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これからの日本のグランドデザイン 本論(3)「軍隊から災害救助隊へ」

序論で書いてある、「これからの日本のグランドデザイン大綱」をもう一度上げておく。(「あげる」はこの場合「上げる」でいいのか?)自分でも忘れているからwww


1)現在の三権のありかたを変える。具体的には後で考える。
2)選挙制度を根底的に変える。いうまでもなく不正選挙を完全に防止する。
3)多数決に代わる、国会その他での決議方式を考案する。
4)マスコミの在り方を根底から変える。
5)教育制度を根底から変える。
6)自衛隊を災害救助隊に変える。
7)産業構造を変える。具体的には第一次産業を振興し、所得構造を変える。さらに具体的には、労働分配率を大きく上げ、国民平均所得を5割アップ、最低所得を倍増させる。
8)税制を大きく変える。具体的には「土地国有制」に基づく諸改変をする。場合によっては、財産再分配も考慮する。
9)中央と地方の関係を変える。具体的には、中央一極集中の是正と地方の産業振興。具体策は後で考える。
10)原発すべての即時停止と廃棄、福島の処理、原発立地地方の再建策を進める。



で、実はこのうち1)と2)は「日本改造法案」と題されたジャンル中の初期の文章、まさに「日本改造法案」の中で既に論じているので、興味のある方はそちらを見ていただきたい。ただし、2)に関しては、ただ厳罰主義と、「手書き投票、人力読み取り」に戻すというだけのことで、それで「根底的に変える」はやや誇大表現かもしれない。

残りのうちで6)は提案自体が内容を規定しているから論じるまでもないかと思うが、簡単に言えば、ほぼ完全な武装放棄である。
敵が攻めてきたら即座に降参する。(笑)それで国民が奴隷化されても、まあ、戦争で死ぬよりはマシだ、という考えである。
そうならないための努力だけは不断に行う、ということである。
ただし、「征服国家」へのテロはもちろん勝手である。相手がテロでくるのにこちらがテロを厳禁することはない。私も征服国家に対してならテロリストになります。(まあ、米国のような日本へのステルス支配や、あるいは同様に日本の場合の、戦前よりも戦後がマシになる征服に対しては考えも違うがwwwこれはGHQの中に理想主義者がいたことの結果であり、稀な事例だ。だが、今の米国による他国支配は当時の日本とは意味が違っている。)いざとなれば何でも武器にはなる。戦争よりも政治の中心人物へのテロのほうが人道的だとすら私は思っている。人間一人を殺すのには包丁一本で十分だ。軍隊は不要である。一人が失敗したら他の国民が後に続けばいい。
戦時以外は無用な戦車や軍用飛行機を持つから国家財政の疲弊が起こり、軍人や極右がのさばり、戦争の危険性が高まるのである。
抑止力論を是とするなら、長距離ミサイルと原爆のセットで十分だ。仮に武装するならそれだけに絞ればいい。戦争開始と同時に相手国の政府所在地にミサイルをぶちこめばそれで戦争は終わりである。ミサイルを撃ち落とすなど、幻想だろう。「上級国民同士の殺し合い」はいやだから、ミサイル戦争はしない、という「紳士協定」があるから歩兵どうしのドンパチがあるだけだと私は思っている。
まあ、要するに、憲法9条のほうに現実を合わせよう、そしてそれを世界的な潮流にしていこう、ということだ。


軍隊は日本には不要だ、という一方で、自然災害大国の日本では「災害救助隊」は大きな必要性がある。軍隊同様に平常時には「無駄飯食い」だから、平常時には「輸血用血液供給要員」にでもすればいい。www どちらも「国民の生命を救う」という目的にかなっている。
したがって、「自衛隊は災害救助隊にする」というわけだ。



軍隊の問題はこれだけで終わりとする。絶対に戦争はしないという覚悟をするかしないかだけのことだ。戦争で死に、財産を失うのはほとんど下級国民だけなのだから、戦争になった時点ですべては終わりである。戦争や勝利で利益を得る下級国民はいない。
なお、「自衛戦争」はどうだ、という意見については、ほとんどの戦争は自衛を口実に始められている、ということだけを言えば十分だろう。




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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)産業と経済 追加6

最近あまり聞かなくなったが、昔は公務員の悪口として「税金ドロボー」とよく言ったものである。そうすると公務員は「私たちだって税金を払っている」と反撃したものだが、その給料自体が税金から出ているという根本事実は変わらない。これが、税金も払わなければ、何かのたびに公務員リンチ事件が起こるだろう。
という前置きをするのは、我々庶民が公務員を「特権階級」だと考えている、という事実をまず明確にしておきたかったからだ。「親方日の丸」という言葉もある。つまり、公務員は社会の寄生虫だ、と民間人の多くが考えているのだが、私などが「国民の半数以上を公務員にしろ」と言ったら、それこそキチガイ扱いされるだろう。亡国の言だ、とされるに決まっている。

だが、はたしてそうか。私はキチガイ発言をしているのか。

国民が公務員を特権階級だと考えているなら、「あなたも公務員になれますよ」と言われたら、飛びついてOKすればいいだけの話ではないか。それを、こんな時だけ愛国心に目覚めて、「公務員数拡大案」に反対するのは、奇妙な話である。それだけ「公務員悪玉論」がこの社会に浸透している、ということなのである。
確かに、これまでの公務員の概念は「自分では何も生み出さないくせに高給を取り、安定した生活をしている寄生虫」だっただろうが、私が言うように、第一次産業も含め、社会に必要な「実業(これは虚業の対義語として使う。)」をする者はすべて公務員とするならば、公務員は「税金ドロボー」どころか尊敬すべき職業の第一となるのである。
さて、では、公務員の給与はどうするか、と言えば、それは、公務員なのだから税金から出るに決まっている。要するに、公務員自身が納めた税金が公務員のもとに返ってくるのである。国民の納めたカネが国民にほとんど還元されるわけで、これほど理想的な税金の在り方は無いのではないかwww
いや、冗談に聞こえるが、これが冗談ではないのである。税金とは本来そうあるべきものなのだ。少なくとも、王侯貴族や政商(代表がロスチャイルドやロックフェラー)のいない社会では、税金はそうあるべきだ。
つまり、政府の役目は、国民から預かったカネを適切に再配分して国民に返す、というのが主なもの、となる。間違っても役人や政治家や政商が自分の懐に入れてはならないのである。
さあ、これはキチガイ思想だろうか。それとも、未来永劫ありえない能天気(ユートピア)思想だろうか。私は、100年後の世界では、むしろこれこそが当たり前となっていて、今の社会が狂った社会、暗黒社会だったと考えられているかもしれないと思っている。

国民の半数以上が公務員、ということなら、当然残りは民間人である。その民間人とは、私企業に勤める人間と無職者である。民間企業では、給与体系を好き勝手に設定し、ホワイトからブラックまで好き勝手にやればいい。利益獲得が企業目的なのだから、泥棒だろうが、詐欺だろうが、脱税だろうが節税だろうが、お好きなように、だ。あまりにひどい場合は、もちろん、警察と裁判所の出番である。カネと贅沢が人生の主目的で、自分の「努力」次第で超高給が取れる職場で働きたければ、私企業に就職すればいいのである。外国に脱出してもいい。

ということで、今度こそ、完全に「産業と経済」の項目は終わりとする。
すなわちこれが、私が言う「社会主義と資本主義の幸福な結婚」である。

なお、老人でも子供でも公務をすれば「公務員」あるいは「準公務員」となる。まさに「一億総活躍社会」ではないかwww 専業主婦もPTAや町内会の「公務」をすれば公務員であり、給与支払いが当然発生する。ボランティアなどという「公務経費削減」用の洗脳思想は社会から退場させるべきだ。

移民に関して言えば、「来るものは拒まず」でいいが、ただし犯罪歴や犯罪可能性は厳しく見るべきだろう。日本国内で犯罪を行ったら、即座に国外追放すればいい。




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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)産業と経済 追加4

国民全員が公務員である、というのは社会主義の一種だろう。社会主義はすべて悪、と思っている人はここで読むのをやめればよい。まあ、そんなのは今どき、よほどの化石人間だけだと思う。
しかし、国民全員が公務員という社会体制は存続できるはずはない、と思っている人は多いと思う。だが、はたしてそうなのか。あるいは、公務員の割合が国民の8割くらいいる、という国家は存続不可能なのかどうか、また、そういう国家で国民は幸福か不幸かを考察したい。

旧ソ連は、ある意味では国民全員が公務員のようなものだったと思う。そして、その社会体制は崩壊した。したがって、社会主義国家は存続不可能であることが歴史的に実証された、とたいていの人は思っているだろう。私は、ソ連型国家が唯一の社会主義国家の形態だとは思わないし、その崩壊の理由は社会主義のせいではなく官僚主義のせいだと思っている。そして、官僚主義のもたらす悪は資本主義でも同様にある。ただ、社会主義(あるいは共産主義)では、労働へのインセンティブが失われるから、経済的に衰退していく(資本主義国家との対比の意味でだが)、という面があり、それがソ連の崩壊のもう一つの原因だっただろう。

さて、私の提案は、国民の6割くらいが公務員、あるいは準公務員になればいい、というものだ。

その対象となる職種は

1)政府機関、地方自治体職員
2)第一次産業従事者
3)教育機関従事者
4)保育園、養護施設、養老院従事者
5)医療機関従事者
6)伝統芸能、伝統技術保存者
7)警察、消防、自衛隊(これは災害救助隊に変更)

などだが、見落としは後で追加していけばいい。
1)と7)は現在でも公務員だが、公務員の範囲を大幅に広げろ、というのが私の意見だ。特に、2)の「第一次産業従事者」を公務員にしろ、という意見は暴論だとされるだろう。
だが、国民の食糧を供給し、健康と命を守る意味では、これは警察や消防や自衛隊以上に「公務」というのにふさわしい職種だと私は思っている。「食料防衛」という言葉があるくらいであり、第一次産業は全職種の中でもっとも国民の生命を預かっているのだ。カネがあればいつでも食料が手に入るわけではない。そもそもカネを中心とする資本主義自体が揺らいでいるのだ。
3)~5)も「公」的な仕事であり、「金儲け」を目的としてはいけないものだろう。6)はまあ、文化的保守主義者としての私の希望を書いただけで、取り下げてもいいし、ほかのを入れてもいい。

いずれにしても、「価値はあるが、カネ儲けには結び付きにくい」仕事はすべて公務員とする、という大方針でいくわけである。おそらく、出版業なども近いうちに6)に入るだろう
で、国民の大半がこうして公務員になれば、その原資はどうする、と思うだろうが、最初に書いたように、「公務員の給与は上下格差を少なくする」という方針なのだから、自動的に「給与の平準化」が起こり、原資は要らなくなる。つまり、私が前から言っている「社会主義と資本主義の幸福な結婚」がこうして生まれるのである。ついでに言えば、公務員の給与の2割くらいは日本国債(10年ものか20年もの)で払うことにすれば、給与カットにもなり(ただし、これは一種の「貯蓄」である)、「国家への責任感」も生まれるだろう。
税金のほとんどが公務員給与で消えても、これなら、国民のカネが国民に戻るだけである。もちろん、大金儲けをしたい人は「民間」の仕事に就けばいい。こちらは一律10%程度の所得税と法人税で十分だろう。


まあ、細部の掘り下げは別に考えればいい。今はただ、そういう提案をしておく。





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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)産業と経済 追加3

第一次産業は、全世界的な競争の結果、カネにならない。
第二次産業も、全世界的な競争の結果、カネにならない。
第三次産業は、一部の「観光県」以外は外から流入するカネにならない。

というのが各県の全体的状況である。では、東京だけはなぜ富裕なのか、と言えば、それは大企業の本社が軒並みそこにあり、会社収益はそこに流れ込み、高給取りの社員や高給取りの経営者や高給取りの政治家や高給取りの(しつこいねwww)官僚や高給取りのマスコミ人・文化人がすべてそこに住んでいるからだろう。

つまり、政治と経済と文化の中心地であるから、東京は裕福なのだ、ということだ。前に書いた中央と地方の問題がここにもある。政策の大半は、実は東京しか念頭にない。当たり前だ。そこを中心にすれば、そこにいる政治家や官僚の懐にカネは入る。政商も東京に群がるわけである。まあ、蟻の群がる蜜のようなものだ。地方が衰退するのも当然の話である。

だが、本題から外れた。地方経済を自立させる方法を私は模索しているのである。
「外から流入するカネ」が無いと、地方経済は富裕にならない、というのが大多数の人の信ずる根本のテーゼだが、これは正しいか。
もちろん、入ったカネの分配の仕方で「景気回復」は可能だし、下の人間の懐を潤し、幸福にすることはできる。だが、上の人間からカネを取り上げ、下の人間に分配する政策を上の人間がやるはずはない。

(さて、ここから私が書いているアイデアは「日本全体を救うかもしれない」画期的アイデアなのではないかと思うのだが、単に「社会主義」のヴァリエーションと言ってもいい。しかし、現実に実行可能かもしれないし、その効果は抜群だと思う。まあ、未来の日本、あるいは未来の世界ではこれが当たり前、となってもおかしくないと思う。もちろんこの括弧内は後で追加して記入したもの。)

そもそも、前に書いたように、地方公務員の給料が地方経済の動脈だ、というのが事実だろうし、それはある程度「平等」だからこそ「血液が全体に回る」のである。公務員給与の上下格差が極端であったら、下の人間は生活防衛に走りカネを使わないし、上の人間は贅沢をしたら市民から告発されるから、カネを溜め込んで、使わない。公務員には給与格差が少ないということが、かろうじて地方経済やひいては日本経済を救っている、というのは新説だと思うが、ここで提起しておくwww

ここから派生したアイデアだが、「公務員(準公務員)の数を増やすことが日本人全体を幸福にする」というのを今思いついたので、次回にそれを考えてみる。

原発立地県の問題はどうでもよくなった。原発立地県もそうでない県も全部ひっくるめて日本全体を改造する案なのだからwww

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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)産業と経済 追加2


10)原発すべての即時停止と廃棄、福島の処理、原発立地地方の再建策を進める。


という考えであるが、日本の電力は原発なしでも十分に足りていること、地震国日本に原発があること自体が無謀であることの2点だけでも、原発すべてを即時停止し、廃止していくべきであることに異論はありえないだろう。その「異論」がすべて無茶苦茶な詭弁であることは論を待たない。
その廃棄へのプロセスは官僚に任せるとして、原発無き後の日本を考察したい。その前に、福島およびすべての原発立地県をどう「処理」するのがいいかを考えてみる。
福島はすでに原発事故の後、他は「これから(事故が起こるwww)」という違いはあるが、その違いはまた「福島は原発依存症への反省は一部にはある」「他県はこれからも原発に依存する気満々で、原発反対の声も上げにくい」ということにもつながるだろう。とりあえず、原発は廃棄する、と政府方針が決まれば、そういう「声」は賛成論も反対論も意味をなさなくなる。これが「民主主義(笑)の現実」である。

さて、原発立地県の「切り捨て」はしないという方針で行くなら、これらの県はどうすればいいのか、また政府はこれらの県にどういう対処をしていくべきなのか。
まず、福島に関して言えば、これは広島の例を考えればいいだろう。原発投下の直後には、広島の復興は未来永劫無理、と思われていたが、数年で復興した。つまり、人が一応住める程度になるには数年あればよかったわけだ。放射能の影響が実際には数十年もあったかもしれないが、広島の街自体が数年で復興し、人が住めるようになったことは事実だ。だからこそ、「仁義なき戦い」のようなヤクザ戦争すらあったわけだろうwww 
福島の山野や農地に落下した放射性物質が除去できないのは自明であると思うが、これに関しては「福島(および関東)産の農作物、林産物、水産物は(原則として)後10年は使用しない」という方針で行くしかないだろう。その失業補償は、「原発村」の全収入を当てるしかない。それが福島原発事故を起こした原発村の責任であるのは当然の話だ。だが、それは事実上、国民の出す税金になるのは目に見えているがwww まあ、福島産品の放射能検査を行って、それにパスしたものは流通させる、という方針が今行われているようだが、そこまでして福島の第一次産業を再興させる必要があるとは私には思えない。インチキ検査で福島産品が全国や世界に流通したりするほうが怖い。これは考えの分かれるところだろう。放射能の影響が農作物から完全に消えたら、私も自分の意見を撤回するのにやぶさかではない。

さて、原発を廃棄したとなると、その施設自体が「放射性廃棄物」であり、また一種の「潜在的原爆」になる。廃棄した後も膨大なカネ(監視費用と管理費用)がかかるのが原発の特徴だ。これは、その施設は半永久的に立ち入り禁止にするしかないだろう。

で、原発立地県の新産業をどうするか、である。もともとロクな産業が無いからこそ原発を誘致した県が多いのだろうが、何をして県全体としての収入を得ればいいのか。
最悪の策は、そうした原発立地県に政府が補助金を流し込む政策だろう。それではいくらカネがあっても足りない。結局は国民全体への増税に継ぐ増税となるだろう。

第一次産業は、全世界的な競争の結果、カネにならない。
第二次産業も、全世界的な競争の結果、カネにならない。
第三次産業は、一部の「観光県」以外は外から流入するカネにならない。


というのが全体的な状況だと思われる。では、どうすればいいか。考察は次回に続く。

しかし、私もカネにならない考察をよくしているもんだ。まあ、ほとんど趣味だけど、「市民としての使命感」が無いでもない。誰もそんな使命を与えてはいないが、誰もやらないのだから、誰かがやるべきだろう。
ここで書いたアイデアの一つでも10年後100年後に実現したら、自分がこの世に倦まれた甲斐もあろうというものだ。まあ、安藤昌益や大杉栄や幸徳秋水や中江兆民やルソーやヴォルテールに自分がなったくらいのつもりで書いているのである。思想は世界を変える、というのが私の根本思想である。



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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)産業と経済・追加1

これからの日本のグランドデザインを考える、というのは私が自分自身に勝手に出した課題だが、最初に考えたのがこういうもの(下の項目1~10)だった。これはもちろん「叩き台」だが、案外自分自身の政治経済的思想の総まとめになっているようだ。
だが、少し前に書いた7)と9)の問題に関しても、書いた内容はかなり不十分なもので、「産業と経済」だけでももっと掘り下げ、徹底して考えたいとは思っている。
とりあえず、備忘の意味で、最初に書いた10項目を再掲載しておき、それから、先に進む前に、「産業と経済』の補足的考察をしておきたい。


1)現在の三権のありかたを変える。具体的には後で考える。
2)選挙制度を根底的に変える。いうまでもなく不正選挙を完全に防止する。
3)多数決に代わる、国会その他での決議方式を考案する。
4)マスコミの在り方を根底から変える。
5)教育制度を根底から変える。
6)自衛隊を災害救助隊に変える。
7)産業構造を変える。具体的には第一次産業を振興し、所得構造を変える。さらに具体的には、労働分配率を大きく上げ、国民平均所得を5割アップ、最低所得を倍増させる。
8)税制を大きく変える。具体的には「土地国有制」に基づく諸改変をする。場合によっては、財産再分配も考慮する。
9)中央と地方の関係を変える。具体的には、中央一極集中の是正と地方の産業振興。具体策は後で考える。
10)原発すべての即時停止と廃棄、福島の処理、原発立地地方の再建策を進める。


さて、「産業と経済」の問題には、膨大な内容があり、たとえば社会問題化している保育園問題や介護事業問題なども重要問題だろう。だが、それらは「グランドデザイン」として論じるべき内容ではない。もっと、全体を大きく見るのがグランドデザインというものだろう。

たとえば、福島県全体を「廃棄する」(これは政府が現実的に行っていること)か、それとも福島を再興し、日本の経済全体の中に組み入れる方策を考えるか。これが、3.11と福島原発事故が起こってから日本の上層部が考えてきた問題だろう。そして、「福島廃棄=東京オリンピック誘致」という結論になったわけである。大事なのは、東京オリンピック誘致は福島ネグレクト(福島廃棄)とセットになっているという事実だ。東京オリンピック実施のためには、誇張して言えば、日本(関東が主だが)の建設業の全リソースを傾注することになり、それは関東東北の津波・原発被害からの再興をほぼ切り捨てることになるのだから。

イメージしやすいように個人の話として言えば、家が洪水で大浸水し、幼児や老人が汚染水を飲んで病気になって寝込み、家財の大半が財産価値を失ったのに、家の主人が「祭りだ祭りだ」と浮かれている家のようなものだ。
こういう人を普通はキチガイと言うのである。

だが、それが家の主人ではなく、家作が無くなっても他に膨大な資産がある家主ならば、住民の洪水被害は見捨てて、祭りで別の金儲けをしようと考えてもおかしくはない。それが東京オリンピックである。だから、私は東京オリンピックは重大な政治犯罪であり、それを許す国民は阿呆であり、それに協賛する人々は犯罪協力者だと言うのである。

ということで、「産業と経済」関連項目として、10)の

10)原発すべての即時停止と廃棄、福島の処理、原発立地地方の再建策を進める。

について、次回は考えてみたい。

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これからの日本のグランドデザイン 本論(2)中央と地方2

さて、歯に衣着せぬスカイヲーカーさんだから、このようにズバリと言う。


公務員の給料こそが、地方交付金の最大原資であって、

逆に、産業も文化もすべて東京に集中する日本では、

地方交付金だけが唯一の経済の下支えになっている


言い方は不正確で、たとえば「公務員給料」が「地方交付金の原資」というのは間違いではないか。「地方交付金の最大の使途」と言うべきだろう。だが、言いたいことは分かる。地方交付金が地方公務員の給与となる。それが地方全体の最大の「収入」なのだ、ということだろう。極端に言えば、「地方公務員が消費するから、地方の他の人間の生活が成り立つ」というわけだ。これは本物の「トリクルダウン」であるwww 本当にそうか?
その「地方交付金」は地方も含めた全国民の払った税金から出ているのである。つまり、公務員以外の国民は、本当は自分のカネで自分を養っているのだが、「税金→地方交付金」という経路をとらないと、自分のカネが自分のものにならない。また、その所得から再び税金を払わねばならないわけである。こういうサイクルだ。はたしてこれを「トリクルダウン」と言っていいのかどうか。庶民からカネを「取り来るアップ」して、それから「トリクルダウン」するシステムが今の地方交付税交付金システムである。

さて、地方の衰退は誰でも知っている。ほとんどの地方の中心市街がシャッター街になっていることも知っている。まったく効果のない「村起こし」「町起こし」があらゆる村や町で行われては消えていくことも知っているだろう。それを見るたびにカネの無駄遣いだ、と苦々しく思っているのは私だけではあるまい。
補助金と地方交付金だけが命の綱、という地方自治体は腐るほどある。いや、それがほとんどであって、それに頼らなくてもいい、というのは東京だけではないか。その東京には地方交付金は下りないから、東京の人間はこの件では「不公平だ」「東京差別だ」とむしろ地方への憎悪を表明すらする。だが、政府のほとんどの経済政策は東京だけしか眼中にないことは、先のスカイヲーカーさんの記事からもよく分かるだろう。
3.11の津波被害の復興や福島原発事故の復興そっちのけで東京オリンピックを招致したのもそのいい例である。

さて、ではこれからの日本の中央と地方の関係をどうするか。
安易な地方分権論が、「貧乏県の切り捨て」になりかねないことは以前の記事で書いた通りだ。地方交付金システムも発足した当初は単に「中央による地方支配」だけが目的ではなく、「3割自治」に地方を永遠に置きたいという意図でもなかっただろう。結果的にそうなったのは「官僚は自己保身が何よりも優先する」という官僚の本能的習性の結果にすぎない。
であれば、「地方交付金制度の改良」が最良の改革になるだろう。つまり「紐付き交付金」ではなく、交付金の使途は完全に各地方自治体に任せること。さらに言えば、地方交付金の額を上げることである。中央政府の取り分を今の半額以下にすればいい。地方の無駄遣いに比べて政府の無駄遣いが膨大であることは明らかなのだから。医療費の無駄、軍事費の無駄、海外援助の無駄、etc、etc

まあ、中央対地方の問題についてはこれだけでいいだろう。在日米軍基地問題や原発問題は、また別に論じたほうがいいかと思う。

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これからの日本のグランドデザイン 本論(2)中央と地方1

さて、本論(2)は中央と地方の問題だ。これは1回だけで終わる程度の内容だが、今回は引用したい記事があるので、2回になるかもしれない。
そもそも、長かった「経済と産業」にしても、銀行と通貨、あるいは金融経済(バブル経済)と実体経済の乖離の問題など、まだ論じていないが論じるべき問題は膨大にあるはずなのである。それだけで本の一冊分くらいは本当は論じるべきなのだろうが、専門家でもない私の任ではない、ということである。
私には着想はあっても基本的知識や専門的知識はない。簡単に言えば物知らずだが、「王様は裸だ」ということだけは見える、ということである。ここでの王様というのは、もちろん、いろいろとインチキ(王様の「新しい着物」)に満ちた日本と世界の経済社会のことだ。

さて、ここ、「本論(2)」の考察主題はこれであった。

9)中央と地方の関係を変える。具体的には、中央一極集中の是正と地方の産業振興。具体策は後で考える。


これについて論じる前に、「スカイヲーカー」さんがこれに関係しそうな面白い記事をたまたま書いていたので、それを引用する。シンクロニシティであるwww



(以下引用)色字部分は徽宗による強調。




現在、日銀の国債保有残高は約354兆円、

総資産は約410兆円、日銀当座預金残285兆円、発行銀行券が約95兆円、資本金+準備金が約3兆円。

平成24年あたりから、銀行貸出残は毎年10兆円程度増加中であって、

黒田バズーガの効果は、じんわりと市中経済の下支えになっていることは事実だろう。

一方、相も変わらず地方経済は最悪状態であって、地方の商店街がシャッター街になって再生見込みゼロ。

これは、毎年増加する銀行貸出の中身が、東京都心のビル建て替えや再開発資金に投資されているからで、

要は、大量増産された日銀マネーは、東京都心の不動産に投じられているからだ。

何せ、東京では毎年毎年、

日本全国から一般会計100兆円+特別会計200兆円の合計300兆円という途方もない巨額予算の配分がなされ、大企業や地方自治体にばら撒かれている。

公務員の給料だけで年間40兆円のばら撒きであって、主に地方経済を下支えしている原動力だろう。

公務員の給料こそが、地方交付金の最大原資であって、

逆に、産業も文化もすべて東京に集中する日本では、

地方交付金だけが唯一の経済の下支えになっているからだ。

その他、巨額なのは医療費のばら撒きなんだろう。

何せ、特別会計200兆円の大半は福祉費であって、

年金や生活保護などだが、その大部分は医療費など人件費や薬品代だ。


大騒ぎされている黒田バズーガ効果は、そのうち過少な経済効果であって、

毎年の銀行貸出金10兆円程度の市場資金及び乗数効果程度だろう。


では、どうすれば乗数効果が効率よく拡大できるのだろうか。


やはり、景気上昇の原動力は消費の拡大なのだから、

本来、黒田バズーガが効率よく作動する環境とは、

「ゼロ金利+消費税減税」 をミックスさせることなんだろう。

加えて、地方の住宅地の整備を大規模に行い、住宅需要を拡大させることだ。

つまり、「日本隅々住宅整備」ノミクス・・かな。


黒田バズーガの失敗は・・

東京都心だけに効果が限定されていること。

円安の輸入物価高+消費税増税で国民全体で可処分所得減少となり、消費減退傾向が鮮明になってる。


一方、日銀財務内容については、国債保有を前提にする限り大したリスクはない。

日銀貸借表の借り方部分の354兆円の保有国債は、そのまま保有して順次償還させればいい。

償還とともに残高は減少し、日銀当座残も同時に減少する。

順次発行される国債は市中銀行が引き受け、再び市中にて流通する。


今後、事前の作戦通り、米国経済が復調すると、

米国金利が上昇し、スライドして国内金利も上昇する。

10年債で2%から3%程度くらいに上昇すると、

国内での金利収益が拡大する。

日本国内の家計資産残高は、1741兆円なる超ド級規模であって、

国内金利が1%上昇するだけで17兆円以上も不労所得が増加する。

つまり、金利上昇はとてつもない規模で景気を上昇させる原動力になる。



結論としては、日銀黒田が早々に腹切りでもして退陣し、

アベノミクスが終了し次第、日本経済は上昇期に向かう。

正しい経済政策に戻せば、日本は何ら不安なし。

逆に、外国からの命令で、日本潰しをしたって効果は限定され、

むしろ、全くビクともしません。

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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)経済と産業8

本論(1)経済と産業の最後は、日本国内のカネの循環というか、カネづまりとカネ不足の問題だ。
まあ、これは論じるまでもなく、庶民にカネが無い、の一言に尽きる。
では、なぜ庶民にカネが無いのかと言えば、カネは全部上級国民が吸い上げているから、という単純な話で、話はこれで終わり、となる。

そこで、ではこれからの日本のグランドデザインをどうするか、という問題に焦点を絞るなら、これも簡単な話で、カネを庶民に回せ、ということで話は終わりだ。

だが、それを如何にして、となると話は簡単ではない。

そもそも、守銭奴たちからカネを召し上げるには、ヒトラーかポル・ポトばりの超権力者が必要だろう。今の日本では、その超権力者がその守銭奴たちの代表なのだから、それができるわけがない。しかも、選挙では不正選挙の可能性が高いのだから、まともに選挙で政権交代をすることもできない。マスコミも教育界も地方権力者もすべて連中のお仲間だ。
というわけで、これからの日本のグランドデザインを考えるという試みは、ここに来て最大の難関にでくわしたわけだ。

だが、日本国内のカネの循環の問題点、ボトルネックだけを書いておき、上記の問題は後で考察することにする。これも私の持論だが、「難問は放っておけ」である。そのうち問題自体が無くなることもある。テストで言えば、難問を解かなくても合格点さえ取ればいい、ということもある。

さて、日本国内のカネの循環のボトルネックだが、これは大きく三つ、

1)政府
2)企業
3)銀行

ではないか。
政府は税金や年金の不正不適切な使用法で国民経済を圧迫している。
企業は低賃金を社員に強要することで国民平均所得を下に押し下げている。
銀行は政府が民間に流すカネをムダに滞留させることでカネの流れを阻害している。(国債を買うだけで業務は事足れりとし、民間に融資しない。)

まあ、銀行の内情には詳しくないから、銀行に関しては私の間違いかもしれないが、1)と2)は確かだろう。だが、企業の立場からすれば、「安い給与でも人は来るのだから、文句を言われる筋合いはない」と言うだろう。雇用と給与の悪循環が生じているのである。つまり、「人をそれほど雇わなくても仕事は回る」という時代の趨勢の結果が、この全世界的な大衆の貧困化なのである。これの解決は、「ワークシェアリング」と労働時間短縮を世界的運動とするしかないだろう。つまり、20世紀初頭における「労働運動」をこの21世紀初頭において新たに火をともすことが必要かと思われる。
前に書いたように、上級国民をギロチンにかけても、コンピュータをぶっ壊しても、問題は解決しないのである。
言葉を変えれば、「今の世の中、人間がそれほど働かなくても、必要なものを作ることはできる」ほどに機械化文明が進みながら、なぜ人間の生活が悪化するのか、と言えば、それは20世紀の労働形態のままで仕事が行われているからだ、というのがここでの私の結論である。
まあ、1日4時間労働で、週休3日くらいが全世界標準の労働形態になるのが、この21世紀の常識にやがてなるのではないだろうか。

人々の余暇が多ければ、レジャー産業も必要性が増し、消費活動も増え、景気が良くなり、文化も増進する。いいことばかりなのである。大企業は率先して、そういう時代の先鞭をつけることで、時代に先駆けてその果実を得られる可能性もある。人々を8時間労働に縛り付け、遊ぶ余力も無い「半病人」の奴隷にすることで、実は社会全体が窒息し、やがてはその企業も死滅するのである。他者を生かしてこそ、自分も生きられる。それが社会というものだ。

以上で「本論(1)経済と産業」を終わる。


(追記)一番肝心なことを忘れていたかもしれない。「通貨発行権」の問題だ。日本政府ではなく日本銀行に通貨発行権があることが、日本の(どの国でもそうだが)経済を圧迫しているとすれば、この部分の改革が実は一番肝心なポイントかもしれない。日銀の発行する通貨を日本政府が利子つきで購入しているとすれば、これほどの不正行為はない。その利子の支払いで国家財政が圧迫されるわけだから。そうでなくても、正常な通貨政策のためには通貨は政府が発行すべきであるのは論を待たない。政府より私企業のほうが理性的に通貨を発行するという保証などあるはずもないし、通貨発行の詳細自体が国民からはブラックボックスとなっているのは大問題である。通貨発行権の帰属問題以外にも「信用創造」によって、「必要な現金」が市中に流れず、存在するのは「借金」の押し付け合い(常に銀行は貸し手側で、一般市民は借り手になる。そのカネも額面の数字だけが一人歩きしている。現金は市中に流れない。)だけだ、という「金融資本主義」の根本問題も考えるべきだっただろう。








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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)産業と経済7

前回の予告と食い違うが、「第一次産業の改革」を先に論じる。と言うのは、「国内のカネの循環のどこが問題か」ということは前々から何度も論じてきていて、あまり気が乗らないからだ。そんなことを言えば、「第一次産業の改革」も同様だが、こちらは現在、少し話題になっている事柄と関係もあると思うから、こちらを先に論じる。

現在何が話題になっているかというと、それを設問の形にするなら

1)TPPによる日本農業の壊滅に備えて、何をどうするべきか。
2)シャープが電機メーカーから「農業工場」に「転身」し、「転進」する話があるが、それは是か非か。

というように言えるだろう。
まず、2)の内容については私はあまり詳しくは知らないが、「野菜工場」をどこかに作るらしい。で、この野菜工場、ひいては穀物なども含めた「農業の工場化」あるいは「農業の工業化」は私が20年近く前から主張してきたことでもある。当然、それを是としているわけだ。
それは当然の話で、この狭い国土に膨大な土地を必要とする現在の農業形態のままで農業がうまく行くはずがない。
これからの農業は「屋内」で行い、しかも「土地の高層化」を行うべきなのである。それは「土壌の定期交換システム」「水や肥料の自動補給」「外界からの遮断による自然災害からの保護」なども意味している。詳細なアイデア・具体化は専門家に任せるが、未来の農業がこういう形態になることは、私はほぼ確信している。
簡単な話、個々の農家が所有する土地の面積が外国の10分の1しかないならば、それを高層化して10階建てにすれば、同じ面積の土地が出現することになる。なぜ、このような「農地の立体化」を国家事業としてやらないのか、ということだ。極端な話、海の上にこうした「農業工場」(海水淡水化施設併用)を作るなら、土地すら要らない。土壌だけ、そこまで運べばいいだけだ。(土地と土壌(土)はもちろん別の概念だ。)
日本の農業が外国と太刀打ちできないのは、土地面積の違いが大きい理由だろう。それに、機械や肥料や農薬などのコストにカネがかかりすぎて、作物原価が高くなりすぎているはずだ。ここが、TPP問題と関連するところでもある。
これを、「屋内農業」にすることで、「農薬と肥料の使用を最低限にし」「自然災害から守り」「作物を均質化し」「商品性(競争力)を高める」ならば、建物などの初期投資はすぐに回収できるのではないか。
まあ、初期投資ができるだけのカネは個人で持っている農家は少ないだろうが、それこそ「投資先が見つからない」という「末期金融資本主義」の現状なら、銀行や証券会社は今こそ「農業工場」に投資先の主力は振り向けるべきなのである。それが自らの延命にもなるだろう。その後は、まあ、金融業は長い時間をかけて消滅していけばいい。www
農家は、その融資先になるわけであるが、個人で農業工場を作るより、「農協」単位で、このプロジェクトに取り組んでいくのがいいのではないか。そして、農民は「会社員」として農業工場に勤めればいいのである。このあたりは、前にも論じたが、どこにその記事があるか、私自身忘れているww


一応、小結論を書いておく。

「これからの日本の最大の産業は(農業と工業と金融の結婚である)『農業工場』だ」




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