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徽宗皇帝のブログ

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誰にも気づかれない、庶民の不利益

良記事であり、いい提言だと思う。
私も、言われて初めて、そういえば日本の(しか飲んだことは無いが)ノンアルコールビールは不味いなあ、と思い出した。まあ、「二流のビール(偽ビール)で、安価なのだから不味くて当然か」と、これまでは思っていたから、それを疑問にも思わなかったのだ。
下記記事のような、外国のノンアルコールビールを実際に飲んだ人からの指摘が無ければ、おそらくこの状況は半永久的に続くだろう。これはアルコール好きな人にもアルコール嫌いな人にも不幸なことである。
酒は嫌いだが、忘年会などで、美味いノンアルコールビールが飲めるなら、場の雰囲気も壊さずに楽しめるのに、と思っている人もいるだろう。酒は好きだが、車の運転があるから、せめてノンアルコールビールでも飲みたい、という人もいるだろう。
なぜ企業がわざわざ不味いモノを作るのか、と言えば、政府のカネ儲けのための法律がネックであったわけだが、こんなのは、知らないならともかく、こうして事実を知られた以上は、いずれ変わる可能性もある。そういう意味で、下の記事には大きな意義がある。

そして、こうした事は、身の回りにたくさんありながら、庶民の誰も気づいていないのではないか、と思う。






日本のノンアルコールビールが不味すぎる理由



ドイツ南部ミュンヘンで、ビールの祭典「オクトーバーフェスト」の開幕後、ビールを運ぶウエートレス(2017年9月16日撮影)。 © AFP/dpa/Felix Hhager〔AFPBB News〕 ドイツ南部ミュンヘンで、ビールの祭典「オクトーバーフェスト」の開幕後、ビールを運ぶウエートレス(2017年9月16日撮影)。

 長らく不思議に思いつつ、まじめに調べずにいたことの1つに、どうして日本のノンアルコールビールは、ここまで破壊的に不味いのか、という点があります。


 生産者の方には申し訳ないのですが、ミュンヘンから大半のドイツ人の正直な感想とともにお送りしています。


 必ずしもビールの味にうるさくない大半の日本人にとっても、具体的に商標などは出しませんが、素直に言ってノンアルコールビールは全般においしいというものではない気がします。


 安全運転その他の理由で仕方なく飲まれる「代替飲料」で、それ自体として楽しまれる独立した飲み物とは、残念ながら言いがたいのが2017年日本の現状ではないでしょうか?


 これを痛感するのは、ドイツのノンアルコールビールを知っているからで、同じ飲み物とは思えません。こちらは「ビール」で、アルコールが入っていないもの。


 一方、日本で供せられるのは、ビールとは別の何か不可思議な飲料で、明らかに一段階以上レベルが落ちます。


 なぜなのでしょうか?


 思い立って少し調べ、またドイツの友人たちにも尋ねてみて、思いがけない事実がいくつか浮かび上がってきました。


 日本とドイツや欧州各地とでは、同じように「ノンアルコールビール」と言いながら、全く製法が異なっている――。


 以前から、何となくそんな話を聞いていたように思うのですが、今回調べてみて、そのメカニズム、また背景となる事実も知って、明確に改善の余地があると認識できました。


 日本のノンアルコールビールが不味いのは「人災」で、その改善には「法改正」がキーとなること。ぜひ法律改正を目指すべきだと思いましたので、この原稿を準備してみました。


人工透析とノンアルコールビール


 突然ですが、「ノンアルコールビールと人工透析の技術が関係している」と言われれば、びっくりしませんか。少なくとも私は大変に驚きました。


 ドイツのノンアルコールビールは、ビールからアルコールを取り除いて「脱アルコール化」したものが売られています。


 ドイツはあらゆる小さな町に、各々自慢の地元のビールが存在します。その風味、味や香りに誇りを持っている。日本で言えば地酒とかお味噌みたいなものでしょう。


 その地酒=地ビールをノンアルコール化するにあたって、元来のビールからアルコールだけを取り除き、少なくとも減少させ、味や香り、旨みをできるだけオリジナルに近い形で保持しようというのは、極めて自然な発想であるように思いました。


 たとえて言えば、日本で各地名産のお味噌を作るとき、味噌蔵が、昨今の健康志向の時流から、減塩化するのが少し似ているかもしれません。


 塩分控えめ、でも味も香りもオリジナルの風味を残して、ブランドの名に恥じない製品を送り出したい――。極めて自然な発想と思います。


 ドイツの地ビールも全く同様で、ベルリンはベルリンの、ミュンヘンはミュンヘンの、ライプチヒならライプチヒの、各々1つの町に5つも10もある酒蔵が、自慢の風味でノンアルコールのビール商品を発売している。


 だから、普通にビールとして旨いに決まっているのです。


 ドイツや欧州全般で見られるノンアルコールビールは、かつては本来のビールから、蒸留や蒸発などの方法を用いてアルコールを除去して作られていました。それなりに手間のかかる作業かと思いますが、ニーズは存在し、定番商品として消費も伸びていった。


 それが大きく変わるのは20世紀後半、透析などに用いる化学の進歩で、人工透析に用いるナノテクノロジーも駆使しつつアルコールと旨み成分などを漉し分けるフィルターの技術が発達したのが大きく関係していると聞き、へぇと感心しました。


 つまり、それなりに大きな分子量を持つビールの旨みと、低分子量のアルコールとを適切に漉し分けて、オリジナルの風味をできるだけ残し、アルコールだけを飛ばしたビールをシステマティックに造れるようになった。


 イノベーションの結果だと言うのです。旨いことを考えたものです。


 この種の技術は現在も日進月歩だそうで、様々なフィルターが工夫され、より低コストで、より旨く、より低アルコールで、地ビール産業を守りながら愛飲者の健康も守っていこうという取り組みが進んでいるそうです。




ビールもどき


和製ノンアルコールビール飲料の正体





 翻って日本はどうなっているか?


 キリンでもアサヒでもサッポロでも、元々の看板商品とノンアルコールは、似ても似つかない味に仕上がっている、これはどう考えてもそう言い切って間違いないでしょう。


 それもそのはずで、日本のノンアルコールビールは、ビールとは全く製法が違う、完成品のビールからアルコールを抜くのではなく、麦汁その他から別の飲料を作り出しているのです。


 「日本のノンアルコールビール」はビールのようでビールではない、実はビールとは別の飲料としてしか、作ることができない事情があるのです。


 大別してビール風別飲料・ノンアルコールビールの製法は3つあるようです。


 第1は、ビールと同じ原料である麦汁を使い、これをビール発酵させず炭酸や合成調味料、合成香料その他を加えてジュースを造るというもの。


 発酵していないのだから、ビールの風味があるわけがない。当然です。


 第2は、麦汁とは別ものの「麦芽エキス」を使って、やはり炭酸や添加物をいろいろ付け加えてジュースを作るというもの。


 要するにビールとして必要な最低限の発酵プロセスを経ていないので、味やら素っ気やらがないのは不思議でも何でもない。


 第3は、麦汁を用い、ビール同様の発酵プロセスを取らせながら、アルコールの度数が高くならないように、あるいはアルコールができないような別の酵母を使うなど工夫して、ビール風飲料を作るというもの。


 第1、第2の方法よりは、発酵させているので、もう少しビールに近いのかもしれませんが、基本的に別のものを作っているのは間違いありません。


 たとえて言えば、「ヤクルト」のような乳酸菌飲料を造ると言って、その実、納豆菌でドリンクを造っているような話ですから、所詮ビールではなく、別ものができて当然という話にしかならない。


 ではなぜ、こんなへんてこりんな方法で、不自然な飲み物を造らねばならないのか?


 ドイツみたいに、普通のビール製品からアルコールだけ抜けばよさそうなものなのに、それができないのは酒税法など法的な規制によるというのです。


 酒を造るには免許が必要、モグリの焼酎作りなどは検挙されると罰されてしまいます。


 要するに贋金作りと同じことで、政府が認可し、税金という上前をハネられるものだけを認めて、それ以外は認可しないという考え方による立法になっている。


 ちょっと話が飛びますが、米国で車を運転するとガソリンの安さを痛感します。日本はスタンドでガソリンを入れながら、油の代金というより税金を払って、車が路上を走っているようなことになっている。


 お酒についても同様のことが言え、酒税法が様々な規制を加え、またルールに従わないと醸造の免許が取り消されてしまったりしかねないというのです。


 お酒にかかる税率は、アルコールの度数が高い方が高率になるとは聞いていました。酒税法を見てみると、こんな取り決めになっているのですね。酒税法第二三条第一項の条文を引いてみます。


第二三条 酒税の税率は、酒類の種類に応じ、一キロリットルにつき、次に定める金額とする。


一 発泡性酒類 二十二万円


二 醸造酒類 十四万円


三 蒸留酒類 二十万円(アルコール分が二十一度以上のものにあつては、二十万円にアルコール分が二十度を超える一度ごとに一万円を加えた金額)


四 混成酒類 二十二万円(アルコール分が二十一度以上のものにあつては、二十二万円にアルコール分が二十度を超える一度ごとに一万千円を加えた金額)


 この二三条第一項の三とか四を見ると、要するに21%以上の度数のお酒は、1キロリットルあたり「度数万円」の税金がかかることになっている。


 25度の焼酎なら25万円、42度のウイスキーなら42万円・・・ということになるのでしょう。実務では違うことがあるのかもしれませんが、大枠要するに「強い酒は税率が高い」と言って外れないでしょう。


 ところが発泡酒については、いろいろ附則が増えているのです。酒税法二三条第二項を見てみると


二項 発泡性酒類のうち次の各号に掲げるものに係る酒税の税率は、前項の規定にかかわらず、一キロリットルにつき、当該各号に定める金額とする。


一 発泡酒(原料中麦芽の重量が水以外の原料の重量の百分の五十未満二十五以上のものでアルコール分が十度未満のものに限る。) 十七万八千百二十五円


二 発泡酒(原料中麦芽の重量が水以外の原料の重量の百分の二十五未満のものでアルコール分が十度未満のものに限る。) 十三万四千二百五十円 (後略)


 以下煩瑣な詳細を略しますが、要するにビールのようでビールでない発泡酒がビールより廉価で売られている、あの法的な裏づけがこれに当たるようです。


 さて、ここで問題になるのは、ビールとして醸造し、アルコール分が1度未満、あるいは0.5度未満の「飲料」を作るとしたら、それは酒になるのか、ならないのか、いったい何に相当するのか?


 そういう問題で、税務署の細かな判断は別に置くとして、日本では「酒からアルコールを抜く製品」を市場に出すことが難しいとされている。


 ここに「別飲料」製造の原点、味の観点からは、“癌”があるようです。


 清酒を蒸留して焼酎を造るのは構わない。度数が上がるから税収も増えるので、お役所はノーとは言わない。また原酒を適宜ブレンドして法に定められた税率になるよう調整するのも、徴税事務に際して必要なプロセスと認められている。


 ところが、ビールの類をよく見てみると、アルコール分はせいぜい4%とか5.5%とかなのに、22万円という高額設定で、税収としても割のいい設定になっているのが分かります。


 この、いわばドル箱商品からアルコールだけ抜いて、酒税法の管轄外のようなところにお酒が流れてしまうことを、どうやら法が阻んでいる。


 それに対応して日本のビールメーカー各種も、やたらと捏ねくった製法で、しかし率直に言って味としてはパッとしない飲み物を造り続けていることになる。


 こういう現状、率直に疑問を持たざるを得ないように思いました。


 進行する社会の高齢化、醸造産業の未来と国民の健康を考えるとき、こんなつまらない仕かけで旨くて健康を害さない低アルコール・ビールが作れないというのは、率直に言って「人災」ではないかと思います。


 議員立法なり何なりの方法で、ここにメスを入れて、旨くてローアルコールな日本の「新世代ノンアルコールビール」ができないものか、と思わざるを得ません。


 日本でも各地で地ビールが作られるようになりました。モータリゼーションの進んだ地域では、運転に差し支えがなく、かつ地元の味を楽しんでもらえれば、伸びる消費も多々あるように思います。


 半透膜などを用いたビールのノンアルコール化イノベーションは十分に進んでいる。


 ところがそれを社会に送り出せない壁として、旧態以前とした法制度が立ちはだかっている。そのような印象を強く持った次第です。


 国としては税収が確保されれば本来は文句がないはずでしょう。立法の大きなメスを入れる、勇気ある人の工夫が必要かと思います。


 技術的に可能なことと、それが製品として社会に出、産業か活性化することの間には様々なギャップがありますが、地ビールなどのアルコール除去製法によるヘルシーな消費増大は地場産業活性化などの観点からも進めていいのではないか。


 交通安全のためにも酒税法改正を、などと言うと、やや飛躍があるかもしれませんが、工夫があってよい部分ではないかと思います。


 この原稿はドイツ連邦共和国バイエルン州オーストリア国境のブルクハウゼンで記していますが、当地のノンアルコールビールを傾けながら、そう思わずにはいられませんでした。




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