"経済・政治・社会"カテゴリーの記事一覧
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「阿修羅」の記事から転載。記事中の「内部文書」も同記事中にあるが、コピーできなかったので、興味を持たれた方は該当記事に当ってもらいたい。
ここに書かれた統一教会も、創作宗教(あるいは既成宗教の勝手な改変)を利用して信者を集め、次にその信者を使って政治に食い込んでいくというのは創価学会と同様である。
一向一揆や天草のキリシタン一揆の例を見るまでもなく、宗教の信者は信仰のためには自分や自分の家族の命も捨てる人間が多いのだから、いわば究極の人間兵器である。それを利用して自分たちの欲望を実現しようとする上層部の醜さにはヘドが出るが、操られる信者たちは可哀想だ。しかし、信者の方も、そのような「政治的奴隷行動=宗教的献身」に生きがいを感じているという場合がほとんどだから、厄介である。そういった信者は、だいたいは、貧乏人が多いというのもまた不思議である。与えられた運命があまりに悲惨なので、宗教に救いを求めるのだろうが、そこでもまた他人に利用され、使い捨てられるわけだ。だが、それでも「主観的幸福」は得ているのかもしれないから、この問題は本当に解決が難しい。
福永法源、大川隆法、麻原彰晃(字はこうだったか?)、文鮮明など、顔を見ただけでいかがわしさが一目瞭然の連中だのに、それを信じる人々がこれほど多いのは驚くほどである。世の人々は、顔で人間を判断するということをしないのだろうか?
なお、引用記事は、注釈部分の方が、統一教会や勝共連合についての基礎知識として有益である。
(以下引用)
統一教会=勝共連合(注1)が「有田対策」「有田退治」の方針を出した。内部文書を公開する(クリックすれば拡大)。関連組織である勝共連合の青津和代(注2)本部長が、自民党の山谷えり子参院議員を支援するよう指示、その末尾にこう書かれている。
「有田対策ですが、くれぐれも宜しくお願いします。相対的に有田退治になります 全国足並み統一行動を取ってください」。
山谷えり子参院議員は統一教会とは密接な関係で、選挙時の応援を受けている。この文書でもっとも注目すべきは、「山谷先生、安倍先生なくして私たちのみ旨は成就できません」とのくだりだ。ここからは山谷えり子参院議員、安倍晋三元首相が統一教会の目的を理解していることが読み取れる。ちなみに「み旨」とは文鮮明教祖の思いを実現させることで、具体的には伝道、霊感商法、文教祖の入国実現(注3)などを意味している。
もうひとつ注目すべきは「青津さんも自民党の先生方を集めた全国教育問題協議会の事務をしている関係上名前を変えています。勝共の青津は使っていません」という部分だ。統一教会=勝共連合の謀略(マヌーバー)体質がここにも現れている。
「食口」(しっく)とは統一教会信者のこと。信者ひとりが5票を集めること、教区長が名簿作りをすることが指示されているように、比例区に出馬する山谷えり子参院議員が統一教会推薦候補であることが明らかとなった。
(注1)国際勝共連合は共産主義に勝利することを目的に1968年に結成された組織。統一教会の文鮮明教祖が笹川良一氏(初代名誉会長)らと話し合って設立された。冷戦終了後も信者が勝共連合メンバーとして政治家などに接触している。かつては100人を超える「勝共推進議員」がいた。
(注2)青津和代氏は1975年に行われた合同結婚式に参加。相手は韓国人。江利川安栄統一教会会長(第7代)の側近。現在は社団法人全国教育問題協議会で事務の仕事をしている。
(注3)文鮮明教祖はアメリカで脱税のために収監されたことがある。そのため入管法の規定(第5条4項「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」)により日本入国が認められない。統一教会は国会議員に働きかけ、超法規的に教祖入国を実現させようとしてきた。
以上、有田芳生BLOGより
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2010/05/post_d0a0.html
正直マスコミの民主党攻撃は凄まじい。
巷の声を聞くと、民主党ダメだ、と洗脳されている人が多すぎる。
政治に対する希望を壊し、投票率を下げ、
宗教団体による自民、公明などの一部政治家の生き残りと、
民主党が過半数を取れないことによる政治混乱はマスマスすすみ、
マスゴミらの有効性から延命がなされてしまうのか?PR -
デヴィ夫人のブログより転載。
デヴィ夫人って、何者なんだ、と今の若者は思うだろうが、銀座かどこかのホステスが、インドネシアのスカルノ大統領に見染められて、その妻(第二夫人?)になったというシンデレラである。歯に衣着せぬ発言で、テレビタレントとしてもしばしば登場する。私としては好きでも嫌いでもない人物で、下記の意見も、本土の人間にありがちな意見である。しかし、普天間基地周辺の人間を転居させれば問題が解決するというのは、やはり浅い考えだろう。沖縄の人間は、普天間基地が移設すればそれでいいと考えているわけではない。沖縄からすべての基地が無くなること、そしてできれば日本国内からすべての基地が無くなることを望んでいるのであり、普天間基地は、その第一段であり、基地問題の突破口だと考えているのである。
もちろん、私が一人で沖縄の意見を代表しているわけではないから、これは私だけの意見だとされてもいいが、おそらく、沖縄県民の大半の心情としてはそうだと思う。つまり、「善意の意見」が、必ずしも相手には好感を与えないこともある、という例である。
しかし、こうした問題についての意見が多くの人から出るのはいいことである。前から書いているように、政治が「専門家」や「知識人」たちの専有物になるのではなく、素人たちがめいめい勝手に床屋政談を繰り広げる中から国民的合意が生まれていくことこそが真の民主主義だと私は思っているからである。
(以下引用)
普天間基地 移転問題
今 世間で普天間問題が 話題の中心になっています。
なかなか移転先を定められないでいる 鳩山政権にアメリカは苛立ちを隠さないでいます。
私たち国民は、敗戦後のサンフランシスコでの講和条約やベルリンでのポツダム宣言、安全保障条約の内容を知りません(知らされていません)。
日本にこれだけのアメリカの基地があるということは日本が完全に
自主権を持っている国とは思えません。
全日本領土の上空権でさえ、JALやANAが飛行するその上はアメリカが押さえているうちは日本はアメリカの属国と言われても仕方ないのではないでしょうか。
基地などないのが一番いいのかも知れませんが、条約の内容を知らない私たち国民は毎年何兆円も払って(税金から)、日本の領土をアメリカに守って貰っています。(徽宗注:アメリカが日本を守っているという捉え方が問題)
又、アメリカが起こす外国での武力行使に日本は何兆円ものお金を
出してアメリカを援助している始末。
普天間の基地ができた頃には、基地の周りには、人も今のように住んでなく、学校もなかったと聞いています。
基地を移転するのに、ミニマム8兆円のお金がかかり、移転先の候補にあげられた市長たちや「住民」は反対を絶叫しています。
移転先の美しい海や自然を破壊から守り、住民に怒りや悲しみをもたらすより、もう普天間にはすでに基地があるのですから、更に又
何兆円もかけて移転するより、そのままにして、普天間の周りの危険にさらされたり騒音に悩まされたりしている住民たち、この方たちが転居するというアイデアはいかがでしょうか。
素敵な都市造りできる場所を探し、病院も学校も銀行も公園もスーパー等全て完備し、皆さんの住居も各自所有の大きさに合わせ、国家が提供し、新しい夢の都市を造る方が数千億の出費ですむのではないでしょうか。
そうすることで、沖縄に人口の(徽宗注:「人工の」か?)新しい都市ができることは素晴らしいことだと思います。
皆さんはどう思われますか? -
「口蹄疫問題」について、阿修羅投稿記事のコメント欄から一部転載。
こうしたコメント欄にも、有益な情報や意見が載ることがあるので、私のアンテナに引っ掛かったものは今後も転載していく。
まあ、引用の引用、孫引きの孫引きで誤情報が拡散していくだけだという批判を大マスコミからは受けそうだが、何度も言うように、無数の情報の中で、合理性のある情報や真実性のある情報がやがては生き残るだろう、と前向きにとらえるのがこの情報洪水時代に対する基本姿勢だと私は考えている。それよりも、マスコミや教育による情報操作や洗脳の方が、よっぽど性質(たち)が悪い。
(以下引用)
07. 2010年5月19日 02:06:06: fw9o4dUB4c
2chソースで失礼。真偽の程は分りませんが、以下引用。
<口蹄疫の問題が報道されない件について
この問題には実際に報道規制がされている、されていたってのは確実みたいです。
なぜなら、この問題が表沙汰になると困る人達がいて、この困る人達っていうのは政治家です。今回の口蹄疫の問題って実は3ヶ月前から発生してて、その発生元も畜産関係者の間では公然の事実になってます。発生原因は3ヶ月前にある牧場がチーズを作るとかで水牛を輸入したことから始まるんです。この牧場は日本各地にあって、その内の一つの宮崎県の牧場にこの水牛がいて今の状況があるってわけです。この「ある牧場」っていうのは畜産業界では有名な牧場で投資家から資金を集めて、牛を肥育してその利益を出資者に分配するビジネスモデルを作った牧場なんだけど、名前を出すのはマズイから控えさせてもらいます。で、この牧場の出資者の多くが政治家、とりわけある宗教が母体になってる政党の政治家でこいつらが今まで3ヶ月間隠してた、つまり報道規制を掛けてたのがのがだんだん表沙汰になってきます。>
安愚楽牧場を調べると、投資ビジネスとして成り立っていた事は確かな様です。しかしまぁ、ヤフーで検索した為か分りませんが、「安愚楽牧場→創価→小沢批判or民主党が放置してきたと批判」、この論調のサイトで溢れていた。口蹄疫事件、やはりキナ臭いですねぇ。
08. 2010年5月19日 03:07:16: DLlLzQBs2w
1ヶ月前になるかな、こうなるとコメントしたが。3月末にはすでに発生がありながら、国(農水大臣)への報告も無し、やっと事の重大さに気付き、東君が非常事態宣言ですか。安愚楽牧場→創価→渡辺喜美のお膝元(栃木3区)→東→報道隠蔽→伝染病拡散の構図ですか。
このことが判った以上・・栃木の牛の全頭検査が数回必要ですね、そして、移動禁止と事前消毒も必要ですね。
宮崎から栃木まで伝染病を拡散しているかも知れませんね、初動の責任はそれだけ重大なんですよ。初動対応は県知事にしかできません。現場責任者なんですよ県知事は。 -
「阿修羅」投稿記事より転載。
何度も言うが、「阿修羅」に投稿される記事は膨大であり、右も左も入り混じって玉石混交なので、その中から有意義な記事を探すのも容易ではない。「拍手ランキング」にしても、多分、操作が可能だろうから、一概には信じられない。そこで、私が紹介の労をとっているわけである。私も、頭の程度はどうであれ、長年生きてきた人間なので、多少の判別力や鑑識眼はあるつもりだ。いわば、ここで紹介するのは私・徽宗皇帝が「拍手」をした記事である。そういう記事は、私と似た考えの記事になることは避けがたいのだから、ここで批判された記事以外は、それを私の考えとほぼ同じだと見なしてよいわけである。
(以下引用)
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK86 > 651.html
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クリントン国務長官は、24・25日に北京で何を話す積りか? 韓国艦と米原潜の沈没を前提として(真相は衛星から丸見えだが)
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/651.html
投稿者 新世紀人 日時 2010 年 5 月 20 日 00:05:44: uj2zhYZWUUp16
韓国艦「天安」の沈没について北朝鮮からの魚雷攻撃説が韓国側から盛んに上がってきた。
しかし、米原潜の沈没については沈黙のままだ。
真相は偵察衛星から丸見えであるはずだ。海上だからなおさらだ。沈んでいる原潜を引き上げざるを得ないだろう。
その有様も丸見えとなる。
にも拘らず、何故隠すのか?
先日の金正日訪中により北朝鮮のこの事件への不関与は明らかである。
何故ならば、対米関係において常日頃から神経を大いに尖らせているチャイナが北朝鮮の関与が少しでも疑いえる点があれば金正日訪中は断ったであろうからだ。
事件を知っていつつ、チャイナは訪中を受け入れた。これは不関与について自信があったからであろう。
何故、韓国と米国は米原潜の沈没を隠しつつ、北朝鮮潜水艦による魚雷攻撃説を盛んに宣伝するのか?
これは、やはり米国の「新冷戦戦略」の発動であろう。
六カ国協議の再開はぶち壊す積りなのであろう。
クリントン米国務長官はチャイナ首脳を相手に、24・25日に韓国艦沈没を上げて突っ張ってくる積りなのであろうか?
しかし、真相は偵察衛星から丸見えだ。
では、適当に「この線で宜しく。本格的な緊張関係にしませんので。」とでも言ってくるのか?
タイ国での雇われ暴動もタイ軍の鎮圧により指導者?はその実”降服宣言”の「終了宣言」。
しかし、工作員のゲリラ的破壊活動は継続するかもしれない。しかし一応は下火。
それで、極東で緊張劇場を宣伝と言う事かもしれない。
普天間基地移転問題で日本に少しでも譲歩をしたくない思惑も絡んでいるのではないのか?
となれば、鳩山政権は米国側から譲歩を引出すのは難しくなるかもしれない。その危険性はあるのではないか。
多くの庶民や軍人を犠牲者としての『劇場』とは見せてもらいたくもない。
しかし、近い将来において朝鮮半島での軍事的指揮権を韓国に返上する米国が何故いまこんなに緊張を創り出そうとするのか?
それにオバマ大統領閣下も参加していらっしゃる。彼もヒラリーと共犯関係であろう。
◎イラクでもあった。…撤退計画の前の追加派兵と攻勢。
米国の一連の国際的緊張拡大政策は米国経済の破綻的危機の進行と矛盾する。
タイ国、韓国、ギリシャ、イランその他、未だにアフガニスタン、イラクは勿論の事であるが。
これ等の動きは、米国の債務不履行政策選択が意外にも近い事を表わしてはいないか?
国際的大事件のこれからの拡大が考え得るのではないか。
ニクソンショック以上の衝撃を緩和する役割を国際紛争が担わされるのではないか。
北朝鮮もチャイナも「北朝鮮魚雷攻撃が架空のウソ話」であると前もって知っていれば、彼らは痛くも痒くもない。
「勝手にホラを吹いてろ」と相手にしなければそれで済んでゆく。
米国の危機回避に協力すれば報酬もあるかもしれない。
韓国はどうなのか? 最も損な役割が韓国であるように見えるが、指導者達はそうではないのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100519-00000792-reu-int
クリントン米国務長官、21日に来日
5月19日10時2分配信 ロイター
[ワシントン 18日 ロイター] 米国務省は、クリントン長官が米中戦略・経済対話に合わせて、日本と韓国を訪問する、と発表した。
発表によると、クリントン長官は20日に米国を出発、21日に日本を訪問する。普天間基地の移設問題などについて協議するとみられる。
クリントン長官はその後、上海万博を訪れ、24日と25日に北京で開催される米中戦略・経済対話に出席する。26日に韓国を訪問する。
【関連記事】
・ 中国、イラン核問題協議で役割果たしている=米国務長官
・ 米国務長官とイスラエル首相、和平問題について協議
・ メキシコ麻薬犯罪、米国務長官らが閣僚級会議で対策協議
・ 緊縮措置によるギリシャ経済立て直しを支援=米国務長官
・ 北朝鮮核問題めぐる6カ国協議、再開へ進展の兆候=米国務長官
最終更新:5月19日10時2分
参考↓
韓国軍艦「天安」沈没の深層(田中宇の国際ニュース解説)
http://www.asyura2.com/10/warb4/msg/379.html
投稿者 近藤勇 日時 2010 年 5 月 08 日 00:00:20: 4YWyPg6pohsqI
[海外ニュース] 韓国哨戒艦沈没事件~本当は米原潜と衝突か? 日刊ゲンダイ (ゲンダイ的考察日記)
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/334.html
投稿者 亀ちゃんファン 日時 2010 年 5 月 13 日 22:24:08: GqNtjW4//076U
http://www.chosunonline.com/news/20100517000032
哨戒艦沈没:韓米日VS中国
http://www.chosunonline.com/news/20100519000018
哨戒艦沈没:韓米首脳が電話会談
[新世紀人の補足]
田中宇氏の評論は労作であり、問題点を網羅している。
日刊ゲンダイの衝突論は大いにありえる見解である。
これらに私が加えたい見解があるが、詳しく書いている余裕が無い。
少しだけ触れておけば、「実弾演習」を行う場合には厳格に注意を怠る事を排除しなければ同士討ち的事故はおき得る。
しかし、であればこそ、意図的に同士討ちに仕向ける謀略は意外にも容易になし得るのではないか。
不祥事である。
これが先において不祥事である事が明らかになった時、その時に不利益を受ける者達は誰であるのか?
その様な先を見越しての謀略であった可能性はあるだろう。
それは田中氏の考える陰謀ではない。更にその奥にある可能性のものだ。
ネオコンを使って戦争を拡大させ、米国の避けようのない破綻を意図的にコントロールした戦略を考えて欲しい。
経済破綻の米国はいずれ軍備縮小に踏み込む事になるだろう。
職業軍人達と軍需産業はこれを受け入れがたいが、受け入れざるを得なくなる。
先の不祥事が後になって暴露される事態もあり得るだろう。
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「阿修羅」記事から転載。この記事に書かれていることは、私もまったく同じように感じていたことである。私は、「あの」小林よしのりさえ、最初の頃はオウム真理教に単身で戦いを挑む勇気のある人間だと高く評価していたくらいである。そういう気骨のある人間が、権力からエサを与えられ、急速に権力の犬になっていく様子は、見ていて悲しいものがある。文中にある「転ぶ」という表現はなかなかいい。「転びキリシタン」ならぬ、「転び言論タレント」である。
(以下引用)
そうしてクルマを運転しながら、どうして爆笑問題はこんなになってしまったのだろうと思った。
昔はそれほど嫌いではなかった、むしろ好きだったのに、、、
実は、この爆笑問題のように「最初はいいナ」と思っていたが、あっという間に転んでしまった人というのは他にもいる。
テリー伊藤もその一人である。
私はテリー伊藤が書いた「お笑い大蔵省極秘情報」という本を読んだ時に驚いた。この本に登場する大蔵官僚の、まあなんと傲慢なことか。当時から私は日本は霞が関の官僚による独裁国家だと思っていたが、その中でもトップに位置する大蔵官僚の本音が見事なまでに引き出されている。
これまで、目を皿のようにして新聞を読んでいたとしても、あるいは必死になってテレビやラジオのニュースを聴いていたとしても、大蔵官僚というのがここまで傲慢であることを教えてくれるものはなかった。
この本が出版されたのは1990年代の中ごろだったと思う。当時はまだパソコン通信の時代だったが、私は参加していたフォーラムの会議室(掲示板のようなもの)に、「これが本当のジャーナリズムじゃないかな」と書き込んだことを今でも覚えている。
ところが、テリー伊藤もその後、どんどんおかしな方向へ進み、爆笑問題と並ぶ自民擁護、民主罵倒の急先鋒となった。
さらにもう一人。小林よしのりについても前二者と同様のことを感じるのである。
「週刊SPA!」が「週刊サンケイ」から衣替えをし、小林よしのりのゴーマニズム宣言が連載され始めた当初、私はこの漫画を高く評価して毎週、楽しみにしていた。漫画家の立場から権力の本質を見抜き、最後にゴーマンをかまして落とすというスタイルは新たな権力批判の手法だナとさえ思った。
また、SPA!では不掲載になったという雅子妃結婚の際のゴーマニズム宣言を読んだ時は、これは平成の時代の風流夢譚ではないかと思ったりもした。
ところが、この小林もその後、急速に右傾化していく。
当時、私がこの過程を見ていて思ったのは、小林よしのりはゴーマニズム宣言を比較的軽い気持ちで始めたのではないかということだった。さほど思想的に深いわけでもなく、なんとなく自分の思っていたことをそのまま漫画にしたのではないか、と。ところが、これが意外にもウケた。
一方、この漫画の影響力に危険な匂い、危ない芽を感じた人々がいた。それが、ものすごく大雑把に言うと「権力」だったのではないかと思う。私の想像では、彼らは「これはなんとかしないといけないナ」と考えた。そうして権力に付随するメディアが総力をあげて小林よしのりを取り込んだ。これに対して小林はもともと深い思想があったわけではないので、簡単に取り込まれてしまった、、、というのが私の見方である。
そうして、これはテリー伊藤や爆笑問題にも共通しているのではないかと思う。
もともとマスメディアに属する連中は、権力からすればいかようにでもコントロールできる(現在、メディアに登場する記者連中を見れば一目瞭然)。しかし、時々、そのコントロールの及ばないところから意外に権力の急所を突いてくる人物が出てくることがある。
日本の権力=霞が関というのは、とにかく国民を、そして世の中を自分たちの目の届く範囲の中で思い通りにコントロールすることだけを常に考えている。彼らにとって想定外の出来事が起きることは悪なのである。したがって、自分たちの頭の中で描いているシュミレーションを壊すような危ない芽はとにかく摘んでおく。それだけでなく、自分たちの側に引き込んで、逆にそのキャラクターを最大限利用してコントローラーの一部として利用しようとする。
そうして取り込まれたのが、爆笑問題、テリー伊藤、小林よしのり(他にもたくさんいるが)、、、といった面々なのだと思う。
しかし、権力にとって新たな不確定要素が登場した。それがネットであり、そこで繰り広げられるWeb言論だ。これについては、もはや制御のしようがない。しかもドンドン増殖している。
何もかもコントロールしたい権力にとって、これほど腹立たしいことはないはずだが、とにかくどうしたらいいかわからない。
仕方がないので、現在は自分たちの手の内にあるマスメディアや御用文化人といった国民コントロール装置のボリュームを最大限まで上げて、増殖するWebに対抗しているということなのだと思う。 -
昔、天安門事件というのがあった。中国政府の「民主化」を求めたデモ隊に警察が発砲し、数人の死者を出して、その後、無数の逮捕者を出したという事件である。
私が驚いたのは、このデモの首謀者のウアル・カイシという学生やその他のリーダーたちが、事件が破局に至る直前に、あっという間にアメリカに亡命したことであった。いくら何でも、こうした大事件の関係者がそんなに簡単にアメリカに渡航できるわけがない。これは、事件の前から亡命準備をしていたとしか考えられない。ということは、この事件は「アメリカが起こした事件」である、というのが私の出した結論であった。ウアル・カイシを脱出させたのはCIAであろう、と推理したわけである。
(以下、ウィキペディアから引用)
その後6月3日の夜中から6月4日未明にかけて、中国共産党首脳部の指示によって、人民解放軍の装甲車を含む完全武装された部隊が天安門広場を中心にした民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して投入された。一旦は数で勝る民衆によって阻止されたものの、その後これらの部隊は中国共産党首脳部の命令に忠実に、市街地で争乱を繰り返す民衆に対して無差別に発砲した[6]他、装甲車で市民を轢き殺すなどして多数の民間人を死傷させた[7]。
この様な無差別な武力鎮圧は数時間に渡り行われ、6月4日未明以降も天安門広場に残った民衆の一部は、最終的に人民解放軍の説得に応じて広場から退去した[8](また、スペインの放送局が撮影した映像によると、学生を含む民衆に対して軍からの退去命令は行われていたが、多くの学生を含む民衆はまだ広場に残っていた)。なお、学生運動の主立ったリーダー達の一部は武力突入前にからくも現場から撤収し、支援者らの手引により海外へ亡命した。
(引用終わり)
その当否はともかく、国際的事件に対して私が常に眉に唾をつけて眺めるようになったのは、多分この事件からである。自分が騒ぎを扇動しておきながら、事件が破局に至るその直前にじぶんたちだけ逃亡するという、この行動の醜さにあきれたということもある。
そういう意味で、私はアウンサンスーチーがビルマ(ミャンマー)民主化闘争の旗手であるとも思っていない。彼女が本当に体制にとって危険な人物なら、これほど長い間、その生命が無事であるはずがない。結局はこれも体制側と裏で手を結んだ八百長芝居にすぎないのである。そして、その背後でシナリオを書いているのが欧米国家である。アウンサンスーチーの背後関係を探ったら、必ず欧米国家との関係が出てくるはずだ。表に出ているだけでも次のように欧米べったりの人物である。
(以下、ウィキペディアから引用)
アウンサンスーチーはビルマの首都だったラングーンに生まれた。
1960年に母親のキンチーがインド大使に着任すると、アウンサンスーチーはデリーで学ぶことになる。1962-63年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。なお1990年には名誉フェローに選出された。 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で研究助手を務めた後、1969-71年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。
1972年にオックスフォードの後輩でチベット研究者のマイケル・アリスと結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。
(引用終わり)
同様に、チベット問題も欧米国家がシナリオを書いているに決まっている。ダライ・ラマはチベットにすら住んでもいず、国外から反中国を焚きつける扇動的言動をしているだけだ。
(以下ウィキペディアから引用)
CIAとの関係
1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[44]。
(引用終わり)
私は別に中国政府やミャンマー政府の肩を持つ気はないが、世界のマスコミは欧米資本の支配下にあるのだ。その欧米マスコミが言うことをすべて信じて、国際的な政治問題を判断することがいかに危険であるかに注意を促したいのである。
実に簡単な判断方法がある。それは、国際的な政治事件が起こったら、まず欧米支配層を疑え、ということである。もっと一般化して言えば、「それで利益を得るのは誰か」という、推理小説の原則を適応せよということだ。
一般に、「民主化闘争」とは、欧米国家にとって都合の悪い国家や政府を転覆させるための工作にすぎないことが多い。特に、それが暴力闘争になってきた場合は、必ずその背後に欧米国家の手がある、というのは中南米の近現代史を見れば常識に近いだろう。
ということで、上に挙げた人物たちの崇拝者たちには済まないが、私は彼らを芝居の役者もっとはっきり言えば、欧米のスパイだとしか思っていないのである。 -
沖縄の基地問題について論じる場合には、これまでの経過・歴史を知る必要があるかと思うので、沖縄の基地問題に興味のある人のために、簡単なダイジェストをしておく。典拠は「沖縄の素顔」(新崎盛暉編 テクノ社)。編者の新崎盛暉氏は沖縄大学教授である。要約文の文責は徽宗皇帝にある。
① 日米両政府は、基地を安定的に維持し、民衆の基地反対運動を抑えるために、一貫して、沖縄社会が基地に依存せざるをえなくなるような政策をとってきた。
② 戦争直後、米軍基地に土地を奪われた農民は、基地で働かざるをえなくなり、基地関連企業、米軍関連企業も生まれてきて、県民所得の約3分の1が基地関連収入で占められる状況が作り出された。
③ ベトナム内戦への介入に失敗したアメリカは、基地維持の高いコストに悩みはじめ、米軍支配への民衆の反抗もあって、沖縄の(単独)支配権を放棄し、日本政府の協力の下に沖縄基地を維持する政策に転換する。(徽宗注:これが「祖国復帰」の内実である。)
④ 沖縄返還後、日本政府は、軍用地の使用料を大幅に引き上げ、基地交付金や基地周辺整備事業費という名目の迷惑料を地方自治体にばらまき、日米地位協定上はアメリカが負担すべき基地労働者の人件費を肩代わりしてその待遇改善を図るなどの基地維持政策をとってきた。その結果が、現在の沖縄の公共事業依存体質、中央政府依存体質である。
⑤ 沖縄返還後の経済規模拡大や観光産業の発展によって、軍用地料、基地労働者の賃金、基地交付金、米軍人軍属の消費といった基地関連収入の割合は県民所得の5~6%、観光収入の2分の1以下となっている。
というわけで、米軍基地が出ていっても、県民所得は5~6%しか下がらない、ということだが、いや、それでも大きいし、現在、それで生活している人間はどうなるのだ、という声もあるだろう。もちろん、基地が出ていった場合の基地労働者や軍用地地主に対するアフターケアは必要だが、基地撤去で沖縄経済が崩壊するということにはならないだろう。こんな島国で基地以外に何の産業がある、というのも知恵の無い話であり、それなら、沖縄と同程度の島はすべて貧困にあえぐことになる。
たとえば、現在の医療崩壊の日本なら、沖縄を医療先進県にし、老後を沖縄で過ごすための設備を大規模に作っていけば、それも一つの産業になりうるはずである。あるいは沖縄独自の亜熱帯農産物を主とする農業改革によっても経済は発展するはずだ。普天間基地の跡地に大遊園地を作って世界中から観光客を呼ぶのもいい。最初から駄目だと考えていては何も始まらない。あと10年もたてば、あの頃は基地が無ければ生活できないと考えていたのが笑い話になるかもしれないのである。フィリピンはクラーク基地、スービック基地を撤去して、その後は大発展しているという話である。
少なくとも、基地が無くなれば、アメリカの戦争のために沖縄から飛行機が飛び立ち、無辜の民を大量殺害しているという「加害者への加担」という良心の痛みからは救われることになる。
まあ、そんな良心など子供の寝言だとおっしゃるなら、それもよいだろう。それは人それぞれである。米軍によるイラクの子供たち、アフガニスタンの子供たちの殺害に対して、何も感じないという人間でも、この社会では人間と見なされてはいるようだから。 -
「泉の波立ち」の記事に対する私の意見に、「泉の波立ち」管理人の南堂氏からの反論があったので、興味のある方はそちらを御覧になっていただきたい。南堂氏は経済学者だったと思うが、基地が沖縄にあることによる利益のみを見て、基地があることによる機会損失の不利益を見ていないと私は考える。つまり、基地が無ければ自然に発展していたはずの経済が、発展できなかったということだ。(こう言うと、「自然な経済発展など無い」と言われそうだが)
もちろん、米軍基地があることで戦後の沖縄には膨大な金が投下されてきた。そのために、戦前の「芋と裸足」の沖縄から、やっと全国平均の7割程度まで所得は向上したが、しかし、補助金行政をあてにしているために沖縄経済が自立できないということは明らかである。このままではいつまでたっても日本の中の貧乏県から脱出はできないのである。
軍用地代も補助金も、南堂氏流に言えば、いわば「天から落ちてくる金」であったのだ。そしてそれをあてにして生きるのは、それこそ乞食根性というものだろう。本土の人間が言う以前に、沖縄の人間自体がそう思っているのである。だから、補助金も軍用地代もいらないから、基地を撤去してくれ、と言っているのである。それで沖縄の人口が3万人程度になれば、それも結構である。私も沖縄の人口は多すぎると思っているのだから。
私のこの無名ブログでの発言に、当の本人からの反応があったことに驚いている。沖縄県民といっても、利害関係によって思想も発言も使うデータも、その解釈も異なるので、私の意見はその一つだと考えてほしい。とりあえず私は「左翼」という扱いでもいいが、できれば「左翼」と言うよりは「現状改革派」とでも言ってもらいたい。まあ、南堂氏を右翼「的」だと言ったのはこちらが先だが。
私の立場は簡単であり、日本国内に米軍基地があることは、現在では日本という国にとって利益にはなっていないというものである。ならば、沖縄にそれが存在するのも不利益のほうが大きいだろう。もちろん、目の前の金が欲しいという一部の人間にとっては利益だが。 -
「内田樹の研究室」より、転載。
「英語帝国主義」という概念は、まだ日本人一般には浸透していないが、要するに、英語が世界公用語化することによって、非英語圏民族・非英語圏国家は政治・文化の階層の下層部分に自動的に組み込まれるということである。これは「目に見えない」差別構造であるだけに、一層厄介な問題なのである。あらゆる英語教師は、そういう差別構造の形成に奉仕しているとも言える。もちろん、英語自体が悪いわけではないのだが、この問題を意識しない限り、非英語圏民族は国際的に不利を蒙る状態が続いていくのである。
この問題への一つの解決案が、以下に書かれた考えである。これ以外にも、「エスペラント」を用いるという方法もあり、そちらの方が、英語にくらべて習得は格段に易しいと言われている。「プア・イングリッシュ」あるいは「プレイン・イングリッシュ」「ピジン・イングリッシュ」などと並行してエスペラントを世界公用語にしていくのが、私はベストだと考えている。
(以下引用)
2010.05.12
リンガ・フランカのすすめ
大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。
言語は政治的につよい意味を持っている。
母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日本語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。
なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。
自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。
だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。
ご案内のとおり、20世紀末に、インターネット上の共通語の地位を獲得したことによって、英語は競合的なヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語)を退けて、事実上唯一の国際共通語となった。
世界中どこでもグローバルな競争に参加するためには英語を習得することが義務化している。
そして、その「グローバルな競争」なるものは「英語を母語とする人々」がすでにアドバンテージを握っている「構造的にアンフェアな競争」なのである。
一言語集団にこれほどまでの競争上のアドバンテージが与えられたことは、人類史上おそらくはじめてのことである。
ことの良否はわきに置いて、まずそのことを事実として認めよう。
多くの人はリアリストであるので、「では英語を勉強せねば」と考える。
そして、英語学習に励むことになるのであるが、その場合にマイナー言語を母語とする英語学習者に示される学習方法は、ほとんど例外なしに「オーラル・コミュニケーション」を中心にしたものとなる。
「会話はいいから、まず文法と講読を」ということを言う英語教育者はきわめて少数である。
誰もが「まず発音」と言う。
なるほど。
だが、このような学習法の提案がもっぱら英語を母語とする人々から提言されていることを見落とすべきではない。
なぜ、彼らは「オーラル重視」ということ「ばかり」言うのか。
彼らは英語が国際共通語になり、多くの人が英語を解することからもちろん利益を得ている。
なにしろ、世界中どこに行ってもIs there anyone who can speak English? と問えばだいたいの用事は済むのである。この問いに誰も答える人がいなければ、肩をすくめて「野蛮人の国に来ちまったぜ」とひとりごとをいえば気持は片付く(用事は片付かないけど)。
けれども、英語が国際共通語になり、自在に英語を使う人間がある程度以上の人数を超えた時点で「英語を母語とする国民」が現在享受しているアドバンテージは失われる。
当然である。
それが国際共通語になった国語のかかえる「背理」である。
自国語が国際共通語であることは自国民に多くの利益をもたらす。
けれども、国際共通性があまりに高まると、その利益は失われる。
国際共通語には「損益分岐点」が存在する。
それは「こちらの言うことは向こうに通じるが、向こうが耳障りなことを言い出したらこちらには通じなくなる」程度の英語力である。
それが非英語圏の人々がとどめおかれるべき理想的な英語力レベルなのである。
外交交渉でも、ビジネスシーンでも、国際学会でも、英語話者がしゃべる話はその場の全員が理解できて当然であるのだが、非英語圏の人間が話すことについては英語話者は「まるで幼児の話を聴いているような見下し目線」をとることが許され、「何を言っているのかわからない」といってリジェクトする権利が留保されている、そのような非対称的な言語状況においてはじめて自国語が国際共通語になったことによって得られる利益は「最大化」する。
だから、私がいまアメリカ国務省の小役人で、言語を戦略的に考えるポストにあれば、「非英語圏の人間には、オーラル中心の語学教育法を勧奨すべし」というレポートを長官に提出するはずである。
なぜオーラル・コミュニケーション中心の学習法が言語の非対称性を維持する上で有利であるかについてはこれまでに何度も書いた。
植民地ではオーラル中心の語学教育を行い、読み書きには副次的な重要性しか与えない。
これは伝統的な帝国主義の言語戦略である。
理由は明らかで、うっかり子どもたちに宗主国の言語の文法規則や古典の鑑賞や、修辞法を教えてしまうと、知的資質にめぐまれた子どもたちは、いずれ植民地支配者たちがむずかしくて理解できない書物を読むようになり、彼らが読んだこともない古典の教養を披歴するようになるからである。
植民地人を便利に使役するためには宗主国の言語が理解できなくては困る。
けれども、宗主国民を知的に凌駕する人間が出てきてはもっと困る。
「文法を教えない。古典を読ませない」というのが、その要請が導く実践的結論である。
教えるのは、「会話」だけ、トピックは「現代の世俗のできごと」だけ。
それが「植民地からの収奪を最大化するための言語教育戦略」の基本である。
「会話」に限定されている限り、母語話者は好きなときに相手の話を遮って「ちちち」と指を揺らし、発音の誤りを訂正し、相手の「知的劣位」を思い知らせることができる。
「現代の世俗のできごと」にトピックを限定している限り(政治経済のような「浮世の話」や、流行の音楽や映画やスポーツやテレビ番組について語っている限り)、植民地人がどれほどトリヴィアルな知識を披歴しようと、宗主国の人間は知的威圧感を感じることがない。
しかし、どれほどたどたどしくても、自分たちが(名前を知っているだけで)読んだこともない自国の古典を原語で読み、それについてコメントできる外国人の出現にはつよい不快感を覚える。
日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったからである。
戦後、オーラル中心に変わったのは、「戦勝国アメリカに対して構造的に劣位にあること」が敗戦国民に求められたからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
言語はそのようにすぐれて戦略的なものである。
英語圏の国が覇権国家である限り、彼らが英語を母語とすることのアドバンテージを最大化する工夫をするのは当然のことである。
非英語圏に生まれた人間は「それだけ」ですでに大きなハンディを背負っているような「仕組み」を作り上げる。
これを非とする権利は私たちにはない。
日本だって70年前には東アジアの全域で、「日本語話者であることのアドバンテージが最大化する仕組み」を作ろうとして、現に局所的には作り上げたからである。
けれども、ハンディキャップを負う側にいる以上、「どうやって英語話者の不当に大きなアドバンテージを切り崩すか」ということを実践的課題として思量するくらいのことはしてもよいと思う。
私からのご提案はとりあえず一つだけ。
それは、びっくりされる方もおられると思うが、「英語」という包括的な名称の廃絶である。
かわりに暫定的に「lingua franca」という言語カテゴリーを作る。
かつてヨーロッパにおいてはラテン語がそうであった。
知識人たちはローカルな国語を生活言語として持つ一方で、ラテン語で著述し、書簡を取り交わした。
私はこの「リンガ・フランカ」はフェアな仕組みだったと思う。
というのは、ラテン語については「ラテン語を母語とする国民」というものが存在しなかったからである。
知的競争に勝つチャンスは、とりあえずヨーロッパの言語圏においては平等に分配されていた。
この状況を21世紀のリンガ・フランカについても適用すべきではないかと私は思う。
では、「英語」ではないところの「国際共通語(リンガ・フランカ)」とは何か。
福岡伸一先生がこんなエピソードを紹介していた。
アメリカで分子生物学の学会があった。
福岡先生がその開会セレモニーに参加したとき、学会長の挨拶があった。
学会長はドイツ人の学者であった。
彼はこう言ったそうである。
「この学会の公用語はEnglish ではありません」
会場はどよめいた。ではいったい何語で学会は行われるのであろうか・・・
学会長はこう続けた。
「この学会の公用語はPoor Englishです」
私はこの構えを支持するものである。
Poor English はシェークスピアやポウを読むための言語ではない。
それは「英語を母語としない人々同士が意思疎通を果たす」という目的だけに限定されたリンガ・フランカである。
Poor Englishをオーラル・コミュニケーションの場で用いる際のいくつかの規則をここで定めておきたい。
(1) 決して話者の発音を訂正してはならない
(2) 決して話者の文法的間違いを訂正してはならない
「発音の間違い」や「文法的な間違い」が指摘できるということは、「正しい発音」や「正しい文法的表現」が「正解」として知られているということである。正解がわかっているからこそ、それが「誤り」であるとして訂正可能となるのである。
正解がわかっているということは、話者が「何を言いたいのか」はすでに知られているということであり、それはPoor English においては十分なコミュニケーションが成立しているとみなされる。
(3) ただし、自分より話すのが下手な人の「言いたいこと」をより適切な文に「言い換え」て対話を継続することは許される。
(4) Poor Englishは学校教育のどの段階から開始しても構わないが、教師は「英語を母語としないもの」とする。
とりあえず、私が思いついたルールは以上の4点である。
非英語圏の英語教育は「リンガ・フランカ教育」と「英語教育」に二分すべきだと思う。
この二つは別のものでなければならない。
日本の英語教育が失敗しているのは、この二つを混同しているせいである。
「リンガ・フランカ」では日常的コミュニケーションでもっとも使用頻度の高い語から教える。
「英語」でははやい段階から英米文学の古典を教える。
「リンガ・フランカ」では身ぶり手ぶりもピジンもすべて正規の表現手段として認められる。
「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。
中学なら時間割の時間配分は5:1くらいでよろしいであろう(もちろんリンガ・フランカが5)。高校になったら3:1くらいにして、大学ではできたら2:1くらいまでに持ってゆく。
これは「英語がほぼ独占的な国際共通語になった」という歴史的状況に対処するための、たぶんいちばんプラクティカルなソリューションであると私は思う。
小学生程度の英語を流暢に話す技能を「英語ができる」と評価することに私は反対である。それは「リンガ・フランカがよくできる」という項目で評価し、「英語ができる」という言い回しは「仮定法過去完了」とか「現在分詞構文」とかがぱきぱきと説明でき、He is an oyster of a man というようなセンテンスを嬉々として作文に使う子どものために取っておきたいと思うのである。
どうであろうか。
難波江さんの意見聞きたいんですけど、どうでしょうね。
uchida : 2010年05月12日 18:57 | パーマリンク
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「阿修羅」のある記事へのコメントの一つから、転載。前に書いた「思考素」の一つとして有益。元の記事には誤字がいくらかあったので、一部訂正してある。
(私はマスコミは大嫌いだが、この記事に出てくる「マスゴミ」のような言い方、つまり「レッテル貼り」は嫌いである。相手を「アカ」と呼べば、それだけで思考停止してしまう思考回路がレッテル貼りにはつきものであり、我々自身、そうならないように気をつけるべきだと思う。「レッテル貼り」については、そのうち論じてみたい。)
(以下引用。一部修正)
アンヌ・モレリという人が「戦争プロパガンダ、10の法則」という本を書いている。
マスゴミの論調とネツトの論調を冷静に比較するために、
1、「我々は戦争をしたくない」
2、「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
3、「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
4、「我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
5、「我々も誤まって犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる」
6、「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
7、「我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
8、「芸術家も知識人も正義の戦いを支持している。」
9、「我々の大儀は神聖なものである」
10、「この正義に疑問を投げかけるものは裏切り者である」
いろいろと語句を置き換えてみるとお楽しみ、ご参考に。
