1945年8月15日を「終戦の日」とする太平洋戦争は、1941年12月8日に始まった。
副島隆彦先生がこの戦争について、「戦前の左翼だった人たちのほとんどすべてが翼賛政治の中に流れ込んでいった」、「本当に最後まで戦争に反対し続け、弱々しい声ながら、抵抗したのは、詩人の秋山清(あきやまきよし)と、金子光晴(かねこみつはる)」、「清沢洌(しぶさわきよし)が、『暗黒日記』を書いて、戦争中もブツブツと戦争への抵抗を書いた」と、学問道場で書いて教えてくださった。初めて読んだときの驚きを今でも覚えている。
書籍『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』は、出版社の方丈社(ほうじょうしゃ)編集部が、戦争を体験したことのない世代が、ほとんどとなりつつある現在、日本が体験した直近の戦争を振り返り、「あの日、日本人は戦争をどう感じ、何を考えたのか?」を追体験するという意図のもとに編集し、2018年に刊行したアンソロジー集である。
昭和16年12月8日太平洋戦争が勃発した日、当時の知識人や著名人、政治家が何を考え、どう感じたのかを、それぞれの日記や回想録などから抜粋し掲載している。
書評2つと書籍の目次を以下、紹介します。
奈良県立図書情報館Web掲載の「図書館員の気になる一冊」
https://www.library.pref.nara.jp/reference/kininaru/2991 より
(転載始め)
『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』
街頭で微笑みながら「米英に宣戦布告」の新聞に見入る一組の男女の姿。この印象的な写真を表紙に使用している本書は、知識人・著名人の日記や回想録から太平洋戦争勃発時の状況や心情を抜粋し紹介するという他に類を見ない本です。
昭和16(1941)年12月8日午前7時のラジオが国民に開戦を知らせました。以降同日午後9時までのラジオニュースを時系列で挿入しながら、思想家・作家・詩人・評論家など54名の開戦に対する反応と、太宰治の短編小説『十二月八日』、武田砂鉄氏による解説が収録されています。
喜びや興奮を爆発させた人、解放感や期待感を覚えた人、死を思った人、自責の念に駆られた人・・・残された言葉から当時の人々の様々な心象や感情、空気感を読み取ることができます。開戦を歓迎し、期待と興奮で高揚する言葉が多く綴られていることに驚かされます。そして、作家の野口冨士男がアメリカと戦闘状態になればアメリカ映画は見られなくなるとの理由で妻子をともなって映画鑑賞に出かけたというエピソードに顕著なように、どこか対岸の火事とでもいうような切迫感や緊張感がそれほど感じられないのは、その後の激戦や夥しい犠牲者数、原爆投下や敗戦を知るよしもないからでしょうか。
私たちは12月8日というある1日が、敗戦への道筋へと進む1日となったという歴史的結果を知っています。何気ない日常から非日常へと大転換した1日。本書を一読して、今という時がどういう道筋へと繋がるのか、今日という日、明日という日が本当に日常の1日なのか、未来の結果を知らない私の頭にそんな疑いがふとよぎるのでした。
(転載終わり)
【書評】朝、目覚めて、戦争が始まっていたら何を思うか……。70年前の著名人が残した衝撃的な言葉
https://ddnavi.com/review/485826/a/
文=碓氷 連太郎 公開日:2018/9/10
(転載始め)
1941年12月8日、午前7時にラジオから臨時ニュースが伝えられた。
「帝国陸海軍ハ今8日未明西太平洋ニオイテ米英軍ト戦闘状態ニ入レリ」
太平洋戦争が始まったことを、国民に伝える内容だった。
『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社編集部:編集、武田砂鉄:他/方丈社)は、当時活躍していた知識人や著名人がこの12月8日をどう受けとめていたのか、彼らが遺した日記や回想録から読み解いていく本だ。とはいえそれまで何もなかったのに、いきなり真珠湾を目指したわけではない。日本は1931年の満州事変以降、10年もの間中華民国(当時)に攻撃を仕掛けていた。いわば日本人は、その頃すでに戦争的な空気に慣れていたと思われる。だから意外と、驚きは少なかったのではないだろうか?
読む前からそう予測していたものの、たとえば17歳だった吉本隆明の、
「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。」
という無邪気な言葉や、22歳だった詩人の黒田三郎の、
「今日みたいにうれしい日はまたとない。嬉しいというか何というかとにかく胸の清々しい気持だ。」
という言葉を目にして、正直面くらった。
「いよいよはじまったかと思つた。なぜか體ががくがく慄へた。ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた。」
と書き遺したのは、児童文学作家で当時28歳の新見南吉だ。新見の『ごんぎつね』は小学校の教科書にも載っているので、親しんだ人も多いだろう。哀しさが漂う児童文学を書いた作者は、開戦を「ばんざあい」と思っていたのだ(しかし彼は終戦を見届けることなく、1943年に結核で亡くなっている)。
権力や体制に反抗的というイメージを持ってしまいがちな作家や思想家が、軒並み開戦を肯定的に受けとめる言葉を遺している。それは彼らがまだ若く、また時代の空気もあって戦争がどんな悲惨を招くかに、思いをはせられなかったことによるものかもしれない。しかし51歳のジャーナリストの清沢洌こそ、
「けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた。こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かった」
と言っているものの、やはりジャーナリストで73歳だった鶯亭金升ときたら、
「明治の日清、日露、両戦役と異りて、我が大日本国空前の戦いなるかな、老の身も若やぐ心地して心神爽快、旭日輝く空を見上げて拳を握る」
の有様だ。
彼らの真意がどこにあるかはもはや確かめようがないが、多くが反骨どころか概ねイケイケで捉えている。太平洋戦争は軍部が暴走したから始まったのではなく、知識人はじめ市井の人たちも、ある意味で後押ししていたことがよくわかった。
解説を担当した武田砂鉄さんも、巻末で、
「この企画を聞かされた段階では、さぞかし重々しい絶望が個々人を襲ったのだろうと推測したが、いざ、読み進めると、そこには、日常を揺さぶられまいと力む言葉があれば、むしろ歓待し、テレビゲームのリセットボタンを押すような快感を覚えている言葉すら見受けられた。それこそ正常性バイアス、これから起きようとしていることは、私たちの日常にとって必要なことなのだと、どこか清々しく受け止められていた。
ええ、そうなると思ってましたよ、こうなるべきだったんですよ、とそのまんま受け止める。泥沼に足を突っ込むのではなく、リセットボタン。あえて俗っぽくいえば、ワクワクしてすらしていたのだ。」
と書いている。武田さんの言葉を借りれば正常性バイアスとは、有事に直面した人間がこんなことはあり得ないという先入観や偏見を強めることで、眼前の物事を、あくまでも正常の範囲であると認識する心のメカニズムのことだそうだ。
(後略)