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徽宗皇帝のブログ

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自分のすぐ隣にいる異民族への恐怖と嫌悪と軽蔑
長い記事の一部だが、当時の日本人(あるいは今でも同じかもしれない)の朝鮮人差別の実態(あるいは差別や虐待に至る精神)がよく分かる。ブログタイトルまで転載したので、元記事を探し、記事全体を読むのもいいかと思う。
欧州(ロシアも含む)におけるユダヤ人差別と同じで、社会の下層にいる異民族は必ず差別され虐待される。
戦後の日本社会で、そうした差別構造の中からのし上がり、日本人への復讐の気持ちを胸に持っている人々がいるというのも、日本人の自業自得に思える。もちろん、先祖の悪事は今の自分に関係ない、という理屈も当然出るだろうが、親だろうが遠い先祖だろうが、その悪事は悪事と認めるべきだろう。


(以下引用)

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マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。


朝鮮人虐殺:褒美を求めた加害者、冗談と笑いが飛び交う法廷、町村ぐるみの減刑運動

■ 朝鮮人殺しには甘く、警察への反抗には厳しかった検挙方針

震災からある程度の時間が経過し、朝鮮人による暴動というのが根も葉もない流言に過ぎなかったことが明白になると、何の罪もない朝鮮人たちを官民一体となって虐殺しまくったという事実に向き合わざるを得なくなる。こうした不都合な現実に直面したとき日本政府がやることは昔も今も変わらない。事実の歪曲と隠蔽である。


これだけの虐殺事件が起きた以上、法治国家のふりをするには加害者を裁判にかけて処罰せざるを得ない。しかし、やり過ぎると、官憲自身が流言を流して民衆を扇動したことや、軍隊や警察が自ら虐殺に手を染めたことを暴露されて政府が窮地に陥る結果にもなりかねない。


そこで、臨時震災救護事務局警備部司法委員会は、9月11日、次のような方針を決定した。[1]


一、今回の変災に際し行われたる傷害事件は、司法上これを放任するを許さず。これを糾弾するの必要なるは閣議に於て決定せる処なり。しかれども情状酌量すべき点少からざるを以て、騒擾に加わりたる全員を検挙することなく、検挙の範囲を顕著なるもののみに限定すること。


二、警察権に反抗の実あるものの検挙は厳正なるべきこと。(略)


一応自警団の検挙はするが、虐殺に関して厳正な処罰をするつもりは最初からなく、一方で警察を攻撃した者は厳しく罰する、というものだ。言い換えれば、朝鮮人の命などどうでもいいが、権力に反抗する者は許さない、ということである。


この方針に従い、検挙の対象は警察の庇護下にあった朝鮮人を襲撃した埼玉や群馬の事件(熊谷事件神保原事件、本庄事件藤岡事件等)が中心となった。一方、例えばどう少なく見積もっても埼玉群馬両県を合わせたよりはるかに多くの朝鮮人が虐殺された横浜市では、わずか1件(横浜公園事件、被害者1名)しか立件されていない[2]。もちろん、軍隊や警察が手を下した虐殺事件が裁かれることはなかった。

■ 「ご褒美」を求めて警察に出頭した加害者たち

虐殺に加担した自警団員の検挙が始まるのは9月後半からだが、それより前、事件直後に自ら警察署に出頭した者もいる。しかし、これは自分の犯罪行為を反省して自首したわけではなく、「不逞鮮人」を退治したのだから褒美がもらえるはずだと思って出頭したのだ。[3]


大阪毎日新聞(1923年10月20日号外):


褒美が欲しい、加害者威張る


 埼玉県北足立郡大宮町在片柳村大字染谷四十五◯◯権右衛門長男庄右衛門(二◯)、同字◯◯熊吉(二一)の両名は、九月四日午前二時頃同村見沼用水堤で、東京方面から逃れて来た鮮人姜大興(二四)の姿を認め誰何したが言語十分に通ぜず、かねて村当局より達しのある不逞鮮人と思い込み矢庭に殺害して死体を用水に投げ入れたが、右両名は凶行後の四日朝大宮署に出頭し自分等の行動を述べた上「是非恩賞に与りたい」と申出で、警察は調書を浦和裁判所に送って置いたのでこの事件ばかりは何等取調の必要なく最初から犯人がわかっていた。(東京電話)


後の裁判でも、てっきり恩賞をもらえるものと思っていたのに、という被告人が何人もいたくらいで、加害者たちには罪の意識はほとんどなかった。まさに「天下晴れての人殺し」だったわけだ。[4]












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