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徽宗皇帝のブログ 徽宗皇帝のブログ

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花や森を眺める人は、花を育て、木を植える人々を知らない

偉大なクリエイターの名は半永久的に残るが、こういう「縁の下の力持ち」の名は知られることも無い。水野英子がこうして書き、弓月光がリツィートしてくれたことで、丸山昭氏の名前を私も知ったが、このような存在は偉大な文化的業績の背後にたくさんいるだろう。

プロ野球には「野球殿堂」というのがあって、野球の発展に寄与した人々を顕彰し、殿堂に入れるが、その中には公式記録員などの裏方の名前もある。それに倣って、「文化の殿堂」を作ってはどうか。もちろん、そこには漫画やアニメの功績者も入れるのである。まあ、文化の殿堂だと膨大になりすぎるだろうから、「漫画の殿堂」でもいい。展示館は東京ではなく、手塚治虫生誕の地、大阪がいい。あらゆる漫画作品は電子情報化してそこに保存し、いつでも見られるようにするのである。つまり、漫画の聖地だ。



(以下引用)



            

  1. (続き)った氏がいらしたからこそと思っています。類いまれな編集員、丸山昭氏に心から感謝いたします。
  2.  
  1. (続き)、手塚先生と丸山氏がいらっしゃらなければ、今のマンガ文化はなかったと思っています。お二人は、戦後マンガの原点を語る時に、決して欠かせない方なのです。丸山氏は、「自分が育てたんじゃない。皆が勝手に育ったんだ」とおっしゃっています。でも、私たちは、その場を提供して下さ(続く)
  1. (続き)のマンガスタイルは、当然のように次の描き手たちに引き継がれて行きました。今日のマンガ文化の繁栄は、この上にあるのです。まだ保守的な考えが主流だったあの時代に、丸山氏の先見の明と判断力がなければ、私たちは存在せず、マンガ界もずいぶん違うものになっていたでしょう。私は(続く)
  2.  
  1. (続き)載して下さいました。私たちは、いくら作品を描いても掲載していただけなければ存在できません。この時代に生まれた多様な内容と表現方法が、その後の「マンガ」というジャンルを型作って行ったのでした。丸山氏に育てられた新人たちは、ほとんどがマンガ界を代表する描き手となり、そ(続く)
  2.  
  1. (続き)なアイデアや表現方法を出しても、決して頭からダメとは言わず、ていねいな指導と意見で、それらを最大に生かす工夫をして下さったのです。何よりも描き手の個性を大切にし、私たちは伸び伸びと創作をすることができたのでした。また、これらの奔放な作品を良しとし、積極的に雑誌に掲(続く)
  1. (続き)にいません。 丸 山 昭 氏 の 功績 丸山昭氏は、雑誌「少女クラブ」の編集者として、手塚治虫先生以下に、どっと出て来た多くの若手マンガ家を育てた方です。トキワ荘のメンバーや、その他の新人たちが、数知れずお世話になりました。氏は、私たち新人が、今までにない型破り(続く)
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  1. (続き)ほしいとのことでしたので今やっとお知らせができます。 私と丸山さんのお付合いは15才の時「少女クラブ」に小さなカットなど3点を採用して下さった時から始まります。それから60数年間アドバイスを下さり、協力して下さり誠実なお付合いを続けて下さいました。こんな方はめった(続く)
  2.  
  1. 丸山昭氏を悼む。 昨年12月15日、元「少女クラブ」編集長丸山氏が大腸がんで亡くなられました。(86歳)入院されてから3カ月あまり。手術からはほんの数週間でのご逝去でした。入院前までは全く変わらずお元気だったのでウソのようです。ご家族の希望で49日が終わるまで発表を控えて(続く)
  2.  


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