忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

論説文では「書かれていないこと」が重要
慶應大学の教授だから安倍政権(自公政権)べったりだろうな、と嫌々ながら読んだが、部分部分は同感できるところもある記事だった。
まあ、コロナ騒動がマスコミ(西側マスコミ)が作った騒動に近い、という点では同意する。検査万能思想への批判も同感である。(西洋医学への盲信が検査万能主義の根底にあるのではないか。確率で判断する、というのも怪しげな思想である。)
だが、それ以外の、経済面での考え方は、大を取って小を捨てるという冷酷な経済合理性で、たとえるならば、日本本土を救うためには沖縄は犠牲になっていいい、という思想のようなもので、まさに新自由主義的思想であり、あまり賛同しない。
なお、筆者は安倍政権が実質的なコロナ対策などまったくしておらず、「財政出動」したその大部分は安倍一派が泥棒している事実にまったく触れていない。それで「感染症対策をすると財政危機が来る」とはチャンチャラおかしい。
要するに、「書かれたことは一理あるが、(わざと)書かれていない部分が問題だ」ということだ。


(以下引用)記事の一部のみ。


日本に今度こそ「本当に深刻な危機」が来る理由

コロナ危機で何が「デフォルト化」されたのか


これに対しては、根拠がない不安であるから、理屈で対策を取っても意味がない。それにもかかわらず、コロナ前には、世の中でもっとも合理的だと思われていたエコノミストたち(合理的過ぎて現実の人々の気持ちがわかっていないと非難されていた)が、得体の知れない不安を真正面から受け止めようとして、「日本自爆政策」とも呼べるような提案をしている。


彼らは、コロナ前には「財政緊縮論者」として批判を浴びていたはずだ。だが、人々の不安を払拭するために、全国民あるいはそれに近い大量のPCR検査を繰り返し行い、人々を安心させて、経済活動に復帰させようと提案している。アメリカのハーバード大学などがそのようなことを提言したから、この受け売りというだけなのかもしれないが、彼らは真剣だ。毎年数兆円の支出と、実施に際して非常な困難を伴ってでもやるべきだ、と主張している。


私は「コロナでおかしくなってしまったのか」と言いたい。PCR検査の結果が今日陰性でも、明日に陽性になるかもしれないのだ。だから、闇雲な検査はまさに百害あって一利なしに等しいのである。「では抗体検査を」、というが、これも賛否両論で、今回のコロナは抗体があっても大丈夫とは言い切れない。大量の国民全員の検査を行って、得られるものは、誤った安心である。目先の不安は解消されるかもしれない。ただ、それだけのために、毎年数兆円支出するという提案をするのである。

真の感染症危機が到来し、日本が財政破綻する懸念

この提案の最大の欠点は何か。検査をするのは、陰性なら安心ということで、不安を解消することのはずだ。だが、陰性で安心して活動していたら、発症して陽性になった、という例が出ている。「それは確率論だから、それが出てもかまわない。出たら隔離すればよい」、と全数検査提案側は言う。だが、国民の側はそうではない。陰性なら安心ということに金と時間と手間を払っているのに、これで発症して、他人にも感染したらまさにそれこそパニックである。かえってパニックは大きくなる。これこそが、原発事故でも日本を襲った、ゼロリスク神話、ゼロリスク追求癖の罠である。


したがって、日本には間違いなく今後、再び、いや真の感染症危機がやってくる(それが吉崎氏のいう「第2波」であろうが、別の新型ウイルスであろうが)。そのとき日本がパニックになり、感染症危機がどこまで深まるかは、そのときの対応、あるいは準備次第である。だが、少なくとも財政は確実に破綻するのである。








拍手

PR

コメント

コメントを書く