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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記トゥディ「技術革新と世界の貧困化」6.14
日本の富がアメリカに収奪されていることとは別に、日本全体、あるいは世界全体の労働構造の変化と、それに伴う大衆の貧困化という問題がある。
それは、言葉を変えれば「物から情報へ」という変化に伴う労働構造の変化とその影響である。これには過渡期的な部分(短期的問題)もあるが、全体としては世界全体の本質的変化である。そして、それに伴って世界人口の大半は貧困化を余儀なくされる。

貧しい生活の不満のはけぐちにテレビでサッカーを見て喜び、子供たちは貧しさから脱出する手段として将来はサッカーの名選手になることを夢見る。現在のアフリカの庶民の生活が世界全体の一般的な庶民の姿になるのである。ヨーロッパの庶民生活もすでにそれに近いものだし、日本もそうなりつつある。
つまり、労働先進国は未開発国と同じ姿になり、中低開発国(中国、東南アジア)はこれからしばらく発展した後、ヨーロッパや日本と同じになるのである。
もちろん、低開発国の優位性は労働賃金の低さによるものだから、現在の中国ですでに賃金闘争が起こり始めているように、その優位性は長くは続かないのである。

では、世界の貧困化、あるいは富の二極分化はなぜ起こるのか。それを資本家による収奪の結果だと見るのは単純すぎるだろう。もちろん、結果としては世界人口の大半を占める中低所得層から高所得層への富の転移が生じているのだが、それは世界歴史上の常態であって、今に始まったことではない。それより大事なのは「労働構造の変化に伴う貧困化」である。
それは、簡単に言えば、「技術革新によって労働構造が変化し、その結果、これまでの労働の多くが不要になり、人口の大半は貧困化を余儀なくされる」ということである。つまり、「技術革新によって社会あるいは世界全体は貧困化した」ということになる。
昔、マニュファクチュアの頃に工場に機械が導入されると、工場労働者は、機械は自分たちの仕事を奪うものだと言って機械を打ち壊すという行動に走った。これを「ラッダイト」と言うが、彼らの考えは正しかったとも言える。ただ、その当時はまだ技術革新が未開の段階だったので、新しい技術革新に伴って新しい仕事が生まれる余地があった。しかし、現在の技術革新は、「これまでの仕事を不要にするが、新しい仕事(労働市場)をほとんど生まない」のである。なぜなら、ITによる仕事の効率化とは、労働者に対してこれまでの仕事に加えて新しい仕事を負担させていくだけで、そのための人員を増やすことはないからである。だからこそ経営者から見れば「効率化」になるのだ。これを労働者から見れば実は「労働強化」にほかならない。これがIT革命の正体なのである。
IT労働者が「IT土方」と言われていることを知っている人も多いだろう。ITは誰に富をもたらしたのか。そして、それはなぜなのかというと、上に書いたとおりなのである。
IT化によって中間管理職は不要になった。仕事はITで指示し、その報告をITで受ける。労働者のほとんどは末端労働者であり、ごく一部の管理職がいればいい。したがって、その一部の管理職には高給を払っても、全体としての賃金は極端に抑えることができる。その待遇に不満を言う社員は、どんどん首にしていい。なぜなら、それらは取替え可能な未熟練労働者だからである。仕事そのものはマニュアル化されており、いつでも労働者の取替えはできるのだ。

「物から情報へ」という変化について幾つかの例を挙げよう。たとえば、「書籍」や「CD」という「物」が、現在では「情報」オンリーになりつつあることは多くの人が感じているだろう。それに伴って、そういう情報の「物」部分の製作に従事していた人々の労働市場は失われるわけである。絵画もそうだ。コンピューターグラフィックスが絵画の主流となれば、絵の具や筆やキャンバスなどの「物」を作る仕事はどんどん不要になっていく。
つまり、我々のこの世界はどんどんヴァーチャルリアリティ化しつつあり、ヴァーチャルリアリティこそが現実の中で主要な位置を占めつつあるのである。ヴァーチャルリアリティは流行語といった次元の問題ではない。
そして、何よりの問題は、こうしたイノベーションによる世界全体の労働構造の変化と、それに伴う世界の貧困化なのである。この問題を解決しないかぎり、世界の未来は暗い。
問題解決の道筋だけを言えば、やはり最終的には「富の配分の適正化」になると思うが、あるいは「新しい労働市場の可能性」を誰かが考え出してくれるかもしれない。それを期待して、この問題提起を終わろう。

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