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徽宗皇帝のブログ

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「熱い心」と「冷たい(冷静な)心」
東海アマ氏の最新ブログで、読みやすくし、私の考えているテーマ(反原発運動ではなく、アマ氏の人生に一貫する「熱い心」への疑問)を明瞭にするために、前半と途中を大きく省略する。
先に結論から言えば、私は氏の「熱い心」自体に懐疑的である。それが嘘だということではなく、生き方として馬鹿げた生き方だったのではないか、ということだ。
末尾の一文を引く。

あの正義を愛した熱い心の若者たちは、どこに行ったのだ?

そんなのは当時でも「異常な例外」だったのではないか、と私は思うわけだ。いや、例外ではないにしても、彼らの大半は「転向」して、普通の人生を送り、自分のロマンチックな「挫折」を語り、あるいは隠して生きただろう。そもそも、自分の人生や生命を賭けて、世界的権力と戦うということの異常さに気づかないとしたら、それは恐るべき視野狭窄だろう。お前は自分ひとりで世界を魔王から救うRPGの勇者か、と言いたいくらいだ。
そんな闘争などしなくても、選挙で黙って野党に投票するだけで、一番実効性のある戦いだったのだ。闘争をするなら、「選挙で野党に投票しよう」という運動をするだけで良かったのである。何も、ヘルメットをかぶり、ゲバ棒を振り、警官隊や機動隊に投石する必要などまったく無かったのである。(現在は選挙操作がたぶん行われているだろうが、かつてはそれは難しかったと思うわけだ。)「熱い心」とは、たぶん「のぼせ上った頭」である。

人生の終末の近いアマ氏を今さらけなしたいわけではなく、若者がもしこれを読んでいたら、アマ氏を反面教師として、「冷静な理想主義」を持て、単なる奴隷的現実肯定主義ではなく、足元にも注意しながら、空の星を見ろ、と言いたいだけだ。

(以下引用)

本題 熱いものが見えない

私は、数年間というもの、ほぼ毎日、このブログを書いている。
 10年前に間質性肺炎を患い、肺線維症特有の呼吸音が出てから、かつての半分程度の呼吸能力しかないので、畑仕事や通常の仕事が、普通にできないのだ。
 寝ているときも呼吸が苦しくなって何度も目覚めてしまうので、睡眠時間を10時間以上確保しなければならない。

 おおむね発症後、5年以内に死ぬことになっているようだが、私は過去の数千回の登山歴のおかげで、標高差200m、7000歩の、もの凄く苦しい山歩き呼吸トレーニングを毎日行うことで、辛うじて10年も生き続けることができている。
 しかし、末期の症状で、今日のように黄砂が飛んでくると肺機能が落ちて、もう元には戻らず、どんどんあの世に近づいていることを思い知らされる毎日だ。

 普通の仕事ができないため、自分にできることといえば、ブログを書くことくらいしかない。金になるわけではないが、もしかしたら何かを残すことができるかもしれないと思って取り組んでいるわけだ。
 若い頃にはエロ小説を書いて金儲けしたいと考えたこともあるが、70歳を過ぎた今では、そんな無益な雑念からは解放されている。

 だが、さすがに2000編以上も書くと、ネタ切れになってきて、昔書いたブログを再編したりしてお茶を濁す感じだ。
 毎朝、ネットで情報収集して、心に響く情報を探すのだが、最近、本当に心打たれるような情報が少なくなって、「これを紹介したい!」とほだされるような感動がないのだ。
 だから、ネタ探しも本当に厳しくなった。

 老人と呼ばれるようになって、むしろ感受性は上がって涙もろくなっているのだが、それでもネット界隈の情報に心を打たれることが、ひどく少なくなった。
 もう自分の人生のために他人を利用してやろうなどという野心はない。あるがままに、与えられる死を迎える運命に、素直に従う覚悟だけがある。
 近寄ってくる他人に対しては、精一杯親切にしてやりたいと思っている。

 しかし、私に近づく人たちに見えるものは、違和感と嘲笑だけであるかのような被害妄想に囚われてしまう。
 もう私と付き合って親しくなれば、私の死体を始末する面倒をかけることくらいしかないので、私は他人と付き合わないようにしている。
 最期は友人に頼らず、行政に任せて焼いて消し去ってもらいたいと思っている。

 だが、私が見たいもの、求めているものは、人々の感動であり「熱い心」なのだ。ちょうど、尾畠春夫さんのような心だ。
 ネットにある情報は、軽薄な金儲けや詐欺被害などの話ばかりで、私が若い頃に求めていた、反権力の熱い心など、どんなに探しても出てこない。
 まあ、福島や能登の被災者の問題は、実に切実で、ボランティアに向かう人々には敬意を表したい。しかし、それ以外の若者たちに、人を奮い立たせるような熱い心が見えない。

 私は、中学生のころから、朝日新聞の夕刊に連載された本多勝一のルポルタージュに心を動かされていた。もう夕刊が配達されることが待ちきれないほどだった。
 だから、「戦場の村」などの報道を見て、アメリカの傲慢と残酷に激しく憤っていた。

 私は高校に入っても、ろくに授業に興味を持たず、機動隊との衝突を繰り返すベトナム反戦デモに参加して興奮していた。
 それから、いわゆる反戦市民運動に入り、やがて反原発運動に進んだ。
 だが、「熱い心の仲間」だと信じていた人たちも、決してそうではないことを思い知らされた。
 序列の価値観のなかで、他人を見下す人たちが少なからずいたからだ。また教条主義を掲げて、党派組織に依存したがる人も多かった。

 私は、競争主義に洗脳されて他人を見下す人たちと、一緒に仕事をしたくなかった。
 反原発運動のなかでも、他人を見下すような優越感を感じる人たちが多かった。だから、私は、一人で言論活動を始めた。
 それが私のブログだが、初期のものは、大半が強制削除されたりして残っていない。

(中略)

 原子力村の利権主義は、能登半島巨大地震で志賀原発がとんでもない破壊を受けているのに、それを直視できないほど、脳味噌が完全に凍結しているのだ。
 そこには、「良識」が皆無であり、「利権死守」しかない。

 原発利権村と無関心で自民党を支持する若者たちがいる限り、愛する日本の未来は存在しないのである。
 あの正義を愛した熱い心の若者たちは、どこに行ったのだ?


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