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徽宗皇帝のブログ

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〇〇日後に死ぬ私
これはなかなか。
一日目で死んでるwww
座布団一枚。

「百日後に死ぬ私たち」は広島にも長崎にも無数にいた。ただ、「百日後」と自分で知らなかっただけである。それは現在のすべての人間も同じだ。百日後どころか、明日かもしれないし、数分後かもしれない。
「他人の死」を他人事と思っているからこそ政治家は仲間で豪勢な会食をしながら非道な犯罪ができ電通は人を騙して商売ができる。心優しい庶民は御涙頂戴のフィクションで気持ちよく涙を流す。
まあ、分析するなら、主人公をワニにしたのが成功の一因かな、と思う。なぜそれで成功したのかと言えば、我々は「心優しい強者」「心の優しい怪物」というのに心の琴線を動かされるところがあるのだろう。「フランケンシュタイン」のモンスターとか「泣いた赤鬼」とか。現実にはブスやブ男への待遇はひどいものだが。
「百日後に死ぬムーミン」とか「百日後に死ぬパディントン」とか「百日後に死ぬドラえもん」とか作ったらどうかwww まあ、要するに話自体が面白ければ、何も殺す必要など最初から無いのである。死ぬことだけが存在意義という主人公www
自分たちに迫る水面下の危険を話の登場人物は知らないが観客は知っている、ということがサスペンスのひとつのセオリーだ、とヒッチコックが「映画術」の中で書いているらしい。某ツィッターに書いてあったが、私自身、昔読んだ記憶がうっすらとある。まあ、「平凡な日常に潜むサスペンス」という狙いが良かったのだろう。それで平凡な日常が、違う色合いを帯びるわけである。


(「ネットゲリラ」のコメントのひとつである。)



100日後に死ぬオリンピック

1日目
聖火が種火ごと消えるwww

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