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徽宗皇帝のブログ

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「普天間基地問題」についての内田樹の見解
「内田樹の研究室」より転載。

内田樹はマスコミ言論人の中では珍しく、非常に理性的で誠実な人間である。表現がときどき無駄に固いのが欠点だが、その論理は確かだし、政治的見識は健康的だ。こうした人間の意見は、もっと多くの人に知られるべきだろう。そこで、彼のブログからここに転載する。なお、彼は雑誌であれブログであれ、自分が発表したものは無断で転載してよいと述べている。それも一つの見識であり、少なくとも、ブログなどでの井戸端会議的発言まで著作権を主張するのは馬鹿げた行為だと、私も思っている。


(以下、引用)



毎日新聞に先日普天間基地問題についてコメントをした。
それをそのまま採録しておく。

普天間問題の根本にあるのは、米国が日本に基地を置いていることのほんとうの意味について私たちが思考停止に陥っているということだ。
米国は日本に基地を置いている理由の一つは日本が米の軍事的属国だということを私たち日本人に思い知らせるためであり、もう一つは、中国、北朝鮮という「仮想敵国」との間に「適度な」緊張関係を維持することによって、米の西太平洋におけるプレザンスを保つためである。
米軍基地はすでにあるものであり、これからもあり続けるものだと私たちはみな思い込んでいるが、米国は90年代にフィリピンのクラーク空軍基地とスービック海軍基地から撤退した。2008年には韓国内の基地を三分の一に縮小し、ソウル近郊の龍山基地を返還することに合意した。いずれも両国民からの強い抗議を承けたものである。
米国防総省は沖縄の海兵隊基地については、県外移転も問題外であるほどに軍事的重要性があると言い、日本のメディアはそれを鵜呑みにしている。だが、その言い分とアメリカが海東アジア最大の軍事拠点と北朝鮮と国境を接する国の基地を縮小しているという事実のあいだにどういう整合性があるのか。とりあえず私たちにわかるのは、日本国民は韓国国民やフィリピン国民よりもアメリカに「侮られている」ということである。
普天間基地問題では、基地の国外撤退を視野に収める鳩山首相に対してメディアは激しいバッシングを浴びせている。米国を怒らせることを彼らは病的に怖れているようだ。だが、いったい彼らはどこの国益を配慮しているのか。先日会った英国人のジャーナリストは不思議がっていた。
日本人は対米関係について考えるとき、決して対等なパートナーとして思考することができない。この「属国民の呪い」から私たちはいつ解き放たれるのか。
私の寄稿したすぐ横では、ある軍事ジャーナリストが沖縄に海兵隊があることの必要性について、歩兵ヘリコプターと揚陸艦の三者が一体でなければならないという戦術上の理由を挙げていた。
「現在の移転案では、三者が離れ離れになる。例えば、朝鮮半島で紛争が起きた場合でも、時間的ロスが多い。米側がのむわけがない。」
なるほど。
そこで、ひとつ質問。
朝鮮半島で紛争が起きた場合、いちばん時間的ロスが少ないのは、紛争地域に海兵隊基地があることである。
ところが、朝鮮半島の米軍は基地の縮小を受け容れている。
この事実はどう説明できるのであろうか。
別にそれほどややこしい話ではない。
韓国国内に基地を持っていることには軍略上の利益がある。
基地をもっていることで韓国内に深刻な反米運動がおこることには外交上の損失がある。
利益と損失を考量した上で、アメリカ政府は外交上の損失を避けた。
これは、現在の東アジア情勢においては、合理的な政治判断である。
つまり、米国の同盟国が「恒久的な米軍基地が国内にあることは同盟関係にむしろマイナスである」という主張をなした場合に、アメリカはその主張が合理的であれば、聞く用意がある、ということである。
しかるにこと沖縄については、海兵隊基地の基地機能が多少とでも損なわれるような提案は「アメリカはのむまい」と専門家たちは口を揃えて言う。
それはどれほどアメリカがごねても、同盟関係は少しも揺るがないであろうとアメリカ政府が思っていると彼らが思っていることを意味している。
アメリカ政府がほんとうのところどう思っているのか、私にはわからない。
けれども、日本はアメリカに対して反抗できないという「属国」条件を日本の軍事専門家たちが「定数」にして、そのコメントを述べていることはわかる。
彼らのその現状認識が十分にリアリスティックなものであることを私は喜んで認める。
けれども、その場合には、やはりコメントをするたびごとに「われわれはアメリカの軍事的属国民であり、軍事に関しては、アメリカの意思に反する政策決定をすることができないのだ」ということを明らかにし、「だから」という接続詞のあとに、自説を展開していただきたいと思う。
あたかも主権国家が合理的な判断として国内に外国軍基地を置くという「選択している」かのように語るのはフェアではないと私は思う。


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