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ささやかな個々の地の塩的行為がやがて世界を変える

「文殊菩薩」にウルグアイのムヒカ大統領の素晴らしい演説の動画が載っていたので、それを多くの人に見てもらいたいな、と思っていたが、動画は時間がかかるので見ない、という人も多分いると思う。
それを「谷間の百合」さんが文字起こししてくれたので、ここに転載して紹介する。
このような仕事こそ、最高の社会貢献の一つである、と私は思う。世の中を良くするために少しでも働いたなら、その人はこの世界に生まれた価値がある。逆に、この世界を悪化させるだけの人間は、どんな大金持ちでも権力者でも、ゴミ以下の存在である。
毎日の労働によって社会に貢献するのもいいが、それは生活の資を得るのが第一義だ。また、その仕事が社会貢献か社会悪化の仕事か、即断はできない。マスコミや教育の仕事など、最近ではむしろ社会悪化の仕事の面が大きいだろう。
それで自分が物質的利益を得られるわけでもないのに、こうした「文字起こし」や「翻訳」を通じて、社会の良い方向への意識改革に貢献することは、(私などのように)ブログで偉そうに自分の主観的意見を喋り散らすより、はるかに立派で有益な行為であると思う。



(以下引用)*最初の一文はこの転載内容と無関係かと思うのでカットさせてもらった。



今回のウルグァイのムヒカ大統領の感動的なスピーチは日本語訳が付いているのですが、わたし自身が文字として読みたいので、ブログのために文字起こし?しました。
多くの人に読んでほしいと思います。




会場にお越しの政府や代表のみなさま。
ありがとうございます。

ここにご招待いただいたブラジルのティルマ・ルセフ大統領に感謝します。

私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

ここで、頭の中に、ある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。

しかし、私たちの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似ることでしょうか?

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインドjんが持てば、この惑星はどうなるでしょうか。

息をするための酸素がどれくらい残るでしょうか。

同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費をせかいの70億、80億の人ができるほどの原料があるでしょうか?

可能ですか?
それとも、別の議論をしなければならないでしょうか?

なぜ、私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子ども、資本主義の子どもたち、即ち、私たちが間違いなく、この無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。

マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?

グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。

このような残酷な競争社会で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論ができるでしょうか?

どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためではありません。

その逆です。

われわれの前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。

政治的な問題なのです。

現代にいたっては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。

逆に、人類が、この消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。

幸せになるために、この地球にやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎていきます。

いのちよりも高価なものはありません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。

消費社会のモーターの世界では、私たちは消費をひたすら早く多くしなければなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、出来るだけ多く売らなければなりません。

ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にしているのです。

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。

人がもっと働くため、もっと売るために、そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。

「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。

そんな悪環境の中にいることにお気ずきですか。

これはまぎれもなく政治の問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導いていかなければなりません。

石器時代に戻れとは言ってません。

マーケットをコントロールしなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ・セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これは、この議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表として、リオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには、水源危機と環境危機が問題ではないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。

そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。

こんな小さな国なのに領土の90%が豊富な資源なのです。

私の国には300万人ほどの国民しかいません。

でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。

ヤギが800万から1000万頭ほどいます。

私の国は食糧の輸出国です。

働き者のわが国民は一生懸命8時間働きます。

最近では6時間働く人が増えています。

しかし、6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。

なぜか?

バイク、車などのリボ払いやローンを支払わなければならないからです。

毎月、2倍働いてローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。

私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして、自分にこんな質問を投げかけます。

これが人類の運命なのか?

私の言っていることは、とてもシンプルなことです。

発展は幸福をもたらしません。

発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。

愛、人間関係、子どものケア、友だちを持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」なのです。

環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大切な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。


2012年6月20日~22日
「国連持続可能な開発会議」に於いて。












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