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徽宗皇帝のブログ

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昇る太陽
         昇る太陽

         壱

 日吉丸、後の木下藤吉郎、いや、豊臣秀吉が、自分は何者かであるとの確信を抱いたのは、そう早い時期ではない。成人するまでの彼は、自分はとうてい二十歳過ぎるまで生きることはあるまいと考えていた。人より自分が勝れているという自惚れなどは、なおさらなかったのである。それも当然で、尾張の水呑百姓の子で、幼時に寺の小僧に遣られ、そこを数年で飛び出して後は、乞食同然で各地を放浪してきた人間に、自分をひとかどの人間であるなどという自信がある筈はない。寺の小僧だった時、同輩より多少は機転が利くという気持ちを持ったこともあったが、それもかえって同輩との折り合いを悪くする役にしか立たなかった。その後は乞食や物売りをしながら、あるいは野盗の下働きさえしながら、何とか食いつないできたのだが、そのような生き方にもこの頃では嫌気がさしてきて、いっその事、死んでしまおうかと思うことさえあったのである。
 その理由の一つは、生まれつきの醜さだった。背が人並みはずれて小さく、四尺三寸ほどしかない。子供の十二、三歳並みの大きさだった。その上、顔ときたら、猿そっくりである。それも萎びた老人に近く、愛嬌に乏しい。むっつり黙り込むと異様な凄みがあるのも、人に嫌われる理由の一つだ。反面、それを憐れんでもらえることもある。しかし、女にもてたことは生まれてから一度もない。母親だけはこの醜い息子を愛しんで何かと面倒を見てくれたが、養父などは彼をひどく嫌っていたものである。
 彼の不幸は、その容貌の醜さとはうらはらに性欲の強かったことである。それも美しい女が好きでたまらない。美しい女に好かれることは一度も無かったのだから、これは地獄と言うべきだろう。
 彼が織田信長の妹、お市の方を見たのは、彼女が他国に輿入れする日だった。館から輿に乗る、その僅かな間に見たのである。その時、この世にこれほど美しい女がいるということに、彼は目もくらむような思いがした。そして、その女を抱く男がいるということに、腹の中が黒くなるような煮える思いを感じたのである。
 このわずかに数秒の出会いが彼の運命を変えた。
 この空の下のどこかにあの女がいる。いや、あの女でなくとも良い。ともかく、あのような女が世の中にはいるのだ。それを抱くまでは俺は死ねない、と日吉丸は心に決めたのだった。


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