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「阿修羅」記事から、論理展開という面で興味を引いた文章を例にして「文章を読む」ということについて考えてみる。はやりの言葉で言えば、「メディア・リテラシー」の問題だが、これは社会において他人の発言をどう聞き、どう読むかという問題でもある。そのポイントは
① その発言にはどのような根拠があるか。
② その発言は論理的か。
の2点だ。
以下に挙げる例文は、死刑廃止論者のものらしいが、死刑という制度の是非については存続論者、廃止論者ともそれぞれに理屈があるから、逆に今さらその根拠を言うまでもない、と思うのか、どちらの発言も舌足らずになるか非論理的になりがちである。どのあたりがそうかを分析してみたい。念のために言えば、私は「産経新聞」は最悪の右翼新聞だと思っているが、死刑制度については存続論者に近い。だからこそ、この論者の意見に「違和感を覚える」のである。
(以下引用)
死刑のバーチャル化 (河信基の深読み)
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/810.html
投稿者 新世紀人 日時 2010 年 8 月 05 日 01:29:43: uj2zhYZWUUp16
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41744780.html
死刑のバーチャル化
2010/7/30(金) 午後 3:38
産経新聞の主張「1年ぶりの死刑 法執行は粛々とすべきだ」に違和感を覚える人は少なくあるまい。
人の死を「当然のことが当然になされたにすぎない」と傲然と伝える行間から、人権意識の荒廃が臭ってくる。人権派を「人権屋」と敵視するこの新聞ならではだが、閉塞的な社会状況に乗って拡散するから要注意である。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100730/plc1007300325001-n1.htm
死刑を支持する人は、原始的な報復感情が強い。歴史的には封建時代以前の公開処刑場で見られたもので、残虐なほど観衆は狂喜した。
人権意識とは反対方向の感情であり、死刑を支持する人が多いと言うことは、社会の未発達もしくは劣化を物語る。
死刑支持者にはしばしば、特有の屈折した理屈がみられる。被害者の人権はどうなる、死刑廃止論は被害者の人権軽視、というのがそれである。
これは論理のすり替えか開き直りである。差別意識も刷り込まれている。
人権には、王と平民の区別も、加害者と被害者の区別もない。衡平性、バランスの問題があるだけである。
2年目を迎えた裁判員裁判では死刑の判断も迫られるが、万が一にも死刑宣告が乱発されるようになれば、社会には殺伐たる雰囲気が満ちるだろう。
人間が人間を殺す死刑は、本質的に共食いと似ている。箱の中の蜘蛛の群れが最後に一匹になるように、国家権力による暴力である死刑が横行する社会は、統制と恐怖が支配し、怒りと憎しみに愛や寛容は隅に追いやられ、道徳は地に墜ち、急速に衰退に向かおう。
憂慮されるのは、死刑がバーチャル化し、安易に実務的に宣告され、執行されることである。
近代は公開処刑は非人間的として禁止されたが、一般人から死刑への実感を奪ってしまったことも否定できない。実感なき死刑制度の矛盾である。
(以下略)
では、上記の文章について検討してみる。丸数字は原文の引用で、その後が私の検討部分だ。
① 死刑を支持する人は、原始的な報復感情が強い。
・どういう根拠でそれが言えるのか。それとも、これはア・プリオリな「真実」か?
・報復感情が「原始的」なものなら、人間性が向上すれば報復感情は無くなるのか? あなたが、あなたの家族を殺されたとして、文明人であるあなたは「原始的な報復感情」を持たないのか?
② (報復感情は)人権意識とは反対方向の感情であり、死刑を支持する人が多いと言うことは、社会の未発達もしくは劣化を物語る。
・死刑制度の存続はなぜ未発達な社会の証明になるのか? いわゆる「先進国」では死刑制度が廃止になっている国が多いから、ということか? その「先進国」の非道義性は20世紀から今世紀にかけてますます顕著になってきたのではなかったか? それとも論者の考える発達した社会とは西欧諸国以外の国なのか?
③ 死刑支持者にはしばしば、特有の屈折した理屈がみられる。被害者の人権はどうなる、死刑廃止論は被害者の人権軽視、というのがそれである。
これは論理のすり替えか開き直りである。差別意識も刷り込まれている。
・どこが「屈折した理屈」なのか? なぜ「論理のすりかえ」になるのか?
どこが「開き直り」なのか? どこが「差別意識」なのか? すべて主観的断定のみであり、読み手を説得する「論理」と「論拠」が存在していない。
④ 人権には、王と平民の区別も、加害者と被害者の区別もない。衡平性、バランスの問題があるだけである。
・はたして人権には「加害者の人権も被害者の人権も区別はない」のだろうか?加害者は他人の人権を無視して凶悪な行為を行ったという時点で、被害者と同等の人権は失ったと見ることはおかしいのだろうか。
・人権における「王と平民の区別」と「加害者と被害者の区別」は同列に論じられるものか?
⑤ 人間が人間を殺す死刑は、本質的に共食いと似ている。
・見かけが似ていることは何事をも実証しない。虫の共食いは自らの生存のためであり、ある意味では死刑制度以上に許容されるべきものである。論者は「共食い=悪」というステロタイプの図式で語っているだけだ。
⑥ 国家権力による暴力である死刑が横行する社会は、統制と恐怖が支配し、怒りと憎しみに愛や寛容は隅に追いやられ、道徳は地に墜ち、急速に衰退に向かおう。
・これも何らの検証も論証もない、ただの推測である。よく知られた事実だが、「少年法」によって少年の凶悪犯罪に死刑は適用されないため、悪どい連中は「人を殺すなら今のうちだぜ」と言い合っているという。(別に私が直接聞いたわけではないから、何の論拠にもならないが)また、犯罪加害者やその家族が犯罪被害者に対し何等反省の気持ちを持っていないことが多いということは犯罪者矯正施設関係者から聞かれることだ。(これは知人からの証言と、ノンフィクションのルポルタージュなどの知見からの結論だ。)
・そもそも法があってすら残酷な犯罪の頻出する世の中で、厳罰主義をやめたなら、今より「道徳的な」社会になるという、その根拠はどこにあるのか。PR -
政治的変節、転向というものはよくあることだが、下にウィキペデイアから引用した川田悦子氏については、薬害エイズ裁判の初期のころにその明晰な頭脳と話し振りに感心していただけに、彼女が政治家になってどんな活躍をするかと期待していたのだが、代議士としてはまったく無名の存在で終わったのは残念だった。しかし、下記の記事を見れば、彼女はオポチュニスト(日和見主義者、ご都合主義者)的な人格の持ち主だったように伺われる。頭がよくて弁が立っても、人格的な誠実さの無い人間は、基本的には信じるべきではない、ということだろう。もちろん、誠実であっても政治的演技力の無い馬鹿正直者も政治家にはなれないのだから、難しいところである。
こういう母親の息子だから、川田龍平もまた民主党からみんなの党へ移るという政治的変節、言いかえれば支持者への裏切りをしたわけで、親子はやはり似るようだ。
(以下引用)
元法律事務所職員。遺伝性疾患である血友病に罹患する次男・龍平がその治療に用いられた血液製剤によりHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染、薬害エイズの真相究明を求める運動の先頭に立って活動する。2000年10月に、衆議院議員山本譲司の辞職に伴い行われた東京21区補欠選挙に無所属で出馬し、初当選した。院内会派に属さず無所属で活動。2003年の総選挙にも出馬したが落選した。
もともと日本共産党に近い団体である日本民主青年同盟(民青同盟)、新日本婦人の会(新婦人)などに属しており、先に民主党から出馬した家西悟については「出馬するのは勝手だが、自身の当選のために裁判を利用するのはやめてもらいたい」と不快感を表明していた。自身の選挙出馬に際しては、共産党に既に擁立を決めていた公認候補を下ろして自身を推薦候補とするよう要請していた(ただし川田は共産党の側から推薦を申し込まれたと主張)。しかし支援者の1人である中村敦夫が共産党との共闘に反対したため、無党派候補であることを強調するために共産党の推薦要請を撤回し、むしろ中村との関係を全面に押し出すようになった。選挙当時、共産党は「共通の政策で共闘する」「共産党を敵視しない」などの確認事項を発表し、独自に「応援」するという形を取った。
その後川田が中村との関係をますます強め、「自分と共産党との関係は初めから一切無い。支援を受けたことも求めたことも無く、向こうが勝手にやっているだけ」と、共産党に近いスタンスに見られることに不快感を示す発言を繰り返したり、著書で「政党助成金がいらないなら受給した上で私たち無党派議員に配ればいい。それが出来ないのはエゴ」と書くなど、共産党に批判的な言動が目立つようになっていった。これを重大な裏切りと見た共産党は2003年になってから『しんぶん赤旗』2月7日号にて批判するに至った。結局、2003年の総選挙では共産党が独自候補(田川豊)を擁立した。中村のいた「さきがけ」(後のみどりの会議)に近い民主党などの支持も得られず(民主は長島昭久を擁立して当選)、川田は共産の田川と共倒れの形で落選することとなった。
これについて左翼や共産党支持者からも「2003年に当選した民主党の長島昭久は党内右派であり、共産などの『左翼』との共闘を批判している。共産にとって、川田を落として長島を当選させるメリットは(川田個人への意趣返しを別にすれば)ないのではないか」と疑問の声が上がった。しかし川田と田川の得票を合わせても当選には遠く及ばなかったことや、川田が事実と異なる発言を繰り返したこと、一方的に協定を破られて自党を攻撃されたことなど、共産の立場も考えるべきとの反論もある。
現在は「平和への結集」など、革新統一候補擁立運動などに参加。また、無防備地域宣言運動ネットワークの呼びかけ人としても名を連ねている。 -
大阪の育児放棄致死事件についてあれこれ言われているが、この問題は非常に簡単な問題であり、「世の中には幼児レベルの大人がたくさんいる」というだけのことである。そうした人間が子供を作ることが間違いなのであり、子供が子供を育てることはできない。ところが、法律上は、年齢的に成人に達していれば結婚もできるし子供も産める。もちろん結婚しなくても子供は産める。だが、彼らにはまともに子供を育てることなど絶対にできないのである。
子供の中にも精神的な大人である人間もたくさんいるから、「幼児レベル」と言うよりは「犬猫レベルの人間」がたくさんいると言いかえよう。もしかしたら犬や猫のほうが上かもしれないが。
自動車を運転するには運転免許がいるが、「親になるための資格試験」があれば、それに合格できるのは、おそらく成人男女の7割程度だろう。もちろん、これは学歴とも知能指数とも無関係の話である。高学歴の人間でも親になる資質のない人間はたくさんいる。社会の害悪にしかならないような仕事をしている人間は、親になる資格も、当然、ないのである。 -
「阿修羅」からの転載だが、元記事は「週刊ポスト」のようである。大手新聞がすべて政府(官僚)広報誌になっているのに対し、雑誌にはまだまともな記事が載ることもあるようだ。書かれた内容は、「やっぱりね」という程度のものだが、大手新聞を信じている人々に読んでもらう価値はあるだろう。
現在の大不況(国民の貧困化)の中で増税をしたら、日本という国は死んでしまうというのが国民の大半の実感だと思うが、官僚たちはちゃくちゃくと(アメリカに上納するための)増税に向けてレールを敷いているのである。
(以下引用)
「社会の木鐸」の音色がおかしい。権力に擦り寄り、国民に負担を強いる政策の片棒を嬉々として担ぎ、自らの「利益」だけlは死守しようとする様は、もはや「権力の監視」を担う役割を放棄したと見るしかない。大新聞の国民裏切り行為を徹底検証する──。
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参院選で「消費税10%」掲げた菅民主党が大敗すると、大新聞は慌てて「それでも増税は必要だ」キャンペーンを展開している。
興味深いのは、その記事がコピー&ペーストしたかのように同じ論調なことだ。
朝日は 〈民意は、菅首相率いる民主党政権に退場を促すレッドカードを突きつけたのだろうか。(中略)そうではないと私たちは考える〉 としたうえで、〈消費税から逃げるな〉(7月12日付)と結論づけた。
〈参院選の敗因は、首相が消費税率引き上げに言及したことではない〉(読売7月13日付)
〈消費税論議についても私たちはこれで立ち消えになっていいとは思わない〉(毎日7月12日付)
日経も 〈国民生活を安定させるには(中略)消費税などの増税が欠かせない〉(7月13日付)とし、産経はついに「新聞」を主語にして、〈各紙は概ね、菅首相があえて増税を打ち出したこと自体は評価する〉(6月28日付)と書いた。
やたらと「私たち」「各紙は」というキモチ悪い書き方をしているのは産経ばかりではない。自由な言論機関のはずの新聞が「みんな同じ」であることを誇る感覚は到底理解できない。
写真あり
財務省はメディア懐柔に必死(野田佳彦・財務相)
いつから大新聞は「増税宣伝機関」になったのか。
かつて橋本内閣が消費税を3%から5%に引き上げた際、各紙は厳しく批判したはずだ。
朝日は 〈消費税の引き上げは(中略)景気への悪影響を避ける工夫を併せて示したうえで、国民の理解を求めるのが順序〉(96年5月12日付)と待ったをかけた。
毎日も勇ましかった。当時の自民党政権が 〈予算の食い荒らし〉 をしていると批判したうえで、そのしわ寄せが 〈消費税の引き上げであり、医療・年金などの負担増であり、(中略) つまり国民の苦しみのみ、なのだ〉(96年11月30日付)と書いた。
当時から消費税増税論を展開していた読売でさえ、消費税増税の翌年、〈働けば働くほど所得税に苦しめられ、買い物をするたびに消費税に苦しめられているのに、景気は一向によくならない〉(98年11月28日付)と庶民の苦しみを書いた。
「われら」「各紙」は、消費税増税がどんな結末を招くのか、よく知っているのである。〝彼ら〟は、「当時と今では財政状況が違う」というかもしれない。しかし、税法学の専門家、湖東京至・前関東学院大学教授はこう語る。
「消費税増税は景気悪化を招き、国民の生活を苦しくさせる上に、税収増にも財政再建にもつながりません。
それは橋本政権当時も今も変わらない。国の財政が厳しいから増税はやむを得ない、というマスコミの論理は詭弁です」
そのなかにあって増税反対の論陣を張ったのは、なんと米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(日本版)だった。7月6日付社説で、
〈(消費税増税のl)議論を今、強いるのはおかしい。デフレにあえぐ日本経済は消費拡大を必要としている)と指摘したうえで、肥大化した政府の無駄を削り、規制緩和を進める必要を説いている。
日本の大メディアにはそんな当たり前の論調がまるでなく、各紙横並びの増税礼賛記事が紙面を覆っているのは、背後で霞が関の振り付けがあるからだ。
「不確実な試算」で記者を〝洗脳〟
ある大新聞のベテラン経済部記者は、参院選さなかに財務省の中堅官僚から1通のメモを見せられた。表題はなく、箇条書きで、
◆日本の財政の現状
◆ギリシャの財政破綻
◆各国との債務残高比較
◆欧州諸国の間接税(消費税)の税率比較
◆消費税率(3%、5%、7%引き上げ)ごとの財政寄与度
◆国内経済(GDP)への影響
──などの項目があり、表などの資料も付いていた。
そして財務官僚はこう付け加えたという。
「いま財政再建に手をつけないと、日本経済は一層の混乱に陥ります」
経済部記者は、消費税を引き上げた場合、景気に悪影響を与えて税収は増えないのではないかという経済学の常識的疑問をぶつけた。
「確かにデフレの状況で税率を上げても効果は薄い。
しかし、日本経済はリーマンショックから回復して出口政策を取る時期に来ている。近々、日銀も今年度の成長率見通しを上方修正するはずです。実質成長率は2%台に乗るでしょう。成長の中の税率引き上げであれば、マイナスは吸収できる。だから今しかない」
財務官僚は明快に言い切った。「必要な資料は後ほどメールします」といい、要点解説をつけた関連資料が送られてきた。
財務官僚が「消費税を増税しても景気への影響はない」とした根拠は、昨年6月23日に内閣府がまとめた試算だった。
『中長期の道ゆきを考えるための機械的試算』と題するレポートで、2011年から消費税をそれぞれ3%、5%、7%引き上げた場合の日本経済と財政への影響をシミュレートしたものだ。
試算の結果は、消費税率を5%引き上げた場合、経済が順調回復、急回復の両シナリオともに、日本の成長率は消費税を上げない時とほとんど変わらない、つまり増税による景気への悪影響はないことになっている。
折しも、財務官僚が経済部記者に予告したように、日銀は7月15日、10年度の実質経済成長率見通しを従来の1・8%から2・6%に上方修正した。 これは内閣府の試算では「経済急回復シナリオ」で想定されている数値(2・4%)を上回るものだ。財務省、日銀が一体となって「経済急回復」を演出し、消費税増税の世論づくりに懸命になっていることが窺える。
しかし、専門家の間からは、試算そのものに疑問の声が上がっている。元経済企画庁審議官でマクロ経済分析の権威、宍戸駿太郎・筑波大学名誉教授が語る。
宍戸氏は消費税率を5%引き上げれば5年目にGDPが約45兆円減少するという試算をまとめている。
「国内の代表的なシンクタンクの多くは私と同じく増税が経済成長にマイナスという試算を発表している。
内閣府の試算だけが違う結果なのは、悉意的な経済モデルを使っているからといわれても仕方がない。政府やメディアがそうした試算で増税の影響はないと判断するのは危険です」
ちなみに、内閣府のレポートにも、「ここで示す展望は、種々の不確実性を伴うため相当な幅を持って理解される必要がある」と但し書きがあるが、新聞は一切報じていない。
官僚が「講師」を務める勉強会も
メディア対策は現場の記者だけにとどまらない。
財務省は1か月に1度程度の割合で事務次官と各社の論説委員・解説委員との「論説懇」、さらに局長・審議官クラスと経済部キャップとの懇談会などを定期的に行なっている。また、有力な経済評論家は、やはり局長や審議官が分担して個別に会合を持ち、「ご説明」を行なう慣習を続けてきた。
会合は庁内以外にレストランなどでも行なうが、その費用は多くの場合、財務省持ちである。時には、政治家がスポンサーとなって高級レストランで記者と勉強会を開き、財務官僚が講師役に呼ばれて財政問題をレクチャーするといったケースも珍しくない。官僚と大マスコミが〝財務省機密費(税金)〟で飲み食いしながら増税の談合をするなど、ブラックジョークにもならない。
「重要なのは消費税増税をいかに社の方針として掲げてもらうかだ。5大紙はじめメディアの経営トップとは事務次官や主計局長が会合をもって、必要性を説いてきた」(財務省主計局官僚)
読売新聞が先陣を切って今年5月に「消費税10%」の緊急提言を打ち出すと、自民党がそれに枕き、その後、菅首相が、〝自民党も読売もいっているから怖くない〟と「10%」公約を掲げた。その背景には、こうした周到な根回しがあったわけである。
新聞に登場するコメンテーターも、財務省御用達の学者ばかりだ。 その代表格が石弘光・放送大学学長だ。小泉政権時代に政府税制調査会会長を務めた増税論者で、財務省の信頼がとくに厚いとされる。石氏は参院選前には、
〈最も罪が重いのは無駄を排除すれば必要な財源を確保できるとし、消費税率引き上げなど正当な政策と真正面から向き合おうとせずに、逃げ回ってきたことだ。
いわば奇策に終始し、政策の王道を歩いていない〉(フジサンケイビジネスアイ6月16日付)と、これまでの民主党政権を批判。増税が「正当な政策」で、無駄の排除は「奇策」だという、まさに霞が関に都合のいい論理を展開してきた。
同氏は参院選後には読売新聞の「どうなる菅経済政策」という記事(7月19日付)で、「消費税率の引き上げについて、広く問題提起をしたという意味では成功だった」とコメントしている。
大手紙の経済部の幹部は、「記者の間にも消費税増税キャンペーンに疑念を抱いている者は多い。が、増税に慎重な学者を登場させようとしても、社の上層部の判断で、財務省に近い学者の評論を載せるように指示が出る」と打ち明ける。
大新聞の増税キャンペーンは紙面づくりからコメンテーターの人選まで、財務省にコントロールされているのである。 -
山崎行太郎の「毒蛇山荘日記」の一部を下に引用する。というよりも、その中に引用された吉本隆明の分析を引用する。つまりは孫引きになるが、日本における左翼の弱さと右翼の強さを「転向」の面から論じている。吉本隆明は文章が面倒臭いのでほとんど読んだことはないが、「目のつけどころの良さ」という点では優れている批評家のようだ。(思想家だとは思わない。)
この文章では、要するに日本における左翼の強さと右翼の弱さの原因を民衆との紐帯の有無の点に見ているわけだが、ではなぜ民衆は右翼を支持し左翼を支持しないのか。それは簡単な話であり、右翼とは保守思想、つまり現状を維持しようという思想だからである。「保守とは所有に伴う必然的傾向である」(ミヘルス)わけだから、この社会で生活している人間で多少の所有(財産・所得)を持つ人間なら保守主義にならないわけにはいかない。つまり、「失うものは鎖しかない」奴隷的境遇の最下層労働者以外にはこの社会を革命的に変革したいと願う人間はいないのである。それがこれまで日本が保守天国だった理由である。そして高度経済成長のおこぼれが累進課税や社会保障の形で庶民にも配分されていた時代なら、それで良かったのだ。いわば日本がよく言われるように「世界で唯一成功した社会主義国」だったというのは、まったくの事実なのである。ところがおかしなことに、日本国民自体がそれを知らず、左翼を毛嫌いし、右翼を心情的に応援してきたというのが過去の歴史であった。
その後、アメリカ、イギリスが福祉予算をどんどん削減し、金持ち優遇政策を取るようになり、(おそらくアメリカの指示で)日本も同様の政策を取り、「格差社会」が生まれたのはご存じのとおりだ。それは日本社会全体の貧困化でもあった。
今、勤労者の3分の1が非正規労働者であるという状況では、そして正規労働者も雇用を楯にとって労働強化を強いられており、いつ非正規労働者に転落するかわからない社会状況では、ほとんどの庶民は失うものは鎖しかないのではないだろうか。それが昨年の衆議院選挙での自公政権の敗北という事件の意味であり、あれは選挙による「無血革命」だったのである。
日本国民はこれからまだ米国に国民資産と収益の大半を収奪されることになる。もちろん、国民から日本政府が税金や年金の形で金を巻き上げて、それを米国に上納するのである。その状況でもまだこの状態を変えたくないという「保守主義」を国民は支持するのだろうか。
もちろん、「マルクス主義」や共産主義が破綻した思想であることは言うまでもない。その意味での左翼には存在意義はない。だが、「社会全体の幸福を実現するために財産と所得の格差をなくしていく」という意味での「社会主義」は、たとえば「フエビアン主義」のような漸進的社会主義は、今の世にこそ必要なのではないだろうか。
(以下引用)
。吉本隆明は『転向論』でこう書いている。
日本的転向の外的条件のうち、権力の強制、圧迫というものが、とびぬけて大きな要因であったとは、かんがえない。むしろ、大衆からの孤立(感)が最大の条件であったとするのが、わたしの転向論のアクシスである。生きて生虜のはずかしめをうけず、という思想が徹底してたたきこまれていた軍国主義下では、名もない庶民もまた、敵虜となるよりも死を択ぶという行動を原則としえたのは、(あるいは捕虜を恥辱としたのは)、連帯認識があるとき人間がいかに強くなりえ、孤立感にさらされたとき、いかにつまずきやすいかを証しているのだ。(吉本隆明『転向論』講談社文藝文庫p291)
大衆との連帯感と大衆からの孤立。吉本隆明は、転向は権力の弾圧や強制によるものではなく、むしろ本人の思想的な内発的意思によると言う。 -
私の思考の根本にあるのは、デカルトではないが、すべてを疑えということである。特に世の中の定説・常識・専門家の発言を私はほとんど信じていない。それらの大半は、私の場合、より信じられる説が出てくるまでの仮説として利用しているだけである。ビッグ・バン説、膨張宇宙論、進化論など、現在の科学の「定説」など、天動説と同レベルの話だとしか思っていない。そのうち地動説のような説によってひっくり返され、「あの頃はあんな馬鹿なことをみんな信じていたんだそうだぜ」と後世の連中から馬鹿にされるのがオチではないかと思っている。
以上は前置きだが、医学についての私の考えを書こう。私の考えは次の通りだ。
① 医者になるのに平均以上の頭のよさは必要ない。つまり、現在の大学医学部は必要以上に入学が難しすぎる。
② 大学の医学部を理系とするのは間違いである。医者には数学、物理などの知識は必要ない。臨床医になるなら、化学、生物も本当は不要である。臨床医には実地医療に必要な知識さえあればいいのであり、医学研究者だけが化学、生物の勉強をすればいいのである。車やパソコンの運転・操作をするのには機械の構造など知らなくてもいいのである。
③ 医療崩壊の真の原因は健康保険制度の欠陥にある。
④ 難病は治療する必要はない。現在の医学水準で直せない病気を「治療」することで金を取るのは詐欺である。
⑤ 高齢者には癌治療の必要はない。癌のほとんどは老化現象の一つと考えるべきである。
⑥ 患者が望めば安楽死ができるように法整備をするべきである。
⑦ 治癒不可能な病気に対してはペインクリニックを中心にするべきであり、そのためには医療における麻薬使用の制限を大幅に解除すべきである。
⑧ 医療はもともとリスキーなものであり、医療に対する過度な訴訟は医療を不可能にするものであるから、医療訴訟が不当な場合は逆に原告に対し、名誉毀損罪や誣告罪などが即座に適用されるべきである。
⑨ 厚生労働省の医療への過度な干渉により医療が瀕死状態にあることに鑑みて、現在の「官僚の医療支配」を改善する方策を立てる必要がある。
これらの中には極論もあるが、現在の医療状況を改善することは、結局は国民全体のためにもなるはずだ。(現在、多くの県で産婦人科が消滅している地域がある。これなど、医療崩壊の身近な例である。)もちろん、健康保険制度によって日本の医療福祉が守られてきたという事実は大きいのだから、その長所は残したままで、欠陥を改善していけばいいということだ。 -
日本の社会的問題は、そのほとんどすべてが官僚によって作り出されてきたと言ってよい。宮本政於が「お役所の掟」などで暴露したように、国会における大臣答弁は官僚の作文を読み上げるだけだし、野党側の質問さえ、あらかじめ官僚を通じて「こういう質問をしてほしい」と誘導されているのである。そして、もちろん、代議士提出の法案の数など、政府提出法案のおそらく1割程度だろうし、それらの代議士提出法案は法務官僚の手で欠陥がほじくりだされ、国会を通過できないことになる。あるいは菅民主党が郵政民営化阻止法案を審議もしないままに打ち切り(延期と言っているが、どうせ打ち切りにするつもりである)にしたようなのも、背後で官僚が糸を引いているに決まっている。
日本社会のほとんどの問題は、官僚がその気になれば、すぐにでも解決できる問題ばかりなのである。もちろん、親方である米国が怖いからできないという言い訳はあるにせよ、だ。
たとえば、医療崩壊の問題など、健康保険制度における医者の技術点を上げ、医者になる関門の難度を引き下げるだけでもすぐに解消できるはずだ。1回の診療の技術点が百円程度(あるいは数十円か?)では、医者になろうという人間はいなくなるだろう。健康保険制度によって日本人は安価に医療が受けられたというメリットは大きいが、その負担は医療関係者にかかってきているのである。それが医療崩壊の根本原因だ。つまり、健康保険制度は、日本の現実に合わなくなっているのである。だが、健康保険制度を食い物にしている厚生労働省官僚の生活を維持するために、日本の医療崩壊はまったく手をつけられていない。そして、国民は官僚たちの口車に乗せられて、「医者はもうけすぎだ、恵まれている」などと、いつの時代の話かという寝言を叫んだりするのである。
官僚に国民の生活や財布を任せているかぎり、この国は良くならない。だが、官僚の存在しない国家は考えられない。ならば、官僚を監視するシステムを構築するしかないのだが、いわゆるオンブズマン制度などがまったく機能していないのはご承知のとおりだ。この難問をどう解決すればいいのだろうか。それは、近いうちに考察してみたい。 -
「マスコミに載らない海外記事」より転載。米軍がイラクやアフガニスタンで行っている、このような殺戮に対して、親米派の人間、日本がアメリカの属国であることを容認する人間はどう考えるのだろうか。イラク人やアフガニスタン人など、皆殺しにしていいとでも思うのだろうか。それとも、「俺が一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅びたってかまわない」とでも思うのだろうか。小泉や竹中のように「俺の銀行口座に3億円の金が入るなら日本など滅びたっていい」という人間もいるのだが。
(以下引用)
2009年10月、数人のイラクとイギリスの医師たちが、国連に、ファルージャにおける放射能に関係した病気の急増に対する調査を要求する書簡を書いた。
“イラクのファルージャに暮らす若い女性は、頭が無かったり、頭が二つあったり、おでこに目が一つだったり、うろこ状の体や、四肢が無かったりというひどい奇形で生まれる新生児の数が増えているため、子供を産むのを恐れている。更に、ファルージャの幼児は、今、恐ろしい癌と白血病を患っている。…
“2009年9月、ファルージャ総合病院では、170人の新生児が生まれたが、24パーセントは生後七日間の間に亡くなった、死んだ幼児の何と75パーセントは、奇形に分類されている。…
“特に、ファルージャの医師は、前例がないほど多くの出生異常に直面しているのみならず、早産も2003年以後、大幅に増加したことを指摘している。しかし、何よりも気掛かりなのはファルージャの医師が言う通り‘生き残れた幼児のうちのかなりの人数が、後に深刻な身体障害を発症し始めています。’” (“アメリカ軍に破壊されたイラクの都市における出生異常の急増”英文・参照)
アメリカ軍の行動と結びつく奇形や他の病気の、いかなる急増を証明する研究は皆無だと断言して、ペンタゴンはこの報告に反論した。“環境問題が特定の健康問題をひき起こしていることを示す研究は存在しない”とある国防省広報担当官は、3月、BBCに語っている。とはいえ、研究が皆無なのは、主として、ワシントンとその傀儡バグダッド政権が妨害しているためだ。
“ファルージャにおける癌、乳児死亡率と出生時性比”の著者によると、イラク当局は彼らの調査を駄目にしようと試みたという。“質問票調査が完了して間もなく、質問票調査がテロリストによって行われており、質問票に答えたり、管理したりする人々は、逮捕される可能性があると、イラクTVが放送したといわれている”とこの研究は報じている。
ファルージャの住民に対し、アメリカ帝国主義が犯した暴虐の歴史は、2003年4月28日、米軍兵士が、地元の学校を米軍基地に転用するのに反対する約200人の群衆に無差別射撃をしてはじまった。いわれのない攻撃で17人が殺害され、二日後、アメリカ兵士が、この殺害に反対するデモに発砲し、更に住民二人を殺害した。
これが大衆の怒りに油を注ぎ、ファルージャは、スンナ派による反占領レジスタンと、アメリカによる報復の中心となった。2004年3月31日、怒った群衆が、戦争犯罪に相応の責任を持っている民間警備会社ブラックウオーターUSAの車列を止めた。四人のブラックウオーター社傭兵が車から引きずり出され、殴打され、焼かれ、ユーフラテス河に架かる橋に吊された。
アメリカ軍は、そこで、この都市を制圧してやると約束したが、ある匿名将校は、都市は“戦場”と化するだろうと語っていた。ところが、数千人の海兵隊員が参加したオペレーション・ヴィジラント・リゾルブは、2004年5月、アメリカ軍が包囲をあきらめて終了した。圧倒的な軍事的優位に対するファルージャ住民の勝利をイラク中が祝賀し、世界中が注目していた。
ペンタゴンは、2004年11月、反撃に打って出た。市は包囲され、市内に残った全員が敵性戦闘員と見なされ、世界史上、最も重装備した殺人マシンの格好の標的となった。AP通信は、自分の家族と一緒に、町から逃れようとした男たちが、大虐殺の場へと追い返されたと報じた。
攻撃で、アメリカ軍は、化学物質の白リンを大量に使用した。建前上は、戦場を照明するためにだけ使用されるのだが、白リンはひどい、往々にして、致命的な傷をひき起こし、建材や衣類を焼き、更に、皮膚を、そして骨を蝕む。この化学物質は、民間人が隠れている建物の酸素を消費し尽くすためにも使用された。
住民に報復したいというワシントンの願望は、殺害した“武装集団”(1,400人)と、囚人として生きたまま捕虜になった(1,300-1,500人)人数がほぼ同数というアメリカ軍報告という事実によって示されている。ある時、NBCニューズは、ある米兵士が、負傷して不自由なイラク人を殺害するビデオ映像を放映した。後の海軍の調査で、この海兵隊員の行動は正当防衛だということになった。
10日間の戦闘で51人のアメリカ兵が死亡した。殺害された住民の本当の人数は不明だ。攻撃前のこの市の人口は、425,000人から600,000人の間だと推定されている。現在の人口は250,000人から300,000人と考えられている。何万人もの人々が、大半が女性と子供だが、攻撃の前に脱出した。市内の建物の半数は破壊され、その大半は瓦礫と化している。
イラクの大半と同様、ファルージャは瓦礫のままだ。最近のプロジェクトof国連人道問題調整部、IRIN報告書によると、ファルージャは、攻撃から6年後の今も下水設備がなく。“排泄物は道路にあふれ、飲料水に入り込んでいる”と報告書は書いている。“ファルージャ総合病院院長アブドゥル-サッタル・カドゥム・アル・ナワフは、下水問題が住民の健康に被害を与えていると語っている。住民たちは、ますます下痢、結核、腸チフスや他の伝染病に感染するようになっている。”
アメリカ攻撃の残虐さは世界に衝撃を与え、ミライ、サブラ・シャティラ、ゲルニカ、南京、リディツェ、ウンデドニーを含む悪名高いリストに、ファルージャの名を加えることとなった。
他のこうした虐殺と違い、ファルージャに対する犯罪は、砲撃が止まっても、爆弾が投下されなく何ても、終わるものではない。
劣化ウランを大規模に使用するというアメリカ軍の判断は、“ファルージャの癌、乳児死亡率と出生時性比”によって、2004年には生まれていなかった世代の子供たち全員を汚染する残虐な行為でしかないことが証明された。
アメリカが、アフガニスタンにおける戦闘の大規模エスカレーションを準備する中、このファルージャ研究は時宜を得ている。アメリカのアフガニスタン作戦の元トップ、スタンリー・マクリスタル大将は、何よりもアフガニスタン武装反抗勢力に反撃しようとするアメリカ兵の手を縛っていた、というローリング・ストーン誌の特集記事を先頭とするマスコミの非難キャンペーンを受けて、先月更迭された。
マクリスタルは、元アメリカ中央軍司令官デービッド・ペトレイアス大将にとってかわられた。ペトレイアスは、武装反抗勢力と思われる敵に対し、非対称的な火力の使用を認める新たな交戦規則の骨子を示した。
ペトレイアスの後任の中央軍司令官には、2004年のアメリカによるファルージャ攻撃計画で重要な役割を果たした、ジェームズ“狂犬”マティス大将が着任した。マティス大将は殺人を大いに楽しむ人物で、2005年に公共の場で“やつらを撃つのは愉快だ.... なあ、本当に面白いぞ。”と発言している。 -
日本政治の問題の根幹には、常に「既得権益層」が立ちはだかっている。その代表が官僚とマスコミであり、この両者は手を結んで国民を洗脳し、騙し続けているわけだ。もちろん、文部科学省も大学への補助金を楯にして自分たちの要請に従わない大学に圧力をかけるから、大学入試を最終目標とする公教育も洗脳機関となる。高校の日本史で明治以降をほとんど扱わないのは、近代史の問題点を国民に知らせないという意図が明らかにあるはずだ。そうでないかぎり、この異常な状態が50年以上も続いているはずがない。
だが、もう一つの問題は「既得権益層」は我々の身近にも存在しているということである。これこそ私の嫌いな例の「トリクルダウン理論」の実例になってしまうのだが、高級官僚が大金を手にするシステムを維持すれば、下っ端公務員にもおこぼれがくる、というのがそれであり、大手ゼネコンが公共事業で大金を手にすれば、虫けらのような下請け建築会社にも雀の涙程度のおこぼれはくる、ということだ。彼ら一般民衆もまた現在の構造から利益を得てはいるのである。だから、我々が既得権益層を批判する場合、我々の隣人と争うことになる。だから、誰もが現在の不条理に対し、批判の声を上げられなくなるのである。
再三再四の転載になるが、「独りファシズム」の過去記事から、マスコミがなぜ民主党政権を敵としているのかについて。いわゆる「クロスオーナーシップ」の禁止の問題をわかりやすく書いているので紹介する。
私の考えでは、民主党はこの問題について、あまりにガードが甘かったということだ。「これからあなたを殺しますよ」と宣言してから殺しにいくのは大馬鹿だろう。ボクシングで言う「テレフォンパンチ」を、殴られるまで待つボクサーはいない。当然相手の全力での反撃が予想されるのだから、この事案については最終段階まで隠すべきだったのである。ヒトラーが「長いナイフの夜」事件において、一瞬のうちに自党内の左派右派の二つの敵を片づけた故事を見習うべきだったのだ。昔から「謀り事は密なるをもって良しとする」というのはそういうことである。
(以下引用)
電波利権の香具師
2009/09/01 00:57
とりあえず、電波使用料をEU並にひきあげて欲しいです。日本の民放電波使用料はイギリス(GDP日本の半分)の20分の1程度。総務省の天下りや、関連外郭団体の利権で連中が好き勝手し放題なわけです。ま、公共電波の完全私物化ですね。だから、テレビ局入社できりゃ、30歳やそこらの若造でも年収1000万円とか破格の給料がゲットできるわけです。実際、現行の電波使用料をEU並といわずとも、数倍引き上げるだけで、年間10兆円規模の財源が確保できるわけで、これが「電波埋蔵金」ってヤツですね。
デジタル放送に移行すれば、新規参入の局だけでなく3Gの携帯電話会社と需要がかち合います。オークション制で市場原理に基づき使用料が適正価格で取引されると、それが財源として医療、年金、その他社会保障費の補填に充当できるわけです。民主党は電波オークションに加え、新聞社と系列テレビ局の切り離し、つまりクロスメディア解体も狙ってますから、政権奪取後は確実にマスゴミから叩かれまくるでしょう。まあ、偏向報道で執拗な攻撃にめげず、頑張って欲しいもんです。 -
今日はあまり気力が無いので、三連続になるが、今日のメニューは「独りファシズム」の過去記事からの転載。この人は、現代日本の大賢者の一人のようだ。以下に転載する記事は、自民党が下野した昨年夏の時点での予測だが、官僚による国家コントロールの成り行きを見事に読んでいる。我々凡人は政治の表舞台にしか目がいかないが、真の政治はその裏で、官僚の手によって行われているということだ。ついでながら、ブログも本も、時には過去のものを読み返すとよい。時間の経過によって真実や本物の価値が洗い出されるということもあるのだから。
(以下引用)
ソ連も(( ;゚Д゚)))ガクブル
2009/08/23 20:55
自民党の下野は確定として、関心があるのは実質的にこの国を動かしてる官僚が次にどんな支配構造を策定してるか、つうことですね。特別会計230兆円、特殊法人債務400兆円、天下り補助金年間12兆円と、従来のまま「官」の権益を放置しとくと民主が与党になったところで、時系列的に国家が破綻するのは確定なわけです。ま、連中は東大出の頭脳集団ですから、自民党崩壊なんてのは数年前からとっくに想定済みで、それにあわせ水面下で利権調整を着々とやってんでしょうけど。
ロシアなんかも、アフガン侵攻あたりから共産党官僚はソビエト崩壊を既に予見して、国家資産の海外移転や私物化を進め、崩壊後はオルガリヒ(新興財閥)として莫大な富と権力を手にしたわけです。が、日本の官僚ってのはまた桁違いにエゲツないです。なんせ、20年以上にわたり、1次、2次、3次「大全総」という「10ヵ年公共事業計画」を続け、毎年50兆円を土建にぶち込む「計画経済」で政治屋とともに利権を貪り、その上、実質の国家予算(特会)すら国民に非公開という旧ソ連も(( ;゚Д゚)))ガクブルの官僚統制国家を連綿と築いてきたわけですよ。
ここらへんをガチで突っ込むと、石井議員みたい簡単に殺されるわけです。警察官僚どころか検察までお仲間なわけですから、殺人だろうが痴漢の冤罪だろうが、利権に触れる輩を葬るのは蚊をプチっと潰す程度のもんで..。つうわけで、民主が政権奪取しても、140年続く官僚支配構造を打破するのは無理。愚民の手前、双方の面目を保てる程度、どこらへんで「手打ち」にできるか、ってくらいのもんです。天下りの撤廃と特殊法人の統廃合、国家予算の一元化くらいでもできりゃ、それだけで合格でしょうな。
