忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

「ポピュリズム」の意図的誤用
「阿修羅」の或る記事のコメントに、いい指摘があったので転載しておく。
この人の言うように、これはマスコミの意図的誤用かもしれない。つまり、大衆の意思を忖度する意見を「大衆迎合主義」の意味でポピュリズムと呼んで非難し、権力者やエリート的存在の独断専行(独裁行為)を「正しいもの」と錯覚させる、という洗脳目的の意図的誤用である。
こういうコメントをする人間もいるから「阿修羅」はまだまだ捨てたものではない。


(以下引用)


02. 2015年3月07日 03:03:12 : RgzvCTPQ3c



「ポピュリズム」「ポピュリスト」の誤用について、しつこく訂正しておきますね。
マスゴミが意図的に「ポピュリスト」の本当の意味を国民に知られないように「誤用」を続けるのであれば、何度でも訂正し敷衍するのみです。

石原氏は案外、素で勘違いしているのかもしれませんがね。


ポピュリスト - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0


ポピュリズム(英: populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望を考慮して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または政治姿勢のことである。日本語では通常は大衆主義や人民主義などと訳されるが、一部では「大衆迎合」などの政治学上は不正確な訳も使われている。また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリスト(英: populist)と呼び、民衆派や大衆主義者、人民主義者などと訳されている。





(追記)このコメントを読んですぐに想起したのがオルテガ・イ・ガセットと西部邁である。自分は大衆の一人だとしか思えない私には、この二人の「大衆嫌悪」「大衆憎悪」がどうにも理解しがたいのである。(特に西部など、生まれも育ちも大衆だろうから、自己嫌悪になるのではないか。)と言うより、貴族など世襲利権血統でしかないし、その能力も義務感も道徳心も大衆の水準以下だろう。エリートもまた道徳性など無いし、能力もたいしたことはないことは日本や世界の歴史が証明している。ノブレス・オブリッジというのは「現代の神話」の一つだろう。

(「ウィキペディア」から、オルテガ・イ・ガセットについての記事を引用)

大衆を批判し、貴族エリートを擁護した。彼の定義によれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。


20世紀に台頭したボリシェヴィズム(マルクス・レーニン主義)とファシズムを「野蛮状態への後退」、「原始主義」として批判した。特にボリシェヴィズム、ロシア革命に対しては、「人間的な生のはじまりとは逆なのである」と述べている。


自由主義を理論的・科学的真理ではなく、「運命の真理」であるとして擁護している。


保守主義者と評されることもある。日本では西部邁が影響を受け、しばしばオルテガの発言を引用している。






拍手

PR

コメント

コメントを書く