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徽宗皇帝のブログ

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悪と欲の資本主義と、キリスト的聖性
「内田樹の研究室」から転載。
ほかにも面白い部分はあるが、ネットに触れている層と触れていない層では見える世界が違う、というのは非常に大きな事実だろう。つまり、安倍政権の支持率がまだ40%ある、というのは操作された数字ではなく、実際にアンケートに答えた人の40%が安倍総理を本気で支持しているという恐ろしい可能性がある、と思ったほうがいい。しかも、そうした人々は必ずしも知的に劣るのではなく、安倍総理こそが自分たち(の階層)の暮らしを維持させてくれる、と判断しているのだろう。
つまり、大企業から中小企業の経営者やその関係者、企業幹部、医学界薬学会その他、無数の業界関係者など、多くは「現在の政治から何かの利益を得ている」のだから、彼らが自民党を支持するのは当然であり、その利害の前では、政治の不平等や劣悪な制度やそのやり方に苦しむ人々は「無視するのが当然」になる。
だって、あいつらは「努力しなかった連中」が大半なのだから、努力していたら、今ごろ我々のような上級国民か、少なくとも中級国民になっていて当然ではないか、俺たちは自分の努力で今の地位と生活を手に入れたのであり、努力しなかった連中に甘い汁を吸わせる必要はない、というわけだ。要するに、弱者や不運な奴は飢えて死ね、という思想であり、それが実は資本主義の本質でもある。
山本太郎の特異性は、何よりもまず彼が、弱者や不運な人々の側に立つことを決めているところである。俗化し権力化した「キリスト教」とは違った、本来の存在としてのキリスト的な人物に私は思える。(私は、「キリストはキリスト教徒ではない」という思想を持っている。詳しくは、「革命者キリスト」に書いているはずだ。先ほど、独立した項目にした。)

(以下引用)

■検閲はびこる大手メディア

──民放や全国紙などの大手メディアが彼をとりあげないのはなぜなのでしょう?

内田 参院選が終わった直後、ある大手紙が僕のところに取材にきて、れいわ新選組の躍進について意見を聞きたいと言ってきた。選挙期間中にれいわ新選組についてまったく報道しなかったメディアが今ごろやってきて何を言うのかと文句を言ったんです。あれは「事件」でしょう! 短期間で立候補者を集めて、一人で4億円以上の資金をクラウドファンディングで集めたわけで、それって「事件」じゃないですか。「ニュース」じゃないですか。それを政治的中立性がどうたらと言って報道しなかった。それはジャーナリストとして自殺行為じゃないかと言ったんです。そしたら、その記者が言うのは、実はずっと山本太郎のことは取材していたんだそうです。専属チームまで作って。選挙活動の最初から映像や音声を撮っていたので、素材は山のようにあった。でも、使ってもらえないんだ、と。いくら記事を書いても、ニュース映像を作っても、上が「これは使えない」と言ってボツにするんだそうです。山本太郎だけじゃなく、辺野古もそうだと言ってました。現場は必死でニュースを取材しているんだけれど、上が抑えている。


──検閲するということは、それを脅威だと思っているということですよね。


内田 そうですね。そのまま放送されたり、記事にされると、政権に大きなダメージを与えるということがわかっているから抑え込んでいるんでしょう。桜を見る会もそうです。関係者を取材して証言を取れば、公選法違反で首相を追い込めるんだけれど、政権維持のために、メディアの上層部、政権の連中と一緒に寿司を食ったりしているような連中が隠蔽に加担している。


──われわれはネットや『週刊金曜日』などの小さなメディアのおかげで山本太郎の活動を知ることができているわけですが、他方で地方の年輩の方などは、情報源がテレビくらいしかなかったりもしますよね。


内田 テレビと讀賣新聞産経新聞しか読まない人たちとネットで情報を取っている人たちとのあいだに情報格差が生まれています。世界の見え方がまるで違うと思う。テレビがもう少し現実をありのままに映し出してくれたら、政治は一変すると思いますけどね。テレビはそのラストチャンスを失いつつあると思う。もう知的な人は誰もテレビ見なくなっている。

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