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アメリカの「断捨離」ブーム

日本の一時期の断捨離ブームをアメリカに持ち込んで商売ネタにしたわけで、世界のどこかにあるものを別の場所に持っていけばいい商売になる、というのは昔からある手法だ。まあ、それをやる資本と勇気とコネがあれば、の話である。
しかし、断捨離ブームの時にも(主に男からだと思うが)多くの批判があったわけで、特に「記念の品」や「夫の趣味の収集品」や「本」を捨てるというのには猛烈な批判もあったような記憶がある。特に、相手の同意も得ずに同居人(家族)の物を捨てるというのはほとんど犯罪に近い。
しかし、女性というのは、家の中が片付いていないとイライラして死にそうになるのだろうな、という気もするし、たとえ片付いてはいても、家の中に「自分の物」ではない物が存在すること自体、潜在的な不快感を持っているのかもしれない。夫や子供なども、「自分の物」であるうちはいいが、そうでなくなると途端に邪魔な物になるのではないかwww 最初から自分の物ではない、「嫁」とかはなおさらだ。
家の中の「他者(もちろん物を含む)」がさほど気にならないのが男というもので、「女はそれを我慢できない」のが女性、特に現代女性のような気がする。まあ、ちらっとそんな気がしただけだし、男だって同じと言えば同じかもしれないが、人間はともかく、物に関しては、片付けに対する女性の態度は「神経症」に近いと私は思っている。(もっとも、それは「他人に見られる」ことが前提で、その可能性が無い場合は、家がゴミ屋敷でも案外平気かもしれない。)いじめ問題なども、男女を問わず「自分に属さないものの存在」への不快感から来ていると思う。
ただし、そう思うのは私の勝手な推測であり、たいていの場合、片付いていないのは単に怠惰の結果であるのは言うまでもない。まあ、私は「潔癖すぎる姿勢」は「狭量さ」と親戚だと思うので、こういう「断捨離」が嫌いだ、というだけだ。
一般的には片付いているほうが片付いていないより気持ちがいいのは確かであり、またプロの職場は片付いているほうが仕事がしやすいので、整理整頓は鉄則だ。近代以前の家も片付いていたと思うが、それはもともと「物(特に家具)」が家の中に少なかったからである。今でもお寺や神社などは片付いているのが普通だろう。まあ、生活の場はどうかは知らないが。



影響は不動産業界まで波及!? 米国に旋風を巻き起こす「こんまり」現象

ハーバービジネスオンライン 2019/02/05 08:32







© FUSOSHA Publishing Inc. 提供 日本版「Tidying Up with Marie Kondo」(邦題「KonMari~人生がときめく片づけの魔法~」)のオフィシャルページ

 こんまり流片づけ術が今、米国に旋風を巻き起こしている。
 世界的大ベストセラー「人生がときめく片づけの魔法」の著者で片づけコンサルタントのこんまりこと近藤麻理恵さんが今年1月1日から映像配信サービスNetflixに登場してから、その旋風は瞬く間に全米を駆け巡った。
「Tidying Up with Marie Kondo(邦題:KonMari~人生がときめく片づけの魔法~)」というタイトルで、近藤さんが米国内の一般家庭を訪問し片づけ指導を行うと家の中があっと驚く大変身を遂げるというリアリティーショー番組だ。シーズン1が始まるやSNSや米メディアで話題沸騰。新エピソードが配信されるたびにKonMariにならって綺麗に片づけられた棚や部屋の写真をSNSに投稿する人が続出した。
◆リサイクルショップへの持ち込みが激増

 KonMari現象は、米国の実社会にもちょっとした変化ももたらしている。例えばコロラド州ボールダーでは1月以降、不用品の寄付を受け付ける施設やリサイクルショップに持ち込まれる品数が激増しているという。ローカルニュースサイトのタイムズ-コール電子版によると、通常なら1月は家庭用品や衣類の持ち込みや寄付の数が1年のうちで一番少ない時期なのだが、ボールダーにあるプラトーズクローゼットという古着ショップでは、持ち込まれる量が通常の30%増しになったという。中古品買取販売のARESスリフトストアでは、持ち込み客のうちで1日当たり20人近くは、会話の中に必ずKonMariの名前を出してくるそうだ。(参照:「TIMES-CALL」)
 米国人の多くが不用品を放出し片づけに夢中になり、家の中が広くなると「こんな広い家に住む必要はないのでは」という風潮も広がり、今後は不動産業界にも影響が及ぶだろうとの予測も出ている。
◆米軍のある技術にも注目が
 KonMari旋風は、思わぬ方面にも影響を与えている。米軍がその1つだ。
 KonMariメソッドの人気コンテンツの1つに洋服をコンパクトにたたむテクニックを伝授するものがあるが、米軍にも「レンジャーロール」というテクニックがある。
 レンジャーロールは同じように洋服をコンパクトにたたむテクニックなのだが、KonMariのテクニックがタンスや収納ケースに保管しやすいものであるのとは違い、スーツケースやキャリーバックなどに入れて持ち運びやすく崩れにくい旅行に便利なたたみ方になっている。このレンジャーロールがKonMariブームの影響で、テレビの情報ニュース番組で取り上げられるなどの現象が起こっている。(参照:「KTSM」)
◆アンチにも大反響。本を捨てたときは炎上に

 しかしこのブーム、米国内では多くのアンチも生み出している。自宅の中にため込んでいる物を思い切りよく捨ててしまうことに拒否反応を示す人々がSNSで悲鳴を上げ、ジャーナリストやコラムニストが「私がKonMariに納得できない理由」といったタイトルの記事を書いているのを数多く目にする。
 特に過剰なリアクションが起こったのは、本を捨てるエピソードのときだった。ツイッターでは反対意見のオンパレード。
「私は、本の魔力をわからない人なんか信用しないわ。本は来るべきときに私たちの前に現われ、読むべきときに私たちはそれを読むの。本に取って代われるものなんてないの」
「KonMariには申し訳ないのだが、僕は本棚を整頓することに朝から時間をかけたのに捨てようと思った本は1冊もなかった」
「ここまで彼女の番組をとても冷静に観ていたのだけど、私の考えとしてはあらゆるものは捨てられるけれど本とアート作品と鉢植えだけはムリ」
「私をときめかせてくれるのは基本的に本しかないわよ。山のような本を抱えてヌードで番組に乱入してやろうかしら」
 多くの人がこうした本への愛情を切々と語り、捨てることに猛反発した。米国人はこんなにも本が大好きだったのか!という、これまであまり認識されていなかったかもしれないことを大々的にクローズアップした興味深いエピソードだった。
 本と同じように米国人が過剰に反応するのが、マグカップだ。そういえば米国で土産物を置いているショップには必ずといっていいほど大量のマグカップがあり、しかもどれも大きい。彼らはどこかに出掛けるたびに記念のマグカップを購入し、家に持ち帰る。そして大きなマグカップがキッチンや物置のかなりのスペースを占領してしまうことになる。あるコラムニストは「私はこのたくさんのマグカップのすべてが、自分には必要だと感じている」と書き、捨てることを拒んでいた。
◆「Konmari」現象が揺さぶるアメリカ人の感情


 米国では何でもそうだが、マグカップも書籍類も日本に比べて大きく場所を取る。捨ててしまえばどんなにすっきりすることか。しかしそんなものに限って妙な愛着が湧いてしまって捨てられない。相反する2つの感情の狭間で悶え苦しむ米国人は、KonMari番組によって眠っていた感情を揺すぶられてしまったのかもしれない。米ウェブマガジンThe Outlineのコラムニスト、ローズマリー・ホー氏は「マリエ・コンドウの新番組は、人々の恐怖心に火をつけた」と分析し「この番組から一番学ぶことは恐らく、人間はあらゆるゴミを生み出すものであるというごく単純な事実の再認識である」と結んでいる。(参照:「The Outline」)
<取材・文/水次祥子 Twitter ID:@mizutsugi >
みずつぎしょうこ●ニューヨーク大学でジャーナリズムを学び、現在もニューヨークを拠点に取材執筆活動を行う。主な著書に『格下婚のススメ』(CCCメディアハウス)、『シンデレラは40歳。~アラフォー世代の結婚の選択~』(扶桑社文庫)、『野茂、イチローはメジャーで何を見たか』(アドレナライズ)など。(「水次祥子official site」)




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それは温泉側もお断りするはず

人間の認知機能というのは、目の前の事実に不自然なところがあっても、自動的に合理的に修正して認知するという性質があり、それがかえって間違いのもとになる。
私は、速読の癖があるので、下のツィートの「刺青」が「刺身」になっているのにまったく気づかず、まあ、よくある欧米かぶれの「お洒落馬鹿」の馬鹿投稿だな、としか思わなかったが、スレッドを読んで「体に刺身を入れている」というシュールな文章だったことに気づいて、心の中で大笑いした。まあ、体に刺身を入れたまま温泉に入ったら煮魚になって生臭いだろうwww

なお、「まんさん」という女性ヘイトの言葉は私は嫌いだが、タイトルになっているので残してある。私自身はかなりなフェミニストであるつもりだが、私自身は「質実剛健」という言葉が好きなので、ファッションや流行を追うことなどには否定的である。「赤毛のアン」でアンが「膨らんだ袖」に憧れ続けるのを「馬鹿馬鹿しい」と言うマリラに共感する。まあ、お洒落や贅沢は格差社会の象徴のようなものだ。


【悲報】まんさん「身体に刺身を入れてたら温泉にも入れず、縁談も破断になった」 New!

1 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:05:47.30 ID:iuBO/1EtF.net
こマ?
3 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:06:21.58 ID:i8LUE5owd.net

当たり前だよなぁ?


4 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:06:36.58 ID:H5vIWfK8a.net
生臭いやろな
6 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:06:43.20 ID:5R4ggRGA0.net

刺青入れたらそうなる当たり前の誰もが知ってる常識やんけ

9 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:07:21.27 ID:U3Y/WtbXa.net

>>6

刺身やぞ

22 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:08:36.44 ID:+/9hPhObr.net
>>6
刺し身やぞよくみろ

23 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:08:45.30 ID:O5IxsoY5d.net

刺青じゃないからせーふ

24 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:08:49.17 ID:Ww/7gKwm0.net

刺身入れるってどういうこと?

皮膚の下に埋め込むんか?

25 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:08:51.61 ID:YkKvdAcOa.net

海外行けよ定期

26 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:08:52.45 ID:yjaoYvz7d.net

刺身入れることの何が悪いんや?
刺身とか今どき普通のファッションやで

アホ臭えわ

40 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:09:25.28 ID:ZkKjR3lpp.net

魚臭い

41 :まとめでおん 2019/01/23(水) 12:09:33.30 ID:6CcpWDSXd.net

そらそうやろ

温泉に入ったらもう刺身やなくなるし

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心に「刃」で忍の字だが、忍だけでは困る

井口博士ではないが、日本人も上から下まで帯刀が許されたらまともな社会になるのではないかwww


(以下引用)



さんがリツイート

「ジョージ・ワシントンが桜の木を切ってしまったとき、彼の父親は怒りませんでした。なぜででょう」
「まだ手に斧を持っていたからです」





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この木何の木気になる木(木に生るのは「奇妙な果実」)

パッと見では意味の分からない一コマ漫画だが、木の先端近くに結んだ縄のもう一方が木に水遣りをしている人の首に巻かれている。
まあ、日本に住む人間(下層階級)のけっこう多くが政府という木にこういう状態で水遣り(自民や公明や維新への投票とか宣伝工作などね)をしているわけだ。ネトウヨや自民党工作員は、木が成長したら自分も高い所に上れると思っているが、残念ながら下層階級全体が首つり状態になる。






私の人生


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原始的ファシズム

自分が好きなものは他人も好きなはずだ、という幼児的な思い込みは大人でもよく見られるもので、他人(他者)と自分はまったく違う存在だ、ということが分からないのが幼児的心性である。こうした幼児性は大人でも老人でも持っていることが多い。田舎などに行くと、まともな舌の持ち主には不味くて食えない料理を「ご馳走だ」として出されて、食うのに難渋していると、「こんなにおいしいのにどうして」と不思議がられるものである。
もう一度言うが、「他者は自分とは違う感覚や趣味や哲学を持っていて当然だ」ということが彼らには分からないのである。「原始的(幼児的)ファシズム」とでも呼んでおこう。
フーテンの寅などは下層社会の人間だが、精神は非常にまともであり、他者は自分とは違う存在だということをよく理解していた。「早い話が、俺が芋食って、お前の尻から屁が出るか」という名セリフはそれを示している。



(以下引用)



さんがリツイート

かなり昔だけど、今でも忘れられない、どなたかが作った掲示物。ルールを守るとかダメだから以前に、どうしてダメなのか、自分の行為でどうなってしまうのか、相手がどう思うか…理由を理解したり、想像出来るようにありたいね(´・ω・`)


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ピノキオの鼻

今では「ピノキオ」の原作もディズニーアニメも知らない人も多いだろうから説明しておくと、ピノキオの鼻は嘘をつくと伸びるのである。つまり、ホワイトハウスは嘘つきの殿堂ということwww




さんがリツイート

ポーランドの画家、パウル・クチンスキーによる風刺画です。ワシントン記念塔がピノッキオの鼻になっています。


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雄プレイと雌プレイ


立川の基地の外で、日本人の若い女が米軍軍属のアメリカ人男性を刺殺した、という事件についての「ネットゲリラ」のコメントのひとつが秀逸である。
実に、基地関連の事件にぴったりだ。当然、米軍兵士(海兵隊にそうした事件は多い)などによる日本人女性強姦殺人などがオスプレイである。

(以下引用)


珍しくオスプレイじゃなくてメスプレイか
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人を呪わば穴ふたつ

「喧嘩」や「戦争」を象徴する写真として「道徳」教科書の表紙にしたらいい。
喧嘩したカモシカか何かの角が絡み合って三匹とも水に溺れた写真らしい。
ついでに言えば、「人を呪わば穴二つ」とは、人を呪うと、相手だけでなく自分も墓に入ることになるよ、という意味だろう。子供だと、穴と聞いて即座に墓穴を想像はできない。





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幾つもの人生の不条理

竹熊健太郎がツィッターで、久々に超名文を読んだ、と書いていたので、読んでみたら、本当にそうだった。こういう抜群の頭を持った人間なのに、文章内容から見ると、おそらく職場ではあまり高くない地位にあるのだろう。いや、世の中、頭がいいから出世するわけではないが。

(以下引用)文中の、「こんなことに」は「こんなとこ(ろ)に」の間違いか。



職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。


職場内で流通する機関誌みたいなものがある。


毎月、偉い人が「激動の時代を生きるために」などと、コピペしてきたのかな?と感じるほどに定型的な有難い言葉を長々と連ね、「最近将棋始めました」で締める訳の分からない文章が巻頭に掲載されている。


その次に、やや偉い人が似たような言葉で叱咤激励し、犬を飼いはじめたことをカミングアウトして締める文章が続く、そんな大変に有意義な冊子だ。


 


その中の1コーナーに「わたしのコンソメスープ」というコラムコーナーがある。


正直に言ってしまうと僕はこのコーナーの意義が全く分からなかった。端的に言うとなぜそこにあるのか全く分からない。意味不明だとすら思っていた。


そこに存在するだけで僕の精神を蝕んでいくような、ただのコラムとは思えないほど恐ろしくも禍々しい「何か」、それがこのコラムにあったのだ。



(Boris Wong)


毎回、様々な社員が登場し、コンソメスープのある風景をコラムにするという、よく分からないコーナーで、なぜコンソメスープにフォーカスしたのか(別に自社製品でもない)、なぜそんなことを書かせるのか、どういう基準で執筆者を選定しているのか、渦巻く謎の答えを求めて質問しても誰も答えを持ち合わせていないという驚異のコーナーなのだ。


 


ある女子社員が執筆を担当した号などは


「仕事で疲れて泣いちゃった夜、コンソメスープを飲んだら元気出ました。がんばろっ」みたいなことが平然と書かれているのだ。平然とだ。


怖い。とにかく怖い。


これを自分のブログに書くのなら文句ない。ワンチャン狙ったおっさんの


「止まない雨はない明けない夜はない。頑張るミサトちゃんが好き(^-^)」


とか気持ち悪いコメントがつくこと請け合い。そういう文章だ。そう、これはブログに載せるべきなのだ。機関誌に載せる意味が全く分からない。


 


そもそも、お前は本当にそんな場面でコンソメスープを飲んだのかと言いたくなる。


疲れた、コンソメ飲もう、という行動原理を持つ人間に僕は出会ったことがない。本当にそんな人間がどれだけいるのか分からないが、いたとしてもすぐに人材が枯渇し、連載が立ちいかなくなるではないか、そう思った。


けれども、そういった人材は尽きることなく、次々とコンソメ派の人間が紙面に登場してくる。どうやら僕がマイノリティらしく、多くの人はコンソメに救いを求めているのだ。


 


みんな辛くて苦しいとき、コンソメスープを飲んでホッとしている。明日への活力にしている人もいる。人間関係が良化した人だっている。恋に発展しそうなやつまでいる始末。なんだかそれが当たり前のようにすら思えてくる。


まるでコンソメスープに救われたことがない自分が人間的に劣っているのではないかと思い始めたほどだった。


 


同時に、戦々恐々とする思いがあった。このコーナーの執筆担当が回ってきたらどうしよう、と考え始めたからだ。


人間的に劣っている僕は、他の執筆者のようにコンソメスープによって救われた経験がない。そんな僕にこのコラムを書く資格があるとは思えないのだ。回ってきたらどうするんだ。考えることはそのことばかりだった。


 


しかし、世の中ってやつはそういう風にできているもので、どうするんだと考えていると本当に回ってくるのだ。


ついにあの、コンソメスープがある風景の執筆依頼が回ってきたのだ。恐怖なのか困惑なのか、よくわからないがあまりよくない感情が僕の体の中を駆け巡った。


 


困った。とにかく困った。適当にエピソードを捏造して執筆してみたが、コンソメ派の皆さんには悪いがどうにもこうにもコンソメにそこまで現状打破する力があるとは思えないのだ。だから、どうしても不自然なエピソードになってしまう。


精神的に落ち込んでいるときにコンソメスープを飲んだらハイになって踊りだした、みたいな良くわからない捏造になってしまい、まるで怪しげな成分が溶け込んだコンソメスープになってしまうのだ。


「嘘をついても仕方がない」


そう決意した僕は、僕の人生の中で唯一、コンソメが関わってくるエピソードを執筆することにした。それだけが唯一、僕の人生における「コンソメのある風景」なのだから、それを正直に書くしかない。


僕が書いたエピソードをかいつまんで説明すると、だいたいこんな感じだ。


 



 


僕が小学生の頃、どうしてもファミコンがやりたくて近所の金持ちお大尽のガキの家に通い詰めていた。そこでは接待ファミコンが展開され、お大尽のガキにわざと負ける勝負が展開されていた。



(Jim Millard)


接待ファミコンに疲れ、トイレに行こうと豪邸の長い廊下を歩いていると、廊下に煌びやかな巨大水槽が見えた。窓からの光がキラキラ反射し、廊下の絨毯に賑やかな光を落としていた。そこにはカラフルな熱帯魚が悠然と泳いでいた。


今思うとその熱帯魚はグッピーで、そこまで高価な魚じゃないかもしれないけど、カラフルな魚が舞い踊るその光景に、水槽にやってきた竜宮城だと思ったほどだった。


 


そこにお大尽がやってきて、熱烈に自慢を始める。これは魚も高価だけどこれだけ大きな水槽も高価なのさ、水の温度を管理するシステムにも金がかかっている。そんなこと言っていた気がする。


すごいもんが世の中にはあるものだ、そう思ったのを熱烈に覚えている。


「これが餌さ」


お大尽はそう言って小さな瓶を見せてきた。それはプラスチック製の小さな瓶で、ハンドクリームとか入っていそうな外観だった。蓋を開けてみると、中にはカラフルなかさぶたみたいなエサが入っていた。


お大尽がさっとそれを水槽上部からばらまくと、グッピーたちが激しく動き、水槽の中がさらに賑やかになった。


「僕もそのエサあげたい」


僕がそう言うと、お大尽は口角を上げて笑った。


「ダメダメ、グッピーはデリケートなんだ。あげすぎると死んじゃうんだから。今日はもうだめだよ」


僕のショックは計り知れなかった。家に帰っても考えることはグッピーのことばかりだった。我が家の夕食に出された煮魚の茶色との落差が凄まじく、なんでうちにはカラフルな魚がいないのか、水槽がないのか、と嘆き悲しんだ。


「もうやっちまおう」


僕は追い詰められていた。グッピーに餌があげたくて追い詰められていた。


 


そこで作戦をたてた。接待ファミコンの途中でトイレに行き、そこで一気にエサをあげてしまおう。たぶん少量なら大丈夫なはずだ。いける、きっとやれる。


ついに決行の日がやってきた。いつものように接待ファミコンに興じた。そして適当なタイミングでトイレに行くと告げて水槽に向かう。勝負は一瞬だ。大丈夫、やれる。きっとやれる。


 


絨毯に落とし込まれた水槽の光が見えた。光は水の流れに合わせてゆらゆらと揺れている。ついに来た。一気に駆け寄った僕は、水槽横の小瓶を手にし、ふたを開けて中身を一つまみ、水槽の上部に振りまいた。


モアーーー!


なんか様子が違う!


 


昨日はカラフルなエサが踊るように沈下していき、そのエサをグッピーたちがこれまた踊るようにツンツンと食べる光景だったのに、水槽の中身が一気に茶色になっていくだけだった。


昨日の煮魚みたいな、ここにあるはずのない茶色が水槽の中を満たしたのだ。


「なんで、なんで、どうして」


焦った。けれどもなにもすることができず、ただただ浸食するかのように広がっていく茶色の何かを眺めていた。


いったい何が起こったのか全く理解できないが、とんでもないことが起こっているという事実だけはわかる。なんでこんなことに。震えながら、さきほど水槽に入れた瓶のラベルを見る。そこには驚愕の言葉が書かれていた。


 


「コンソメ」


 


なんでこんなことにコンソメがあるんだよ! なんでトイレへと続く廊下にある水槽の横に置いてあるんだよ。ほんと、金持ちの考えることはわからん。


とにかく、コンソメとグッピーのエサが並べて置かれていて、僕は粒状のコンソメをグッピーに振りまいていた。



(Jorge Correa)


「琥珀色、というか茶色に染まる水槽にグッピー、まるで前日に食べた煮魚のようでした。これが僕のコンソメのある風景」


こんな言葉でコラムを締め、入稿したのだった。「コンソメのある風景」は僕の人生でこれしかなかったのだから仕方がない。とにかく書ききれたことに安心し、ホッと胸を撫でおろした。


 


それから数日して、機関誌を発行するグループの偉い人に呼び出された。どうもコラムの内容がまずいらしい。


「コンソメが悪者のように書かれている。コンソメを好きな人が気分を悪くするのでは」


「グッピーがかわいそうなことになっている。動物愛護の観点から書くべきではない」


「グッピーのことを飼っている人や好きな人が気分を悪くするのでは」


「ファミコンという商品名はまずいかも」


「金持ちのお大尽って表現はちょっと良くないのでは」


「そもそも紙面の1/4しかスペースがないのに文章が長すぎる。偉い人のあいさつより長い特集になってしまう」


こういうものだった。


こうして文章を短くし、指摘された点を直した結果、あの大スペクタクルエピソードが以下のような文章になってしまったのだ。


 


「子供の頃、仲の良い友人の家で何かのゲームをしていたら、何らかの魚類がいて、エサをあげたらそれがエサではない別の何かで、魚たちも迷惑そうだった」


 


何が言いたいのか分からない! これ読んだ人、俺が狂ったと思うだろ! そもそも「エサではない別の何か」ってぼかしてるけど、このコーナー「コンソメのある風景」って名前だっつーの。バレバレじゃねえか。


そして、最後の指摘があった。


「そしてなにより、ホッとする風景じゃないとダメだ。ここはそういうコーナーなんだから」


 


似たような話ばかり書かせているのはお前が原因か。だったら最初からそう言えよ、と思ったが、もう締め切りギリギリということで、以下のように直されてしまった。


 


「子供の頃、仲の良い友人の家で何かのゲームをしていたら、何らかの魚類がいて、エサをあげたらそれがエサではない別の何かで、魚たちも迷惑そうだった。でも元気に泳いでいたからホッとした」


 


冒頭で「このコラム、意味が分からねえよ」なんて揶揄していた僕が、コーナー史上最大に意味不明な文章を掲載することになってしまったのだ。


すべては配慮に配慮を重ねた結果の産物、全く本意ではないのにとんでもないことになってしまったのだ。


 



 


いつの間にか時代は変わった。


どんな場面においても文章を発表するということは、書き手と読み手のやりとりであった。


少し前は、その関係は一対一であった。例えば書き手がおかしいことを書いたとして、読み手はそれに抗議をすることもあったかもしれない。それを受けて書き手は訂正するかもしれないし、反論、もしくは取るに足らないと無視することもあったかもしれない。けれども、それで話が終わることだった。


 


けれども、今の時代は読み手がおかしいと感じた想いを、他の読み手と共有することが容易になっている。


それは決して悪いことではないが、同時に炎上などの激しい反応が起きやすくなってしまったとも言えるのだ。それも別に悪いこととは思わないが、それを畏れる現象が確実に起き始めている。


書き手が畏れなくても、編集する人、掲載する人、関係する様々な人が畏れる現象がある。


「何を書くかより何を書かないか」


実は、多くの書き手はもうこの段階にきている。書きたいことを書くよりも、書いてはいけないこと、書いたら面倒そうなことを消去した結果、残ったものを書いている。意識下なのか無意識なのか違いはあるが、そうなってしまっているのだ。


 


特定の何かに言及することは大変にリスキーである。反発も激しくなる。それを防ぐためにとどんどん主語を大きくするという解決策をとる。


例えば山田さんに注意したいけど、ダイレクトだとこのご時世、いろいろと問題がある。ならば山田さんが所属する営業課全体に注意をする。でも、それだと営業課の反発がありそうだ。ならば全社員を注意しよう、そういった現象に似ているのだ。


主語が大きくなれば対象となる範囲は広がるが、対象となった怒りや反発は反比例して薄らぐ。


 


そう遠くない将来、公に発表される文章のほとんどは人類か地球規模で語られ、意味不明なものばかりになっているかもしれない。それはきっとあまり面白くない。


この世に完成された文章など存在しない。反発はあるものだと割り切って、何を書くかで選んだ文章を書けるようになる、それが理想なのだ。


 


ちなみに、コンソメの語源は「完成された」という意味だ。コンソメスープのように一点の曇りもなく澄んだ「完成された」文章など存在しない、でも完成を目指さなければならない、文章のコンソメを目指して。


そう決意することが僕の持つ「コンソメのある風景」なのである。



 


著者名:pato


テキストサイト管理人。WinMXで流行った「お礼は三行以上」という文化と稲村亜美さんが好きなオッサン。


Numeri/多目的トイレ 


Twitter pato_numeri


 


(Photo:Thomas Hawk


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天才スキーヤー

私も、この人は天才だと思う。発想するだけならほかにも思いつく人はいるだろうが、それを実行したところが天才である。






(以下引用)




elizabeth-swaney1

1: 風吹けば名無し 2018/02/23(金) 17:06:21.73 ID:WKH8ZShQ0
平昌オリンピックでスキーハーフパイプ競技に出場した、ハンガリー代表のエリザベス・シュワネイ選手(33)が話題だ。何の大技も出さずに
「ただ安全に滑るだけ」に徹した彼女はもちろん最下位に。
素人同然の滑りを見せた彼女だが、一体どうやってオリンピックに出場できたのか。
アメリカ人のシュワネイ選手は、幼少時代からオリンピックの舞台に立つことに憧れていた。
しかし自分の実力では到底叶わない夢だった。そこで彼女は「スキーを上達させて世界に挑む」のではなく「オリンピック出場のための条件を揃える」こと
へと頭を切り替えたのだ。
オリンピック出場を果たすには、各国で開催される世界大会で「30位以内に複数回入賞する」ことが条件だ。そのためシュワネイ選手は参加者が30名に
満たない世界大会にだけ絞って参加し、オリンピック出場条件をクリアしてみせたのだ。
シュワネイ選手はいつも技を決めずにコースではただ滑るだけを貫いた。彼女は決まって最下位だったが、オリンピック出場が目的である本人にとって
順位は関係なかったのだ。
そして彼女は13の世界大会でベスト30に輝き、オリンピック出場を果たしたのだった。
なおシュワネイ選手が愛用していたスキー用具ブランドのArmadaは「こういった形で注目を受けたが当社としては関わりを持ちたくない」と声明を発表。
「もう自社ブランドは使って欲しくない」として、彼女に多額の金銭を支払ったことも伝えられている。

http://www.independent.co.uk/sport/olympics/winter-olympics/winter-olympics-2018-pyeongchang-elizabeth-swaney-ski-halfpipe-video-average-a8218991.html

6: 風吹けば名無し 2018/02/23(金) 17:07:08.85 ID:mqkNzn4Kp
天才やろ

108: 風吹けば名無し 2018/02/23(金) 17:12:23.93 ID:WKH8ZShQ0
ちな動画
一つも技を出さずに0点で終わった





169: 風吹けば名無し 2018/02/23(金) 17:15:10.66 ID:Wjuk03LP0
>>108
手振ってて草
どんなメンタルしてんねん



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