In Deepさんのサイトより
https://indeep.jp/can-japanese-help-each-other/
<転載開始>


国際調査での「日本人がワースト」のある数値

先日のメルマガでは、それが本題というわけではないのですが(本題はシェディングが科学的に証明された論文のことでした)、その後半で、


「日本人という存在はいつからこのようになったのだろう」


ということで、最近発表された国際的な調査のデータを取り上げました。


それは、英国の慈善団体であるチャリティーズ・エイド基金というところが、「世界人助け指数」という調査の結果を発表したものです。


調査自体は「寄付をする人たちの率」などが中心ですが、その中の項目のひとつに、


「見知らぬ人を助けますか?」


という 119カ国に対しての質問がありました。


結果は以下です。データの 16ページにあります。



2022年版「あなたは見知らぬ人を助けますか?」ランキング

cafonline.org


日本語にしますと、以下のようになります。


「見知らぬ人を助けますか?」


「見知らぬ人を助ける」ランキング 上位10カ国


1位 シエラレオネ 83%
2位 ベネズエラ 82%
3位 ジャマイカ 80%
4位 アメリカ合衆国 80%
5位 ナイジェリア 79%
6位 コスタリカ 78%
7位 ケニア 77%
8位 ウガンダ 77%
9位 コロンビア 76%
10位 メキシコ 76%


「見知らぬ人を助ける」ランキング 下位10カ国


110位 マルタ 43%
111位 カザフスタン 44%
112位 アフガニスタン 44%
113位 イタリア 44%
114位 オランダ 43%
115位 スイス 40%
116位 フランス 38%
117位 ラオス 36%
118位 日本 24%
119位 カンボジア 23%


cafonline.org


117位のラオスからの数字の落ち方がすごいですが、何はともあれ、「見知らぬ人を助けますか? という質問に対して、日本人は、ほぼ世界ワーストだった」のでした。


この調査がある程度正しければ、数値の上では、日本人は世界で最も他人に冷たい国民だということになります。


しかし、私自身は、これを見て、「もともとの日本人はこうじゃなかったはず」だとは思いまして、それをメルマガに少し書いていたのですが、「変化の起点」のひとつは、6世紀頃、もうひとつは、


「鎖国が終わった後から」


だと考えています。


それぞれ以下のような過去記事でもふれています。


(記事) なぜ日本は「変」に? それを知るには150年前の日本を見てみるか、あるいは、シュタイナーの「唯物論に破壊される世界」という100年前の言葉を思い出してみるか
2015年06月10日


(記事) 日本人の精神的崩壊は6世紀に始まり今完成しつつある」: 宗教的信念はうつ病からの保護効果を持つという医学的研究から思う現代日本に根付く「病の構図」
2019年2月11日


 


なお、ルドルフ・シュタイナーは、1924年の講義において、興味深い言葉を述べています。以下のように述べていました。


まずは以下です。


1924年のシュタイナーの講義より


モンゴル民族、日本人、中国人。彼らは最古の地上の住人の末裔なので、非常に興味深いです。


しかし、同じ講義でシュタイナーは以下のように述べました。


同じ1924年のシュタイナーの講義より


日本は完全にヨーロッパ文化に支配されました。日本という名は残っていても、まったくヨーロッパ化されました。日本人はヨーロッパからすべてを受け入れ、自らの古い文化は外面にとどまっただけです。


 


これは、今から 100年前の講義です。


シュタイナーには、その時点で、


 


「人類最古の民族のひとつであった日本人はもはや存在しない」


 


と見えていたようです。100年前です。


もちろん、人種的な問題の話ではなく、価値観と文化的思想についてです。100年前なら、今も昔も人種はおおむね同じ日本人です。


これについては、以下の 6年ほど前の記事でふれています。


(記事) 日本のこの100年間とは何だったのか
 2017年7月24日


 


私はこの 6年前の記事で、「日本が世界で真っ先に消滅する国家、そして、人種となるかもしれない」というようなことを書いていましたが、まさか、その 4年後にコロナワクチンなんてものが登場し、日本人のブースター接種率が 140%だとか、150%だとかになることなどは想像もしていない頃ですが、これらの現状を踏まえますと、


「日本が世界で真っ先に…」


という概念は、当時とは違った意味で現実になりそうではあります。


 


ただ。


 


100年だとか 1000年だとかの大仰な話ではなく、「もしかすると、この、ほんの 10年くらいで日本は変わってしまったのかもしれない」と思う部分もないではないです。


 

権威は悪だと答えながら、世界で最も権威に従ってしまった

日本人の感性が「世界の中で異種」なのは確かです。たとえば、以下は、2010年に行われた国際的な調査の結果で、内容は、


「将来、今より権威や権力が尊重されるとしたら、どう思われますか?」


という質問に対しての各国の答えの率です。



社会実情データ図録、世界価値観調査ウェブサイト


日本は、権威や権力が尊重されるのは「悪い」ことだと回答した人の数が、圧倒的に多いことがわかります。その率は、他の国と比較して突出していると言えるものです。


「良い」とした人の率は、4.7%で、この少なさも圧倒しています。同時に、「気にしない」と「わからない」が、他国と比べると比較的少ないこともわかります。


この 13年前の調査では、多くの日本人が「権威や権力が尊重されるのは悪い」と述べていたのに、


 


「コロナの時代になって、世界で最も権威と権力に従った国のひとつが日本」


 


でした。


それは今でも続いています。


「権威と権力」というと、何となく政治的なことを思われるかもしれませんが、今や、権威と権力は「医療に移行」しています。そして、それは今や、宗教的な概念へとさえ移行しています。


(記事) 医師から一般の人々まですべてを貫く「医療の宗教化」は、医療教育でのマインドコントロールから始まる。そしてその歴史
 2022年11月15日


「医療という名の信仰」については、最近、以下の記事を書きました。


(記事) 「予防医学信仰」から解放される日はいつなのか? 新生児のワクチン接種と死亡率の「正の関係」を見て
 2023年8月3日


 


これは「予防医学が機能していない」ことについての論文でしたが、予防医学ではなく、「一般的な医療介入」についても、それが示されていたことを最近思い出しました。


もう 8年前の記事ですが、そこに、1970年代のフィンランドで 18年間に渡って行われた調査のグラフを示したことがあります。


フィンランドの 38歳から 54歳までの男性会社員に健康診断を行い、そこから、高血圧や高コレステロール、喫煙、など健康に危険な要素を持っている人を 1222人抽出し、それらの人々を、以下のふたつにわけ、18年間追跡したものです。18年間です。


 


Aグループ → 医療の専門家により細かい健康指導を行ったグループ。


Bグループ → 治療や指導は何もせず、放っておかれたグループ。


 


結果は以下です。


18年間に及ぶ経過の推移


 


医療の専門家が細かい健康指導を行った Aグループの死亡数のほうが高いのです。18年間、常にです。


このフィンランドの研究が示しているのは、 1970年代の話としてですが、「病院にかからないほうが長生きする」ということです。


「その後の現代医療はそんなことはありません」


と言われれば、そうなのかもしれないですが、果たしてどうなんでしょう


なお、このグラフは、関東医療クリニック院長の松本光正医師の著作『高血圧はほっとくのが一番』の中にあります。松本光正医師は、中村天風さんの最晩年の弟子だったこともある異例の経歴のお医者様でもあります。


実際には、現在でも医療介入が良い方向に作用する事例はあまりないと思いますが、しかし、現実は、「子どもに熱が出たらカロナールをもらいに病院に走るお母さんたち」という形而上的な存在が日常となっています。


カロナールを含めて、


「呼吸器感染に対する解熱剤による治療は死亡リスクを高める」


ことは、2010年の論文で示されています。つまり、子どもの安全のためには「飲まないほうがいい」という明確なエビデンスがあるのです。この論文の調査には、カロナール(アセトアミノフェン)も含まれています。


これについては、以下の記事にあります。


(記事) 子どもがみんな解熱剤でやられてしまう
 2022年8月27日


39℃程度の熱を「恐怖の症状」だとして喧伝してきた歴史があるわけですが、上の記事には、「発熱が病気の治癒にどれだけ大事なものか」ということも書いています。


しかし、真実や現実や合理は宗教の前には無力です。


宗教を守るためなら、自分の命も子どもの命もその毀損を厭わない。


これが今の日本の姿だと実感します。


そのような状態を示す頂点がワクチン接種キャンペーンだったとしても、他にも、有害性のリスクばかりしか見えてこない医療介入が現代医療には多々あります。


 


……まあ、なんだかまた医療系の話になってしまいしたが、今回書きたかったのは、見知らぬ人を助ける率で世界ほぼワーストの日本において、


「究極的な危機が来た場合、日本人がお互いに助け合う光景は出現するのだろうか」


と思ったことです。


究極的な危機とはいっても、それはいろいろあるとは思います。


自然災害も金融危機も、あるいは食糧危機も健康危機も、強力な景気後退でも、何でもあるとは思いますが、たとえば、それらが複数やってくるような危機的な社会になったとき、日本あるいは日本人は大丈夫なのだろうかと思います。