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徽宗皇帝のブログ

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自己責任論の歴史
「逝きし世の面影」の「おまけ」記事を転載。
非常に分かりやすい「自己責任論の歴史」である。
こういうのは専門の日本人社会学者がやるべき仕事だが、日本の学者は9割が御用学者なので、こういう「危険な話題」は扱わない。つまり、政府批判、経済界批判、マスコミ批判になりかねないからだ。自分にとって損な仕事を進んでやる者はいないわけである。(ただし、書き手が本物のイタリア人かどうかは分からない。つまり、「イザヤ・ベンダサン」式の仮面かもしれない。)


(以下引用)





『これぞメイドインジャパン!? 3分でわかる“自己責任”の歴史』2018.11.29 パオロ・マッツァリーノ日本文化史研究家

「日本人は甘えすぎだ! 自分の意志で危険な地域に出掛けてトラブルに遭ったなら、国に頼らず自己責任でなんとかしろ! ちょっと見ていてください。彼女が座るところに、“自己責任”を置いてみましょう」

「きゃあ! すごい。全然、壊れない!」
「さすが、メイドインジャパンの“自己責任”」
「“自己責任”だーい好き」

昭和の日本ではめったに聞かなかった
日本には、自己責任という言葉の熱狂的ファンがいるようです。日頃から「絆」の大切さを説きながら、いざとなると「自己責任」だ、甘えるな、と豹変するのだから、人間性を疑ってしまいます。
第一次自己責任ブームが起きた約20年前、社会学者の桜井哲夫さんは自己責任を妖怪にたとえました。炯眼でしたね。消えたと思うと、また現れる。人の心の闇に取り憑き思考を停止させ、窮地に陥っている人にバッシングを浴びせる集団ヒステリーを引き起こすのだから、まさに妖怪の名がふさわしい。
いったいこの妖怪は、どこからやってきたのでしょう。そもそも昭和の日本では、自己責任なんて言葉すら、めったに聞きませんでした。日本の主要雑誌記事をデータベース化している大宅壮一文庫で検索したら、昭和時代に自己責任を見出しに使った記事はたったの4件。

■90年代に流れが変わったワケ
新聞記事ではいくらか使われてましたが、そのほとんどが、企業や金融機関の自己責任を問う経済記事で、論調も似通ってます。
アメリカの企業や銀行は自己責任で自由に活動している。かたや日本は、大企業も銀行もみんな政府機関の指示を仰ぐ横並びの護送船団方式だ。そろそろ日本も自己責任の自覚を持て――みたいな感じです。つまり、80年代までの日本で自己責任が求められたのは、企業や金融機関だけだったのです。
流れが変わりはじめたのは90年代中頃のこと。90年代に入っても毎年数件にとどまっていた「自己責任」記事が96年、一気に18件にジャンプアップ。
その理由は、ペイオフや金融ビッグバンといった金融規制緩和の開始に向けて、これからの時代は個人投資家にも自己責任が求められる、とする記事が増えたからでした。ここへきて自己責任を求められる対象が、企業や銀行だけでなく、個人投資家にまで広がったのです。

アメリカ人=自己責任論者ではない
当時の記事を読むと、日本人が持っていた強いアメリカへのあこがれが、自己責任へのあこがれにつながったように思えます。自己責任で資産運用と人生設計をするアメリカ人をベタ褒めし、日本人も見倣うべきだという筆者の、なんと多いこと。
残念ながらそのあこがれは、カン違いなんですけどね。アメリカのドラマや映画では、西部開拓時代から自己責任で生き抜いてきたアメリカ人の姿が繰り返し描かれました。でもそれが神話にすぎないことを、社会学者のステファニー・クーンツさんが暴露しています。
西部の開拓者も第二次世界大戦後のアメリカ人も、国から多大な援助を受けて豊かな生活をエンジョイしていたという実像には、がっかりです。

2004年、自己責任論爆発
90年代なかばの第一次自己責任ブームは経済・投資関連記事が主体だったのですが、90年代後半になると、言葉だけがひとり歩きをはじめます。自己責任が求められる対象が個人投資家から、それ以外の一般人へと、じわじわ広がっていきます。
自己責任が他者や弱者を叩くのに都合のいい言葉になりつつある風潮に気づき、異議を唱えた人も少なくありません。そのうちのひとり、キャスターの筑紫哲也さんは、自己責任が大事だと思うなら、自分に言い聞かせればいいだけのことで、他人に向けるんじゃない、と痛烈に批判しました。
理性ある人々の警告もむなしく、自己責任論がついに爆発したのが2004年。イラクで活動していた日本人3名が誘拐された事件が起きると、そいつらは勝手に行ったんだから自己責任だ、とヒステリックな大合唱が湧き起こりました。
大宅壮一文庫の検索でも、この年の「自己責任」記事は130件と、最高記録を叩き出します。この年の流行語大賞にもノミネートされました(受賞はせず)。
当時の記憶では、賛否が拮抗してた印象がありますが、確認のため2004年の雑誌記事にざっと目を通したところ、自己責任論を批判するものがほとんどでした。
自己責任論を唱える連中は威勢がよくて声がデカいから目立つだけで、実際には少数派なんです。
流行に便乗した記事もたくさんありました。イラクとはなんの関係もない、「女子アナ下半身の自己責任パニック」だの「自己責任まっただ中 ベッカム不倫」なんてしょうもない記事にまで使われてたことが、自己責任の蔓延ぶりとバカらしさを象徴しています。

安田さん解放でどうなった
今年(2018年)の10月に、人質になっていた安田純平さんが解放されたのをきっかけに、ひさびさに自己責任論が再燃した――かと思いきや、11月上旬の時点では、「自己責任」記事が増えた様子はまだ見られません。
日本人は理性を取り戻したのでしょうか。それなら喜ばしいのですが、油断は禁物。なにしろ自己責任はしぶとい妖怪ですから。

パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。
公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。
著書に『反社会学講座』『誰も調べなかった日本文化史』(いずれもちくま文庫)、『「昔はよかっ た」病』(新潮新書)、『会社苦いかしょっぱいか』(春秋社)などがある。

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