔から、ガザの社会で圧倒的な権力と権威を持っている。
ガザ市民のエジプト脱出を許すと、市民のほとんどが出ていく。ガザに残っていても餓死するかイスラエル軍に殺される。市民がいなくなるとガザの社会もなくなり、ハマスの存在理由も失われる。ハマスは、ガザやパレスチナを維持するために、人々が餓死しても、脱出を禁じるしかない。
(Israel Accused of Using ‘Starvation Warfare’ in Gaza at World Court)
市民がこっそり脱出を試みてハマスに見つかると殺されるとも推測される。ガザでは先月、ハマスの統治に反対する市民の集会も行われた。だがハマスに鎮圧され、おそらく首謀者は抹殺され、反ハマスの政治運動はなくなった。
ハマスの支配力はものすごく強い。イスラエルの諜報機関が反ハマス運動を煽っただろうが、その策略はほとんど効果がなかった。
(Why don't Gazans protest Hamas in face of destruction, starvation, and deaths?)
ハマスは、ガザやパレスチナを存続させるため、最近イスラエルに対し、残っている人質(21人?)を全員解放するから5年間停戦しないかと持ちかけた。5年間停戦すれば、その間にガザを立て直せる。
(Israel rejects five-year Gaza ceasefire deal that would allow Hamas 'time to rearm,' official says)
イスラエルのガザ戦争は(建前として)、2023年10月にイスラエルを襲撃して251人を人質にしたハマスから人質を奪還するための戦争だ(イスラエル政府の本音の目標は、ガザやパレスチナの抹消)。
ハマスが人質を全員帰すなら、イスラエルのガザ戦争の目標が達成され、停戦できるはずだ。餓死作戦などでガザ抹消を完遂されそうなハマスは、建前論を持ち出してイスラエルに提案した。だが、ネタニヤフの政府はハマスの提案を拒絶した。
(Netanyahu Stirs Fresh Controversy: Victory In Gaza Is Top Priority, Not Hostages)
人質の家族や野党(旧労働党・英傀儡系)勢力などは政府を非難し、大きな反政府デモも起こされた。
だが、イスラエル国民の多くは、パレスチナを抹消してイスラエルの国家統合や未完の独立戦争を完了することの重要性を感じているらしく、ネタニヤフ政権を潰すほどの反対運動になっていない。
ネタニヤフはイスラエル軍にガザの完全占領を命じ、予備役が招集され、侵攻が強化されている。残っているガザ市民が全員餓死させられてガザが抹消される可能性が増している。
(Israeli Government Approves Plan for Full Military Occupation of Gaza)
開戦前、ガザには230万人が住んでいた。その中の何人が生き残っているか、推測や概算は出されていない。戦争で殺された(すでに餓死した)人、うまくエジプトに逃げた人、ガザで生き残っている人。それぞれ50万-100万人ずつでないかとも思われる。
イスラエルは、ガザで生き残っている人がゼロになるまで戦争を続ける。パレスチナ抹消を推進するイスラエル閣僚スモトリッチは最近、あと数十万人(Hundreds of Thousands)がガザから出ていったら戦争を終えると言っている。ガザで生き残っているのは数十万人なわけだ。
(Smotrich: Israel Will Stop Fighting Once ‘Hundreds of Thousands’ of Palestinians Are Removed from Gaza)
(IDF calls up tens of thousands of reservists for staged Gaza invasion)
今の事態の原因となっているイスラエルの失策は、ガザをエジプトから奪い、西岸をヨルダンから奪った1967年の第三次中東戦争後、ガザと西岸にいるパレスチナ人をエジプトやヨルダンに追い出さず、住み続けるのを許したことだ。
最初に攻撃してきたのはエジプトやヨルダンのアラブ連合軍だ。イスラエルは正当防衛して圧勝した。勝った余波で住民を全員追い出すことは、当時の戦争の一部としてやれたはずだ。
だが、英米がイスラエル(労働党政権)に対し、パレスチナ人を追い出すなと加圧し、イスラエルはガザと西岸のパレスチナ人を占領統治せざるを得ず、それがパレスチナ問題になった。
このあたりの考察はあらためて書く。「ホロコースト」との対比も書かねばならない。 -
gooブログサービスがまもなく終了らしいので、藤永茂博士の「私の闇の奥」の重要記事を一部転載しておく。下の引用記事だけでも、非常な価値がある。世界中の人が読むべき記事だ。
(以下引用)アフリカ大陸全体を覆う大革命が確かに始まりました。地球の北半球は、現時点では、トランプの Make America Great Again (MAGA)で大騒ぎをしていますが、世界史的意義では、アフリカ大陸で進行を始めた革命に比べれは、矮小なものとして終焉する騒ぎとして終わることになるでしょう。ここでクイズを一つ出題します:次の三つの名前の連なりにどんな意味がありますか?「サンカラ+コンパオーレ+トラオーレ」このクイズの前で頭をひねる人々に、私が過去に書いた記事をいくつか読んでいただきたいと思います。++++++++++(1)ブリクモンとサンカラこの二つの名前の両方をよく御存知の方はあまりないでしょう。トーマス・サンカラは、アフリカに本格的な関心のある人々の間では、よく知られた名前でしょうが、アフリカの勉強を始めてまだ日の浅い私は、サンカラという若い政治家が僅か4年という短い年月の間に何を成し遂げたかを、ほんの1ヶ月ほど前に知ったばかりです。ジャン・ブリクモンの方はベルギーの理論物理学者として前から知っていました。同じベルギー人で1977年にノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジンに学問的に噛み付いたことのある人物ですが、ブリクモンの名が人文系の人々に広く知られるようになったのは、アメリカの理論物理学者アラン・ソーカルとの共著『「知」の欺瞞』(田崎、大野、堀訳、岩波書店、2000年)がそのきっかけだったと思います。この本の原著のフルタイトルは『FASHONABLE NONESENSE / POSTMODERN INTELLECTUALS’ ABUSE of SCIENCE』(1998年) ですが、この本の元は1997年フランスで出た『Impostures Intellectuelles (知的ぺてん)』で、これについては堀茂樹さんの読み応え十分の解説「きみはソーカル事件を知っているか?」があります。本書『知的ぺてん』は、ひと頃、米国や日本の論壇を風靡したポストモダニズムの大先生たち、ラカン、ドゥルーズ、リオタール、ラトゥール、クリステヴァ、ガタリ、ボードリヤール、イリガライ、ヴィリリオ、セールなどを、「科学用語の濫用」という点で、一からげに「詐欺師、ぺてん師(Imposteurs)」呼ばわりしたのです。しかも、それが無責任な、すぐに論駁できるような言い掛かりではなかったので、大騒ぎになりました。堀茂樹さんは「『知的ぺてん』の出版後、この本を貶したり、見下したりした論評は数多く現われたけれども、事実誤認を指摘したり、著者の分析に合理的な反論を加えたりした者は一人もない。」と書いています。堀さんの論説は1998年、つまり、日本語訳が出版される以前に書かれたのですが、日本語訳をめぐって日本で行われた論争(?)にも上記のコメントが正確に当てはまります。物理学者は哲学の初歩の知識さえないとか、人文思想家が科学用語をメタプァーとして使っていることさえ分かっていない、とか、そんな議論ばかり。私自身も、間接的ながら、この論争に関わりましたので、発言したいことが幾つかありますが、それは又の日のことにして、今日はアフリカに焦点を絞ります。ブリクモンは、ポストモダニズムの大先生たちの足を引っ張る物理学者であっただけではなく、『知的ぺてん』執筆のすぐ後から、「人道的理由」を錦の御旗に掲げて横暴を極めるアメリカやヨーロッパに対して、鋭い政治的発言を始めます。2007年8月にもフランスの「ル・モンド・ディプロマティック」誌上で、私の言うアフリカについての一つの思考実験をしています。ブリクモンはこう言うのです。:■ 「自由主義的」思想家たちは、社会主義への移行が先進資本主義国家で予告されたようには起きなかった、と指摘することで、カール・マルクスを批判してやまない。彼らへの反論は、われわれのシステムが単に資本主義であるばかりでなく、帝国主義でもあるということだ。ヨーロッパの発展は、広大なヒンターランド(後背地)の存在なくしてはありえなかった。このことの意味を理解するには、ヨーロッパが地球上に出現した唯一の陸地であり、アフリカ、アジア、アメリカなど残りすべてが大海だったと想定してみればよい。そうなれば黒人奴隷貿易も、ラテンアメリカの金鉱も、北米への移民もなかったことになる。われわれの社会が、労賃の安い國からの輸入や移民という形で原料や安価な労働力の恒常的な流入を得ることも、南の頭脳が北へと流入し、崩れゆく教育システムの穴埋めをすることもない。その場合、われわれの社会はどうなっていただろうか。これらすべてがなかったら、われわれはエネルギーを大きく節約しなければならないし、労働者と経営者の力関係は根本的に違ったものになっていただろう。「余暇社会」の出現など不可能だったはずだ。■ (土田修訳)これは実に興味深い思考実験と結果の推定です。「ヨーロッパが地球上に出現した唯一の陸地」という極端な境界条件をゆるめて、ただアフリカ大陸だけが存在しなかったという条件の下でも、ヨーロッパ諸国は社会主義的体制への移行を強いられ、マルクスの予言通りになったかも知れません。この形の「アフリカについての思考実験」を行ってみるのも有意義ではありますまいか。つまり、「アフリカとアフリカ人が存在しなかったとしたら、世界史はどうなっただろうか」と自問してみるわけです。「もしヨーロッパがあれほど酷い言語道断のやり方でアフリカとアフリカ人を濫用酷使することが出来なかったら、ヨーロッパは一体どうなっていただろうか」と問い直すことも出来るでしょう。皆さん、世界史「頭の体操」の一例題として、是非やってみて下さい。2007年10月15日は、37歳のトーマス・サンカラが暗殺され、名前も記されない墓に埋められてから、20年目の記念日でした。1983年、アフリカの暗黒の空に彗星のように現われ、4年間まぶしいばかりの軌跡を描いて消えたこの青年政治家は、私が机上で思い付いた「アフリカについての思考実験」を、西アフリカ内陸の小国オート・ボルタで、突如として実行に移したのです。ですから、たとえ4年という束の間の時間であったにしても、実験をしてみたらどんな結果が生み出されるかを、実際に、この目でみることが出来ることになったのです。1960年に独立した共和国オート・ボルタは人口一千万余、その90%以上が文盲、乳児死亡率は4人に1人、1人当りの平均年収は150ドル、医者の数は5万人に1人、世界で最も貧しい国の一つで、フランスから独立後もフランスの事実上の支配下にあり、腐敗しきった軍事政権が乱脈な統治を続けていました。国軍の大尉だったサンカラは1982年11月7日にクーデターを起こし、曲折を経て、1983年8月3日に33歳の若さで大統領に就任しました。彼は外国がコントロールする土地と鉱物資源(たいしてありませんが)のすべてを国有化し、IMF(International Monetary Fund, 国際通貨基金)や WB (世界銀行)との関係を出来るだけ断ち、政治家と官僚の腐敗を正し、国民一般の極貧の惨状の急速な改善を目指して行動を起こします。つまり、私が空想した「アフリカについての思考実験」を、20年も前に、現実のアフリカの時空の中で断行したのでした。國の名もブルキナ・ファソと改めました。この原語名の意味は、和訳では「高貴な人々の土地」とか「真正の民の國」、英訳では「The land of the incorruptible」とか「The land of the people of integrity」となっています。国家の資力を挙げて、環境、教育、医療、住宅などの福祉問題に立ち向かい、第一年目に1千万本の植林を行ってサハラ砂漠の拡大阻止を試み、キューバからの援助を得て、250万人の子供たちに各種伝染病の予防ワクチンを接種し,学校教育を充実しました。乳児死亡率と文盲率は瞬く間に半減します。サンカラ自身は政府公用車のメルセデスベンツを売却して安いルノーに代え、月給はわずか450ドル、大統領個人の持ち物としては、4台のオートバイ、3つのギター(上手でした)、冷蔵庫、壊れかけた冷凍庫、官邸でもエアコンは使わず、世界で一番貧乏な大統領といわれました。サンカラの革命的政策の中でも特に痛快なのは、「責任連帯の日」というのを設けて、その日には、男たちが市場に行って買い物をし、食事を作り、家の掃除をし、洗濯をする、つまり、女たちの日々の労苦を味わい、それに感謝するようにしたことです。サンカラは政府関係の職場への女性の進出を大いに励ますという画期的な努力も惜しみませんでした。1987年10月15日、サンカラは反革命クーデターによって、12人の仲間とともに暗殺されました。彼の美しくも壮大な実験は暴力によって終止符を打たれたわけですが、その僅か4年間の成果はまことに素晴らしいものでした。私が読んだ日本語と英語の解説記事から短い引用をさせていただきます。:■サンカラはブルキナ・ファソの人々の意識を変えた。それまで、国内には公共機関以外には働き口がなかったが、国内を各地域の持つ文化や歴史に配慮して30の行政区に区分し、各地域で住民たちが地域を治めていく「自主管理政策」を導入した。住民自身が役人たちを雇い、道路、建設、水道、保険・医療事業など本当に自分たちの暮らしに必要な公共サービスを実施していくやり方を導入したのである。また、評判の悪かった人頭税を廃止し、開墾可能な土地を国有化した。村の運営責任者が自分たちの判断で各戸に土地を割り当て、農業指導者がいつ何を作付けすれば良いのかを指導する。そして一人ひとりの作業量に応じて金銭や収穫物、人的サービスという形で支払いを行った。各戸の必要に応じて土地が分配され、強制的な徴収に脅かされることがなくなった農民たちは安心して農作業に汗を流していく。改革がはじまって4年も経たないうちに、農業生産は急増し、国家支出は大幅に削減され、産み出された資金は、道路建設、小規模水道敷設、農業教育の普及、地域ごとでの手工業の促進など、住民に密着したプログラムに投資された。わずか4年で自給自足農業への転換が図られ、人々は人間としての生きる誇りを回復。雄大な希望に燃えて、例えば、サンカラが呼びかけた鉄道敷設事業には金銭的な報酬がないにもかかわらず、自発的にボランティアで住民が参加し、灼熱の太陽の元で数千の人々がレールを敷き、鉄道建設に汗をながしていった。■■ Thomas Sankara is widely recognized and celebrated in Africa and the world over as a champion of fundamental change who fought to liberate Africa from the control of international financial institutions, deepening poverty, war and the pillage of its resources. ■(Farid Omar).サンカラは刎頸の交わりを結んだと思っていたブレーズ・コンパオレという男に裏切られ,殺されたと信じられています。暗殺の背後にフランスが控えていたこともほぼ確かです。サンカラなき後、独裁者的にブルキナ・ファソを牛耳っているのはこのブレーズ・コンパオレです。彼の下ですべては元の木阿弥になってしまいました。1991年この男は国民投票によって正式に大統領になりますが、それもその筈、立候補者はブレーズ・コンパオレただ一人、有権者の73%は棄権しました。その年以来、國の事業の民営化、貿易の自由化、フリーマーケット経済政策の実施を条件にして、IFMや世界銀行との関係はサンカラ以前の「良好」さに戻りました。外国の植民主義的支配の復活、政治家の腐敗、寄生的官僚、一般国民の慢性的飢餓、農民の絶望、・・・。これで再び、ブルキナ・ファソはアフリカのごく普通の国の一つに後戻りしてしまったのでした。サンカラの4年は夢のように消えてしまいました。サンカラの死から丁度20年、今年は世界各地でサンカラの偉業をしのぶ記念の催しが行われているようです。ブルキナ・ファソは勿論のこと、マリ、セネガル、ニジェール、タンザニア、ブルンディ、フランス、カナダ、アメリカ、・・・。キューバでも沢山の人々がサンカラのことを思い出していたに違いありません。1984年キューバを訪れたサンカラは大歓迎を受け、キューバが外国の元首に与える最高の栄誉ホセ・マルティ勲章を授けられました。考えてみると、ブルキナ・ファソでのサンカラの「実験」は、キューバでのカストロの「実験」と本質的に同じ政策の実行であったと見ることが出来るように、私には、思われます。残念なことにサンカラの革命はあっという間に破壊されてしまいましたが、キューバの革命は、この約50年間、米国が連続的に加えてきたあらゆる暴力をはね返して、奇跡的な生命を保っています。ここにこそ、実は,私が想定した「アフリカについての思考実験」の実験結果が示されているのであり、ここにこそ、いま閉塞の極にある世界の未来への希望が示されているのかも知れません。トーマス・サンカラは“We Must Dare to Invent the Future.”という言葉を残して死にました。最後にまたブリクモンが論難したフランスの知識人たちに話を戻します。サンカラ暗殺の背後にフランスが存在したこと、しかもそれはミッテラン大統領のフランスであったという事実は衝撃的です。ガッカリです。私にとってミッテランは良きフランスの良きシンボルであったのですから。私にはいわゆるポストコロニアル時代のフランスの旧植民地政策の勉強が全く足りません。しかし、無知な私などはともかくとして、サンカラのブルキナ・ファソの「実験」が花開き、そして散って行った1980年代にフランスのポストモダニストたちは、サンカラに何がしかの声援を送り、コンパオレに何がしかの抗議を行ったのでしょうか?むしろ、彼らはfashionable nonsense を連発して無知な大衆を煙に巻くことの方を面白がっていたのではありますまいか?藤永 茂(2007年11月7日)++++++++++これで第一部は終わりですが、悪者のコンパオレは、やがて断罪されます。お楽しみに。藤永茂(2025年2月28日) -
「内田樹の研究室」記事の一部で、議論の叩き台として面白い。もちろん、これまでどおり米国の属国、奴隷国でいるのがいいという官僚や政治家がほとんどだろうが、家が破産したスネオをジャイアンがどう扱うか、考えることだ。もちろん、それでも「奴隷頭」の地位が保てると信じている人は多いだろう。ただし、国民がそれを許すかどうかである。
(以下引用)世界が帝国に分割された時、日本はどう生きるかという話をしていた。今回はその結び。
選択肢はいくつかある。一つは米中いずれかの帝国の辺境の属国として宗主国に「朝貢」して生き延びる道である。
日本は戦後80年米国の属国として生きてきたから属国民マインドは日本の政治家たち外交官たちに深く内面化している。だから、米帝国の西の辺境として生きるのを止めて、中華帝国の東の辺境となる道を選ぶことに日本人はそれほどシリアスな心理的抵抗を感じないだろうと私は思う。「親魏倭王」に任ぜられた卑弥呼から「日本国王」足利将軍、「日本国大君」徳川将軍に至るまで、日本の支配者たちは中華皇帝から形式的には官位を冊封されていたのである。だから、もし「中華皇帝」が属国日本に天皇制と民主主義政体の継続を許可すれば(しないと思うが)、日本人の多くは「宗主国」を米国から中国に替えることにそれほどの心理的抵抗を覚えないと私は思う。日本の支配層は「強者に従属することが自己利益を最大化する」と心の底から信じているから、これまで親米派だった人たちは今度は争って中国共産党に入党するだろう(これは自信をもって断言できる)。
もう一つの道は日韓同盟である。米軍が撤収した日本と韓国が同盟するのである。人口1億8千万、GDP6兆ドル、ドイツを抜いて世界第三位の経済圏になる。軍事力は日韓を合わせるとインドを抜いて世界4位。
この日韓同盟は米中二帝国と等距離外交を展開する。米軍がグアムまで引き、中国が海洋進出に抑制的になれば、西太平洋に日韓を結ぶ広大な中立地帯ができる。東アジアの地政学的安定を国際社会は歓迎するだろう。
第三の道は九条二項を高く掲げて「東洋のスイス」のような永世中立国になることである。日本は間違いなく医療と教育と観光・エンターテインメントでは世界のトップレベルにある。そうやって全世界に「できるなら日本で暮らしたい」という人々を創り出すのである。それが日本の安全保障のための「アセット」になってくれる。スイスの銀行に個人口座を持っている人たちが(テロリストを含めて)「スイス侵攻」に反対するのと理屈は同じである。
日本人は果たしてどの道を選ぶことになるのだろう。
(AERA 3月18日~4月16日) -
長すぎる記事なので、途中で(以下省略)とするかもしれない。重要性は高い内容だが、はっきり言って「抵抗不可能」な問題ではないだろうか。つまり、人類の悪魔化は不可避だということだ。
まあ、私などは余命が「数えられている」種類の人間、つまり老人だから「我が亡きあとに洪水よ来たれ」とせせら笑ってもいいが、多くの「無実の」若者や子供やそのまた子供たちが気の毒である。SNSの問題は「便利さや快適さが人を堕落させる」最大の事例かもしれない。
(以下引用)画像省略。 -
重要な記事だが、記事タイトルは「金融取引規制の脅威」ではなく「CBDC(中央銀行デジタル通貨)の恐ろしさ」とでもすべきだろう。「金融取引」だと、お金持ちだけの話に見える。実際は「金融」ではなく、CBDCによる「あらゆるカネの決済」の話である。つまり、庶民の毎日の買い物や支払いの話だ。中央部への違反者や批判者への処罰は或る日突然一文無しになる(される)ことである。
(以下引用) -
私は自分が生きてきた時代、つまり現代の「歴史」をほとんど覚えていないのだが、同時代の歴史を知っているほうが、遠い過去の時代の年号や人名を覚えているよりはるかに有意義だろう。
そこで、図書館から借りてきた子供向けの歴史参考書を元にして、大正元年以降の現代史を箇条書き的に書いてみる。追い追い追加していく予定である。
ちなみに、ここに載せるのは「有名事件」中心であり、たとえば今読んでいる最中の山田風太郎の「風眼抄」の中には、昭和6年の3月と10月に陸軍のクーデター未遂事件があったことが書かれており、そのことを書いた文章を私はほかにひとつも読んだことがない。つまり、それらのように「闇に葬られた」陸軍(あるいは軍隊)の昭和初期の不祥事はほかにもいくつもあったのだろう。515や226は例外的事件でも何でもない、ということだ。それがまったく改善も反省もされなかったのが、あの狂気の軍国主義時代を生んだのである。それは既に大正時代から、いや、明治初期から日本軍の(さらに言えば幕末の長州藩以来の、上が下の暴発を抑えず、ご機嫌取りをする)体質であったと言えるだろう。なお、このふたつの事件は岩波の「近代日本総合年表」に載っていると山田氏は書いている。
1912年(大正元年)明治天皇崩御。大正天皇即位。中華民国建国。
1914年(大正2年)第一次世界大戦勃発。
1917年(大正5年)ロシア革命。
1918年(大正6年)ソビエト連邦成立。日本シベリア出兵。米騒動。
1919年(大正7年)第一次世界大戦終結。パリ講和会議。ベルサイユ条約締結。朝鮮3・1独立運動。中国5・4抗日運動。インド独立運動。
1920年(大正8年)国際連盟成立。(ソビエト・ドイツ排除。アメリカ不参加)
1921年(大正9年)ワシントン軍縮会議(日本の軍事利権削減)。原敬総理暗殺。
1923年(大正12年)関東大震災(9月1日)。
1925年(大正14年)普通選挙法・治安維持法成立。
1926年(大正15年昭和元年)大正天皇崩御。昭和天皇即位。
1927年(昭和2年)金融恐慌。日本の不況続く。
1928年(昭和3年)中国で国民政府による国内統一。抗日運動活発化。
1931年(昭和6年)満州事変勃発(柳条湖事件)。*シベリア出兵失敗での陸軍の政治的失地回復戦略。
1932年(昭和7年)上海事変。関東軍による満州全土制覇。傀儡国家満州国建国。