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アマゾン独走にストップか

アマゾンのような、いわば「虚空間でのカタログ販売」に小売業を独占されるより、実店舗との併用による「配送サービス」強化のほうが消費者にとっては安全で便利だろう。
つまり、社会にとっては「アマゾンによる世界支配」より、実店舗を持つ多数企業との競合があるほうが健全だと私は思っている。
独占企業というのは、独占するまではサービスがいいが、独占したら値段は上げ放題、サービスは低下し放題になるのである。水道民営化など、愚行の最たるものだ。


(以下引用)




アマゾンの「制約なき成長」の時期は過ぎた? 最大手が形成逆転

Panos Mourdoukoutas 2019/08/19 17:00







© atomixmedia,inc 提供
米アマゾン・ドット・コムに対抗し続けてきた同国の小売最大手ウォルマートが、オンライン販売でアマゾンを抑え、勝利を収めている。
ウォルマートは8月15日、2019年第2四半期(5~7月期)の決算を発表。既存店売上高が前年同期比で2.8%、オンライン売上高が同37%増加したことを明らかにした。同社の米国でのトランザクション数はこれで、19四半期連続で増加したことになる。最高経営責任者(CEO)の発言からも、同社が今後に明るい見通しを持っていることは明らかだ。
これらはウォルマートが見事な再起を遂げたことを示すものだ。そして同時に、アマゾンにとっては悪いニュースだ。
米バンヤンヒル・パブリッシングのシニア株式アナリスト、ジェフ・ヤスティンはこうしたウォルマートの変化について、2017年にオンライン小売サイトのジェット・ドット・コム(Jet.com)を買収し、幹部らを自社に迎え入れたこととの関連性を指摘している。ウォルマートはその後、現在に至るまでオンライン販売による売上高を急速に伸ばしてきた。
また、その他の小売大手もアマゾンに対抗する手段として、ウォルマートと同様の戦略を立ててきた。ヤスティンによれば、「小売業界ではもはや、賢く運営されている大手のレガシー企業はデジタル分野でも負けていない。つまり、アマゾンが何にも妨げられずに成長できる時期は、ほぼ過ぎ去ったということだ」。
ヤスティンはまた、次のように述べている。
「それを示す良い例が、(ミネソタ州)ミネアポリスに拠点を置く小売大手ターゲット・コーポレーションだ。同社は2011年までオンライン販売にほとんど関心を持たず、実際のところ、その業務をアマゾンに委託していた」
「だが、数年前から倉庫や倉庫ロボット・システムへの投資を開始。店舗をeコマース用の倉庫として利用する”店内フルフィルメント・システム”を他社に先駆けて独自に開発するまでになった。このシステムにより、ターゲットはアマゾンと同様、多くの商品を即日配送することが可能になった」
一方、金融情報ポータルサイト、インベスティング・ドットコムのアナリスト、クレメント・ティボーは、注文を受けた商品を翌日に届けるウォルマートのシステムを称賛する。
「最も重要なのは、翌日配送だ」というティボーによれば、ウォルマートはすでに米国内で、配送の75%を翌日到着とすることを実現しており、それによってアマゾンと互角の勝負を展開している。
「明らかに、翌日配送は効果を上げている。ウォルマートがオンライン販売を重視し、アマゾンに対する負けを認めずにきたことは賢明だった」
「…ウォルマートはこれまでのところ、あらゆる適切な行動を取ってきた。競争が激しく、厳しい環境の中でこうした戦略を取ってきたことは、同社が真に優れた企業であることの現れだ」
また、ウォルマートはオンライン販売において、アマゾンのように遠隔地に設置した倉庫から商品を発送するのではなく、自社の大規模な店舗ネットワークを活用し、顧客の近隣の店舗から出荷することで、迅速な配達を実現してきた。
その他ウォルマートは、オンラインで注文した商品を近くの店で受け取り、時間と送料を節約するという選択肢を顧客に提供している。これは、アマゾンにはできないことだ。2019年5月18日の時点で、米国内のウォルマートの店舗数は、4769店舗となっている(2012年には4479店舗)。
簡単に言えば、ウォルマートは「形勢を逆転させた」のだ。オンライン販売でアマゾンに対し、勝利を収めている。アマゾンはこれを受け、伝統的な小売業者であるスーパーマーケット・チェーンのホールフーズを買収。実店舗の運営に乗り出したほか、その他の店舗の増設を急いでいる。

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日本はなぜあの無謀な戦争に突入し、馬鹿げた敗北を喫したか

「阿修羅」から転載。
右とか左とかいった党派性を排した実に客観的で周到な分析で、繰り返し読む価値のある好記事だと思う。これを読めば、太平洋戦争の起因から敗因までほぼ分かる。
下の文章から、高橋是清が参謀本部に批判的だったことを知ったが、「226」の主な目的のひとつは高橋是清の暗殺にあったのではないか。もちろん、参謀本部が背後で糸を引いたわけだ。


(以下引用)


米中ソ3国と同時に戦う! また裂き状態だった旧日本軍の意思決定(日経ビジネス)
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/782.html
投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 8 月 17 日 01:32:36: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
 

森 永輔 日経ビジネス副編集長
2019年8月15日


https://cdn-business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700040/p1.jpg?__scale=w:500,h:324&_sh=06704d0a10
フィリピンで戦う日本軍(写真:Roger-Viollet/アフロ)


    日本は産業力が伴わないにもかかわらず、対中戦争を戦いつつ、対
   米戦争に突入していった。それどころではない、ソ連を加えた3カ国
   と同時に戦う方針を二度までも立てようとした。その背景には、政府
   と陸海軍が統一戦略を立てるのを妨げる明治憲法の仕組みがあった。
   高橋是清はこれを是正すべく、参謀本部の 廃止を主張したが……。
   引き続き、吉田裕・一橋大学大学院特任教授に話を聞く


   (聞き手 森 永輔)



-前編では、アジア・太平洋戦争中の日本軍が、その兵士をヒトとして扱っていなかった点について、伺いました。(前編はこちら http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/781.html
今回は、日本軍が総力戦*態勢を整えていなかった点についてお聞きします。


*:軍隊だけでなく、国の総力を挙げて実施する戦争。軍需物資を生産する産業力やそれを支える財政力、兵士の動員を支えるコミュニティーの力などが問われる


 食糧の調達が十分でなく、多くの餓死者が出ました。そこから容易に想像がつくように、他の軍需工業品についても、供給力が伴っていませんでした。産業に、総力戦を支える力がなかった。例として、吉田さんは軍靴に注目されています。


    雨のために凍死するものが続出した。軍靴の底が泥と水のために糸
   が切れてすっぽり抜けてしまい、はきかえた予備の新しい地下足袋も
   たちまち泥にすわれて底が抜けてしまった。そのために、はだしで歩
   いていた兵隊がやられてしまったのである。雨水が体中にしみわたり、
   山上の尾根伝いに、深夜はだしで行軍していたら、精神的肉体的疲労
   も加わって、訓練期間の短くて、こき使われることの最も激しい老補
   充兵が、倒れてしまうのも当然のことであろう。(『遥かなり大陸の戦
   野』)


   (中略)


    頑丈な軍靴を作るためには、縫糸は亜麻糸でなければならなかった。
   亜麻の繊維から作られる亜麻糸は細くて強靭であり、特に、陸海軍の
   軍靴のように有事の動員に備えて長く貯蔵しておく必要があるものは、
   「絶対にこの糸で縫うことが必要である」とされていた(『製麻』)。


    しかし、亜麻は日本国内では冷涼な気候の北海道でしか栽培するこ
   とができない。そのため、日中戦争が始まると軍の需要に生産が追い
   付かなくなった。北朝鮮や満州での栽培も試みられたが十分な成果を
   あげることができず、結局、品質の劣る亜麻の繊維まで使わざるをえ
   なくなった。


   (中略)


    以上のように、こうした基礎的な産業面でも、日本はかなり早い段
   階から総力戦上の要請に応えられなくなっていたのである。



 なぜ、このような準備不足のまま、アジア・太平洋戦争に突入したのでしょう。日中戦争については、意図せず戦線が拡大していった面があります。満州事変は、関東軍が勝手に始めたもの。時の若槻礼次郎内閣が意思決定して開始したわけではありません。日中戦争の火蓋を切った盧溝橋事件にしても偶発的に始まった。しかし、対米戦はそうとは言えません。真珠湾攻撃によって、こちらから仕掛けたわけですから。


吉田:おっしゃるとおりですね。対中戦争は国家意思に基づいて始めたものではありません。盧溝橋事件も、偶発的に始まったことが最近の研究で明らかになっています。他方、対米戦は4度の御前会議を経たのち、閣議決定して開戦しました。


■統一した意思決定ができない明治憲法


-盧溝橋事件(1937年)によって日中戦争が始まる前の1935年に、陸軍で軍務局長を務めていた永田鉄山が刺殺されました。総力戦をにらみ、それに耐える国家体制を作るべく様々な構想を練っていた戦略家です。彼が生き続けていたら、その後の展開は違ったものになっていたでしょうか。


吉田:そういう考えは、あり得ます。彼は非常に優秀な軍事官僚で、重要人物です。しかし、彼一人で状況を変えることができたかは判断がつかないところです。私は、より大きなシステム上の問題があると考えています。


https://cdn-business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700040/p2.jpg?__scale=w:300,h:400&_sh=000740290b
吉田 裕(よしだ・ゆたか)
一橋大学大学院特任教授
専門は日本近現代軍事史、日本近現代政治史。1954年生まれ。1977年に東京教育大学を卒業、1983年に一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学社会学部助手、助教授を経て、96年から教授。主な著書に『昭和天皇の終戦史』『日本人の戦争観』『アジア・太平洋戦争』など。(写真:加藤康、以下同)


-システム上の問題とは?


吉田:明治憲法です。これが定める統治構造は分散的で、総力戦を戦うのに必要な統一的な意思決定をするのに不向きでした。さまざまな決定が折衷案もしくは両論併記になってしまうのです。


 例えば、陸軍は対ソ戦をにらみ北進を主張する。海軍は石油をはじめとする東南アジアの資源を求めて南進を主張する。すると、結論は「南北併進」になってしまうのです。1941年7月に開かれた御前会議はこのような決定をくだしました。


 さらに言えば、南北併進に基づく決定をしながら、政府は米国との外交交渉を継続するのです。戦争の準備をすれば日米関係は悪化します。外交交渉は進まない。つまり、その場しのぎの決定しかできず、それが悪循環を引き起こしたのです。陸海軍の間に統一戦略はない。政府と軍も進む方向が異なる。三つどもえの状態に陥っていました。


-明治憲法のどこに問題があったのですか。


吉田:いわゆる統帥権*の独立ですね。


*:作戦・用兵に関する命令。陸軍の統帥部として参謀本部が、海軍の統帥部として軍令部があった。それぞれのトップは参謀総長と軍令部長


 総力戦を戦うのであれば、本来なら、国務(政府)と統帥(軍)が統一した戦略をもって臨む必要があります。しかし、これはなかなか実現しませんでした。


 「国家機関の分立制」「政治権力の多元性」といわれる仕組みを採用していたからです。「統帥権の独立」を盾に、軍は政府の外に立つ。軍の中でも陸軍省と海軍省が分立している。軍令*については陸軍の参謀本部と海軍の軍令部が分立している。政府においても、各国務大臣は担当分野についてそれぞれが天皇を輔弼(ほひつ、補佐)する仕組み。各国務大臣の権限が強く、首相の権限は弱かったわけです。


-明治憲法は、なぜ「国家機関の分立制」を採ったのですか。


吉田:同憲法の起草者たちが政党勢力を恐れたからです。政党が議会と内閣を制覇し、天皇大権が空洞化して、天皇の地位が空位化することを恐れた。


 総力戦を戦うならば、明治憲法を改正しこれを改める必要があったと思います。


■高橋是清が主張した参謀本部の廃止


-総力戦をにらんで、憲法を改正しようという具体的な動きがあったのですか。


吉田:首相や蔵相を務めた高橋是清が1920年に参謀本部廃止論を唱えています。この軍事上の機関が内閣のコントロールから独立して、軍事、外交、経済の面で影響力を及ぼしている、とみなしていました。陸軍大臣や海軍大臣の統制に服していた参謀総長や軍令部長が、だんだんそれを逸脱するようになってきたのです。


 首相に在任中だった原敬も、「何分にも参謀本部は山県(有朋)の後援にて今に時勢を悟らず。元来先帝(明治天皇)の御時代とは全く異りたる今日なれば、統率権云々を振廻すは前途のため危険なり。(中略)参謀本部辺りの軍人はこの点を解せず、ややもすれば皇室を担ぎ出して政界に臨まんとす。誤れるの甚だしきものなり(下略)」(『原敬日記』)として参謀本部に批判的でした。


 ただし、憲法改正までは言っていません。明治憲法は欽定憲法(天皇が国民に下賜した憲法)なので、「欠陥がある」とは言い出しにくいのです。もちろん、明治憲法も改憲の手続きを定めてはいたのですが。


 参謀本部や軍令部は明治憲法が規定する機関ではありません。これらは、そもそも統帥権をつかさどる機関として設置されたのではありません。最初は、政治(政府)の影響力が軍に及ぶのを遮断する役割でした。明治の初期は、政治家であり軍人である西郷隆盛のような人が力を持っていました。そうすると、軍が政争に巻き込まれる可能性が生じます。それを避けようとしたのです。


 統帥権の独立と言うけれど、明治憲法のどこにもそのような規定はありません。内閣が担う輔弼の役割の範囲外と書かれてはいないのです。そうではあるけれども、既成事実の積み上げによって、政治や社会が容認するところとなった。戦前の日本にはシビリアンコントロールが根付かなかったですし。内閣には常に陸海軍大臣という軍人の大臣がいたので、純粋なシビリアンの内閣は存在しませんでした。


 そして、ある段階から、軍が自分の要求を通すための口実として統帥権を利用するようになったのです。ロンドン海軍軍縮条約(1930年に締結)あたりからですね。それに、政党も乗じるようになりました。


-当時、政友会の衆院議員だった鳩山一郎が、同条約の調印は統帥権の干犯だとして、時の浜口雄幸内閣を糾弾しました。


吉田:そうですね。


-高橋是清と原敬はどちらも政友会を率いて首相を務めました。政友会は親軍的なイメージがありますが、そうではないのですね。


吉田:ええ、少なくとも1920年代は親軍的ではありませんでした。


■日中、日米、日ソの3正面で戦う


-ここまでご説明いただいたような事情で、戦前・戦中の日本はずっと統一した意思決定ができなかった。


吉田:はい。そのため、1941年ごろには、3正面作戦を戦おうとしていました。なし崩し的に始まった日中戦争が泥沼化し、1941年12月には対米戦争が始まる時期です。


 1941年6月に独ソ戦が始まると、陸軍はこれを好機ととらえ、対ソ戦を改めて検討し始めました。ドイツと共にソ連を東西から挟み撃ちにしようと考えたわけです。関東軍が満州で特種演習(関特演)を行ったのはこの文脈においてです。


 この時、兵力はもちろん、大量の物資を満州に集積しました。「建軍以来の大動員」を言われる大きな動きでした。つまり、日露戦争よりも大規模な部隊を配備したわけです。しかし、予想に反してソ連が踏ん張り、極東に配備していた戦力を欧州戦線に移動しなかったので、対ソ戦は実現しませんでした。動員した兵力と物資は無駄になり、その後、ソ連とのにらみ合いに終始することになったわけです。


-ゾルゲ事件はこのころの話ですか。駐日ドイツ大使館員をカバーに利用していたソ連のスパイ、ゾルゲが、「日本が対ソ戦を始めることはない」との情報を得て、ソ連に通報。スターリンはこの情報を元に、対独戦に集中した、といわれています。


吉田:この頃の話ですね。ただし、スターリンはゾルゲがもたらした情報をさして重視しなかったといわれています。


-対中、対米、対ソ戦を同時に戦う。後知恵ではありますが、無謀に聞こえますね。


吉田:その通りですね。しかも、1942年の春ごろ、陸軍は再び対ソ戦を考えるのです。マレーシアを落とし、フィリピンを占領して、初期作戦を予定通り終えたことから、南方は持久戦に持ち込み、対ソ戦を始めようと考えた。満州に配置された関東軍の規模がピークを迎えるのはこの頃です。


 同じ時期に海軍は、ミッドウェーやソロモン諸島に戦線を拡大します。米国の戦意をそぐのが目的でした。いずれも失敗に終わりますが。


 初期作戦が終了した後も、陸海軍で統一した戦略がなかったわけです。陸海軍が統一した軍事戦略をようやく作ることができたのは1945年初頭のこと。本土決戦を前にしてのことでした。


■日露戦争時の「勝利の方程式」から抜け出せなかった


-陸軍がなぜそれほど対ソ戦にこだわったのか、また海軍はなぜマリアナ諸島やソロモン諸島のような遠くにまで戦線を拡大したのか、素人には理解できないところです。


吉田:日露戦争の時から続くロシア、ソ連の脅威が陸軍の頭から離れなかったのでしょう。加えて、満州事変のあと満州国を建国し、ソ連と国境を直接接するようになったことが大きい。しかも、ソ連の部隊増強ペースはかなり速かったのです。


-満州というソ連との緩衝地帯を自ら無くしておいて、その脅威におびえるとのいうのは、皮肉な話です。


吉田:その通りですね。


 海軍も日露戦争の成功体験から逃れることができませんでした。海軍の基本的な考えは、日本海海戦*のような艦隊決戦で決着をつけること。そのため、太平洋を西進する米艦隊の戦力を、「漸減邀撃(ぜんげんようげき)」してそいでいく。具体的には、第1陣は潜水艦部隊、第2陣は一式陸上攻撃機を使った空爆、第3陣は魚雷を積んだ軽巡洋艦です。この一式陸上攻撃機の基地がマリアナ諸島のサイパンなどに置かれていました。


*:東郷平八郎司令官が率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を破った海戦


 そして、艦隊の規模が同等になったところで、西太平洋で艦隊決戦を挑む。そのために巨大な戦艦「大和」や「武蔵」を建造したわけです。


 しかし、艦隊決戦は対米戦争の最後まで行われることはありませんでした。マリアナ沖海戦は、空母を中心とする機動部隊同士の戦いになりました。ミッドウェー海戦も機動部隊が前衛を構成し、大和は後ろに控えているだけでした。燃料の石油を食いつぶしただけです。むしろ、空母を戦艦が守るかたちで布陣すべきでした。


 ソロモン諸島の基地は、米国とオーストラリアを結ぶシーレーンを遮断する役割を担っていました。


 前編で、陸軍は「白兵戦によって勝った」という“神話”ができたお話をしました。陸軍も海軍も、日露戦争の総括が甘かったのです。


注:引用において、漢数字は算用数字に改めた


https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700040/  


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見えなかったもうひとつの「逆コース」

政府への批判ではなく、経済界(というより経済界上級国民的存在)の沈黙を問題にしているのが珍しい。まあ、ごく常識的な内容なのだが、そう言えばそうだなあ、と思わせる記事だ。そういう見えているようで見えない部分を目に見えるようにするのはマスコミの大きな役目のひとつだろう。
だが、住友や三菱や三井が経済界を牛耳り、政府と一体化しているという状態は、戦前とまったく同じであり、財閥解体はどうなったのだ、という感じだ。
1950年頃(朝鮮戦争の前後)から始まった政治における「逆コース」(戦前の右翼系政治家の復活)は、経済界にも「逆コース」を導いたのだが、それに対してマスコミが沈黙を続け、多くの国民はその事実に気が付かなかったのだろう。あるいは、民主主義を人々が信じていた高度成長の時代には、「まあこの程度の『怪物の幼虫』は問題視しなくてもいいだろう」とたいていの人は思っていたのだと思う。それが今では安倍政権という大きな怪獣に成長したわけだ。


(以下引用)





© 西日本新聞社

経済を巻き込んでエスカレートする日韓両政府の対立に、経済界が「沈黙」を守っている。良好な隣国関係はヒト、モノ、カネの自由で活発な往来で利益を得る企業活動の大前提のはず。対立の激化はビジネス環境を損ない、業績にも影響しかねないのに、経済人から政治への苦言が聞こえてこないのはなぜなのか。


政府が半導体材料3品目の対韓国輸出規制の強化を決めた7月以降、財界3団体の記者会見では、日韓関係への見解を問う記者からの質問が相次いだ。


だが財界トップらは「早期の関係改善を望む」と口をそろえつつ、慎重に言葉を選ぶ。経団連は「基本的には政府と同じ立場。それ以上のことはない」(久保田政一事務総長)。普段は政府への直言で存在感を示す経済同友会も「政治と経済はいま、どこを見ても密接に関連しているのが現実」(桜田謙悟代表幹事)と評価を避けた。


8月に入り、政府が韓国を輸出手続きの優遇対象国から外す措置を打ち出すと、韓国が猛反発。それでも日本商工会議所を含めた財界3団体は文書でのコメントも出さなかった。


「発信力が弱い。もっと意見を言っていいはずなのに」。財界団体の幹部を経験した企業首脳からは、こんな声も漏れる。


■ ■


「沈黙」の背景に、安倍政権への配慮があるのは間違いない。


「例の件については、会見で発言を控えていただきたい」。財界団体の元首脳は在任中の数年前、今回の日韓問題とは別の政治的に微妙な問題を巡り、首相官邸筋から踏み込んだ発言をしないよう定例会見の直前にくぎを刺されたことがあるという。


アベノミクスで息を吹き返した経済界では2014年、経団連が会員企業に政治献金の呼び掛けを再開した。蜜月が続く安倍政権の方針に「経団連、経済同友会に日本商工会議所。みんな言いたいことを言えなくなっている」と元首脳は明かす。


しかも今回の日韓対立は元徴用工問題に端を発している。韓国の訴訟で賠償を命じられた日本製鉄(旧新日鉄住金)や三菱重工業は財界団体の主要メンバー。日本企業が損害を被らないよう韓国に強硬姿勢を取る政府に対し「何か言えるはずがない」(大手自動車メーカー関係者)。


■ ■


もっとも、財界には「政府の措置に、経済に悪影響を与える意図はないのでは」との見方が強い。


経済産業省は既に、個別審査に切り替えた半導体材料3品目から韓国輸出を許可。個別許可が必要な他の約240品目でも、多くの日本企業の輸出実務は変わらないと説明する。


だが韓国ビジネスは製造業だけではない。韓国ではビールや衣類、化粧品など幅広い日本製品が不買運動の対象に。訪日旅行のボイコットも予想以上に拡大した。九州の影響は大きく、温泉地などで韓国人観光客が減り、都市部では百貨店など小売りが早くも打撃を受けている。


高ぶる国民感情は、個別の企業をさらなる沈黙に追いやる。日韓どちらの世論を刺激しても、ビジネスに影響しかねないからだ。九州の地方銀行頭取は「今の状況では韓国について何も発言できない」。思わぬ攻撃の対象にならないようリスクを避ける。


緊張緩和に経済界が果たせる役割はないのか-。両国の企業・団体のトップらによる日韓経済人会議は9月24、25日、ソウルで開かれる。一度延期されただけに、対話と交流に関係者の思いは深いという。どんなメッセージを発信できるか、経済界の覚悟に注目が集まる。


■事態打開へ発言を


韓国経済に詳しい日本総研の向山英彦上席主任研究員の話 経済界は、元徴用工問題への対応で政府と歩調を合わせており、政府に直接的に発言ができない。ただ、韓国の不買運動の影響が予想を超えて広がっており、経済界が事態打開に向けて役割を果たすことが求められる。経済界は政府に慎重な行動を求めるなど、日韓関係の一段の悪化を避けるためのメッセージを発信してほしい。







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「226事件」とは何か

「NHKスペシャル 全貌 226事件」についての「阿修羅」コメントの一部を転載。
私は226事件にはあまり関心も無く、詳しくないが、おおよその知識で判断すれば、コメント13、14氏の見解がかなり的を射ているように思う。コメント12氏の言葉は一般的な見方として、事件の全体像を把握する意味でいいコメントだと思う。
私は該当番組を録画したが未見なので、番組に出た内容については何とも言えないが、「226事件」とは、要するに、陸軍海軍の中心的人物たちが容認していたクーデター事件だったと言えるのではないか。
クーデターとは言っても、天皇制は維持したまま、軍事政権を樹立しようというクーデターだったと思う。まさに、それこそが「皇道派」の主張そのものだったと記憶するが、どうだろうか。ところが、その「クーデター」に昭和天皇が激怒して、自ら反乱軍鎮圧の先頭に立ったので、彼ら「天皇のために」動いたと自分たちでは信じていた馬鹿たちは投降するしか無くなったということだろう。
つまり、「意図が良ければ悪行も許されるか」というと、まったくそんなことは無いわけで、226事件は馬鹿の集団の起こした馬鹿事件というのが私の見方だが、一番悪質なのは、彼らの行動をはっきり予見していながらそのまま放置した陸軍海軍の親玉たちである。軍事政権が樹立されたら、当然自分たちがその政権の重職を占めると皮算用をしていたのだろう。
その「悪質な大物」たちを無罪放免したために、その後の軍国主義の跋扈があり、日本は日中戦争の拡大、太平洋戦争へとどんどん坂を転げ落ちていったわけだ。
なお、コメント13の言うように、226事件の背後に英米あるいは英米露の「ハンドラー」がいた可能性は高いような気がする。
つまり、当時の日本はまさに国際政治の危機の中にいたのであり、日本の「アジア侵略」は、欧米勢の攻勢に抵抗し、国家を拡張し力をつけようという(まあ、今から見れば能天気とも言える)計算からの「遅れた帝国主義国家」の足掻きだったとは言えるだろう。近隣諸国にかけた迷惑は謝罪し続けるべきだが、当時の「国家経営」の困難さは現代の比ではなかったことは大前提として当時の政治を論じないと、正当な批判にはならないだろう。

(以下引用)


12. 2019年8月18日 09:22:53 : a5CVCnPZWE : SG40UzVJOVdJbUU=[1] 報告
▲△▽▼
 興味深い内容だった。貴重な資料をよく見つけたと思う。
 一番の衝撃は事件の一週間前に、当事者でない海軍側が事件の首謀者、殺害予定者等の計画の詳細を把握していた事実。
 ただ、海軍が知っていたとするならば、実行者を出した陸軍側も当然、計画を知っていたはずだとの推論が成り立つ。
 陸軍側が計画を知っていて、2・26事件を起こさせたとすれば、怖い。
 海軍は知っていたから、暗殺対象だった海軍出身の首相の岡田啓介を救えたのか(身代わりで義弟が殺害された)とも考えた。 
 海軍が計画を知らず、陸軍だけが知っていたのならば、義憤にかられた青年将校たちを利用して首相殺害を暗黙で了承していたことになる。だとしたら、これはある意味、立派な陸軍のクーデター。
 ダルマの高橋(大蔵大臣)は殺されてもいいと陸、海の軍部は了解していたのか?
 侍従長の鈴木貫太郎(海軍出身)は辛うじて生き残ったが、多数の銃弾を浴びた。海軍は鈴木に危険だというシグナルを送っていなかったのか? 鈴木が死んでいたら、終戦(敗戦)に向けて首相としての彼の働きはなかった。
 番組でも最後にナレーションが流れたが、2・26事件を契機に軍部の力は増大し、戦争への道を日本は歩んでいった。
 武力を持つ者は強い。
 彼らが行動を起こした2・26事件を目の当たりにし、恐怖心から政治家はモノを言えなくなった。当時の陸海軍の士官クラスは当時の俊才、俊英が集っていたとされ(馬鹿な決定を数えられないくらいしたが…)、いまの自衛隊に比べれば、桁違いのエリート集団だが、武力を持つ者は怖い。
 資料をしっかりと残した昔に比べ、改ざん、破棄、隠ぺいが当たり前になってしまったいまの官僚連中の愚行にあきれ、嘆くとともに、馬鹿どもに武力を持たせることの怖さをあらためて実感した次第。
 自衛隊、馬鹿なことをするなよ!! いや、いまの時代はヒトラー気取りの馬鹿な政治家と志を捨てた官僚に自衛隊はただ利用されているだけかもしれないが。
13. 2019年8月18日 09:49:09 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[79] 報告
▲△▽▼
そんなの、当たり前のことだろ、いまさら大騒ぎするようなニュ-スでもなんでも
なかろう。

2.26事件(昭和11年)の前から、軍部主導の政権樹立の動きはすでなあったでは
ないか
昭和6年の桜会(陸軍 橋本欣五郎中佐ら)が3月事件、 10月事件という
青年将校によるクデタ-未遂事件をおこした。
海軍もだ昭和7年に若手将校が5.51事件を起こし、犬養毅首相暗殺、。だが規模
は小さかった15名が決起しただけだ。

そして最後が2.26事件 1400名を上回る兵隊が動員された、何年も前から
陸軍でも、海軍でも軍閥内閣を作る動きが若手青年将校の間にあたようだ

最後に爆発したのが2.26事件。 1400名も動員する大きな計画だ、色々な
根回しが 首魁 磯部浅一らが行っている、当然陸軍大臣らにももそれ
となく、決起後の後ろ盾の可能性をさぐっている、陸軍首脳が味方について
くれないと最終的成功はないからな。 ゴソゴソ動き回ってるのに海軍が全然
知らないほうが目くらというべきだろう、海軍も5.15事件をおこしてんだから。

8>>バカとひとことで一言で片づけられるもんだいじゃないぞ、陸軍、海軍
  の中に軍閥内閣を望む人間が多数いたということだ、特に若手将校。

 昭和天皇の一喝で 吹き飛んだけれどな「速やかに反叛を鎮定せよ」
 で陸軍首脳もあてがはづれて お終い。
 最近 昭和天皇の昭和天皇「拝謁記」なるものがでてきて、天皇は「下克上」
 の動きがあったとおっしやられているようだが、上記のような動きを指すの
 ではないか。

7.>>ハンドラ-ズてだれよ スパイは 米国 ソ連からもはいってたろうが
   昭和天皇の一喝でク-デタ-は失敗した。
   ハンドラ-ズて海のむこうにいた ル-ズベルトや スタ-リンのこと
   じゃないのか。
 
14. 2019年8月18日 10:05:33 : k3VrrzzmmY : bTA1N3B6QnNtY0k=[80] 報告
▲△▽▼
12>>。ヨただ、海軍が知っていたとするならば、実行者を出した陸軍側も当然、計画
    を知っていたはずだとの推論が成り立つ。」
   当然陸軍側も計画は知ってたさ、推論じゃなく、首魁磯部浅一らは決起後
   陸軍首脳が自分たちの後ろ盾、あと処理をしてくれないとクデタ-
  
   成功とはならないからな。陸軍もちろん知ってました。
   海軍も知ってたろ、目をつぶって、推移をみるだけ、高見の見物
   決め込んだんだろ。 




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敵を間違えるな

「神戸大好き」ブログから転載。
書かれた内容をすべて肯定するわけではないが、私は「日本国憲法の下の象徴天皇制」というのは世界で最も賢明な国家システムで、しかもそれは日本でしか存在し得ないと思っているので、下の記述に大筋では賛成だ。
天皇制さえ無くせばすべて理想的な社会ができる、という主張の人は、今のアメリカの悲惨さを見ればいい。それに「象徴天皇制」によって民主主義と天皇制が両立しているのは誰が見ても自明なことであって、日本社会の悪を天皇に帰することは究極のナンセンスと言うべきだろう。問題視すべきなのは、天皇を「現人神」として押し立てて、その背後に隠れて私欲を満たそうとする輩であり、新自由主義者たち、下の文章に言われている「グローバリスト」なのである。
要するに、「敵を間違えるな」ということだ。




啓蒙家を誉める日が来るとは!

    • 7. 啓蒙家                            
    • 2019年08月16日 18:46
  • 日本人の答えは日本人が一番偉い、日本が偉大だでいいんだよ。何故、そう素直に思えない。戦時中に、ひもじい思いをしたとか、焼夷弾に追われたとか(経験者から聴いた)いうわけじゃないだろう。

    ここにコメントしている人達には「国家」というものが無い。
    天皇=国家なんだよ。その天皇をやっつけたり殺したりしたら、国家がなくなる。

    無国家=無秩序・無軌道・無規範のアノミー社会になる。その行き着く先が、「連合赤軍」事件だと言うのがわからないのだろうか。

    私は別に天皇崇拝者では無いが、大方の日本人は前述の理由で、天皇を排除する事に恐怖を覚えるというのが平均的な所だろう。

    とにかく、日本史を学習するべきだろう。西欧の絶対王政みたいな天皇絶対主義は無く、律令制度が敷かれて以降、むしろ、その主権が制限されてきた歴史だとすぐ気づきそうなものだが。(明治以降は寧ろ特殊)



コメント転載おわり

びっくりしたわー
こわもてのオッチャンだとおもって、遠巻きにしてたのに。

賢いたかぽんさんより、100倍賢いわ。

ここんとこ、煮えあがるみたいに、コメントしていたみなさん、私は、今だから、啓蒙家の陰に隠れていうけどね。

あんたら、みんな馬鹿。

平和が当たり前、他国から侵略なんてない、みんな善人、自分なんかめっちゃいい人って、考えているやろー

明治のころは、天皇も金を集めて戦費を作らなければ戦争できない。
戦争も出来なければ、阿片戦争にやられた清国の二の舞になる。

みんなが必死で国を守ったのよ。

戦争なんかいけないと言うのは、今だから言えること、

先人が、命をはってくれたから、今、無事に暮らせてるんだよ。

それと、天皇が表看板で頑張ったから、国家としての体面を保てたんだよ。

秩序を取り払ったら、残るのは混沌。カオス。

野盗の世界だよ、

必要悪というものもあるのよ。

完璧に正しい人間なんか、そもそもいないのに、天皇と言う一介の人間に、どこまで完璧を望むのさ?

それは、あまえだよ。

交通信号のない道路で運転したいの?

規則も決まりも罰則も必要なのよ。

それと権威と序列もないと、世の中は収まらないのよ。

だいたい、男から権威を奪ったために不幸になったのは女だよ。

2000年日本は、この国の形を守ってきた。
それを、目の前の小理屈だけで、取り払って、もっといい国づくりがただちに出来ると思ってるの?


東電の株主が天皇家でなかったら、また、別の誰かが株主になるよ、
まだ、外国人であるよりはましなじゃないの?

平成のはじめ、当地にマンションが新築される時、自治会長に名乗り出たもと暴力団が、「迷惑料」を取に出た。
自治会長をする目的が「金儲け」なんてひどいじゃないの!

私は怒って、まず、区長にその怒りを投げかけた
「ひどいじゃないの?ゆするために自治会長になるなんて」
「ああ、それが目的で自治会長になる人も、おるなあ~」と、区長。

お話にならないわ。

次は、警察に行った。
「あの男は、絶対に前科者に違いない。業者をゆするなんて許せない」

すると、親しい刑事さんが、私をひきとめた。
「やめときなさい。
そのお金は、どうせ、誰かがとるんです。
マンション建設の時には、地元をなだめるために予算が組んであるんです。
だから、どうせ、誰かが取ります。
あなた、そんなことで騒いだら、その町に住めなくなりますよ。
いいから、黙ってなさい」

大林組のもと部長はいった、
「ああ、その規模のマンションだったら、1500万は、用意されています。
ドウセ、誰かがとるというのは、本当ですよ。」

とうとう私は黙ったわ。

東電の株をたくさん持ってるのが、けしからん?

どうせ、誰かが儲けるんです。天皇でなくても。

だから、騒いでもなにもなりません。

それが世の中の仕組みなんです。

啓蒙家さん、あなたが一番賢いわ。
的を得てる。

そのサヨク崩れの考えは「下手な考え、休むに似たり」というのよ、

もっと、建設的な思慮が欲しいわ。

今や、天皇財閥どころか、世襲自民党、田布施・李王家財閥が、日本を踏みつけにしてるじゃないですか?

今現在の敵は、天皇ではないでしょう?

焦点を外してはダメ。

だからと言って、習近平が、一番危険だ、
安倍が正しいと言う意見もどうかと思うよ。

どのみち、踊らされている。

そうではなくてグローバリストとナショナリストのバトルなんだから、

透かして見れば違う人脈地図が見えるはず。

まあ、言っても無駄って気はするけど。




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東京オリンピックボランティア学徒動員


写真のコピーができていないが、それには高校生の証言がテロップで出ていた。
まあ、同じ高校生でも、戦時中の徴兵と同じことで、上級国民(暴力団含む)の子弟は動員されないのではないかwww


(以下引用)


【悲報】日本さん、東京五輪のボランティアの応募を強制していた…!?これもう現代の徴兵制度やんけ
1: 2019/08/10(土) 15:23:06.50 ID:mbapkOK00


2: 2019/08/10(土) 15:23:20.61 ID:mbapkOK00
やばすぎるわこれ

3: 2019/08/10(土) 15:23:50.68 ID:mbapkOK00
ただ働きを強制するとかマジで美しい国やな

4: 2019/08/10(土) 15:24:04.12 ID:DmqMx5Vod
どんだけ人足りなかったんだろうか




5: 2019/08/10(土) 15:24:14.05 ID:3XfCE5jsd
もう金払ったらいいのに
新スタジアムの工事費そっちに回せば人集まるっしょ

8: 2019/08/10(土) 15:24:44.90 ID:tI04y+ged
東京オリンピックボランティアに参加しなかったら就職できないみたいな風潮作り出しそう

36: 2019/08/10(土) 15:28:02.02 ID:WuZ5G1rf0
>>8
ボランティアに参加したのに就職できない層を考や

10: 2019/08/10(土) 15:25:08.75 ID:CVo/XvY+0
ニートでよかったわ

11: 2019/08/10(土) 15:25:25.06 ID:VOUrW83s0
学徒動員

14: 2019/08/10(土) 15:26:15.44 ID:4tywVhB/M
なぜ日本人は戦後教育を受けたにも関わらず根っこのクソさは戦前のままなのか不思議でならない

17: 2019/08/10(土) 15:26:35.21 ID:mbapkOK00
いっそのこと参加を公式に学生の義務付ければいいのに

こんなコソコソやるくらいな

18: 2019/08/10(土) 15:26:35.76 ID:SiUpCBp90
他の国ではどうやったんや?

39: 2019/08/10(土) 15:28:22.80 ID:zrf++Rs70
>>18
リオ五輪では飯が出るって噂になって貧困層が応募しまくったけど
飯が出ないと分かって2日目から集団大脱走や

44: 2019/08/10(土) 15:28:52.25 ID:SiUpCBp90
>>39


19: 2019/08/10(土) 15:26:37.18 ID:inNB+YozM
辞退者続出で店員割れ起こしてるからな

20: 2019/08/10(土) 15:26:53.14 ID:kPs2ucmX0
高校生だと交通費も食費も出ないだろうな

23: 2019/08/10(土) 15:27:08.59 ID:q16/fIhZd
精神的には戦時中と変わらないんだよな
政府の人間って

42: 2019/08/10(土) 15:28:30.79 ID:v2O915u20
>>23
2019年にもなって戦中ムーブが見られるとは思わんかったわ

24: 2019/08/10(土) 15:27:11.03 ID:sj4xSkLxr
ボランティア(強制)

27: 2019/08/10(土) 15:27:34.00 ID:AnGbsO13d


29: 2019/08/10(土) 15:27:37.38 ID:x5y5C3txM
電通から出せよ

30: 2019/08/10(土) 15:27:41.34 ID:ASWPA4i3r
音声録音して晒せばいいのに

32: 2019/08/10(土) 15:27:48.50 ID:+dtmTdGQd
ヤバすぎるわ

43: 2019/08/10(土) 15:28:50.19 ID:3uYPQ5DKd
こんなことぜったいゆるされないよ

45: 2019/08/10(土) 15:28:55.71 ID:jReA3+6Wd
都民は自分らが望んだんやししゃーない

74: 2019/08/10(土) 15:31:39.87 ID:o6VYgATpa
>>45
そうは言っても投票権のない学徒が動員されるのはかわいそうや

50: 2019/08/10(土) 15:29:31.57 ID:GrL9bu1uM
学徒動員とかいってるクソ
学徒動員は給料出たんやぞ一緒にすんなカス

58: 2019/08/10(土) 15:30:06.40 ID:EN6c+0U1d
>>50
劣化してるじゃねーか

63: 2019/08/10(土) 15:30:38.47 ID:XrRZntn40
>>50
日帝>現代日本なのか

110: 2019/08/10(土) 15:35:17.27 ID:v2O915u20
>>50
アンチ乙交通費は1000円出るぞ

53: 2019/08/10(土) 15:29:45.20 ID:YHKOS90rd
はえー
どんだけ集まり悪かったんだろ

79: 2019/08/10(土) 15:32:09.33 ID:/98BCnrs0
オリンピックを有難がること自体やめなさいよ

99: 2019/08/10(土) 15:34:12.94 ID:X9gtf1+Ka
兄貴の会社(五輪のスポンサー企業)がマジでそれ
26才以下の独身男は強制参加

112: 2019/08/10(土) 15:35:28.90 ID:tfef8gMZd
>>99
完全に奴隷収集しとるな

102: 2019/08/10(土) 15:34:19.08 ID:VOUrW83s0
こんなんしてたら当日ブッチとかめっちゃ出そう

117: 2019/08/10(土) 15:36:11.43 ID:NACEjTHLd
マジで腐ってるなこの国

129: 2019/08/10(土) 15:37:23.67 ID:IOZ4+ZLA0
東京に招致に加担した進次郎と滝川クリステルがラブラブしてる中
学徒動員で屋外やクーラーもけちった会場で死ぬ気で働く若者ンゴwwwwwwwwwwwwwwwww

166: 2019/08/10(土) 15:42:08.46 ID:3tLjl7afM
学徒動員
強制徴用接収
貴金属供出

半分以上戦時中だろ

88: 2019/08/10(土) 15:33:19.82 ID:2GuO6OMwd
お国のためにタダで働け
金貰える分戦時中のがマシやな

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戦後民主主義のダブルバインド

「抑圧された秩序と秩序無き自由」を読み返すと我ながら面白いので、一部を再掲載しておく。日本社会の「階級」に関する部分だ。私は、この文章を書いた時点と基本思想はほとんど変わっていないが、天皇という「システム」の是非(または利益不利益)についてはまだこの時点ではあまり考えていなかった。

(以下再掲載)


Ⅱ 戦後民主主義のダブルバインド

 日本は敗戦によって戦前の社会がいったん滅び、アメリカ的民主主義の洗礼を受けて再生した、というのが戦後日本社会に対する世間一般のイメージ(私に言わせれば一つの神話だが)だろう。確かに「焼け跡の青空」のイメージは、それまであったものが消滅したという印象を与える。だが、実際には、戦後の社会を作ってきたのは戦前と同じ人間である。なぜなら、敗戦後の日本においても社会の上層部にいたのは「戦争に行かなくて済んだ人間たち」であったからだ。確かに戦争協力者の一部は公職追放などの罰を受けて、一時的に社会の表舞台から退場した。しかし、ほとんど全部の成人男子が戦争協力者であった以上、この措置が形式的なもの以上になるはずはなかったのである。むしろ、「私は貝になりたい」のような映画に描かれたように、真の戦争犯罪者はその地位を利用して罪を逃れ、不運な下っ端が処刑されたことも多かっただろう。戦争によって利益を得た実業家や、国民を戦場に追いやり、死に至らしめた政治家や官僚のほとんどは、そのまま戦後の日本社会で新たな富や地位を作る競争に有利なスタートを切ることができたのではなかっただろうか。
 太宰治の「斜陽」に描かれたような華族の没落などもむろんあっただろうが、それも単に一部の人間の贅沢な特権が奪われただけのことに過ぎない。もともと根拠の無い世襲的特権を剥奪されたことに、同情するには及ばない。国民全体の悲惨な運命の中で、何も彼らだけが理不尽な運命にさらされたわけではないのである。むしろ真の悲惨は、何も持たない下層階級の中にあったはずである。最初から何も持たなかった貧民階層の多くの人間は、戦後の飢餓状態の中で無数に死んでいったのではないだろうか。そして、そうした人々は、日本人の体質として、「お上」に向かって不満の声を上げることも無く、従順に死んでいったのである。この体質は、現在でも変わってはいない。日本人は、政治を自分の問題として考える習慣が無いのである。それが諸悪の根源なのであるが。
 日本の戦後社会は表面的には「日本国憲法」や「民主主義的教育」によって大きく様変わりしたように見える。しかし、権力と経済の実態面ではほとんど戦前の利権構造を残したままだったのではないか、というのが私の推測である。戦後五十数年もたてばだいぶ様変わりはしただろうが、現在の政治家、官僚の家系の中にも戦前からの政治家、官僚の家系も多いはずだ。問題は、戦前からの有力者は、戦後の時代でもやはり有利なスタートを切っていたことに、多くの人が気づいていないことである。そして、現在の「階級」の土台は、その時期に形成されているのである。実業の世界はそれよりはもう少し実力主義的世界ではあるだろうが、やはり主要銀行を始めとして、戦前の財閥と関係の深い所も多いだろう。つまり、日本は見えない身分社会なのである。学歴競争の勝利者の中から日本の上層部に入り込む人間も多少はいるかもしれないが、それも会社で言えば係長クラス、相撲にたとえれば、せいぜい十両くらいまでであろう。彼らは、確かに日本の社会を動かす主要な歯車になるが、しかしあくまでそれは道具的な存在でしかないのだ。
なぜ敗戦によっても日本の社会構造が変化しなかったか、というと、第一には戦前に社会の支配的立場にいた人間の多くは戦場に行くことなく、そっくりそのまま生き残ったということ。次に、戦後の産業の復興もまずは戦前から存続した産業を元にして始まったことが原因である。この状況では当然、戦前から指導的立場にいた連中が主要な地位を占めたはずである。仮に表向き権限委譲がされても、実際には院政的支配が行なわれていたのではないか。官僚の中でも公職追放されたのは運の悪い一部の人間だけで、多くは官僚としての技能やキャリアを買われて、そのまま戦後の政府や地方自治体の中で地位を見つけただろう。というのは、日本社会は縁故社会であり、戦後、職を失った人間は、まず自分の元の職場の知り合いに頼んで元の職に復帰させてもらったと思われるからだ。つまり、日本社会の基本構造は、戦争によっては何も変わらなかったのである。戦争で死んだ無数の兵士たちは、戦場に行かなかった老人や、その縁故者たちの犠牲になっただけの死に損だったのであり、彼らの死によって今の日本があるなどと賛美するのは、お門違いもいいとこだ。むしろ、あの戦争を美化することによってあの戦争への反省が消えてしまう事こそが、彼らの死を犬死ににしてしまう事になるだろう。
 かくして、戦前の体制はしぶとく生き延びたが、それでも戦後しばらくの間は、GHQによって、戦争に反対した共産主義者や社会主義者の刑務所からの解放などが行われ、日本は民主主義国家としての道を歩み始めたかに見えた。しかし、ソ連の経済発展によって恐怖を感じたアメリカの資本家たちの策謀で、アメリカはすぐにヒステリックな共産主義排斥思想一色に染まり、その波は日本にも押し寄せた。日本を「反共の砦」にしようとする米政財界の意向を受けて行なわれた、朝鮮戦争前のレッドパージ(共産主義者の公職追放、弾圧)や戦争犯罪人の釈放、公職復帰などのいわゆる「逆コース」によって日本は戦前の体制に完全に戻ってしまったのである。日本を戦争に向かわせ、数百万の国民の命を奪った政治家や官僚たちがのうのうと政治の表舞台に復帰し、国民もむしろそれを歓迎するかのごとくであった。たとえば、ノモンハンや東南アジア戦線で幾万人もの日本兵を無駄死にさせた張本人である大本営参謀T.Mなどが国会議員に立候補し、当選したりしているのである。同じく戦争推進者の一人であるK.Nなどは日本の総理大臣にまでなっている。日本人がいかに忘れっぽく、大衆宣伝に踊らされ易いかは、この一事でも分かる。この時期に、日本政治のこの自殺行為について発言しなかった知識人階級の責任は重い。とは言え、他人の戦争責任を言えば、自分の戦争責任を問われかねない状況で、他人を批判できるような人間も少なかったであろうことは理解できる。しかしながら、日本社会を腐らせ、ほとんど倫理的な死を招いて無道徳社会を作る真の原因になったこの出来事に対する名称としては、「逆コース」などという言葉はあまりに軽すぎる。はっきりと「日本支配者層復活」と言うべきだったのである。かくして戦前の社会のエートス(気風)を残した人間たちが政治と経済の中枢に残ったまま、日本は表向きだけは民主主義国家を標榜し、この偽りを抱いたまま戦後五十数年を過ごすことになり、そのダブルバインド(二重拘束)が日本を神経症的国家にしていったのである。

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「アカ」という言葉まで平気で使われる社会に戻りつつあるのか?

これは、日本共産党はツィッター社(日本支部?)に強硬な抗議を申し入れるべき「ヘイトスピーチ」だろう。私は、「アカ」という言葉ほど共産主義や共産主義者への憎悪や恐怖を盲目的に掻き立てた言葉は無いと思っている。(これに関して小論を書いたこともある。)

(再掲載「抑圧された秩序と秩序無き自由」より抜粋)

 もう一度、「アカ」という言葉がいかに巧妙なものであったかを示しておこう。
 この言葉の持つ異様な迫力は、「赤」が死と破壊の色、殺戮の色であることから来ている。言うまでもなく、共産主義は現体制を破壊するものであり、それが赤色を自らの象徴として選ぶことは当を得ている。しかし、それが人々に与える心理的イメージに対し、共産主義者はあまりに鈍感である。赤とは何よりも血のイメージであり、火事、危険、災厄のイメージである。共産主義という正体不明の「破壊的存在」に対し、相手を「アカ」と呼ぶことほど効果的に相手への嫌悪感や忌避感情を煽り立てるものはないだろう。この感覚は人間の生理に根ざした感覚であるため、聞く者に直截的な恐怖を呼び覚ます。人々は自ら災厄に近づこうとは思わないものだ。こうして「アカ」に対する嫌悪感、忌避感は人々の間に醸成されていったのである。
 私は、人々が共産主義を理解した上でそれを忌避したとは思わない。なぜなら、彼らのほとんどは、「鎖のほかには失う物も無い労働者」だったからである。現体制が変わることによって何らの不利益も被らないはずの、そのプロレタリアートの支持さえも得られなかった所に共産主義の敗北の根本原因があったのである。




(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。


山本貴嗣さんがリツイート

黒星Pおじさマスター



@kurohoshi_P
8月15日

その他
自衛隊が大鍋にスコップでカレー作ってるのに汚いだの調理器具使えだのと発狂してるアカの連中がいると聞いてグレードが3段高い画像を用意した。

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ある「戦場の記録」

料理研究家小林カツ代の講演記録である。これも、戦場体験者の父から聞いた貴重な「戦争の記録」だろう。




終戦記念日によせて

2019/8/16(金)


終戦記念日によせて

小林カツ代
「キッチンの窓から見えるもの」

2004年8月28日須坂市メセナホールにて
第6回信州岩波講座での講演要旨

2004年8月31日 信濃毎日新聞に掲載

《キッチンから戦争反対》
私が戦争を体験したのは、まだ小さい頃のことだった。ある日、空襲警報が鳴り、母に手を引かれて逃げ回った。焼夷弾で焼けた死体をたくさん見たけれど、幼かったのでそれほど深く何かを感じることもなく大人になった。
父は生粋の大阪の商人で、よく笑い話をする面白い人だった。けれども、毎晩、睡眠薬を飲んでいた。そして、お酒を飲むと、戦争中に中国で体験したことを話した。

「お父ちゃんは気が弱くて一人も殺せなかった」。上官の命令に背いて、どれだけ殴られたか、日本軍がどんなに残酷なことをしたか…。父は泣きながら話していた。

まるで「遊び」のように現地の人を殺す日本兵もいたそうだ。ギョーザや肉饅頭の作り方を教わり、仲良くしていた人たちが住む村を焼き討ちしろと命令が下りた時、父は「あそこはやめてくれ。村人を逃がしてからにしてくれ」と頼んだ。だが、父のその姿を見て笑う人たちもいたという。

同じ部隊に、ことに残酷な上官がいた。命乞いをする人に銃剣を突きつけ、妊婦や子どもを殺すその上官を、父は止められなかった。それは悪夢だった。生涯、睡眠薬を手放せなくなった父は「これくらい何でもない。殺されたり拷問にかけられた人たちにどうお詫びしたらいいか」と語っていた。

でも、子どもの頃の私は、父からそんな話を聞かされるのが嫌で仕方なかった。短大に入った頃は、ちょうど社交ダンスや歌声喫茶が全盛で、友達と遊んでばかり。自由を謳歌していた。

戦後、父は毎年、戦友会に出かけた。ガンになり死期が迫っても、やせた体に背広を着て、出かけようとした。私は、「戦争はいかん」と言いながら欠かさず戦友会に行く父を許せず、「なぜ行くのか」と問いただした。すると父は、初めてその理由を話してくれた。

残酷な行為をしたあの上官は、戦後 成功を収め、大金持ちになった。「あんな残忍なことをして、よく軍法会議にかけられなかったな」と陰口をたたいていた人たちも、成功者と見るや、すり寄っていった。戦友会では、その人を一番いい席に座らせ、昔のことなど誰も口にしなくなった。

けれども、父は許せなかった。その人の隣に座って「忘れへんのか。夢に出えへんのか。よくあんな残酷な目にあわせたな」ーそう毎年言い続けるのだ、と父は言った。「中国の人に代わって、罰のつもりで言う。自分への罰でもある」と。

ノンポリだった私は、その言葉を聞いて雷に打たれたような気持ちになった。父の意思を継いで、2度と戦争はしない、してはいけないと決心した。

父も、その上官も、もう亡くなった。私は料理研究家になってよかったと思っている。切った野菜のくずから芽が出てくる。スーパーでしおれていたホウレンソウが、水で洗うとみるみる精気を取り戻す。野菜だって何だって、命あるものはすべて生きたがっている。それに気づくことができた。

だから私は、キッチンから戦争に反対していく。原っぱは、きれいな公園などしないで、そのまま残して欲しい。諫早湾も、そして憲法も、そのままにしておいてほしいと私は思う。

(2004年8月28日 須坂市メセナホールにて 第6回信州岩波講座での講演要旨)
2004年8月31日 信濃毎日新聞に掲載

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法律の遵守は左翼の主張www

まあ、私が書いてきたあらゆる政治批判や社会批判は、一言で言えば「上級国民、特に政治家と官僚と経済界よ、憲法を守れ」というだけのことである。






さんがリツイート

このツイートが伸びていますが、前に、高校生に対して憲法を教えた時、「憲法は、公権力と国民との間を規律する法である」と教えたところ、あとで教師から、「その説は一般的なんですか?過激な説というわけではないんですか?」と言われたことを思い出した。
社会科の教師でもそんな認識なのです。




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