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家のパソコンが不調で、インターネットとの接続ができず、昨日は記事が書けなかった。サイバー時代の根本的危険性は、我々の依存しているこの情報網のシステム的脆弱さにある。仮に私が銀行口座から何から、すべてオンライン化されたシステムのみに依存していた場合、何かの事故でそのラインが切れた場合は私は生存の基盤を失うわけである。今は不要不急の情報網だけがオンライン化されているだけだからまだいいが、生活手段のすべてをオンライン化するのはあまりに危険だろう。すべて一元化(一元管理)は大きな危険を伴っているのである。
私の女房は、紙の新聞を取るのをやめようと前から言っているが、インターネットの持つそうした脆弱さを考えると、情報へのアクセス手段として、まだまだ新聞という原始的メディアには存続価値がありそうである。まあ、家を管理する女房からすれば、毎日毎日、紙のゴミが出るという不満はあるだろうし、新聞記事の内容自体、マスゴミと言われるとおり、確かにゴミみたいなものが多いのだが。PR -
「日本人は馬鹿になったか」という阿修羅記事に対するコメントが面白いので転載する。よく、現在の大学生の学力の低さを表す事例を取り上げた記事を目にするが、下記のコメントのほうが正論だと思う。勉強をすることのモチベーションが存在しないなら、勉強はほどほどにやって、うまく立ち回ったほうがいい、と子供たちが考えるようになるのは当然だろう。下記のコメント投稿者も言うように、奴隷がいくら勉強しても奴隷以上にはなれないのである。日本をこのようにした責任はすべて大人にあり、大人の政治的無関心と無行動が日本を奴隷国家にしてきたのだ。もっとも、そのような大人に育ったのは、公教育とマスコミのおかげだが。
大学生が、自分で考えて苦労して書くよりも「共有論文」のコピーを自分のレポートとして提出するというのも、そうしたレポート作成が自分にとっては単位を取る以上の意味がない、という考えの無意識的な表明かもしれない。
ついでながら、広島・長崎への原爆投下の日付は私も覚えていない。原爆投下という事実には意味があるが、そうした日付を覚えることに何かの意味があるとは思わないから、私の記憶からは自動的に排除されてしまうのである。同様に、歴史の年号なども日本史の時代区分になる「794」とか「1192」とか「1333」程度でストップしている。しかも、後になって誰かが鎌倉幕府成立は「1192」ではないとか言い出して、また覚えなおすことになったりする。そんな歴史年号を覚えさせられる生徒はご苦労なことである。
(以下引用。記事は途中略の後、コメント欄を引用)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/206 よりコピー:文中の図はコピーされていません。
2010年02月10日(水) 週刊現代
「日本人はバカになった」は本当か 世界が嗤っている
全部ひらがなの答案が
都内有名私立大学に通う2年生の男子学生は、授業のレポート提出日が2日後に迫っているというのに、「まったく手をつけていない」という。焦る気配がないので、レポートのテーマが難しくて提出を諦めたのかと聞くと、そうではないらしい。
「しっかりと提出して、単位はとりますよ」
そう言うと彼はインターネットの検索サイトで「レポート共有」という二語を入れて、検索し始めた。表示されたのは、学生間でレポートの売買ができるサイトだ。「こんなレポートが欲しい」とオーダーすれば、過去にほかの学生が書いた類似のレポートが手に入るのだ。
「このままコピペ(パソコン上で文章をコピーして、貼り付けること)して提出してもバレないんですよ。僕は一応、結論を変えるぐらいのことはしますけど」
彼だけでなく、友人の多くはこうして手っ取り早く課題を片付けるという。
「ひょっとするといまや大学生の半分ぐらいは、『コピペ』で課題を提出した経験があるのではないでしょうか」
というのは、金沢工業大学大学院知的創造システム専攻の杉光一成教授だ。杉光教授は昨年、「アンク」という企業と共同で、あるソフトを開発したことで、教育関係者から大きな注目を集めた。
「コピペルナー」と名づけられたこのソフトを使えば、学生から提出された論文やレポートが、インターネット上から「コピペ」されたものであるかどうかを判別できるのだという。たとえ学生が文中の一部を書き換えていたとしても、全体の何割がコピペで構成されているかがわかるようになっている優れものだ。
昨年12月、教育機関を対象に販売されたこのソフトは、卒業論文提出期限を間近に控え、大学から注文が殺到しているという。
「東京大学や京都大学の教授からも『早くウチにも欲しい!』という声がありますから、コピペ問題は一流大学においても無縁ではないようです。ただ、これは大学教授のために開発したのではなく、あくまで学生のために開発したものです。
学生はコピペすることで、ものを考える、文章を書く機会を自分の手で奪っている。このソフトが普及すれば『課題を自分でこなすことで、自分の力が伸びるんだ』と学生が考えを改めるのではないかと期待しています」 (杉光教授)
レポートひとつ自分の力で書けない大学生がうようよいる―ゆとり教育が実施されて以来、「日本人はバカになったのではないか」という懸念があらゆるところで論じられているが、日本人は本当にバカになったのか。本誌が取材を進めると、信じがたい話が出るわ出るわ・・・。
法政大学の川成洋教授が嘆く。
「大学では英語、スペイン語、政治学、そしてヨーロッパ文化論を教えていますが、後者2つはベーシックな知識がなくてもなんとかなります。問題は英語です。基礎のできている学生とできていない学生の差が激しすぎる。『主語と動詞はなんとなくわかるが、補語と目的語といわれてもなんのことやら』という学生はまだマシなほうで、なかにはアルファベットの順番がわからない学生や、『次の英文を日本語訳せよ』と問題を出すと、全部ひらがなで書いてきた学生もいて、手がつけられない」
中央大学の山田昌弘教授も、学生の信じられない言動に頭を悩ませている。
「他大学に勤務する先生に聞いた話ですが、(学術本を読ませるのは難しいだろうと思って)『新書を一冊読んでレポートを書いてきなさい』と課題を出すと、『新書ってなんですか? 新しい本ですか?』と学生にいわれて愕然としたそうです。また、私のところにも『ソ連が崩壊したのは戦前ですか?』と平然と尋ねてきた学生がいましたね。我々が常識として知っていることを知らない若者が、確実に増えています」
ためしに身近にいる大学生に「広島・長崎に原爆が投下された日はいつか」と聞いてみてほしい。
本誌が複数の大学生(いずれも都内有名私立大学に通う)に尋ねてみたところ、「1945年8月まではわかるけど、その年はいっぱい『記念日』があるからややこしいですよね」と曖昧に濁す学生や、「1989年8月2日でどうでしょうか? 下4ケタが8982でバクハツですから」とシャレなのか本気なのか判別しがたい答えを返してくる学生に出会った。
大学生の歴史感覚の欠如は、相当深刻なようだ。
(以下略。下記コメント欄も引用)
コメント
01. 2010年8月18日 02:58:48: ODhdjueiv6
日本の現実(隷米従属)を日本の大人は誰も子どもに教えようとしない。
悲惨な現実は大人になって知ればよい。いや、大人になっても知らなくていい。
子ども時代は純粋で居てくれ!勉学とスポーツに励むように!いつか「金」になる。
…とばかりに「問題の先送り」と「長いものに巻かれろ」を日本の大人は
子どもにずっと見せてきました。そして、アメリカの巧みな長期計画(3S)
で日本はすっかり骨抜きにされ、学ぶことの本来的な意味を見失ってしまった。
子どもは実は大人が考えるよりずっと悧巧です。パイの食い合いで皆が勝者になれるはずもないのを知っている。自分が勝者になれないなら、他人の足を
引っ張ればいいと潜在的に察して「皆でバカ」を選択してるのではないですか?
かつての学生のように欧米に憧れ留学して、果てにアメリカの走狗になったり、
狡賢い大人に煽られ仲間食いをさせられるような学生運動にも興味がない。
極力対立を避け、横並びで事を運ぶ、周りの大人の功利的姿勢(利に敏く
システムの建て直しには無関心で自分さえ良けりゃ他がどうなろうと構わない
)をしっかり学んでいる。善良で臆病で世界を知らない。大人の雛形です。
02. 2010年8月18日 11:39:04: AQqyLULhMc
奴隷が勉強するのを止めたからって、今までより余計に嗤われることもないだろ
03. 2010年8月20日 13:43:03: T0yF5m5rME
01氏のいうように日本は自国の舵取りができないので、最善で現状維持しかないんだから、勉強するモチベーションがないということはあるでしょうね。
でもいまの学生がどうこういうけど、ちょっと前のバブル世代もかなり頭が悪いし、団塊世代の知的レベルもぜんぜん高くないよ。戦前に教育を終えて戦後に活動し始めた世代(終戦時20台~30台)は相当優秀だったんだと思う。
学生がどうこうというが、じつは現在の東大京大の教授陣の学術業績のレベルが相当低い。私はそっちのほうは自分の実体験として知ってますが、これがいまの日本のレベルをあらわしているんだったら、先行き相当暗いといわざるを得ない。いま一流学者といわれている人間が昔では「普通レベル」、そしていまの比較的若い学者は国際的にぜんぜん通用しない水準だったりする。
それなのに日本人はますます思い上がって自己満足するようになった。自分の意見なんか何にもないくせにね。
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「ゆきひろ社会科日記」というブログより。竹原阿久根市市長の独裁者ぶりを書いている。もし、この通りなら、竹原市長を応援するのもかなり問題がありそうだ。竹原市長側の言い分を聞いていると、議会や市職員が市政の寄生虫であるという印象を持つが、副市長が市職員に組合脱退を強要したという事実は、相当に問題である。世の中には組合嫌いが多いから、副市長のこの行動にむしろ快哉を叫ぶ向きも多いと思うが、組合運動によって労働者の生活水準が上げられ続けたからこそ「世界で唯一成功した社会主義国家としての日本」が存在したのである。その後、組合運動の低迷とともに、労働者の所得水準がどんどん低下していったのだ。いずれにせよ、組合からの脱退を強要し、それを承服しなければ配置転換などの報復行為を行うというのは、不当労働行為だろう。つまり、明らかな法律違反である。この副市長はそれだけで失職に値するはずだ。その背後にいるのが竹原市長であるのだから、竹原市長という人物も、やはりかなりな問題人物と言うべきだろう。
前に、竹原市長を少し持ち上げるような記事を書いたことを訂正し、お詫びする。私も「改革」のスローガンや「公務員との対決姿勢」を見せるだけで騙されてしまう水準の人間の一人であったようだ。
ただし、地方公務員の給与が民間より高いことや、ほとんど仕事らしい仕事もしない市議会議員が高給を貰っているということに関しては、すぐにでも是正しなければならないのは当然である。
(以下引用)
大阪で本当にあった面白い話。
《2005年総選挙後
小泉・竹中が主導する大増税の嵐。
高齢者保険徴収。住民税値上げ、
国保費の値上げ、年金から天引きに
各市町村では連日抗議と問い合わせでパニック状態に。
大阪府内の市でも連日窓口で抗議がありました。
ある市の窓口では市民が
『なんでこんなに上がるんや。』に
職員が
『この間の選挙誰に投票したんや』
『小泉の自民党や』
『小泉自民党と公明党が決めたことや、
わしらは決められたことをしているだけや、
腹が立つのやったら自民党・公明党と小泉に
文句をいえ、窓口で騒いでももう遅いわ』と》
職員も堪忍袋の緒が切れたとのこと。
最終責任は主権者が負わなくてはならないと言うことを
言いたかったのでしょう。
さて「改革」を御旗に。
市民は思考停止状態なっているのでしょうか。
阿久根市の市長が差別発言なんでもありで賑わかしている。
専決処分(行政用語)で議会に諮らず決定する。
この専決処分は議会に諮る時間的余裕のない時に
とりあえず執行し、その後議会の承認を得る
これがルールですが、
(議会承認を得られない場合は不信任に相当します)
人事案件も(副市長)も独断で決め
何も知らない市民には
「合法」とうそぶく。
職員給与も、予算執行も勝手に決める。
議会を開催しない。
説明しない。
これは、代議制議会民主主義を破壊するものですが
どうも最近はこのような首長に賛同する人が多いような気がします。
議会民主主義の時間がかかるのが許せないようです。
結局、判断する前に
白黒を早く、回答を早くほしい
その結果が将来にどのような影響があるかという判断が出来ない。
阿久根市の副市長は職員に組合を脱退するように要請し
脱退しない場合は配置転換を行うと報道されています。
これは憲法が保障する結社の自由を侵すものですが
堂々とそれを発言するところに恐ろしさを感じます。
この副市長、警察の裏金を告発したことで一躍有名になった人らしいですが
警察官であったのに法令を守れない人と言うことを露呈しました。
行政に携わるものは、憲法を遵守し法令に基づいて業務を執行しなくてはなりません。
法令を無視して専制政治を行うのであれば
それは独裁ですね。
このような市長を選んだ市民の皆さんは
本当にこの市長で市の活性化がもたらされると思っているのでしょうか。
私には、無法地帯の阿久根市しか思いつきません。
間違っていたらご指摘をしてください。
でもこのような議会・行政運営をうらやましく思いながら
観察している首長もいるようです。
大阪の橋下知事(口先発言で人気取り、実際は改革の名の下福祉切りまくり)
名古屋の河村市長
3者に共通するのは、議会ナンセンス。そして「改革」
簡単に改革を叫ぶ人には充分な注意が必要かと思いますが、
どうも「改革」を叫ぶ人の中身は
弱いものに対する更なる分断思考で
差別といじめで共感を得ようとしているようですが。
「囚人の中の囚人監視人」と言うところでしょうか。
市民の人が「なれ合い議会に戻るのは・・・」とのこと
なれ合いに戻すか戻さないかは
他人任せの行政・議会から脱皮することが大切と
常々思いますが。
その議会のその行政の質は
そのまま市民の質とよく言われますよ。
投票し選んだらそれから先も責任を持たなくては。
冒頭の大阪の職員の言葉が象徴的です。 -
「阿修羅」記事から転載。
地方自治体で首長と議会が対立したらどうなるかという、野次馬的には面白い事例が名古屋市と阿久根市で進行している。新聞記事的な表現を使えば「ナリチュウ(成り行きが注目される)」という出来事だ。この二人の市長とも、どぎつい個性の持ち主で、人によって好き嫌いが大きく分かれる人物だが、地方議会や地方役所の既得権益を切り崩そうという「ドン・キホーテ」的な戦いにあえて挑んでいるという点では評価できる。
(以下引用)
ところで、二元代表制をとる日本の地方自治制度に法律上の不備がいくつか指摘される。例えば、議会解散である。首長は議会に不信任された場合にしか、議会を解散する権限が与えられていない。つまり、最重要議案が議会に否決された場合でも、首長は議会を解散して民意を問うことができない。自ら辞任し、やり直し首長選挙で民意を問う方法もあるが、議会の構成は何ら変わらない。逆に、議会招集権を首長だけが持ち、議会側に招集権がない点も問題である。首長が議会の機能を制約する姑息な手に出ることもできるからだ。
名古屋市では河村市長が議会解散の直接請求に動く
公約実現に奮闘する首長に対し、議会が徹底抗戦し、どうにもならない状況に陥っている自治体がある。名古屋市と阿久根市である。ともに市民によるリコールの署名集めが今月中に始まるが、抱える事情は大きく異なる。
「市長選挙で市民にお約束した二大公約です。それが実現できなかったら、市民の負託に応えたことにならない」
こう力説するのは、名古屋市の河村たかし市長だ。昨年4月、市民税の10%減税と地域委員会創設を二大公約に掲げた河村氏は、圧倒的な得票(約 51万票余り)で名古屋市長に選ばれた。公約を実現すべく市役所に乗り込んだ河村氏を待ち構えていたのが、河村マニフェストに反対を叫ぶ市議会だった。
市長に賛同する市議はわずか1名で、残り74人が反対の大合唱である。こうして、議案を提出する度に修正や否決の憂き目にあい続けている。このままでは市民との約束が守れない。こう考えた河村市長は、あっと驚く大胆な策に打って出た。議会解散の直接請求(リコール)である。
約175万人にのぼる名古屋市の全有権者のうち、約36万5000人から賛同の署名が集まれば、議会解散を直接請求できる。その後に実施される住民投票で過半数の賛成が得られれば、議会解散となり、やり直し市議選が実施される。そうなった場合、河村市長は自らも辞職し、二大公約を争点にした市長と市議のダブル選挙(愛知県知事選も含めてのトリプル選挙)によって、民意を問い直す考えだ。
昨年4月の市長選挙で河村氏に投票した市民らが「ネットワーク河村市長」という団体を結成し、議会リコール運動への参加者を募る活動を進めている。署名集めを行う受任者や署名者をハガキなどで募集するもので、印刷されたハガキは約106万枚。すでに約86万枚がポスティングなどによって名古屋市民に配布され、現在、約5万3000人から返信が寄せられている。50円切手を自らが貼って返信してきたものなので、いい加減な気持ちではない。正式なリコールの署名集めは8月27日からスタートする。
河村市長は署名集め後を見据えた準備も進めている。リコール成立後のやり直し市議選への候補擁立である。「減税日本」という地域政党を立ち上げ、ここから公認や推薦の市議候補を擁立するという。候補予定者の選定が現在、進められている。
彼らが当選した場合、地域政党「減税日本」から政策的に拘束されることは3点のみ。「市民税10%減税の復活」と「地域委員会の復活」そして、現在年1600万円の議員報酬を800万円に半減することへの賛同である。他については会派拘束せず、議員個々の判断にゆだねるという。「市議会を支配しようなんてことは考えていません」(河村市長)。
http://diamond.jp/articles/-/9000?page=3
阿久根市では竹原市長に対するリコール署名が始まる
一方、「ブログ市長」で知られる鹿児島県阿久根市の竹原信一市長に対するリコール署名が、8月17日から開始される予定だ。竹原市長は2年前、市役所改革と議会改革を公約に掲げて初当選した。市職員と議員の厚遇批判を重ね、猛反発を受けた。一度、議会から不信任されたが、議会を解散。2度目の不信任で失職したものの、やり直し市長選に勝ち抜いた。その後は議会と職員を完全に敵視し、対話を拒否して徹底攻撃に出た。
今年の3月以降、「議会は不信任のままで、あらゆることに反対する」として、議会への出席そのものを拒否。職員にも議員への答弁を禁止し、従わない場合の処分を予告した。その後は議会そのものを開会せず、専決処分を乱発している。職員の夏のボーナスの半減や議員報酬の日当制(1日1万円)、固定資産税の減税(1.4%の標準税率から1.2%に減税)などである。地方自治法に明白に違反する行為ながらも罰則規定がないため、そのまま放置されている。まさに、二元代表制を否定する独裁である。
こうしたブログ市長の暴走ぶりに阿久根市民の我慢も限界となった。市長をリコールするしかないと、市民が立ち上がった。住民団体が結成され、6月から各地で説明会を開催して準備を進めていた。必要な署名数は有権者の3分の1で、約6700人分。お盆明けの8月17日にも署名集めを正式スタートさせる予定という。
一方、ブログ市長は空席が続いていた副市長ポストに、ある人物を任命した。本来、議会の議決を必要とする人事案件だが、これも専決処分で押し切った。副市長に任命されたのは、現役警察官として、警察の裏金問題を初めて実名で告発した元愛媛県警の仙波敏郎氏だ。
竹原市長は仙波副市長の進言を受け、議会招集の意向を明らかにした。開催時期は未定ながら、新たな動きといえる。
地方自治体における二元代表制のあるべき姿とは何なのか。期せずして真夏に展開されることになった2つのリコール署名運動。その内容や経緯には大きな違いがあるが、問いかけていることの本質には違いはない。問われているのは、首長と議会の双方を選ぶ住民の自治意識ではないだろうか。 -
以前の記事の訂正。興南我喜屋監督のかつての2回連続初戦敗退というのは間違いで、そのうち1回は2戦目での敗退だったようだ。その時はたしか、まったく打てない4番打者をずっと4番に置き続けて、チャンスをことごとく潰すという無様な試合ぶりだった。なにしろ、バットがまともにボールに当たらない打者が打線の真ん中にいるのだから、相手にとってはやりやすかっただろう。
今回の4番、真栄平選手も今大会は不調だったが、それでも時々はタイムリーヒットも打っていたし、彼以外の打者が打ちまくっていたから無事に済んだが、接戦では4番打者が打てるかどうかは試合の分かれ目になっただろう。確かに、4番打者は打つだけではなく、相手投手にプレッシャーを与える威圧感が必要だという我喜屋監督の持論には一理あるが、短期決戦の高校野球では、不調の選手を打線の中心に置いたままにするというのは、やはり間違っていると思う。結果によってすべてを正当化するのではなく、反省すべき点は反省し、これからも進化した野球を我々に見せてほしいものである。もちろん、真栄平選手の潜在能力の高さは誰よりも私は買っているのである。しかし、高校野球は先発メンバー、ベンチ入りメンバーだけの戦いではなく、3箇年野球を続け、ベンチ入りもできなかった選手たちをも代表しての戦いなのである。最善を尽くして戦うのが、ベンチ入りできなかった選手たちへの義務だろう。
たしか私は興南高校が選抜大会で優勝したときも、まだまだ改善の余地はあると書いた記憶がある。それを見事に改善し、「高校野球の一つ上を行っている」と言わしめた興南野球だが、沖縄の他の高校の野球指導者はそれに恐れをなすことなく、興南野球打倒を目指して工夫努力してもらいたい。それによって沖縄の高校野球自体を「別次元の野球」と言わせるくらいに県全体の野球が進化してほしいと思う。 -
グレッグ・マダックスと言えば、抜群の制球力で300勝を達成した大投手だが、彼の投球フォームには大きな特徴がある。それは、投球を開始してから片足が完全に上がるまで捕手を見ないで、足元しか見ていないということだ。普通は、制球力をつけるには捕手から目を離すな、と教える指導者が多いと思うが、彼はそのまったく反対でありながら、最高の制球力を身につけている。ただし、片足が完全に上がり、体重が軸足に乗ってからは、ボールが手を離れ、フォロースルーが終わるまで、彼の視線は捕手から一瞬も離れない。ここが多くの平凡な投手との違いである。制球力の悪い投手は、投げるその瞬間に、やはり捕手から目が離れているはずだ。さらに言えば、マダックスの目は、捕手ではなく、自分の投げるポイントに焦点を当てているように見える。つまり「あの辺」という漠然としたエリアではなく、「あの点」に向けられており、そのポイントと自分の肩を結ぶラインにボールを流しこむというイメージで投げているような感じだ。この「投球ライン」という考えはある野球教本で読んだのだが、マダックスの投球分解写真は、まさしくその実例のように思える。
人間の集中力は、時間が短いほど効果が高い。マダックスが投球の最初の段階でわざと下を向いているのは、捕手をずっと見ている時間をできるだけ短くすることで、集中力を高める工夫だろう。わずか数秒の間でも、その間に集中と弛緩があり、それをコントロールできる人間とコントロールできない人間との間に大きな開きが生まれるのがスポーツである。
興南の我喜屋監督が選手に教えた「反応打撃」、つまり、投球の予測をせず、来た球に即座に反応する打撃も、極端に短い時間の中での集中力を高めることで大きな効果を得たものだろう。 -
祝、興南高校ということで、「迷スカウトニュース」から転載。この「迷スカウトニュース」は、将来プロ野球選手になれそうなアマチュア選手をワッチングするブログで、その管理人の蔵建て男氏の選手鑑定眼はプロのスカウトも参考にするほどのものだという。
(以下引用)
2010年の夏の甲子園も、今日が決勝戦。結果は、13-1で興南高校が、春・夏連覇を達成し、春の雪辱から立ち直った東海大相模を破りました。選抜帰りの興南高校を、春季九州大会で生観戦。島袋投手をほとんど登板させることなく、九州大会を制した姿を見て、このチーム本当に強いんだなと強く実感致しました。
特に私が観戦した樟南(鹿児島)戦では、左腕から140キロ台の速球を投げ込む戸田 隆矢(2年)左腕と言う、ちょっと簡単には高校生では攻略できそうもない本格左腕(来年の間違いなくドラフト候補です)を、簡単に打ち崩す姿を目の当たりにして、このチームは「島袋がいなくても、どんだけ強いだよ!」と、驚かされました。普段、大学・社会人の試合を中心に観ているので、高校野球を観ても高校生に驚かされることは少ないですが、この興南はひと味も二味も他の高校とは違いました。果たして興南より強い学校が全国に他にあるのか?これが、私の選抜以降の一つの観戦のテーマでした。しかしそういったチームは他にはないことがわかり、妙に今は納得させられているところです。選抜以後、ほぼ完全に島袋をオーバーフォールさせ夏に備えさせた我喜屋優監督。夏の予選だけをみて、連投=酷使と言う浅はかなものの見方をする人間をあざ笑うが如く見事な手腕を示しました。連投・酷使と言われる中でも、この夏最速となるMAX147キロの速球を投げ込み完投した決勝戦こそが、すべてを物語っている気が致します。ビバ 興南高校! -
興南高校が春夏連覇を達成した。今大会での島袋投手は、いい頃の彼に比べると制球力が今一つで、そのために安打を打たれることも多かったが、要所を締める投球はさすがで、打線もよく彼の失点をカバーした。まず、理想的な高校野球のチームと言っていいだろう。そういうチームを作り上げた我喜屋監督や興南関係者を称賛したい。春の段階ではやや運に恵まれた優勝という印象もあったが、この夏の試合ぶりは、堂々たる横綱相撲だった。特に準決勝の報徳戦は、5対0の劣勢を逆転しての勝利であり、興南の底力と精神力の強さを印象づけた。これまでの沖縄の選手は、優勢なときは強いが、劣勢になるとそれを跳ね返す気力に乏しかったが、今回の興南の試合は、沖縄の県民性の中の頼りない部分が良いほうに変わってきたという感じである。
春に一度全国の頂点に立ち、ある意味では目標を失っただろう興南野球部が、夏までモチベーションを維持し、他チームの挑戦をすべて跳ね返して再度頂点に立ったという、この偉業は、どんなに褒めても褒め足りない。興南高校野球部、万歳! -
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」より転載。着眼の鋭さに脱帽である。一見些細な(というより、無関係な人間にとっては雑談ネタでしかない)非実在高齢者事件(もちろん、これは東京都の「非実在青少年条例」への皮肉)に対し、「役人の焼け太り」を予測するところがすごい。しかも、これはかなりの確率で起こる可能性がある。
役人の実態は多くの人が知っているが、やはりどこかで甘く見たり、その善意を信じたりするところがある。
つまり、我々は甘いのである。いわゆる「性善説」に毒されているのだ。「まさかそこまではやるまい。いくらなんでも彼らも人間なんだから、そんな腐りきった行動はするまい。彼らも人間として恥ずかしいという気持ちはあるだろうから、そこまではしないだろう」などと心の底で考えてしまい、追及が甘くなってしまう。そこか役人のつけ目なのである。
役人(高級官僚)を相手にするときは、彼らを人間だと思わないほうがいい。彼らは一種のモンスターなのである。
(以下引用)
今回の報道のあおりを受けるカタチで、各地のお役所がご老人の所在確認をはじめるようだ。
なるほど。なんだかとても鬱陶しいことになる予感がする。
藪を突ついて蛇を召喚する結果にならなければ良いのだが。
だって、テキはお役人ですよ。一筋縄ではいかない。そう考えなければならない。
役人に仕事を与えるということは、彼らの自己保存に協力するということにほかならない。
しかも、この仕事は、9割以上が無駄足になることがはじめからわかっている。そういう仕事だ。
無駄足。すなわち彼らの主たる業務だ。というよりも、無駄足や無駄口こそが彼らの飯のタネなのだ。
で、無駄足のついでに、お役人衆はどうせ余計なものを見つけてくる。
所在不明高齢者のための生活維持基金機構の設立準備委員会だとか、所在確認事業の経費を算出するための新たな人員の確保だとか、そういうSFみたいなことを言い出す……ようなことは、いくらなんでも無いだろうが、それでも、彼らが動いた分だけの人件費は当然お国なり地方公共団体が負担しなければならない。
消えた年金の時もそうだったが、官僚にとって、怠慢はひとつの事業だ。今日の怠慢が明日の仕事を生む。そういう構造で、彼らの組織は動いている。事実、年金が「消えた」ことは、新たな業務(年金追跡事業)を生んでおり、おかげで、彼らの組織は一時的にであれ、延命し、焼け太りし、商売繁盛している。 -
ブログなどというものは他人のために書くものではないはずだが、長く続けていると、他人の期待なるものを勝手に想像して、それに合わせて記事を考えるという傾向がでてくるようだ。このブログも最初は好き勝手なことを書いていたのに、最近は政治経済面の話に固定されてきたので、今後はもう少し話題を自由に広げたいと思う。まあ、今は政治的話題が乏しいということもあるが。もちろん、そういう時期こそ、水面下では政治的な策謀が活発に動いている可能性はあるが、素人には知りようもないことだ。
野球の話。興南高校が甲子園でベスト4まで勝ち進んだ。島袋投手は、圧倒的な力で相手をねじふせるというタイプではないので、プロ野球のスカウトの評価はあまり高くないのではないかと思うが、高校野球の投手としては(もしかしたらプロ野球でも)理想的である。というのは、打たれても、試合の途中で軌道修正をする能力があるため、大崩れはしない投手であり、そのため「負けにくい投手」であるからだ。もちろん、これは捕手の山川選手の力でもある。山川捕手はリード面が素晴らしい。他の選手もそれぞれ自分のポジションで力を出し切っており、個々の調子の良い悪いはあっても、どこかで誰かが力を発揮して、その結果がベスト4となったわけだ。後は、打球の速さでは高校最高レベルと思われる4番の真栄平選手の調子が上がってくれば、全国制覇、春夏2連覇も夢ではない。もちろん、疲労のたまっている島袋を2番手3番手投手が助けることも条件だ。
興南の我喜屋監督は、かつて甲子園で2回連続初戦敗退という無様な試合をし、監督としての能力を疑われたが、選手を育てる能力は高いようだ。甲子園での試合運びにも慣れてきたのか、試合采配も安心して見ていられるようになった。かつての失敗が、選手にも監督にもいい経験となったのだろう。このように失敗を自己向上のための経験にできるというのは、素晴らしいことだ。そう考えると、外部の人間が、他者の失敗について、近視眼的な考えであれこれ言うべきではないということが言えそうである。
