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「阿修羅」から転載。
3大紙とか4大紙とか言われる全国紙がすべて大衆洗脳装置であるので、私は宅配の新聞は取っていない。しかし、当日のテレビ欄は欲しいので(プロ野球やアマチュア野球の中継があるかどうかを知るためだけだ)仕方なしに近所のコンビニまで散歩がてら買いに行っている。読売は論外だし、朝日はある時期から読売以下の従米新聞になっている。毎日にしても似たようなものだが、他の二つよりはややましか、と思うので毎日を買うことが多い。と言うより、朝日は150円、毎日は130円なので、自動的にそうなるのだが。
東京に住んでいれば東京新聞、大阪なら大阪日日新聞を買うのだが、京都の地元紙は、全国紙の劣化版なので、買わない。私を編集アドバイザーにでも雇ってくれれば、面白い新聞にできるのだがね。校正係兼任で月給10万円でどうだ。ただし、時間拘束無しね。
さて、新聞の世論調査のことだが、別に特別な操作などしなくても、デスクが「この数字で行け」と部下に指示したらそれでお終いだろう。つまり、アンケートの結果など、最初から見てもいない、ということだ。
もう古い話だが、小沢裁判での検察審議委員会だか何かの委員会の平均年齢報告が、委員を入れ替えても同じであったことから、その委員会の審議そのものがインチキであったことがバレたのだが、新聞の世論調査の真実の数字は、上が握り潰せばいいだけだ。そんなものをまともに信じる人間がいるほうがおかしいのだが、実際、世間の人間の大半はそれほど無邪気なのである。いや、無邪気では褒め言葉になる。これはほとんど犯罪的な無知、と言うべきだろう。
自分の生きている社会の真のシステムについて無知である人間が、政治的に適切な行動ができるわけがない。
「地獄への道は善意で舗装されている」という有名な言葉に加えて、私は「知らないことも犯罪だ」と言っておこう。
(以下引用)
読売・朝日が世論「操作」? 小沢「国民の生活」支持は0~2%と報道(税金と保険のサイト)
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/480.html
投稿者 CERISES 日時 2012 年 10 月 31 日 03:51:42: TSAYrSdovqusM
読売・朝日が世論「操作」? 小沢「国民の生活」支持は0~2%と報道
(税金と保険のサイト)2012年10月30日 22:00 http://www.tax-hoken.com/news_am5dlplM36.html
------------------------------------------------------------------------------- ■[国民の生活が第一」を誰も支持しない?
解散総選挙間近とウワサされる中、読売新聞、朝日新聞の発表した世論調査の結果が不気味だ。支持政党を訊ねた世論調査の結果として、「国民の生活が第一」への支持率をそれぞれ2%、0%と発表しているが、インターネット上の調査では、同党は数十%の高い支持率を得ている。
■大手新聞の電話調査では不人気
朝日新聞が電話によるアンケート調査を行ったのは、10月20、21日。コンピューターによってランダムに作成した電話番号に調査員が連絡を取り、聞き取る形式で、有効回答は1620人、回答率58%だった。
「いま、どの政党を支持していますか」との問いに対して、自民党が最多の26%を獲得。次いで民主11%、公明、共産、日本維新などが2%、脱原発を掲げる「国民の生活が第一」は0%とされた。
読売新聞が7月13日~16日にかけて行った世論調査でも、発足したばかりの同党に対する支持率は2%とされている。
■ネット調査では人気第一党
ところがネット調査では、驚くべき結果が見られる。多くの調査で、「国民の生活が第一」がもっとも高い支持を集めているのだ。
10月10日~15日にかけて行われた「Yahoo!みんなの政治」によるアンケート調査では、同党が32%の支持を獲得。2位の自民党(21%)の1.5倍に上る高い人気を示した。
ダイヤモンドオンラインが行った調査でも、同党は38.22%という支持率で、ダントツの「第一党」に推されている。
同じく、Twitter上で行われた「今解散総選挙が行われたら、どの党に投票しますか?」とのアンケートでは、回答者2171人中、1719人と約8割の人が同党に投票する人気ぶりだ。
■極端な違いが出るのはなぜ?
こういった極端な「誤差」が出る理由として、ネット投票には「組織票が入るのでは」と指摘する声がある。
ただ、Yahooで投票するにはIDが必要で、多くの人はクレジットカードとリンクさせており、投票のためだけに多数のIDが作られるとは考えにくい、と分析する専門家もいる。
極端に数字が割れるのが「脱原発」を政策に掲げる「国民の生活が第一」だけである点も注目される。PR -
FRBについては「耳タコだ」と言う人もいるかもしれないが、今年12月23日に、1812年にFRBが米政府と結んだ貨幣発行権契約期限が切れるのは確かなようだ。そこで、FRBという存在が米国や世界にとって何を意味するのかを明確に示した文章を、名前は忘れたが、某ブログ記事から転載しておく。元記事は「THINKER」という著者による書物らしい。ネットにあるわりと有名なサイトが出した本かと思われる。
(以下引用)
第16代大統領リンカーンは、南北戦争を操作しアメリカを分断して弱体化させ、再び中央銀行設立を企むロスチャイルド一族の存在に気づき、彼らのような銀行家に頼らないグリーンパックという「政府紙幣」を発行した。
彼は言っている。
「私には二つの強敵がおり、それは南軍とその背後にいる銀行家だ。私にとって最大の敵は銀行家である。そしてこの戦争で最悪な結果とは、企業が王座を占めることだ。そうなればひどい腐敗の時代が訪れることになる。富が一握りの人々に集中し、国が崩壊するまでその力を失うことはないだろう。」「彼ら金の権力者たちは国民を食い物にし、有事には罠を仕掛ける。そのさまは誰よりも横暴で、横柄で、利己的である。そして彼らは、自分たちのやり方や犯罪行為を指摘する者を「公衆の敵」と呼び、攻撃するのだ。」「政府には信用と通貨を発行する権利があり、それを税金やその他の形で回収する権利を持っている。政府が、運営のためや公共事業のために利子を払って金を借りる必要はないし、そうするべきでもない。」
議会の反対を受けながらも、リンカーンが推し進めて発行した政府紙幣は、絶大な経済効果を発揮した。つまり、中央銀行(FRB)から利子つきで借りる必要のない、政府独自の紙幣が有効であることを証明したのであった。しかしこの紙幣も、リンカーンの暗殺とともに消えてしまった。彼の暗殺の背後には、政府紙幣の発行を阻止しようとする国際銀行家の存在があったことは言うまでもない。
第20代大統領ガーフィールドは、就任してまもなく中央銀行であるFRBへの不快感を表明した。彼は言っている。「誰であろうと通貨をコントロールする者が、すべてを支配しているのは分かりきったことだ。ごく一部の権力者がすべてのシステムを操作しているのであれば、インフレと不況がどうやって起こされるのか、人に聞かなくてもわかるはずだ。」 そして彼は、この2週間後に暗殺され、リンカーンに続いて在任中に暗殺された2人目の大統領となった。
第35代大統領ケネディは1963年6月に、通貨発行権を中央銀行であるFRBから政府の手に取り戻すことに成功した。しかし、そのわずか半年後には暗殺されてしまった。その後ジョンソン大統領は、ケネディの刷った政府紙幣を即座に回収し、破棄した。それ以来、中央銀行であるFRBから、通貨発行権を取り戻そうとする大統領は出ていない。
また第40代大統領レーガンは、アメリカ国民の所得税のすべてが、中央銀行であるFRBへの利子の支払いに当てられていることを調査した後、暗殺未遂に遭っている。
以上が、銀行家に対する歴代のアメリカ大統領の命がけの戦いである。
このFRB・連邦準備制度理事会とは、全米の都市にある12の連邦準備銀行を統括する組織である。この中で最大の銀行が、ニューヨーク連邦準備銀行であり、アメリカの通貨発行と金利の決定などはこのニューヨーク連邦準備銀行が取り仕切っている。FRBとはニューヨーク連邦準備銀行である。それらの株はナショナル・シティ・バンク、ファースト・ナショナル・バンク、バンク・オブ・コマース、チェース・ナショナル・バンクなど民間銀行が持っている。その民間銀行の株主をさらにたどると、ロスチャイルド銀行・ロンドン、ロスチャイルド銀行・ベルリン、ラザール・フレール・パリ(ロスチャイルド財閥の銀行)などヨーロッパに11行のロスチャイルドの銀行ある。
つまり「FRB」の実体である「ニューヨーク連邦準備銀行」の株は、そのほとんどをロスチャイルド財閥の銀行が保有しているのだ。チェース・マンハッタン銀行のみロックフェラー財閥の銀行であるが、民間銀行であることに変わりはない。そしてアメリカ政府は一株も保有してはいない。アメリカ経済の安定のためと称して設立されたアメリカの中央銀行FRBは、政府とは関係なく、その支配権も利益も民間の銀行家の手に委ねられた、完全な私有企業なのである。
この20世紀最大の秘密を発見したのは、ユースタス・マリンズ氏である。アメリカ議会図書館の研究員だったマリンズ氏は経済関連の書籍をすべて読み、その中に「ジキル島の出来事」について書かれた小冊子を発見した。そして、FRBが国際銀行家の私有組織であることを暴く『民間が所有する中央銀行』を1952年に出版した。2010年死去。
「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
5次元文庫徳間書店
抜粋 -
「半グレ」という言葉は世間的には常識として知られているのかどうかは知らないが、私は知らなかった。いや、聞いた事はあるかもしれないが、それがまるで「常識語」であるかのような、下記記事の書き方に、少し驚いている。
いちいち調べるのも馬鹿馬鹿しいので、推測で書くが、「半グレ」とは「半愚連隊」のことだと思われる。その「愚連隊」という語自体が死語に近いのに、なぜ「半グレ」なる派生語が出てきたのか。まあ、命名者がオッサンなのだろう、と推測できる。マスコミのトップなど、そんなものである。自分が育った時代のままで頭は固定化しているのに、自分は時代の最先端を行く仕事をしている、と思い込んでいるわけだ。私も人のことは言えないが。
さて、下記記事から私が考えたのは「ネオ暴力団」という言葉、あるいは「私設暴力団」あるいは「アマチュア暴力団」という概念である。
今の世の中は、専門家という存在や権威的な存在がたいしたことが無いことを誰でも知っており、それがヤクザや暴力団という、一見「実力の世界」にまで及んできた、という感じである。
尼崎事件における角田の「私設暴力団」に対して、警察が何一つ対処をしていなかったことからも、こうしたアマチュア暴力団が有効なことは分かる。
問題は、こうした新興勢力に対して、昔なら暴力の専門家であり、権威である本物の暴力団がお灸をすえていたはずなのだが、関東連合の事件などを見ても、在来暴力団がこうした跳ねっ返り連中に対して、何らアクションを起こした形跡が見えないことだ。
やはり、ここでも「権威の低下」があるようだ。
(以下引用)
半グレ集団「何が悲しくて今さら暴力団?」の心情警察理解せず
NEWSポストセブン
2012年10月30日16時02分
コメント 21
暴力団排除条例が全都道府県で施行されるようになった2011年10月以降、暴力団を取り巻く環境は激変している。『続・暴力団』(新潮新書)の著者・溝口敦氏よるレポートである。北九州市では今年8月以降、暴力団の立入禁止標章を張り出した店の経営者や従業員が傷つけられる事件が相次いだ。溝口氏はこの状態が全国に拡大する恐れを指摘する。
* * *
警察の捜査能力の低下、検挙率の大幅ダウンも全国に拡大しようとしている。
いい例が9月2日、東京・六本木で起きた飲食店経営者撲殺事件である。警視庁の捜査一課(殺人)を中心とする捜査本部はあれほど鮮明な犯人画像を入手しながら、50日以上たった今なお、実行犯9人のうち1人として逮捕できていない。
少なくとも犯人の中には関東連合OBの中堅クラス1人が含まれている。本部もそれは分かっているのだが、なにしろ気づいたときには海外への高飛びを許していた。今となっては手の打ちようがない。
こうして警察のやることなすこと、すべて後手後手。暴力団の陰に隠れていた関東連合OBなど半グレ集団の台頭を見逃し、暴力団とちがって半グレ専用の取締法どころか、長らく警察のどの部署が半グレを担当するかさえ決めていなかった。もちろんデータの蓄積もなく、属性について研究もしていない。
たとえば去年暮れ、六本木で起きた山口組直系落合金町連合幹部襲撃事件である。警視庁は、加害側の関東連合OBについて、山口組の系列に列なる組織として、暴力団対策法が適用できないか、検討していたという。
あまりの時代錯誤に驚く。半グレ集団は暴力団を割に合わない、今ヤクザをやってるのはバカだ、と嫌っていたからこそ、暴力団に籍を置かず、半グレのままなのだ。
たしかにごく一部の半グレは住吉会などに所属している。が、それはあくまでも例外である。半グレのままなら暴対法も暴排条例も対象外。「何が悲しくて今さら暴力団に入らねばならないの」という心情が彼らの基本であることを警察は理解していない。
※週刊ポスト2012年11月9日号 -
「阿修羅」経由で知った「産経ビズ」の記事である。
筆者の榊原英資は「ミスター円」と呼ばれた経済官僚であったが、退職後、いくつかの有名私立大の教授を歴任している。
私は官僚も大学の経済学部教授も嫌いだが、下の記事で榊原が言っていることは、私が常々言っていることと同じなので、思わぬ援軍を得た思いだ。
官僚が嫌い、と言っても、官僚のすべてが悪党だとは思わない。頭もいいし、知識もあるし、事務能力は抜群なのが官僚だろう。ただ、人格は社会的地位や身分と一致しない、というだけのことだ。昔は、人格の低い人間を「小人」、人格の優れた人間を「大人」と呼んで、小人は高い地位には就けないという心得が政治の中にあったが、現在は小人ほど高い地位に昇る、というのが相場である。民間でも、東電など、一種の官僚製(「官僚制」ではない)会社だから、その一例である。
ついでだが、私が「官僚」と言う場合は「役人・公務員」の意味ではなく、「上級公務員・政策決定に関与するレベルの上級役人」の意味である。そういう意味で「官僚」という言葉を使う人は多いはずだが、辞書では「官僚=役人」とされている。これは不便なので、ぜひ「官僚」は一般公務員とは別、とする習慣が広まってほしい。「幕僚」などのように、もともと「僚」の字には「少数の人間」「(結社的な)仲間」のニュアンスがあり、一般公務員を「官僚」と呼ぶのは不自然だろう。
下記記事についての解説は、「その通り」で終わりである。
問題は、「鎖国」の後のプログラムをどうするかであり、それについては、私はこれからの日本は「第一次産業」を志向するべきだと常々提言している。そうしなくては、今後一層加速化する膨大な「失業予備軍」に対処できず、また日本の第一次産業が今のままでは「鎖国」も難しいからだ。
何度も言うが、日本にはすでに十分以上の住宅がある。国民全員に無料提供できるくらいある。後は、食糧供給ができれば、それで生存に必要な最低限のものはあるわけだ。
要するに、「材料はすべてある。後は、どう配分するか」だけなのだ。政治のやるべき仕事とは「配分」だけだ、というのも私が何度も言ってきたことだ。
(以下引用)
【論風】青山学院大学教授・榊原英資 鎖国シンドローム
2012.10.18 05:00
■「成長」から「成熟」への転換
日本が再び鎖国の局面に入る、あるいは入るべきだ、などというと驚く人たちが少なくないだろう。もちろん、江戸時代的鎖国が訪れる可能性を論じているのではない。グローバリゼーション一辺倒から離れて、日本という国をしっかりと見つめ直す時だという意味での鎖国である。
◆崩れた米金融システム
実は、日本は歴史上「開国」の時期と「鎖国」の時期を交互に経験してきた。第1の鎖国の時期は遣唐使廃止から平治の乱までの平安時代(9世紀末から12世紀)、第2の時期は元寇以降、日明貿易再開まで(13世紀~14世紀半ば)、そして江戸時代の鎖国。また、日露戦争から第二次世界大戦までも、ある種の鎖国の時期だったといえるのだろう。
鎖国の時代は、開国の時代に取り入れた外来文化を「日本化」し、「和漢折衷」「和洋折衷」の日本独自の文化を作り出していった時代である。平安時代、江戸時代などはその典型だったといえるだろう。日露戦争から第二次世界大戦に至る時代も、ロシアという大国に勝利した日本が、明治維新後の「欧化」から、新たな「日本化」を目指した時代ともいえるだろう。残念なことに、この日本化は第二次世界大戦の敗北という結果に終わってしまったが…。
第二次世界大戦からごく最近までは、アメリカ化の時代、つまり開国の時代だったということができる。自動車、スーパーマーケット、ハリウッド映画などが導入され、日本に定着していった時期であった。そして、アメリカ化の時代はグローバリゼーションの時代に重なっていく。アメリカだけではなく、中国やインドなどの新興市場国に進出し、業務をグローバル化することが多くの企業にとって主要な戦略の一つになっていったのである。
グローバル化は金融によって先導された側面が強かったようである。製造業と違って、モノの移動を伴わないので、グローバル化がより迅速かつ広範にできたからである。しかし、金融に先導されたグローバリゼーションはリーマン・ショックと呼ばれたアメリカの金融システムの崩壊によって“終わりの始まり”を迎えることになる。
1990年代半ばからアメリカの金融資産は、グローバリゼーションを背景に100兆ドルも増加したのであるが、結局、それが金融バブルを生み、バブルはアメリカの住宅価格が下降に転ずると破裂し、アメリカの金融システムは崩れていってしまったのである。この間、住宅価格もダウ平均株価も3倍以上に上昇したが、結局、バブルの一局面に過ぎなかったのである。また、市場化が急速に進む中で格差が拡大し、ウォール街での格差反対の「99対1」のデモを生むことになってしまったのである。
◆「日本化」の時代に
こうした中で各国とも悪化した財政を立て直し、国内経済に専心し自国経済の再建を図らざるを得なくなってきたのである。金融緩和を続ける中で何とか財政を再建することが、多くの国で最大の課題になってきた。つまり、内向きの経済の立て直し、金融緩和、為替の切り下げを各国とも選択せざるを得なくなったのである。
日本もまた、グローバリゼーションからの転換の時期に入ってきた。格差の拡大をどう食い止めるか、世界経済が縮小する中で日本の良さをどう維持していくか。日本の比較優位は一体何なのかを認識し、それを生かすことが必要になってきた。
つまり、「鎖国化」、あるいは「日本化」の時代に入ったのである。おそらく目指すべきは、平安時代、江戸時代のような「成熟経済」であり、「成熟社会」だろう。開国から鎖国へ、成長から成熟への転換が日本の課題になってきたのである。
◇
【プロフィル】榊原英資
さかきばら・えいすけ 東大経卒、1965年大蔵省(現財務省)入省。ミシガン大学に留学し経済学博士号取得。財政金融研究所所長、国際金融局長を経て97年に財務官就任。99年に退官、慶大教授に転じ、2006年早大教授、10年4月から現職。神奈川県出身。 -
遅ればせながら、「神州の泉」氏が「人権委員会設置法案」の危険性を訴えた記事を転載し、拡散に協力する。
たとえ今、法案が通っても、政権が倒れれば、まだ何とかなる可能性はあるだろうし、現政権が次の選挙で倒れるのは「2万%」確実だろう。(いったい、いつ頃からこの「2万%」という言葉が出てきたのか。私の知る限りでは橋下が大阪府知事選に出るかどうか聞かれて、「2万%ありえない」と言ったそのすぐ後に出馬表明をした時である。それ以来私は「2万%確実」をジョークとして使っている。)
だが、現民主党政権が倒れても、その次が「民主・自民・公明・維新・みんな・石原」連立政権になる可能性が「2億%」確実な気がするのが、何とも憂鬱である。
(以下引用)
2012年10月26日 (金)
あと3日後、29日(月)に、恐怖の『人権委員会設置法案』が出される
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(画像はパロディディスト、マッド・アマノ氏の作品)
副題:石原新党結成表明は二つの重要な事柄を隠蔽
石原慎太郎氏は25日、都知事辞任と新党結成の表明を宣言し、大々的にマスコミを動員させて永田町と国民の耳目を独占した。来たるべき総選挙をにらみ、著名な政治家のこういう動きはタイミング的に重要な意味を持つことが多い。石原慎太郎氏氏は「太陽の季節」を書いた作家でもあり、映画界のトップスターだった石原裕次郎の兄であること、長年東京都知事をやってきたことなどから、非常に注目を浴びやすい属性がある。
この人物が新党結成を表明すれば、当然、しばらくはその話題がマスコミを占める。神州の泉はこの発表のタイミングに、二つの重要な事柄が煙幕で覆われていることを指摘したい。一つは25日、小沢一郎氏が、新党「国民の生活が第一」の結党記念パーティーを都内のホテルで開いたが、これをニュースとして潰している。小沢氏はこの席で、「3年前に民主党は消費税増税を約束していません。現政権は、国民との約束を放棄し、消費大増税に向かって走っている。国民への背信行為となる。そのようなことは認められない。国民との約束を守るために新党を作った。消費増税を凍結しなければならない」と、"国民の生活を第一"に考えて行動するという結党精神を表明した。
石原慎太郎氏の結党表明は、小沢新党の結党記念パーティのニュースを隠したが、これは石原氏が小沢一郎氏を嫌悪しているからというレベルにはない。明らかに国際金融マフィアの意志が絡んでいる。実はもう一つ最大級の重要なニュースを隠している。それは神州の泉が前回エントリーで指摘した、あと3日後に差し迫る、29日の臨時国会召集で「人権委員会設置法案」の提出が予定されているという、非常に重要な事実である。このことは滝元法相が再び法務大臣に任命されたことに当たり、当人がぼそっと語ったものである。
「人権委員会」の設置という、既存の捜査体制から独立した思想警察が、強力な捜査権限を持ち、「米官業政電」コングロマリットに都合の悪い言論を行う有識者や一般人を、片っ端から「人権侵害」の罪で「パクる」ことが可能になる。これまで有識者だけを狙い撃ちした「国策捜査」を、裾野の広い一般人にも拡張することになる。これは小泉政権時代から何度も上程され、危険視されて廃案となっている、あの忌まわしい「人権擁護法案」の焼き直しであるが、ゾンビのように何度も出てきている。政府は9月19日にどさくさに紛れてこの法案を閣議決定し、あとは本会議に提出するだけという状況になっている。
あと三日後に迫る29日の臨時国会招集で、政府は表向きは赤字国債発行に必要な特例公債法案について成立を目指していて、自民党の安倍晋三総裁はこの審議に応じる意向を述べている。しかし、神州の泉が重大な懸念を表明するのは、この表の審議懸案の陰で、「人権委員会設置法案」の提出が目論まれていることにある。
29日の臨時国会召集で、野田政権がアメリカの対日戦略部隊に強制されている言論弾圧法案の一つ、人権救済機関「人権委員会設置法案」の成立を最大の目標にしていることは明らかだ。このために国際金融マフィアの走狗と化している石原慎太郎氏が、あと数日に迫るこのタイミングを見計らって、この言論弾圧法案の存在を目くらまししていると見るのは決して荒唐無稽ではない。
今回予定される「人権委員会設置法案」は「人権侵害救済法案」「人権擁護法案」「人権救済機関設置法案」などと、カメレオンのように名称を姑息に変えてはいるが、小泉政権時代に死神のように出てきた『人権擁護法案』の焼き直しである。これは在日朝鮮人や被差別部落民の差別カテゴリーをはるかに超えていて、ゲシュタポのような独立組織に人権侵害の定義を裁量的に任せてしまうというものである。「可罰的違法性理論」の逆転的な応用である。これほど野蛮で有効な言論統制の手段もないだろう。これが成立すれば、国民は政治に対しては、もちろんのこと、憲法で保障されるあらゆる言論の自由が消えることになる。非常に恐ろしい法案であるから、絶対に阻止する必要がある。政治家にこの危惧を伝え、ネットで拡散して欲しい。あと三日しかない。 -
「マスコミに載らない海外記事」サイトにはいつもお世話になっているが、管理人氏のコメントまで引用することは少なかった。そのコメントもいいのだが、「主役」の翻訳記事の紹介だけでも手いっぱい、という感じだったからだ。もちろん、私のブログなどを読むよりも「マスコミに載らない海外記事」を直接読むほうがずっと役に立つ。私のブログは、「さわりの紹介」程度だ。
米国の次期大統領候補はオバマもロムニーもTPPを「中国封じ込め戦略」として位置付けている、という記事に付加された管理人コメントが下記記事である。TPP問題をも含めて、現在の日本の状況をいくらかは戯画化しつつも、悲憤慷慨している文章だ。現在の日本を概観するのに恰好の内容なので紹介する。
蛇足を少し。
オーウェルの『1984(1984年)』は、実は私は通読したことがない。大学の教養学部時代に、英語の課題図書となっていたのだが、最初の「ニュー・スピーク」という「二重言語」の話のあたりでもはや意味不明であった。当時、翻訳が出ていたかどうかは知らないが、その後買った翻訳本も、読みづらくて、最初のあたりで投げだしている。私がよく「1984的状況」と言うのは、映画などで知っている内容からの理解によるものだ。ジョン・ハート主演の映画も、観るのに努力は要したが、まあ、2時間程度の我慢であり、文章を読むのとは違って自分の頭で考えなくてもいい。受容者側がそういうようになっている事自体が「1984的」ではあるのだが。
『動物農場』はごく短い寓話的小説であり、こちらは読み通したし、アニメになったものも見た。これはあらゆる人が読むべき「政治テキスト」だろう。政治と権力がどういうものか、ありありと教えてくれる。
さて、下記記事の中で、最近ミャンマーがやたらともてはやされている事に対して管理人氏が疑念を表明しているが、私もだいぶ前に同じことを言っている。
ミャンマーの突然の民主化と同国への投資ブームは、いわば政治における「電通的操作」である、というのが私の推測である。発電所などの社会的インフラがまったく整備されていない貧国に、人件費が安いというだけで我も我もと投資する、というのは、日本の企業の場合は要するに「みんな同じようにしたのだから失敗しても誰も責任など取らなくていい」という思惑によるものだろう。これが日本の「大企業病」だ。その一方で、国内では毎年のように大量の首切りが行われているのだが。
さて、話が長くなったので、ここまでとする。
(以下引用)
大本営広報機関、TPPの実態については完全報道管制体制のまま、ひたすら盲信を強いる推進論だけを書く。「大統領選の論戦は素晴らしい」などというとんでもないたわごとは言うが、大統領選の中で、彼らがTPPに触れる発言など決して紹介しない。
大本営広報機関世界では宗主国は永遠に親切なオトモダチだ。
老害茶番イベント、豪腕氏の新党発足記念集会報道潰しも兼ねた。
おりしも、ジャパン・ハンドラー幹部も宗主国経済新聞やドジョウ大学に招かれ、中国との戦法指南に来日中。
宗主国の中心ヘリテージ財団で、宗主国の敵国への一種の戦争布告を叫ぶ無謀な茶番を演じる土地爺にピッタリの皆様による掩護射撃の中での発表だった。
大阪異神氏と大手新聞の茶番、「人権委員会設置法案」の序曲だったという「神州の泉」ブログ記事を拝読して納得。手のこんだ悪辣な策略ばかり。そういう方向には大本営広報機関全力を尽くす。
3日後、29日(月)に、恐怖の『人権委員会設置法案』が出される
『低線量放射能被曝』を購入して、支払する際、カウンターに「元土地爺全集刊行」というビラがあるのが目に入った。産経刊。こういう本が売れる文明国。
9/25講談社刊の副知事本が棚の目立つ所にあった。実に手回しのよろしいことだ。出版社も書店も。
駅のキオスクには、タブロイド新聞の、後継は「あの女史」という見出し。あるいは、尖閣紛争を煽る見出し。
一男さってまた一難。
30年ほど遅れはあれど、オーウェル『1984年』世界に入ってしまったようだ。
自民党・公明党政権から民主党政権に変わっても、オーウェルの『動物農場』の世界にしかならないという「妄想」を何度も繰り返してきたことをお読みの方はお気づきだろう。
数日前、知人に『動物農場』を差し上げたところ、彼の言うのに「支配層は、こういうことを、予告しているのですね」と。彼の意見が真実かどうか別として、オーウェルの『動物農場』にしかならないという発想、妄想であったら、どれほど嬉しかろう。
土地爺による奮闘努力のかいあって、中国に工場を作った企業が、急遽ミャンマー(ビルマ)に移動するための視察を始めたと大本営テレビが報じている。あの国もなんともうまいタイミングに宗主国と仲良くなったものだ。
そう。ジョージ・オーウェルは『ビルマの日々』という本も書いている。
次回の選挙で、民主党から、自民・公明・民主の連立なり、タチヤガレ「大惨極」も含めた連立なりに変わっても、オーウェル『動物農場』世界が一層ひどくなるだけ。
首の皮一枚で、何とか国家のような形をとっていた日本、完全属国に成りかわる。オルダス・ハクスレー『素晴らしき新世界』の始まり。
そして、ブラッドベリー『華氏451』の。
大々的に宣伝中の宗主国ネット書店電子本しか買えない時代がくるのだろうか? -
主引用(引用2)は「現代ビジネス」から転載。
本物の500円玉には、「500」の字の「0」の中に、さらに「500円」の字が縦に入っているので、ご自分の所持しているものを確かめるのもいいだろう。だが、知ったところで、どうしようもない。
偽貨幣(偽札、偽コイン)というものは、「受け取った段階で終わり」なのである。それが偽貨幣であると知っていて使うのはもちろん犯罪だが、知らずに使っても、せいぜいが情状酌量になるだけで、所持している金を本物と代えて貰えるわけではない。というように私は理解している。なぜならば、偽貨幣を本物と代えて貰えるならば、偽貨幣を作った本人が、そのまま本物と交換する、ということが可能になるからだ。もちろん、これは原理的に言って、ということだ。実際には、大量の偽貨幣を警察に持ち込めば、本人が製造犯だと推測されるのはもちろんだ。まあ、警察の対応は、「現場判断で適当に」というのが現実だろう。
毎度言うが、私の書くことは、「合理的推論」によるものであり、べつに事実を調べることなどしていないので、まずはご自分で確認することだ。
ちなみに、「ヤフー知恵袋」での「偽札を受け取ったらどうすればいい?」という質問への回答は次のようなものだが、見解が矛盾しており、法的根拠や警察や銀行の見解も曖昧である。
要するに、「ババ抜きゲーム」と同じことで、「最後に持っている人が負け」であるようだ。
(以下「ヤフー知恵袋」より引用)
tokyo_bonさん
偽札を受け取った場合は、直ちに最寄りの警察に届けましょう。
ただ、最近の偽札は精巧なので、見破れないものも多数あります。
知らずに使って偽札を指摘されると罪には問われませんが、例え受け取った偽札でも「偽札」であることを
知って使えば、収得後知情行使等罪(刑法152条)の罪に問われます。
それでは、受け取った人は損かと言えば、そうではありません。
現在は、警察で便宜的に真券(本物)と引き替えてくれます。
警察では、個人の場合は、情報提供のお礼として偽物と同額を支払っているようです。
(銀行などの金融機関は、お金のプロなので偽物を知らずに受け取った場合、警察からのお礼はありません)
ただし、偽造した本人には払われません。
また、現在は、事実上交換してもらえますが、この制度が未来に渡ってあるとも言えません。
• 回答日時:2008/5/23 23:01:55
oakreyewingさん
損になります。警察に押収されますので
交換は絶対にしてくれません
偽札と気付いてから使っても犯罪です
• 回答日時:2008/5/23 22:15:51
traveller0819さん
もし、気づいたら警察に届けたほうがベター。自分が気づかず、相手も気づかなければ、使ってしまっても特に問題になりませんが、もし、使うときに、偽札であることを知っていたら、罪になります。
偽札の補填は、原因を突き止められれば、可能ですが、実際のところ可能性は0に近いと思います。
(引用2「現代ビジネス」から転載)
ホンモノには〝超精巧な細工〟が施されているのだが東海地方で被害拡大!「偽500円硬貨」が大量流通
2012年08月14日(火)フライデー
経済の死角
[写真略]
(左)本物の500円玉。「00」の内側には、「500円」の文字が浮かび上がる。反射光の明暗の加減によって見え隠れする
(右)精巧に作られた偽物の500円玉。本物と比べると「500円」の隠し文字もなく、縁に入ったギザギザ模様も薄い
偽造通貨対策の第一人者・遠藤氏。磁気、紫外線、赤外線など、複数の解析を同時に行う識別機の開発も手がけている
「これは偽造された500円硬貨です」
日本銀行の職員は、コインをまじまじと見た後に、こう断定したという。
今年の5月下旬、右上の写真の偽500円玉が、名古屋市内に事務所を構えるある警備会社から大量に発見された。この警備会社は、すり減り傷ついた貨幣の交換業務も行っているが、日銀名古屋支店へ500円玉を持ち込んだところ、偽造通貨として受け付けられなかったのだ。
「スーパーに設置されている銀行ATMから集金した際に、回収してしまったんだと思います。偽500円硬貨と発覚した後に警察に相談したところ、捜査資料として押収されました」(警備会社職員)
この件はほんの一例だ。'10年頃から、東海地方で偽500円玉の被害が広がりを見せている。非常に精巧に作られた偽500円玉が、ATMやコインパーキングなどから次々と発見されているのだ。しかし、精巧といっても本物とは明らかに異なる。この偽500円玉には造幣局が公開する、本来の次の4つの特徴がないのだ。
・〈潜像加工〉斜めに傾けてのぞくと、「0」の中に『500円』という文字が現れる。
・〈縁のギザギザ〉硬貨の縁には、再現の難しい、斜線が刻んである。
・〈表面の微細点〉表の桐の絵の中に、微細な穴加工が施されている。
・〈表面の微細線〉『日本国』『五百円』の文字の周りに、線模様が施されている。
また、造幣局は公表していないが、前ページ中段で紹介した「NIPPON」という極小文字も随所に隠されている。
これだけの差違がありながら、なぜ偽500円玉は蔓延するのか。偽造通貨対策研究所所長の遠藤智彦氏が解説する。
「今回、見つかっているのは『平成18年』('06年)の年号のものです。本物とほとんど成分も変わらず、直径・厚み・重さ・電気抵抗しか判別しない簡易な識別機では、見破ることができないんです」
このような精緻な偽500円玉は、どこで造られたのだろうか。遠藤氏が続ける。
「'11年に出回ったディズニーランドの偽チケットがヒントになるかもしれません。チケットなどは、裏面に譲渡禁止などの規約がびっしりと書き込まれています。しかし、この偽チケットには、所々日本と中国の漢字が混じっていました。おそらく韓国か中国製ではないでしょうか。偽チケットと偽500円硬貨の流通は同時期の東海に集中しています。収入印紙の偽造を行っていた暴力団が静岡に数年前までありましたが、その組の残党が仲介役となり、海外からの偽造通貨などを一手に引き受けているのではと推察しています」
後を絶たない通貨の偽造。この事態について、貨幣の製造枚数などを定める財務省理財局国庫課広報に尋ねたが「コメントできない」との返答だった。
通貨偽造はもちろん犯罪だが、知っていて使用した場合も、偽造通貨行使の罪(無期又は3年以上の懲役)に問われてしまう。偽造組織の根絶に向けて、早急な対策が必要である。
「フライデー」2012年8月17日号より -
「新リストラなう日記 たぬきちの首」というブログから転載。
私自身はタブレット(って何か、実は今一つ理解できていない。モバイルとは別か? もっとも、モバイルの理解もあやふやで、「携帯用小型パソコン」と思っている。タブレットというのは要するに「キーボード無しで、視聴用に限定された電子端末機」くらいのものだろうか。まあ、調べる気もないが)にはほとんど興味が無いし、出先に電子書籍用端末機を持ち運ぶなど、ご苦労なことだ、としか思わないのだが、これからの出版物の運命には少し興味がある。
紙媒体の出版物が今後衰退していく運命にあることは確かだと思うが、では紙の書籍が不要になるか、というと、私はそうは思わない。持ち運びの利便性だけで言っても、文庫本に勝るものは無い。
さらに、下記記事にあるように、電子書籍と紙の書籍を読む場合では頭の働き方自体が違う、という人は多いだろう。電子書籍では「検索」する感じで読むから、どうしても速読になる。目が疲れるので長く画面を見ていたくないから、情報だけを得れば終わり、という読書になるのだ。それが習慣化すると、紙の書籍に対しても同じ読み方しかできなくなる。
ただ、その結果、「情報処理能力」は速くなるのは確かだろう。知識量も増える。だが、教養にはならない読書だと思われる。(「知識=教養」ではない。教養とは人格の一部となった、血肉化した知識のことだ。)
私が大学(中退したが)に通っていた頃、同級生に、ハードカバーの「バイロン詩集」をいつも持ち歩いている気障な男がいたが、小脇に抱えるのが電子端末機ではあまりロマンチックではなさそうだ。そういう小道具としての本の意義もある。
下記記事の中には電子出版の今後の方向についてのいいヒントがある。それは、「読者数の少ない貴重な本を電子化しておき、需要に応じてデータを売り、あるいは即座に製本化する」ということだ。政治的社会的事情で絶版になった「風流夢譚」など、確かに電子書籍化すれば、非常に有益だろう。あるいは、膨大な長さの古典など、電子化してもらったほうがいい。古典などは辞書や索引付きであればもっといい。
紙の本には紙の本の良さがあり、電子書籍には電子書籍の良さがある。問題は、現代社会では皆が皆、「右へ倣え」になるから、紙の本が消えるのではないか、と危惧されることだ。
蛇足だが、リゾート地で優雅に読書をしている白人(シンガポールの話だが、多分そうだろう)有閑階級の読んでいる本が、すべて「ダ・ビンチ・コード」であった、というのはむしろ喜劇的である。あの連中の頭など、しょせんその程度なのだ。いや、「ダ・ビンチ・コード」が問題なのではなく、ベストセラーしか読まない、という人間を私は無教養な野蛮人だ、と言っているのである。
(以下引用)
2012-10-26
Kindleが上陸したけれど、本当に私たちを幸福にしてくれる電子書籍に気づいている人はやっぱり少ない
◆Amazon、日本版Kindle発売
Kindleの日本版ハードウェアが発売になった、ということだが、「どれを買おうか」と浮かれてる人が多いのを奇妙に思う。
どれ一つ、買う必要なんかないじゃん?
みんなスマホ持ってんじゃん。タブレット持ってる人も多いでしょ。iOSにもAndroidにも、Kindleアプリがあって、昨日日本語対応の新バージョンが出たんだから。これならタダだ。
どのデバイスで読んでも、「何を読んでるか」「どこまで読んだか」「書き込み」などがクラウドで同期されるので、トイレでiPhoneで読み、机でiPadで読み、公園でKindle PaperWhiteで読んでも、シームレスに「前回の続き」から読書を再開できる。Kindleが優れているのはこういうことであって、各々のデバイスは陳腐な機械だ。
この秋、どうしても何か新しいハードを買いたいってんなら、Kindle PaperWhiteがいいんじゃないかな。直射日光の下で快適に読めるのはE-inkだから。戸外で使うのが前提ですから、ケチらずに3G版を買うんですよ。
外国のリゾートに行って驚くのは、プールサイドの客がみんな読書をしていることだ。何年も前だけど、シンガポールのホテルのプールでは、ビーチベッドの客全員が『ダ・ビンチ・コード』を読んでいた。その時は近距離飛行機のパイロットまでが飛行中に『ダ・ビンチ・コード』の軽装版を読んでた。運転中にそんなん読むなコラ!と言いたかったが英語ができないので黙っといた。
それが、今じゃみんなKindleに置き換わったのだ。
Kindle Fireとかは意味がないと思う。液晶のデバイスなら他に優れたものがいっぱいあるし、そもそも縦横比16対10の画面では、1頁の表示がぴったり来ない。マンガを左右いっぱいに表示させると、天地が余る。つまり実質的には「画面が小さい」。
どうしても液晶画面で読みたいなら、縦横比4対3のiPadかiPad mini以外に選択肢はなかろう。
僕? 僕はとくに新しいものは買わない。それよかKindleは字間・行間を自由に変更できるようになってほしいよ。外人は、日本語フォント(かな)がプロポーショナルだってことまだ気づいてないから、いまいち読みにくいものしか開発してくれない。たぶんこの辺に気づいて真っ先に対応してくるのは、AppleのiBooksではなかろうか。
◆電子書籍の本懐とは
本命・Amazonがやって来たので、ついに日本でも電子書籍が本格化する、らしい。
もうずいぶん「電子書籍元年」が続いたから、そろそろ翌年になってもいいよね。Amazonのこと「出る出る詐欺」って言ってた人もいたね。
一方で、koboのために用意した電子書籍タイトル数が水増しじゃないかと楽天が消費者庁から怒られた、という話。前から「koboのやり方は見苦しいなあ」と思ってた。買ったのにうまく使えない、とかで困ってた人は、このニュースに溜飲を下げたんじゃないか。
koboのやり方はいくつかの点で間違っている。
一つは、Amazonと同じ方向に走ろうとしたこと。勝てるわけないのに。
もう一つは、koboのサービス(専用webサイトとか、端末での)は検索機能がすごく弱いこと。ここだけが電子書店の命なのに。
いたずらにタイトル数を増やそう(水増ししよう)としたことは本質的な間違いではなく、楽天が電子書籍をどう捉えているか根本的なところでの間違いから派生したものにすぎない、と思う。
いずれにせよ、このままならkoboはAmazonのKindleによってあっという間に食われ、消えてしまう。楽天がkobo事業から撤退するとしたら、これまでkoboで購入した電子書籍を、別のデバイスで読めるよう保障してくれないだろう。すでにそういう前科(「Raboo」)があるし。山岡荘八『徳川家康』全二十六巻 とか、横山光輝『三国志』全三十巻 、とかはkoboでは買わないほうがよい(売ってないか?!)。
もしkoboが生き残れるとしたら、棋譜を配信するとか、野球のスコアを配信するとか、毎朝釣り情報を配信するとか、なんかものすごくニッチな市場を押さえるしかないんじゃないか。野球のスコアなんてニーズが今あるかどうか知らんが。野村スコープ付きだったらちょっと面白いかも、なんてね。
日本の電子書籍は、Amazonの参入(というか到来、だな)でやっと本格化する。しかし、Amazonのやり方も現段階ではイマイチだ。
Kindleには、大手出版社が数多、書籍を出している。紙の新刊との同時発売も多い。
でもそんなのは、電子書籍の意義としては低い。
新刊は、電子で読む必要はない。紙で読むのが読者・書店・出版社・著者、誰にとっても一番良い。電子が売れてもAmazonが喜ぶだけだ。
電子書籍で読まれるべきは、紙ではもう手に入らない本なのだ。
中上健次『枯木灘』 、フランク・ハーバート『デューン砂の惑星』 、『近世神奈川の被差別部落』 といった本が、いつでも、自由に読めるようになるのが電子書籍の最大のメリットであり、理想なのだ。
あ、『枯木灘』は河出文庫 で手に入るか。ごめん。
Amazonがすごいのは、すべての和書のページに「Kindle化リクエスト」のボタンを設置していることだ。抜け目がない。みんな、稀覯本のページではガンガンこのボタンを押してください。
残念ながら、楽天のkoboには、こうした視点はなかったね。余裕がない、思想がない、喜びがない事業だった。
◆日本で一番、電子書籍のことを理解している出版社
AmazonのKindleには、それまでkoboなどに参入していなかった出版社も多数参集している。僕が前に働いていた会社も、ベストセラーの警察小説を目玉として投入したようだ。
でも、何度も言うけど、いま現在、書店で手に入れることができる本を、電子書籍で買って読むことに意味はない。価値がない。メリットがない。
メリットは、電子書籍はかさばらない、というだけだ。電気がなければ昼でも読めないし(反原発で「たかが電気」と言った人がいましたねー)、ページをサッとめくれないし、楽天Rabooみたいにサービス停止されたら昔の本を読み返すこともできなくなる。Amazonのサーバだって万が一、停まらないって保障はない。
紙の本なら、日に焼けて褪色しても、読める。虫に食われたところは穴があくけど、それでも読める。濡れても、読める(防水の電子書籍デバイスはまだないよね)。
作る立場に成り代わって考えても、紙の本のほうがメリットだらけだ。著者は、まとまった印税を受け取れる。書店はリアル物販ができる(多くの雇用を生む、優れた産業である。電子書籍は雇用を減らすので、産業としては望ましくない)。出版社は…在庫を持たねばならないのでちょっとしんどいけど、利益率が一番高いのは紙の本だ。また、写真などの表現力もいまのところ紙が勝っている。
こんなことは、出版社の人ならみーんな気づいているはずだ。
なのに、どこの会社も足並み揃えて、新刊をKindle向けに投入してくる。
バカじゃなかろうか。
失礼、口が滑りました。でも、よそと同じことをやるって、つまらなくないですか? 出版社の中の人さん。
たとえば、電子書籍にいちばんふさわしいのは、こういう本だろう。みんながタイトルを知ってるけれど、誰一人読んだことがない、といった本。
この本を出している志木電子書籍という出版社は、小さいけど、どんな電子書籍が読者を幸福にするか、という哲学をもって活動している会社だ。
たとえば、この会社が深沢七郎『風流夢譚』をKindle向けに出して(きっと近々出してくれると思うが)、もしそれがKindle日本語タイトルのベストセラーリストに食い込んだら、面白いと思わないか? 痛快じゃないか?
世間の大きな出版社で、「どんな本を出したら世界の幸福が増えるだろう」と考えてるところは、どれくらいあるだろうか。電子書籍に限ってでもいい、Amazonのジェフ・ベゾスと「われわれの電子書籍というミッション」について互角に議論できる出版人はどれほどいるだろうか。
とりあえず、日本聖書協会は新共同訳(でなくてもいいが)をKindle向けに出してほしい。聖書マンガアプリじゃなくってね。
個人的には、曹洞宗に『普勧坐禅儀』を出してもらいたい。『正法眼蔵』も出してほしいなー。
◆追記。透過光での読書について
ちょっと追記しておきたい。液晶などの光を発するデバイスで読書するのと、紙やE-inkなど反射光で読書するのとでは、どうも脳の働く部位が異なるようだ(こういう論は前からあるらしいし、近年実感する人が増えてるんじゃないかな)。
目が疲れる、疲れない、というのは気のせいとか馴れの問題で済むと思う。しかし、脳の働き方が違うというのはけっこう問題だ。透過光で読むと批判的に読めない、情動がまさってしまう、というのでは、たとえば荒唐無稽なオカルトが電子書籍の時代に息を吹き返すかもしれないね。
「ゲーム脳の恐怖」があるなら、「スマホ脳」だってあるんじゃないか。と思いませんか(笑)。 -
「you are screwed」というサイトから転載。元記事の大部分は「オルタナティブ通信」のようだ。
FRBについての知識がある人には今さら、という記事だろうが、こういう記事は定期的に掲載して「日の目を見せる」必要がある。「阿修羅」の古い記事の中でも何度も書かれた類の記事だが、「阿修羅」の読者層もだいぶ変わっただろうから、こういう現代の「歴史」を知らない人もいるはずだ。
(以下引用)
FRBという富の搾取システム(1)
「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。」マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド=画像
1815年、ロスチャイルド家はイングランド銀行を支配下に置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めた。1913年には米国にFRB(米連邦準備理事会)を設立し、米国の通貨発行権と管理権を手中に収めている。FRBの株主は、1社を除きすべてロスチャイルド系である。
21世紀初頭、ロスチャイルド家が中央銀行の所有権を持っていない国は、全世界でアフガニスタン、イラク、イラン、北朝鮮、スーダン、キューバ、リビアの七ヵ国だけだった。小ブッシュの「悪の枢軸国」発言の真意が分かるね。
FRBという富の搾取システム
1.米国政府・財務省が国債を発行する一方、FRBはそれを購入できるドル紙幣を印刷する(昔はまがりなりにも金本位制という足カセがあったが、今は印刷する量を制限するものは何もなし)。
2.1により無から負債が創造される。FRBの株主たちはこの無から創造された負債の利息をおいしく頂く。したがって、米国が莫大な債務を抱えていたほうが「おいしい」。
3.しかもFRBは特権的に法人税が免除されている。めちゃくちゃである。
4.1992年度の時点での試算では、米国国民の税金のなんと40%が、FRBの株主たちの懐に入っているという。
http://www.anti-rothschild.net/main/04.html
●銀行という名の搾取システム
http://alternativereport.seesaa.net/article/30999029.html
● オルタナティブ通信
(引用)
米国の法律では、ドル紙幣は財務省が発行する事になっている。しかし実際には中央銀行FRBが紙幣を印刷し発行している。これは違法行為であり、現在世界に出回っているドル紙幣は、この違法行為により発行された無効な無価値な紙幣である。世界の経済はこの虚構の上に成り立っている。
FRBは公的機関ではない。株式会社であり、営利企業である。最大の利益を求めて金儲けのためなら何でもする営利機関である。
FRBは紙幣を印刷する。 実際には印刷所が印刷するのでFRBは何もしていない。FRBはドル紙幣をアメリカ政府に「レンタル」する。ドル紙幣には数%のレンタル料金が課されている。
現在世界中がドル紙幣で商売をし、取引をしているが、世界のあらゆる取引きにFRBが「課税」し、数%を「ピンハネ」している事になる。
しかもこの 「課税」は米国政府の収入にはならず、FRBの経営者個人の懐に転がり込む。世界経済の数%、それは数百兆かそれ以上の莫大な金額であり、世界中の人間が働いて生み出した「富」の一部である。
・・印刷所がドルを印刷しFRBは何もしていない、しかも違法行為であるにも関わらず、世界の富の一部が違法にFRBによって略奪されている。
もしも法律の決める通り財務省が紙幣を発行すれば、この莫大なレンタル料金を支払う必要はない。しかしドル紙幣は何故か違法にもFRBが発行している。
この世界中の人間達から「奪われた」莫大な資金は、FRBの株主、つまりブッシュのハリマン銀行、J・P・モルガン銀行、リーマン・ブラザース銀行等の懐に転がり込む。これ等の銀行は「何もしていない」にも関わらず。
本来、公的機関であるべき中央銀行を多国籍企業が自分達の利益のために「乗っ取り、あやつり人形」としている。株式会社である日銀も事態は類似である。日銀の株式の過半はロスチャイルドが所有している。
(引用終わり) -
石原慎太郎の都知事辞任、新党立ち上げについては、論評する価値もない、として無視するつもりだったが、「人力でGO」というブログに適切な論評が出ていたので、それを借用して私自身の意見に代えておく。
ただし、福島原発事故についてのスタンスは、私は筆者とは異なるので「福島の放射線は、人の命を奪いませんが」という部分は「人の命をただちには(©枝野)奪いませんが」と解釈してほしい。本当は、もう何十人も死んでいるのだが、それらの死者たちの存在は闇に葬られているようだ。
なお、記事タイトルの「石原(人間の屑)慎太郎」の「人間の屑」は、私が命名したミドルネームであるが、ナカグロ(・)では分かりにくいのでカッコに入れた。もちろん、下記記事タイトル中の「石原(売国)都知事」でも可。
国政進出の理由は、本人によれば「最後のご奉公」だそうだ。誰への「ご奉公」かは決まっている。国家ではなく、ユダ金、ジャパンハンドラーズへのご奉公である。そもそも彼は国家に甚大な害を与えこそすれ、奉公などしたことは一度も無い。
(以下引用)
■ 石原(売国)都知事が新党を立ち上げて国政に復帰! ■
昨日、突然、石原東京都知事が都知事を辞任しました。
新党を立ち上げて、国政に打って出ると宣言しました。
私はTBSのネットニュースでTVニュースを見ているのですが、
TBSの報道は、石原氏の勇ましさを強調していました。
「中国・韓国と対決する為に、石原都知事が立ち上がる!!」的な報道です。
しかし、真相は、自民党総裁選で石原伸晃氏が敗れたので、
石原氏が国政に出ざるを得なくなった・・・そんな感じがします。
「若い奴がしっかりしないから・・」って、
「オレに息子が不甲斐ないから」と言い換えた方が良くないですか?
さらに、橋本大阪市長の支持率の低下も影響しているでしょう。
石原氏は、アメリカのジャパンハンドラー達の指示に従って、
東アジアの緊張状態を散々煽ってゆくことでしょう。
■ 悲しいかな、国賊石原を支持する国民 ■
現在の日本の不景気に拍車を掛けているのは中韓との関係悪化です。
その元凶を作ったのは、石原氏です。
ところが、ニュースは石原氏に好意的な街頭インタビューをタレ流しています。
これは、はっきり言って正気の沙汰ではありません。
ところが国民の多くはコロリと騙される。
メディアが石原新党を持ち上げれば、支持率も上がります。
ここに、最近ボロが出始めた橋本氏を絡めて報道し、
あたかも日本の救世主二人が手を組んだ様に報道するでしょう。
自民、民主の古い政党と、官僚機構と戦う政治家というイメージをでっち上げます。
■ 悲しいかな、世界中から戦争の足音が響いてきた ■
戦争は何の為に起きるのか・・・・
多分、それは、経済の失敗をウヤムヤにする為に起きるのでしょう。
あるいは、戦争を起す口実として、経済を破綻させるとも見る事も出来ます。
もし、世界の金融システムは破綻するならば、
戦争によって経済の失策を隠蔽すると同時に、
新しい世界経済の枠組を強引に作る過程で、
戦争は便利な代物です。
中東と東アジアに戦争の足音が近づいている様に感じます。
私達はアメリカに踊らされて、中国と韓国と対立を深めていいのでしょうか?
福島の放射線は、人の命を奪いませんが、
戦争は確実に人の命を損ないます。
確かに中国や韓国の人達も、激情にかられて日本と対立しています。
しかし、それは彼らの首を同時に絞めています。
確かに日本国内でロスチャイルドが在日勢力を上手に使っている様に見えます。
しかし、在日の方達も、同じアジアの同胞です。
欧米諸国の手の平の上で踊らされるのは、一回で充分です。
そろそろ皆さん、冷静になる頃合ではないでしょうか?
