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徽宗皇帝のブログ

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不満を言わないのは「不満が無い」こととされて当然
官僚と政治家が国民の民意に従うのが当たり前の民主主義であり、国民の大多数が反対する政策を強行したら盛大なデモが起こるのも、当たり前の民主主義である。
では、デモが起こらない国には政府への不満も無いのだろうか。

「骨太の改革」とか何とか言って、国民負担を重くする政策を実行するのが「(国民からの不人気を恐れない)勇気ある政治家だ」とマスコミや政治評論家が持ち上げるものだから、日本の政治は小泉以降、つまり竹中登場以降どんどん「民主主義無視」となり、現在のような「上級国民対奴隷国民」という社会になっている。その一因は、国民があらゆる不当な政策に対して、不満を表立って示さなかったからである。具体的には、デモなどをしなかったからだ。

デモというのは、「民意を示す」合法的手段であり、選挙とデモくらいしか民意を示す有効な方法は無い、と言っていい。
「個々の言論など、無視してしまえばいい、そもそも、政府批判や政策批判の言を載せるマスコミは潰すぞ、と脅してある」というのが日本の政府なのである。
昔、岸信介か誰かが、政府批判デモが盛んだった時に、「デモをしているのは一部の人間で、サイレントマジョリティ(物言わぬ大多数の国民)は政府の政策を支持している」、とか言ったが、国民の意思など最初から無視する、というのが米国従属主義者である連中の特徴だ。それはもちろん、民主主義や憲法など最初から無視しているということだ。

たとえば、他人の三倍くらい働いているが、給料は他人より低いという人間が不満を言わなかったら、経営者はその人間の給与を上げるだろうか。それどころか、「これはいい奴隷だ」と思って、こき使うだけだろう。ただし、その人間が「俺は組合活動は嫌いだ」と言って、組合による給料アップや待遇改善の要求にも批判的な言辞を述べるなら、「これは全体の給与を抑えるいい道具になる」と思って、少しはお小遣いをくれるかもしれない。まあ、そういうのが日本の労働界の現実だったわけである。
国民の、政府への要求であるデモというのも、組合活動と同じことである。
要求しなければ、不満はないものと見なされて当然なのだ。




(以下引用)


YAF @yagainstfascism17 時間前

テレ朝。マクロン仏大統領の緊急演説内容。フランスのデモが、言うべきことをマクロンにしっかり聞かせたみたいですね笑 (1)最低賃金13000円アップ。 (2)残業代は非課税とする。 (3)従業員への特別ボーナス支給を経営者に要求。 (4)26万円未満の年金生活者には、来年は一般社会税の増税をしない。


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