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利権まみれのサッカー放映

「春と修羅☆」から転載。
「アシフト」とは、足が太いのか、足でフットボールをするのか分からないが、まあ、そんな突っ込みはどうでもいい。誤字脱字は私もよくやることだ。
一目で分かるのは、各大会ごとの放映権料の跳ね上がり方だ。1998年の6億円が、4大会後には400億円である。電通にかなりのキックバックがあっただろうこともだいたい想像できる。
実は私はサッカー嫌いの野球好きで、テレビ番組の半分は野球中継(アマチュア野球も含めてだ)にしてほしいと思っているくらいだ。見て、これほど面白いスポーツは他には無い。サッカー(世界的にはフットボールと呼ぶ。)は、逆に、これほど見ていて面白くないスポーツも珍しい。まあ、沢山見て、見巧者にならないと面白みのまったく分からないスポーツだろう。
世界的にサッカーが人気があるのは、ボール一つあればどこでも誰でも(一人でも)できるというメリットがあって、子供の頃から慣れ親しんだ人が多いスポーツだからだろう。逆に言えば、他のスポーツをほとんど知らないからではないか。西洋と、中南米(つまり西洋の植民地だったところ)がやたらとサッカーが強い、というのも私には気に入らない。まあ、肉食系の狩猟民族的スポーツで、「襲って奪う」のが本質のスポーツだ。もともと平和的気質の日本人がサッカーが下手なのも当然である。


(以下引用)



敗戦をアシフトするのは☆感動を演出する黒い利権

テーマ:
サッカー敗退・・・・・・・
燃え尽き終えた早すぎた夏・・・・・・4年間の想い次へと繋げることも今は辛いでしょう。

試合の様子選手のコメントなどはこちらで★

これほどメディアが煽った大会はないでしょう。

そもそも世界ランキング46位で出場チームの中ではかなり下です。
FIFA 世界ランキング ☆

韓国、オーストラリアはその下ですが。
順位で勝利は決まりませんが力の差は歴然です。
コロンビアは9位ですから。ベスト4などまだ遠い道のりです。

跳ね上がる金額、使途不明金、スカパーの撤退。W杯放映権料ビジネスの闇に迫る
もう金目でしょの世界です。
¥

FIFAとその周辺企業は、完全なる伏魔殿と化していると。
詳細はリンク先でどうぞ。




しかも電通が窓口
、もう横暴は以前から
2006年の記事です。

日本のW杯敗退を“アシスト”した、電通とマスコミの商業主義

日本代表のジーコ監督は、ワールドカップ1次リーグ敗退が決定的となった
クロアチア戦(18日)直後の共同インタビューで、2試合連続の酷暑を強調
、「テレビ局がそれを望んでいる以上、仕方がない」と熱く語った。だが、
この部分を新聞は報じず、書いたのは夕刊紙(日刊ゲンダイ)くらいのものだった。



2004/04/02,日本経済新聞朝刊より

今回も日曜日の10時という時間帯に押し込みました。
選手たちやサポーターが帰る時間は深夜です。

視聴率は高かったようで目論見は成功でしょう。




テレビ放映権は8年間で27倍 電通はW杯に寄生してるようです。

電通だけはいつでも高笑いです。

オリンピックおりしもオリンピックの放映権も決まりました。

ピョンチャンオリンピックと東京オリンピックで合わせて660億円、
2022年と2024年の2つの大会で合わせて440億円、
4大会総額で1100億円だそうです。

詳細はこちらで★

もちろん電通がかかわってます。
「招致、運営、ライセンス料、放映権…」オリンピック開催で電通が何重にも儲ける仕組み

NHK職員は、天下りなどで「電通」に支配されています。
NHKと「電通」との深い関係が指摘されている代表的な会社が、
株式会社総合ビジョンで株主には、株式会社NHKエンタープライズ・株式会社電通とあります。

主要取引先は、日本放送協会(NHK)・株式会社電通で、
役員にもNHK エンタープライズと電通が名を連ねています
とあります・・・・・

スポーツの感動は電通が演出です。

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日露の狭間に生きた人々

「ギャラリー酔いどれ」から転載。歴史のドラマに興味の無い人には無縁の話題だが。
最近、ネットテレビで好んで視ているのがNHKのかつての大河ドラマ「龍馬伝」(「竜馬伝」か?たしか、「竜」の字が正字で、坂本竜馬は「竜」の字だったと思うが、大河ドラマのタイトルでは「龍馬」と書かれているように見える。ウィキペディアも「龍馬」である。)で、山本琢磨が出てくる「命の値段」の回を二日ほど前に見たばかりなので、下の記事は非常に面白い。「金時計横領事件」が史実だとは知らなかった。「龍馬伝」は、(司馬遼太郎の「竜馬が行く」にドラマの骨格の大半を負っていると思うが)、人物造形などにはかなり独自の喜劇的デフォルメがほどこされているので、出てくる事件も、あまり史実に基づいたものではないだろう、と思っていたのである。もっとも、「竜馬が行く」にも、この「金時計横領事件」は描かれていたかもしれない。何しろ、読んだのは確か高校時代か、浪人時代だったから、もう忘却の彼方である。それでも、「竜馬が行く」の面白さは忘れていない。
で、NHKの「龍馬伝」も実に面白いのである。福山雅治に龍馬の役ができるのか、と疑っていたが、まさに司馬遼太郎の竜馬そのものだ。他の演技者も、みな素晴らしい。ただし、桂小五郎は、司馬遼太郎が「竜馬が行く」で描いたそれとはかなりイメージが違うように思う。あれでは、神経質で、猜疑心の強い、陰性の人物で、実際の桂小五郎もそういう人物だったらしいとどこかで読んだ記憶がある。何しろ、長州だし。(最近は「田布施」システムとかで有名だ。)まあ、ドラマと史実は別物だから、ドラマとして面白ければ、「歴史離れ」があっていい。


(以下引用)



◆http://japanese.ruvr.ru/news/2014_06_21/273783260/
ロシアの声 6月 21日 ,
◎日本のロシア正教の神学校の生徒がスパイに


なぜ日本で青年時代を過ごし、教育を受けた人々は、
日本に対するスパイ活動を始めるのだろうか?
ロシアの東洋学者アレクサンドル・クラノフ氏の著書
「昇る太陽の陰で」を読むと、このような問いが浮かんでくる。


最近ロシアの出版社「ヴェーチェ」から刊行された同書籍の銘句には、
日出づる国、日本でロシア正教の教えを広めたニコライ・イポンスキー大主教の
「私たちがより深く日本を知っていたならば、
我々の日本との不幸な戦争はなかったであろう」という言葉が引用されている。

知識は確かに、時おり、不幸をもたらす行動をおさえる助けとなる。

これは、ニコライ大主教・(イワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン
Иван Дмитриевич Касаткин)
の人生経験が明確に物語っている。

日本ハリストス正教会の最初の信者となった日本人は、
ニコライ神父を殺害するために同氏のもとを訪れた、
神道の祭司で元「サムライ」の沢辺琢磨氏。

沢辺氏は、1968年(1868年が正)に洗礼を受けて、日本ハリストス正教会の初の信者となった。
沢辺氏は、ハリスト正教会は日本を占領するために他の国が利用しているものだと考えた。

ニコライ神父は、そのことを知らずして判断を下してはならないと指摘し、
沢辺氏は思いとどまった。そしてその後、ニコライ神父は自分の力の許す限り、
正教やロシアに関する日本人の知識、そして日本に関するロシア人の知識を
広めるために努力した。そしてその為に、ロシア正教会の神学校を東京に開校した。
この学校の卒業生たちが、書籍「昇る太陽の陰で」の主人公だ。

そのうちの数人は、ずいぶん前からロシアで知られている。

例えば、ロシアの格闘技「サンボ」の創始者のワシリー・オシェプコフがいる。
オシェプコフは、武道の頂点への道を、
新学校の同級生トロフィモフ・ユルケヴィチと一緒に日本で歩み始めた。(講道館柔道を学ぶ)

だが彼らには、新学校の卒業生
ウラジーミル・プレシャコフやイシドル・ネズナイコなどと同じように、ある共通点があった。
彼らは1920年代にソ連の情報機関の職員となり、
全員が日本を対象とする諜報活動を行ったのだ。

日本語や日本の文化に興味を抱いている現代の多くの人々は、
「日本に住みながら日本に愛着を抱かないなんて不可能だ!
なぜ彼らは、日本を対象とする諜報活動なんかを請け負うができたのだろうか?」と、
神学校の元生徒達の人生における転換に当惑するだろう。

だが、その問いに対する答えは単純だ。

20世紀前半、日本はいま私たちが知っているような快適で平和な国とはほど遠かった。
ロシア人神学生の大部分が日本へ渡った1906年以降、
日本はロシアの政治的パートナーとなったが、
多くの日本人の意識の中でロシア帝国は敵であり、敗戦国であるととらえられていた。

日本社会では、ロシアは日露戦争でいかなる賠償金も支払わなかったため、
日本が勝利に対して得たものはあまりにも少ないという認識が広がっていた。

この状況に対する不満と苛立ちは、ロシアと講和条約に調印した日本の外交官、
そして恐らく、当時日本に滞在していたロシア人にもふりかかったであろう。

1917年の革命後、ボリシェヴィキ政権が日本とのパートナー関係を解消し、
日本は臆面もなくロシア極東に対する武力介入への参加を決めた。

米国の派遣部隊としての日本の行動は、赤軍パルチザンに対する戦闘行為だけでなく、
一般市民に対する懲罰も伴った。そのため、1920年代初めまでに、
軍事、および(あるいは)、東洋学的な教育を受けることができた
上記の元神学生たちの多くが、ソ連の情報機関から日本を対象とした諜報活動を依頼され、
ほとんど迷うことなく受け入れたのは、驚くに値しない。



◆http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E8%BE%BA%E7%90%A2%E7%A3%A8
◎沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年(1834)~ 大正2年(1913年)

日本ハリストス正教会初の正教徒(ハリスチャニン=クリスチャン)にして
最初の日本人司祭である。 聖名(洗礼名)はパウェル(パウロ)。
沢辺姓を名乗る前は山本琢磨。

☆出生から箱館まで

天保6年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(現在の高知市)に
土佐藩の郷士である山本代七の長男として生まれる。幼名は数馬。
代七の弟・八平は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足と改名、
次男に坂本龍馬をもうけており
龍馬とは血縁及び実質上の従兄弟同士である。
また琢磨の母は武市瑞山(半平太)の妻である富子の叔母であった。

武術に優れ江戸に出て三大道場の一つといわれた
鏡心明智流の桃井道場でその腕を一層磨き、師範代を務めるまでになる。

ところがある晩、酒を飲んでの帰り道に拾った金時計を
酔った勢いで一緒にいた友人と共謀し時計屋に売ってしまい
直ちにそれが不法なものであることが発覚して窮地に追い込まれる。

訴追を逃れるために龍馬や半平太の助けを得て江戸を脱出。
東北各地を流れ回った末、新潟にたどり着いたところで出会った前島密に
箱館(現・函館市)に行くことを勧められ箱館に落ち着く。


☆箱館・正教の洗礼

箱館では持ち前の剣術の腕が功をなし、それがきっかけとなって道場を開くと
町の名士たちとも親交を持つようになる。そんな中で知り合った
箱館神明宮(現・山上大神宮)宮司の沢辺悌之助に請われて娘の婿養子となり、
以後、沢辺姓を名乗る。

箱館時代の琢磨について、新島七五三太(新島襄)が米国へ密航するときの
手助けをしたというエピソードが伝わっている。

当時、既に開港していた箱館にはロシア帝国の領事館があり
附属聖堂の管轄司祭として来日していたロシア正教会のニコライ神父は
日本宣教の機会を窺いつつ日本の古典文学や歴史を研究していた。

領事館員の中に子弟に日本の武術を学ばせたいという者がいて
その指南役となり領事館に出入りするようになった琢磨も
ニコライを知ることとなったが、攘夷論者だった琢磨はニコライの日本研究に対して
日本侵略に向けた情報収集との疑念を抱き
ニコライをロシアから遣わされた密偵だと思うようになった。
そして殺害をも辞さぬ覚悟でもって大刀を腰に帯びニコライを訪問、
来日や日本研究の意図を詰問した。

対するニコライは琢磨の問いに理路整然と答えるとともに、
琢磨に対してハリストス正教の教えを知っているかと質問した。知らぬと答えた琢磨に
「ハリストス正教が如何なるものかを知ってから正邪を判断するのでも遅くはなかろう」
と諭した。確かにそれも一理あると考えた琢磨は
以後ニコライの下へ日参して教えを学んでいくうちに心服し、
後に友人の医師酒井篤礼らをも誘って教理を学んだ。そして、ついには
まだキリスト教禁制下の慶応4年4月2日(1868年4月24日)、酒井や浦野太蔵とともに
秘密裡にニコライより聖洗機密(洗礼)を受け
日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)となった。

聖名(洗礼名)は初代教会時代にキリスト教を迫害中、劇的な回心を経験して伝道者となり
キリスト教の世界宗教化への道を開いた後に致命した聖使徒パウェル(パウロ)を与えられた。

受洗後も琢磨はしばらくの間、神明社宮司の座に留まっていた。
祭祀の時には祝詞を漢語訳聖書の聖句に置き換えてカムフラージュをしたりもしていたが、
やがてハリストス正教に改宗したことを公言し神明社を去る。

禁教下において神道の祭司職が邪教へ改宗したということもあって、
琢磨一家に対する迫害は非常に厳しく生活は困窮を極めた。
さらには精神的に参ってしまった妻が自宅に放火をするという事件も起きた。
その後、琢磨は妻子を残して箱館を一時脱出し
布教しながら東北地方を南下するが途中で捕縛・投獄され、後に釈放されて箱館に戻った。

以後の伝道中、仙台にて再び捕縛されるが
明治政府によって禁教が解かれると自由の身となり以前にも増して伝道に力を入れた。


以下ご参照!

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2013年1月1日午前4時

謹んで新年を賀し申しあげます。簡単に言えば謹賀新年。
しかし、年が明けたくらいで何かが自動的にめでたくなるわけではない。おめでたいのは私も含めた日本人B層の頭くらいか。むしろ、今年が良い年であれかし、と何かに願いたい。祈りたい。中学生レベルの英語力で訳せば、Be it a happy new year ! かな。

さて、今年早々の引用は「内田樹の研究所」の昨年末の文章の一部と、「村野瀬玲奈の秘書課広報室」に引用された歌である。どちらも読んでいる人には無意味な引用になると思う人もいるだろうが、引用によってその対象にスポットライトを当てるという作業はけっして無意味ではない、と私は思っている。
これは文章の引用だけではない。ある事物を指し示すだけで、一つの創造的行為になることもある。たとえば、写真は日常の風景を切り取る行為である。だが、そのありふれた行為によってできた写真作品は、その風景を特別なものにする。これは、「指示することが創造である」一例だろう。コラムやブログでの引用は創造行為とは言えないが、指示された対象に新たな光を当てる「活性化」に寄与していると私は思っている。そこで、著作権とかオリジナリティとかを主張する連中と対立することになるわけだが。
ネット弾圧の手段の一つとして、「著作権侵害訴訟」もあるだろうから、こうしたことを考えておくのも無意味ではないだろう。
何はともあれ、今年もよろしくお願いします。今年度は、もっと気楽に、もっと自堕落に不定期更新を目指そうかと思うのだが、頭が中学生で、自己抑制ができないから、書きたくなったら一日に二度も三度も書くかもしれません。



(以下引用1「内田樹の研究所」より)


でも、「口を動かすより手を動かす」という謙抑的な構えをとる人たちにメディアはすぐに関心を失ってしまう。メディアは、その本性からして、「ぺらぺら口を動かす人間」「何かを激しく攻撃している人間」を好むのである。
そういうふうにして日本人はいつのまにか二極化しつつある。それが「ポスト3・11」のもっとも際だった日本社会の変化ではないかと私は思う。
一方に「賑やかだが空疎な言葉をがなり立てる人たち」、「何かを激しく攻撃する人たち」、「他責的な言葉づかいで現状を説明する人たち」の群れがいる。メディアはこの「うつろな人たち」の言動を好んで報じている。
だが、他方に、個人としてできることを黙々と引き受けている人たちがいることを忘れたくないと私は思う。誰かを責め立てても事態がすぐに好転するはずがないことを知っており、まず自分の足元の空き缶一個を拾うところからしか秩序を再構築することはできないということを知っている人たちがいる。この人たちの声は小さく、表情は静かである。だが、彼らこそ「地の塩」だと私は思っている。
私が今の日本社会を見ていて、あまり絶望的にならずにいられるのは、周囲にいる若い人たちのうちにいくたりもの「地の塩」を数えることができるからである。誰に強制されたのでも、教え込まれたのでもないし、「そうすればいいことがある」という利益誘導に従ったのでもなく、黙って「空き缶を拾う」ような仕事を淡々と担っている若者たちの数はむしろどんどん増えているように思われる。苛立ち、怒声を上げている若者たちは目立つ。だから、世の中には「そんな若者」ばかりだと人々は思っているかも知れない。だが、静かな声で語る、穏やかなまなざしの若者もまたそれと同じくらいに多い。彼らに日本の希望を託したいと私は思っている




(引用2「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より)

*ブルース・スプリングスティーンの「夢と希望の地」の歌詞だそうである。対立や闘争ではなく、愛と融和による社会改革の可能性というのを今考えているので、この歌詞は示唆的だ。聖者も罪人も結局は同じ列車に乗っているのだから、対立や闘争よりも愛と融和の方がお互いによい結果を生むとは思うが、しかし現段階ではそれはただの夢想(イマジン)だ、甘い夢だと言われそうではある。しかし、「引用1」の、黙って善行をする若い人たちの存在を考えれば、あながちただの夢想ではないかもしれない。問題は、「罪人たち」の意識をも変えることは可能か、ということだ。私は、「罪人」の一部である高級官僚の中から真の改革者が出てくるのではないか、という気もする。(徽宗注)


大きな車輪が進む
太陽の光射す草原を
さあ行こう
希望と夢の国へ

この汽車は
聖者と罪人を乗せてる
この汽車は
敗者と勝者を乗せてる
この汽車は
娼婦と賭博師を乗せてる
この汽車は
失意の底にいる者たちを乗せてる







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