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第二次大戦と吉田松陰

「第二次大戦の日本の戦犯ランキング」というスレッドにこういうコメントがあって、面白い。
明治維新以後、正確には西南戦争以後の日本陸軍は完全に長州閥の金城湯池となっていて、日清日露戦争以後は完全に夜郎自大状態であったわけだ。
そうすると、彼ら長州閥軍人が崇拝するのは吉田松陰であり、その「世界戦略論」を頭から信じ込んでしまった阿呆軍人は無数にいただろう。
第二次大戦での日本の軍事戦略(と言うより、明治以降の国家拡大・帝国主義路線)が、下の吉田松陰の案そのままであることが上記のことが事実であることを示している。まあ、弱小国家がたまたま日清日露戦争に勝ったために発狂したわけである。
軍人が政治に口を出すとロクなことはない。だから「文民統制」が近代国家の原則なのである。軍人は戦争が自分の地位維持と出世の条件だから、戦争に突っ走る性質がある。死ぬのはどうせ下級兵士だしwww/


(以下引用)



118: 名無しさん 2019/01/17(木) 18:10:42.34 ID:QkYwGaQ10
遠因で言えば吉田松陰やな

吉田松陰『幽囚録』(1854)
「速やかに軍備を整え戦艦大砲を揃えたならば、北海道を開拓し領有権を強め、
隙に乗じてカムチャッカ・オホーツクをロシアから略奪し、琉球を日本へ併合、
神功皇后の時代のように朝鮮を脅迫して属国として、
北は満州、南は台湾、フィリピンを侵略し、欧米列強と対戦すべし」

明治の元勲()が吉田松陰を神格化した時点で詰んでた

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ベルコ方式という究極の「労基法脱法システム」





葬祭大手ベルコの「異様」な組織 副業時代のブラック企業戦略とは?


 昨年(2018年)9月末、札幌地裁で争われた労働事件で、非常に重要な判決が出されたことをご存知だろうか? 


 冠婚葬祭業を営む最大手のベルコが、労働組合を結成した労働者を「事実上」解雇したことを受けて、労働者側が訴えを起こした裁判で、裁判所は解雇を認める判決を下したのだ。


 労働者が労働組合を結成したことを理由に、会社がその労働者を解雇することは、「不当労働行為」という違法行為である。もしこれが許されてしまうなら、残業代不払いやパワーハラスメントなどの告発は、簡単に封じ込められてしまうだろう。


 だが、今回の事件では、それが裁判で認められてしまった。そこには重大な問題を孕む「からくり」がしかけられていたのだ。


 この事件は少々問題が入り組んでいるが、日本企業で働く多くの会社員にとって非常に重大な意味を持っている。


 政府は今後、「雇用」を減らし、業務委託契約への切り替えを大々的に進めていくというが、同社の労務管理は、まさに、「副業時代の脱法戦略」ともいうべきものだからである。


 今回の記事では、葬儀大手企業であるベルコの労働問題と、本判決が日本社会に与える影響について、警鐘を鳴らしていきたい。

長時間労働と過酷なノルマ

 まず、ベルコで働いていた原告側の労働者たちが、どのような環境で働いていたのかを紹介しておこう。


 株式会社ベルコは、会員から毎月「互助会費」と呼ばれる掛け金を集め、結婚式や葬式のサービスを提供している。そこで働く労働者たちは、互助会費を払う会員を集めたり、実際の葬儀を取り仕切ったりするなどの仕事を担っていた。


 全ベルコ労働組合によると、長時間労働の問題は深刻で、休日や深夜を問わずに働いていたため、残業は毎月100時間を超えていたという。


 これは「過労死ライン」を優に超えた残業時間である。また、その分の残業代も支払われていなかった。こうした過酷な労働環境のなか、体調不良を訴え、辞めていく労働者が後を絶たなかったという。


 対価を支払わない過酷労働を強いるという点で、ベルコは典型的な「ブラック企業」だといってよいだろう。


 この過酷労働に拍車をかけていたのが、ノルマ制である。それは月に互助会への入会を6件、生命保険契約を2件、獲得するというもの。


 労働者たちは、葬儀場で葬儀を運営する仕事に加えて、こうした新規会員を増やすための「営業」の仕事もしなければならなかった。


 そして、このノルマは、給与とも密接に関係していた。労働者の給与は、「基本給+歩合給」で構成されており、基本給は葬儀施行によって、歩合給は互助会への入会獲得手数料によって得られることになっていた。


 つまり、ノルマが達成できないと、月給が減ってしまうのであり、労働者はこれによって過酷労働に駆り立てられていた。


 こうした過酷な労働は、ベルコ「本社」の業務指示に従う形で行われていたという。もし本社のやり方通りに仕事をしなかった場合には、基本給を構成する葬儀施行の仕事から外されてしまうことになっていた。


 ここからが、いよいよ本記事の本題だ。こうした違法・脱法的な働かせ方を継続させるために、ベルコは次に見るような、「異様」ともいえる体制を採っているのである。

ベルコと労働者の法律上の関係

 株式会社ベルコは、実質的に約7,000人の従業員を抱える全国規模の大企業でありながら、その正社員はわずか35人と圧倒的に少なく、全体の0.5%に過ぎない。ベルコは、労働者と直接的な雇用関係を結んでいないのである。


 図1のとおり、従業員のほとんどはベルコと業務委託契約を結んだ「支部(代理店)」と雇用契約を結んでいる。


図1 ベルコの「異様」な組織構造
図1 ベルコの「異様」な組織構造

 大企業の場合、いくつかの支店や営業所をもつことは多いが、ベルコの特徴は、その一支部ごとが労働者との雇用契約を結んでいるというところにある。


 このほか、ベルコと直接に業務委託契約を結んでいる従業員もいるようだが、何千人もの労働者は、ベルコとは直接的な法律上の関係がないように装われている。


 支社と契約しているというと、「子会社」への出向を思い浮かべる方もいるかもしれない。しかし、ベルコの場合、「支部」は委託契約の対象に過ぎないうえ、店舗ごとに細かく配置されているのである(全国224の店舗がある)。


 問題は、委託契約の対象である「支部(代理店)」を巧みに使って本社が脱法行為を行っているところだ。


 原告(労働者)側の訴えによると、実際にはこの支部(代理店)には裁量権はほとんどなく、採用や人事異動を決めたり、営業目標についての指示を出し、達成していない場合には指導するなどしていたのは、ベルコ本社であったという。


 先ほども触れたように、各支部の労働者には、互助会会員の募集や生命保険契約の獲得にあたって過大なノルマが設定されていたのだが、それが達成できない場合には、支部長の交代や、支部そのものの廃止がほのめかされていた。


 支部長には強いプレッシャーがかかり、自らの裁量で支部を運営するというよりは、本社の言いなりにならざるをえない。そして当然、そのしわ寄せは現場の労働者に及ぶのだが、そのことの責任を「支部」がとることはできない。


 ノルマの改善を訴えようにも、支部にはその権限がないからだ。それなのに、雇用関係(つまり、労働者の権利)は、支部に対してしか与えられていない。このような責任を回避するための分裂状態が、意図的に作り出されている。


 客観的にみれば、このような「支部」は実質的な派遣会社のような存在で、法律上の責任を回避するため、形式的に導入されていると考えられる。


 業務命令が直接「委託元」から発注されているという意味では、本来の雇用を脱法的に「委託」に見せかける「偽装請負」に類似した状態だともいえるだろう。


 偽装請負は、社員に対する責任を回避するために行われる違法行為である。今回のように長時間・サービス残業が行われている場合には、その法的責任を回避することが狙われると思われ、非常に悪質である。


 このような状況で、原告側は、ベルコに「使用者」としての責任があると主張し、自分たちとの雇用関係を認めさせ、そのうえで今回の解雇の無効を訴えたのであった。


 なお、労働者を雇用するこの支部(代理店)は、これもまたベルコと業務委託契約を結んだ「支社」に業務を管理されている。また、「支部」と「支社」の間にも法律上の関係は存在しない(図1参照)。


 こうして見ていくと、ベルコという大企業が、支社、支部、など、それぞれのパーツをすべて業務委託契約で束ね、実際には運営している。


 法人経営の形態としても異様であるが、これだけの大企業を、雇用契約なしにまともに運営することが、実際に可能なのかという疑問もわいてくる。

濫用された業務委託契約

 繰り返しになるが、ベルコがこのような複雑な体制を採っているのは、個々の労働者と直接の契約を結ばないことで、残業代の支払いや社会保険料の事業者負担等、さまざまな使用者責任を免れるためであると考えられる。


 過去には、牛丼チェーン店「すき家」を展開する外食大手のゼンショーが、店舗で働くアルバイトは「個人事業主」だとして、未払い残業代の支払いを拒否する事件も起きており、大きな話題を呼んだ(いうまでもなく荒唐無稽の主張であり、結局、判決がでる直前にすき家側が非を認めて和解している)。


 ベルコの場合、あいだに支部(代理店)を挟んでおり、より巧妙に業務委託契約を利用しており、その「組織的」、「計画的」な脱法行為は強く非難されるべきだろう。


 読者のなかには、労働者は支部と雇用契約を結んでいるのだから、賃金未払いなどの問題がある場合、この支部に請求すればよいのではないか、と思われる方もいるかもしれない。


 だが、月に100時間を超す残業をしなければ達成できないようなノルマを設定したり、支部の存続そのものを握っているのはベルコ本社である。


 そして、仮に支部に未払い賃金を請求したとしても、「揉め事」を起こしている支部とは、ベルコは業務委託契約を解約する可能性が高い。現に今回の事件では、ベルコは業務委託契約の解除を通して、現体制に異を唱えた労働者たちを、意のままに解雇している。


 つまり、ベルコ本体は「支部」とは法的に無関係を装うことで、あらゆる違法行為の追及を「無効化」できる仕組みを整えているのである。

労働組合員をねらった「解雇」

 そもそもなぜこの労働者たちは解雇されたのだろうか? 先ほど来、「事実上」や「解雇」と、含みを持たせた表現をしているのには理由がある。


 それは、ベルコと代理店で働く労働者との間には、先に確認したように、法律上は何の関係も結ばれていないからである。


 そのため、「別会社」であるはずのベルコ本社が、「支部」の労働者を解雇することは、本来できるはずのないことなのだ。


 これに対し、原告側の労働者たちが事実上の解雇だと主張しているのは、長時間労働や過酷なノルマが課せられているような状況を改善するために労働組合を結成しようとしたところ、その動きを察知したベルコ本社が、その労働者たちが働く支部(代理店)との業務委託契約を解除したからである。


 さらに、その際、原告ら以外の労働者は別の支部に引き取られ、継続して働くことができた一方で、労働組合を結成した労働者たちだけは、別の支部で働くことを認められなかった(図2参照。尚、同図では簡略化のため、支社を除いている)。


図2 ベルコによる「脱法」の構図
図2 ベルコによる「脱法」の構図

 これは、脱法を目的とした極めて「巧妙」な仕組みだといえるだろう。解雇の規制も、法律上認められた労働組合結成の権利も、実質的に踏みにじるものだからである。


 このような経過を見ると、ベルコが代理店で働く労働者たちの労働組合結成の動きを受けて、労働組合員を排除しようとしたことは明らかなようにみえる。

日本社会への影響

 今回の事件では、労働組合員であることが火種となっているが、このような体制が維持されたままでは、その他、いかなる理由でも、ベルコは労働者をいくらでも「解雇」できてしまう(例えば、あの支部の労働者は反抗的だ、顔が気に入らない、などといったことでも「業務委託契約」であればそれを解除することは容易である)。


 本来なら、社会的に合理的な理由がない限り、会社は従業員を簡単に解雇することはできないが、ベルコの場合、労働者と直接に雇用契約を結んでいないのだから、それができてしまう。結局、ベルコのビジネスモデル自体を問わなければ、問題は解決しないのである。


 そして、ベルコの方式が適法だと認められるのであれば、他のブラック企業もこぞってこのやり方を「模倣」しはじめることだろう。


 だからこそ、今回の裁判は日本社会全体に影響を及ぼすのである。


 では、このような脱法行為はどのように防ぐことができるのだろうか?


 ここまで書いてきた「脱法行為」に対して、法律論上は、ベルコが各支部(代理店)の労働者に、「実質的」に指揮命令を与えていたかどうかという点が論点となってくる。


 もし、支部を介していたとしてもそれは形式的なものにすぎず、労働者がベルコの指示によって働いていたとなれば、いかなる契約の形式をとっていようとも、労働法上はベルコと労働者の間に雇用関係が成立していたことになるからである。


 そのような事実が証明されれば、法律上、雇用契約が結ばれていないという点は問題ではなくなる。実質的に使用関係があると判断されるうるのだ。


 しかしながら、今回の判決では、ベルコ本社から支部(代理店)に対して細かな指示・指導があったことは認定されたものの、支部にも一定の裁量があったとして、労働者はあくまで支部と雇用関係にあるのであって、ベルコに使用者責任はないとされたのである。


 これに対して、原告側の弁護団は、「判決は、形式的な契約形式にとらわれ、動かしがたい膨大な証拠を採用せず、原告らの労働の実態を顧みることなく、被告ベルコが構築した業務委託契約の濫用に無批判に追従し、被告ベルコと原告らの雇用関係を認めようとしなかった。司法の役割の放棄と厳しく断罪せざるを得ない」と、強く批判している。


 筆者もこのような弁護団の指摘は極めて的確であると考える。


 本記事で見てきたような複雑な体制を作り上げることで、ベルコ本社は、一切使用者としての責任を取らずに、労働者に過酷な労働を強いることを手に入れた。


 この手法は、究極の「ブラック企業の技術」とさえ評価できる。今回の裁判では、こうした企業の働かせ方に歯止めをかけることが期待されたが、裁判所は原告の請求をすべて棄却した(原告側は控訴している)。


 さらにいえば、このような裁判所の判断には、現在政府が検討を進めている「雇用によらない働き方」の悪用を容認する意図があったのかもしれない。


 政府は問題の多い業務委託契約化の広がりを促進しようとしているが、ベルコと同様の方式が今後増えることが予測されている。これを、裁判所はあらかじめ、先行的に許容しているようにも見える。


 政府の(悪質な)政策との関係でも、今回の裁判例は見逃すことができない重要な意味を持っているのである。

おわりに

 今回の事件では、労働組合の連合北海道ならびに情報労連(情報産業労働組合連合会)が当初から当事者らを支援しており、連合本部も支援に乗り出すことで、大々的に裁判や労働委員会での解決が目指されている。


 こうした労働組合の支援によって、はじめて今回の事件の問題化し、社会的なイシューとなっているのだ。


 労働組合の役割が悪質なブラック企業の歯止めとして、非常に重要であることが再確認される事例であるといえよう。


 現在も類似の脱法的な扱いにある方には、ぜひ労働組合に加入して声を上げてほしいと思う(最近では保険営業の委託契約が法律違




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ブランド品への女性の欲望が前澤氏を大金持ちにした

ゾゾタウンの前澤社長はカネが儲かりすぎて、最近はカネをばら撒く遊びまでしているようだが、そもそもゾゾタウンというのが何なのか私は分からないので調べてみて、その「システム」が書かれた記事を見つけた。その一部を転載する。引用先は失念。
まあ、こういうシステムを「成功する」と判断したその商才はなかなか凄いが、逆に「委託手数料28%」という高額な手数料を払ってもいいと判断したブランド会社(とでも言っておこう)の判断もなかなかのものだ。実際、そこで買う人が多いからゾゾタウン自体の売り上げは上がり、結果としてはそこに出しているブランド会社も利益を出しているのだろうから。
試着不可能、というのが最大の難点である衣料品のネット販売だが、そこも「返品可能」というシステムで乗り切ったようだ。まあ、そういう面倒くささを我慢してでもブランド品の服を手に入れたいという女性の欲望を前澤氏は見抜いていたということである。



(以下引用)






ゾゾタウンは「ユナイテッドアローズ」や「ビームス」、「ギャップ」といった人気ブランドを数多く取り揃えた通販サイトとして人気を博しています。16年12月末日時点の取扱ブランド数は3,821にもなります。


ところで、アパレル市場は縮小傾向にあります。斜陽産業と言われています。一方でEコマース市場は成長しています。しかしアパレル製品はEコマースだと試着ができないといった特有の問題があるため、Eコマースにはなじまないという指摘もありました。それでもなぜゾゾタウンは右肩上がりで成長することができているのでしょうか。


ゾゾタウンは人気ブランドを多く取り揃えることに注力しました。結果として人気ブランドが集まり、そのブランド目当ての消費者がゾゾタウンに集まるようになりました。集まる消費者を目当てに人気ブランドがさらに集まります。


こうした好循環をゾゾタウンは確立することができました。ゾゾタウンが人気ブランドを引き寄せることができたのは、長年にわたる営業努力を続けたからです。何度も企業に足を運んで説得したといいます。



ゾゾタウン独特のビジネスモデルも成長の原動力となっています。ゾゾタウンの収益構造は一般的な企業とは異なります。売上高は、テナント形式で出店している店舗から手数料を得る「受託販売」で約9割を占めます。受託販売の売上高は各店舗の商品取扱高に受託手数料率を掛けることで算出されます。受託手数料率は28%程度とみられます。


ゾゾタウンのビジネスモデルは仮想商店街の楽天市場に似ていますが決定的に異なる点があります。それは物流の仕組みです。楽天市場では一部を除いて商品の発送は各店舗が行います。一方、ゾゾタウンでは各店舗の商品を自社の物流施設で預かります。そして保管、写真撮影、梱包、発送までの一連の作業を全て代行します。


物流の仕組みの違いは手数料率に表れています。楽天市場は各店舗の売上高の2.0~7.0%のシステム利用料(加えて1万9,500~10万円の月額出店料がかかる)を受け取っています。ちなみにアマゾンは15%が中心の出品手数料を受け取っています。ゾゾタウンの受託手数料率は先に述べたとおり約28%で、競合と比べて高い受託手数料率を実現できています。


これはファッションEコマース企業ならではといえるでしょう。アパレル製品は物流施設で在庫化することができるからです。楽天市場の場合はそうはいきません。食品や飲料といった長期的な保存が難しい製品を扱うからです。アマゾンのようにできなくもないですがハードルは高いでしょう。ゾゾタウンは保存がきくアパレル製品に特化しているのでその利点を最大限に生かしているといえます。


さらに、ゾゾタウンは受託販売がほとんどのため在庫を持つことによる売れ残りなどのリスクが生じません。在庫の所有権は各ブランド提供企業にあるからです。ゾゾタウンは大量の在庫を抱えているにもかかわらず在庫特有のリスクがないのです。


ゾゾタウンが高度な物流機能を擁していることはブランド提供企業にとっては非常に魅力的です。規模が大きい企業は別ですが、小規模の企業が商品の保管や梱包、発送を行うことは大きな負担です。Eコマースで安定した需要があればいいのですが、不安定な場合は作業効率の悪化とサービス品質の低下を招いてしまいます。注文が突発的に増えた場合、人員を確保することが困難です。逆に注文が少なければ無駄な人員が発生してしまいます。


ゾゾタウンが物流機能を一手に引き受けることでブランド提供企業の負担感は低減されます。一部の企業で多量の注文が入っても、注文が少ない企業が他に存在することで作業量が平準化するからです。大規模物流ならではのメリットといえるでしょう。


ゾゾタウンが物流を一括で行うことで商品の到着日時の短縮化にもつながっています。作業効率が高まるため迅速な出荷が可能だからです。「即日発送サービス」という即日配送するサービスも可能にしています。即日発送を小規模の企業が行うことは困難でしょう。これも大規模な物流機能を持つゾゾタウンならではのサービスといえます。



Eコマースでは試着ができない問題があります。しかしこれもビジネスモデルの構築で解決しました。ゾゾタウンには有料会員サービス「ZOZOプレミアム」と「ZOZOプラチナム」があります。これらのサービスに加入していれば、一部商品を除いて送料無料で返品できます。自宅で試着してみて、サイズが合わなかったり気に入らなかったりした場合でも返品することができます。


ファッションコーディネートサイト「WEAR」も試着ができないデメリットを解消するビジネスモデルといえます。WEARではモデルや有名人がファッションモデルとなってコーディネートの提案をします。さらに、一般の人が自分のコーディネート写真を投稿できるので、参考にできるコーディネート案の幅が広がっています。着用したイメージが描きやすくなるため、試着ができないデメリットを完全ではないにしても解消することができています。


ちなみに、2015年10月末時点でWEAR経由のECサイトの売り上げは月間で10億円を突破したと発表されています。これはアパレル製品ならではといえるところがあります。それは、アパレル製品には「コーディネート」という概念があるからです。


楽天市場のような多様な製品を扱うEコマースの場合、コーディネートや組み合わせといった概念が発生しづらいといえます。例えばテレビが欲しい人は基本的にテレビしか購入しません。単発での購入になりがちです。しかし、アパレル製品の場合、買いたいトップスがある場合、そのトップスに合うボトムスやアクセサリーが欲しくなるといったことが発生しやすい特徴があります。


ゾゾタウンは数多くのブランドを擁することで、ワンストップでコーディネート販売することができます。例えば「トップスはユナイテッドアローズ、ボトムスはビームス」といったコーディネート販売ができます。その時にWEARが威力を発揮するのです。


ゾゾタウンは、アパレル製品をEコマースで販売することのメリットを最大限生かし、デメリットは解決することで成長してきたといえるでしょう。また、独自のビジネスモデルが人気ブランドを呼んでいるといえます。利用者数は増加し、大きな利益を確保しています。この傾向はしばらく続くのではないでしょうか。




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カネを使うこと自体が目的の「再開発」

「ネットゲリラ」読者コメントのひとつだが、「東京の再開発ラッシュ」というのは私には初耳かもしれない。あの日銀の膨大な量的緩和のカネは、安倍政権のための株価維持で日銀自身が株を買って大企業や株屋にカネを流しただけでなく、こういう所にも流れていたわけだ。その再開発自体が、周囲の既存ビルを衰退させるというのは皮肉である。
まあ、東京というのは江戸と同じで、何一つ生産することは無い(昔は文化の発信地だったが、今はその東京発の文化が白痴化している。)のだから、企業のフランチャイズシステムなどで日本全国からカネを吸い上げて生き延びてきたわけだ。その寄生虫も、寄生している宿主(地方都市)が死んだら自分自身も死ぬのは当然である。今更、観光だアニメだクールジャパンだオリンピックだ、などとやっても無駄だろう。

なお、地方にはそのような「政府の後押しプロジェクト」が無いから、銀行の営業マンは借り手を探すのに四苦八苦し、そのノルマが辛くて、入行して数か月で辞める新人がたくさんいるらしい。


(以下引用)



経済評論家の「加谷珪一」が指摘しているが。
>ここ数年、首都圏では再開発ラッシュともいうべき状況が続いてきた・・・
日銀は量的緩和策を実施し、市場にはおびただしい量のマネーが供給された。・・・
だが銀行はいくらお金があっても貸し先がない。唯一、安心してお金を貸し出せる案件が再開発プロジェクトである・・・
一部の人は、需要もないのにこれだけの再開発を行って大丈夫かと首をかしげているが、・・・
こうした巨大なビルが完成するたびに、周辺にある古いビルからは確実にテナントが退去しており、そうしたビルの財政状況は悪化の一途を辿っている。経済全体で見た場合には、最終的にはどこかで必ず歪みが出てくるだろう。・・・(以上引用終わり)
最近の東京の異常な再開発は経済の実態に合っていない。
日銀主導のバブルの行方はどうなるのだろうと思っていたら。
アパートマンション融資よりも大きな爆弾がこんなところに隠れていた。


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国のトップが勇気を持てば、世界は幸福になる

私の正体がバレるので、下の文章の筆者が誰かは秘すが、要するに私の兄のひとりだ。
そのブログ記事の一部だが、平和ということに関しては私とよく似たところがある。つまり、子供みたいな感覚が幾つになってもあるわけだ。大人(実年齢とは無関係)がみんな「王様の新しい服は立派だ立派だ」と言っている時に、「えっ、あの王様、裸だよ」と声を上げるのは子供(これも実年齢とは無関係)である。
世界の大人たちが「カネ、カネ、カネ」とばかり考えているから世界から戦争が無くならないわけである。


(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。私も、世界の「王様たち」の人生が実に馬鹿馬鹿しく思える。世界を幸福にできる立場にいながら、それをやらないなら何のために国のトップにいるのか。



トランプしかり、安倍しかり、金正恩しかり、一国を牛耳るのも楽しいかもしれないけど、僕には馬鹿馬鹿しい人生に思える。



せっかく国の現実と未来を支えているだろうと思える立場にいるのなら、まずは国民みんなの幸せを考えて行動すべきで、まずは世界の平和を目指すべきだ。

アフリカの隅々まで、世界中の国民の幸せを願う強大な国家が、真剣に動き出せば、世界の平和は実現するのじゃないかな。



警察官以外の武器は、すべて廃止して軍隊をなくすのだ。

これに反する国家や人間は、即死刑だ。

日本は73年間それを実現に向けてアピールするチャンスはあったのだ。

しかし、単に長崎、広島の悲劇を訴えるのにとどまったので、アメリカに無視されてきた。

あのオバマも、ノーベル平和賞までもらったのに、一言のすまないの言葉はなかったのだから、いくら長崎、広島の罪を訴えても、なかなかアメリカ人には受け入れられないと思うよ。

戦争は日本人にも非はあったのだからな。



だから、広島、長崎の悲劇を訴えるのもいいが、その争いの元は何かをはっきりさせて、その上で戦争そのもの否定すべきだと思う。

終戦のドサクサで、北方四島に攻め入り、同盟を勝手に破り、昨日の味方は今日の敵となったソ連、今やロシアも卑怯だが、アメリカもどうかと思うので、今一度その辺もどうだったのかは、はっきりさせたいね。



日本と、日本国民は、文化的な潜在能力は高いと思うので、これからも世界の中心国家の一つとしては生き続けると思う。

すべての今までの戦争の歴史をまとめて、そのつまらなさを書き、戦争で手柄を立てた英雄は英雄なんかじゃないと、今から子供たちに教えていくべきだと思う。




音楽も、英雄が絡んだ曲は全てタイトルを変えるべきだ。

まずは日本から全てを始めるべきだと思う。

案外、今からはネットの時代だし、スマホで世界がつながったんだから、可能じゃないかな。

力のあるリーダーが呼びかけたら、戦争の馬鹿馬鹿しさと、武器の馬鹿馬鹿しさは、分かるのではないかな。



まずは日本からと思うけど、アメリカで大統領が目指すのもいいと思うよ。



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欧州は再分裂するか

ただのメモとしての転載だが、現在の欧州の政治情勢が少し分かる記事だ。
メルケルが党首の座を降りたことは初めて知った。
フランスのRNのことを相変わらず「極右」政党という枕詞付きで記事を書いているが、他の政党にはそのような枕詞を付けない。そもそも、極右とはどういうことか。別に、暴力に訴えるような政治活動はしていないはずである。
ここに書いたか「酔生夢人」ブログに書いたかは忘れたが、要するに、極右呼ばわりは、「反グローバリズム(それは反新自由主義でもある)政党」に対して悪印象を持たせるためのレッテル貼りにすぎないのである。なお、マスコミはずべてユダ金の支配下にあるから、グローバリズム(あるいは新自由主義)推進を正義としているわけだ。

(以下引用)





欧州人民党(EPP)代表のウェーバー欧州議員=8日、ハンブルク(AFP時事) © 時事通信社 欧州人民党(EPP)代表のウェーバー欧州議員=8日、ハンブルク(AFP時事)


 【ブリュッセル時事】欧州では2019年、英国の欧州連合(EU)離脱後初となる春の欧州議会選や秋のEU主要ポスト交代など重要イベントが相次ぐ。難民問題をはじめ亀裂が生じ、各地で反EU勢力が台頭する中、欧州が進めてきた統合深化の将来を左右する岐路の1年となりそうだ。


 ◇50年ぶり独出身か


 来年の焦点は、EUの政策立案を担う欧州委員会のユンケル委員長の後任選びだ。5月の欧州議会選の結果を踏まえ、EU各国首脳が人事案を決め、欧州議会が選出する。


 最右翼は、議会最大会派の中道右派「欧州人民党(EPP)」の代表でドイツ出身のウェーバー欧州議員。今年11月にEPPの欧州委員長候補に選ばれ「東西間、南北間に橋を架け直したい」とEUの結束を説く。


 委員長になれば独出身では前身の欧州経済共同体(EEC)のハルシュタイン初代委員長(在任1958~67年)以来、52年ぶりとなる。ただ、知名度は低く閣僚経験もなく手腕を不安視する声もある。


 対抗馬は、第2会派の中道左派「欧州社会・進歩連盟(S&D)」が擁立するオランダ出身のティメルマンス欧州委第1副委員長。司法の独立制限などEUの理念に背を向けるポーランドやハンガリーへの制裁検討を担ってきた立場でもあり、まずは議会選に向けて「欧州の魂をめぐる戦いになる」と訴える。


 ◇揺れる秩序


 ただ、欧州では既存政党離れが鮮明になっている。次の欧州議会選で2大会派の苦戦は必至だ。


 イタリアでは6月、極右政党「同盟」と新興政党「五つ星運動」によるEU懐疑派の連立政権が誕生。地中海から流入する難民の受け入れを拒否したほか、EUの財政規律を軽視した予算案を編成しようとするなど欧州の秩序を揺さぶっている。


 特に同盟は「イタリア人第一」を掲げ、書記長のサルビーニ副首相は、仏極右政党「国民連合(RN)」のルペン党首と欧州の反EU勢力結集を画策。両党は、今の欧州議会最小会派から躍進しそうだ。


 一方、10月にはEPPに所属する独連立与党が地方選で大敗。EUを長年けん引してきたメルケル首相が党首退任に追い込まれた。欧州議会選でEPPの議席が大幅に減れば、ウェーバー氏選出には黄信号がともる。


 ◇マクロン氏失速


 各国首脳は新委員長選びに際し、必ずしも各会派の委員長候補には縛られない方針。このため「ダークホース」としては英離脱交渉をまとめた仏出身のバルニエ首席交渉官の名も挙がる。


 カギを握りそうなのは、右でも左でもない勢力としてEUの統合推進を掲げるマクロン仏大統領だ。自らの政党「共和国前進(REM)」と他のリベラル勢力の連合で打倒反EU勢力を目指す。委員長候補は1人に絞り込まない戦略だ。


 しかし、マクロン氏は反政府デモ激化で自国の経済改革修正を強いられ、求心力は急速に低下中。仏政権の失速が欧州全体を巻き込んで、EUの政治情勢も混迷しつつある。 



イタリアのサルビーニ副首相(左)と仏極右政党「国民連合(RN)」のルペン党首=10月8日、ローマ(EPA時事) © 時事通信社 イタリアのサルビーニ副首相(左)と仏極右政党「国民連合(RN)」のルペン党首=10月8日、ローマ(EPA時事)






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これこそ史上最大の親方日の丸

まあ、中央銀行が民間株の実質的筆頭株主になるということは、もはや資本主義の行き詰まりだろう。国家社会主義という言葉はあるが、国家株式会社であるwww もっと端的に言えば、一部の連中による国家私物化である。


(以下引用)



【悲報】日銀「昨日株価がいきなり急上昇したでしょ?あれ実は一気に715億円買ったからなの」

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1: 風吹けば名無し 2018/12/29(土) 15:16:22.62 ID:1TQOhsYS0NIKU
取引最終日の大納会の二十八日も日銀はETFを七百十五億円買い入れ、日経平均株価はぎりぎり二万円を保った。
年間では、これまで最高だった昨年の五兆九千三十三億円を約10%上回った。夏場以降に株価下落が進み、買い入れが増加。
日経平均が二二〇〇円近く下がった十月は、月間買い入れ額が過去最大の八千七百億円となった。今月も七千九百六十一億円と過去四番目だった。
http://amp.tokyo-np.co.jp/s/article/2018122990070321.html

2: 風吹けば名無し 2018/12/29(土) 15:16:49.49 ID:7mKts08N0NIKU
知ってた

3: 風吹けば名無し 2018/12/29(土) 15:16:59.64 ID:5nK8eXpDpNIKU
官製相場

5: 風吹けば名無し 2018/12/29(土) 15:17:11.52 ID:Xak4SoFE0NIKU
知ってるぞ




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天皇の「拒否権」

「谷間の百合」ブログから全文転載。
ある意味、コロンブスの卵みたいな話だが、言われてみれば確かにそうだ、というのが「天皇は憲法擁護義務によって、憲法に反する法律(憲法改正案もそれ)へのサインを拒否することができる」という言葉だ。何だか、私が以前に書いた、「天皇に(法律改定への)最後のノーを言う権利を与える」という「民主主義的天皇制」の主張が馬鹿みたいである。現行憲法は実に良くできている、とつくづく思う。ただ、「天皇は政治的発言をしてはならない」という、誰が作ったのかよく分からない「ルール」をマスコミなどがうるさく言ってきたために、国民の多くは、その「ルール」が憲法の中にも規定されていると思ってきたのだろう。それはおそらく憲法第一章第三条の拡大解釈によるものだと思う。

「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ」

さらに第四章第一項にはこうある。

「天皇は、この国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」

つまり、どこにも、「天皇は政治的発言をしてはならない」という規定など無いのである。もしも政治的発言すらできないなら、一般国民の持つ基本的人権(参政権)も奪われた哀れな存在だ、ということになる。
下の記事の本題である「憲法改定にサインをしない権利」についてはまた考えてみたいと思う。

(以下引用)写真のみカットした。

天皇は承認(サイン)を拒否することができる。

ジャーナリストの高野孟さんが「日刊ゲンダイ」のコラムで書かれたものらしいのですが、大変なことが書かれていました。
実は、わたしも長い間それを書きたかったのですが、法律の知識がない上に畏れ多いことでもあるので書けずにいました。
小山泰生著「新天皇と日本人、友が見た素顔、論じ合った日本論」という本の紹介なのですが、著者の小山という人は皇太子の学習院の同級生の中でもとくに親しかった人だということです。
天皇は国政に関する機能を持たないと憲法に規定されているのはだれでも知っていることですが、ところが、著者は次のような権限が天皇にあることを明かしています。
これこそわたしがずっと思ってきたことでした。

「「しかし、たとえば、あがってきた法律が憲法上の手続きに瑕疵の疑いがある場合は、第99条の憲法擁護義務によって、法理論上も法律の署名と交付を拒否することができるのです。さらに、国会で可決された法律ができたとしても、天皇がそれにサインをしなければ、その法律は成立しないというのが、この憲法の定めるところです。」




今上天皇は、戦争の反省と昭和天皇のこころならずもの負の遺産、それに向き合うことだけが自分の務めだと思ってこられたのではないでしょうか。
わたしは、生前譲位は、自分にはできないが(自分の任ではない)皇太子ならそういう権限を行使できる、或いはさせたいと思って決断されたのではないかと思いました。
皇太子ならハッキリ言われるのではないでしょうか。
2004年の欧州訪問前の記者会見で、雅子の人格を否定するような動きがあるのは事実であり、自分は全力で雅子を支えていくと言われたことに世間は驚きました。
そのお言葉通り、皇太子の忍辱によって妃殿下が再び明るい笑顔を取り戻されたことは感動的ですらあります。
今上天皇はそういうことは言われませんでしたが、天皇としての最後の誕生日に国民に向けて皇后を労いたいと言われました。
新天皇は、憲法改正にサインされないでしょう。
日本を破壊し国民を不幸にする憲法をどうして認められるでしょう。
高野さんは記事の最後をこう締めくくっています。

「 本書では、これは著者の説のように書かれているが、副題にあるように彼が皇太子と「論じ合った日本論」が反映されていることは間違いない。となると来年5月以降、天皇と政治の関係は穏やかならざるものとなっていく可能性を秘めているとみなければならない。」

すでに、先の秋篠宮さまの発言でその兆しは見えています。

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国民の政治参加は可能か

「つぶやきコミューン」から転載。
現行の「民主主義」では主権者である国民一般が(選挙を通じて)立法に関わることはできても行政に関わることがまったくできない、という指摘は興味深い。
もちろん、安倍政権下の今の日本では「国民のまったく望まない法律がどんどん立法されている」わけだが、それも(不正選挙でないとしたら)選挙で自公政権に過半数を与えた国民の選択の結果だということになる。そして、いくら選挙で民意を示しても、沖縄辺野古の新基地のように住民の望まないことを政府がどんどん強行するわけで、そのどこに「民主主義」が存在しているのか。
では、どうすればいいのか、ということはさておいて、一般国民が行政に有効的に参加できない、という現状を認識することには大きな意義があるだろう。
フランスの国民が「直接行動(デモやストライキ)」によって政府の方針を変更させた、ということは示唆的である。仮に、デモやストライキによって「民意」を示しても政府が態度をまったく変えない場合は、(テロ行為は極力除外するとしても)「革命」以外には方法は無くなるわけである。


(以下引用)



國分功一郎『来るべき民主主義』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 

主権とは政治を最終的に決定する権利を指す。なぜその権利を有している者たちが、道路をつくる程度の政策の決定プロセスにすら参加を許されないのだろうか。そして、政策決定プロセスから住民を排除しているこの政治体制がなぜ民主主義と呼ばれ続けているのだろうか?(『来るべき民主主義』p112)



『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』
幻冬舎新書)は、小平市に住む哲学者、國分功一郎氏が住民運動に参加する中で直面した「行政」に住民の意見を浸透させることの困難を契機に、民主主義の原理的諸問題を掘り下げた著作である。

都道328号線の建設工事は、半世紀前に策定されながら過去数十年間実施されないままであったが、急に行われることになった。それによって失われてしまう市民の憩いの場である、豊かな生態系を持った森。そして200世帯もの市民の住居。この工事に疑問を抱いた國分功一郎氏は、市民運動に加わり、街頭で立ったり、様々なイベントに参加する中で、いかに行政に市民の意見を浸透させることが困難かを痛感することになる。

この本の中には、今後の市民の政治への参加を考える上での重要な実践的問題だけでなく、原理的な問題が提起されている。

原理的な問題とは、こうである。私たちは、「民主主義」の国で生活していることになっている。確かに、選挙によって国会議員を選ぶことができるし、都道府県や市町村の議員の選挙を通して、意見を反映させることはできる。しかし、それらの行為の多くはもっぱら「立法」に関わるものである。首長の選挙に投票することはできても、地方自治体が実行してゆく事柄に意見を反映させる手段はほとんど持っていない。

「行政」サイドが進めるたった一つの計画さえも、その当事者である住民が変えることができないのである。

それを単に官僚制の閉鎖的性格にのみ帰すべきではないだろう。

近代の政治哲学そのものが、ジャン・ジャック・ルソーかカールシュミットに至るまで、もっぱら民主主義を「立法」を中心として、議論されてきたからである。

中心から外れることによって、重要度が低下したのではなく、手続きや制度設計の議論が行われることなしに、一種の自動機械として、絶縁体の向こうで勝手に機能し続けてきたのがこれまでの「行政」のありかたであった。

近代政治哲学が「立法」のみに関わり、「行政」を視野に入れることのないまま、民主主義の議論が行われてきたことがこのような事態を招いた一因であると言っても過言ではない。

國分功一郎氏は、ここに大きな盲点のあることを指摘する。

「来るべき民主主義」とは、「立法」と「行政」の双方に、市民、住民の意見が反映されるものでなくてはならない。「立法」という中心をめぐる円形の民主主義から、「立法」と「行政」という二つの中心をめぐる楕円状の民主主義へと変わるべき時期なのである。

だが、現状では厚い壁が立ちはだかっている。

そのような民主主義のかたちはまだないが、あちこちに萌芽はある。単に小平の例にとどまらず、徳島における可動堰を巡る住民投票などの例を取り上げながら、これからめざすべき方向性を具体的に提示してゆく。絶縁体の向こう側にある「行政」に、市民の意見という電流を届かせる回路を具体的に一つずつ作り出してゆかなくてはいけない。

これが本書の趣旨である。

本書の書名である「来るべき民主主義」は、フランスの哲学者ジャック・デリダの言葉から来ているが、そこには二重の意味がこめられている。決して実現されてはならない、いわば常に未完成の状態である民主主義。そして、それにもかかわらず、めざすべき目標として存在するべき民主主義。

『来るべき民主主義』は、新たな民主主義のあり方を考える上で、重要な提言や具体的な戦術の方向性を多く含んでいる。しかし、ここにあるのは一つの解決策であって、模範解答などではない。無数に考えうる別の解決策、別の解答が議論され、提示されるべきものである。

本書の内容は、住民運動や市民による政治運動に関わる人に読まれるべきものであるが、同時に政治や思想を学問的に語る人によっても読まれるべきものである。まずは、「民主主義」の既成概念を根本から問い直し、その新しいあり方を模索することこそ、学問の場にある人々の危急の問題ではないだろうか。

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中流階級が存在しない社会(格差社会)は経済的に没落する

これは米国も同じであり、米国がもっとも繁栄した1950年代から1960年代までは「中流階級」が米国の経済の核になっていたのである。つまり、高い(あるいは十分に満足できる)給与を貰えたために、消費も活発にでき、好景気が続いたわけだ。

米国の没落は例えばベトナム戦争などのためではなく、明白に、ソ連解体による冷戦終了のためである。

米国(資本主義)のライバルである共産主義(社会主義)強国がいなくなったため、福祉政策や労働者の高給与などの「社会主義思想への忖度政策」を一切やめた政府と経済界が一体化して労働者への好待遇を一切やめたことが米国の中流階級の没落原因である。
中流階級が没落すれば、消費の中心が消えるわけで、その後の経済的衰退は当然のことだ。社会の上位1%、あるいは0.1%はうなるほどのカネを得るが、彼らはそれを投資と貯蓄にしか使わない。つまり、中流以下の階層にカネが回らなくなるのである。
クリントン政権下で一見好景気に見えたが、それは投資関係のマネーゲームで上級国民の間でカネが回っただけだ。それ以降の米国の没落は誰もが知っているが、その原因がソ連解体にある、と指摘した人は私は見たことがない。



(以下引用)




私は、日本が最も繁栄した昭和後期の社会的特徴は、格差の小さい社会だったという点にあると思う。であれば、その成功体験に学べばよさそうなものなのに、国を滅ぼした大日本帝国の失敗体験をもう一度、なぞろうというのだから、どうすればそういう考え方になるのか、私には不思議で仕方がありません。





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