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日本人の「表と裏」

私は「日本スゴイ」論者ではなく、むしろその反対であることは過去記事(日本批判記事が多い。)から明白だろうが、下の「in deep」記事を見ると、もしかしたら日本人の賢さの平均的水準は世界一ではないか、と思ってしまう。権威と権力を信じないのは賢さの証だ。
では、なぜ権威と権力が大嫌いな日本人が、あれほど権威と権力に弱いのか。これは、明白に自己保身のための「面従腹背」なのである。本気で尊敬も尊重もしていないが、偉そうな存在には頭を下げておく。日本人とはそういう「リアリスト」であるわけだ。キリスト教を信じてなくてもクリスマスという行事は採用し、神道を信じてなくても初詣には行く。仏教を信じてなくても葬式はお寺に頼む。それは、すべて「そうしとけば安全だしメリットもある」からにすぎない。
これは、不正直そのものであり、いわば生活が欺瞞の上に成り立っているのだが、社会の中で生きるというのは、もともとそういうものであるわけだ。だが、そうした社会から生まれないものは「革命家」であり、生じないものも革命である。つまり、日本人は賢いからこそ、すべて「予測」して行動してしまい、なかなか冒険をしない。突出した偉人は出にくい民族だろう。

(以下「in deep」から引用)*「神戸だいすき」記事に一部載っていたので所在を知った。





社会実情データ図録



このダントツぶりは、すごいと思いませんか?



日本は、「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」について、



・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %



という、他のどんな国とも比較にならないほど、「権威と権力が嫌い」なのです。



2位は、「スウェーデンの憂鬱」について書きましたこちらの記事で取り上げさせていただきましたスウェーデンですが、それでも、



・良いと思う人 → 22.5 %
・悪いと思う人 → 50.2 %



と比較にならない差です。


(中略)



第二次大戦後に西洋人主導で進められた現在の日本社会のスタイルは、私たちに合っていない。



権威と権力が大っ嫌いな私たちには合っていない。



少なくとも、戦前は「権威と権力が大っ嫌い」という考え方に則って日本人が生きていたことは、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』などにも数多く出てきます。



たとえば、19世紀には西洋では「権威の頂点」だった「宗教」というものに対しても、日本人は以下のようなものでした。


渡辺京二著『逝きし世の面影』より

1871年に来日したヒューブナーはこのように記した。「私はこの国(日本)の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿らしいと答えるのだ」。


バードは1878(明治11)年の東北地方縦断の際、久保田(現秋田)の師範学校を見学したが、校長と教頭に対して生徒たちが宗教について教えられているかどうか尋ねると、二人は「あからさまな軽蔑を示して笑った」。


「われわれには宗教はありません。あなたがた教養のおありの方々は、宗教は偽りだとご存じのはずです」というのが教頭の答だった。


リンダウは、「宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である」と言う。日本には数多くの寺社があるにもかかわらずそうなのである。


日本では僧侶は「いかなる尊敬も受けていない」。


仏教と神道の区別もはっきりしない。民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」。しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。



何に対しても、権威には、この態度だったと思います。


(徽宗注:容量のため以下省略)





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国民のカネはすべて政府のカネとして回収します

まあ、政府による、電子マネーの普及の後押しというのも、政府と銀行のオンライン化で政府が全国民のすべての財産を把握する目的だったのだろう。
「貯蓄税」や「財産税」が法制化されるのは目前か。





さんがリツイート
5時間前

なお、この絵の右側にはお金持ち御用達のタックスヘイブンの銀行は描かれていません。


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  • さんがリツイート
    6時間前

    生活保護の不正受給のためなら預金照会もOKという人もいるかもですが、あなたの親戚が生活保護の申請をしようとすると、あなたの預貯金もこのシステムで紹介されることになるでしょうね。マイナンバーと戸籍情報ももうすぐ紐付けされますから、あなたが親戚であることもすぐにわかります。


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  • さんがリツイート
    6時間前

    政府は行政機関と金融機関の間のオンライン化を考えています。政府の「第9回新戦略推進専門調査会デジタル・ガバメント分科会 第36回各府省情報化専任審議官等連絡会議 合同会議」(2019/11/18)に「金融機関×行政機関の情報連携検討会」が提案しています。


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  • さんがリツイート
    5時間前

    これはどう考えても、貯蓄税狙い。高齢者を中心に貯め込んだ資産を消費に回すためには、年金や医療を巡る「将来不安の解消」が不可欠だが、それをすっ飛ばして貯蓄に税をかけて資産を吐き出させる。100%あり得ない 預貯金口座とマイナンバー連結義務化検討を要請…高市総務相


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この小話で、安倍政権のインチキさは明瞭になる

これは秀逸。
ただし、私は「宿題否定(不要)論者」なので、あくまで安倍政権や菅官房長官の答弁の非論理性、すなわち政治や社会からまともな論理性が消滅した事態への皮肉として高く評価するのである。(私がしばしば否定する「合理主義」が、政治家や官僚や経済界の人殺し道具になっていることの反面には、この「まともな(要素の取捨において正しい優先順位を持つ)合理性の死」があり、「非道な合理主義の跋扈」は人々の素朴な「合理主義への盲信」を基盤としている。)なお、この小話での「保護者」とは安倍サポーターやネトウヨを指すことは言うまでもないが、それすら読み取れない人間(日本語が理解できない日本人)が社会に増えている気がする。

(毎度強調しておくが、政治家や官僚や経済界、つまり資本主義社会の中心をなすカネ儲け主義者たちの「非道な合理主義」では、その論理構成の中で捨てられた(捨象された)もの(主に弱者である。)が巧妙に隠され、庶民の目には見えないのである。注意すべきことは、たとえば一枚の皿の絵や写真や実物があったとして、それは最初から空なのか、それとも何かが載っていた皿なのか、それは何なのか、判断はできない、ということだ。)

(以下引用)


  1. さんがリツイート

    続き

    先「宿題は提出するものだろ」

    小「宿題を定義することは困難」

    先「これからどうする気だ」

    小「説明責任を果たしていきます」

    保護者「先生のお給料は税金ですよ、その追求の時間に税金がいくらかかったと思ってるんですか、そんな小さな事ではなくもっと他にすべきことがあるでしょう。」


  2. さんがリツイート

    いたらいやな小学生

    先生「宿題提出して」

    小学生「破棄したので無理です」

    先「やってないんだろ」

    小「指摘は当たりません」

    先「じゃあもう一回して」

    小「既に適切に処理しており必要ありません」

    先「提出しない気か」

    小「提出しないのではなく結果としてされないのではないか」

    続く












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電子社会の戦争

これは、かなり現実性がある話だと思う。電子依存社会というのは、板子一枚下は海と言うか、断崖の傍の道を酔い心地で歩いているようなものだと私は思っている。
まあ、どんな戦争でも、弱者が犠牲になるのは同じである。


(以下引用)


さんがリツイート

本当に第三次世界大戦が始まると、前線に送られた若者が死ぬんじゃなくて、サイバー的・電子的な手段でインフラをズタズタに切り裂かれたことで流通がボロボロになって、爺さん婆さんや子供や貧弱オタクから死ぬことになると思う。今時若者を徴兵して前線に並べて突撃させるなんてのは流行らない。

















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合理主義の罠

少し前に「合理主義+資本主義=少子高齢化」とかいう題名の記事を書いたが、それについて考えてみる。書きながら考えるので、結論など持っていない。逆に言えば、「最初から結論ありき」の文章にはならないと安心して読めるだろう。
まず、「合理主義とは不合理である」、とは混沌堂主人氏が私の記事を引用した文章にタイトルを付けたものだが、まさに、そこが実は合理主義の最大の問題で、合理主義とは「ある目的に関してのみ」合理的なのである。それ以外の場面では不合理となる。嘘だと思うなら、お店の前で、玩具やお菓子をほしがって泣きわめく幼児を「合理的な説明」で説得してみせるがいいwww 説得できないなら、それが合理主義の限界である。
では、大人が相手なら、合理主義は万能か。もちろん、万能ではない。なぜなら、合理性というのは、「抽象化と捨象」を本質とする思考法だからだ。「ある問題に関して、その問題と無関係な存在をすべて捨象し、(目的とする)結論を導き出すための思考」が、合理的思考と呼ばれるものである。(詐欺師、特に経済犯の口上は一見「合理的」に見えるものだ。)ここで、「(目的とする)結論」と書いたのは、数学はべつとして、世上の多くの「合理的な解答」が、実は最初から結論が先にあって、それを世人に納得させるために「合理的な顔」を見せているだけだからだ。つまり、その思考過程には、実は「捨象」された無数の存在があるわけだ。
いや、捨象された存在は、「その問題と無関係な」と先に書いたではないか、と言われるだろうが、それは、「問題を扱う人間の主観」で「無関係」とされただけである。
そこで、合理主義と資本主義が結びつくと、恐ろしい結果になる。つまり、資本主義とは金儲けを第一義とする思想である。そして、合理主義とは、合理的思考に邪魔な要素はすべて捨象する思考法である。とすれば、その資本主義と合理主義の結婚から生まれるのは、「カネ儲けには無駄な存在(弱者や貧困者)の膨大な切り捨て」になるのは自明だろう。それが日本の現在であり、西側諸国の現在であり、おそらくこのまま行くと、中国やロシアもいずれそうなるだろう。それを予感した世界の若者たちの多くが、社会主義を肯定するようになっているのも当たり前なのである。

長くなりそうなので、ここでいったん切っておく。

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創造の世界がカネの世界に潰される

「NEWS WEEK」日本版記事の一部だが、全体として興味深い記事である。特に、デビュー時点から新人歌手に借金を負わせる芸能界の部分が驚きだったので、この部分を転載したが、出版界もかなりひどいようだ。出版不況(と言うか、紙の出版業界は世界的に消滅の危機にあると思う。)のためとはいえ、出版業を始めた時には、金儲けだけの意図では無かっただろうに、「貧すれば鈍す」ということだろう。

(以下引用)


韓国、若手作家が文学賞を告発 商売か芸術家の尊厳か

2020年1月13日(月)13時00分
ウォリックあずみ(映画配給コーディネーター)

作家が激怒! 30ページも本文をさらすBookTube

他にも、出版界では最近こんな問題が出て波紋を呼んでいる。1月4日作家ク・ビョンモ氏は、自分の作品を30ページにわたってYou tubeに公開している本のレビューチャンネルに対しTwitterを通じ抗議をした。


昨今、韓国では「ブックチューブ」と呼ばれる書評動画がYouTube上で流行している。ク・ビョンモ氏は、作品の一部ならまだしも30ページは公開しすぎだとし、「レビュー用の本文引用は5ページ未満までキャンペーン」でもしなければならないかな?と皮肉めいた発言まで投稿した。


本の売り上げが伸びない出版社も大変なのだろうが、プロモーションに必死になり、人気ブックレビューYouTuberには頭が上がらない状態だという。なかにはYouTuberに取り上げてもらうため、印刷所に入稿する前の原稿データを渡したところ、発売前の内容を流出されることすらあるという。


「何かを得るには何かを失わなければならない」という言葉がある。今回、作家たちの訴えがあったように、知名度を上げ、地位や名声を勝ち取るためには、作品の権利を手放す代償は仕方のないことなのだろうか?

K-POPでは、デビューと引き換えに借金も?

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不当な契約を告発したMOMOLANDの元メンバー、デイジー KBS News / YouTube


一方、芸能界では最近こんなニュースが注目を集めている。K-POPガールズグループのMOMOLANDは2016年に韓国で人気のオーディションサバイバル番組から誕生した。しかし、元メンバーだったデイジーが、このオーディションは出来レースだったとKBSのニュース番組内で告発。さらに、このサバイバル番組の製作費数億ウォンは、メンバーに割り振られて、ひとり当たり7000万ウォンの借金を追わせていたことまで暴露した。


デイジーは「制作費を出すのが当然だと聞いてお金を出した」と支払ったことを明かしている。これに対して所属事務所側は「制作費負担については、メンバーに説明したうえで本人が契約書にサインをしたので問題がない」と答えている。


デビューと引き換えに代償を払わなければならなかったオーディション番組は他にもある。ニュースで取り上げられたものといえば『明日のミストロット』が記憶に新しい。この番組は、トロットと呼ばれる韓国演歌の再ブームの火付け役となったほど人気があったが、1~4位の上位入賞者に対して、放送終了時から2020年末までのイベント及びTVの出演料などを含む収入のうち、なんと25%がオーディション番組の放送局であるTV朝鮮に入金されるよう契約されていたのだ。


このようなニュースを耳にすると、メディアという強者が若手作家やデビューしたてのアイドルに権力を振りかざし、強制的に契約を結ばせているように見えるかもしれない。もちろん大部分の世論もそのように感じて抗議している。しかし、ネット上の意見をよく見ていると、「受賞しているのだからマーケティング費用だと思えば安いものではないか?」という肯定的な意見も一部見られる。


受賞によって注目を浴びるのは確かだ。文学賞は多くのニュースで作家や作品の名前が取り上げられた後、満を持して本が発売される。アイドルたちはオーディション番組で視聴者から最高潮に関心を集めた状態でデビューできる。その為なら少しの代償は仕方ないのだろうか? 文学にしても芸能人にしても、本来の意味から離れ、受賞そのものがマーケティングの一部と化している部分に問題があるようだ。


毎年発売される「李箱文学賞作品集」は、韓国のどの家にも1冊はあるといわれてるほど、韓国文学界に無くてはならない権威ある文学賞だ。そんな巨大な存在を相手に告発をした作家キム・グンヒ氏は相当の勇気が必要だっただろう。これだけ知名度のある賞でこの条件なのだ、その他数ある賞の裏側ではどのような取引が行われてきたのだろうか?


文学界だけでなく、ここ数年韓国の文化・芸能分野において、今まで闇のベールに隠されていた事実が次々と浮き彫りになっている。これまで暗黙の了解として支払われてきた代償に、今一度疑問を持って考え直す分岐点に差し掛かっている。今回問題となった李箱文学賞もそれを乗り越え、より一層素晴らしい文学賞となり、伝統を受け継いでいってほしい。


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合理主義+資本主義=少子高齢化

「シロクマの屑籠」過去記事の一部である。
日本の少子化(と高齢化)の問題に解決策はあるのか、考える材料のひとつとして転載する。
下の記事を一言で言えば、「少子化とは合理主義と資本主義の当然の帰結である」と乱暴に要約できるだろう。逆に、そこからの脱出も、合理主義と資本主義の超克にあるのではないか。
まあ、私が自分のブログで合理主義や資本主義をしばしば批判してきたことはここにもつながるわけであるwww

(以下引用)


 子どもを若者に育てるためには膨大な時間とカネがかかるとわかっているにも関わらず、企業が優秀でない40~50代をリストラしたがっている社会情況を見据えるなら、平凡な人間が子育てを回避しようと思うのはきわめて合理的、かつリスクマネジメントに秀でた判断といわざるを得ない。
 
 むしろ、このような社会情況のなかで、自信も無いのに子育てを始めるほうがどうかしているのではないだろうか? ───少なくとも、合理主義的・資本主義的に人生を考え、リスクマネジメントの精神で人生設計をするような人ならば、自信も無いのに子育てを始めたりはしないのではないか。40~50代で安定した収入を維持できる見込みもないのに、時間とカネがすさまじくかかり、そのうえ親としての責任を問われてやまない子育てをスタートするのは狂気の沙汰である。生物としてはきわめて自然な繁殖ではあっても、合理主義的・資本主義的主体として考えるなら、ナンセンスとみなさざるを得ない。
 
 してみれば、現代社会の少子化とは、生物としては不自然な現象でも、合理主義的・資本主義的社会の行き着く先としては理にかなった現象のようにみえる。日本よりも凄まじい勢いで少子化が進んでいる台湾や韓国の若者は、より一層合理主義的・資本主義的に考えて、将来の年収と諸リスクをしっかり勘案して人生設計しているのではないか。
 
 頑張って大企業に就職してさえ、子どもを育てる盛りの時期にいきなりリストラされて再起不能になりかねない社会とは、「優秀でなければ子どもをつくるな」という圧力がかかっている社会にも等しい。そのうえ、子どもを放任しておけばそれはそれで虐待だと言われてしまう社会なのだから、産みっぱなしというわけにもいかない。よほど自信があるか、よほど子育てしたくてウズウズしているのでない限り、こんな社会情況でホイホイと子どもをつくって育てにかかるほうが、どうかしている。
 
 ……どうかしていると思いませんか。
 
 


「優秀な人」を基準にした社会では子どもは増えない

 
 もちろん、こうした問題は優秀な人には関係あるまい。
 
 優秀になれば大丈夫だよ。
 ↓
 優秀になりなさい。
 ↓
 優秀でないあなたが悪い。
 
 こうした考え方を良しとする人々にとって、リストラが心配だから恋愛・結婚・子育てを回避するのは負け犬仕草とうつるだろうし、実際、そのような論調をメディアでは稀ならず見かける。
 
 しかし、優秀な人を基準にした社会は、全体としてはけっして子どもは増えない。
 増えるわけがない。
 優秀な人は、その定義からいって少数派だ。
 少数派だけが子育てしたくなる社会なんて終わっている。
 
 もし、社会全体として少子化を解消していくとしたら、優秀な人だけが子育てを選べるような、優秀な人ベースの社会はどうにかしなければならない。平凡な人が子育てを選ぶ気がなくなる社会は持続不可能だし、あまり巷間では語られていないけれども、とんでもなく人間を疎外している社会ではないかとも思う。
 
 合理主義的思考と資本主義的イデオロギーが日本・韓国・台湾並みに浸透していて、それでもなお、優秀な人もそうでない人も恋愛・結婚・子育てに向かえるような社会はあり得るのだろうか。あったとして、それは東アジアでも真似できるようなものなのだろうか。
 
 大企業の40~50代がリストラされるニュースは、該当世代だけでなく、若者だって眺めているだろう。いまどきの、合理主義的思考や資本主義的イデオロギーをしっかり身に付けた若者たちは、ああいったニュースをどう眺めて、何を思うのだろうか。
 





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庶民はなぜ権力側に付くのか

「俺は民主主義国家にとって反権力、ないし権力に批判的であることは国民の義務だと思っている」

と言うのは理解されにくい言葉、あるいは舌足らずな言葉だと思うが、「健全な政治を維持するためには与党に均衡する野党議員数が必要である」と言ってもまだ理解されないだろうか。
言い換えれば、有名な「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」というのが、議会政治における「与党が常時過半数である」という状態なのである。
なお、庶民がなぜ権力側に付くか、というのも実に簡単な話で、「自己防衛(自己保身)」のためなのだが、そのメカニズムを論じるのも面白いかもしれない。庶民の「意味不明の(根拠のまったく無い)共産党嫌い」とか、政治家が言う、無根拠な「悪夢の民主党政権時代」をなぜ庶民まで口移しに言うか、という理由も、その「庶民の自己保身」にある。
まあ、それは端的に言って下種根性であるが、庶民はそれを正当化する理屈で自分自身を騙しているわけだ。
「悪いことしてなぜ悪い」は、権力者だけではなく、庶民の大多数にもある、ということである。権力のおこぼれに与る(体制派である)ことで利益を得る(あるいはその利益を期待して行動する)人間は無数にあり、それを利用することで政治悪は存続し続ける。





なので俺は、仮に共産党が政権与党になったら当然これに批判の目を向ける。れいわ新選組も同様。現時点でこの2つを支持するのは、政権与党に対する一番有効な批判勢力だからだ。



  • 俺は民主主義国家にとって反権力、ないし権力に批判的であることは国民の義務だと思っているのだが、これはイデオロギーとは関係がない。事実、私は共産党やれいわ新選組の主張は非常にまともだと考えるが、同時に反体制右翼団体である一水会にもシンパシーを抱いている。



  • 東日本大震災のとき俺が心の底から驚いたのが、単なる一般庶民なのに政府や権力の側に立つ人がこんなに多いのか、と言うことだった。反権力の言辞を弄する人間をことごとく左翼扱いされることも気になった。









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野党各党は高齢社会問題にどういう対策を持っているか

「世に倦む日々」ツィッターから転載。
非常に重要な指摘だと思う。実際、「マイノリティ、ヘイト、LGBT」に関心を持っている国民はさほどいないと思う。それが重要ではない、ということではなく、この高齢社会で、すべての人間にとって一番切実なのは、高齢者対策に決まっているのである。それを選挙の争点として取り組み、現実的な対策をまがりなりにでも打ち出しているのは山本太郎だけではないか。


1月11日

こういう問題こそいちばん重要で、リベラルが真っ先に議論して解決策を考えないといけない問題だ、と思う。が、大学でもネットでも、真っ先に出てくる言葉は、マイノリティがとか、ヘイトがとか、LGBTがとか、その方面ばかり。熱中する関心はそればかり。なぜなんだろう。


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    マスコミはこうして「権力」に取り込まれる

    「いつか電池がきれるまで」から記事の一部を転載。ここでの「権力」は政治的なものに限定されない。下の記事を簡単に言えば、毎度引用する「筆は一本、箸は二本、衆寡敵せずと知るべし」ということだ。生活(カネ)の前には正義も良心もあったものではない。

    (以下引用)


    『タブーの正体!』(川端幹人著・ちくま新書)という本のなかに、こんな話が出てきます。


     ただ、ジャニーズ型であっても、バーニング型であっても、芸能プロダクションがタブーになる過程にはひとつの共通する構造がある。それは、彼らがメディアを組み込む形で強固な利益共同体を築き上げていることだ。その共同体に取り込まれた者は、そこから排除されることを恐れ、プロダクションに一切さからえなくなってしまう。
     こうした構造をとてもうまく利用しているのが、今、人気絶頂のアイドルユニット、AKB48だ。AKBのメディア対策は非常に特徴的で、芸能ゴシップを頻繁に掲載している週刊誌や実話誌など、本来は芸能人にとって天敵であるメディアに対して利権を積極的に分配し、自分たちの利益共同体に取り込む戦略をとっている。
     たとえば、密会写真スクープなどで芸能ゴシップの震源地となることが多い写真週刊誌『フライデー』では、「AKB友撮」という連載に加え、グラビアや袋とじ、付録ポスターという形で、毎号のようにAKBメンバーが登場。さらには、人気イベント「AKB選抜総選挙」の公式ガイドブックも同誌編集部で制作され、講談社から発売されている。
     もうひとつの写真週刊誌である『フラッシュ』も同様だ。「今週のAKB追っかけ隊ッ!」といった連載に加え、こちらは「じゃんけん選抜」の公式ガイドを出版している。
     普段はアイドルと縁遠い総合週刊誌でもさまざまなAKBがらみのプロジェクトが展開されている。『週刊朝日』は「AKB写真館」に続いて「AKBリレーインタビュー」と、長期にわたり連載を続けているし、『週刊ポスト』編集部と小学館は、2011年の公式カレンダーの制作と販売を任されている。
     他にも、『アサヒ芸能』のような実話誌から、「日刊ゲンダイ」「東京スポーツ」などの夕刊紙、さらには『BUBUKA』などの鬼畜系雑誌まで、それこそありとあらゆるメディアが、連載、グラビア、記事、写真集の発行といった形で、AKB人気の恩恵に預かっているのだ。
     AKBの連載をしている週刊誌の編集幹部がこんな本音を漏らす。
    「AKB48はAKSという会社が運営しているんですが、ここに秋元康さんの弟がいて、雑誌対策をやっている。これまで芸能プロが相手にしなかったゴシップ週刊誌にもエサを与え、味方にするというのは彼の戦略ですね。ただ、それがわかっていても、我々としては乗らざるをえない。というのも、AKBが出ると、雑誌の売り上げが数千から一万部くらいアップする。雑誌が売れない時代にこれはすごく大きいんです」
     しかも、AKSの戦略が巧みなのは、AKBがらみの単行本や写真集などの出版権を、週刊誌発行元の出版社に与えるだけではなく、週刊誌の編集部を指名して制作させている点だ。このやり方だと、売り上げが編集部に計上されるため、編集部としてはますますAKBへの依存度が高まり、さからいづらくなる。
     実際、こうしたメディア対策が功を奏し、AKB48は今や、新たな芸能タブーのひとつに数えられるようになった。AKBにはメンバーの異性関係や運営会社・AKSの経営幹部の問題などさまざまなゴシップが囁かれているのだが、どの週刊誌もそれを報道しようとはしない。『週刊文春』『週刊新潮』だけは活字にしているが、AKBの利益共同体に組み込まれた他のメディアに無視され、完全に孤立している状態だ。


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